愛知県美術館「アイチアートクロニクル展」その1 [美術]
改修工事で長期休館していた愛知県美術館が、
4月2日(火)リニューアルオープンしたとのことで、
バートが休みだった4月4日(木)、早速行ってきました。
リニューアルオープン記念の展覧会は、
「全館コレクション企画
アイチアートクロニクル展
1919-2019」
展覧会のチラシのビジュアルも一風変わってます。
(イラスト: 鷲尾友公)
100年前の1919年、東京の洋画グループ「草土社」に触発されて、 愛知に暮らす10代20代の若者たちが一つの展覧会を開催しました。 「愛美社」と名付けられたこのグループは、中央から 強い影響を受けながらも、ここ愛知に軸足を置いて活動を展開します。 本展は、この1919年を起点として、20-30年代の洋画壇や アヴァンギャルドの活発な活動、40-50年代の混乱と復興、 60-70年代の反芸術やオフ・ミュージアムの傾向、 80-90年代の現代美術を扱うギャラリーの増加、 そして2000-10年代の官主導の公募展や芸術祭の隆盛にいたるまでの 100年のあいだに、愛知の前衛的なアートシーンを様々なかたちで 揺り動かしてきたムーブメントや事件を辿る企画です。
(チラシ裏面より)
‥‥うーん、リニューアル・オープン記念としては
なんかジミな展覧会だなぁ、なんて思いつつ。
ほとんどが愛知県美術館の所蔵作品で構成されているので、
観覧料も一般当日500円という安さ! なんですが、
平日だったせいか、チケット売場前も閑散としておりまして。
(私は愛知県美術館友の会会員なので、
会場入口で会員証を見せて入ります)
リニューアルっても、見た目、どこが変わったの?って
私にはあまり変化かわからなかったんですが、
愛知芸術文化センター情報誌「AAC」の記事によれば、
「ロビー・展示室天井耐震改修、スカイライト改修、ラウンジ屋根改修、 床改修、可動壁駆動装置修繕など」で、いろいろ苦労があったそう。
最初の展示室には、
野崎華年《武具》1895年 や、
浅井忠《八王子付近の街》1887年
黒田清輝《花と猫》1906年 など、
今までも所蔵品展でよく見た古めかしい絵が並んでいます。
愛知県美術館ウェブサイト
コレクション検索で公開しているデジタル画像のうち、 「Public Domain」(パブリックドメイン)の表示があるものは、 当館に申請することなくダウンロードし、自由に複製、 再配布することができます。
なんだそうですっ!!
(今のところあまり画像付きがなくて残念なんですけど)
そして次の展示室(コーナー?)には、
草土社の中心・岸田劉生の《高須光治君之肖像》1915年
デューラー等の影響を受けた重厚な肖像画です。
同じく草土社に参加していた河野通勢《自画像》1917
「草土社」に触発されて結成された「愛美社」
大沢鉦一郎(1893-1973)を中心とする洋画グループ「愛美社」が1919年に開催した第1回展は、愛知における作家の自主的なグループ展の先駆けと言えます。
(愛知県美術館のウェブサイト「アイチアートクロニクル」のページより)
https://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/000016.html
大沢鉦一郎の絵、所蔵品展でもよく見ましたけど、
力強い描写力がすごい、好きだなぁって。
今回は、《自画像》1919 《大曾根風景》1919
《ジンベを着た少女》1920 が展示されていました。
同じく「愛美社」のメンバー宮脇晴の描写力もすごいですよね。
《自画像》1920 と、鉛筆画の《樹》1922 が展示されていました。
『草土社名古屋展覧会目録』1917年
『愛美社油絵素描展覧会目録』1919年
『第三回愛美社絵画展覧会』1921年 の印刷物も展示されていて
興味深かったです。
愛美社の活動は長くは続かず、続いて登場した鬼頭鍋三郎(1899-1982)らの洋画グループ「サンサシオン」は、 むしろ官展系のアカデミックな表現を愛知に引き込むことを目指し、1923年から33年まで10回の展覧会を開催しました。
鬼頭鍋三郎《手をかざす女》1934 や
松下春雄《子供と女》1932 が展示されていました。
