愛知県美術館「ミニマル/コンセプチュアル」 [美術]
2月1日(火)、愛知県美術館へ行きました。
「ミニマル/コンセプチュアル
ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術」
という展覧会をやっています。
ミニマル・アートという言葉は、作家の個性を示すような表現性を捨て去り、幾何学的で単純なかたちの絵画や彫刻を制作した、1960年代アメリカの新しい美術動向の呼称として広まりました。その代表的な作家であるカール・アンドレとダン・フレイヴィンは、自ら手を動かすことをやめ、工業的に生産された金属の板やブロック、既製の蛍光灯などを用いて作品を制作しました。そうした状況のなかで、ソル・ルウィットは物理的な作品よりも、その構成の規則となるコンセプトこそが重要であるとして、コンセプチュアル・アートへの道を開きます。
(チラシ裏面より)
この展覧会は2022年1月22日(土)から始まったんですが、
2021年12月11日に、愛知県美術館友の会が事前学習として
「河原温とコンセプチュアル・アート」と題する
黒田和士学芸員が解説する講座を開催したんです。
その動画が会員限定で配信されてきたので見たんですが、
とても興味深かった! なんかよくわからないと思っていた
コンセプチュアル・アートのこと、
ちょっと理解できたような気がしました。
(配信、いいですね! 途中で止めたり、何度も見たりできて。
これ、リアルで受講したら、私、途中で忍耐力が切れてたと思う)
愛知県美術館、ミニマルアートやコンセプチュアルアートの作品は
あまり所蔵していないので、このあたりの展覧会は
あまり開催していなかったそう。
このあたりのコレクションが充実しているのは豊田市美術館
(そうそう、私もこの展覧会、なんか豊田市美術館みたいって思った)
この間も、豊田市美術館のコレクション展「絶対現在」で、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2022-01-12
河原温の作品がずらっと展示されていて壮観でした。
(《Today》シリーズ1971年の5月1日~31日までの1ヶ月分が並んでた)
この「ミニマル/コンセプチュアル」展で展示されていた
河原温の作品は、名古屋市美術館の所蔵でした。
《Today》シリーズ《MAY29,1971》と《One Million Years: Future》は、
名古屋市美術館も豊田市美術館も所蔵しているんですね。
河原温は、愛知県刈谷市出身なので、いわば郷土の画家ってことで、
名古屋市美術館や豊田市美術館にも多くの作品が所蔵されているけど、
なぜか愛知県美術館にはコレクションが無いとのこと。
あいちトリエンナーレなど見ててもわかるけど、
現代アートって、絵なんてほとんど無いですよね。
コンセプチュアル・アートとは――
1960-70年代に起こった美術の動向で、
それまでの美術とは、作品という物質のあり方が重要であったが、
コンセプチュアル・アートでは、
コンセプト=概念こそが重要で、物質のあり方は取るに足らないもの
ってことで、自分の手で制作したかどうかは重要でない。
例えば、この展覧会で展示されている
ソル・ルウィット《隠された立方体のための提案》
紙にボールペンで書いたメモみたいなものでしたが、
彼がやったのはこれを書くところまで。
フィッシャー・ギャラリーに展示された立方体の作品は、
誰かわからない、ギャラリーが依頼した業者によって
設置されたんだとか。
豊田市美術館コレクション展「作っているのは誰?」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-02-02
で、作家が作品を制作していないってことに驚いたんですが、
(作品は作家の個性を表現するものみたいな認識だったので)
なるほど、あそこに展示されていたのは
コンセプチュアル・アートだったんですね。
コンセプチュアル・アートの前史
コンセプチュアル・アートは、
1950年代にアメリカで展開した絵画の動向・抽象表現主義の
反動であるって説明されていたのも興味深かった。
例えば、愛知県美術館所蔵の
サム・フランシス《消失に向かう地点の青》1958年
この作品を描いてみてって言われても、マネできない
なぜなら、これは作家固有の表現だから。でも、
