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東京ステーションギャラリー「神田日勝」展 [美術]

6月26日(金)東京ステーションギャラリーで開催されている
「神田日勝
 大地への筆触
 ここで描く、ここで生きる」見てきました。
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2013年6月に放送されたNHK日曜美術館
「半身の馬――大地の画家 神田日勝」で
この画家の生涯と作品を知りました。

北海道の開拓民として農業に従事しながら絵を描き、
わずか32歳の若さで亡くなった画家!
テレビで紹介された迫力の絵を見てみたいと、
この展覧会、楽しみにしていたんです。
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私は見てないんですが、昨年のNHK連続テレビ小説「なつぞら」に、
神田日勝をモデルにした山田天陽という画家が登場するんだそうですね。

山田天陽を演じた俳優の吉沢亮さんが神田日勝の作品解説をする
展覧会の音声ガイド、出品リストのQRコードからスマホで聴くことができました。
(つまり無料で!! 展示室内ではイヤホンが必要です)


ところが新型コロナのせいで開幕が延期(T.T)
6月2日(火)に、日時指定のチケット事前購入制で
開幕しましたが、会期の延長はなく、
(神田日勝記念美術館と北海道立近代美術館へ巡回する都合?)
東京ステーションギャラリーでは6月28日(日)までってことで、
北海道まではなかなか行けないので、この機会を逃したくない!

幸い? 私のパートは休みも多くなってましたし、
都道府県をまたぐ移動の自粛も解除されたことだしと。

できたら平日に行きたかったけど、雑用も入ってきて、
20時まで開館している金曜日の夕方に行こうと、
(対策してもらってるので関係なかったかもしれませんが、
最終土日は混むんじゃないかと思って)
26日(金)17:30~19:30(入館時間枠)をローソンチケットで予約、
家の近くのローソンで発券してもらいました。

東京駅にあるので、新幹線の到着時刻から予定も立てやすい。
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指定時刻の10分前くらいに到着しましたが、
待つことなく、手首内側で検温して入れていただけました。
ロッカーに荷物を入れて、エレベータで3階へ。

 神田日勝は1937(昭和12)年、東京の練馬で生まれました。1945年、日勝が7歳のとき、一家は拓北農兵隊(戦災者集団帰農計画)に加わり、北海道に渡ります。入植地の鹿追に着いたのは終戦の前日でした。国からの援助もほとんどない中での開拓生活は苦闘の連続だったと言います。そんな中で日勝は、後に東京藝術大学に進む兄の一明の影響で絵を描き始めます。(チラシ裏面の文より)

プロローグとして、日勝18歳の頃の自画像、風景画、
あばら骨が浮き出ているような白い《痩馬》1956年 は、
公募展に初出品して入賞を果たします。

描かれたのは、馬喰に騙されて買った老いた馬で、
ほどなくして死んでしまったそう。

それから、暗い重厚な色調で壁が基調として描かれる絵が続きます。
全道展初入選の《家》1960年 翌年の《ゴミ箱》1961年(チラシ裏面右上)
1962年の《人》からは人物が同じような暗い色調で描かれます。

日勝に影響を与えた画家の作品も展示されていて、
3歳上の兄・神田一明《赤い室内》1961年 に描かれたストーブと、
日勝《飯場の風景》1963年(チラシ裏面右2段目) に描かれたストーブ、
同じものかな? ペインティングナイフで重厚に描くところや、
暗めの同色系の色使い(一明さんの方が明るめの赤だけど)など、
似てるなって。日勝は中学生の時、兄の高校の部活で使用した画材を借り、
その手ほどきで油絵具の扱い方を学んだそうなので当然と言えば当然だけど。

十勝画壇を牽引した寺島春雄(1911-1966)の《柵と人》1957年 は、
日勝のスクラップブックに写真図版が貼られていて、
《板・足・頭》1963年 のモトになったのではと考えられているそう。

しかし彼ら以上に大きな影響を与えたと思われるのが、
曺良奎(チョ・ヤンギュ/1928-?)