次の展示室で印象的だったのが、チラシ裏面にも使われている
尾沢辰夫《鴨》1938
尾沢辰夫(1904-1941)という画家、初めて知りましたが、
左手だけで独自の世界を築き上げたが、若くして亡くなり、
作品はほとんど失われてしまったが、この作品は、
古道具屋で発見された貴重な一枚だそう。
1930年代の名古屋はシュルレアリスムの一大拠点だったと
名古屋市美術館「画家たちと戦争」展で見た
http://shizukozb.blog.so-net.ne.jp/2015-09-24
鳥と猫で顔になっている北脇昇《鳥獣曼陀羅》1938 も
(名古屋市美術館所蔵)展示されていましたし、
名古屋市美術館「真島直子 地ごく楽」の
https://shizukozb.blog.so-net.ne.jp/2018-03-29
所蔵品展で真島直子の父・眞島建三の作品が展示されてましたが、
この展覧会にも眞島建三《ミノタウロス》1948年
(名古屋市美術館所蔵)が来てました。
1930年代の名古屋をシュルレアリスムの一大拠点へと変貌せしめたのは、詩人・山中散生(1905-1977)と画家・下郷羊雄(1907-1981)によるいち早い海外の動向の紹介でした。 (中略)海外の美術雑誌を豊富に取り揃える下郷のアトリエを溜まり場としていた若い美術家たちは、この展覧会に触発されて一致団結、「ナゴヤアバンガルドクラブ」を結成します。
名古屋のシュルレアリスムの中心だったという下郷羊雄
初めて知りましたが‥‥私にはその絵、うーーん??ってカンジ。
下郷羊雄は多肉植物が好きで
『メセム属:超現実主義写真集』という書籍も出していると
展示してありました。(名古屋市美術館所蔵)
でも日本のシュルレアリスムは1940年代の
特別高等警察による思想弾圧と戦災で多くの作品が失われてしまうんですね。
そして、戦時下では
多くの美術家たちが体制への協力を余儀なくされました。
鬼頭鍋三郎《機銃分隊習作》1942 などが展示されていました。
そして戦後、
東松照明の《覚王山の軍人墓地・名古屋》1955 とか、
伊勢湾台風やその前の水害を記録した写真、興味深かったです。
杉本健吉の《名古屋城再建基金ポスター原画》1956 があって、
東松照明の《再建・名古屋城》1958 の写真があり、
東郷青児《女(丸栄ポスター原画)》1953 (個人蔵)や、
《果物籠を持つ女》ca.1952-55 からは、
日本の高度経済成長期の雰囲気を感じます。
隣に去年(2018年)閉店した丸栄の
東郷青児デザインのエレベータ扉の写真があるのは、
そんな時代がずいぶん前のことだったんだと
気付かされるんですが。
愛知県文化会館講堂扉が展示されていて、私、最初
すごく素敵な作品がある! って見ちゃった。
ガラスに施された金色のロゴマークが素敵。
■日本画と前衛:1950~1960年代
「中部日本美術協会」の日本画部は、第3回展以降、出品規定から画材の制限を外します。この異例の措置は、星野真吾(1923-1997)や堀尾実(1910-1973)らの多様な画材を用いた実験的な日本画をも許容するものでした。
いろんな材質を使った作品が並ぶようになります。
名古屋大学大学院人文学研究科美学美術史研究室の壁に
水谷勇夫が描いた《神と獣》1965 が展示されていました。
真ん中が出っ張っているのは、部屋の柱だったのかな?
なんか大きくて、とてもいい雰囲気。
久野真《鋼鉄による作品 #272》1975 ステンレスの
シャープな形がいいなと見ました。
「桜画廊」という、名古屋を代表する現代美術の画廊があり、
久野真や浅野弥衛、庄司達らが集まっていたそうですね。
■美術家たちの集団行動:1960~70年代
愛知の前衛として知られるゼロ次元やぷろだくしょん我S の
資料が展示されていました。
中日新聞2019年3月29日夕刊の記事
私、ぷろだくしょん我S については、
名古屋市美術館「ポーラ美術館コレクション展」に
https://shizukozb.blog.so-net.ne.jp/2011-01-23
行った時、常設展示室3でやっていた名古屋市美術館常設企画展
「ぷろだくしょん我S」を見て知ったんですが、
この時代に、名古屋でこんな前衛アートをやっていたんだ!!