河原温の《Today》シリーズなら、ちょっと練習すれば
誰でも描けそうだと。
抽象表現主義
…絵画の自立性の重視(≠文学)
→(1) 何かを指し示さない抽象性
→(2)絵画ないしアートの存在を所与のものと考える
…(3)身振りの痕跡など、作家固有の表現の重視
コンセプチュアル・アートの特徴
(1)コンセプト=言葉の重視
(2)アートとは何か、という自己検証の視点
(3)第三者の介在=作家固有の表現の否定
と、真逆なのだと。
コンセプチュアル・アートの先駆とされるのが、
有名なマルセル・デュシャンの《泉》1917年
リチャード・マットの偽名で、ニューヨーク・アンデパンダン展に提出
無審査であるはずの同展から出品を拒否される。
なぜなら、普通に売っている男性用小便器を横に倒して、
"R.Mutt 1917"というサインを入れただけのものだったから。
このことに対して、
『ザ・ブラインドマン』第2号 1917年5月 に批評が載る
マット氏が自分の手で『泉』を制作したかどうかは重要ではない。 彼はそれを選んだのだ。彼は日用品を選び、それを新しい主題と観点のもと、その有用性が消失するようにした。そのオブジェについての新しい思考を創造したのだ。
この批評を書いたのは、デュシャン本人で、
コンセプチュアル・アートの特徴をよく表している
→(1)「思考」(=コンセプト)こそが重要である
→(2)展覧会と批評という制度が、それがアートであるか否かを規定
→(3)自分の手で制作したかは重要でない
現代アートの出発点ともされる作品ですが、
実は発表した当時はそれほど話題にはならなかったそう。
60年代のコンセプチュアル・アーティストたちに発見されて、
評価されるようになったとのこと。
さて、「ミニマル/コンセプチュアル」展のことを
副題に「ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術」
ってついてますが、
ドロテ&コンラート・フィッシャー夫妻は、1967年にデュッセルドルフにギャラリーを開き、同時代の国際的な動向をいち早く紹介しました。本展では、ノルトライン゠ヴェストファーレン州立美術館の全面的な協力のもと、フィッシャー・ギャラリーが保管していた貴重な作品や資料、ならびに日本国内に所蔵される主要な作品を通じて、全18作家の活動から1960-70年代のミニマル・アートとコンセプチュアル・アートを振り返ります。(チラシ裏面より)
デュッセルドルフの小さなギャラリー
(展覧会場にギャラリーが再現されてましたが、本当に小さなスペースです)
ここが、最先端のアートの発信源になってたなんて!
2月1日(火)は、名古屋へ行く用事があって、
ついでに愛知県美術館も見て来ようって思ってはいたけど、
美術館へ着いたのは3時半過ぎ。愛知県美術館は6時まで
やっててくれるので、私にはありがたいです。
今回、いつも企画展の入口になっている方が
コレクション展の入口になっていて、
「ミニマル/コンセプチュアル」展は、
いつもコレクション展が展示されている展示室4から。
写真は撮れましたが、SNS等には上げないでってことでした。
(なので、あまり撮らなかったので、ブログ書こうとして、
よく覚えてない作品が多い(^^;
1 工業製品と市販製品
まずは、チラシ等のメインビジュアルにもなっている
カール・アンドレ(1935- )
《雲と結晶/鉛、身体、悲嘆、歌》1996年
鉛のキューブが、1組は、12×12個で並べられていて、
もう1組は、床にバラバラに置かれています。
これ素敵。「雲と結晶」ってタイトルもいいなって見た。
その奥に仕切られたコーナーにあったのが、
ダン・フレイヴィン(1933-1996)
《無題(タトリンのためのモニュメント)》1967-70年
長さの違う蛍光管が並んでいます。
人の形のようだなと。
展示室5には、
2 規則と連続性
ソル・ルウイット(1928-2007)
《ストラクチャー(正方形として1、2、3、4、5)》1978-80年
立方体の枠が1×1、2×2、3×3、4×4、5×5と並んでいます。
この立方体の枠、ルウィットが作ったんじゃなくて指示しただけなんですね。
んーー、なんか、ありがち? みたいに見ちゃうんだけど‥‥
ベルント・ベッヒャー(1931-2007)&
ヒラ・ベッヒャー(1934-2015)
石炭庫や送電塔の写真‥‥工場萌え?
