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パラミタミュージアム「吉田博展」 [美術]

4月6日(火)、三重県菰野町のパラミタミュージアムへ行きました。
「ダイアナ妃が愛した色彩版画
 没後70年
 吉田博 展」をやっています。
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 パラミタミュージアムでは2018年「浮世絵モダーン」と銘うち、明治時代後期から昭和前期にかけて浮世絵の復興をめざした新版画の作家たちを紹介しました。今回はその中でも特に好評を得た吉田博の作品を一挙に公開します。
(チラシ裏面の文)
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 吉田博は1876年福岡県久留米市に生まれ、京都で洋画を学んだ後、東京で小山正太郎に師事し、明治美術会の会員となりました。1899年(明治32)23歳で渡米し、デトロイト、ボストン両美術館で展覧会を開催して好評を博し、ヨーロッパではパリ万博で作品を展示し褒状を受けて居ます。その後、油彩、水彩画家として文展、帝国美術院展覧会などでも審査員を務めるなど、洋画会の第一人者として認められていきました。
 吉田博が新版画の版元渡邊庄三郎と出会い風景版画に傾注していくのは40代になってからの事です。量産が前提であった浮世絵版画とは一線を画した新版画は、芸術作品としての完成度を求め、吉田の作品は微妙な色彩表現を目指して、一つの作品に数十回もの刷りを重ねるという徹底したものでした。  作品は国内外で高い評価を受け、後に故ダイアナ妃にも愛されたことで知られています。
 没後70年の節目に開催する本展では、版画180点とともに、初公開の版木や写生帖も展示します。
 吉田博の芳醇で爽やかな色彩版画の世界をお楽しみください。




私が吉田博を初めて知ったのは、2015年の
岐阜県美術館「日韓近代美術家のまなざし」展 でした。
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2015-07-23
多くの「朝鮮」を描いた作品の中に、
吉田博の版画《大同門》があって、
穏やかな風景がとても心に残りました。

2016~17年に「生誕140年 吉田博 展」が、
サントミューゼ上田市立美術館や、
https://www.santomyuze.com/museum/
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
(現・SOMPO美術館)
https://www.sompo-museum.org/
他を巡回するって知って、行きたかったけど行きそびれてしまった(T.T)
‥‥で、今回は逃すまいと。

パラミタミュージアムには1度だけ行ったことがあります。
感想が書けてないけど、2018年9月25日(火)に
「英国自動人形展」を見に行きました。
ナビもETCも付いていない前の車だったので、迷って苦労した。
近鉄湯の山線「大羽根園駅」から近いことを知って、
電車の方が確実だったかな? と、ちょっと後悔したんだけど、
今回、ナビとETCがあることで、やっぱり所要時間が倍違うので、
(Google Mapsで、車だと1時間15分、電車だと2時間22分と出た。
ま、私は車だと途中で休んだりするのでもう少しかかりますけど)
車で再チャレンジしました。やはりナビは頼りになる!
ちゃんと(?)11時頃に出て12時45分頃に着くことができました。
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手の消毒と検温をして(もちろんマスク着用)
入館料1,000円を払って入ります。

まずは1階の第1展示室の常設展から見ましたが、
それは次の記事で書くとして、2階の企画展示室で開催されていた
没後70年 吉田博展」のことを

展示室へ入って、まず展示台に置かれていた
写生帖に驚きました。すごく精緻に描き込まれています。
現在170冊ほどが確認されていると!
これらのスケッチが作画のもとになったと考えられるが、
版画と構図が一致するものが稀だそうで、
版下絵の完成までに熟考を重ねたのであろうと。


プロローグ

今回の展覧会は、吉田博の木版画にスポットを当てた展示ですが、
吉田が木版画を始めたのは49歳。
それ以前の油彩画の作品として、

《ヴェニスの運河》明治39(1906)年
(後で知りましたが、これはパラミタミュージアムでの特別出品だそう)
夏目漱石が小説『三四郎』の中で、

長い間外国を旅行して歩いた兄妹の画が沢山ある。(中略)美禰子はその一枚の前に留まった。
「ヴェニスでしょう」
これは三四郎にも解った。


と描写している絵ではないかと。
14歳で画才を認められて吉田家の養子となった博は、
義妹吉田ふじをと共にアメリカをはじめヨーロッパなどを
3年以上にわたり(明治36年12月~明治40年2月)旅行したあと、
結婚しています。

