SSブログ

国立新美術館「ウィーン・モダン」展 [美術]

5月27日(月)、東京・六本木にある国立新美術館の

「ウィーン・モダン
 クリムト、シーレ 世紀末への道」を見てきました。
ViennaModern.jpg

5月26日(日)に大阪の友人が上京するので、横浜の友人たちと
会うことを、LINEグループでやりとりしているのを見て、
私も参加したくなって、ではついでに
国立新美術館の「ウィーン・モダン」展を見て来ようと
計画したんですね。
この展覧会、東京・国立新美術館で4月24日(水)~8月5日(月)に
開催された後、大阪の国立国際美術館へ巡回するので、
大阪で見るつもりだったんですが、この機会に東京で見ようと。
国立新美術館は月曜日に開館してるので(火曜休館)
ViennaModern-3.jpg
(チラシ中面)

1人で見るつもりでいましたが、息子さんのところへ来ている
大阪の友人が、息子さんが月曜日、仕事が休めなくなったので、
一緒に展覧会を見ることになりました。

当日10時半に待ち合わせで、私は国立新美術館には
「ミュシャ展」の時に来てるので、

六本木駅に10:10頃に到着する列車を調べて、
余裕~って思ってたんですが、前回と違う改札から出てしまい、
すっかり迷ってしまいまして‥‥地上に出てみたら、
余計わからなくなって、季節外れの暑さの中、
汗だくになりながら、なんとか到着しました。
(友人はずいぶん前に到着したとLINEがあった)

今回も、展覧会HPから、プリントアウトするオンラインチケット
買っておいたんですよ。https://www.e-tix.jp/wienmodern2019/
「ミュシャ展」で行った時、チケットブースに並ぶ行列を見てるので。
でも今回はチケットブースに誰も並んでいなくて、
ちょっと拍子抜けしました。

無事に友人と会え、展覧会場へ。
展覧会場内はそこそこ混んでいました。
ちょっと迷ったけど、音声ガイド借りました。550円

最初に、古いウィーンを描いた風景画
《ローテントゥルム門側から見たウィーン旧市街》1750年以前
要塞のような市壁に囲まれた街の絵

この市壁が皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の治世に
取り壊され、リンク通りが作られ、沿道には、
帝国の要となる建物が次々と建てられていったってことは、
後で紹介されていました。

そして、マルティン・ファン・メイテンス(1695-1770)
《マリア・テレジア(額の装飾画:幼いヨーゼフ2世)》1744年
見上げるような大きな絵で、額が豪華!! 幼いヨーゼフ2世の肖像が
額の上部中央に付いているので、図録にも額付きで載ってます。
VIennaModern-4.jpg

この絵だけでも、フツー(?)の展覧会なら目玉になりそう!
この展覧会、出品点数もすごかった(出品リストが8ページ分!)し、
絵だけでなく、シューベルトの眼鏡(!)とか、
クリムトのスモック(!!)とか、
メッテルニヒのアタッシュケースとか、
食器や家具、ファッションやアクセサリー
なども展示されていて、
当時のウィーンの様子なども知ることができました。
この膨大な展示物、全てウィーン・ミュージアムのコレクションで
改修工事で閉館している間、まとめて公開するこの展覧会が
実現したとのこと。

おかげで、10時半過ぎに展覧会場に入ったのに、
見終わったのは、1時半頃で、所要約3時間!!

途中、え? これでまだ展示半分なの?! なんて驚きました。
なので、展覧会の後、六本木の街へ出てランチをする予定が
(友人が良さそうな店をいくつか調べてたそう)
とても街へ繰り出す元気もなくなって、美術館地下のレストランで
食べることになりましたが、でもすごく充実した展示で良かった!
二人で見ると、自分だけでは気が付かないところを
気付かせてもらったりして楽しかった!

