名古屋市美術館「麗しきおもかげ」展 [美術]
4月14日(木)、名古屋市美術館へ
「101人の作家による 101の慕情
東京藝術大学コレクション
麗しきおもかげ
日本近代美術の女性像」展を見に行きました。
(いつものようにチラシをスキャンして画像を貼るつもりだったんですが、
猫がゲボしてダメにしてしまいました(T_T)
キーボードにもかかって、まだタイピングが調子悪い~)
2016年3月5日(土)~4月17日(日)までのこの企画展、
始まった頃はそんなに見に行きたいとは思ってなかったんです。
チラシもしっかり読んでいなかったので、
「いろんな画家が描いた美人画が並んでいるのね」くらいに思ってて。
でも、3月23日(水)の中日新聞朝刊に載っていた記事を読んで、
「過去にほとんど展示されたことがない東京美術学校時代の 日本画科の卒業制作作品40点も紹介している。」
ってことを知って、これは見てみたい!って思ったんです。
美大生にとって、卒業制作にかける意気込みと時間はすごいって
わかるので、そんな若い情熱にあふれた作品たちを是非見たいと。
名古屋市美術館 平日のせいか、外にはあまり人がいませんが、
会場に入ると、鑑賞者もそこそこいました。
割引券を持っていたので、一般当日1,300円の観覧料が100円引きの
1,200円になりました。
この企画展、名古屋市美術館所蔵の11点の他は
全て東京藝術大学のコレクションだそう。
なので、去年の夏、ボストン美術館と東京藝術大学の所蔵作品から、
明治ニッポンが西洋文明から受けた衝撃(インパクト)と、
西洋が「不思議の国ニッポン」から受けた衝撃という
双方向の衝撃〈ダブル・インパクト〉を探る展覧会
名古屋ボストン美術館「ダブル・インパクト」展
で見た作品も多かったです。
山本芳翠《西洋婦人像》1882年 とか、
百武兼行《ブルガリアの女》1879年 とか。
五姓田義松は《操芝居》1883年 という滞欧中に描かれた群像の絵でした。
「ダブル・インパクト」名古屋展には出品されなかった
高橋由一《美人(花魁)》1872年 は見られましたが、
狩野芳崖《悲母観音》1888年 は展示期間が終了してて見られませんでした。
「ダブル・インパクト」展の展示替えで見られなかった
菱田春草《水鏡》1897年 や
下村観山《熊野御前花見》1894年 が見られて嬉しい。
《熊野御前花見》は東京美術学校1期生の下村観山の卒業制作ですって?!
大勢の人々がそれぞれ丁寧に描かれていてスゴイ。
陶芸家として有名な(スミマセン私よく知りませんでしたが)
板谷波山の木彫作品《元禄美人像》1894年
彫刻科で学んでいた頃の卒業制作だそう。
浮世絵の美人が抜け出してきたようで良かった。
津田信夫《憂鬱ノ婦人立像》1900年 も卒業制作(青銅、鋳造)
今にも身投げでもしそうな婦人の様子が見事にとらえられています。
藤島武二《造花》1901年 は、去年の愛知県美術館「芸術植物園」に
展示されてた絵だ!(感想が書けてないなー)
図録の裏表紙や、屋外の看板にも使われている
矢崎千代二《教鵡》1900年 柔らかな光に包まれたオウムと少女、
ちょっとレトロな少女雑誌の表紙みたいな、ロマンチックな雰囲気。
矢崎千代二は、松坂屋美術館「洋画家たちの青春」展で、
私が一番気に入った《秋の園》を描いた画家だ!
満谷国四郎《車夫の家庭》1908年
薄汚れた着物を着て、乳児を抱え、放心したような表情の母親と、
傍らで無心に糸に結わえたトンボで遊ぶ子ども。
子どもの足の裏が土で汚れているのがすごくリアル!