こういう産業構造物って見てて飽きないけどー
3 数と時間
ハンネ・ダルボーフェン(1941-2009)
なんかメモみたいな数字?を書いた紙が並んでいます。
日付を出発点とする計算による作品ってことなんですが‥‥???
河原温(1932-2014)
配信されてきた友の会の講座で
黒田和士学芸員が解説されたのが興味深かった。
《Today》シリーズ (1966-2013)
…当日の午前0時から翌日の午前0時までに制作される
…表記は制作場所の公用語による
…当日に現地の新聞が入手できた場合は付属の箱に添付する(1967-)
…キャンバスは額なしで、縁までモノクロームで彩色される
…サイズは概ね8種類(縦20.5cm~155cm)
…文字は活字を模した形式で、白で描かれる
絵画ではあるが、
表面に筆触が全く残っていないし、活字を忠実に再現しているなど、
作家固有の表現性を徹底的に排除している。
彼が撮影した制作の記録写真が紹介されていましたが、
制作というより作業。時計も一緒に写っているので、
制作するのに結構時間かかってるなって。
これをほぼ毎日やっていたってのは、ある意味すごいなー。
《I Got Up》シリーズ(1968-1979)
・1968~1979年のあいだ、毎日2人の知人に送った観光客用の絵葉書
・絵葉書には、河原が当日に滞在した都市の風景の写真
・「I GOT UP AT ~」(私は~時の起きた)という文言で
起床時間がゴム印で記載される
コンラート・フィッシャーに宛てた絵葉書120枚が展示されていました。
起床時間という、極めてプライベートな情報が記されているのに、
自筆ではなくゴム印で記載されているので、
河原温がどういう人なのか、全く伝わってこない。
《I Am Still Alive》シリーズ(1970-2000)
コンラート・フィッシャーに宛てた電報6枚が展示されていました。
「I AM STILL ALIVE」(私はまだ生きている)というメッセージ
なんだけど、電報なので、河原が書いているわけではない。
電報は、亡くなったことを知らせるために使われることも多く
「まだ生きている」とあっても、本当に生きているのかわからない。
1965年頃以降、河原は公式なインタビューに応じず、
肖像写真も提供していない。
自らを抽象的な存在として位置づけ続けたとのこと。
4 「絵画」の探求
ロバート・ライマン(1930-2019)
白い絵? というか、白いパネルが並んでいるという‥‥?
ゲルハルト・リヒター(1932- )
《エリザベート(CR107-6)》
この展覧会の中にあると、この作品だけ「絵」っぽく見えたりして(^▽^)
いろんなスタイルの作品を制作している作家ですよね。
プリンキー・パレルモ(1943-1977)
昨年4月に豊田市美術館で開催された「ボイス+パレルモ」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-04-29
パレルモのシンプルさ、結構好きかも‥‥って。
5 場への介入
ダニエル・ビュレン(1938- )
豊田市美術館のテラスにある
《色の浮遊│3つの破裂した小屋》の作家ですね。
豊田市美術館のコレクション展でストライプの作品も見たことあります。
この展覧会にも、豊田市美術館が所蔵する
《定まらないフォルムの絵画》1966 が来てました。
リチャード・アートシュワーガー(1923-2013)
壁にモフモフした黒いものや鏡みたいなのがぶら下がっているんですが‥‥
《ロケーションズ》って6点組のは愛知県美術館の所蔵なんですか?!
