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岐阜県博物館の常設展とマイ・ミュージアムギャラリー他

岐阜県博物館、新型コロナウィルス感染拡大防止のため
9月12日(日)まで休館(9月13日(月)も月曜なので休館)とのこと!!!
密とは全く無縁の施設なのにー
せっかく素敵な特別展「薩摩の陶と刀」やってるのにー
やっと感想が書けたとこだったのにー

https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-08-26

8月17日(火)、岐阜県博物館へ行って、
特別展「薩摩の陶と刀」を見たことの続き

常設展は撮影可

白川郷の合掌づくり 旧遠山家住宅の10分の1模型
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懐かしい!! 昭和35年にタイムスリップ!
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本館3階のメインホール
イグアノドン全身骨格
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自然展示室1

パレオパラドキシアの歩行型(左)と遊泳型(右)
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パレオパラドキシア遊泳型のアップ
砂浜の海岸近くで生活していたと考えられているそう
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デスモスチルスの頭骨は、世界で最初に岐阜県瑞浪市で発見されたんですね。
デスモスチルスとパレオパラドキシアはどちらもデスモスチルス類
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デスモスチルスとパレオパラドキシアは、瑞浪市化石博物館で知りました。
恐竜とは生きていた時代も違う(恐竜は中生代、デスモスチルス類は新生代)
哺乳類 束柱目で、のり巻きを束ねたような歯が特徴
約2000万年前~1200万年前の北太平洋沿岸に住んでいたが
約1200万年前に絶滅

瑞浪市化石博物館とその周辺
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2018-02-18

瑞浪市化石博館: https://www.city.mizunami.lg.jp/kankou_bunka/1004960/kaseki_museum/index.html

ペルム紀(赤坂)の海
大垣市赤坂金生山の石灰岩からは、古生代ペルム紀の海に生息していた
生物の化石が多く見つかります。
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大垣市赤坂の旧清水家住宅で開催された三人展、
新川教さんの金生山の化石と鉱物の展示を解説してもらって見て、
中山道赤坂宿 旧清水家住宅三人展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2016-10-14

その帰りに「金生山化石館」へ寄ったことを思い出しました。

中山道赤坂宿と金生山
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2016-10-16

金生山化石館: https://www.city.ogaki.lg.jp/0000000664.html


郡上市美山の熊石洞から見つかったオオツノジカの骨格化石
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ニホンツキノワグマの親子
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展示見てたら4時を過ぎたので、

岐阜県博物館の開館時間は、
4月~10月は午前9時~午後4時30分
11月~3月は午前9時30分~午後4時30分

マイ・ミュージアムギャラリーも覗いていきたかったので、
本館を出て、

マイ・ミュージアム棟2階へ。
マイ・ミュージアムギャラリーでは、県民のコレクションや
制作作品を紹介する展覧会が開催されています。
(マイ・ミュージアムギャラリーのみの入場は無料)

「プラモデル作品コレクション」
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会期: 7月31日(土)~9月5日(日)→の予定でしたが、
新型コロナのため8月26日(木)で終了しました(T.T)
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岐阜市や各務原市を中心としたプラモデル好きが集まり、45年程前に
結成されたという「岐阜コクピット」の会員たちが長年にわたり
作りためた作品が展示されています。

写真撮影可
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これだけ並んでいるとスゴイですね。
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プラモデルに手を加えてジオラマに。
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車に戻り、さて、4時半かー、まだちょっと時間あるな‥‥
そうだ、カフェ・アダチが近いけど、
まだやってるかな? って調べたら、
(喫茶店とか、久しぶりに行くと閉店してたりするので)
18時までやってる(L.O.17:30)ってことなので

むか~し、ここのモーニングのことをブログ記事にしてました
マイセンのカップで自家焙煎珈琲。モーニングも充実。カフェ・ド・ギャラリーアダチ
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2011-12-09

店名が「カフェ・アダチ」に変わったんですね。
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でも店内、変わらずにとてもいい雰囲気。
閉店時間近いので心配してた(他に客いないと長居しづらい)けど、
2組ほど寛いで過ごされてたので、
こっちも落ち着いて過ごすことができました。

おすすめにアイスコーヒーってあったので、それを注文。
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おぉ! コーヒーでできた氷!!
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ケースにあったオレンジのなんとかって(^^)>ケーキも注文。

合計1,030円(税込)でした。

コーヒーもたっぷりあったし、コーヒーの氷なので、
水っぽくならずに楽しめます。
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さっき買った図録「薩摩の陶と刀」読んで、
とてもゆったりした時間を過ごすことができました。



関連ランキング:カフェ | 関駅関市役所前駅




岐阜県博物館: https://www.gifu-kenpaku.jp/

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岐阜県博物館「薩摩の陶と刀」 [美術]

8月17日(火)岐阜県博物館へ行きました。

「令和3年度特別展
 岐阜・鹿児島姉妹県連盟約50周年記念
 薩摩の陶(とう)と刀(とう)
 響きあう美濃との歴史と文化」という展覧会をやっています。
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江戸中期、薩摩藩によって実施された木曽三川の宝暦治水工事が契機となり、 昭和46年に鹿児島県と岐阜県とのあいだで姉妹県盟約が結ばれました。(チラシ裏面より)
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幕府によって薩摩藩に命じられた木曽三川分流の治水工事。
大変な難事業で、莫大な工事費用と犠牲者が出て、
責任者であった薩摩藩家老・平田靱負(ひらた ゆきえ 1704-1755)は、
工事完了後に責任をとって切腹。
木曽三川公園の南にある治水神社は、
平田靱負と犠牲となった薩摩藩士を祀っています。