展覧会のタイトル「ウィーン・モダン」
英語だと「VIENNA ON THE PATH TO MODERNISM」
モダニズムへの道

ウィーンの世紀末文化を「近代化(モダニズム)への過程」という視点から 紐解く新しい試みの展覧会です。(チラシ中面より)

ウィーンの「世紀末芸術」は、ドイツ語では「ウィーンの近代(モダン)」を意味する 「Wiener Moderne(英語ではViennese Modernism)」と呼ばれます。(展覧会図録「ごあいさつ」より)

‥‥そうなの?! ワタクシ的には退廃とかお耽美ってイメージだった“世紀末”とは
ちょっと違って、新しい「近代」を模索する時代であったわけですね。

18世紀の女帝マリア・テレジアの時代の啓蒙思想がビーダーマイアー時代に発展し、 ウィーンのモダニズム文化の萌芽となって19世紀末の豪華絢爛な芸術運動へと つながっていった軌跡をたどる本展は、ウィーンの豊穣な文化を知る展覧会の 決定版と言えます。(チラシ中面より)


第一章 啓蒙主義時代のウィーン

1-1 啓蒙主義時代のウィーン
市壁に囲まれたウィーン旧市街を描いた絵と、
豪華な額に入ったマリア・テレジアの大きな肖像画だったのは
前に書きました。
もうこれだけでも私は
「おぉ、マリー・アントワネットの母上ね」と感激して見ましたが、

隣に並んでいたのが、同じく豪華な額に入った
ハインリヒ・フリードリヒ・フューガー(1751-1818)
《鎧姿の皇帝ヨーゼフ2世》1787-88年頃

この二人が、啓蒙専制君主として君臨していたと。

1-2 フリーメイソンの影響
《ウィーンのフリーメイソンのロッジ》1785年頃
右端にモーツアルトも描かれているそう。

世界史がよくわからない私は、フリーメイソンって、
なんか怪しげな結社? みたいなイメージだったんですが、
自由、平等、友愛、寛容、慈愛という理念を掲げ、
知的で社交的な場として、1780年代の皇帝ヨーゼフ2世の
統治時代は、ウィーンのフリーメイソンが最も活動的だったそう。

1-3 皇帝ヨーゼフ2世の改革
啓蒙主義の支持者だったヨーゼフ2世が行った改革で
建設された巨大な総合病院の図(多色刷り銅板画)などがありました。


第二章 ビーダーマイアー時代のウィーン

2-1 ビーダーマイアー時代のウィーン
1814年から1815年にかけて開催されたウィーン会議から
1848年の革命までの間を「ビーダーマイアー」時代と呼び、
牧歌的で私的な領域に人々が閉じこもった時代だったと。

「会議は踊る、されど進まず」と言われたウィーン会議、
《ウィーン会議での各国代表たち》を描いた図や、

ホンモノの時計がはめ込まれた、
カール・ルートヴィヒ・ホフマイスター
《絵画時計 ―王宮書斎での皇帝フランツ1世》1830年
‥‥王室書斎というにはなんか質素な部屋だなぁって印象
とか、

1848年の革命を描いた
アントン・ツィーグラー
《ミヒャエラープラッツのバリケード、1848年5月26-27日深夜》1848年

革命の暴力的なシーン
ヨハン・クリスティアン・シェラー(1782-1851)
《陸軍大臣テオドール・バイレット・フォン・ラトゥールの私刑、1848年10月6日》1848年
世界史に詳しくない私にはへーって。

2-2 シューベルトの時代の都市生活
ビーダーマイアー時代の部屋の絵が並んでいましたが、
ゴテゴテした装飾がなく、簡素とか質素って言ってもいいような部屋で、
現代でも通じるようなシンプルさ。
机や椅子も並んでいましたが、シンプルで素敵だし、

何より、ティーポットなどの銀器がシャープですごく素敵!!
これ、現代のモダンデザインって言っても通じるんじゃない?
200年前のデザインだなんて思えない!
ViennaModern-5.jpg

展示室中央には、ドレスやボンネットが展示されていました。
ハイウエストの白い(っても生成りっぽい)ドレスとか、
シンプルで素敵って見ました。

ヴィルヘルム・アウグスト・リーダー(1796-1880)
《作曲家フランツ・シューベルト》1875年頃
は、中学校の音楽室に飾られていたシューベルトの肖像画の
ようであるけど、シューベルトは1797-1828年なので、
だいぶ後になって描かれた絵のようですね。でも、
ViennaModern-6.jpg
続いて、シーベルトの眼鏡があったのにはへーっ!!って驚きました。

