豊田市美術館コレクション展「作っているのは誰?」 [美術]
1月12日(日)に豊田市美術館へ行ったこと、
まだしつこく続きます(^^;>
「デザインあ展」を見て、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-01-23
「わが青春の上杜会」を見て、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-01-31
ギャラリーで開催されていたコレクション展を見ました。
開館25周年記念コレクション展VISION
作っているのは誰?-「一つの私」の(非)在について
「デザインあ展」「わが青春の上杜会展」の観覧券で見られます。
(チケット見せようとしたら、特に確認なく入れました)
ムンクの暗いモノクロの版画があり、
イケムラレイコの人間と動物が混じったようなブロンズ彫刻があり、
古池大介《ディソリューション》1998年
キリストの図像が溶解して変容する映像
ナン・ゴールディンのプライベートで赤裸々な写真、
ミヤギフトシ《花の名前》2015年
あ、これいつかのコレクション展で見たけど、長かったので全部見てないやつ。
ゲイ(って言っていいのかな?)の人のモノローグとか‥‥
やっぱり今回も時間がなくて結局どういう作品なのかよくわからない
スミマセン(--;
と、豊田市美術館らしい? なかなか尖った展示。
‥‥まぁ、よくわからないとも言う(^^;
続く奥の部屋、そっけないというか、無機質でシャープな雰囲気
黄色いシンプルな箱のようなものが壁に並んでいる
シャルロッテ・ポゼネンスケ《レリーフ・シリーズB》
「芸術作品が作者(=固有の私)の表現として捉えられるようになった近代以降」
豊田市美術館HPの展覧会のページより
https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/vision2020IV/
アートは自分を表現するものだと思ってたし、
それが今の世間一般の認識じゃないですか?
だから個性とか、オリジナリティとか、
自分らしさってのが大事だと。
この工業製品にも見えるようなポゼネンスケの作品は、
2007年から14年にかけて制作されたパーツで構成されていて、
展示の仕方も、4パーツ以上であれば点数も、各パーツの展示の向きも
自由自在で、壁にかけても床に置いても構わないってことで、
「最大限まで作家の手を離れたこの作品は、作品とは何か? 作者とは何か?ということを徹底的に問い直す契機を与えてくれます。」
(コレクション展配布リーフレット より)
https://www.museum.toyota.aichi.jp/wp-content/uploads/2021/01/%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E5%B1%95%E9%85%8D%E5%B8%83%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88.pdf
‥‥えー!? じゃ作家って何???
奥の壁にかかっていた
アリギエロ・ ボエッティ《ONONIMO》1972-73年
リーフレットを読むと、
「青いボールペンで塗りこめられた11点組みの本シリーズ作品は、 ボエッティ本人ではなく、男女の製図工11人が、 それぞれ別個に手がけたものです (最初の頃の作品のみ本人が手がけたという話もあります)。 色の濃淡や線の密度には、制作者それぞ れの好みや癖、 そのときの気分や考えとも言うべきものが表れています。
作品タイトルの「ONONIMO」は、イタリア語の「ANONIMO( 匿名、作者不詳)」と 「OMONIMO( 同名異語)」の二つの語を組み合わせたボエッティの造語で、 まさに作品の構造そのものを言い当てています。」
‥‥もはや作家が作品を作ってもいない!
部屋の真ん中に展示してあった4冊のバインダー
メル・ボックナー《必ずしも芸術として見られる必要のないワーキング・ドローイングとそのほかの視覚的なもの》1966年
何かの資料の展示かと思って、あまりしっかり見なかったんですが、
後でリーフレット読んだら、
「芸術家だけでなく様々な人たちのアイデアが記されたドローイングのコピーです(ちなみにゼロックスコピー機は、当時登場したばかりの最新機器でした)。作家の制作物らし いものは何もありません。」
え?! じゃ、ボックナーは何を制作したの? 作者って言えるの??
