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岐阜県美術館「大橋翠石~虎を極めた孤高の画家~」展 [美術]

8月8日(土)、岐阜県美術館へ行きました。

「明治の金メダリスト
 大橋翠石
 ~虎を極めた孤高の画家~」をやっています。
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大橋翠石‥‥全国的に知名度はそれほどない画家なのでは?

 日本画家・大橋翠石(おおはし すいせき)(1865~1945)は、日本美術史の中でも特別な存在です。明治33(1900)年のパリ万国博覧会で、日本人画家として唯一の金メダル(金牌)に輝き、4年後のセントルイス万国博覧会でも連続して金メダルを受賞した翠石は、当時、世界で最も高く評価された日本画家の一人でした。(チラシ裏面より)
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私は岐阜県美術館の所蔵品展で、六曲一双の《虎図》1938年頃 を見て
大橋翠石を知り、すごい! って、絵葉書まで買ってしまいました。
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大橋翠石《虎図》についての過去記事
岐阜県美術館所蔵作品 大橋翠石《虎図》
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2009-10-30-1

この《虎図》2010年の寅年の年賀状の参考にさせてもらいました。

岐阜県美術館は、大橋翠石の作品、他に二曲一双の《虎図》を所蔵していて、
どちらも私の好きな絵で、たまに展示されてるとラッキー! と見てます。

なので、大橋翠石の展覧会があるって知って楽しみにしていたんですが、
新型コロナのため、開催できるか心配していました。
この展覧会、兵庫県立美術館で4月18日(土)~5月31日(日)に開催された後
岐阜県美術館に7月18日(土)~8月30日(日)に巡回してくる予定だったんですが、
兵庫県立美術館での開催は中止となりました。

岐阜県美術館での開催は7月23日(木・祝)~9月13日(日)に変更になりましたが、
開催できて良かったです。

新型コロナの感染がまた心配になってきたので、早めに行こうと思ってたんですが、
義母の葬儀があったりして‥‥

8月8日(土)13:30~美術講座があるってことで、この機会に、
講座までに展示を見ておこうと、12時過ぎ頃に到着。
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美術館の入口で検温、岐阜県感染警戒QRシステムへの登録をして、
展示室入口で後援会員証を見せて入場。

現在の大垣市に生まれた大橋翠石。大垣で戸田葆堂に、京都で天野方壷に、
そして東京で渡辺小華(渡辺崋山の息子)に師事。
しかし、小華の死、そして母の死で、明治20(1887)年、大垣に帰郷します。

最初に展示されていたのが、「垂井曳山祭」で巡行する
(曳山の山の字は車ヘンに山[車山])
「鳳凰山」のために描かれたという四面に鶏が描かれた絵。
明治23(1890)年、翠石数え26歳の晩春に大垣で描かれたもの。
制作年が明確な、翠石初期の作品として貴重な一点で、
この当時、大垣のみならず垂井にまで翠石の画名が広まっていたことがわかります。

大垣で制作の日々を送っていた翠石を、明治24(1891)年10月28日朝に発生した
濃尾大震災が襲います。大橋家は倒壊し父が圧死。翠石も家屋の下敷きとなったが、
わずかな隙間からあやうく難を逃れたそう。

師や母の急逝や、濃尾大震災での父と家を失うなどの不幸を
翠石は「断崖」と捉えていたそう。

父の納骨のために京都を訪れた際に、円山応挙の虎の絵の写真を購入して研究、
震災の焼け跡で虎の見世物があり、実際の虎を見て写生することができ、
翠石独自の虎の絵が確立します。

それから、明治28(1895)年4月、第四回内国勧業博覧会に《虎図》を出品して
褒章・銀牌を得たのを始め、各種の展覧会で入賞を果たしていきます。

そして1900年パリ万国博覧会で、日本人画家としてただ一人、金牌を獲得します。
橋本雅邦や今尾景年、黒田清輝、上村松園、横山大観、竹内栖鳳らも
出品している中での、ただ一人の金牌! 「虎の翠石」の名がとどろきます。

