奈良県立美術館「磯江毅=グスタボ・イソエ」展 [美術]
師走も半ばを過ぎた12月18日(日)
奈良県立美術館「磯江毅=グスタボ・イソエ」展へ行ってきました。
チラシ表面に使われているのは《深い眠り》1994-95年 の部分
2011年7月24日に放映されたNHK「日曜美術館」のアートシーンで、
練馬区立美術館の「磯江毅=グスタボ・イソエ」展を取り上げていたのですが、
写実と一言で言えない、なんとも静謐な雰囲気がとても素敵で印象的でした。
わー、こんな日本人作家がいたのね、53歳で急逝したなんて惜しまれること。
行きたいけど、東京じゃねぇ‥‥って見てたら、
巡回展が奈良県立美術館であると。奈良か‥‥修学旅行とかツアーバスで
お寺は行ったことあるけど、東京よりは行きやすいかなって心に残ってたんです。
岐阜県美術館(?)に行った時にチラシを手に入れて、
ますます行きたい気持ちが募りまして、奈良県立美術館の場所や、
交通機関を調べたりして、新幹線などの有料特急使わなくても、
東海道線で京都まで行き、近鉄を利用すれば、3時間位で行けるから、
休みの日曜日に行っちゃおうかなって思ったんですが、
ついつい‥‥やることがあったり、疲れてたりで‥‥あーやっぱ行けないかしら
って、あきらめかけたんですが、展覧会最終日の12月18日(日)
ついに決心して出かけました!
奈良県立美術館は、近鉄奈良駅から徒歩5分位。
奈良県庁のすぐ裏の便利なところにあるんですね。
チラシに割引券がついていて、一般1,000円のところ800円になりました。
チケットに使われているのは《新聞紙の上の裸婦》1993-94年 の部分
美術館の外には、え?と思った程人が見当たらなかったのですが、
展示会場にはそこそこ鑑賞者が入っていました。
若き日の自画像に続いて模写作品が何点か並び、そして
《シーツの上の裸婦》1983年(チラシ裏面下段中)
古典絵画を思わせるような優美な裸婦でとても素敵でした。
初期の代表作ですね。
チラシ裏面
日本の浮世絵は西洋の画家に衝撃を与えましたが、
浮世絵を見慣れていた日本人には、西洋の絵はその立体感、
写実性が衝撃だったのではないでしょうか。
三次元の世界を二次元の平面に写す。
そんな西洋美術の伝統を学び、本場で認められた画家。
小学生が「スゲー」と感心する絵はホンモノそっくりに描かれた
リアリズム絵画ですよね。私もそんなとこが残っているのか、
タッチの荒い印象派より優美なルネサンスの古典的な絵画が好きだったりします。
写真技術が発達した現代において、写実絵画に意義があるのかってことも
言われますが、磯江毅の絵を見れば、明らかに写真以上の存在感のようなものが
絵から感じられるのがわかります。
《鮭“高橋由一へのオマージュ”》(チラシ裏面上段左)は、
鮭に縄がかけられているんですが、縄のところの板が毛羽だっていて、
この縄はホンモノなのか描かれているのかわからなくなるんです。
多くの人が絵を横から見て、本当に平面なのかって、目を凝らしていました。
鶉を描いた作品(チラシ下段左)や、皮をはがれたウサギを描いた作品――
スペインの市場ではそんなふうに肉を売っているそうですが、
なんでこんなものを描くのかなって思いましたが、
奥様のコメントに、モデルは気味悪かったのに、
できあがった作品は美しいと感じたってありましたが、
ほんとうに、不思議に美しい作品で、
「生」と「死」について考えたりしました。
亡くなった年の2007年に描かれた《鰯》(チラシ中段左)
白い皿(窓からの光が映りこんでいます)に朽ちた鰯の絵がまたすごい。
生あるものはいつかこんなふうに朽ちる‥‥、
存在の不思議さ、崇高さまで感じられるような作品です。
豊田市美術館「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」で
とてもリアルな静物画を見て感心したんですが、
いろいろなものが画面からあふれんばかりに描かれているんですよね。
磯江毅の静物画は描かれているものがすごく少なくて、
ピーンと張り詰めたような、ストイックな雰囲気が感じられるんです。
これって日本的な感性なのかなぁとか。
磯江毅がマドリードのプラド美術館で模写の対象として選んだのが
15世紀フランドル派ヴァン・デル・ウェイデンと