シューベルトを中心とする夜会(シューベルティアーデ)と呼ばれる
集まりがビーダーマイアー時代の、個人の趣味や社交が洗練されていった
最も顕著な例だと。

2-3 ビーダーマイアー時代の絵画

ペーター・フェンディ(1796-1842)
《悲報》1838年
幼い子どもと乳飲み子を抱えた母親のもとに、将校が夫の戦死を
報せに来た場面を描いています。
映画もなかった時代、この絵を見て、人々はそれぞれの物語を想像したのでは?

ロザリア・アモン(1825- ?)
《窓辺の少女》1849年
窓辺でバラとゼラニウムを植木鉢で育てる少女
園芸を手軽に楽しめるような時代になったと。

ビーダーマイアー絵画は早くも1850年代には時代遅れと みなされた。だが、わずか30年後、そのノスタルジックな様式は ウィーン・モダニズムの幕開けと共に再評価を得たのである。(図録より)

2-4 フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー ―自然を描く

フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー(1793-1865年)は、 19世紀のオーストリアでもっとも重要な画家に位置付けられており、今日では とりわけビーダーマイアーの典型的かつ代表的画家として知られている。

《祖父の誕生日祝い》1945年
祖父の誕生日祝いに集まった家族たち。素朴でほほえましい絵。

《バラの季節》1864年
バラが咲く野の道で、荷車の青年とバラを持つ若い女性。
ほほえましい愛のシーンを想像しちゃいます。

2-5 ルドルフ・フォン・アルト ―ウィーンの都市景観画家

ルドルフ・フォン・アルト(1812-1905年)は同時代のオーストリアを1000点以上の 水彩画に描いたが、その多くはウィーンを題材にしていた。アルトが描き出した都市や 建築の立ち並ぶ景観図は、高い芸術性と、風景を地誌的に正しく記録する 卓越した水彩技術の賜物である。アルトの作品を見れば、ウィーンがどのようにして、 ビーダーマイアー時代の要塞都市から、世紀転換期の大都市へと変貌を遂げたかが わかるだろう。

大聖堂とかの描き込みもすごいけど、なんかドラマチックでいいな。


第三章 リンク通りとウィーン 新たな芸術パトロンの登場

3-1 リンク通りとウィーン

皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916)
治世1848年~1916年という長さ!

ウイーン旧市街をぐるりと囲んでいた市壁の取り壊しを
皇帝が命じたのが1857年。
幅500メートルにおよぶ斜堤(クラン)の跡地に、
環状のリンク通り(リンクシュトラーセ)が1865年に開通、
沿道には国会議事堂やウィーン市庁舎、ウィーン大学など、
帝国の要となる建物が次々と建てられていきました。

映像コーナーもあって、大都市・ウィーンが作られていく様子が
よくわかりました。古き良きウィーンへ旅行した気分。

若き皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と
美貌の皇后エリーザベトの肖像画は、
どちらもフランツ・ルス(父)(1817-1892)の筆
(制作年は1852年と1855年と違う)
ViennaModern-7.jpg

取り壊される旧ブルク劇場の観客席を記録として残すために
ウィーン市議会から依頼されて描いた水彩画
グスタフ・クリムト(1862-1918)
《旧ブルク劇場の観客席》1888年
クリムトの画力のすごさがわかる絵です。
ブルク劇場の観客席に集まった人々100人以上が、
それぞれ小さな肖像画として描かれているそう!
ViennaModern-8.jpg

クリムトの同輩である
フランツ・フォン・マッチュ(1861-1942)が描いた
ブルク劇場の場北側階段のための習作(1886-87年)が2点展示されてました。

ブルク劇場の壁画や天井画はクリムトも一緒に手掛けてるんですよね。

エドゥアルト・レビーツキー(1862-1915)が描いた
国会議事堂柱廊玄関モザイクフリーズのための習作
《正義、寛容、敬虔》と《真実、英知、美》1900年 は、
金地にラファエロが描いたような優美な人物が描かれています。
こういう絵、私好きだなぁ。
ViennaModern-9.jpg