大正期の油彩《穂高山》
吉田博はこの時代には珍しく、本格的な登山を楽しんでいるそうで、
登山家ならではの景色を描いています。

山好きが昂じて長男を「白山」と名付けようとして断念したが、
大正15(1926)年生まれの次男には「穂高」と名付けているそう。

そして、吉田博初の木版画《明治神宮の神苑》大正9(1920)年
版元・渡邊庄三郎が博に下絵を依頼し、明治天皇の御詠を賛として
版行した、明治神宮の完成を記念する、募金者への配り物。

掛け軸に仕立てられているってこともあるけど、
これ以外の木版画とは全く違って、なんか古臭いって印象。

パラミタでは作品番号6,7、渡邊版の《牧場の午後》《馬返し》は
展示されていませんでした。


第1章 それはアメリカから始まった

大正12(1923)年9月の関東大震災で、版元・渡邊庄三郎のもとで
手がけた木版画の版木は焼け、作品の大半も灰になってしまいます。
博は被災した太平洋画会の仲間を救うため、三度目の渡米をしますが、
画友たちの油絵はほとんど売れず、好評だったのは
渡邉から託された焼け残りの木版画だったことで、
博は自らが版元となって木版画を制作しようと決意します。

彫師と摺師を雇って私家版での版行に乗り出したのは、
大正14(1925)年、博49歳のことでした。

最初の作品が《ホノルル水族館》
‥‥正直私には、これちょっとうーんってカンジではありましたが、

続く米国シリーズの《グランドキャニオン》や《ナイヤガラ瀑布》など、
名所の雄大な風景はさすが素晴らしい。
キャプションに写真が添えられてましたが、
驚くほど正確に風景を描いていることがわかります。
世界各地の観光名所の写真がカラーで手軽に見られる現代と違い、
この時代にこれらの風景画を描くのは、
「絵の鬼」「早描きの天才」と言われた博の画力と
170冊ほどにも及ぶ写生帖の精緻なスケッチという
努力があったんだろうなと思われます。

欧州シリーズでは山好きの博らしく、
スイスの《ユングフラウ山》や、《マタホルン山》、
アテネ・アクロポリスの遺跡を描いた《アゼンスの古城》は、
夜の風景もありますが、同じ版を用いているのに、全く違う印象!
昼の陽光に照らされた遺跡も素敵だし、
夜の闇の中の遺跡と遠景の街の明かりが素敵!
エジプトの《スフィンクス》にも昼と夜があります。


第2章 奇跡の1926年

博の20年にわたる版業で最も多い41点もの作品が制作された
大正15(1926)年

図録の表紙にも使われている《劔山の朝》など、
登山家ならではの「日本アルプス十二題」シリーズ

故ダイアナ元英国皇太子妃が執務室の壁にかけていたという《光る海》や、

同じ版木を用い、摺色を替えることで刻々と変化する大気や光を表した
《帆船》シリーズ
穏やかな海の揺らめきが素敵。
印象派モネの連作も思い出されますね。


第3章 特大版への挑戦

版画でこんなに大きな作品を刷るのは大変なんだそう。
版木と紙の収縮率の違いにずいぶん苦労したと。

さすがの迫力です。《雲井櫻》いいなぁ!!!

《渓流》は、大きな画面なのに、水の流れが驚くほど細かく
描写されています。渦巻く水の描写がすごい!
この水の流れ、博自身が彫り、根を詰めたせいで
歯を痛めてしまったのだとか。

富士山を描いた特大版《冨士拾景 朝日》の版木が
展示されていたのも興味深かった。


第4章 富士を描く

山好きの吉田博ですから、日本を代表する富士山も
特大版を含め多く描いています。

《山中湖》や《三保》のようないかにもフジヤマって作品から、
《富士拾景 馬返し》や《富士拾景 山頂劔ヶ峯》って、
登山家ならではの風景も。
北斎に挑戦しようって意気込みもあったのか?


第5章 東京を描く

《東京拾二題 亀井戸》 広重にも同じような構図の浮世絵が
ありますが、これは水の揺らめきや空気感が素敵!
88回もの刷りを重ねているんだそう!!

