中山道赤坂宿と金生山 [旅行]
10月9日(日)、中山道赤坂宿にある旧清水家住宅で開催されている
三人展を見に行ったことは前記事で書きました。
古民家での展示、とても素敵でした。そして周辺の
中山道赤坂宿のたたずまいがまた良かったので、ちょっと歩いてみました。
旧清水家住宅の向かいの十六銀行の東隣は
「史跡 中山道赤坂宿本陣跡」って石碑がある公園になっていました。
公園の中に銅像があります。
「幕末憂国の青年志士 所 郁太郎」だそう。
「 天保九年(1838)中山道赤坂宿 醸造家矢橋亦一の四男として誕生 十一歳のとき西方村(大野町)医師所伊織の養子となり(中略)二十三歳で大阪の適塾(緒方洪庵)に入門 福沢諭吉、大村益次郎ら多くの交友を得て 国事を論じた
(中略)
慶応元年(1865)三月十三日吉敷の軍営で病死 享年二十八歳(中略)
尚 元治元年俗論党に襲われ品詞の重傷をうけた井上聞多(後の明治の元勲井上肇)を手術し畳針で縫い その一命を救った話は小・中学校の教科書や伝記・小説にも紹介されている」
と、碑文にありました。
少し行くと、踏切があります。「赤坂本町駅跡」と。
この線路、今は貨物列車が通るだけなんです。(西濃鉄道市橋線)
少し南に行くと、JRの美濃赤坂駅があります。
ここへ行った3日前の10月6日(木)に、貨物列車脱線のニュースが
ありましたが、このあたりだったよう。
中日新聞夕刊の記事
そのせいなのか、線路の補修をしていました。
おぉ、レトロモダン(?)な電気屋さん!
生活臭のあるレトロな雰囲気がいいな。
もう少し東へ行くと「昔、西美濃の産物や金生山の石灰等を運ぶ
水運交通の重要な要所で、かつては数百艘の船が出入りした」
という赤坂港跡もあるそうです。
旧清水家住宅の西隣の家
風格のある建物は、国の有形文化財建造物・矢橋家住宅
江戸時代の代表的建築だそう。
宿場町らしい風格のある建物が並びます。
「史跡 中山道赤坂宿脇本陣跡」とありました。
「榎屋旅館」って看板がかかってますが‥‥
岐阜新聞・毎日新聞の赤坂販売所って看板が。
自動販売機も、古い街並みに配慮した木のカバーが。
隣は「赤坂宿は江戸から57番目の宿場」ってことで、
「五七」の看板が出てますが‥‥
「日蓮宗 妙法寺」
本陣跡公園に銅像があった所郁太郎のお墓があるそうです。
「史跡 戸田三弥墓」とも書いてあります。
スタンプラリーの旗が立っています。
中山道ぎふ17宿のスタンプラリーだそう。
詳しくはこちら: http://nakasendo.asia/
赤坂宿のスタンプはここで押せるようです。
スタンプの台紙があったので、赤坂宿のスタンプを押してきました。
3宿以上のスタンプから応募できるそうなので他も回ってみようかな。
三人展で化石の話を聞いて、旧清水家住宅にリーフレットが置いてあった
「金生山化石館」へちょっと行ってみることにしました。
私にはさっぱりですが、興味のある方が見られれば、
貴重な化石がいっぱい展示してあるところだろうと。
金生山化石館のウェブサイト:
http://www2.og-bunka.or.jp/bunka/manage/kaseki.html
駐車場からの眺めが素晴らしい! 大垣のソフトピアジャパン、
岐阜駅前のタワーや、一宮の138タワーも見えます。
金生山化石館の隣にあった金生山神社
金生山化石館からさらに上へ行く道があり、「こくぞうさん」って
書いてあったので、行ってみることにしました。
ものすごい坂道で、車で行っても大丈夫なのかと、
ちょっと不安になりながら‥‥
途中、こんな風景が見えたので、思わず車を停めて写真撮りました。
採掘のため、山がかなり削られています。
工場萌えww
この道大丈夫か??って不安だったのに、
おぉ、なんと立派なお寺ではないですか。
