SSブログ

各務原市中央図書館「蓑虫山人 各務原を行く」展

8月21日(日)各務原市中央図書館の3階展示室でやっている
「令和4年度 企画展
 蓑虫山人(みのむしさんじん)
 各務原を行く」を見てきました。
MinomushiSanjin.jpg

MinomushiSanjin-(1).jpg
蓑虫山人(本名:土岐源吾、1836~1900)は、岐阜県安八郡結村(現在の安八郡安八町)に生まれ、全国を放浪しながら絵を描き続けた画人です。また、造園や古器物の調査・蒐集にも情熱を傾けました。(チラシ裏面の文より)

パートが休みの日曜日だけど、新型コロナウィルスワクチンの
4回目の集団接種(かかりつけ医がないので)の予約が
14:15に取れてたので、接種をすませ
(私は今回も今までも、何の副反応も出たことがない)
今からだと、どこか行くのもできないなー、そうだ、
図書館の3階の企画展が来週末までだったっけ、と。

2022-8-21-(7).jpg

「蓑虫山人」‥‥名前くらいは聞いたことがあるような?
くらいの知識しかありませんでした。

図書館3階の展示室へ入ると、入場無料の上、
展示内容が詳しく載ったパンフレットまでもらえました。
MinomushiSanjin-(2).jpg


まずは【第1章 蓑虫山人の生涯】
2022-8-21-(13).jpg

1836(天保7)年 美濃国安八郡結(むすぶ)村に生まれる。
土岐源氏の流れを汲む名家だったが、彼が育った頃には
生活も苦しくなったため、7歳のときに東結村の受徳寺、
8歳のとき滋賀県の竹生島の寺に入る。
14歳のとき、諸国放浪の旅に出る。
(母の死がきっかけであったと言われています)

彼が「蓑虫山人」と号したのは、21歳の頃。
旅の途中で蓑虫を見た彼は、虫でも家を持っているのに
自分はそれよりも劣る生活をしていることを嘆いて、
どこでも野宿できるよう、広げれば2m四方の寝間になり、
畳めば1mばかりになる特製の笈(おい)を考案します。
一種のテントとも言えるもので、
蓑虫のごとく家を背負って旅を続けたので、
自らを「蓑虫山人」と号するようになりました。
彼の生国が美濃国であったので、それも掛けた呼称でしょう。

隠れたる勤皇の志士で、西郷南洲(隆盛)と、僧・月照が
錦江湾で投身自殺を図ったとき、西郷を海中から救い上げた
寺男・重助は自分であったと語っていたと。
(但し、立証する資料はない)

蓑虫山人は若い頃から絵筆に親しみ、名所旧跡を訪ねては、
その景観を絵で表現しました。
逗留のお礼に絵を描いて渡したり、
自分の描いた絵を売ったりして旅を続けました。

20代の九州漫遊時代に、長崎の僧・鉄翁祖門(てつおう そもん)に
ついて絵を学んだと伝わるそう。

亀ヶ岡遺跡の発掘にかかわり「考古学の先駆者」と評価されたり、

1878(明治11)年には岩手県の水沢公園の設計・造園をしています。
当時の水沢町から依頼されていることから、
彼の造園技術は並ではなかったと考えられます。

蓑虫山人は諸国漫遊の旅で、好んで古器物を収集しましたが、
単なるコレクターではなく、
全国66州(江戸時代の行政区分)より収集した
古器物を展示する「六十六庵」(今でいう「博物館」)の
建設を発念します。


1896(明治29)年、61歳の蓑虫山人は、
名古屋の異母兄の家に帰ってきます。

彼は六十六庵を建設する夢を叶えようとしますが、
郷里は濃尾震災からの復旧のためそれどころではなく、
寄付金募集を断念。熱田神宮の境内に建設する計画も
宮司から断られます。

放浪生活が染みついた彼は、兄の家にじっとしていることもできず、
岐阜、愛知両県下の寺や好事家の家を転々とします。


彼は最後まで六十六庵の夢を諦めることはなかったですが、
建設地を境内にしようとした長母寺へ移り、半年後の
1900(明治33)年、近所の寺へもらい湯に行って倒れ、
亡くなりました。享年65歳。墓も長母寺にあります。
(今回展示されている蓑虫山人の絵日記はほとんどが長母寺蔵)


【第2章 蓑虫山人が描いた各務原】
2022-8-21-(14).jpg

蓑虫山人が各務原を訪れたのは、
1896(明治29)年に郷里に戻った後、亡くなるまでの4年間
美濃・尾張の名所旧跡や旧家、古器物の所有者を訪ねて歩く間、
複数回にわたって各務原を訪れ、人々との交流を深めています。

手力雄神社と石山付近を描いた絵日記には、
10数基の古墳が描かれています。
MinomushiSanjin-(3).jpg
1897(明治30)年に、石山の西半分と南麓を削って
那加尋常小学校(現・那加第一小学校)が建設され、
その際に多くの古墳が失われ、勾玉(まがたま)や土器が出土して、
勾玉は那加尋常小学校の校章に描かれ、那加村のシンボルとなった。
勾玉がデザインされた校章は、現在も那加地区の4小学校、2中学で
使用されている。(あれは勾玉のデザインだったのか!)