そのため、明治天皇への献上作を制作することになります。
献上作は現在不明とのことですが、この展覧会の事前調査で
《明治天皇献上作大下図》1902年 が遺族宅より発見され、
その大きさに圧倒されます。大下図なので、何枚もの紙を貼り付けて
描かれていて、この上に絹を張った枠を置いて形を写していくわけです。
この作品、上部に長文の賛が書かれているんですが、
翠石の最初の師・戸田葆堂の賛で、翠石の生まれから研鑽を積んで
パリ万博で金牌を受賞したこと、その名声が宮中にまで届いて
作品を献上することになり、本作がその下図であることなどが記されています。

隣には昭憲皇后へ献上された《皇后陛下御用品原図》1902年 も展示されていました。

同じ展示室にあった六曲一双の屏風《悲憤》1908年
左に子虎を掴んで飛ぶ鷲、右に追いかける2頭の虎が描かれています。
子を取られた親の悲痛な心が伝わってくるようで、迫力でした。
1908年の東京・上野での第八回巽画会展覧会に出されて銅賞を獲得した絵で、
展覧会批評に「場中を圧倒したるの観あり」(「国民新聞」明治41年4月28日)と
載ったそう。翠石の妹が亡くなった直後に制作されたものだそうで、
家族への親愛の情が厚かった翠石の悲哀が込められているのかもしれません。
子どもの死亡率も高く、日清・日露戦争で引き裂かれた家族もあった時代、
この2頭の虎の姿が来場者の胸に迫るものがあったのではないでしょうか。
屏風の表装が豪華なことから、相当な人物に収められたのではと思われるが、
この展覧会が約百年ぶりの一般公開となる貴重な作品! 見られて良かった!!
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図録の写真はやっぱり小さいし、全体的に色が薄いカンジで、
迫力が十分に伝わらないんですが‥‥


展示は最後の方でしたが、女優の十朱幸代さんが
2018年2月に放送された「なんでも鑑定団」に出されたという
《猛虎の図》1901年 十朱幸代氏所蔵
翠石が明治天皇献上品制作のため東京に滞在していた時期に描かれたものだそう。
私はその放送見てないのですが、上品ないい絵だなって見ました。

と、国内外の展覧会に出品して巨匠としての道を歩みつつあった翠石ですが、
当時は治療法が確立されておらず、死病として恐れられていた結核に襲われます。
療養のため、神戸の須磨に隠棲し(1912年)動物たちを描きながら
たった一人で自分の芸術を追求し続けました。

それまでほとんど描かれていなかった背景がしっかり描かれた
《夏日之虎図》1914年
大垣の兄に贈られたと考えられるものだそうで、
描き込まれた入道雲などから、夏の暑さが感じられるようでした。
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結核も回復した翠石でしたが、大正12(1923)年に右手の神経痛を患い、
左手で描いた作品がありました。画家の利き手が使えない!
さすがに左手で描いた虎はそれまでの絵とは完成度が違いますが、
左手でも描こうとする翠石の努力と、思うように描けない苦しみが
画面にたたきつけられているようです。

幸いに右手が使えないのは半年ほどの間でしたが、それも
翠石の懸命のリハビリによるものだったかもしれません。

翠石の生家のあった大垣・新町は大垣まつりの[車山](やま)を
濃尾大震災で焼失していたが、これを再興したことを受け、
菅原[車山]の後ろに掛ける巨大な幕
《菅原[車山]見送り 岩上猛虎之図》1924年 (チラシ裏面右上)
を描き贈っています。

一緒に菅原[車山]の前面に飾られる前水引の龍や、
雪山や高山の中に虎がいる左右の水引も展示されていて、
左右の水引は雄大な風景だからタッチが粗いのかって見たんですが、
図録の解説を読むと、これは左手で描いているためなんだそう。
右手の神経痛に苦しみながら、左手でここまで描けているのはすごい。
ちょっと印象派の風景画のようにも見えちゃいます。