3-2 「画家のプリンス」ハンス・マカルト

 ハンス・マカルト(1840-84年)はザルツブルクに生まれ、ミュンヘンで学んだ。 1869年、マカルトは皇帝フランツ・ヨーゼフ1世によってウィーンへ招聘される。 そして瞬く間にこの時代の大スターへの階段を駆け上がった。グスハウス通りにあった 彼の有名なアトリエは、その豪華な装飾がインテリア・デザインのトレンドとなり、 時代の趣味と流行をつくりだすまでになった。(後略)

1879年1月、ウィーン市議会が皇帝夫妻の銀婚式のために祝賀パレードを
計画したとき、マカルトは芸術監督に任命されて、デザイン画を
描いたそうで、そのうちの3枚が展示されていました。

ルドルフ・フォン・アルト(1812-1905)が描いた
《グスハウス通りのハンス・マカルトのアトリエ》1885年
が展示されていましたが、(マカルトの死後に記録のために描かれたそう)
え~?! なんかゴテゴテと飾り立てられていて、
ビーダーマイアー時代のシンプルな室内と比べたら、
こっちの方が古いように思っちゃうけど‥‥

アトリエの絵に描かれていたマカルトの絵(肖像画)
《ハンナ・クリンコッシュ》1884年以前
も展示されていて興味深かった。

他にも女性の肖像画が2点展示されていましたが、
これは人気あったろろうなと。
(チラシ中面左下の絵が
ハンス・マカルト《ドーラ・フルニエ=ガビロン》1879-80年頃)

3-3 ウィーン万国博覧会(1873年)

1873年、ウィーンのプラーターで開催された第5回万国博覧会

ヨーゼフ・ラングル(1843-1920頃)が描いた俯瞰図で、
その大規模さがわかります。
中央に円形の建物(ロトゥンデ)をもつ産業宮は、その全長が
およそ1キロあったと!

日本の明治政府が初めて参加した万国博覧会で、
神社のような建物の日本館の写真とかあって興味深かった。

3-4 「ワルツの王」ヨハン・シュトラウス
ウィーンと言ったら、ウインナ・ワルツですよね。

ヴィルヘルム・ガウゼ(1853-1916)が描いた
《宮廷舞踏会》1900年
着飾った紳士淑女の中央に、フランツ・ヨーゼフ1世が立っています。
ViennaModern-10.jpg

ヴィクトル・ティルクナー1844-1896)の
ヨハンシュトラウス(子)の大理石の彫刻(1894年)がありました。
イヤホンガイドでは、「美しく青きドナウ」が聴けました。

今も、社交界デビューの華やかな舞踏会が行われているんですよね。


第四章 1900年―世紀末のウィーン ―近代(モダン)都市ウィーンの誕生

4-1 1900年 ―世紀末のウィーン

フランツ・フォン・マッチュが描いた
《シェーンブルン宮殿書斎での皇帝フランツ・ヨーゼフ1世》1916年
壁には皇后エリーザベトの肖像画がかかってます。
1898年にエリーザベトが暗殺された後の、
寂しそうにも見える皇帝と部屋です。

ヴィルヘルム・ガウゼがが描いた
《ウィーン市庁舎の舞踏会》1904年
ウィーンの華やかな時代!