現在は4基の古墳が現存するのみとなっている。

初詣に行く手力雄神社の裏に古墳があることは知っていましたが、
2013.1.2.jpg
2013年1月2日撮影

もっとたくさんの古墳があったんですね。


蓑虫山人が描いた石剣(と書かれているが正しくは石刀)と
勾玉、管玉、黄金の酒水器
2022-8-21-(8).jpg

当時所蔵していた蘇原伊飛鳥村の水野定蔵のところへ、
蓑虫山人が見に訪れたとのこと。
水野定蔵(?-1922)は郡会議員や加佐美神社の氏子総代を務めた
地元の名士。

現在は市埋蔵文化財調査センターで保管されている石刀と、
2022-8-21-(9).jpg
黄金の酒水器は、形が少し違うが、山田寺(さんでんじ)蔵の
国指定重要文化財の舎利容器(美濃国稲葉郡山田寺塔心礎納置銅壺)
展示は複製)ではないかと。


他にも、蓑虫山人が訪ねた各務原の古器物収集家たちと
描いた絵が紹介されています。
2022-8-21-(15).jpg

那加村西市場の山田輿十郎が所有する石器や土器
山田輿十郎(1843-1919)は各務原開墾に大きく貢献した篤農家。


那加村西市場の西澤徳藏が土山麓(現・琴が丘団地)から
掘り出した土器。描かれた土器は蓑虫山人へ進呈したとのこと。

蘇原古市場村の中野亦市が所有する発掘された土器など。
中野亦市(1853-1932)は蘇原村五代目村長、蘇原郵便局初代局長。

那加村山後の遠藤儀作邸を訪れて、屋敷や宴の様子を絵日記にしています。
遠藤儀作(雅号・郊北1860-1932)は、小学校の教員を務めた後、
各務原市域で初の県議会議員に選出。
大正6年に第10代・那加村村長となり、昭和7年まで4期15年余在任
MinomushiSanjin-(4).jpg

那加村山後の遠藤彦次郎邸を訪ねて、家の絵を描いています。
絵に描かれた庭の井戸は、現在も遠藤家に残っていると。
遠藤彦次郎(1859-1918)は、大正3-5年の那加村村長

蘇原村古市場 光泉寺の境内の紅葉や、

川島村の木曽川の様子を描いた絵日記がありました。
蓑虫山人が村人と船に乗って桃の花見を楽しんでいます。
昔川島には多くの桃の木があって、桃の産地だったそう。


【第3章 蓑虫山人が残したもの】

各務原を訪れた蓑虫山人は、逗留のお礼に絵を残しています。
現在、各務原市内で、襖絵2組、屏風絵3帖、額装2点、掛軸10幅が
確認されているそう。


水野定蔵家に残る屏風絵1帖と掛軸1幅
2022-8-21-(16).jpg

左《蓑虫談笑之図》のゆるさ、いいなぁ!
2022-8-21-(17).jpg


遠藤彦次郎家に残る掛軸3幅と額装1点
2022-8-21-(18).jpg
左の《養老瀑布》は、パンフレットに使われていますね。

旗本前渡坪内家最後の当主であった坪内昌壽の
子孫の家に残る掛軸《鍾馗之図》(右)
2022-8-21-(19).jpg
なんかカワイイ鍾馗さま♡

北町(前渡東町)に残る作品
明治29年から31年頃、今より木曽川沿いにあり、無住の寺であった
河北山桃林寺に蓑虫山人がしばらくの間逗留していたとのことで、
桃林寺や、近くの農家から食料の援助を受けたお礼に描いた
屏風絵や掛軸が残っています。
2022-8-21-(20).jpg

桃林寺に残る襖絵(展示は写真)
2022-8-21-(21).jpg


なぜ、放浪の画人・蓑虫山人は何度も各務原を訪れたのか?

蓑虫山人の夢は、故郷に「六十六庵」という博物館を建設し、
自分が収集した古器物を展示することでした。
濃尾大震災等の影響で、それは困難な状況でしたが、
彼は死の直前まで夢を諦めることはありませんでした。
各務原は、岐阜県内でも古墳が多いことで知られ、
古器物の収集家も何人かいて、蓑虫山人は、彼らを訪ねて、
古器物をスケッチしたり、譲ってもらったりしました。
2022-8-21-(11).jpg
各務原の収集家たちと、六十六庵建設の夢を語り合って
いたんでしょうね。


「蓑虫山人」という放浪の画人のことを知っただけでなく、

各務原の豊かな歴史(古墳が多いとか)や、
古器物を収集していた好事家も多かったという
文化の豊かさにも気づかされた展覧会でした。
2022-8-21-(22).jpg

別室で上映されていた、今回の展覧会を解説した映像も
わかりやすくて良かったです。
ドローンを飛ばして、上空から見た手力雄神社は、
蓑虫山人が描いた神社とそっくりでした。


この日、図書館のある市民公園に
露店やキッチンカーが並んでいました。
8月20日(土)、21日(日)の16:00~21:00に、
「カカミガハラナイトマーケット」というイベントが
開催されたみたい。
2022-8-21-(5).jpg
2022-8-21-(6).jpg
2022-8-21-(23).jpg

ミニラバーズカフェのキッチンカーで、

マンゴーかき氷 600円と、
2022-8-21-(25).jpg
スモークサーモン&クリームチーズのフレンチトーストセット 900円を
いただきました。
2022-8-21-(28).jpg

猛暑続きだった今年の夏も、夕方になると、
秋の気配が少し感じられるようになってきました。
2022-8-21-(26).jpg


----
中日新聞 2022年7月31日 岐阜・地域版の記事
chunichi2022-7-31.jpg

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。