そんな岐阜県と鹿児島県、姉妹県盟約が結ばれて
今年で50周年になるんですね。

「陶と刀」は、岐阜も名産地です。、
陶磁器については、岐阜県現代陶芸美術館や岐阜県美術館で、
刀は関鍛冶伝承館などで見ていますが、薩摩焼はともかく、
薩摩刀については、いままで知りませんでした。


8月17日(火)、ウチのパート先では、コロナのワクチン接種後、
2日間は休みにしているので、3連休の最終日。
副反応もないので、遠出しようか(豊田市美術館に行きたかった)
って考えてたんですが、
まぁ、なんかダラダラと昼過ぎまで過ぎてしまいまして‥‥
(いえ副反応のだるさではなくて、最近はいつもこんなカンジ)

そうだ、岐阜県博物館なら近いからいいか、って。

岐阜県博物館は百年公園の北入口より入ったところにあります。
2015年4月から駐車場が無料となりました。

「弥生大集落」展に行った時(え? 2013年? そんな前だった?!!)
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2013-11-08
駐車料金300円かかって、人件費出るのだろうか?って書いてます。
だいたいここ、車じゃないと行けないような辺鄙なトコだしー

雨も降っているので、公園内閑散としています。
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スロープカーのりば
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岐阜県博物館への坂道を上がるのはなかなかキツイので、
無料のスロープカー「らくらく号」があります。

登りは利用させてもらいました。冷房がしっかり効いていて快適。

スロープカーのりば(博物館側)
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下りは坂道を歩きました。恐竜の足跡がついています。
(帰りに撮った写真)
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赤色は、獲物を追う肉食の獣脚類(カルノサウルス類)の足跡
黄色は、体長10m以上にもなる竜脚類(ティタノサウルス形類)の足跡
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道を横切る青色の足跡は、
“ダチョウ”恐竜とも呼ばれるオルニトミモサウルス類だそう。
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岐阜県博物館
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入館料:一般600円が、JAF会員証で520円になりました。
大学生300(200)円 高校生以下無料 ( )は割引料金
マイミュージアムギャラリーのみは無料

エレベーターで3階へ上がり、本館への連絡通路を通って、
まずは4階の特別展示室へ

特別展示室入口の記念撮影スポット
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島津義弘の記念撮影パネル
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特別展示室内は撮影禁止でした
展示品は陶も刀も、ほとんどが
「鹿児島県歴史・美術センター黎明館」の所蔵品

鹿児島県歴史・美術センター黎明館:
https://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/

まずは薩摩の陶

陶1 薩摩焼濫觴

薩摩焼の始まりは、
秀吉の朝鮮出兵で島津義弘(1535-1619)が陶工を連れ帰って、
御庭焼で茶陶を作らせたことからだと。

おりしも茶の湯が隆盛を極めるなか、関ヶ原合戦を経たころには、
大名や茶人たちの評価を得るまでになっていたそう。

薩摩焼の絢爛豪華なイメージとは違って、
茶人が好みそうなシンプルな形

最初に展示してあった始良市指定有形文化財《黒釉茶碗》
 薩摩 御里窯 火計手 江戸時代初期 も素敵だけど、

次の《白釉茶碗 銘 すはま》薩摩 御判手 江戸時代初期
(チラシ裏面右上から2番目)や、

特に《白薩摩茶碗》薩摩 堅野系 江戸時代中期 と
《白薩摩酒注・猪口》薩摩 堅野系 江戸時代中期 が
とても気に入りました。

「白薩摩」は藩の御用品となって洗練されていったが、
この2点は「千鳥印」染付銘があるので、
市場で扱われたものと考えられるそう。


陶2 世界のSATSUMAへ

島津斉彬(1809-58)は薩摩焼を輸出工芸品に育てることを目的に
上絵具の改良に取り組みます。こうしたことが実を結び、
慶応3年(1867)のパリ万国博覧会に出品された薩摩錦手は
大変な人気を博すことになります。

NHK大河ドラマ「青天を衝け」で、渋沢栄一(篤太夫)が
徳川慶喜の弟・昭武の随行でパリ万博に行き、
幕府と薩摩が同格に扱われていると抗議するシーンが
ありましたね。

さらに明治6年(1873)のウィーン万博、
明治9年(1876)のフィラデルフィア万博と、アメリカにも販路を広げ、
薩摩の煌びやかな錦手や金襴手は、
海外で「SATSUMA」ブランドとして広く知られるようになります。

とにかく派手でキラキラの薩摩焼はやっぱり目を引きます。

チラシ裏面左上の《錦手牡丹文花瓶》薩摩 苗代川系 
十二代沈壽官 森山周運絵付 明治時代中期 は、総高91.5cm

金キラの《金襴手風俗図大花瓶》薩摩様式 素地:苗代川系 明治時代
は、なんと高さ121cm

こういう絢爛豪華な薩摩焼が欧米でもてはやされたのはわかるけど、
日本人の美意識からするとちょっとクドイような気がする。

チラシ表面に使われている《錦手松竹梅鶴亀波紋浮彫花生》
 薩摩 苗代川系 東郷壽勝 明治時代中期 は、
白い地肌が上品で、そこに描かれた松がとても優美。
青海波の部分も浮彫になっていたりと凝っています。