電車の普及で仕事を失った車夫の家族を描いていると
説明を読んで見ると、子どもの後ろに寝そべっている車夫に気がついて、
生活の苦しさとか、いろんなドラマを想像してしまいます。
画面奥に干した洗濯物も描かれていたりして、すごい生活感が
伝わってきて、インパクトありました。
原撫松《裸婦》1906年 は、女性のお尻がすごく美しい!!
鏑木清方《一葉》1940年
樋口一葉を描いた有名な絵、凛とした品格さすがです。
2階が東京美術学校日本画科の卒業制作の女性像でした。
桑名三郎《児育観世音》1896年
狩野芳崖《悲母観音》の影響があるなってわかる絵、
この頃は観音、菩薩、天女などが好んで描かれていたそう。
清家 恕(鉄山)《牡丹美人図》1898年
応挙にもこんな美人図があったような‥‥
野本(山崎)勇馬(香雲)《秋夜孤影》1898年
十二単の平安美人の絵、当時は歴史画が圧倒的だったそう。
このあたりの絵、歴史画だからか、保存状態があまりよくないのか、
全体的に褐色っぽくて、なんだか古い~ってカンジ。
そんな中で、コーナーに展示されていた
葛 揆一郎(江月)《外科手術》1904年 はインパクトありました!
手術室で、女性の外科手術が始まろうとしているところ!!
泉鏡花の小説『外科室』を画題としているそうですが、
ミステリーっぽいドラマをいろいろ想像してしまいました。
その隣に展示してあった 三浦 孝(北峡・廣洋)《栄誉ナラズヤ》1905年
白いベールに包まれた美しい女神の足元に兵士たちの死体が累々と!!
作者は実際に戦場を見た体験から描いたそうで、
可憐な花が咲く野に斃れた兵士たちがとてもリアルで衝撃的です。
戸部隆吉(隆古)《枇杷と蕗の薹》1911年
デザイン的に処理された3人の子守娘がモダンな印象で面白いなと。
私の好みの絵です。
この頃から、日常生活を描いた絵が登場してくると。
廣島新太郎(晃甫・晃人)《玉乗り》1912年 は、
当時の日本画としてはすごくモダンで異色だったのでは?
伊藤順三《庭園の春》1913年
華やかな色彩に金がキラキラと輝いて、装飾的な画面が
クリムトの絵とかも思わせて、大正ロマンの雰囲気もあって、
とても私の好みの絵です。金地の紙が使用されているそう。
図録によると「南満州鉄道株式会社の嘱託画家となり‥(中略)‥満州風俗を 主題とした浪漫主義的なアール・デコ風のポスターを制作したが、1939(昭和14)年に 満州で死去。大連で遺作展が開催された。」とのこと、
わー、この人の作品もっと見てみたいな!!
岐阜県美術館に《白川女》など、私の好きな絵がある篠田柏邦の
卒業制作 篠田十一郎(柏邦)《あかとんぼ》1913年 は、
コスモスの花と七五三らしい幼女を描いているんですが、
あまり感心しなかった‥‥大画面にコスモスの花や葉が
細かく描かれていて、労作ではありますが‥‥
星川清雄(輝洋)《春》1918年
洋風の髪形に赤い唇が妖艶な印象の若い女性、着物の蝶の文様も
華やかで、足元の植物たちの図案化された描き方は
ボッティチェリ《春》を思わせて、これも私の好みの絵!!
「首席卒業後は、実業之日本社に入社して、少年少女雑誌の 口絵を描きながら、輝洋と号して‥(中略)‥関東大震災による 倒壊火災のために死去。」!!!!‥‥って、
29歳で亡くなったんですか!!