こちらの由来によりますと、
金生山明星輪寺(真言宗)
持統天皇の勅願により鎮護国家の道場として朱鳥元
年(686年)役の小角の創立にかかり七堂伽藍を
はじめ一山五坊を創建し本尊虚空蔵菩薩を安置す。
その後衰退していたが空海(弘法大師)来山し諸堂を
再建すこのとき桓武天皇は勅願を下し封戸三百石を
寄進された。久安四年雷火の為に伽藍は残らず焼失
したが時の住僧は八方に手を尽くし復興を図る。
その後慶長十四年美濃高須の城主徳永法印壽昌は本
堂をはじめ諸堂を再建された。江戸時代に入って大垣
藩主戸田家は代々祈願所と定め帰依し保護す、明治
維新以降は新時代信仰の対象として広く一般参詣者
を迎え法灯を今日に伝えている。
金生山明星輪寺のHP: http://www.mirai.ne.jp/~kinsyou3/
西美濃三十三霊場第三十一札場でもあります。
山門
県の重要文化財に指定されている、金剛力士像
「檜材を主体とした寄木造りで鎌倉時代初期に制作されたもの」だそう。
「子安子守地蔵大菩薩」のお堂
庫裏、書院の奥に本堂があります。
本堂の中に岩屋があって、その中に本尊が祀られています。
「大垣市指定名勝 金生山岩巣公園」
カルスト台地の縮小版として、無数の奇岩・怪石が乱立した自然岩公園
とのこと。
ちょっとだけ登ってみました。(もっと奥にも奇岩があるみたいです)
虎と、後ろの岩の上には牛も‥‥
蔵王権現堂と、上の岩に観音様が彫られています。
金生山のふもとの工場地区。いいなぁ!! 工場萌えww
この線路を、脱線した貨物列車は25両編成だったそうだけど、
そんなのが毎日三便通るんですか!!
貨物列車が通る時に写真撮りに来たいなぁ!!(あれ?私って鉄ちゃん?)
ここで石灰を貨車に積むのかな。
ここは以前は線路があったんだろうけど、今はないみたいですね。
削り取られた金生山
かつてはここまで線路があったのかな? いいカンジの廃墟。
近くの「昼飯大塚古墳(ひるいおおつかこふん)」も、
リーフレットで知って、ちょっと車で行ってみたら、す、すごい!!
墳丘の長さが150mにもなる岐阜県最大の前方後円墳で、
後円部の一部に復元ゾーンも設けられて、公園として整備されている
ようでしたが、もう暗くなっていたのであきらめました。
近くの池田温泉には何度か行っているのに、このあたり
知りませんでしたー。ぜひまた行かなくては!!
三人展を見に行ったことは前記事で書きました。
古民家での展示、とても素敵でした。そして周辺の
中山道赤坂宿のたたずまいがまた良かったので、ちょっと歩いてみました。
旧清水家住宅の向かいの十六銀行の東隣は
「史跡 中山道赤坂宿本陣跡」って石碑がある公園になっていました。
公園の中に銅像があります。
「幕末憂国の青年志士 所 郁太郎」だそう。
「 天保九年(1838)中山道赤坂宿 醸造家矢橋亦一の四男として誕生 十一歳のとき西方村(大野町)医師所伊織の養子となり(中略)二十三歳で大阪の適塾(緒方洪庵)に入門 福沢諭吉、大村益次郎ら多くの交友を得て 国事を論じた
(中略)
慶応元年(1865)三月十三日吉敷の軍営で病死 享年二十八歳(中略)
尚 元治元年俗論党に襲われ品詞の重傷をうけた井上聞多(後の明治の元勲井上肇)を手術し畳針で縫い その一命を救った話は小・中学校の教科書や伝記・小説にも紹介されている」
と、碑文にありました。
少し行くと、踏切があります。「赤坂本町駅跡」と。
この線路、今は貨物列車が通るだけなんです。(西濃鉄道市橋線)
少し南に行くと、JRの美濃赤坂駅があります。
ここへ行った3日前の10月6日(木)に、貨物列車脱線のニュースが
ありましたが、このあたりだったよう。
中日新聞夕刊の記事
そのせいなのか、線路の補修をしていました。
おぉ、レトロモダン(?)な電気屋さん!
