一宮市三岸節子記念美術館「自画像展」 [美術]
3月2日(火)、一宮市三岸節子記念美術館へ行きました。
「自画像展
~ひとみの中に自分がいる~」」をやっていました。(3月14日まで)
左が靉光《自画像》1944年 右下が黒田清輝《自画像》1897年
上が佐伯祐三《自画像》1917年
下段が左から絹谷幸二《自画像》1966年 甲斐仁代《自画像》1923年
宮脇晴《自画像》1920年 松本俊介《自画像》1941年
このチラシ、展覧会へ行ってもらってきたもので、
私がこの展覧会を知ったのは、インスタの広告だったと思うんですが、
自画像、モデルを頼めない若い画家が、勉強のために描くって
こともありますが、やっぱり制作中は自分の顔を見つめて描くわけで、
そこに何かの思い―自分とは何か、どう生きたいのか―
絵に対する決意が込められますよね。
自分を描くのだから、どう描こうと文句を言う人はいないし。
三岸節子にとっての画壇へのデビュー作は20歳の『自画像』。1925(大正14)年の春陽会第3回展で初入選した1枚です。自らを写し取り、そこには当時の自らの強い意志が込められています。この後、70年余の節子の画家としての原点となった作品です。
自画像は、制作者が自らに向かい合い、鏡の中の自分とキャンバスの上の自分が行き交い、自己の心境を主観的にとらえ、描くという格闘をした結果であり、個々の画家のその時々が表現されているといえます。
この展覧会では作家たちの若き日の自画像を中心に展示します。三岸節子に影響を与えたり、若き日からさまざまな時期にかかわりを持った画家たちを中心に、明治期から現代に至るまでの自画像を展示します。それぞれの時代における表現法のみならず、個々の画家たちが絵画に向けている“おもい”、“決意”を59点の作品から見ていただこうとするものです。(チラシ裏面の文章)
観覧料一般1,000円を払って、2階の展示室へ
58名59点の出品作品のうち、
三岸節子の自画像は常設展に展示されているので、
57名の自画像が並んでいます。
画家が若き日に描いた正面を向いた自画像が多いです。
横にプロフィールが書いてあるので、それを読んで絵を見ると、
真っ直ぐにこちらを見る肖像画の目と合って、
それぞれの画家が自分の「思い」や「決意」を語りかけてくるような気持ちになりました。
最初が、五姓田義松(1855-1915)
この人のみ、ケースに2点置かれていて、
作品保護のため、展示替えがあるとのことで、
1点はレプリカだったんですが、どちらも
10代後半の水彩で描いた自画像とのこと。
チャールズ・ワーグマンが絶賛したという五姓田の技術がわかります。
長原孝太郎(1864-1930) 《自画像》1900(明治33)年 36歳
東京美術学校で教えるようになった頃の自画像とのこと
黒田清輝(1866-1924) 《自画像》1897(明治30)年 31歳
東京美術学校の西洋画科開設の頃の肖像
ベレー帽姿が若々しい
岡田三郎助(1869-1936) 《自画像》1899(明治32)年 30歳
三岸節子が絵を学んだ先生
フランス留学中に養父に送った自画像だそう。
鈴木不知(すずき ふち 1870-1930) 《自画像》1917(大正6)年 47歳
この方、私知りませんでしたが、愛知県洋画壇の草分けで、
多くの弟子を育成された方だそう。
愛知県美術館所蔵の絵で、「Public Domain」表示があったので、
画像をお借りしてきました。
愛知県美術館コレクション検索で公開しているデジタル画像のうち、「Public Domain」(パブリック・ドメイン)または「CC0」の表示があるものは、当館に申請することなくダウンロードし、自由に複製、再配布することができます。
青木繁(1882-1911) 《自画像》1905(明治38)年 23歳
小さな画面いっぱいに荒々しく描かれた自画像。
代表作《海の幸》1904年 を描いた後、貧困や恋人との関係に
悩んでいた頃の作
武者小路実篤(1885-1976) 《絵筆を持つ自画像》1929(昭和4)年 44歳
この展覧会、私の知らなかった画家も多いですが、
へー、この人の自画像?! って作品も。
雑誌「白樺」が関東大震災で終刊した後、時代の流れで執筆依頼が
激減して、絵筆を持つようになった時期の自画像
横井礼以(1886-1980) 《自画像》1921(大正10)年 35歳
フォーヴィズムの影響を受けたことがわかる自画像。
小出楢重(1887-1931) 《自画像》1920(大正9)年 33歳
小品だけどうねるような筆致でぐいぐい描かれた迫力ある作品
加藤静児(1887-1942) 《自画像》1910(明治43)年 23歳
東京美術学校卒業制作の自画像。穏やかな色彩の中に、
学生服、コート姿の若い(なかなかイケメン!)男性が
真っ直ぐこちらを見ています。
愛知県出身者で東京美術学校西洋画科を初めて卒業。
同級生に藤田嗣治がいたとのこと。
この展覧会、他にもいくつか東京美術学校の卒業制作の自画像が
出品されていました。
東京美術学校では1898(明治31)年より卒業制作課題2点のうち
ひとつは自画像を描くことになっていて、多くの卒業生の
自画像が東京藝術大学大学美術館に収蔵されています。
安井曾太郎(1888-1955) 《自画像》1913(大正2)年 25歳
フランス留学中、特にセザンヌに傾倒していた時期の自画像
梅原龍三郎(1888-1986) 《自画像》1908(明治41)年 20歳
へー、これ梅原龍三郎?!‥‥って、初めて渡仏する前の自画像。
鶴田吾郎(1890-1969) 《自画像》1912(明治45)年 22歳