チラシ裏面右上の《錦手鹿児島八景図大皿》
 薩摩 堅野系 慶田政太郎 山下雪山絵付 明治31-大正2年頃
中央に桜島が描かれ、周囲に7つの団扇を配して、
団扇に鹿児島の7か所の景色が描かれているという洒落た意匠。


陶3 百花みだれる薩摩焼

薩摩焼は一般に、堅野(たての)系、苗代川(なえしろがわ)系、
西餅田系、龍門司系、平佐系、種子島系の6系統に分類されているそう。
(以下は図録の説明をまとめました)

竪野系は、薩摩藩御用窯として、島津義弘に伴って渡来した
朝鮮陶工によって初期には茶陶を作り、のちに白薩摩の優品も焼いている。

苗代川系も、朝鮮陶工の開窯に始まり、黒薩摩に続き白薩摩も手掛け、
幕末・明治には海外の万博で注目される存在になる。

西餅田系は、主に鉄釉を掛けた日用品を焼いたが、
手の込んだ花生なども作っていた。

龍門司系は、白化粧による技法を特徴とし、さらに
玉流しや鮫肌などの多彩な加飾技法も見られる。

平佐系は、肥前有田の陶工を招いて磁器を製造し、
さらに長崎より学んだべっ甲釉を生み出した。

種子島系は、素朴で力強い風合いのものが多く、
民芸陶として注目されるようになった。

ってことで、様々な薩摩焼が並んでいました。


さらに参考出品として、岐阜県博物館所蔵の
成瀬誠志《金彩中国故事図茶碗》明治時代前期 と、
岐阜県現代陶芸美術館所蔵の
成瀬誠志《上絵金彩妖怪図置物》明治時代前期 が展示されていました。

薩摩焼が欧米で大人気になると、国内各地で薩摩焼にならった
輸出向けの陶磁器が作られるようになり、それぞれの産地名を冠して、
京薩摩や東京薩摩などと呼ばれたんですね。

このあたり、名古屋の横山美術館が明治時代以降の輸出陶磁器を
中心に展示をしていて、詳しいです。
(横山美術館のことブログ記事にできてなかったなぁ‥‥)
横山美術館: https://www.yokoyama-art-museum.or.jp/

成瀬誠志(1845-1923)は、はじめ茄子川焼(現岐阜県中津川市)の
陶工だったが、明治4年(1871)に東京で薩摩様式の絵付けを始め、
細密な絵付けをした東京薩摩を制作しました。


さて、薩摩の刀

近頃、刀剣女子なんて日本刀が人気なんだそうですが、
私は刀を鑑賞するって、どこを見たらいいのかもわかりません。

でも、これだけ並んでいるとなんか迫力ですね。
暗い中に刀が鋭く光っています。

刀1 薩摩島津家伝来の名刀

島津家は鎌倉時代に封ぜられてから幕末まで薩摩の地を治めてきて、
多くの名刀が伝えられています。

が、私にはどれも同じような刀に見えて、違いがよくわかりません。


刀2 薩摩刀

そんな私でも、なんかこれスゴイ‥‥って感じたのが、
重要文化財《太刀 銘 波平行安(号 笹貫)》
 薩摩 波平系・古波平 波平行安 13世紀後半 京都国立博物館蔵

妖刀とされていたって解説を読んで、よけいに凄みを感じました。


もう一つ、印象に残ったのが、
ほとんど反りのない長い刀
《刀 銘 築州住守次藤原是利/明治二年十一月吉日》
 筑前 是利 明治2年
人斬り半次郎としておそれられた桐野利秋佩刀と伝わる刀


刀3 薩摩の美濃刀

西郷隆盛愛刀と伝わる脇差、
《脇差 銘 兼房》美濃 初代兼房 15世紀後半
美濃(関)の刀なんですね。


図録がそれぞれの解説や年表なども詳しくてよかったです。
2,000円(税込) ブログの参考にさせてもらいました。

表紙は、《錦手松竹梅鶴亀波紋浮彫花生》
 薩摩 苗代川系 東郷壽勝 明治時代中期
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裏表紙は、《刀 銘 (一ツ葉葵紋) 主馬首一平藤原安代/遥奉鈞命於薩州作之 享保甲辰年》薩摩 享保9年
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岐阜県博物館: https://www.gifu-kenpaku.jp/
百年公園: https://hyakunen-kouen.jp/

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中日新聞の「薩摩の陶と刀」コラム生地
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ワクチン1回目と「赤鰐」のかき氷 [グルメ]

8月15日(日)に、ワクチン1回目を打ってきました。

市内の総合病院でファイザー社製ワクチンの集団接種。
多くのスタッフやボランティア(?)の方が書類のチェックや
誘導をしてくださってて、とてもスムーズに接種できました。

ツイッターなどで、副反応がって聞いていたんですが、
全く何事もなく‥‥熱も出ず、腕の痛みも、絆創膏見て、
腕のこんな上のとこに打ったんだーなんて思ったくらいで‥‥

まぁダンナによると「副反応は若い人が出るんだ」と。
そういうダンナも「なーんともなかった」んですけどね。

私の母は1回目の夜にちょっと熱が出たけど朝までには平熱になり、
父は何の反応もなかったとのこと。

しかしコロナはここへきてまた状況が厳しくなってますね。
岐阜県も8月17日から新規感染者が300人を上回る日が続いています。


岐阜県では7月4日(月)から、飲食店等に対する時短要請が解除になって、
パート先では結構お客様と売上が戻ってきてたんですけど、
17日(火)から20時までの時短営業になり、
20日(金)からは酒類の提供もできなくなりました。
まだウチはお食事だけのお客様もありますが、
やっぱりアルコールの提供ができないと、売上が全く違います。
居酒屋さんなんかはたまらないでしょうねぇ。
なかなか終わりが見えなくて、苦しいと思います。