生活臭のあるレトロな雰囲気がいいな。
もう少し東へ行くと「昔、西美濃の産物や金生山の石灰等を運ぶ
水運交通の重要な要所で、かつては数百艘の船が出入りした」
という赤坂港跡もあるそうです。
旧清水家住宅の西隣の家
風格のある建物は、国の有形文化財建造物・矢橋家住宅
江戸時代の代表的建築だそう。
宿場町らしい風格のある建物が並びます。
「史跡 中山道赤坂宿脇本陣跡」とありました。
「榎屋旅館」って看板がかかってますが‥‥
岐阜新聞・毎日新聞の赤坂販売所って看板が。
自動販売機も、古い街並みに配慮した木のカバーが。
隣は「赤坂宿は江戸から57番目の宿場」ってことで、
「五七」の看板が出てますが‥‥
「日蓮宗 妙法寺」
本陣跡公園に銅像があった所郁太郎のお墓があるそうです。
「史跡 戸田三弥墓」とも書いてあります。
スタンプラリーの旗が立っています。
中山道ぎふ17宿のスタンプラリーだそう。
詳しくはこちら: http://nakasendo.asia/
赤坂宿のスタンプはここで押せるようです。
スタンプの台紙があったので、赤坂宿のスタンプを押してきました。
3宿以上のスタンプから応募できるそうなので他も回ってみようかな。
三人展で化石の話を聞いて、旧清水家住宅にリーフレットが置いてあった
「金生山化石館」へちょっと行ってみることにしました。
私にはさっぱりですが、興味のある方が見られれば、
貴重な化石がいっぱい展示してあるところだろうと。
金生山化石館のウェブサイト:
http://www2.og-bunka.or.jp/bunka/manage/kaseki.html
駐車場からの眺めが素晴らしい! 大垣のソフトピアジャパン、
岐阜駅前のタワーや、一宮の138タワーも見えます。
金生山化石館の隣にあった金生山神社
金生山化石館からさらに上へ行く道があり、「こくぞうさん」って
書いてあったので、行ってみることにしました。
ものすごい坂道で、車で行っても大丈夫なのかと、
ちょっと不安になりながら‥‥
途中、こんな風景が見えたので、思わず車を停めて写真撮りました。
採掘のため、山がかなり削られています。
工場萌えww
この道大丈夫か??って不安だったのに、
おぉ、なんと立派なお寺ではないですか。
こちらの由来によりますと、
金生山明星輪寺(真言宗)
持統天皇の勅願により鎮護国家の道場として朱鳥元
年(686年)役の小角の創立にかかり七堂伽藍を
はじめ一山五坊を創建し本尊虚空蔵菩薩を安置す。
その後衰退していたが空海(弘法大師)来山し諸堂を
再建すこのとき桓武天皇は勅願を下し封戸三百石を
寄進された。久安四年雷火の為に伽藍は残らず焼失
したが時の住僧は八方に手を尽くし復興を図る。
その後慶長十四年美濃高須の城主徳永法印壽昌は本
堂をはじめ諸堂を再建された。江戸時代に入って大垣
藩主戸田家は代々祈願所と定め帰依し保護す、明治
維新以降は新時代信仰の対象として広く一般参詣者
を迎え法灯を今日に伝えている。
金生山明星輪寺のHP: http://www.mirai.ne.jp/~kinsyou3/
西美濃三十三霊場第三十一札場でもあります。
山門
県の重要文化財に指定されている、金剛力士像
「檜材を主体とした寄木造りで鎌倉時代初期に制作されたもの」だそう。
「子安子守地蔵大菩薩」のお堂
庫裏、書院の奥に本堂があります。
本堂の中に岩屋があって、その中に本尊が祀られています。
「大垣市指定名勝 金生山岩巣公園」
カルスト台地の縮小版として、無数の奇岩・怪石が乱立した自然岩公園
とのこと。
ちょっとだけ登ってみました。(もっと奥にも奇岩があるみたいです)
虎と、後ろの岩の上には牛も‥‥
蔵王権現堂と、上の岩に観音様が彫られています。
金生山のふもとの工場地区。いいなぁ!! 工場萌えww
この線路を、脱線した貨物列車は25両編成だったそうだけど、
そんなのが毎日三便通るんですか!!
貨物列車が通る時に写真撮りに来たいなぁ!!(あれ?私って鉄ちゃん?)
ここで石灰を貨車に積むのかな。
ここは以前は線路があったんだろうけど、今はないみたいですね。
削り取られた金生山
かつてはここまで線路があったのかな? いいカンジの廃墟。
近くの「昼飯大塚古墳(ひるいおおつかこふん)」も、
リーフレットで知って、ちょっと車で行ってみたら、す、すごい!!
墳丘の長さが150mにもなる岐阜県最大の前方後円墳で、
後円部の一部に復元ゾーンも設けられて、公園として整備されている
ようでしたが、もう暗くなっていたのであきらめました。
近くの池田温泉には何度か行っているのに、このあたり
知りませんでしたー。ぜひまた行かなくては!!
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