曺良奎!! 2015年に開催された
岐阜県美術館「日韓近代美術家のまなざし」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2015-07-23
で、私が一番印象に残った画家!!
農婦と牛の顔を描いた絵や、倉庫と人を描いた絵が迫力で、
画面から迫ってくる社会から抑圧された怒りや哀しみのような情念に
圧倒されたんですが。説明文を読むと、
慶尚南道晋州(キョンサンナムド チンジュ、現・晋州市)郡に生まれる。1946年、晋州師範学校卒業。南朝鮮労働党の活動に傾倒したため官憲に追われ釜山に向かい、1948年に日本に密航。倉庫で働きながら武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)に通うが、1952年に中退。日本アンデパンダン展や自由美術家協会展に出品し、1953年にはタケミヤ画廊で初個展。1955年、自由美術館協会会員となる。1958年安井賞候補新人展に出品。1959年村松画廊で2回目個展。1960年、新潟港から北送船で北朝鮮に渡る。1967年まで日本向け雑誌に挿絵を手がけたが、以後消息不明。
(「日韓近代美術家のまなざし」展図録より)
って生涯を知って、さらに衝撃を受けました。
なるほど! この頃の日勝の作品、とても似ていますね。

展覧会には曺良奎《マンホール B》1958年と、
《密閉せる倉庫》1957年(←この作品「日韓―」にも出てた) が展示されてました。

日勝のスクラップブックに曺良奎の写真図版があったり、
デッサン帳に模写した痕跡があるそう。

展示室には日勝の画材やデッサン帳も展示してありました。

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ステンドグラスとシャンデリアが素敵な階段を降りて2階へ。
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2階は創建当時のレンガ壁を生かした重厚な展示室
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日勝と言えば「馬」ってイメージですね。
《馬》1965年 や、《開拓の馬》1966年
日勝が描く馬には、胴に毛のない部分があります。
これは農機具を装着し牽引することで生じる「胴引き」痕で、
働く農耕馬の証なんだそう。

死んだ愛馬を描いた《死馬》1965年
画面いっぱいに死んで横たわる馬が描かれているのですが、
まるで眠っているような穏やかさなのに、
脚に巻き付けられた鉄の鎖が非情なイメージ。

海老原喜之助(1904-1970)《友よさらば》1951年 という
死んだ馬が埋葬されようとしている場面を描いた絵が展示されていました。
馬の周囲に別れを嘆く人や犬が描かれています。
日勝の《死馬》も、デッサン帳には馬の周囲に人物が描かれていたが、
完成された絵は馬単独の構図になっているのだそう。

死んだ牛を描いた《牛》1966年 は、画面中央の赤色がまず目に入って、
これは何? と。牛の腹が一文字に割かれ、真っ赤な内臓がのぞいている
実際に当時の農家では、牛が死ぬと体内に溜まるガスを抜いたりするために
このように切り開いたそうだけど、鮮やかな赤色が異様でインパクトありました。

それから画面がカラフルになります。
莚(むしろ)の上に野菜や果物、羽をむしられた鶏、魚、ビン、缶などが
描かれている《静物》1966年(チラシ裏面右4段目)

たくさんの画材が並ぶアトリエを描いた《画室 A》1966年(チラシ裏面右3段目)
では、さらに色が鮮やかに、絵が平面的になります。
この頃、まだ日勝はアトリエを持ってなかったので、
架空のアトリエだとされてきたが、
美術雑誌に掲載された山口薫のアトリエ写真がもとになっていることが判明したそう。

《画室 C》《画室D》《画室 E》1967年 と、鮮やかなピンクに色彩が乱舞して、
描かれている絵具や缶はより平面的、ポップな画面になってます。

1968年の《室内風景》では、画室に膝を抱えた人物(自画像でしょうね)が
加わります。ポップでカラフルな画面なのに、孤独感や疎外感、焦燥感
みたいなものが伝わってきます。

そして亡くなる1970年の《室内風景》(チラシ裏面左) では、
新聞紙を張り巡らせた狭い室内に、膝を抱えてこちらを凝視する男(自画像)
描写がとてもリアルになって、孤独感や焦燥感がさらに強まったカンジ。
大画面びっしりに細かく描かれた新聞紙も、ほぼ等身大で描かれた人物も、
なにか鬼気迫るような雰囲気で、周囲に描かれたモノも、
時計やリンゴ、灰皿やものさしはまだわかる(?)としても、
魚の骨や人形は‥‥?? 克明に描かれているだけに異様で不思議な迫力。

近くに海老原暎《1969年3月30日》1969年 という、
タイトルの日に発行された新聞紙を「だまし絵」のように描いた絵があって、
私は一見、ホンモノの新聞が貼ってあるのかと思いましたよ!
広告や記事のタイトルまで克明に描かれてます。
この絵、1969年の第9回現代美術美術展で発表された作品で、
図録に掲載された図版を日勝が見つめていたそうで、
《室内風景》の背景の図像源と考えられているそう。