コンテで描かれた自画像。絵を描く写生旅の途中で描かれたのではないかと。
岸田劉生(1891-1929) 《自画像》1913(大正2)年 22歳
多くの自画像を描いた岸田劉生
去年1月に見た名古屋市美術館「岸田劉生展」では
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2020-03-18
多くの自画像が年代順に並べられてて、ゴッホなど
後期印象派に影響を受けた荒々しいタッチの自画像から、
ヨーロッパのルネサンスやバロックの巨匠、特にデューラーの
影響が顕著な写実的作風に移っていく過程がわかったんですが、
これは自画像でもかなり初期のものらしく、
荒々しい筆致で画面いっぱいに顔が描かれています。
(あらためて「岸田劉生展」の図録見たけど、この、
豊橋市美術博物館所蔵の《自画像》は出てなかった)
木村荘八(1893-1958) 《自画像》1914(大正3)年 21歳
岸田劉生の自画像に似てるなって見たんですが、
劉生とは親交が深かったんですね。
1912年フュウザン会の結成に参加。1915年に劉生らと創土社を創立。
この人の《パンの会》1928年 岐阜県美術館(寄託)なので
時々所蔵品展で見るし、この間の
「ロートレックとその時代」展にも出てました。
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-02-21
児島善三郎(1893-1962) 《自画像》1945(昭和20)年頃 52歳頃
昭和9(1934)年、好太郎の死去を受けて、「節子さん、これからどうやって生きていくつもりなのか。もし働く気があるなら、職業婦人になるがいい。どこか会社に勤めたらどうか」と問いかけた児島に対し、節子は「いいえ、私画家になります。」と返した。節子の決意を確認させたとも言えよう。
この自画像は昭和20年頃の作品。画壇に確たる地位を築いた時期になる。
(図録より)
大澤鉦一郎(1893-1973) 《自画像》1916(大正5)年 23歳
独学で洋画の写実表現を学んでいた大澤鉦一郎は、
1917(大正6)年、名古屋で岸田劉生らの草土社展を見て感化を受け、
大澤を中心に宮脇晴ら7人で洋画グループ「愛美社」が結成されました。
愛美社の画家たちの作品は愛知県美術館や名古屋市美術館で
よく見ることがあり、愛知県美術館も大澤鉦一郎の《自画像》を
所蔵していますが、この展覧会では常滑市教育委員会所蔵の
裸でうずくまる大きな作品が展示されていました。
参考:愛知県美術館のコレクション展で2020年10月29日撮影
左が、大澤鉦一郎《自画像》1919年
右は、宮脇晴《自画像》1920年
原田京平(恭平)(1895-1936)
《画題不明(原田京平自画像)》1921(大正10)年 26歳
志賀直哉との交流から「我孫子・白樺派」を継ぐ中心人物。
三岸好太郎や節子らが手賀沼周辺のスケッチなどで
原田宅に集ったそう。
河野通勢(1895-1950) 《自画像》1917(大正6)年 22歳
岸田劉生との交流の影響がわかる自画像
この自画像は愛知県美術館所蔵のもので、コレクション展でも
時々展示されているので、重厚な写実表現すごいなって見てました。
愛知県美術館の「Public Domain」画像お借りしてきました。
村山槐多(1896-1919) 《自画像》1916(大正5)年 20歳
22歳で亡くなった早熟の天才画家・村山槐多
紫と黄土色の暴力的なまでの筆致で描かれた迫力の自画像
前田寛治(1896-1930) 《自画像》1921(大正10)年 25歳
東京美術学校の卒業制作の自画像。
セザンヌ風? 赤い頬が素朴な青年ってカンジ。
東郷青児(1897-1978) 《自画像》1914(大正3)年 17歳
えー?! これがあの甘い女性像の東郷青児の絵なの?!! って、
暴力的なまでにデフォルメされた大きな目! 唇! インパクトありますね
佐伯祐三(1898-1928) 《自画像》1917(大正6)年 19歳
この自画像すごかった! わりと荒い筆致で描いているのに、
真っ直ぐにこちらを見て今にも何か語りかけてきそう。
19歳の作品だってことにも驚く!
佐分真(1898-1936) 《自画像》1927(昭和2)年 29歳
第1回目の渡仏直後に描いた自画像とのこと。
愛知県美術館コレクション展などで、どっしりした人物画
時々見ます。《印度の女》って絵良かった。
渡辺昇(1898-1998) 《自画像》1922(大正11)年 24歳
東京美術学校の卒業制作。
三岸節子の遠縁になるようで、女学校を卒業し、上京した節子が 岡田三郎助の本郷洋画研究所に学ぶきっかけを作ったとされている。
(図録より)
私が見に行った時、「おじいちゃんの絵」って見にいらしてた方が
ありました。美術館の公式twitterにこんな投稿も
(私が見に行った日より前の新聞なので、この方々ではなかったと思われますが)
伊藤廉(1898-1983) 《自画像》1925(大正14)年 27歳
東京美術学校の卒業制作。内省的な青年ってカンジ。
三岸好太郎・節子夫妻とは親密な交流があったみたい。
愛知県立芸術大学創設より教授、初代美術学部長と、
美術教育にも力を尽くされた方とのこと。
鬼頭鍋三郎(1899-1982) 《自画像》1924(大正13)年 25歳
木炭でサラッと描いた自画像。ちょっと神経質な印象。
1912年、24歳の時、名古屋で洋画グループ「サンサシオン」を結成
この肖像画ばその直後の25歳で描いたもの。
名古屋洋画壇の重鎮として活躍された方だし、
愛知県美術館などに所蔵作品多いと思うけど、
油彩の自画像はないのかな?