と、ビックリしました。
その時も、展示室に空気人形が並んでいて、異様な雰囲気に
驚いたんですが、こういう空気人形を白川公園の
グラウンドに立たせて《人形参院選》1974
をしたって、スゴイなぁって驚きます。
ハプニング集団・ゼロ次元は、道をはいずって行進したり、
街なかでパフォーマンスを繰り広げたそう。
岩田信市《ウォーキングマン》1969 という映像には、
名古屋・栄の街をただ歩く岩田信市の背景に写っている
当時の街並みや人々の様子が興味深かったです。
ここで、一旦展示室を出て、
庄司達《黄色い布による空間(糸の柱)'98》が展示されている
横を通り、チケット半券を見せて後半の展示室へ入ります。
長くなってしまったので、ここまでをブログにアップします。
まー、なかなかブログも書けませんが、書き出すとついダラダラと
長くなってしまいます。読んでくださった方がいらしたら、
本当にありがとうございます。お疲れさまでした。
しかし、今回の展覧会、ジミだの、
なんか私好みの作品が少ないなぁーって見たんですが、
今まで所蔵品展で見た作品が、こういう時代背景の中で制作
されたんだなってことがわかりましたし、初めて見る作品も多くて、
愛知県美術館のコレクションの膨大さにあらためて驚いたり、
各作品に付けられた説明が丁寧で(なので鑑賞に時間かかるんですが)
勉強になりました。(ちょっと疲れましたが)
愛知県美術館として、とても頑張った意義のある展覧会だなと。
愛知県美術館: https://www-art.aac.pref.aichi.jp/
アイチアートクロニクル: https://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/000016.html
愛知県美術館 コレクション検索: https://jmapps.ne.jp/apmoa/
4月2日(火)リニューアルオープンしたとのことで、
バートが休みだった4月4日(木)、早速行ってきました。
リニューアルオープン記念の展覧会は、
「全館コレクション企画
アイチアートクロニクル展
1919-2019」
展覧会のチラシのビジュアルも一風変わってます。
(イラスト: 鷲尾友公)
100年前の1919年、東京の洋画グループ「草土社」に触発されて、 愛知に暮らす10代20代の若者たちが一つの展覧会を開催しました。 「愛美社」と名付けられたこのグループは、中央から 強い影響を受けながらも、ここ愛知に軸足を置いて活動を展開します。 本展は、この1919年を起点として、20-30年代の洋画壇や アヴァンギャルドの活発な活動、40-50年代の混乱と復興、 60-70年代の反芸術やオフ・ミュージアムの傾向、 80-90年代の現代美術を扱うギャラリーの増加、 そして2000-10年代の官主導の公募展や芸術祭の隆盛にいたるまでの 100年のあいだに、愛知の前衛的なアートシーンを様々なかたちで 揺り動かしてきたムーブメントや事件を辿る企画です。
(チラシ裏面より)
‥‥うーん、リニューアル・オープン記念としては
なんかジミな展覧会だなぁ、なんて思いつつ。
ほとんどが愛知県美術館の所蔵作品で構成されているので、
観覧料も一般当日500円という安さ! なんですが、
平日だったせいか、チケット売場前も閑散としておりまして。
(私は愛知県美術館友の会会員なので、
会場入口で会員証を見せて入ります)
リニューアルっても、見た目、どこが変わったの?って
私にはあまり変化かわからなかったんですが、
愛知芸術文化センター情報誌「AAC」の記事によれば、
「ロビー・展示室天井耐震改修、スカイライト改修、ラウンジ屋根改修、 床改修、可動壁駆動装置修繕など」で、いろいろ苦労があったそう。
最初の展示室には、
野崎華年《武具》1895年 や、
浅井忠《八王子付近の街》1887年
黒田清輝《花と猫》1906年 など、
今までも所蔵品展でよく見た古めかしい絵が並んでいます。
愛知県美術館ウェブサイト
コレクション検索で公開しているデジタル画像のうち、 「Public Domain」(パブリックドメイン)の表示があるものは、 当館に申請することなくダウンロードし、自由に複製、 再配布することができます。
なんだそうですっ!!