それから、ポスターや新聞が貼られた板壁と自画像を組み合わせた
《壁と顔》《ヘイと人》1969年

鮮やかな原色の絵具をそのまま厚く画面に塗りたくった
《晴れた日の風景》1968年(チラシ裏面上中)
生命のエネルギーが爆発しているよう‥‥

1950年代後半にフランスから流入した
「アンフォルメル(非定形)」と呼ばれる抽象表現主義の芸術運動からの
影響とのことですが、いろいろなスタイルを模索していたことがわかります。

それから風景画の小品が並びます。
日勝は、公募展出品作には風景画を描かなかったが、
十勝の風景画を多く描いているそう。
大画面の強烈な色彩とダイナミックなマチエールに圧倒された後なので、
日勝の風景画、好きだなぁ! 癒されるというか、自分の部屋に飾りたい!!
販売や寄贈を目的としたのであろう、いかにも北海道!ってカンジの、
穏やかで牧歌的な風景画もいいけど、
《荒野の廃屋》1965年頃 や、《離農》1969年 などの
荒涼として侘しい風景も、心に響いてくるものがありますね。


最後に、未完で残された絶筆《馬(絶筆・未完)》1970年
チラシ表面に部分が使われ、裏面右下に画面全体がありますが、
「半身の馬」とも呼ばれ、ベニヤ板に頭部や前肢、胴体の半分まで描かれ、
背景は手つかずでベニヤ板のまま、後肢にかけては鉛筆の輪郭線が残っています。
ブロックごとに完成させて描き進めていくという日勝の手法がわかります。

1970年、世間が大阪万博で盛り上がっていた頃、日勝は、農作業、制作、展覧会の準備などに忙殺される中、 体調を崩し、最後の作品を完成させないまま、8月25日に亡くなりました。32歳の若さでした。
神田日勝 大地への筆触」公式HP より
https://kandanissho2020.jp/

半身の馬は、道半ばで亡くなった画家の生涯を象徴するよう‥‥


北海道の農家の忙しさの中で、まぁよくこれだけの作品を描いたものだと。
私も一応、農家の生まれだし(農業はしたくなかったので農家からの縁談は断った)
荒川弘『百姓貴族』でも、北海道十勝の農家に生まれた作者が
農業高校卒業からマンガ家になるまでの7年間、農業に従事していた体験を
ユーモアを交えたエッセイマンガにしていますが、とにかく忙しくて労働もハード。
農作業と制作の間で、葛藤もあっただろうと思います。

この展覧会で、日勝が同時代の美術動向にも敏感に反応していたことも
わかって、彼の苦闘や模索の軌跡を追うことができました。

つくづく、32歳の若さで亡くなったことが惜しまれます。


東京駅の改札も見える2階の回廊を通ってショップへ。
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ショップではもちろん図録購入! 2,750円(税込)
神田日勝の画業・生涯がよくわかる充実した図録です。
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兄の神田一明さんや、妻の神田ミサ子さんへのインタヴュー、興味深かった。
実は《馬(絶筆・未完)》は絶筆ではないとか。

そして神田日勝の未完の馬をモチーフにしたクッキー 680円も購入
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これ、バターの香りがしっかりしてて美味しかった!!
パッケージも、神田日勝の代表作と生涯の説明がわかりやすくていい!
8枚入ってて、値段もお値打ちですよね!!
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お土産として配るのに、もっと買えばよかった!!
(この展覧会後、東京で泊まってあちこち行く予定で、
荷物を増やしたくなかったので‥‥残念)
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北海道十勝の「柳月」が作ってます。オンラインショップもあります。
柳月: http://www.ryugetsu.co.jp/

柳月は展覧会の協賛もしていて、会場で配布されていた
ジュニアガイド、とてもわかりやすかったです。
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東京ステーションギャラリー: http://www.ejrcf.or.jp/gallery/

「神田日勝 大地への筆触」公式HP: https://kandanissho2020.jp/

この展覧会、東京ステーションギャラリーの後、

神田日勝記念美術館 7月11日(土)~9月6日(日)
http://kandanissho.com/

北海道立近代美術館 9月19日(土)~11月8日(日)
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/knb/

と、巡回します。

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