加えて、この雨! 鬱陶しい‥‥
まぁ私は洗濯ものが乾かない、鬱陶しいって言っているくらいなんですけど、
この大雨で被害を受けられた方に心よりお見舞い申し上げます。

さて、ワクチンを打った翌8月16日(月)、
私は副反応があるといけないと、パートを休みにしてましたし、
久しぶりにダンナも会社に行かなくていいってことで、
例によってのんびりしていたんですが、

ダンナが、かき氷を食べに、岐阜の「赤鰐」へ行きたいと言い出しまして、

「赤鰐」は、岐阜のかき氷の有名店
いつも(冬でも)長い行列ができています。

私、この行列を見て、一体これは何?って、
このお店のことを知って、
これだけの行列ができるかき氷ってどんなのかな? って、
興味はありましたが、並んでまで食べようとは思わないので、
今まで入ったことがありませんでした。

近くの市営駐車場に停めて行くと、
角を曲がった先まで行列ができています。
「えー? これでも並ぶ?」って言ったけど、
ダンナは「せっかく来たし、一度は食べてみたいじゃないか」と。

2時間待ちました!

まぁ今はスマホ見てれば退屈はしないし、
この日は曇っていて割と涼しかったのもありがたかったですが‥‥

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やっと順番が来て入ると、
店内は5テーブルだけの小さなお店。

私は、ピスタチオミルクandミックスベリー950円を
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ダンナは、果物ミルク1100円に、金時トッピング100円
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確かに美味しかったです。かき氷というより、
ふわふわの雪を食べているような。


でも、もう2時間待ってまで食べたいとは思いませんけどね。



関連ランキング:かき氷 | 名鉄岐阜駅岐阜駅




地下駐車場への通用口、面白いデザインですね。
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市営駐車場代600円かかりましたー
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岐阜県現代陶芸美術館「岩田色ガラスの世界展」 [美術]

7月31日(土)岐阜県現代陶芸美術館へ行きました。

「町田市立博物館所蔵
 岩田色ガラスの世界展―岩田藤七・久利・糸子―」
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銀色の特色も涼しげなチラシ

陶芸美術館でガラスの展覧会。私、陶器よりガラスの方が
好きなので、楽しみにしていました。
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でも岩田藤七・久利・糸子の名前も聞いたことがありませんでした。
ガレをはじめ、アール・ヌーヴォーのガラスは大好きなんですが、
そういえば日本のガラス作家ってあまり知らないなーと。

なので、この日、町田市立博物館学芸員・齋藤晴子氏の
講演会「日本のガラス工芸史における 岩田藤七、久利、糸子」
が、14:00~15:30に開催されるってことで、
この土曜日、珍しくパートのシフトで休みになってたので、
聴講の申し込みをしました。

講演会の前に展示を見ておきたかったので、
いつも(昼頃か昼過ぎにしか出かけないのに)より
早めに出かけて、12時少し過ぎ頃に着きました。

岐阜県美術館の後援会員証を呈示して入ります。
なんと、岩田ガラスの展示は撮影可!


まずは、日用品であったガラスを芸術の域にまで高めた
岩田藤七 1893(明治26)-1980(昭和55)

《鳥》1938(昭和13)年
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「用をなす」工芸作品を作ることにこだわった藤七にしては
珍しいオブジェ作品とのこと。

ガラスケースに自分が写り込んでしまってますが(^^;
この2点素敵!
左《花器「衣音」》1969(昭和44)年
右《花器「凛」》1953(昭和28)年
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「衣音」は、日本舞踊の足にまとわりつく着物の裾に
着想を得たものであろうと。

《瓶》1969(昭和44)年
真ん中の穴が造形的に面白い。
彫刻家ヘンリー・ムーアの作品からの影響があるのではないかと
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《花器》1970(昭和45)年
涼し気ー!
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《花器》1973(昭和48)年
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《水差し》1975(昭和50)年
金が使われていて豪華。ベネチア風の作品
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私この作品涼し気で気に入ったんですが、
タイトルも《花器「涼」》1976(昭和51)年
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ガラスの内側に細かな気泡が閉じ込められています。
ガラスが柔らかいうちに剣山などを押し付けて 多数のくぼみを作り、その上に溶けたガラスを一層被せて、 物理的に空気を封入する手法がとられている。」(図録より)
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ライトに反射してキラキラしてて素敵。

展示室 壁に藤七の花器を使って花を生けた写真も展示されていました。
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真ん中の展示台にあるのが、チラシ表面に使われている
《貝「波の響」》1976(昭和51)年
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藤七は貝をモティーフとした作品も多く作っているんですね。

資料として藤七の貝のコレクションや、
日本舞踊(?)のスケッチなどもあって興味深かったです。

どちらも《貝》というタイトルがついています。
制作年も同じ1962(昭和37)年
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とろんとした色ガラスがいいカンジ。

これもどちらも《貝》というタイトルの作品
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右が1975(昭和50)年、左が1974(昭和49)年