オットー・ヴァーグナー(1841-1918)
《カール・ルエーガー市長の椅子》1904年
チラシ中面にも使われていますが、
ルエーガー市長の60歳の誕生日を祝う言葉が
真珠母貝の象嵌で華やかに装飾されていますが、
ちゃんと機能的で座っても快適そうです。

4-2 オットー・ヴァーグナー ―近代建築の先駆者
私は建築はイマイチわからないんですけど、
(でも素敵な建物を見るのは好き)

近代建築の先駆者
オットー・ヴァーグナー(1841-1918)

美術アカデミー記念ホールの模型 1898年 は、
キラキラの装飾が素敵だなぁーと。

近代建築の代表作とされる郵便貯金局
メインホールの写真がありました。

郵便貯金局のアームチェアやスツールも
デザインしてるんですね。スタイリッシュな椅子です。

聖レオポルト教会(シュタインホーフ)の模型や、
立面図なども展示されていました。

まぁ、私にはイマイチこれらの建築計画図、よくわからないんですが、
マジョリカ・ハウスの陶器製ファサード
(リンケ・ヴィーンツァイレ40番地)1898年
の、壁の装飾(アール・ヌーヴォーっぽい?)とか、素敵って見ました。

でも、オットー・ヴァーグナーがすごい建築家だってのは
この展覧会でよくわかりました。

4-3-1 グスタフ・クリムトの初期作品 ―寓意画
いよいよクリムトの絵が並びます
(旧ブルク劇場の観客席の絵が3-1にありましたが)

『アレゴリーとエンブレム』のための原画が並んでいるのは、
ゲルラハ&シェンク社は1882年から1884年にかけて、
『アレゴリーとエンブレム』と題された、
画家たちが寓意画を描くための図案集を出版して、
その原画をクリムトも描いているから。

ルネサンスなど古い絵を参考にしたことがわかる古典的な絵です。

ゲルラハ&シェンク社が後に作品をウィーン市へ売却したので、
これらの作品がウィーン・ミュージアムに所蔵されることになったそう。

《愛(『アレゴリー:新連作』のための原画No.46)》1895年
画面が三分割されて、両側が金色でバラの花が描かれているのが、
日本の金箔地の絵のようにも見えます。額縁が独特ですよね。
ViennaModern-11.jpg


私、この絵は、図書館で、装丁に魅かれて手に取った
久世光彦『聖なる春』で知ったんですよ。
seinaruharu-1.jpg
発表誌「ハイファッション」(文化出版局)
1994年2月号~1995年11月号 の単行本
蔵にこもってクリムトの贋作を描いている中(高?)年男と、
キキという若い娘との話。

聖なる春

聖なる春

  • 作者: 久世 光彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1996/10/01
  • メディア: 単行本


へー、クリムトの絵なんだって。でも両側の金地は
装丁のデザイン処理なのかなって思ったんです。
(確かにデザイン処理もしてありますが)

本の中に《愛》の図版も使われていますし、
今回の展覧会に来てた《牧歌(『アレゴリーとエンブレム』のための原画 No.75)》1884年 も載ってます。
seinaruharu-3.jpg

6月(ユノ)(『アレゴリー:新連作』のため
の原画 No. 53)
1895年から1900年まで『アレゴリー:新連作』として続けられた
シリーズのクリムトの作品は、モロに私の趣味で素敵!
(ロマンティックで少女マンガのよう!!)
ViennaModern-12.jpg


ってとこで、やっと休憩室への入口!
え~?!! まだ半分あるの??? って。

休憩室には
《エミーリエ・フレーゲの肖像》に描かれた青のドレスを再現したものと、
インスピレーションを受けて制作された黄金色のドレスが展示されていました。
(しまった、撮影禁止かと思って写真撮ってこなかった)

豪華なドレスを眺めながら一休みして、さて、後半へ

4-3-2 ウィーン分離派の創設
クリムトがデザインした
《第1回ウィーン分離派展ポスター》
ギリシャ神話の女神アテナと、
ミノタウロスを退治するテセウスが描かれていますが、
風紀に反すると判断されて、テセウスの下半身を隠すために
木の幹が追加されたんですよね。

今までも、愛知県美術館「クリムト展」とかで見てますが、
https://shizukozb.blog.so-net.ne.jp/2013-01-21
検閲前と後のポスターが並んでいました。