《東京拾二題 中里之雪》モノクロ(?)の雪景色が
吉田博の木版画としては異色だけど、降り積もる雪の
冷たさが伝わってくるよう。

《上野公園》桜と五重塔、和装の女性が
いかにも“日本”ってカンジでとても華やか!


第6章 親密な景色/人や花鳥へのまなざし

風景画家、版画家ってイメージの吉田博だけど、
『動物園』シリーズの《きぱたん あうむ》や、
次男穂高を描いた《こども》
スケッチをする長男遠志と妻、次男を描いた《池の鯉》
などもあって微笑ましい。


第7章 日本各地の風景Ⅰ 1926-1930

やっぱり地元が描かれていると嬉しい!
《木曽川》夕陽に沈む犬山城、いいなぁ!!
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これ、犬山橋を渡る名鉄電車の車窓から見る風景と同じ角度
昭和2(1927)年だと‥‥Wikiによると犬山橋ができたのは
1925年11月ってことなので、完成したばかりの犬山橋から描いてる?
今は犬山城の下にホテルなどが立ち並んでるし、
濃尾用水の取水用の可動堰でもあるライン大橋ができて
木曽川の水位が上がってるし、犬山橋はツインブリッジとなって
(以前は名鉄電車と車が同じ橋を渡ってたんだけど、道路橋が犬山城側にできた)
電車の車窓からはこんなに川が見えない‥‥なんて見るのも、
この風景、穏やかで情緒が感じられるけど、
とても写実的に描かれているからなんですよね。


第8章 印度と東南アジア 1931-1932

昭和5(1930)年11月、博は19歳になった長男遠志をともない4度目の外遊へ。
目的地はインド。写生に明け暮れ、翌年昭和6(1931)年3月に帰国。
すぐさま木版画制作にかかり、翌年にかけて32点からなる
シリーズ『印度と東南アジア』を完成させます。

このシリーズ、私すごく好き!!
チラシ表面に使われている《フワテプールシクリ》
イスラム文様で飾られた窓から差し込む光がキラキラと輝いているよう!

インドの代表的な観光名所タージ・マハルを描いたものが
いくつかありました。今は本やネットで簡単に見ることができるけど、
この時代の日本人には驚きだったろうなぁ。

《タジマハルの庭》の金色に輝くような霊廟の美しさ!!
同じ版で《タジマハルの庭 夜》もあって、
闇の中に浮かぶ霊廟の荘厳な雰囲気が伝わってきます。
博はタージ・マハルのあるアーグラで満月を迎えられるように
旅行の計画を立てたのだとか。
なので、《月光のタジマハル》や《タジマハルの夜 第六》
などの夜の作品もありますし、
《タジマハルの夜 第六》と同じ版を用いた
霧の中で朝日に輝く《タジマハルの朝霧 第五》もあります。
タージ・マハルの全景を描いた《アグラ郊外 第三》は、
私も、タージ・マハルってこうなってるんだなんて
興味深かった。行きたくなってしまった(^^)

他もエキゾチックですごく素敵!
《ヴィクトリヤ メモリヤル》は水の揺らめきがすごい!
動かない絵なのに、揺らめいているように見える。

《ベナレスのガット》は、建物や階段が光り輝いている!!


第9章 日本各地の風景Ⅱ 1933-1935

『関西』と『櫻八題』シリーズを中心とした日本各地の風景

《金閣》が金色に輝いていないのが意外だった。
焼失する前はあまり輝いていなかった? 2階に観光客らしい人が
描かれているのも興味深い。
図録で「色調はむしろ渋く、観光地の絵葉書的なイメージを意図的に避けたかと想像される」と指摘されてた。

日本らしい桜の景色もしっとりと華やかで素敵!
《弘前城》は、よくこんな複雑な角度で描こうとしたなぁって
感心してしまった。桜のバックに城、すごくいい!