そして藤七のガラスの茶道具が並んでいます。
今では珍しくないガラスの茶道具ですが、
藤七が作り始めた昭和10年頃はなかなか受け入れられなかったそう。

《水指「仄々」》1965(昭和40)年
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仄かに透ける白いガラスは、炭酸カルシウムなどで
科学的に気泡を生じさせ、ガラス内に封じ込めた
泡ガラスで、印象的な水玉文様は、金属台の上に
型紙を使って水玉文様に色ガラスの粉を載せておき、
そこに膨らませたガラスを転がしてつけているのだそう。

《水指「湖水」》1973(昭和48)年
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何気に共蓋がついているけど、
(身と同じ材料で作られた蓋を共蓋(ともぶた)といい、
漆塗りの漆蓋など身と異なる材質の蓋は替え蓋という)
吹きガラスの作品で、本体の大きさとぴったり合う蓋を
作ることは至難の業なのだそう。

《水指》1975(昭和50)年
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金箔が華やか。藤七は東京美術学校在学中に金工や漆芸も
学んでいたので、金箔の扱いにも慣れていたそう。

《水指「あじさい」》1975(昭和50)年
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これとても気に入りました。素敵!!

《水指》1975(昭和50)年
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この緑は、透明な部分を透かして向こうがわにある色が
見えているんです。

《茶碗「渦」》1969(昭和44)年
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涼し気‥‥こんなお茶碗いいなー

《硝子額》制作年不明
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この作品とても心惹かれました。
細かな気泡が入って白く見えるガラスと
点描のような抽象模様が詩的で素敵!!



偉大な父を持った二代目の苦悩を味わう
岩田久利 1925(大正14)-1994(平成6)

父子は性格の上でも、藤七は豪放磊落で久利は几帳面と正反対であったが、 作品を制作する過程も大きく異なっていた。藤七は、事前に作品の設計図を描くことはほとんどなかったが、久利は綿密なデザイン画を描き、 計算された端正で優美な作品を制作した。(図録より)

《花器「H」》1954(昭和29)年
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このシャープな形が素敵。色もクリアなカンジでいいな。

《花器》1983(昭和58)年
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この端正な印象は、藤七と違うところですね。

《花器「阿」》1984(昭和59年)
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ユーモアのある形、面白~い!

緑色のガラスの色が素敵な3点が並んでいました。
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左から《花器》1982(昭和57)年《花器》1982(昭和57)年《花器》1984(昭和59)年

《花器》1989(平成元)年
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黒に赤の線が巻かれた端正な器

《硝子花入「赤と黒」》1986(昭和61)年
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タイトルどおり赤と黒色のシャープな形が魅力的。

《コンポート》1983年(昭和58)年
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チラシ裏面や図録の表紙にも使われている作品
シャープな形と、渦巻文様と散らされた金がとても素敵。

左《花器》1990(平成2)年 右《花器》1987(昭和62)年
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久利本人が「流影文」と名付けた文様が施された花器

《硝子額「夜の街」》1981(昭和56)年
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黒と赤のガラスを組み合わせた絵画のような平面作品
こういうガラスの平面作品を
「コロラート」って呼んでいるんですね。

久利は昭和55年、東京のホテルニューオータニの「鶴の間」に
設置する超大型「コロラート」作品に挑んでいて、この作品は
その頃に制作された小品のひとつとのこと。

《大鉢》1992(平成4)年
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透明なガラスに金と白の細かな文様がとても華やかな大鉢。
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岩田糸子 1922(大正11)-2008(平成20)

女学校時代に洋画家の有島生馬に師事したことはあったものの、 特に芸術家を志していたわけではなかった。たまたまガラス作家であった 岩田久利と結婚し、義父と夫が相次いで病に倒れた昭和33(1958)年に、 工場を続けていくためにやむおえずガラスの世界に入っていったのである。

岩田ガラスの工場では、
優秀な職人を多数抱えていたため、未経験の糸子が加入しても デザイナー兼ディレクターとしてすぐに活躍できたのだった。(図録より)

そんな糸子の作品は、奔放な雰囲気がありますね。
《飾皿》1991(平成3)年
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《花器「連山」》1999(平成11)年
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水墨画の山水の世界をガラスで表現しようとした意欲な作品

展覧会後の講演会で、この作品を作っている映像を見ることができました。
職人さんに細かく指示を出している糸子さん

《飾り玉「胡姫の首飾り》2005(平成17)年
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岩田工芸硝子が経営不振に陥り、平成12年に自社工場を閉鎖した後、 糸子はあまり大がかりな設備を必要としないバーナーワークを一から 勉強しなおし、トンボ玉の制作を開始した。

ってことで作られた作品。
はるばる極東の国々までやってきた中近東の舞姫たちの首飾りを イメージしました」とコメントされてます。

自社工場を閉鎖した後、バーナーワークを日本やアメリカで学んだのが、
2000(平成12)年、糸子さん78歳。そのバイタリティーすごいですね。



最後の展示室は、
「岐阜県美術館所蔵
 もう一人のパイオニア 各務鑛三 クリスタルガラスの世界」

岩田藤七と並ぶ、日本のガラス工芸の先駆者である
各務鑛三 1896(明治29)-1985(昭和60)

岐阜県土岐郡笠原村(現多治見市)出身ってこともあり、
岐阜県美術館に作品が所蔵されてるんですが、
こんなに持ってたの?! って、ちょっと驚きました。
(9点展示されていました) この展示室のみ撮影禁止