チラシ中面に使われているのは、検閲後のものですね。

そして、クリムトの油彩画《パラス・アテナ》1898年
(チラシ中面左上)
これ、私、2003年に松坂屋美術館で開催された
「クリムト 1900年ウィーンの美神展」で見てるんですが、
今回、音声ガイドを聞いて、アテナの金色の胸当ては、
分離派を批判する人をあざ笑うように舌を出すメドゥーサの顔だとか、
左下の小さい女性は裸のヌーダ・ヴェリタス、「裸の真実」で、
背景には海の怪物トリトンと戦っているヘラクレスが描かれていて、
分離派の反対勢力への高らかな宣戦布告だろうと知りました。
愛知県美術館が所蔵する
クリムト《人生は戦いなり(黄金の騎士)》1903年も、
そんな意図で描かれたと聞いてます。

そして、ウィーン分離派っていうとこの写真が出てきますよね。
モーリツ・ネーア(1859-1945)
《ウィーン分離派メンバー》1902年
他のメンバーがちゃんと(?)スーツ着てるのに、クリムトはスモックで、
後ろから顔を出している労働者風の2人は、メンバーとは関係なく、
たまたま写ってしまったようだとか。
ViennaModern-13.jpg

今年2月に行った京都国立近代美術館 「世紀末ウィーンのグラフィック」展 でも使われています。
https://shizukozb.blog.so-net.ne.jp/2019-02-23
ViennaGraphics.jpg

4-3-3 素描家グスタフ・クリムト
クリムトの素描が並んでいます。かなりきわどい
エロティックなものもあります。
クリムトのアトリエには何人もの女性がモデルとしていたと。

「世紀末ウィーンのグラフィック」展 でもクリムトの素描が
展示されていました。

4-3-4 ウィーン分離派の画家たち
チラシ中面にも使われている、黄色いドレスが鮮やかな
マクシミリアン・クルツヴァイル(1867-1916)
《黄色いドレスの女性(画家の妻)》1899年

4-3-5 ウィーン分離派のグラフィック
「世紀末ウィーンのグラフィック」展で見た(写真撮影もOKだった!)
《第6回ウィーン分離派展ポスター(日本美術展)》1900年
2019-2-14-(13).jpg
とか(世紀末ウィーン-で撮影したもの)
ウィーン分離派展のポスターが並んでました。

4-4 エミーリエ・フレーゲとグスタフ・クリムト
いよいよこの展覧会の目玉!
《エミーリエ・フレーゲの肖像》1902年

なんとこの作品だけ撮影可でした!!
2019-5-27-(13).jpg

当然、この絵の前は撮影会のようになってました。
ほぼ等身大のエミーリエの肖像画。
顔や手こそ写実的だけど、あとは装飾模様がちりばめられています。

アッター湖でボートに乗るエミーリエとクリムトの写真、
いいな。

そして、え?! これホントにクリムトが着てたモノなの?! って
驚いたクリムトのスモックも展示されていました。
クリムト、結構大きい人だったみたいですね。

エミーリエ・フレーゲのドレスは再製作だそう。

4-5-1 ウィーン工房の応用芸術
ヨーゼフ・ホフマン(1870-1956)や、
コロマン・モーザー(1868-1918)の椅子や家具、花瓶などが
展示されていました。

コロマン・モーザー
《ヘルマン・ヴィトゲンシュタインのための装飾プレート》1904年頃

「世紀末ウィーンのグラフィック」展
デザイン画が展示されてたものの完成品だー!!
ViennaModern-14.jpg
京都国立近代美術館の図録に、参考写真として
ウィーン・ミュージアム蔵って載ってるけど、
ここで現物が見られるとは!

ウィーン工房のアクセサリーや、
コロマン・モーザーの改良服(再製作)もありました。

4-5-2 ウィーン工房のグラフィック

「世紀末ウィーンのグラフィック」展で見た
コロマン・モーザーの図案集
『ディー・クヴェレ[ 泉 ―文様パターン集]』や、
ViennaModern-15.jpg

『ディー・フレッヒェ[平面]』、ポストカードなど、
このあたり、私のツボです!!
ショップで図録はもちろん買ったけど、
加えてポストカードも買ってしまいました。

メラ・ケーラー(1885-1960)
《子どもの遊び ウィーン工房ポストカードNo.113》1908年
(あれ、これは国立新美術館では展示されてなかったみたい)
ViennaModern-16.jpg