ドイツの画家、アルブレヒト・デューラーの作品だったそう。
スペインを代表するベラスケスやゴヤではなく、フランドル派の作品を
模写するというあたりに磯江の感性があるんでしょうね。
描かれている葡萄は、どれもちょっとしなびているんですよね。
鶉の肉も、同じようなものを買ってきて交換して描いたとのことだけど、
個体差もあるだろうし、日が経てば変化するだろうし、
そんなことをどのように見て描いたのか‥‥って。
奈良県立美術館の2階のいくつもの部屋に(この展覧会以外の展示はしてなかった)
磯江の初期から絶作までの代表作約80点が展示されており、
ところどころに奥様のコメントが添えられているのも興味深かったです。
《シーツの上の裸婦》では、モデルは画学生で、安く協力してくれたとか、
死んだ鳥を描いた絵では、日本で描いたらウジがわいてしまったとか。
そして特別展示として、1階の部屋にデッサンがたくさん展示されていましたが、
とても興味深かったです。
磯江毅は私より3歳上ですが、
スペインへ行く前の大阪時代に描かれたデッサンを見て、私が美大受験のために
デッサンを習っていた頃を思い出しました。あの頃の石膏デッサン、面で空間を
とらえるようにって指導されましたねー。
そしてスペインへ渡り、マドリードのデッサン研究所で学ぶんですが、
そこでは「日本のデッサンとはまったく違う方法」を体験したとのこと。
それは「マンチャ(汚れ)と呼ばれる、木炭を木炭紙の目がつぶれるほど布や擦筆、ときには羊の膀胱を乾燥させたものなどを使ってこすり込んでいくスペイン式デッサン法で、先生の助言は単純明快で、似ているか似ていないか、長いか短いかといったことだった」そう。
そうかー、私はあの頃の石膏デッサンの方法が絶対的なものだと思ってたけど、
スペインでは全く違った方法でやってたんだ‥‥って。
もちろん私がスペイン式デッサンを学んだとしても、デッサンが苦手なことには
変わりなかったろうと思いますが‥‥「もっとよく観なさい」ってよく言われてました。
でもスペインへ渡ってからの磯江のデッサン、すごく上手くなってるのがわかります。
裸婦デッサンやクロッキーなどもすごいレベルだなって。
そして、画家として大成したと思われる50歳(2004年)になって、
マドリードの美術解剖学の講義に出席して、筋肉などのデッサンをしている。
学ぶ姿勢が素晴らしいなって感じました。
つくづく早世が惜しまれます。
奈良県立美術館のHP: http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_menuid-11842.htm
過去の展覧会の「磯江毅=グスタボ・イソエ」のページ
http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_menuid-26379.htm
A4四つ折の結構立派な出品目録や略年表のついたパンフをもらったので、
図録は高かったこともあって買いませんでした。
奈良県立美術館「磯江毅=グスタボ・イソエ」展へ行ってきました。
チラシ表面に使われているのは《深い眠り》1994-95年 の部分
2011年7月24日に放映されたNHK「日曜美術館」のアートシーンで、
練馬区立美術館の「磯江毅=グスタボ・イソエ」展を取り上げていたのですが、
写実と一言で言えない、なんとも静謐な雰囲気がとても素敵で印象的でした。
わー、こんな日本人作家がいたのね、53歳で急逝したなんて惜しまれること。
行きたいけど、東京じゃねぇ‥‥って見てたら、
巡回展が奈良県立美術館であると。奈良か‥‥修学旅行とかツアーバスで
お寺は行ったことあるけど、東京よりは行きやすいかなって心に残ってたんです。
岐阜県美術館(?)に行った時にチラシを手に入れて、
ますます行きたい気持ちが募りまして、奈良県立美術館の場所や、
交通機関を調べたりして、新幹線などの有料特急使わなくても、
東海道線で京都まで行き、近鉄を利用すれば、3時間位で行けるから、
休みの日曜日に行っちゃおうかなって思ったんですが、
ついつい‥‥やることがあったり、疲れてたりで‥‥あーやっぱ行けないかしら
って、あきらめかけたんですが、展覧会最終日の12月18日(日)
ついに決心して出かけました!