和達知男(わだち ともお 1900-1925)
《眼鏡をかけた自画像》1923(大正12)年 23歳
展覧会のチケットに使われていました。
なんかモダンで面白い絵、ベルリンに留学して、
前衛美術運動をすすめていたイタリア未来派と交流
ベルリン無鑑査展に4点出品した中の1点
25歳で結核で亡くなられたんですね。
荻須高徳(1901-1986) 《自画像》1927(昭和2)年 26歳
東京美術学校の卒業制作の自画像。
豊田市美術館「わが青春の上杜会」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-01-31
で、荻須たち東京美術学校西洋画科を昭和2年(1927)卒業の
同期は「美校始まって以来の秀才揃い」と称され、
卒業生約40名によって「上杜会」が結成されます。
同級生たちがとてもいい関係を築いていたことがわかります。
その中で“田舎の模範青年団長”という愛称があったという荻須。
真面目で几帳面な人柄が伝わってくるようです。
藤井外喜雄(ふじい ときお 1901-1994)
《自画像》1919(大正8)年 18歳
木炭で描いた真面目そうな18歳の自画像。
甲斐仁代(1902-1963) 《自画像》1923(大正12)年 21歳
三岸節子の女子美術学校での一級上の上級生。といっても
油絵全体で15、6名の時代で、全員一室で勉強していたようなので、
節子に強い影響を与えたひとり。
私、去年6月に岡崎世界子ども美術博物館へ
「これって絵画なの? 超リアルと面白かたち展」を見に行った帰り、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2020-06-21
たまたま上郷SAへ寄ったら、まだ閑散とした売店の一番端のコーナーで、
「甲斐仁代展」をやってて、知らない画家だけど、
急ぐわけでもないからと覗いたら、
花や果物を描いた絵の鮮やかなオレンジ色の良さと、
ついていた値段のすごさに驚いたんですね。
鳥海青児(1902-1972) 《自画像》1959(昭和34)年 57歳
鉛筆でサラッと描いた57歳の自画像
三岸幸太郎らと麓人社(ろくじんしゃ)結成。
1928年、札幌に三岸夫妻らと札幌に旅行して、三人展を開催した。
宮脇晴(1902-1985) 《自画像》1920(大正9)年 18歳
愛知県美術館コレクション展でよく展示されているので、
いつも18歳の宮脇の写実細密描写のすごさに感心して見ている絵。
愛知県美術館コレクション展で2020年10月29日撮影
豊田市美術館でもたいてい宮脇晴・綾子夫妻の作品が展示されている部屋ありますね。
仲田好江(1902-1995) 《自画像(紅い櫛)》1933(昭和8)年 31歳
三岸節子らが1946年に創立した「女流画家協会」創立会員のひとり。
松下春雄(1903-1933) 《児を抱く》1930(昭和5)年 27歳
鬼頭鍋三郎らと洋画グループ「サンサシオン」を結成。
子ども(赤ちゃん)を抱いた27歳の自画像。
白血病で30歳で亡くなられたと。
三岸好太郎(1903-1934) 《自画像》制作年不詳
ペンで落書きのように描かれた自画像。
三岸節子を描いた肖像画はあるけど、自画像は少ないそう。
森田勝(1904-1944) 《自画像》1926(大正15)年 22歳
1928年三岸夫妻、鳥海青児とともに札幌へ行き、約半年滞在する。
2度のアトリエの火災で作品の大半を失い、
残された数少ない作品のうちの自画像スケッチ。
吉原治良(1905-1972) 《自画像(仮題)》1925(大正15)年頃 21歳頃
関西学院高等商業部に在学中の自画像。
市野長之介(1905-1987) 《自画像》1924(大正13)年頃 19歳頃
名古屋市立工芸学校図案科で図工(助手)の宮脇晴の指導を受けたそう
絵筆を持つ写実的な自画像。
矢橋六郎(1905-1988) 《自画像》1930(昭和5)年 25歳
東京美術学校の卒業制作の自画像。学生服姿で、
生真面目で素朴な雰囲気。
久保守(1905-1992) 《自画像》1929(昭和4)年 24歳
三岸好太郎の札幌時代からの後輩。1 週間に1度、節子の料理を
食べに来ていたといわれる程の付き合いだったと。
どこか幻想的なもやっとしたカンジの自画像で、
私はちょっとロマンチックな雰囲気がいいなって見たけど、
東京美術学校卒業制作のこの自画像、それまでの成績は
トップだったのに、最下位の評価だったと。
杉本健吉(1905-2004) 《自画像》1930(昭和5)年頃 25歳頃
名鉄の観光ポスターや小説の挿絵など、洋画だけでなく
幅広い活動をされた方ですね。
知多郡美浜町に杉本美術館があります。
額まで描いた? 遊び心とグラフィックなセンスある自画像。