ルドルフ・カルヴァハ(1883-1932)
《ユーモラスなグリーティング・カード ウィーン工房ポストカード No.29》1907年
ViennaModern-17.jpg

4-6-1 エゴン・シーレ ―ユーゲントシュティールの先へ
クリムトの《エミーリエ・フレーゲの肖像》と共に、
この展覧会の目玉ともなっている(チラシ裏面に部分が使われています)
ViennaModern-2.jpg
エゴン・シーレ(1890-1918)
《自画像》1911年

そんなに大きくない絵なのに、なんかすごくいい!
絵具のマチエールが透明感があって輝いているみたい!

音声ガイドで髪の毛と一体になったような花瓶が横顔のように
なっているって指摘で、自身の二面性を描いているのかなと。

隣の黒い《ひまわり》1909-10年(チラシ中面に使われてます)の絵も、
《ノイレングバッハの画家の部屋》1911年 も、
ゴッホに影響をうけていることがわかる絵だけど、
ゴッホよりさらに孤独感が増していますね。

シーレの支援者であるアルトゥール・レスラーの肖像が
1910年に油彩で描かれたもの(チラシ中面 上左から2番目)と、
1914年に鉛筆で描かれたものが展示されていました。

この鉛筆のスケッチ、「世紀末ウィーンのグラフィック」展
ドライポイントの作品の原画かと思ったら、ちょっと違うみたい。
ViennaModern-18.jpg
でもシーレの素描、いいなぁ!

4-6-2 表現主義 ―新世代のスタイル
このあたりになると見るのもかなり疲れてきてたせいなのか‥‥
オスカー・ココシュカ(1886-1980)
《「クンストシャウ、サマーシアター」の演目、
『殺人者、女たちの希望 』のポスター》

音声ガイドで、構図がピエタだとか説明があったけど、
なんだかグロテスクで怖い絵だな‥‥くらいにしか。

グラフィックなポストカードや
『 夢見る少年たち』という物語付のカラーリトグラフの連作も
ありました。(その《8.少女リーと私》がチラシ中面に載ってます)

マックス・オッペンハイマー(1885-1954)が描いた
《エゴン・シーレの肖像》1910年以降 に、
さっき見たシーレの自画像を思い浮かべました。
ViennaModern-19.jpg

4-6-3 芸術批評と革新
リヒャルト・ゲルストル(1883-1908)が描いた
《作曲家アルノルト・シェーンベルクの肖像》1907年頃 があり、

その作曲家アルノルト・シェーンベルクが描いた絵もいくつかあって、
とりわけ《グスタフ・マーラーの葬儀》1911年 は、
興味深く見ました。
オーギュスト・ロダン(1840-1917)による
《作曲家グスタフ・マーラーの肖像》1909年 の彫刻もありました。

彼らが活躍して音楽の世界でも革新的だったのが
ウィーン世紀末なんですね。
音声ガイドの《エミーリエ・フレーゲの肖像》の音楽に、
マーラーの交響曲第5番第4楽章アダージェット
(「ベニスに死す」の曲)が使われていました。

そして出口近くにあった建築模型
アドルフ・ロース(1870-1933)による
《ゴールドマン&ザラチュのオフィスビル
(ミヒャエラープラッツ3 番地、1909‐11年建設》
音声ガイドで、これが簡素すぎると大反発を受けて、
窓辺に花を飾ることで折り合いをつけたとか知りました。
現代の、そして日本の私の目から見ると、
いたって普通(?)の建物に見えるんですけど。

いやー、すごい出品数の展覧会でした。疲れたけどすごく良かった!