展示室の中に、フィッシャー・ギャラリーが再現されていて(狭い!)
リチャード・ロング(1945- )
《コンラート・フィッシャーのための彫刻》1968年
が、展示されていました。柳の枝をずらっと並べています。
並べ方が平行でないのか、それともこのスペースが完全な長方形でないのか、
パースがついているように見えるのが面白い。
6 枠組みへの問いかけ
マルセル・ブロータース(1924-1976)
2台のスライド映写機が絵(?)の上に映し出しているのは、
「M.B」というマルセルブロータースの署名?
《署名はどこにある(署名の理論)》1971年
ローター・バウムガルテン(1944-2018)
‥‥えっと、作品よく覚えてない(^^;
7 歩くこと
再現されたフィッシャー・ギャラリーに展示されていた
《コンラート・フィッシャーのための彫刻》1968年 の作家、
リチャード・ロング(1945- )の
《歩行による線》1967年
草地に歩くことでできた一本の線
多くの人が歩くことで自然にできた一本の道はあるけど、
これは作家が繰り返し歩くことでできたわけか‥‥ふーん。
スタンリー・ブラウン(1935-2017)
この作家の作品は写真撮影も禁止でした。
足跡がついた紙が展示されてたり、
カードキャビネットに1本の線が引かれただけのカードが
たくさんファイルされてたり‥‥??
8 知覚
ヤン・ディベッツ(1941- )
《正方形の遠近法の修正/大きい正方形》1968年
草地に白い紐が「写真画面上で正方形に見える」ように張られています。
ってことは、実際には正方形に張られているわけではないんですよね。
遠近法を逆手にとった作品、面白いなって。
ブルース・ナウマン(1941- )の作品は、8 知覚にも、
9 芸術と日常にも分類(?)されてました。
9 芸術と日常
ブルース・ナウマン
《コンラート・フィッシャーのための音に関する6つの問題(#122)》1968年
オープンテープレコーダーのテープが、少し離れた椅子に取り付けられた
鉛筆まで伸びて回っています。足音のような耳障りな音が
響いているんですけど‥‥
ギルバート&ジョージ
ジョージ・パサモア(1942- )
ギルバート・ブロッシュ(1943- )
展示室8に、多くの作品(?)が並んでいるんですけど、
正直あまり見てない‥‥
「イギリスのギルバート&ジョージは、自らを生きた彫刻とみなし、彼らの日常それ自体がアートであると考えました。」‥‥うーん??
やっぱり、よくわからないなー
カール・アンドレの立方体とか、ダン・フレイヴィンの蛍光管、
フィッシャー・ギャラリーの展示を再現したリチャード・ロング
なんかは、わーキレイとか見たけど、この展覧会、
(私が思う)作品というより資料っぽいのが多くて
(そこが「コンセプチュアル」なんだろうけど)
ジミ‥‥!! 途中で疲れてきちゃった。
でもまぁ、あいちトリエンナーレ(今年からは
国際芸術祭「あいち2022」って名称になったんですって?)
とか見てると、今の現代美術って
こういう流れを汲んでるんだろうなーって思えるのは確かです。
出品リストの作家解説に付けられてたイラスト(アイコン)が
すごくいい!!