「ボックナーは、近代以降、自明化されていた作家性やオリジナリティの問題を批判的に浮かび上がらせたのでした。」
うーん‥‥何だか屁理屈みたいにも思えちゃうけど。
初公開だという徳冨満の作品は、
「9枚の左広がりの台形のカンヴァスに、対称を成すように、右広がりに作家本人の名前と様々な色の名がそれぞれ記されています。」
RED とか BLUE とか書いてあるのに、全て黒い色で塗られている。
My RED 、My BLUE って「My」って言葉がつけられているのは、
「個人の内側ではそれぞれまったく別の色かも」ってこと?
青一色のパネル、この色はイヴ・クライン? って見たら、やっぱり!
イヴ・クライン《モノクローム IKB 65》1960年
ローマン・オパルカの作品は、
2019年、豊田市美術館リニューアルオープンの
「世界を開くのは誰だ?」展で見て、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-07-11
まぁ、飽きもせずによく毎日数字を描いていったものだ‥‥なんて
思ったけど。
14枚の同じような黒一色の絵が並ぶ
村上友晴《十字架の道》1994年
「修道院の生活に倣い、深夜に起床して日の出まで制作をした後に 教会へ朝の祈りに向かい、夕べの祈りまで再び制作をして就寝する生活」
の中でできた作品。
「芸術は爆発だ!」なんてのとは対極にあるような作品が並んでます。
作者って何? 個性って??
そんなテーマの作品で展覧会を構成するところがすごいし、
これらの作品を収蔵してる豊田市美術館ってすごい‥‥
なんて思っちゃいました。
写真撮ってもよかったんだろうけど、あまりにジミすぎて
(ほとんどが黒一色の絵)上手く写らないだろうと思ったし、
見た時はふーん‥‥ってカンジで。
あらためて、もらったリーフ読んだり、
豊田市美術館HPの展覧会のページ見て、へーっ‥‥って。
開館25周年記念コレクション展VISION:作っているのは誰?
https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/vision2020IV/
やっぱり豊田市美術館いいなぁ、って帰ろうとすると、
雨も上がって夕焼けがキレイ!
豊田市美術館: https://www.museum.toyota.aichi.jp/
まだしつこく続きます(^^;>
「デザインあ展」を見て、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-01-23
「わが青春の上杜会」を見て、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-01-31
ギャラリーで開催されていたコレクション展を見ました。
開館25周年記念コレクション展VISION
作っているのは誰?-「一つの私」の(非)在について
「デザインあ展」「わが青春の上杜会展」の観覧券で見られます。
(チケット見せようとしたら、特に確認なく入れました)
ムンクの暗いモノクロの版画があり、
イケムラレイコの人間と動物が混じったようなブロンズ彫刻があり、
古池大介《ディソリューション》1998年
キリストの図像が溶解して変容する映像
ナン・ゴールディンのプライベートで赤裸々な写真、
ミヤギフトシ《花の名前》2015年
あ、これいつかのコレクション展で見たけど、長かったので全部見てないやつ。
ゲイ(って言っていいのかな?)の人のモノローグとか‥‥
やっぱり今回も時間がなくて結局どういう作品なのかよくわからない
スミマセン(--;
と、豊田市美術館らしい? なかなか尖った展示。
‥‥まぁ、よくわからないとも言う(^^;
続く奥の部屋、そっけないというか、無機質でシャープな雰囲気
黄色いシンプルな箱のようなものが壁に並んでいる
シャルロッテ・ポゼネンスケ《レリーフ・シリーズB》
「芸術作品が作者(=固有の私)の表現として捉えられるようになった近代以降」
豊田市美術館HPの展覧会のページより
https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/vision2020IV/
アートは自分を表現するものだと思ってたし、
それが今の世間一般の認識じゃないですか?
だから個性とか、オリジナリティとか、
自分らしさってのが大事だと。
この工業製品にも見えるようなポゼネンスケの作品は、
2007年から14年にかけて制作されたパーツで構成されていて、
展示の仕方も、4パーツ以上であれば点数も、各パーツの展示の向きも
自由自在で、壁にかけても床に置いても構わないってことで、
「最大限まで作家の手を離れたこの作品は、作品とは何か? 作者とは何か?ということを徹底的に問い直す契機を与えてくれます。」
(コレクション展配布リーフレット より)
https://www.museum.toyota.aichi.jp/wp-content/uploads/2021/01/%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E5%B1%95%E9%85%8D%E5%B8%83%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88.pdf
‥‥えー!? じゃ作家って何???