ショップで図録買いました。2,900円(税込)
ViennaModern-20.jpg

分厚い!! 図録が自立します(^▽^)
(世紀末ウィーンのグラフィック展の図録も自立します)
ViennaModern-21.jpg

豪華な表紙や、章の扉のキラキラページも素敵。
ViennaModern-22.jpg

シーレ《自画像》のクリアファイルも購入。400円
クリアファイルの印刷はとても鮮やかなのが
原画に近いイメージでいいなと。
ViennaModern-23.jpg
ポストカードも買ったことは前に書きました。各150円

最初にも書いたけど、疲れて六本木の街へ繰り出す元気もなく、
思ったより時間かかってお腹も空いたので、
地下のカフェテリア カレ へ。

ウィーン・モダン展特別メニュー
「ウィーン風牛肉と野菜のシチュー“グーラッシュ”バターライス添え」
1,200円(税別)とジャスミンティー420円(税別)をいただきました。
2019-5-27-(18).jpg

国立新美術館の建物はスタイリッシュですね。
2019-5-27-(19).jpg

外には5月25日(土)・26日(日)に開催された
六本木アートナイトで展示された作品がまだありました。
2019-5-27-(20).jpg

外にあったこの作品は、チェ・ジョンファですね!

2017年秋に京都・二条城で開催された 「アジア回廊 現代美術展」で、チェ・ジョンファの
いろんな作品が展示されていて楽しく見ました。
https://shizukozb.blog.so-net.ne.jp/2017-09-27

チェ・ジョンファ《みんなで集めよう》
プラスチック製のカゴ、お皿、鍋を寄付してもらい、 ワークショップの参加者が、それらを土台に設置された坊に通して積み重ね、 抽象的な彫刻や寺院の柱のように見える作品を制作しました。(設置してあったキャプションより)
2019-5-27-(21).jpg

そして、吉岡徳仁《ガラスの茶室―光庵》がありました。
これは六本木アートナイトではなく、国立新美術館のHPによると
2019年4月17日(水)~2021年5月10日(月)の間、特別公開されているのだそう。
2019-5-27-(25).jpg
夏は暑そうだなー(^^;
2019-5-27-(29).jpg

はーー、見に行ってから3週間も経って、やっとブログを書くことが
できました。書いているうちにずるずると長くなってしまうんですよねー。
もし読んでくださった方がいらっしゃいましたら、お疲れ様でした。
どうもありがとうございました。
(この後のこと、まだ続く予定ですが‥‥)

しかしすごい展示でした。大阪へ巡回しますが、出品数がかなり
少なくなるみたいなので、東京へ見に行って良かったかも。
京都国立近代美術館「世紀末ウィーンのグラフィック」展
見たものもあって、関連づけられてよかったです。
豊田市美術館「クリムト展」が楽しみです。
今は東京都美術館でやってるんですよね。
6月9日放送されたNHK「日曜美術館」では、
「クリムト展」と「ウィーン・モダン」展を合わせて紹介していましたね。


「ウィーン・モダン」展覧会HP: https://artexhibition.jp/wienmodern2019/
国立新美術館: http://www.nact.jp/


愛知県美術館「クリムト展」
https://shizukozb.blog.so-net.ne.jp/2013-01-21

京都国立近代美術館「世紀末ウィーンのグラフィック」展
https://shizukozb.blog.so-net.ne.jp/2019-02-23





nice!(8)  コメント(3) 
共通テーマ:アート

nice! 8

コメント 3

hagemaizo

あー疲れた。
それでも会場にも行って来まーす。
by hagemaizo (2019-06-19 00:37) 

しーちゃん

hagemaizo さん、nice! & コメントありがとうございます。すごい出品数で、ブログ記事がついつい長くなって‥‥読んでくださってお疲れ様でした。でも展覧会の内容すごいです。時間と体力に余裕をもってお出かけください。
by しーちゃん (2019-06-22 11:09) 

sknys

「クリムト展」に行って来ました。
会場内は混雑していましたが、クリムトの油彩画は意外に少ない。
「ウィーン・モダン」と泣き別れになってしまったのは残念です ><。

閉館(午後8時)まで粘るつもりでしたが、
躰が冷え切っちゃったので早目に退室しました^^;
この日は羽海野チカさんが母子連れで来ていたようです。
https://twitter.com/CHICAUMINO/status/1146786376374861824
by sknys (2019-07-05 20:49) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。