佐藤敬(1906-1978) 《自画像》1931(昭和6)年 25歳
東京美術学校の卒業制作。大胆な筆致で特徴を捉えた自画像。
1939年、三岸節子を新制作派協会の会員に誘う。
1954年、節子が息子黄太郎の住むフランスをはじめて訪れた際、
在住していた佐藤が案内をした。
靉光(1907-1946) 《自画像》(白い上衣の自画像)1944(昭和19)年 37歳
チラシの表面に使われている絵で、画面下半分が白い上衣が占め、
その上に険しい表情の顔が小さすぎるような気もするけど、
なんか厳しい気迫が伝わってくるような‥‥。
この絵を描いた1944(昭和19)年応召により中国に渡り、終戦を迎えるが、
直後に発病。1946(昭和21)年上海の病院にて戦病死。
山元日子士良(やまもと ひこしろう 1910-1993)
《自画像》1947(昭和22)年頃 37歳頃
1946年から1970年まで、小学校で教鞭をとる一方で制作をつづけた。
小学校で教え始めて間もない頃の作品。写実的でうまいなーって。
大野五郎(1910-2006) 《自画像》1928(昭和3)年 18歳
太い輪郭線やオレンジ系の色彩が強烈で面白い18歳の自画像
松本竣介(1912-1948) 《自画像》1941(昭和16)年 29歳
名古屋市美術館「画家たちと戦争」展 の
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2015-09-24
メインビジュアルに使われていた松本竣介《立てる像》1942年
ほぼ等身大の迫力ある自画像でした。
1941年、軍部が「国策のため筆をとれ」と命じたのに、
「画家は腹の底まで染みこんだ肉体化した絵しか描けぬ」と
反論した画家。
この展覧会に出品されていたのは、暗い中からちょっと上目遣いで
こちらを見ている気骨ある29歳の自画像。
赤星孝(1912-1983) 《自画像》1955(昭和30)年 43歳
キュビスム風? 分割したような顔の表現や赤いネクタイが面白い。
寺田政明(1912-1989) 《顔・自画像》1945(昭和20)年 33歳
鉛筆で描いた素描風の自画像
白木正一(1912-1995) 《自画像》1947(昭和22)年 35歳
ベレー帽をかぶったとても写実的な自画像。
麻生三郎(1913-2000) 《自画像》1935(昭和10)年 22歳
奇妙にデフォルメされた顔が面白い。
初めて作品を発表した折りの1点だそう。
赤星信子(1914-2015) 《自画像》1940(昭和15)年 26歳
女子美術専門学校洋画師範科に入学した頃に
鉛筆で素早く大胆に描いたと思われる自画像
野見山曉治(1920- ) 《自画像》1947(昭和22)年頃 27歳頃
暗く沈んだ色調のなか、陰鬱な目をした27歳頃の自画像。
中村正義(1924-1977) 《自画像》1953(昭和28)年 29歳
日展の特選を重ね、頭角を現してきた時期に
鉛筆で描かれた自画像。真っ直ぐにこちらを見る目が
何かの決意を秘めているよう。
この後、蛍光塗料などを使った前衛的でポップな画風に
なっていくんですね。
鴨居玲(1928-1985) 《夜(自画像)》1947(昭和22)年 19歳
暗いドロドロした中に、片目の強い光が迫力
岸田衿子(1929-2011) 《自画像》1952(昭和27)年 23歳
戦後の昭和21(1946)年に初めて女性の入学生を迎えた東京美術学校。 岸田は東京藝術大学発足に伴い、東京美術学校が廃止された昭和27年に卒業を迎えた。
岸田衿子さん、東京芸大卒業なんですね。病気のため画家を諦め詩人となったと。
卒業制作の、さわやかさを感じる自画像。
絹谷幸二(1943- ) 《自画像》1966(昭和41)年 23歳
東京藝術大学卒業制作の自画像。だけど、
自画像買上げが中断されていた時期なので、これは個人蔵。
ちょっと斜に構えたような自画像。
隣の展示室では、
愛知県立起工業高校デザイン科生徒制作の自画像作品約120点が
展示されていました。迫力です。(この部屋は撮影可)
1階の常設展示室には、入って正面のいつもの場所に
三岸節子の自画像がありました。
三岸節子(1905-1999) 《自画像》1925(大正14)年 20歳
紅い着物を着た可愛らしい自画像。
着物の衿合わせが逆になっているのは、鏡に映して描いたためだと。
春陽会第3回展入選作。
三岸節子の画壇へのデビュー作であり、春陽会では初めての女性の入選作。
師の岡田三郎助が三岸節子を描いた
《三岸節子肖像》1923(大正12)年 があって興味深かったです。
1階ロビーでは、
三岸節子の生涯がわかりやすい絵本で紹介されている
「三岸節子ものがたり」一宮市三岸節子記念美術館発行
原画が展示されていました。
200円だけど、中学生以下の来館者は無料でもらえるそう!!