(今のところあまり画像付きがなくて残念なんですけど)
そして次の展示室(コーナー?)には、
草土社の中心・岸田劉生の《高須光治君之肖像》1915年
デューラー等の影響を受けた重厚な肖像画です。
同じく草土社に参加していた河野通勢《自画像》1917
「草土社」に触発されて結成された「愛美社」
大沢鉦一郎(1893-1973)を中心とする洋画グループ「愛美社」が1919年に開催した第1回展は、愛知における作家の自主的なグループ展の先駆けと言えます。
(愛知県美術館のウェブサイト「アイチアートクロニクル」のページより)
https://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/000016.html
大沢鉦一郎の絵、所蔵品展でもよく見ましたけど、
力強い描写力がすごい、好きだなぁって。
今回は、《自画像》1919 《大曾根風景》1919
《ジンベを着た少女》1920 が展示されていました。
同じく「愛美社」のメンバー宮脇晴の描写力もすごいですよね。
《自画像》1920 と、鉛筆画の《樹》1922 が展示されていました。
『草土社名古屋展覧会目録』1917年
『愛美社油絵素描展覧会目録』1919年
『第三回愛美社絵画展覧会』1921年 の印刷物も展示されていて
興味深かったです。
愛美社の活動は長くは続かず、続いて登場した鬼頭鍋三郎(1899-1982)らの洋画グループ「サンサシオン」は、 むしろ官展系のアカデミックな表現を愛知に引き込むことを目指し、1923年から33年まで10回の展覧会を開催しました。
鬼頭鍋三郎《手をかざす女》1934 や
松下春雄《子供と女》1932 が展示されていました。
次の展示室で印象的だったのが、チラシ裏面にも使われている
尾沢辰夫《鴨》1938
尾沢辰夫(1904-1941)という画家、初めて知りましたが、
左手だけで独自の世界を築き上げたが、若くして亡くなり、
作品はほとんど失われてしまったが、この作品は、
古道具屋で発見された貴重な一枚だそう。
1930年代の名古屋はシュルレアリスムの一大拠点だったと
名古屋市美術館「画家たちと戦争」展で見た
http://shizukozb.blog.so-net.ne.jp/2015-09-24
鳥と猫で顔になっている北脇昇《鳥獣曼陀羅》1938 も
(名古屋市美術館所蔵)展示されていましたし、
名古屋市美術館「真島直子 地ごく楽」の
https://shizukozb.blog.so-net.ne.jp/2018-03-29
所蔵品展で真島直子の父・眞島建三の作品が展示されてましたが、
この展覧会にも眞島建三《ミノタウロス》1948年
(名古屋市美術館所蔵)が来てました。
1930年代の名古屋をシュルレアリスムの一大拠点へと変貌せしめたのは、詩人・山中散生(1905-1977)と画家・下郷羊雄(1907-1981)によるいち早い海外の動向の紹介でした。 (中略)海外の美術雑誌を豊富に取り揃える下郷のアトリエを溜まり場としていた若い美術家たちは、この展覧会に触発されて一致団結、「ナゴヤアバンガルドクラブ」を結成します。
名古屋のシュルレアリスムの中心だったという下郷羊雄
初めて知りましたが‥‥私にはその絵、うーーん??ってカンジ。
下郷羊雄は多肉植物が好きで
『メセム属:超現実主義写真集』という書籍も出していると
展示してありました。(名古屋市美術館所蔵)
でも日本のシュルレアリスムは1940年代の
特別高等警察による思想弾圧と戦災で多くの作品が失われてしまうんですね。
そして、戦時下では
多くの美術家たちが体制への協力を余儀なくされました。
鬼頭鍋三郎《機銃分隊習作》1942 などが展示されていました。
そして戦後、
東松照明の《覚王山の軍人墓地・名古屋》1955 とか、
伊勢湾台風やその前の水害を記録した写真、興味深かったです。
杉本健吉の《名古屋城再建基金ポスター原画》1956 があって、