この人の絵ももっと見てみたいと思いました。
金子孝信《季節の客》1940年 は、銀座の洋装店を訪れた
二人の女性と店員を描いた、とても都会的でモダンな絵。
でも、1940年というと昭和15年
「すでに国民精神総動員中央連盟が生活刷新案(ネオン全廃、パーマネント禁止など)を 発表して、まもなく「贅沢は敵だ!」と叫ばれる時代に、最新モードで着飾った女性像を 描いた挑戦的な日本画は、新文展の出品作にも見られない稀有な作例である。」と。
描いた作者も、買い上げた大学もすごいけど、
金子孝信さん、卒業の年に「新潟県新発田の東部第23部隊に入隊。 中国戦線に派遣され、1942(昭和17)年に戦死。」!!!!‥‥27歳ですか。
なんとまぁ、むごい時代というか‥‥感慨にふけってしまいました。
野島清一(青茲)《蓙織り》1938年
ゴザを織る3人の女性、当時の日本の地方では日常的な光景だろうけど、
懐かしの日本ってカンジで、イグサにじゃれる黒猫がカワイイ。
飯島正義(真風)《晩秋》1930年 も、懐かしき日本の農村の風景に、
農作業の女性たちの休息のひとときを描いていて、丁寧な自然の描写に
心が安らぐ、いい絵だなって感じました。
この方、その後の詳しい画歴も、亡くなった年も不明なんですね。
出口近くには、
杉山寧《野》1933年 や、
高山辰雄《砂丘》1936年 など、有名な画家の卒業制作もあって興味深かったです。
稗田一穂《午後》1943年 は、昭和18年9月、
「戦時下の特別措置として修業年限短縮により東京美術学校日本画科を繰り上げ卒業」
した時に提出された卒業制作とのこと。
多くの画学生が‥‥その後の活動が不明な人や、時代の波にのまれて短命で亡くなった方、
日本画壇の重鎮として活躍された方など、運命はそれぞれですが‥‥渾身の力を込めて
制作した作品を見られて、とてもよかったです。
図録も買ってしまいました。2,100円
表紙の絵は、水谷道彦《春》1926年の卒業制作です。
とても大きな絵で、細密に描かれた植物と、レトロな雰囲気(当時としてはモダン?)の
二人の女性。それぞれリアルに描かれているのに、背景と人物の構成は非現実的なところ
面白いなぁと感じました。
名古屋市美術館: http://www.art-museum.city.nagoya.jp/
「101人の作家による 101の慕情
東京藝術大学コレクション
麗しきおもかげ
日本近代美術の女性像」展を見に行きました。
(いつものようにチラシをスキャンして画像を貼るつもりだったんですが、
猫がゲボしてダメにしてしまいました(T_T)
キーボードにもかかって、まだタイピングが調子悪い~)
2016年3月5日(土)~4月17日(日)までのこの企画展、
始まった頃はそんなに見に行きたいとは思ってなかったんです。
チラシもしっかり読んでいなかったので、
「いろんな画家が描いた美人画が並んでいるのね」くらいに思ってて。
でも、3月23日(水)の中日新聞朝刊に載っていた記事を読んで、
「過去にほとんど展示されたことがない東京美術学校時代の 日本画科の卒業制作作品40点も紹介している。」
ってことを知って、これは見てみたい!って思ったんです。
美大生にとって、卒業制作にかける意気込みと時間はすごいって
わかるので、そんな若い情熱にあふれた作品たちを是非見たいと。
名古屋市美術館 平日のせいか、外にはあまり人がいませんが、
会場に入ると、鑑賞者もそこそこいました。
割引券を持っていたので、一般当日1,300円の観覧料が100円引きの
1,200円になりました。
この企画展、名古屋市美術館所蔵の11点の他は
全て東京藝術大学のコレクションだそう。
なので、去年の夏、ボストン美術館と東京藝術大学の所蔵作品から、
明治ニッポンが西洋文明から受けた衝撃(インパクト)と、
西洋が「不思議の国ニッポン」から受けた衝撃という
双方向の衝撃〈ダブル・インパクト〉を探る展覧会
名古屋ボストン美術館「ダブル・インパクト」展
で見た作品も多かったです。
山本芳翠《西洋婦人像》1882年 とか、
百武兼行《ブルガリアの女》1879年 とか。
五姓田義松は《操芝居》1883年 という滞欧中に描かれた群像の絵でした。
「ダブル・インパクト」名古屋展には出品されなかった
高橋由一《美人(花魁)》1872年 は見られましたが、
狩野芳崖《悲母観音》1888年 は展示期間が終了してて見られませんでした。
「ダブル・インパクト」展の展示替えで見られなかった
菱田春草《水鏡》1897年 や
下村観山《熊野御前花見》1894年 が見られて嬉しい。
《熊野御前花見》は東京美術学校1期生の下村観山の卒業制作ですって?!