生田神社が所蔵する金地の六曲一双《雪中猛虎図屏風》も良かった。

そして、虎の毛の一本一本まで丁寧に描かれた
《大猛虎之図》1932年 がすごい!
翠石の愛娘チズの婚礼道具として描いたものなんだそう。

同じく愛娘チズの婚礼道具として描かれた
金地の六曲一双《表猛虎・裏白鶴之図屏風》1932年
右隻には雌虎と雄虎の出会い、左隻には仔虎と戯れる母虎と見守る父虎が、
裏面にも、右に丹頂鶴の求愛行動が、左に雛鶴に餌を与える雌鶴と雄鶴が
描かれて、翠石が娘の結婚後の幸せを願って描いたことがわかります。
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チラシ表面に部分が使われている迫力の《大虎図》1944年
翠石の母校・大垣市立東小学校の講堂に飾るために制作されたもの。
翠石78歳という高齢と病の中で描いた翠石最晩年の最高傑作!
この絵を見るだけでも、翠石という画家が、
独自で孤高の存在だったということがわかります。
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(館内撮影スポットの写真)

 後半生を画壇と無縁で過ごした大橋翠石の芸術を今や知る人は少なくなりつつあります。 ですが、彼は生前、横山大観や竹内栖鳳という東西の画壇の巨匠と同等の評価をうけていました。 また、明治天皇、東郷平八郎、大隈重信など、錚々たる人々が翠石の絵を愛し、所蔵していました。
 本展は(中略)各地から相次いで発見された名作によって翠石の画業を通覧できる、 過去最大規模の回顧展として開催するものです。
(後略 チラシ裏面の文章より)

めったに見られない翠石の絵がずらっと並んだ展覧会!
個人蔵の絵がほとんどで、調査段階で発見された絵、初公開の絵も多く、
準備が大変だったろうなぁって思えるだけに、展覧会が開催できて良かった。
(兵庫県立美術館での展覧会が中止になったのは残念だけど)
そして図録がとても充実していて大満足です。
3,000円(後援会員の私は2,800円で買えました)
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表紙の見返しを開くと
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展覧会の出口も近い頃、あれ? 私の大好きな岐阜県美術館所蔵の
六曲一双《虎図》が展示されてない?? って出品リスト見たら、
1期(7/23-8/10)、2期(8/12-8/30)、3期(9/1-9/13)の展示替えがあって、
それは3期のみの展示だそう。
この後聞いた青山訓子さんの美術講座で、推してらした
岡田美術館所蔵の《虎図屏風》は、2期のみの展示だそうで、
‥‥うーんもう1度か2度見に行かなくちゃ!!

「虎の翠石」虎の絵はもちろんすごいけど、私がテンション上がったのは、
猫とバラの花が描かれた絵が並んでいる小部屋!!
なんて私の好きなものが描かれてるんだ!!!
猫もカワイイし、バラの花の透き通るような描写も素敵!!
クリアファイル買っちゃいました!
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もともと翠石は動物好きで、猫が得意だったそうですが、
猫の絵を見た知人が「猫が描けるなら虎も描けるだろう、虎を描け」
と言ったことで、虎を描くようになったとか。

展示室には12時過ぎに入ったんですが、見ごたえあって、
美術講座の案内アナウンスに最後の方がちょっと駆け足になっちゃいました。


13:30~岐阜県美術館学芸課長・青山訓子さんの
美術講座「描かれた虎 古代から近代まで」
限定50名 講堂の席も間隔をあけて座るようになっていました。

虎がいない日本で、虎はどのように描かれてきたか。

古代、日本に現存する虎の最も古い絵は、法隆寺《玉虫厨子》の
側面に描かれた「捨身飼虎図」 釈迦の前世、飢えた虎の親子を救うため、
崖から飛び降り我が身を食べさせたという仏教の題材を扱ったもの。
高松塚古墳の西壁に描かれた四神の「白虎」は、胴が細長く、
現実の虎とはかけ離れている。

中世、涅槃図に釈迦の死を悲しむ動物たちの一匹として虎が描かれ、
『鳥獣戯画』乙巻に虎が登場する。

中国から伝わった「漢画」が日本の絵画に大きなインパクトを与える。
牧谿(もっけい)の《龍虎図》京都・大徳寺蔵 の「虎図」のポーズは、
翠石の《明治天皇献上作大下図》と同じで、翠石がこの絵をふまえて描いたのではないかと。