《飾り皿 銘 祈り》1929(昭和4)年
とか、岐阜県美術館の所蔵品展でよく展示されてて、
このシャープなカット文様、印象的です。

しかし、岩田藤七と各務鑛三の作品、全く正反対ですね。
柔らかな色ガラスの藤七に対して、各務鑛三の作品は
無色透明のクリスタルガラスの冷たい硬質な美しさ。


展示室を出たところで、久利の作品制作の様子が写された
映像が流れていました。

見ているうちに講演会の時間(14:00~)が近づいてきたので、
美術館内のプロジェクトルームへ。
(セラミックパークMINOのイベントホールから変更になったそう)


講演会「日本のガラス工芸史における 岩田藤七、久利、糸子」
講師は、町田市立博物館学芸員・齋藤晴子氏

今回の「岩田色ガラスの世界展」に展示されている
岩田藤七・久利・糸子の作品約100点は全て、
町田市立博物館所蔵

町田市立博物館は1973年に町田市郷土資料館として開館し、
郷土資料に加えて、国内外のガラスや陶磁器などのコレクションが
充実しているとのこと。現在、町田市立国際工芸美術館として
リニューアル移転が予定されていて、準備のため休館中とのこと。

まずは、町田市ってどこにあるかわかりますか? と、三択の地図が
私、昔、多摩美術大学で八王子に住んでいたので、
ちゃんと正解を当てることができました。
でも、町田市って東京都だったんだって(神奈川かと思ってた(^^;>
明治の初めは神奈川県だったそう。
横浜開港当時、横浜港から10里の区域は神奈川県とされたので。
それが水源の問題や、自由民権運動で東京都になったとか。

この展覧会が岐阜で開催されて、岩田藤七のライバルである
各務鑛三の作品も併せて展示されるのが嬉しいと。

そして、岩田家のルーツは岐阜だそう。
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(講演会の資料)

藤七の父・初代藤七が、京都に出て、呉服商をしていて、
その後、東京・日本橋にも店を構えて、
宮内庁御用達にもなっていた。藤七は幼名を東次郎といったが、
7歳の時に父親が亡くなり、宮内庁御用達の仕事のために
父の名を継いで藤七にしたそう。呉服商の仕事はその後、人に
譲ったとのこと。

私が藤七の経歴を聞いて へーっと思ったのは、
東京美術学校に12年在籍したってこと。
最初入学したのが金工科。金工科を6年で修了して西洋画科に再入学。
在学中に彫刻家・竹内久一の長女であった邦子と結婚しています。

大正11(1922)年に帝展に出品し、初入選を果たしたのは彫刻の作品でした。
(当時は帝展に工芸部門はまだなかった。
昭和2(1927)年に美術工芸部門である第四部が設置される)

藤七がガラス工芸をやるようになったのは、
師の岡田三郎助の「ガラスをやってみないか」って言葉や、
(岡田は工芸品やガラス器なども多く収集していたそう)
ドーム兄弟のガラス作品を見て、吹きガラスを知り、
こんなにやわらかいガラスがあるのかと感銘を受けたこと
(その頃ガラス製品というと切子ガラスだった)
そして、橘硝子製造所や岩城硝子製造所でガラス製造の技術を学ぶ
機会に恵まれたこと。特に、橘硝子製造所は廃業する時期だったので、
通常はガラスの色の調合などは企業秘密なのだけど、
その技術を教えてもらうことができたし、
藤七が昭和6(1931)年に岩田硝子製造所を設立した時は、
橘硝子にいた職人たちを引き継ぐことができたそう。

しかし当時はガラスというと日用品としか見られていなくて、
藤七はまず金工と組み合わせた作品を帝展に出品して
昭和3(1928)年、4(1929)年、5(1930)年と3年連続して特選をとります。

これが世間にガラス工芸も芸術になると認めさせることになります。

昭和10(1935)年からは、上野松坂屋をはじめとして全国の百貨店で
個展を開くようになります。当時ガラスは夏の商品というイメージ
だったけど、藤七は経営者として夏しか売れないのは困ると、
色ガラスを用いたのは、年中使ってもらえることが目的の一つだったと。


ここで日本のガラス工芸史を簡単に

弥生時代に渡来したガラス、
飛鳥時代に国内でガラスの製造が始まったが、
ビーズが中心であったと。

平安~室町時代は、日本のガラスの空白期

室町末期~安土桃山時代にヨーロッパからガラス器がもたらされ、
江戸時代には国内でガラス製造が開始されるが、
まだ薄いガラスしかできなかった。

19世紀になって、徐冷(なます)技術が知られて、
厚手のガラスができるようになり、
江戸切子や薩摩切子が誕生する。

明治になって西洋式ガラス製造法が伝わり、
鉛ガラスからソーダガラスへ
窓ガラスの量産もできるように。

大正~昭和初期には、色被せカットガラスが大流行
(あ、こんなコップ、昔、実家にもあった気がする)
日用の器として定着していったと。

こんな中で、藤七のガラス芸術は誕生したんですね。


さて、帝展や文展、戦後の日展にガラス作品を出品していた
藤七ですが、昭和31(1956)年の日展に、ガラスと金工で2作品を出品し、
金工作品で特選を取ります。息子の久利もガラス特品で特選受賞。
それが翌年の国会で糾弾されることになり、これによって
藤七は日展理事を退くことになります。

昭和33(1958)年は、岩田家にとって受難の年であったと
藤七が脳溢血で倒れ、胃がんの手術をすることになります。
久利は、工場が火事になり、その消火活動で肺を患い
長期入院をすることになります。