大勢の人々がそれぞれ丁寧に描かれていてスゴイ。
陶芸家として有名な(スミマセン私よく知りませんでしたが)
板谷波山の木彫作品《元禄美人像》1894年
彫刻科で学んでいた頃の卒業制作だそう。
浮世絵の美人が抜け出してきたようで良かった。
津田信夫《憂鬱ノ婦人立像》1900年 も卒業制作(青銅、鋳造)
今にも身投げでもしそうな婦人の様子が見事にとらえられています。
藤島武二《造花》1901年 は、去年の愛知県美術館「芸術植物園」に
展示されてた絵だ!(感想が書けてないなー)
図録の裏表紙や、屋外の看板にも使われている
矢崎千代二《教鵡》1900年 柔らかな光に包まれたオウムと少女、
ちょっとレトロな少女雑誌の表紙みたいな、ロマンチックな雰囲気。
矢崎千代二は、松坂屋美術館「洋画家たちの青春」展で、
私が一番気に入った《秋の園》を描いた画家だ!
満谷国四郎《車夫の家庭》1908年
薄汚れた着物を着て、乳児を抱え、放心したような表情の母親と、
傍らで無心に糸に結わえたトンボで遊ぶ子ども。
子どもの足の裏が土で汚れているのがすごくリアル!
電車の普及で仕事を失った車夫の家族を描いていると
説明を読んで見ると、子どもの後ろに寝そべっている車夫に気がついて、
生活の苦しさとか、いろんなドラマを想像してしまいます。
画面奥に干した洗濯物も描かれていたりして、すごい生活感が
伝わってきて、インパクトありました。
原撫松《裸婦》1906年 は、女性のお尻がすごく美しい!!
鏑木清方《一葉》1940年
樋口一葉を描いた有名な絵、凛とした品格さすがです。
2階が東京美術学校日本画科の卒業制作の女性像でした。
桑名三郎《児育観世音》1896年
狩野芳崖《悲母観音》の影響があるなってわかる絵、
この頃は観音、菩薩、天女などが好んで描かれていたそう。
清家 恕(鉄山)《牡丹美人図》1898年
応挙にもこんな美人図があったような‥‥
野本(山崎)勇馬(香雲)《秋夜孤影》1898年
十二単の平安美人の絵、当時は歴史画が圧倒的だったそう。
このあたりの絵、歴史画だからか、保存状態があまりよくないのか、
全体的に褐色っぽくて、なんだか古い~ってカンジ。
そんな中で、コーナーに展示されていた
葛 揆一郎(江月)《外科手術》1904年 はインパクトありました!
手術室で、女性の外科手術が始まろうとしているところ!!
泉鏡花の小説『外科室』を画題としているそうですが、
ミステリーっぽいドラマをいろいろ想像してしまいました。
その隣に展示してあった 三浦 孝(北峡・廣洋)《栄誉ナラズヤ》1905年
白いベールに包まれた美しい女神の足元に兵士たちの死体が累々と!!
作者は実際に戦場を見た体験から描いたそうで、
可憐な花が咲く野に斃れた兵士たちがとてもリアルで衝撃的です。
戸部隆吉(隆古)《枇杷と蕗の薹》1911年
デザイン的に処理された3人の子守娘がモダンな印象で面白いなと。
私の好みの絵です。
この頃から、日常生活を描いた絵が登場してくると。
廣島新太郎(晃甫・晃人)《玉乗り》1912年 は、
当時の日本画としてはすごくモダンで異色だったのでは?