東松照明の《再建・名古屋城》1958 の写真があり、
東郷青児《女(丸栄ポスター原画)》1953 (個人蔵)や、
《果物籠を持つ女》ca.1952-55 からは、
日本の高度経済成長期の雰囲気を感じます。
隣に去年(2018年)閉店した丸栄の
東郷青児デザインのエレベータ扉の写真があるのは、
そんな時代がずいぶん前のことだったんだと
気付かされるんですが。
愛知県文化会館講堂扉が展示されていて、私、最初
すごく素敵な作品がある! って見ちゃった。
ガラスに施された金色のロゴマークが素敵。
■日本画と前衛:1950~1960年代
「中部日本美術協会」の日本画部は、第3回展以降、出品規定から画材の制限を外します。この異例の措置は、星野真吾(1923-1997)や堀尾実(1910-1973)らの多様な画材を用いた実験的な日本画をも許容するものでした。
いろんな材質を使った作品が並ぶようになります。
名古屋大学大学院人文学研究科美学美術史研究室の壁に
水谷勇夫が描いた《神と獣》1965 が展示されていました。
真ん中が出っ張っているのは、部屋の柱だったのかな?
なんか大きくて、とてもいい雰囲気。
久野真《鋼鉄による作品 #272》1975 ステンレスの
シャープな形がいいなと見ました。
「桜画廊」という、名古屋を代表する現代美術の画廊があり、
久野真や浅野弥衛、庄司達らが集まっていたそうですね。
■美術家たちの集団行動:1960~70年代
愛知の前衛として知られるゼロ次元やぷろだくしょん我S の
資料が展示されていました。
中日新聞2019年3月29日夕刊の記事
私、ぷろだくしょん我S については、
名古屋市美術館「ポーラ美術館コレクション展」に
https://shizukozb.blog.so-net.ne.jp/2011-01-23
行った時、常設展示室3でやっていた名古屋市美術館常設企画展
「ぷろだくしょん我S」を見て知ったんですが、
この時代に、名古屋でこんな前衛アートをやっていたんだ!!
と、ビックリしました。
その時も、展示室に空気人形が並んでいて、異様な雰囲気に
驚いたんですが、こういう空気人形を白川公園の
グラウンドに立たせて《人形参院選》1974
をしたって、スゴイなぁって驚きます。
ハプニング集団・ゼロ次元は、道をはいずって行進したり、
街なかでパフォーマンスを繰り広げたそう。
岩田信市《ウォーキングマン》1969 という映像には、
名古屋・栄の街をただ歩く岩田信市の背景に写っている
当時の街並みや人々の様子が興味深かったです。
ここで、一旦展示室を出て、
庄司達《黄色い布による空間(糸の柱)'98》が展示されている
横を通り、チケット半券を見せて後半の展示室へ入ります。
長くなってしまったので、ここまでをブログにアップします。
まー、なかなかブログも書けませんが、書き出すとついダラダラと
長くなってしまいます。読んでくださった方がいらしたら、
本当にありがとうございます。お疲れさまでした。
しかし、今回の展覧会、ジミだの、
なんか私好みの作品が少ないなぁーって見たんですが、
今まで所蔵品展で見た作品が、こういう時代背景の中で制作
されたんだなってことがわかりましたし、初めて見る作品も多くて、
愛知県美術館のコレクションの膨大さにあらためて驚いたり、
各作品に付けられた説明が丁寧で(なので鑑賞に時間かかるんですが)
勉強になりました。(ちょっと疲れましたが)
愛知県美術館として、とても頑張った意義のある展覧会だなと。
愛知県美術館: https://www-art.aac.pref.aichi.jp/
アイチアートクロニクル: https://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/000016.html
愛知県美術館 コレクション検索: https://jmapps.ne.jp/apmoa/
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