なんかダラダラと書いてしまいました。私の覚書です。
展覧会の写真もアップできないので(できても映えしないけど)
文字ばかりで読みづらいですね。
読んでくださった方がいらしたら、
ありがとうございます。お疲れ様でした(私も疲れたー(^^;>
愛知県美術館: https://www-art.aac.pref.aichi.jp/
「ミニマル/コンセプチュアル」展のページ:
https://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/000341.html
愛知県美術館友の会: https://apmoa-tomo.com/
この展覧会、
DIC川村記念美術館で、2021年10月9日(土)~2022年1月10日(月・祝)
まで開催された後、ここ
愛知県美術館で、2022年1月22日(土)~3月13日(日)の開催の後、
兵庫県立美術館で、2022年3月26日(土)~5月29日(日)に開催されます。
「ミニマル/コンセプチュアル
ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術」
という展覧会をやっています。
ミニマル・アートという言葉は、作家の個性を示すような表現性を捨て去り、幾何学的で単純なかたちの絵画や彫刻を制作した、1960年代アメリカの新しい美術動向の呼称として広まりました。その代表的な作家であるカール・アンドレとダン・フレイヴィンは、自ら手を動かすことをやめ、工業的に生産された金属の板やブロック、既製の蛍光灯などを用いて作品を制作しました。そうした状況のなかで、ソル・ルウィットは物理的な作品よりも、その構成の規則となるコンセプトこそが重要であるとして、コンセプチュアル・アートへの道を開きます。
(チラシ裏面より)
この展覧会は2022年1月22日(土)から始まったんですが、
2021年12月11日に、愛知県美術館友の会が事前学習として
「河原温とコンセプチュアル・アート」と題する
黒田和士学芸員が解説する講座を開催したんです。
その動画が会員限定で配信されてきたので見たんですが、
とても興味深かった! なんかよくわからないと思っていた
コンセプチュアル・アートのこと、
ちょっと理解できたような気がしました。
(配信、いいですね! 途中で止めたり、何度も見たりできて。
これ、リアルで受講したら、私、途中で忍耐力が切れてたと思う)
愛知県美術館、ミニマルアートやコンセプチュアルアートの作品は
あまり所蔵していないので、このあたりの展覧会は
あまり開催していなかったそう。
このあたりのコレクションが充実しているのは豊田市美術館
(そうそう、私もこの展覧会、なんか豊田市美術館みたいって思った)
この間も、豊田市美術館のコレクション展「絶対現在」で、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2022-01-12
河原温の作品がずらっと展示されていて壮観でした。
(《Today》シリーズ1971年の5月1日~31日までの1ヶ月分が並んでた)
この「ミニマル/コンセプチュアル」展で展示されていた
河原温の作品は、名古屋市美術館の所蔵でした。
《Today》シリーズ《MAY29,1971》と《One Million Years: Future》は、
名古屋市美術館も豊田市美術館も所蔵しているんですね。
河原温は、愛知県刈谷市出身なので、いわば郷土の画家ってことで、
名古屋市美術館や豊田市美術館にも多くの作品が所蔵されているけど、
なぜか愛知県美術館にはコレクションが無いとのこと。
あいちトリエンナーレなど見ててもわかるけど、
現代アートって、絵なんてほとんど無いですよね。
コンセプチュアル・アートとは――
1960-70年代に起こった美術の動向で、
それまでの美術とは、作品という物質のあり方が重要であったが、
コンセプチュアル・アートでは、
コンセプト=概念こそが重要で、物質のあり方は取るに足らないもの
ってことで、自分の手で制作したかどうかは重要でない。
例えば、この展覧会で展示されている
ソル・ルウィット《隠された立方体のための提案》
紙にボールペンで書いたメモみたいなものでしたが、
彼がやったのはこれを書くところまで。
フィッシャー・ギャラリーに展示された立方体の作品は、
誰かわからない、ギャラリーが依頼した業者によって
設置されたんだとか。
豊田市美術館コレクション展「作っているのは誰?」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-02-02
で、作家が作品を制作していないってことに驚いたんですが、
(作品は作家の個性を表現するものみたいな認識だったので)
なるほど、あそこに展示されていたのは