伊藤順三《庭園の春》1913年
華やかな色彩に金がキラキラと輝いて、装飾的な画面が
クリムトの絵とかも思わせて、大正ロマンの雰囲気もあって、
とても私の好みの絵です。金地の紙が使用されているそう。
図録によると「南満州鉄道株式会社の嘱託画家となり‥(中略)‥満州風俗を 主題とした浪漫主義的なアール・デコ風のポスターを制作したが、1939(昭和14)年に 満州で死去。大連で遺作展が開催された。」とのこと、
わー、この人の作品もっと見てみたいな!!
岐阜県美術館に《白川女》など、私の好きな絵がある篠田柏邦の
卒業制作 篠田十一郎(柏邦)《あかとんぼ》1913年 は、
コスモスの花と七五三らしい幼女を描いているんですが、
あまり感心しなかった‥‥大画面にコスモスの花や葉が
細かく描かれていて、労作ではありますが‥‥
星川清雄(輝洋)《春》1918年
洋風の髪形に赤い唇が妖艶な印象の若い女性、着物の蝶の文様も
華やかで、足元の植物たちの図案化された描き方は
ボッティチェリ《春》を思わせて、これも私の好みの絵!!
「首席卒業後は、実業之日本社に入社して、少年少女雑誌の 口絵を描きながら、輝洋と号して‥(中略)‥関東大震災による 倒壊火災のために死去。」!!!!‥‥って、
29歳で亡くなったんですか!!
この人の絵ももっと見てみたいと思いました。
金子孝信《季節の客》1940年 は、銀座の洋装店を訪れた
二人の女性と店員を描いた、とても都会的でモダンな絵。
でも、1940年というと昭和15年
「すでに国民精神総動員中央連盟が生活刷新案(ネオン全廃、パーマネント禁止など)を 発表して、まもなく「贅沢は敵だ!」と叫ばれる時代に、最新モードで着飾った女性像を 描いた挑戦的な日本画は、新文展の出品作にも見られない稀有な作例である。」と。
描いた作者も、買い上げた大学もすごいけど、
金子孝信さん、卒業の年に「新潟県新発田の東部第23部隊に入隊。 中国戦線に派遣され、1942(昭和17)年に戦死。」!!!!‥‥27歳ですか。
なんとまぁ、むごい時代というか‥‥感慨にふけってしまいました。
野島清一(青茲)《蓙織り》1938年
ゴザを織る3人の女性、当時の日本の地方では日常的な光景だろうけど、
懐かしの日本ってカンジで、イグサにじゃれる黒猫がカワイイ。
飯島正義(真風)《晩秋》1930年 も、懐かしき日本の農村の風景に、
農作業の女性たちの休息のひとときを描いていて、丁寧な自然の描写に
心が安らぐ、いい絵だなって感じました。
この方、その後の詳しい画歴も、亡くなった年も不明なんですね。
出口近くには、
杉山寧《野》1933年 や、
高山辰雄《砂丘》1936年 など、有名な画家の卒業制作もあって興味深かったです。
稗田一穂《午後》1943年 は、昭和18年9月、
「戦時下の特別措置として修業年限短縮により東京美術学校日本画科を繰り上げ卒業」
した時に提出された卒業制作とのこと。
多くの画学生が‥‥その後の活動が不明な人や、時代の波にのまれて短命で亡くなった方、
日本画壇の重鎮として活躍された方など、運命はそれぞれですが‥‥渾身の力を込めて
制作した作品を見られて、とてもよかったです。
図録も買ってしまいました。2,100円
表紙の絵は、水谷道彦《春》1926年の卒業制作です。
とても大きな絵で、細密に描かれた植物と、レトロな雰囲気(当時としてはモダン?)の
二人の女性。それぞれリアルに描かれているのに、背景と人物の構成は非現実的なところ
面白いなぁと感じました。
名古屋市美術館: http://www.art-museum.city.nagoya.jp/
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