そこで、久利の妻である糸子が岩田工芸硝子株式会社の
経営とガラス製造を手掛けることになります。

糸子がデザインしたガラス卓上ランプが大ヒット商品となったそう。

黒色ガラスの製造を始めたのも糸子で、それまで
黒色のガラスは軟らかくて扱いにくいため、職人が嫌がって
作らなかったが、糸子は職人とぶつかるのも辞さず黒色ガラスの
作品を制作。その後は藤七や久利も黒色ガラスを使うようになったそう。

なんかダラダラと長く書いちゃいましたが、
岩田藤七・久利・糸子の生涯をはじめ、各務鑛三のこと、
日本のガラス史など、とても濃くて興味深く聞かせてもらいました。
(あくまで私が聞いてメモしたことと、図録で読んだことを
まとめまたものです。)


写真いっぱい撮らせてもらったし、ちょっと迷ったけど、
図録購入。2,000円(税込)
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そして、ガラスの歴史についても知りたくなって、
隣に並んでいた
「世界ガラス工芸史」美術出版社 も購入しました。2,750円(税込)
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IWATAglass-(3).jpg

「町田市立博物館所蔵
 岩田色ガラスの世界展―岩田藤七・久利・糸子―」展、

栃木県立美術館で、2021年4月17日(土)~6月27日(日)に
開催された後に

ここ岐阜県現代陶芸美術館で 7月10日(土)~8月29日(日)

その後、神奈川県立近代美術館 鎌倉別館で、
9月21日(火)~11月14日(日) に巡回します。

岐阜県現代陶芸美術館: https://www.cpm-gifu.jp/museum/

岐阜県現代陶芸美術館があるセラミックパークMINOでは、
昨年開催予定で延期となっていた
「国際陶磁器フェスティバル美濃'21」が、
2021年9月17日(金)~2021年10月17日(日) に開催されます。
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写真ではわかりづらいですが、帰るこの時、すでに空が暗く、
時々稲光もあって、途中土砂降りの雨になりました。

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中日新聞に載ったコラム記事
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chunichi-iwata(2).jpg


カラー版 世界ガラス工芸史

カラー版 世界ガラス工芸史

  • 作者: 中山 公男
  • 出版社/メーカー: 美術出版社
  • 発売日: 2000/03/16
  • メディア: ペーパーバック



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愛知県美術館「ジブリの大博覧会」 [美術]

7月20日(火)愛知県美術館へ行ってきました。
「ジブリの大博覧会」をやっています。
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この展覧会、去年2020年6月25日(木)~9月6日(日)に
開催が予定されていたんですが、
新型コロナウィルス感染拡大防止のため延期となり、
今年2021年7月17日(土)~9月23日(木・祝)の開催となりました。
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まだコロナが収まっていない今、大変混雑も予想され、
日時指定予約制となっています。
(美術館でのチケット販売はありません)
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しかし、愛知県美術館友の会会員は予約なしで、
いつでも入れるって連絡が届きました。

予約しなくていいのはありがたい‥‥
私は友の会会員でなかったら、この展覧会は行かなかったと
思います。私、ジブリはあまり詳しくないんです。
呆れられるかもしれないけど、
ナウシカも、もののけ姫も、千と千尋も、ちゃんと(全部通して)
見たことがありません。通して見た(もちろんテレビで)のは、
トトロとラピュタくらいかなぁ? (あ、石を投げないでww)

いえ、ジブリのアニメがすごいのはわかってます。でも私、
2時間近い作品を見る集中力(?)が続かないっていうか‥‥
以前も書いたんですが、
展覧会とか本とかマンガって、自分のペースで見たり読んだりできるけど、
演劇や映画は作った人のペースなんですよね。
なので、展開が早すぎて理解できなかったり、
過剰な内面描写をウザイって感じてしまったり、
そもそも私、ハラハラドキドキは好きじゃないっていうか。

ごめんなさい。話がそれてしまいました。
友の会会員証でいつでも入れるので、
せっかくなので(チケット買うと一般1,900円!)
できるだけ空いている日に行きたい
(日時指定制だから関係ないかもしれないけど)
ということで、展覧会が始まって最初の平日だった
20日(火)、パートが休みだったので早速行ったんですが――

甘かった!!

愛知県美術館がある愛知芸術文化センター10階の
エレベーターを降りたところで、まずチケットの確認があり、
指定時間内のチケットを持った人だけが行列に並ぶことができます。
行列は、トトロがバーのカウンターにいる「スタジオジブリへようこそ」
の横を通って、いつもコレクション展の入口になっている
ところから入りますが、展示室8、7、6は行列のスペースになっていました。
(私が行った時は展示室6のみが行列に使われていました)
ちょうど15時頃だったので、15:00~15:50の入場枠の人が押しかけていた
時間だったのかもしれません。もう少しズラすと良かったのか?

ベビーカーを押した家族や、子供連れ、カップル、
若い方から年配の方まで、今更ながらジブリの人気を再確認しました。

チケットを切ってもらうところで、友の会会員証にチェックを
入れてもらい、小トトロと金のシャチホコがデザインされた
ミニクリアファイルがもらえました。(これ、平日の入場券を持った
来場者限定のプレゼントだそう。配布予定数に達し次第終了)
展覧会グッズがオンラインで買えるショップの入場パスコードも
もらえました(有効期間:来場日から1週間)
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いよいよ会場に入ります。まずは「ジブリの幻燈楼」
わぁ、これいいですね!