コンセプチュアル・アートだったんですね。
コンセプチュアル・アートの前史
コンセプチュアル・アートは、
1950年代にアメリカで展開した絵画の動向・抽象表現主義の
反動であるって説明されていたのも興味深かった。
例えば、愛知県美術館所蔵の
サム・フランシス《消失に向かう地点の青》1958年
この作品を描いてみてって言われても、マネできない
なぜなら、これは作家固有の表現だから。でも、
河原温の《Today》シリーズなら、ちょっと練習すれば
誰でも描けそうだと。
抽象表現主義
…絵画の自立性の重視(≠文学)
→(1) 何かを指し示さない抽象性
→(2)絵画ないしアートの存在を所与のものと考える
…(3)身振りの痕跡など、作家固有の表現の重視
コンセプチュアル・アートの特徴
(1)コンセプト=言葉の重視
(2)アートとは何か、という自己検証の視点
(3)第三者の介在=作家固有の表現の否定
と、真逆なのだと。
コンセプチュアル・アートの先駆とされるのが、
有名なマルセル・デュシャンの《泉》1917年
リチャード・マットの偽名で、ニューヨーク・アンデパンダン展に提出
無審査であるはずの同展から出品を拒否される。
なぜなら、普通に売っている男性用小便器を横に倒して、
"R.Mutt 1917"というサインを入れただけのものだったから。
このことに対して、
『ザ・ブラインドマン』第2号 1917年5月 に批評が載る
マット氏が自分の手で『泉』を制作したかどうかは重要ではない。 彼はそれを選んだのだ。彼は日用品を選び、それを新しい主題と観点のもと、その有用性が消失するようにした。そのオブジェについての新しい思考を創造したのだ。
この批評を書いたのは、デュシャン本人で、
コンセプチュアル・アートの特徴をよく表している
→(1)「思考」(=コンセプト)こそが重要である
→(2)展覧会と批評という制度が、それがアートであるか否かを規定
→(3)自分の手で制作したかは重要でない
現代アートの出発点ともされる作品ですが、
実は発表した当時はそれほど話題にはならなかったそう。
60年代のコンセプチュアル・アーティストたちに発見されて、
評価されるようになったとのこと。
さて、「ミニマル/コンセプチュアル」展のことを
副題に「ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術」
ってついてますが、
ドロテ&コンラート・フィッシャー夫妻は、1967年にデュッセルドルフにギャラリーを開き、同時代の国際的な動向をいち早く紹介しました。本展では、ノルトライン゠ヴェストファーレン州立美術館の全面的な協力のもと、フィッシャー・ギャラリーが保管していた貴重な作品や資料、ならびに日本国内に所蔵される主要な作品を通じて、全18作家の活動から1960-70年代のミニマル・アートとコンセプチュアル・アートを振り返ります。(チラシ裏面より)
デュッセルドルフの小さなギャラリー
(展覧会場にギャラリーが再現されてましたが、本当に小さなスペースです)
ここが、最先端のアートの発信源になってたなんて!
2月1日(火)は、名古屋へ行く用事があって、
ついでに愛知県美術館も見て来ようって思ってはいたけど、
美術館へ着いたのは3時半過ぎ。愛知県美術館は6時まで
やっててくれるので、私にはありがたいです。
今回、いつも企画展の入口になっている方が
コレクション展の入口になっていて、
「ミニマル/コンセプチュアル」展は、
いつもコレクション展が展示されている展示室4から。
写真は撮れましたが、SNS等には上げないでってことでした。
(なので、あまり撮らなかったので、ブログ書こうとして、
よく覚えてない作品が多い(^^;
1 工業製品と市販製品
まずは、チラシ等のメインビジュアルにもなっている
カール・アンドレ(1935- )
《雲と結晶/鉛、身体、悲嘆、歌》1996年
鉛のキューブが、1組は、12×12個で並べられていて、
もう1組は、床にバラバラに置かれています。
これ素敵。「雲と結晶」ってタイトルもいいなって見た。
その奥に仕切られたコーナーにあったのが、
ダン・フレイヴィン(1933-1996)
《無題(タトリンのためのモニュメント)》1967-70年
長さの違う蛍光管が並んでいます。
人の形のようだなと。
展示室5には、
2 規則と連続性
ソル・ルウイット(1928-2007)
《ストラクチャー(正方形として1、2、3、4、5)》1978-80年
立方体の枠が1×1、2×2、3×3、4×4、5×5と並んでいます。
この立方体の枠、ルウィットが作ったんじゃなくて指示しただけなんですね。
んーー、なんか、ありがち? みたいに見ちゃうんだけど‥‥
ベルント・ベッヒャー(1931-2007)&
ヒラ・ベッヒャー(1934-2015)
石炭庫や送電塔の写真‥‥工場萌え?