そして、美術館のキャラクター「せっちゃん」の
A案とB案も展示されていました。A案に決まるのはわかるけど、
B案も私、素朴で好きだなー。
展覧会の図録が素晴らしい。
A4のハードカバーのしっかりした作り。
上段 五姓田義松 佐伯祐三 黒田清輝
中断 靉光 甲斐仁代
下段 三岸好太郎 三岸節子 宮脇晴
見開きの左ページに画家のプロフィール、
右ページに自画像が載ってます。2,000円(税込)
岸田衿子のページ
‥‥はー、ダラダラと長く書いちゃいました。
はじめは印象に残った自画像の感想だけのつもりだったんですが、
図録見ていくと、あ、これも良かった、こっちも良かった‥‥って、
続々と増えていって、まぁここまで書いたなら全部をと。
知らなかった画家について知ることができて、
(時間かかりましたが)良かったです。
読んでくださった方、お疲れ様でした。
「自画像展
~ひとみの中に自分がいる~」」をやっていました。(3月14日まで)
左が靉光《自画像》1944年 右下が黒田清輝《自画像》1897年
上が佐伯祐三《自画像》1917年
下段が左から絹谷幸二《自画像》1966年 甲斐仁代《自画像》1923年
宮脇晴《自画像》1920年 松本俊介《自画像》1941年
このチラシ、展覧会へ行ってもらってきたもので、
私がこの展覧会を知ったのは、インスタの広告だったと思うんですが、
自画像、モデルを頼めない若い画家が、勉強のために描くって
こともありますが、やっぱり制作中は自分の顔を見つめて描くわけで、
そこに何かの思い―自分とは何か、どう生きたいのか―
絵に対する決意が込められますよね。
自分を描くのだから、どう描こうと文句を言う人はいないし。
三岸節子にとっての画壇へのデビュー作は20歳の『自画像』。1925(大正14)年の春陽会第3回展で初入選した1枚です。自らを写し取り、そこには当時の自らの強い意志が込められています。この後、70年余の節子の画家としての原点となった作品です。
自画像は、制作者が自らに向かい合い、鏡の中の自分とキャンバスの上の自分が行き交い、自己の心境を主観的にとらえ、描くという格闘をした結果であり、個々の画家のその時々が表現されているといえます。
この展覧会では作家たちの若き日の自画像を中心に展示します。三岸節子に影響を与えたり、若き日からさまざまな時期にかかわりを持った画家たちを中心に、明治期から現代に至るまでの自画像を展示します。それぞれの時代における表現法のみならず、個々の画家たちが絵画に向けている“おもい”、“決意”を59点の作品から見ていただこうとするものです。(チラシ裏面の文章)
観覧料一般1,000円を払って、2階の展示室へ
58名59点の出品作品のうち、
三岸節子の自画像は常設展に展示されているので、
57名の自画像が並んでいます。
画家が若き日に描いた正面を向いた自画像が多いです。
横にプロフィールが書いてあるので、それを読んで絵を見ると、
真っ直ぐにこちらを見る肖像画の目と合って、
それぞれの画家が自分の「思い」や「決意」を語りかけてくるような気持ちになりました。
最初が、五姓田義松(1855-1915)
この人のみ、ケースに2点置かれていて、
作品保護のため、展示替えがあるとのことで、
1点はレプリカだったんですが、どちらも
10代後半の水彩で描いた自画像とのこと。
チャールズ・ワーグマンが絶賛したという五姓田の技術がわかります。
長原孝太郎(1864-1930) 《自画像》1900(明治33)年 36歳
東京美術学校で教えるようになった頃の自画像とのこと
黒田清輝(1866-1924) 《自画像》1897(明治30)年 31歳
東京美術学校の西洋画科開設の頃の肖像
ベレー帽姿が若々しい
岡田三郎助(1869-1936) 《自画像》1899(明治32)年 30歳
三岸節子が絵を学んだ先生
フランス留学中に養父に送った自画像だそう。
鈴木不知(すずき ふち 1870-1930) 《自画像》1917(大正6)年 47歳
この方、私知りませんでしたが、愛知県洋画壇の草分けで、
多くの弟子を育成された方だそう。
愛知県美術館所蔵の絵で、「Public Domain」表示があったので、
画像をお借りしてきました。
愛知県美術館コレクション検索で公開しているデジタル画像のうち、「Public Domain」(パブリック・ドメイン)または「CC0」の表示があるものは、当館に申請することなくダウンロードし、自由に複製、再配布することができます。
青木繁(1882-1911) 《自画像》1905(明治38)年 23歳
小さな画面いっぱいに荒々しく描かれた自画像。
代表作《海の幸》1904年 を描いた後、貧困や恋人との関係に
悩んでいた頃の作
武者小路実篤(1885-1976) 《絵筆を持つ自画像》1929(昭和4)年 44歳
この展覧会、私の知らなかった画家も多いですが、
へー、この人の自画像?! って作品も。
雑誌「白樺」が関東大震災で終刊した後、時代の流れで執筆依頼が
激減して、絵筆を持つようになった時期の自画像
横井礼以(1886-1980) 《自画像》1921(大正10)年 35歳
フォーヴィズムの影響を受けたことがわかる自画像。
小出楢重(1887-1931) 《自画像》1920(大正9)年 33歳
小品だけどうねるような筆致でぐいぐい描かれた迫力ある作品
加藤静児(1887-1942) 《自画像》1910(明治43)年 23歳
東京美術学校卒業制作の自画像。穏やかな色彩の中に、
学生服、コート姿の若い(なかなかイケメン!)男性が
真っ直ぐこちらを見ています。
愛知県出身者で東京美術学校西洋画科を初めて卒業。
同級生に藤田嗣治がいたとのこと。
この展覧会、他にもいくつか東京美術学校の卒業制作の自画像が
出品されていました。
東京美術学校では1898(明治31)年より卒業制作課題2点のうち
ひとつは自画像を描くことになっていて、多くの卒業生の
自画像が東京藝術大学大学美術館に収蔵されています。
安井曾太郎(1888-1955) 《自画像》1913(大正2)年 25歳
フランス留学中、特にセザンヌに傾倒していた時期の自画像
梅原龍三郎(1888-1986) 《自画像》1908(明治41)年 20歳
へー、これ梅原龍三郎?!‥‥って、初めて渡仏する前の自画像。