近世、江戸時代中期、鎖国政策の下、徳川吉宗の招きで、
長崎に清の画家・沈南蘋(ちん なんぴん)が来朝し、「長崎派」を形成
円山応挙や伊藤若冲らに大きな影響を与える。

円山応挙は虎の実物を見ることができなかったので、
虎の皮の写生と、猫を参考にして描いた。

岸駒(がんく)は、虎の頭蓋骨を手に入れて、リアルな虎を描き「岸派」を形成。

そして近代、ホンモノの虎を見る機会が虎の絵を変える。
岸竹堂(きし ちくどう)明治24(1891)年の《虎図》滋賀県立近代美術館蔵 のリアルさ、
しかし竹堂は虎の絵に没頭する余り精神的におかしくなるほどの迫真的な虎の絵を描いたと。
(以上、あくまで私が聞いたことと、図録の解説をモトに書きました)

岸駒や岸竹堂という虎の画家は初めて聞きます。
彼らの絵も見てみたいです。

大橋翠石も「見世物」としての虎を見る機会があり、写生して研究することで、
迫力の虎の絵が生まれたんですね。しかし、現代の、虎の写真や映像が
簡単に見られる時代ではなく、実物を写生する機会もそれほどないと
思われる時代、様々な苦労があったろうなぁと。

美術講座終了後、最後の方が駆け足になっちゃった大橋翠石展に
もう一度入ることもできたんですが、また来るつもりだし‥‥と、
所蔵品展を見ました。

6月4日(木)に行った「清流の国ぎふ芸術祭 AAIC 2020」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2020-06-10
の時の所蔵品展とほぼ同じでしたが、
(日本画と工芸の展示室が大橋翠石で使われていて終わっていました)
何回見てもいいし、新しい気付きがありますね。


翠石の画業を通覧できる、過去最大規模の回顧展」見ごたえあります。
2期、3期にしか展示されない作品もあるので、また行くつもりです!

--追加--
って、言ったスグの8月16日(日)、2回目の鑑賞をしてきました。

岐阜県美術館の県民ギャラリーで「REBOOT」展という、
コロナ禍の影響で発表の場が制限されていた芸術文化活動を支援するため
県内で活動する若手芸術家を中心とした芸術祭
」が開催されていたので、
知っている方も展示されていたので行き、ついで(というかこっちがメインか?)に
2回目の鑑賞をしました。

2期(8/12-8/30)のみの展示の 岡田美術館所蔵《虎図屏風》素晴らしかった!!
1期では最後の方に展示されていた十朱幸代氏所蔵の《猛虎の図》1901年 が
この隣に展示されていて、やっぱり上品でいい絵だなーと。

宮内庁三の丸尚蔵館《月下猛虎之図》1906年 もすごい! これも2期のみの展示

東郷平八郎旧蔵ではないかという《孔雀之図》1927年頃 は、
群青や緑青、そして金泥がふんだんに使われていて孔雀の豪華な美しさが
濃厚に表現されています! (これは2期・3期の展示)

その隣に展示されていた《朝陽鳴鳳之図》は、プラチナ泥ではないかという
銀色と胡粉の白で描かれた羽毛がとても美しい! (2期・3期の展示)


岐阜県美術館: https://kenbi.pref.gifu.lg.jp/
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sknys

古来、日本に野生の虎は棲息していなかった。
伊藤若冲「虎図」の栞(裏は小学館「日本美術全集」)を使っていますが、
愛嬌のある虎の絵は中国の「猛虎図」を模写したそうです。

《江戸時代は日本に虎はゐなかつたから、圓山應擧の虎の絵は自分の家の飼猫を見て写生したにちがひないさうである》(丸谷才一)。

「実際の虎を見て写生」した翠石の虎は迫力が違いますね。
ちょっと怖いかもしれません。
「子猫と薔薇」の栞が欲しいにゃん^^;
by sknys (2020-08-26 21:37) 

しーちゃん

sknys さん、コメントありがとうございます。実際の虎を見て写生した翠石の虎の迫力はすごいです。でも、現代のように写真や動画が簡単に見られる時代ではなかったから、苦労しただろうなぁと。
「子猫と薔薇」の絵、すっごく可愛い! テンションあがっちゃいました。
by しーちゃん (2020-09-06 23:53) 

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