奥の壁にかかっていた
アリギエロ・ ボエッティ《ONONIMO》1972-73年
リーフレットを読むと、
「青いボールペンで塗りこめられた11点組みの本シリーズ作品は、 ボエッティ本人ではなく、男女の製図工11人が、 それぞれ別個に手がけたものです (最初の頃の作品のみ本人が手がけたという話もあります)。 色の濃淡や線の密度には、制作者それぞ れの好みや癖、 そのときの気分や考えとも言うべきものが表れています。
作品タイトルの「ONONIMO」は、イタリア語の「ANONIMO( 匿名、作者不詳)」と 「OMONIMO( 同名異語)」の二つの語を組み合わせたボエッティの造語で、 まさに作品の構造そのものを言い当てています。」
‥‥もはや作家が作品を作ってもいない!
部屋の真ん中に展示してあった4冊のバインダー
メル・ボックナー《必ずしも芸術として見られる必要のないワーキング・ドローイングとそのほかの視覚的なもの》1966年
何かの資料の展示かと思って、あまりしっかり見なかったんですが、
後でリーフレット読んだら、
「芸術家だけでなく様々な人たちのアイデアが記されたドローイングのコピーです(ちなみにゼロックスコピー機は、当時登場したばかりの最新機器でした)。作家の制作物らし いものは何もありません。」
え?! じゃ、ボックナーは何を制作したの? 作者って言えるの??
「ボックナーは、近代以降、自明化されていた作家性やオリジナリティの問題を批判的に浮かび上がらせたのでした。」
うーん‥‥何だか屁理屈みたいにも思えちゃうけど。
初公開だという徳冨満の作品は、
「9枚の左広がりの台形のカンヴァスに、対称を成すように、右広がりに作家本人の名前と様々な色の名がそれぞれ記されています。」
RED とか BLUE とか書いてあるのに、全て黒い色で塗られている。
My RED 、My BLUE って「My」って言葉がつけられているのは、
「個人の内側ではそれぞれまったく別の色かも」ってこと?
青一色のパネル、この色はイヴ・クライン? って見たら、やっぱり!
イヴ・クライン《モノクローム IKB 65》1960年
ローマン・オパルカの作品は、
2019年、豊田市美術館リニューアルオープンの
「世界を開くのは誰だ?」展で見て、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-07-11
まぁ、飽きもせずによく毎日数字を描いていったものだ‥‥なんて
思ったけど。
14枚の同じような黒一色の絵が並ぶ
村上友晴《十字架の道》1994年
「修道院の生活に倣い、深夜に起床して日の出まで制作をした後に 教会へ朝の祈りに向かい、夕べの祈りまで再び制作をして就寝する生活」
の中でできた作品。
「芸術は爆発だ!」なんてのとは対極にあるような作品が並んでます。
作者って何? 個性って??
そんなテーマの作品で展覧会を構成するところがすごいし、
これらの作品を収蔵してる豊田市美術館ってすごい‥‥
なんて思っちゃいました。
写真撮ってもよかったんだろうけど、あまりにジミすぎて
(ほとんどが黒一色の絵)上手く写らないだろうと思ったし、
見た時はふーん‥‥ってカンジで。
あらためて、もらったリーフ読んだり、
豊田市美術館HPの展覧会のページ見て、へーっ‥‥って。
開館25周年記念コレクション展VISION:作っているのは誰?
https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/vision2020IV/
やっぱり豊田市美術館いいなぁ、って帰ろうとすると、
雨も上がって夕焼けがキレイ!
豊田市美術館: https://www.museum.toyota.aichi.jp/
きれいな夕陽が、谷口吉生設計の建物に似合ってますね。
豊田市美術館の名前を覚えたのは、日本で唯一、エゴン・シーレの作品を持っているからです。その絵「○○○氏の肖像」を「日本の美術館名品展」で見た時に、解説に書いてあったのです。
イブ・クラインのブルーは「クライン・ブルー」と言われているほど、一目、見たら、忘れない強い色ですね。好きです。
by TaekoLovesParis (2021-02-11 22:50)