鶴田吾郎(1890-1969) 《自画像》1912(明治45)年 22歳
コンテで描かれた自画像。絵を描く写生旅の途中で描かれたのではないかと。
岸田劉生(1891-1929) 《自画像》1913(大正2)年 22歳
多くの自画像を描いた岸田劉生
去年1月に見た名古屋市美術館「岸田劉生展」では
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2020-03-18
多くの自画像が年代順に並べられてて、ゴッホなど
後期印象派に影響を受けた荒々しいタッチの自画像から、
ヨーロッパのルネサンスやバロックの巨匠、特にデューラーの
影響が顕著な写実的作風に移っていく過程がわかったんですが、
これは自画像でもかなり初期のものらしく、
荒々しい筆致で画面いっぱいに顔が描かれています。
(あらためて「岸田劉生展」の図録見たけど、この、
豊橋市美術博物館所蔵の《自画像》は出てなかった)
木村荘八(1893-1958) 《自画像》1914(大正3)年 21歳
岸田劉生の自画像に似てるなって見たんですが、
劉生とは親交が深かったんですね。
1912年フュウザン会の結成に参加。1915年に劉生らと創土社を創立。
この人の《パンの会》1928年 岐阜県美術館(寄託)なので
時々所蔵品展で見るし、この間の
「ロートレックとその時代」展にも出てました。
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-02-21
児島善三郎(1893-1962) 《自画像》1945(昭和20)年頃 52歳頃
昭和9(1934)年、好太郎の死去を受けて、「節子さん、これからどうやって生きていくつもりなのか。もし働く気があるなら、職業婦人になるがいい。どこか会社に勤めたらどうか」と問いかけた児島に対し、節子は「いいえ、私画家になります。」と返した。節子の決意を確認させたとも言えよう。
この自画像は昭和20年頃の作品。画壇に確たる地位を築いた時期になる。
(図録より)
大澤鉦一郎(1893-1973) 《自画像》1916(大正5)年 23歳
独学で洋画の写実表現を学んでいた大澤鉦一郎は、
1917(大正6)年、名古屋で岸田劉生らの草土社展を見て感化を受け、
大澤を中心に宮脇晴ら7人で洋画グループ「愛美社」が結成されました。
愛美社の画家たちの作品は愛知県美術館や名古屋市美術館で
よく見ることがあり、愛知県美術館も大澤鉦一郎の《自画像》を
所蔵していますが、この展覧会では常滑市教育委員会所蔵の
裸でうずくまる大きな作品が展示されていました。
参考:愛知県美術館のコレクション展で2020年10月29日撮影
左が、大澤鉦一郎《自画像》1919年
右は、宮脇晴《自画像》1920年
原田京平(恭平)(1895-1936)
《画題不明(原田京平自画像)》1921(大正10)年 26歳
志賀直哉との交流から「我孫子・白樺派」を継ぐ中心人物。
三岸好太郎や節子らが手賀沼周辺のスケッチなどで
原田宅に集ったそう。
河野通勢(1895-1950) 《自画像》1917(大正6)年 22歳
岸田劉生との交流の影響がわかる自画像
この自画像は愛知県美術館所蔵のもので、コレクション展でも
時々展示されているので、重厚な写実表現すごいなって見てました。
愛知県美術館の「Public Domain」画像お借りしてきました。
村山槐多(1896-1919) 《自画像》1916(大正5)年 20歳
22歳で亡くなった早熟の天才画家・村山槐多
紫と黄土色の暴力的なまでの筆致で描かれた迫力の自画像
前田寛治(1896-1930) 《自画像》1921(大正10)年 25歳
東京美術学校の卒業制作の自画像。
セザンヌ風? 赤い頬が素朴な青年ってカンジ。
東郷青児(1897-1978) 《自画像》1914(大正3)年 17歳
えー?! これがあの甘い女性像の東郷青児の絵なの?!! って、
暴力的なまでにデフォルメされた大きな目! 唇! インパクトありますね
佐伯祐三(1898-1928) 《自画像》1917(大正6)年 19歳
この自画像すごかった! わりと荒い筆致で描いているのに、
真っ直ぐにこちらを見て今にも何か語りかけてきそう。
19歳の作品だってことにも驚く!
佐分真(1898-1936) 《自画像》1927(昭和2)年 29歳
第1回目の渡仏直後に描いた自画像とのこと。
愛知県美術館コレクション展などで、どっしりした人物画
時々見ます。《印度の女》って絵良かった。
渡辺昇(1898-1998) 《自画像》1922(大正11)年 24歳
東京美術学校の卒業制作。
三岸節子の遠縁になるようで、女学校を卒業し、上京した節子が 岡田三郎助の本郷洋画研究所に学ぶきっかけを作ったとされている。
(図録より)
私が見に行った時、「おじいちゃんの絵」って見にいらしてた方が
ありました。美術館の公式twitterにこんな投稿も
(私が見に行った日より前の新聞なので、この方々ではなかったと思われますが)
【中日新聞で記事が掲載されました!】
— 一宮市三岸節子記念美術館(公式) (@s_migishi_muse) February 26, 2021
自画像展に出品中の洋画家・渡辺昇。みなさまご存知ですか?
三岸節子とも遠い親戚にあたり、のちの師となる洋画家・岡田三郎助を節子に紹介した方でもあるのです。
東京美術学校を卒業していたことから、卒業制作の渡辺昇《自画像》を今回展示しております pic.twitter.com/S0XcOpZtQG
伊藤廉(1898-1983) 《自画像》1925(大正14)年 27歳
東京美術学校の卒業制作。内省的な青年ってカンジ。
三岸好太郎・節子夫妻とは親密な交流があったみたい。
愛知県立芸術大学創設より教授、初代美術学部長と、
美術教育にも力を尽くされた方とのこと。
鬼頭鍋三郎(1899-1982) 《自画像》1924(大正13)年 25歳
木炭でサラッと描いた自画像。ちょっと神経質な印象。
1912年、24歳の時、名古屋で洋画グループ「サンサシオン」を結成
この肖像画ばその直後の25歳で描いたもの。
名古屋洋画壇の重鎮として活躍された方だし、
愛知県美術館などに所蔵作品多いと思うけど、
油彩の自画像はないのかな?
