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『エリザベート ハプスブルク家最後の皇女』 [本]

皇妃エリザベートのことを書いていて、思い出した本があります。
『エリザベート ハプスブルク家最後の皇女』
Elisabeth.jpg

エリザベート―ハプスブルク家最後の皇女


図書館で、表紙の写真にひかれて手に取りました。
(うーん、いつのことだったのか?覚えていません)
ウエストがキュッと細くてすらりとした魅力的な女性のポートレート。

エリザベート‥‥美貌で名高いさすらいの皇妃? でも「最後の皇女」というと?
と、ページをめくると、彼女は、皇妃エリザベートの孫娘、
マイヤーリンクで自殺した皇太子ルドルフの一人娘。
つまり、ハプスブルク家のもっとも正統な血筋をひく最後の皇女である。

この本の著者も、オーストリア在住だった1963年(昭和38年)3月
エリザベートの死を報じる新聞記事で初めて彼女について知り、
その数奇でドラマティックな生涯に驚いて、調べ始めたとのこと。

世界史というのは国も年代もごっちゃになってしまって苦手です。
そして、「エリザベート」という名前も祖母と孫娘が同じですが、
なんで同じ名前をつけるんでしょうね?
同じ名前の王様が何人もいて、よけい混乱して、ますますわからない。

なので、ほとんど時代背景を知らずに読んでいったのですが、
激動の時代の中、驚くような波乱万丈の生涯です。
世界史の教科書では無味乾燥のように思えた出来事が、
血肉をもって感じられてきて、とても興味深く読みました。

そして、ラストエンペラーならぬラストプリンスの彼女は、
時代に流されるだけではなく、
さすがあのエリザベートの孫娘と思えるような、
意志の強さと情熱を持っていてすごいです。

エリザベートは、1883年、ヨーロッパに君臨したハプスブルク家の
皇太子ルドルフとベルギー王室から嫁いだステファニー妃との間に生まれた。

エリザベート5歳の時、父の皇太子ルドルフが男爵令嬢マリー・ヴェッツェラと、
マイヤーリンクの狩猟の館でピストル自殺を遂げるという大事件が起こる。
往年のフランス名画「うたかたの恋」にもなっているが、
この心中事件の真相はいまもなお明らかではない。

この事件で、オーストリア=ハンガリー帝国フランツ・ヨーゼフ皇帝は、
一人息子である正統の世継を失った。皇后エリザベートはこの事件以降、
喪服を脱がず、哀しみが癒されないまま旅から旅への放浪生活を続ける。
妃(皇女エリザベートの母)ステファニーは、一人宮廷内に残されて、
身の置き場がなく、こちらも旅から旅へと渡り歩くようになる。
エリザベートは宮廷内で幼い娘の話し相手もいず、孤独に育つ。
そんな彼女をフランツ・ヨーゼフ皇帝は溺愛し、多忙な政務の間、
少しでも時間があると孫娘と遊んだ。

エリザベート15歳の時、祖母で伝説的な美貌を誇る皇后エリザベートが暗殺される。

ルドルフ皇太子亡き後、皇位継承者は、フランツ・ヨーゼフ皇帝の甥
フランツ・フェルナンド大公になっていた。彼は身分違いの伯爵令嬢との結婚が
「貴賎結婚」として長い間認められなかったが、やっと条件付きで認められた。
その条件はフェルナンドが皇帝になっても伯爵令嬢ゾフィ・ホテクには皇后の称号を
与えず、生まれる子供にも皇位継承権はないというもので、ゾフィは30人あまりの
大公女たちの最下位に置かれ、公式の行事にフェルナンドと一緒に出席することを
ほとんど許されなかったという屈辱的なものであった。

このフランツ・フェルナンド夫妻が、1914年にサライェヴォで暗殺された皇太子夫妻で、
この暗殺事件が第一次世界大戦の引き金になったというのは世界史で習いましたが、
この事件の背後に、貴賎結婚による宮廷のイジメがあったということが興味深かったです。
伯爵令嬢ということで、一段低く見られて、宮廷内で差別されるゾフィと、
妻を愛しているがために屈折し、孤立していくフランツ・フェルナンド。
サライェヴォはテロの心配があると周囲は心配したのだが、サライェヴォ訪問では、
初めて夫妻揃って出席できるということで、皇太子夫妻は出かけたとのこと。
そして、暗殺後の葬儀の時にまで、ゾフィの棺の扱いが差別されていて、
それを見た人々の怒りが「セルビア打つべし」という世論になっていったのだとか。