こういう産業構造物って見てて飽きないけどー
3 数と時間
ハンネ・ダルボーフェン(1941-2009)
なんかメモみたいな数字?を書いた紙が並んでいます。
日付を出発点とする計算による作品ってことなんですが‥‥???
河原温(1932-2014)
配信されてきた友の会の講座で
黒田和士学芸員が解説されたのが興味深かった。
《Today》シリーズ (1966-2013)
…当日の午前0時から翌日の午前0時までに制作される
…表記は制作場所の公用語による
…当日に現地の新聞が入手できた場合は付属の箱に添付する(1967-)
…キャンバスは額なしで、縁までモノクロームで彩色される
…サイズは概ね8種類(縦20.5cm~155cm)
…文字は活字を模した形式で、白で描かれる
絵画ではあるが、
表面に筆触が全く残っていないし、活字を忠実に再現しているなど、
作家固有の表現性を徹底的に排除している。
彼が撮影した制作の記録写真が紹介されていましたが、
制作というより作業。時計も一緒に写っているので、
制作するのに結構時間かかってるなって。
これをほぼ毎日やっていたってのは、ある意味すごいなー。
《I Got Up》シリーズ(1968-1979)
・1968~1979年のあいだ、毎日2人の知人に送った観光客用の絵葉書
・絵葉書には、河原が当日に滞在した都市の風景の写真
・「I GOT UP AT ~」(私は~時の起きた)という文言で
起床時間がゴム印で記載される
コンラート・フィッシャーに宛てた絵葉書120枚が展示されていました。
起床時間という、極めてプライベートな情報が記されているのに、
自筆ではなくゴム印で記載されているので、
河原温がどういう人なのか、全く伝わってこない。
《I Am Still Alive》シリーズ(1970-2000)
コンラート・フィッシャーに宛てた電報6枚が展示されていました。
「I AM STILL ALIVE」(私はまだ生きている)というメッセージ
なんだけど、電報なので、河原が書いているわけではない。
電報は、亡くなったことを知らせるために使われることも多く
「まだ生きている」とあっても、本当に生きているのかわからない。
1965年頃以降、河原は公式なインタビューに応じず、
肖像写真も提供していない。
自らを抽象的な存在として位置づけ続けたとのこと。
4 「絵画」の探求
ロバート・ライマン(1930-2019)
白い絵? というか、白いパネルが並んでいるという‥‥?
ゲルハルト・リヒター(1932- )
《エリザベート(CR107-6)》
この展覧会の中にあると、この作品だけ「絵」っぽく見えたりして(^▽^)
いろんなスタイルの作品を制作している作家ですよね。
プリンキー・パレルモ(1943-1977)
昨年4月に豊田市美術館で開催された「ボイス+パレルモ」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-04-29
パレルモのシンプルさ、結構好きかも‥‥って。
5 場への介入
ダニエル・ビュレン(1938- )
豊田市美術館のテラスにある
《色の浮遊│3つの破裂した小屋》の作家ですね。
豊田市美術館のコレクション展でストライプの作品も見たことあります。
この展覧会にも、豊田市美術館が所蔵する
《定まらないフォルムの絵画》1966 が来てました。
リチャード・アートシュワーガー(1923-2013)
壁にモフモフした黒いものや鏡みたいなのがぶら下がっているんですが‥‥
《ロケーションズ》って6点組のは愛知県美術館の所蔵なんですか?!
展示室の中に、フィッシャー・ギャラリーが再現されていて(狭い!)