ジブリのキャラクターがガラスのオブジェになって、
壁に投影されて回っています。
ステンドグラスも素敵。

スタジオジブリと富山ガラス工房、富山ガラス造形研究所が
共同制作したオリジナル作品なんだそう。

続いて、ジブリ作品のポスターや、グッズや写真や原画などが、
ズラリと並んでいますが、まぁ、私ではよくわからないのと、
人の多さとで‥‥

そんな私でも楽しめたのが『紅の豚』や『風立ちぬ』など、
ジブリ作品に登場する飛行機もからめて、人類の飛行の歴史の
ウンチクをブタのキャラクターが解説する部屋。
岡崎二郎の無駄にウンチクの多いマンガを思い出しました。
(すごく私のマイナーな趣味でスミマセン)

そして「空飛ぶ巨大な船」はさすがの迫力でした!!!
和紙でできている? 中からの明かりが幻想的な町も素敵だった。


『風の谷のナウシカ』の王蟲などが巨大な大きさで立体化され、
まるで腐海の世界に紛れ込んだような展示も迫力だった。

そして「ねこバスアトリエ」

NHK Eテレ「デザインあ」の総合指導などの
佐藤卓氏企画監修の愛知県初登場の新展示企画。

動物の「ネコ」と乗り物の「バス」が合体した「ネコバス」。ここには、全く関係がない2つのものを合体させてしまうという「アイデア」があります。(中略) このネコバスのようなアイデアを考えるきっかけとして、すでに世の中にあるけれども気づいていない合体した実例や、愛知県美術館収蔵作品を中心に、新たに制作した作品も含め、古今東西から集めた美術品・工芸品を、ここでしか見られない空間で展示します。
展覧会特設サイト「みどころ・展示内容」より:
https://www.ghibliexpo-aichi.com/exibition.html

中央の丘のような台の上に立つトナカイのような作品、
シシ神さまをモチーフにしているって後で知りました
(スミマセン私それくらいの知識しかなくて)が、
ジブリ所蔵の、ステファニー・クエールの作品なんですって?!!

今年5月に岐阜県現代陶芸美術館で開催された
「Human and Animal 土に吹き込まれた命」展 で、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-06-03

ステファニー・クエールの作品がたくさん展示されてて、
すごく良かったんですが、ジブリ、さすがです。

周囲には、
前回、愛知県美術館ホールにどーんといた三沢厚彦のライオンや
舟越桂の彫刻《肩で眠る月》

木村定三コレクションの《獅子・狛犬像》室町-桃山時代
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《神楽面・おたふく》江戸時代
9925.jpg

《狂言面・鳶》江戸時代
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《追儺面・鬼》室町時代
5315.jpg

(愛知県美術館コレクション検索のパブリック・ドメイン画像お借りしてきました)

そして熊谷守一の猫の絵や書などがたくさん並んでいるのが嬉しかったし、
桂ゆき《人と魚》の絵がインパクトあった。

いつもと雰囲気が違って、自然の中のようなディスプレイで、
雑然と並べられているのが、私には面白かったですが、
ジブリを見に来た人の中には「よくわからん」ってつぶやいて、
足早に通り過ぎていく人も。


最後に、来年オープンする「ジブリパーク」に作られる
「ハウルの城」の建築模型などが展示されています。

ジブリパークは、愛・地球博記念公園(モリコロパーク)内に
できるんですね。
2015年には愛・地球博記念公園で「ジブリの大博覧会」が
開催されていて、その後バージョンアップしながら5年間で
国内全11ヵ所の巡回を終え、全ての展示物が勢ぞろいして
開催されたのが、この展覧会とのこと。

2005年の「愛・地球博」で大人気だった「サツキとメイの家」
EXPO-AICHI.jpg
(愛・地球博公式ハンディブックより)
万博後も残されて公開されていて、だいぶ予約も取りやすくなったって
聞いてたので、一度見に行きたいなとは思ってたんですけど、
ジブリパークができたらまた混雑しそうー

去年から、ジブリパーク整備のために休業していた
「サツキとメイの家」
今年4月22日(木)~10月31日(日)の間、営業(一時)再開だそう。

詳しくは、愛・地球博記念公園(モリコロパーク)HPで
https://www.aichi-koen.com/moricoro/

展覧会のお楽しみ、ショップですが、当然大混雑で、
行列ロープでオリジナルグッズがディスプレイされているところを
通っていった後に買えるようになってました。

色々楽しそうなものもあったんですが、並んでるし、
オンラインショップもあるし‥‥って、寄らずに帰りました。
(結局オンラインショップはアクセスしなかった)

10階の美術館前にあった撮影スポット(美術館内は撮影禁止)
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ここも並んでて、人が写らないように撮影するのに一苦労しました。

しかし、今更ながらジブリの人気(年代問わず)に驚きました。
ジブリにあまり詳しくない私(スミマセン)でも楽しめましたので、
ファンのにはたまらないだろうなーって。

ファンの方、チケット取れたら行ってくださいね。
チケットの予約はこちらから:
ジブリの大博覧会特設サイト:https://www.ghibliexpo-aichi.com/


愛知県美術館: https://www-art.aac.pref.aichi.jp/

ジブリの大博覧会特設サイト:https://www.ghibliexpo-aichi.com/
ジブリの大博覧会公式twitter:@ghibliexpo2021

オアシス21のカフェでケーキセット食べて帰りました。
「ジブリの大博覧会」のチケット提示で、タイアップの
サービスが受けられるお店もあるようです。
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