‥‥なぜ、そこまで身分にこだわるのか、現代の庶民である私から見ると
全くわからないのだけど、身分違いの恋は、ドラマにも多くあって、
ロマンチックなものだと思っていたけど、数々の障害があって、
当事者たちが屈折しちゃうこともあったんでしょうねぇ。

でも、こんな「貴賎結婚」に対するタブーは、どんどん崩れていったんです。

母ステファニーが、ハンガリーの伯爵と再婚して宮廷を去る。
伯爵だが、元皇太子妃には身分違いの貴賎結婚で、エリザベートは反対するが、
苦しかった母の立場を思い、結婚は認めるようになるが、結婚式には出なかった。

そして極めつけが、エリザベートが、社交界デビューとなった宮廷舞踏会で
出会ったオットー中尉に一目惚れして、皇帝にたのみこんで、
婚約者がいるからというオットー中尉の断りも聞かずに、結婚してしまうこと。
オットー中尉は上級貴族との結婚も許されない貧乏貴族で、
フランツ・フェルナンドや母ステファニーの結婚とも比べ物にならないくらいの
貴賎結婚で、皇帝も何度も説得するのだけど、最後はかわいい孫娘のために、
オットー中尉にエリザベートとの結婚を命じてしまうのだった。

しかし、この結婚、現代の私から見ても、身分違いはともかく、
同年代とのつきあいもほとんどないままに育った17歳のエリザベートの初恋で、
若気の至り、非常にあやうい結婚だと思えて、私が親でも反対すると思うけど、
エリザベートの情熱と、意思の強さはすごいというか‥‥。

この結婚式の前日、エリザベートは、皇位継承権を放棄する署名をする。
ハプスブルク家はマリア・テレジア女帝の例があるように、
男子がいない時には、女子にも皇位継承権を認めている。
エリザベートは皇帝のもっとも近い血筋なのに、なぜあっさりと
皇位継承権を放棄した、またさせたのか、多くの人が疑問を持っているとのこと。

莫大な持参金、財産と共に、各方面からの祝福を受けて、若い二人は結婚する。
豪華で長い新婚旅行、贅沢で幸せな新婚生活。二人の間には4人の子供に恵まれる。
だが次第に二人の間にすきま風が吹くようになり、夫の浮気現場を見つけた
エリザベートは、ピストルを発砲するという激しさを見せる。
オットーとの不和に悩むエリザベートは、海軍少尉レルヒとの不倫の恋に
のめりこんでいく。が、レルヒは第一次世界大戦で戦死してしまう。
さらに、フランツ・ヨーゼフ皇帝が第一次世界大戦の最中、1916年に、
86歳の生涯を閉じる。在位68年。エリザベートは大きな庇護者を失ってしまう。

このあたりまで、エリザベートは自由奔放なわがまま娘といったカンジで、
浮気については、私はオットーの方に同情してしまうところがあるんですが。

1917年3月のロシア革命では300年続いたロマノフ王家が崩壊。
共産主義のイデオロギーが入り込んでくる。
ナショナリズム運動が盛んになり、帝国内の諸民族が次々と独立し、
ハプスブルク家は――カール皇帝が即位し、活路を見出すべく様々な手を
打っていたのだが――1918年秋にあっけなく崩壊する。

エリザベートは、フランツ・ヨーゼフ皇帝存命中からオットーとの離婚交渉を
進めていたが、敗戦間もない1919年、オットーが離婚裁判を起こし、
裁判所は4人の子供のうち、2人をエリザベートに、2人をオットーにという
判決を下す。子供たちを引き渡したくないエリザベートは各方面に支援を求めるが、
皇帝亡きあと、旧王族たちは、スキャンダルばかりの自由奔放なエリザベートとの
つき合いを絶ってしまっていた。唯一、力になってくれたのが社民党だった。

社民党の集会に出かけたエリザベートは、地区責任者である
レオポルド・ペツネックに会い、その素朴で誠実な人柄に惹かれる。
ペツネックは、「これは人権の問題で、身分の問題ではない」と、助けてくれる。

二人は互いに惹かれあって結婚するのだが、これには、
ゴシップには慣れっこのウィーン市民もさすがに絶句した。
ハプスブルク家の皇女と、貧農出身の社民党のリーダーの再婚!
「赤い皇女」というエリザベートの新しい呼び名は、またたく間に広がった。