第10章 外地/大陸を描く 1937-1940

昭和11(1936)年、博は5度目の渡航として、当時日本の占領下にあった
朝鮮と中国を訪れています。

私が岐阜県美術館「日韓近代美術家のまなざし」展 で見た
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2015-07-23
《大同門》もありました。遠くにそびえる大同門の威容、
川で洗濯をする人々の風俗も描かれていて、
穏やかな詩情が感じられます。


第11章 日本各地の風景Ⅲ 1937-1941

96度もの刷りを重ねたという《陽明門》
建物の複雑な構造や装飾が立体的に浮かび上がってくるようです。

博は従軍画家として昭和13年、14年、15年の三度にわたり中国に赴き、
油彩画や水彩画で発表しているが、木版画の制作からは次第に遠ざかり、
昭和16(1941)年、《新月》を最後に木版画の制作は途絶えます。


エピローグ

戦後、以前からアメリカで人気の高かった吉田博の木版画は、
進駐軍関係者の注目するところとなり、
彼らは英語を話せる画家夫婦のいる下落合の洋館をしばしば訪れ、
サロンのようになっていたとか。

しかし、戦後に吉田博が発表した版画は
昭和21(1946)年の《農家》のみ。
‥‥なんかジミな作品、みたいに見ちゃいました。
世界各地を旅行して写生して木版画を制作した人が、
最後に制作したのは、鄙びた農家の暗い土間の絵。
戸外の光あふれる新緑(だと思う)とカマドの火がなんかしみじみします。


この展覧会良かった。吉田博の木版画、すごく私の好み!!
日本はもとより、世界各地の美しい風景を
数十回もの刷りを重ねた繊細な色と、
詩情あふれる画面で楽しみました。


さすがに疲れたので、
1階のサロンで、自販機のドリンクで休憩。
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壁のモニタで、吉田博の生涯を講談調に解説した映像が
流れてましたが、これが痛快で面白かった!
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故ダイアナ元英国皇太子妃が執務室の壁にかけていたのは、
左が《猿澤池》、右が《光る海》
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吉田博、「黒田清輝を殴った男」って言われているそうですね。
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もちろん図録買いました。2,200円(税込)
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そして、摺色を替えることで午前・午後・夕・夜と
変化する風景を描いた《帆船》シリーズが
マスクケースになっていたので買っちゃいました。440円(税込)
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この展覧会、
河口湖美術館で、2019年10月26日(土)~12月22日(日)
http://www.fkchannel.jp/kgmuse/ 
福岡県立美術館で、2020年10月16日(金)~12月13日(日)
https://fukuoka-kenbi.jp/exhibition/2020/kenbi11302.html/ 
京都高島屋で、2021年1月5日(火)~1月18日(月)
https://www.takashimaya.co.jp/kyoto 
東京都美術館で、2021年1月26日(火)~3月28日(日)
https://www.tobikan.jp
と巡回してきて、ここ
パラミタミュージアムで、2021年4月1日(木)~5月30日(日)
https://www.paramitamuseum.com/
と開催された後、
静岡市美術館で、2021年6月19日(土)~8月29日(日) に開催予定
https://shizubi.jp/
‥‥と、図録には書いてありますが、

MOA美術館で、2020年5月22日(金)~7月6日(月) に開催されてた
みたいですね。ただMOA美術館のHPによると
木版画約80点ということですので、規模はだいぶ小さかったのかな?
http://www.moaart.or.jp/events/yoshidahiroshi/

没後70年 吉田博展の公式サイトによると、その頃に
川越市立美術館で開催予定だったのが、見合わせになってました。
それぞれの会場によって、展示されない作品もあるみたい。
パラミタでは版画180点の展示とのことで、
図録に載ってて展示されていない作品が14点あったけど、
充分堪能できました。


パラミタミュージアム: https://www.paramitamuseum.com/
没後70年 吉田博展 公式サイト: https://yoshida-exhn.jp/
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gillman

以前、損保ジャパン美術館で開かれた吉田博展も見ましたが、今回のはそれに劣らず充実していましたね。吉田博、小原古邨、川瀬巴水と新版画の世界は興味が尽きないです。
by gillman (2021-04-22 10:51) 

しーちゃん

gillman さん、nice! とコメントありがとうございます。私は2016-17年に開催された吉田博展を見逃してしまったので、今回の巡回は見逃すまいと。これが木版画?!って驚くような繊細な色と詩情、とても良かったです。
by しーちゃん (2021-04-29 15:01) 

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