リチャード・ロング(1945- )
《コンラート・フィッシャーのための彫刻》1968年
が、展示されていました。柳の枝をずらっと並べています。
並べ方が平行でないのか、それともこのスペースが完全な長方形でないのか、
パースがついているように見えるのが面白い。
6 枠組みへの問いかけ
マルセル・ブロータース(1924-1976)
2台のスライド映写機が絵(?)の上に映し出しているのは、
「M.B」というマルセルブロータースの署名?
《署名はどこにある(署名の理論)》1971年
ローター・バウムガルテン(1944-2018)
‥‥えっと、作品よく覚えてない(^^;
7 歩くこと
再現されたフィッシャー・ギャラリーに展示されていた
《コンラート・フィッシャーのための彫刻》1968年 の作家、
リチャード・ロング(1945- )の
《歩行による線》1967年
草地に歩くことでできた一本の線
多くの人が歩くことで自然にできた一本の道はあるけど、
これは作家が繰り返し歩くことでできたわけか‥‥ふーん。
スタンリー・ブラウン(1935-2017)
この作家の作品は写真撮影も禁止でした。
足跡がついた紙が展示されてたり、
カードキャビネットに1本の線が引かれただけのカードが
たくさんファイルされてたり‥‥??
8 知覚
ヤン・ディベッツ(1941- )
《正方形の遠近法の修正/大きい正方形》1968年
草地に白い紐が「写真画面上で正方形に見える」ように張られています。
ってことは、実際には正方形に張られているわけではないんですよね。
遠近法を逆手にとった作品、面白いなって。
ブルース・ナウマン(1941- )の作品は、8 知覚にも、
9 芸術と日常にも分類(?)されてました。
9 芸術と日常
ブルース・ナウマン
《コンラート・フィッシャーのための音に関する6つの問題(#122)》1968年
オープンテープレコーダーのテープが、少し離れた椅子に取り付けられた
鉛筆まで伸びて回っています。足音のような耳障りな音が
響いているんですけど‥‥
ギルバート&ジョージ
ジョージ・パサモア(1942- )
ギルバート・ブロッシュ(1943- )
展示室8に、多くの作品(?)が並んでいるんですけど、
正直あまり見てない‥‥
「イギリスのギルバート&ジョージは、自らを生きた彫刻とみなし、彼らの日常それ自体がアートであると考えました。」‥‥うーん??
やっぱり、よくわからないなー
カール・アンドレの立方体とか、ダン・フレイヴィンの蛍光管、
フィッシャー・ギャラリーの展示を再現したリチャード・ロング
なんかは、わーキレイとか見たけど、この展覧会、
(私が思う)作品というより資料っぽいのが多くて
(そこが「コンセプチュアル」なんだろうけど)
ジミ‥‥!! 途中で疲れてきちゃった。
でもまぁ、あいちトリエンナーレ(今年からは
国際芸術祭「あいち2022」って名称になったんですって?)
とか見てると、今の現代美術って
こういう流れを汲んでるんだろうなーって思えるのは確かです。
出品リストの作家解説に付けられてたイラスト(アイコン)が
すごくいい!!
なんかダラダラと書いてしまいました。私の覚書です。
展覧会の写真もアップできないので(できても映えしないけど)
文字ばかりで読みづらいですね。
読んでくださった方がいらしたら、
ありがとうございます。お疲れ様でした(私も疲れたー(^^;>
愛知県美術館: https://www-art.aac.pref.aichi.jp/
「ミニマル/コンセプチュアル」展のページ:
https://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/000341.html
愛知県美術館友の会: https://apmoa-tomo.com/
この展覧会、
DIC川村記念美術館で、2021年10月9日(土)~2022年1月10日(月・祝)
まで開催された後、ここ
愛知県美術館で、2022年1月22日(土)~3月13日(日)の開催の後、
兵庫県立美術館で、2022年3月26日(土)~5月29日(日)に開催されます。
2022-02-11 23:58
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