それからオーストリアの苦難の歴史が始まる。ヒトラーによるオーストリア併合、
第二次世界大戦。外国語のよくできるエリザベートは、ラジオを聞くのも命がけの
時代、密かに反ナチの活動を続ける。
ペツネックは、強制収容所へ送られるが、生き地獄の中、紙一重で助かる。
戦争が終わっても、ウィーンは占領され、エリザベートの屋敷はソ連軍に続いて
フランス占領軍によって接収されてしまう。

戦後、東欧諸国が共産化して、スターリンの鉄のカーテンの中に入る中、
オーストリアが西側に入ったのは、本当に、奇跡的なことだったんだと、
この本を読んで知りました。このあたりのことは、何度読んでも複雑で、
よく理解できないんですが、カール・レンナーという、かなり老獪な首相の
力が大きかったことがわかります。そしてペツネックもレンナーの下、
ソ連との交渉にあたります。

戦後10年経った1955年、ようやくオーストリアは中立国として独立する。
彼女は72歳で、リューマチでで不自由な体ではあったが、
やっと自分の館に戻れる。しかし、喜びもつかの間、
翌年、愛する夫が心臓発作で亡くなってしまう。

悲しみに暮れる彼女に、旧帝国であったハンガリー動乱が
ソ連によって制圧されるニュースが入り、エリザベートは生きる気力を失い、
絶望と孤独の中、愛犬に囲まれ、1963年3月に老衰で亡くなる。
遺言によって、美術品などは一切がオーストリア共和国に寄贈された。
彼女の墓は、歴代のハプスブルク家の霊廟から遠く離れた郊外のわびしい墓地にあり、
ペツネックと並んで眠っているとのこと。この墓のことは彼女の遺言だそうですが、
墓石には名前も碑銘もないという、いかにもきっぱりと激しい彼女らしい、
愛する夫と一緒というところが、また彼女らしいですね。

ハンガリーやチェコなど、東欧諸国については、私は社会主義の暗い国みたいな
イメージだったんですが、美しい町並みや歴史的遺産を知るにつけ、
豊かな文化を持つ国で、苦難の歴史をたどったんだと思わずにはいられません。
ハプスブルク帝国の時代、その美しい王城で過ごしたエリザベートが、
鉄のカーテンにさえぎられ、弾圧される人々(その中には昔の知り合いもいる)
を思う気持ちは、さぞ苦しいものであったであろうと思います。

今、自由に行き来できるようになった欧州を、彼女はどう見るでしょうか?

しかし、この本のことを書こうと思って、図書館からもう一度借りてきましたが、
歴史や政治のことを書いてあるところは全くと言っていいほど覚えてなかったですし、
もう一度読み直してもよくわからなくて‥‥ヒトラーの強引で巧妙なやり方とか、
大国に翻弄される小国の悲哀とか‥‥戦争反対と唱えるのは簡単だけど、実際、
戦いに巻き込まれていった時にはどうしたらいいのだろうかとか、難しいですね。
苦難の歴史の末に今の平和があるわけで、もっと歴史に学ばないといけないとは
思うのですが‥‥やっぱり複雑で難しいです。

文庫本も出ているようですね(上下巻に分かれているようです)

エリザベート〈上〉―ハプスブルク家最後の皇女 (文春文庫)

エリザベート〈上〉―ハプスブルク家最後の皇女 (文春文庫)

  • 作者: 塚本 哲也
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/06
  • メディア: 文庫



エリザベート〈下〉―ハプスブルク家最後の皇女 (文春文庫)

エリザベート〈下〉―ハプスブルク家最後の皇女 (文春文庫)

  • 作者: 塚本 哲也
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/06
  • メディア: 文庫



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たまのママ

エリザベートの本が出ているんですね。
昔の本を読んでいると必ずその当時の歴史が関わりあっていて、難しいですよね。
何度も何度も読み返さないと理解できません。
私は今、また坂本龍馬関連の本を読んでいます。
龍馬大好きなんです。
龍馬伝だけではなく、その時代に何が起こったかと一緒に考えないと話が進みません。
しーちゃんが言われるように、
「苦難の歴史の末に今の平和があるわけで、もっと歴史に学ばないといけない」・・・同感です。でもホントに難しいです。。
by たまのママ (2010-03-19 22:21) 

しーちゃん

たまのママさん、コメントありがとうございます。坂本龍馬!幕末から明治維新、すごい時代でしたね。新撰組も篤姫も同じ時代で、色々な立場で色々な考えがあったんだなあって、少しずつわかってきたんですが、難しいです。でも、坂本龍馬をはじめ、当時の日本人、偉かったなあと。
by しーちゃん (2010-03-22 23:15) 

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