和達知男(わだち ともお 1900-1925)
《眼鏡をかけた自画像》1923(大正12)年 23歳
展覧会のチケットに使われていました。
なんかモダンで面白い絵、ベルリンに留学して、
前衛美術運動をすすめていたイタリア未来派と交流
ベルリン無鑑査展に4点出品した中の1点
25歳で結核で亡くなられたんですね。
荻須高徳(1901-1986) 《自画像》1927(昭和2)年 26歳
東京美術学校の卒業制作の自画像。
豊田市美術館「わが青春の上杜会」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-01-31
で、荻須たち東京美術学校西洋画科を昭和2年(1927)卒業の
同期は「美校始まって以来の秀才揃い」と称され、
卒業生約40名によって「上杜会」が結成されます。
同級生たちがとてもいい関係を築いていたことがわかります。
その中で“田舎の模範青年団長”という愛称があったという荻須。
真面目で几帳面な人柄が伝わってくるようです。
藤井外喜雄(ふじい ときお 1901-1994)
《自画像》1919(大正8)年 18歳
木炭で描いた真面目そうな18歳の自画像。
甲斐仁代(1902-1963) 《自画像》1923(大正12)年 21歳
三岸節子の女子美術学校での一級上の上級生。といっても
油絵全体で15、6名の時代で、全員一室で勉強していたようなので、
節子に強い影響を与えたひとり。
私、去年6月に岡崎世界子ども美術博物館へ
「これって絵画なの? 超リアルと面白かたち展」を見に行った帰り、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2020-06-21
たまたま上郷SAへ寄ったら、まだ閑散とした売店の一番端のコーナーで、
「甲斐仁代展」をやってて、知らない画家だけど、
急ぐわけでもないからと覗いたら、
花や果物を描いた絵の鮮やかなオレンジ色の良さと、
ついていた値段のすごさに驚いたんですね。
鳥海青児(1902-1972) 《自画像》1959(昭和34)年 57歳
鉛筆でサラッと描いた57歳の自画像
三岸幸太郎らと麓人社(ろくじんしゃ)結成。
1928年、札幌に三岸夫妻らと札幌に旅行して、三人展を開催した。
宮脇晴(1902-1985) 《自画像》1920(大正9)年 18歳
愛知県美術館コレクション展でよく展示されているので、
いつも18歳の宮脇の写実細密描写のすごさに感心して見ている絵。
愛知県美術館コレクション展で2020年10月29日撮影
豊田市美術館でもたいてい宮脇晴・綾子夫妻の作品が展示されている部屋ありますね。
仲田好江(1902-1995) 《自画像(紅い櫛)》1933(昭和8)年 31歳
三岸節子らが1946年に創立した「女流画家協会」創立会員のひとり。
松下春雄(1903-1933) 《児を抱く》1930(昭和5)年 27歳
鬼頭鍋三郎らと洋画グループ「サンサシオン」を結成。
子ども(赤ちゃん)を抱いた27歳の自画像。
白血病で30歳で亡くなられたと。
三岸好太郎(1903-1934) 《自画像》制作年不詳
ペンで落書きのように描かれた自画像。
三岸節子を描いた肖像画はあるけど、自画像は少ないそう。
森田勝(1904-1944) 《自画像》1926(大正15)年 22歳
1928年三岸夫妻、鳥海青児とともに札幌へ行き、約半年滞在する。
2度のアトリエの火災で作品の大半を失い、
残された数少ない作品のうちの自画像スケッチ。
吉原治良(1905-1972) 《自画像(仮題)》1925(大正15)年頃 21歳頃
関西学院高等商業部に在学中の自画像。
市野長之介(1905-1987) 《自画像》1924(大正13)年頃 19歳頃
名古屋市立工芸学校図案科で図工(助手)の宮脇晴の指導を受けたそう
絵筆を持つ写実的な自画像。
矢橋六郎(1905-1988) 《自画像》1930(昭和5)年 25歳
東京美術学校の卒業制作の自画像。学生服姿で、
生真面目で素朴な雰囲気。
久保守(1905-1992) 《自画像》1929(昭和4)年 24歳
三岸好太郎の札幌時代からの後輩。1 週間に1度、節子の料理を
食べに来ていたといわれる程の付き合いだったと。
どこか幻想的なもやっとしたカンジの自画像で、
私はちょっとロマンチックな雰囲気がいいなって見たけど、
東京美術学校卒業制作のこの自画像、それまでの成績は
トップだったのに、最下位の評価だったと。
杉本健吉(1905-2004) 《自画像》1930(昭和5)年頃 25歳頃
名鉄の観光ポスターや小説の挿絵など、洋画だけでなく
幅広い活動をされた方ですね。
知多郡美浜町に杉本美術館があります。
額まで描いた? 遊び心とグラフィックなセンスある自画像。
佐藤敬(1906-1978) 《自画像》1931(昭和6)年 25歳
東京美術学校の卒業制作。大胆な筆致で特徴を捉えた自画像。
1939年、三岸節子を新制作派協会の会員に誘う。
1954年、節子が息子黄太郎の住むフランスをはじめて訪れた際、
在住していた佐藤が案内をした。
靉光(1907-1946) 《自画像》(白い上衣の自画像)1944(昭和19)年 37歳
チラシの表面に使われている絵で、画面下半分が白い上衣が占め、
その上に険しい表情の顔が小さすぎるような気もするけど、