奈良県立美術館は、近鉄奈良駅から徒歩5分位。
奈良県庁のすぐ裏の便利なところにあるんですね。
チラシに割引券がついていて、一般1,000円のところ800円になりました。
チケットに使われているのは《新聞紙の上の裸婦》1993-94年 の部分
美術館の外には、え?と思った程人が見当たらなかったのですが、
展示会場にはそこそこ鑑賞者が入っていました。
若き日の自画像に続いて模写作品が何点か並び、そして
《シーツの上の裸婦》1983年(チラシ裏面下段中)
古典絵画を思わせるような優美な裸婦でとても素敵でした。
初期の代表作ですね。
チラシ裏面
日本の浮世絵は西洋の画家に衝撃を与えましたが、
浮世絵を見慣れていた日本人には、西洋の絵はその立体感、
写実性が衝撃だったのではないでしょうか。
三次元の世界を二次元の平面に写す。
そんな西洋美術の伝統を学び、本場で認められた画家。
小学生が「スゲー」と感心する絵はホンモノそっくりに描かれた
リアリズム絵画ですよね。私もそんなとこが残っているのか、
タッチの荒い印象派より優美なルネサンスの古典的な絵画が好きだったりします。
写真技術が発達した現代において、写実絵画に意義があるのかってことも
言われますが、磯江毅の絵を見れば、明らかに写真以上の存在感のようなものが
絵から感じられるのがわかります。
《鮭“高橋由一へのオマージュ”》(チラシ裏面上段左)は、
鮭に縄がかけられているんですが、縄のところの板が毛羽だっていて、
この縄はホンモノなのか描かれているのかわからなくなるんです。
多くの人が絵を横から見て、本当に平面なのかって、目を凝らしていました。
鶉を描いた作品(チラシ下段左)や、皮をはがれたウサギを描いた作品――
スペインの市場ではそんなふうに肉を売っているそうですが、
なんでこんなものを描くのかなって思いましたが、
奥様のコメントに、モデルは気味悪かったのに、
できあがった作品は美しいと感じたってありましたが、
ほんとうに、不思議に美しい作品で、
「生」と「死」について考えたりしました。
亡くなった年の2007年に描かれた《鰯》(チラシ中段左)
白い皿(窓からの光が映りこんでいます)に朽ちた鰯の絵がまたすごい。
生あるものはいつかこんなふうに朽ちる‥‥、
存在の不思議さ、崇高さまで感じられるような作品です。
豊田市美術館「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」で
とてもリアルな静物画を見て感心したんですが、
いろいろなものが画面からあふれんばかりに描かれているんですよね。
磯江毅の静物画は描かれているものがすごく少なくて、
ピーンと張り詰めたような、ストイックな雰囲気が感じられるんです。
これって日本的な感性なのかなぁとか。
磯江毅がマドリードのプラド美術館で模写の対象として選んだのが
15世紀フランドル派ヴァン・デル・ウェイデンと
ドイツの画家、アルブレヒト・デューラーの作品だったそう。
スペインを代表するベラスケスやゴヤではなく、フランドル派の作品を
模写するというあたりに磯江の感性があるんでしょうね。
描かれている葡萄は、どれもちょっとしなびているんですよね。
鶉の肉も、同じようなものを買ってきて交換して描いたとのことだけど、
個体差もあるだろうし、日が経てば変化するだろうし、
そんなことをどのように見て描いたのか‥‥って。
奈良県立美術館の2階のいくつもの部屋に(この展覧会以外の展示はしてなかった)
磯江の初期から絶作までの代表作約80点が展示されており、
ところどころに奥様のコメントが添えられているのも興味深かったです。
《シーツの上の裸婦》では、モデルは画学生で、安く協力してくれたとか、
死んだ鳥を描いた絵では、日本で描いたらウジがわいてしまったとか。
そして特別展示として、1階の部屋にデッサンがたくさん展示されていましたが、
とても興味深かったです。
磯江毅は私より3歳上ですが、
スペインへ行く前の大阪時代に描かれたデッサンを見て、私が美大受験のために
デッサンを習っていた頃を思い出しました。あの頃の石膏デッサン、面で空間を
とらえるようにって指導されましたねー。
そしてスペインへ渡り、マドリードのデッサン研究所で学ぶんですが、
そこでは「日本のデッサンとはまったく違う方法」を体験したとのこと。
それは「マンチャ(汚れ)と呼ばれる、木炭を木炭紙の目がつぶれるほど布や擦筆、ときには羊の膀胱を乾燥させたものなどを使ってこすり込んでいくスペイン式デッサン法で、先生の助言は単純明快で、似ているか似ていないか、長いか短いかといったことだった」そう。
そうかー、私はあの頃の石膏デッサンの方法が絶対的なものだと思ってたけど、
スペインでは全く違った方法でやってたんだ‥‥って。
もちろん私がスペイン式デッサンを学んだとしても、デッサンが苦手なことには
変わりなかったろうと思いますが‥‥「もっとよく観なさい」ってよく言われてました。
でもスペインへ渡ってからの磯江のデッサン、すごく上手くなってるのがわかります。
裸婦デッサンやクロッキーなどもすごいレベルだなって。
そして、画家として大成したと思われる50歳(2004年)になって、
マドリードの美術解剖学の講義に出席して、筋肉などのデッサンをしている。
学ぶ姿勢が素晴らしいなって感じました。
つくづく早世が惜しまれます。
奈良県立美術館のHP: http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_menuid-11842.htm
過去の展覧会の「磯江毅=グスタボ・イソエ」のページ
http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_menuid-26379.htm
A4四つ折の結構立派な出品目録や略年表のついたパンフをもらったので、
図録は高かったこともあって買いませんでした。
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