なんか厳しい気迫が伝わってくるような‥‥。
この絵を描いた1944(昭和19)年応召により中国に渡り、終戦を迎えるが、
直後に発病。1946(昭和21)年上海の病院にて戦病死。
山元日子士良(やまもと ひこしろう 1910-1993)
《自画像》1947(昭和22)年頃 37歳頃
1946年から1970年まで、小学校で教鞭をとる一方で制作をつづけた。
小学校で教え始めて間もない頃の作品。写実的でうまいなーって。
大野五郎(1910-2006) 《自画像》1928(昭和3)年 18歳
太い輪郭線やオレンジ系の色彩が強烈で面白い18歳の自画像
松本竣介(1912-1948) 《自画像》1941(昭和16)年 29歳
名古屋市美術館「画家たちと戦争」展 の
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2015-09-24
メインビジュアルに使われていた松本竣介《立てる像》1942年
ほぼ等身大の迫力ある自画像でした。
1941年、軍部が「国策のため筆をとれ」と命じたのに、
「画家は腹の底まで染みこんだ肉体化した絵しか描けぬ」と
反論した画家。
この展覧会に出品されていたのは、暗い中からちょっと上目遣いで
こちらを見ている気骨ある29歳の自画像。
赤星孝(1912-1983) 《自画像》1955(昭和30)年 43歳
キュビスム風? 分割したような顔の表現や赤いネクタイが面白い。
寺田政明(1912-1989) 《顔・自画像》1945(昭和20)年 33歳
鉛筆で描いた素描風の自画像
白木正一(1912-1995) 《自画像》1947(昭和22)年 35歳
ベレー帽をかぶったとても写実的な自画像。
麻生三郎(1913-2000) 《自画像》1935(昭和10)年 22歳
奇妙にデフォルメされた顔が面白い。
初めて作品を発表した折りの1点だそう。
赤星信子(1914-2015) 《自画像》1940(昭和15)年 26歳
女子美術専門学校洋画師範科に入学した頃に
鉛筆で素早く大胆に描いたと思われる自画像
野見山曉治(1920- ) 《自画像》1947(昭和22)年頃 27歳頃
暗く沈んだ色調のなか、陰鬱な目をした27歳頃の自画像。
中村正義(1924-1977) 《自画像》1953(昭和28)年 29歳
日展の特選を重ね、頭角を現してきた時期に
鉛筆で描かれた自画像。真っ直ぐにこちらを見る目が
何かの決意を秘めているよう。
この後、蛍光塗料などを使った前衛的でポップな画風に
なっていくんですね。
鴨居玲(1928-1985) 《夜(自画像)》1947(昭和22)年 19歳
暗いドロドロした中に、片目の強い光が迫力
岸田衿子(1929-2011) 《自画像》1952(昭和27)年 23歳
戦後の昭和21(1946)年に初めて女性の入学生を迎えた東京美術学校。 岸田は東京藝術大学発足に伴い、東京美術学校が廃止された昭和27年に卒業を迎えた。
岸田衿子さん、東京芸大卒業なんですね。病気のため画家を諦め詩人となったと。
卒業制作の、さわやかさを感じる自画像。
絹谷幸二(1943- ) 《自画像》1966(昭和41)年 23歳
東京藝術大学卒業制作の自画像。だけど、
自画像買上げが中断されていた時期なので、これは個人蔵。
ちょっと斜に構えたような自画像。
隣の展示室では、
愛知県立起工業高校デザイン科生徒制作の自画像作品約120点が
展示されていました。迫力です。(この部屋は撮影可)
1階の常設展示室には、入って正面のいつもの場所に
三岸節子の自画像がありました。
三岸節子(1905-1999) 《自画像》1925(大正14)年 20歳
紅い着物を着た可愛らしい自画像。
着物の衿合わせが逆になっているのは、鏡に映して描いたためだと。
春陽会第3回展入選作。
三岸節子の画壇へのデビュー作であり、春陽会では初めての女性の入選作。
師の岡田三郎助が三岸節子を描いた
《三岸節子肖像》1923(大正12)年 があって興味深かったです。
1階ロビーでは、
三岸節子の生涯がわかりやすい絵本で紹介されている
「三岸節子ものがたり」一宮市三岸節子記念美術館発行
原画が展示されていました。
200円だけど、中学生以下の来館者は無料でもらえるそう!!
そして、美術館のキャラクター「せっちゃん」の
A案とB案も展示されていました。A案に決まるのはわかるけど、
B案も私、素朴で好きだなー。
展覧会の図録が素晴らしい。
A4のハードカバーのしっかりした作り。
上段 五姓田義松 佐伯祐三 黒田清輝
中断 靉光 甲斐仁代
下段 三岸好太郎 三岸節子 宮脇晴
見開きの左ページに画家のプロフィール、
右ページに自画像が載ってます。2,000円(税込)
岸田衿子のページ
‥‥はー、ダラダラと長く書いちゃいました。
はじめは印象に残った自画像の感想だけのつもりだったんですが、
図録見ていくと、あ、これも良かった、こっちも良かった‥‥って、
続々と増えていって、まぁここまで書いたなら全部をと。
知らなかった画家について知ることができて、
(時間かかりましたが)良かったです。
読んでくださった方、お疲れ様でした。
タグ:一宮市三岸節子記念美術館 自画像
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