SSブログ

岐阜県美術館「前田青邨 展」 [美術]

10月27日(木)、岐阜県美術館へ行きました。

「開館40周年記念
 前田青邨 展
 究極の白、天上の碧
 ―近代日本画の到達点―」
MaedaSeison.jpg

すごく良かった! 力が入った展覧会だなってカンジ。

前田青邨(まえだ せいそん 1885-1977)
岐阜県中津川市出身で、
大正から昭和の日本美術院で中核を担った日本画家。

MaedaSeison-2.jpg

岐阜県出身の日本画の巨匠ということで、
岐阜県美術館の所蔵作品も多いです。

最初の部屋がすごい!

まず、
《大久米命》明治40(1907) と、
《囚はれたる重衡》明治41(1908) が並んでいます。
2つとも岐阜県美術館の所蔵作品なので、
今までも何度か見たことがあるんですが、
どちらも青邨の初期の作品、そして《大久米命》は、
第一回文展へ応募して落選した作品なんだと知りました。
この作品が落選? とちょっと驚くけど、
これが青邨の生涯一度の落選作なんだそう。

続いて、チラシ中面に使われている六曲一双の金屏風
《罌粟》昭和5(1930) 光ミュージアム
右隻には白い花が横一線に並び、左隻には罌粟坊主が
倒れたようになったところに赤い花が1点(と少し)
デザイン的なセンスが素敵だなぁと。

そして、墨色と余白がとても美しい
《鵜》昭和15(1940) 株式会社十六銀行
嘴や目に施された淡彩も上品

その後ろが《洞窟の頼朝》のコーナーのようになっていました。
重要文化財に指定されている
《洞窟の頼朝》昭和4(1929) 大倉集古館
二曲一隻の重厚な絵

美術館入口の看板に使われています。
2022-10-27-(6).jpg

実は、私このブログの2006年の記事
岐阜県美術館「前田青邨展」で、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2006-09-08
「実物を見ると、鎧の細部まで細かく描いてあるが、いまいち着色がどんくさいというか‥‥実物を前にして、印刷物とはまるで違ってスゴイという驚きはなかった。」
なんて、まぁ生意気にも書いていて、我ながら赤面するんですが<;@o@;;;
(えー?! 今回見てスゴイと思ったけどーー)

まぁ、厚塗りの絵具が重厚というか暗いカンジで、
その手前に展示してあった昭和32(1957)制作の
《洞窟の頼朝》の方が好きではありますが。
どちらも、鎧や衣装の細かな文様の描き込みに感心します。

後年、青邨はこの作品について、
兜や甲冑に気持ちが傾きすぎたとも語っていたそう。

歴史画と並び、青邨の絵というと思い浮かぶ
(チラシ中面にも《洞窟の頼朝》と並んでますね)
《紅白梅》昭和39(1964) 公益財団法人ひろしま美術館

図録の表紙にも《紅白梅》が使われています。
MaedaSeison-b (1).jpg

岐阜県美術館蔵の高松宮喜久子妃の肖像画
《ラ・プランセス》昭和32(1957)

昭和30年、前田青邨は皇居仮宮殿「饗応の間」の壁画を依頼され、能「石橋(しゃっきょう)」を題材に赤獅子の舞う姿を描いた。その際、モデルを依頼した14世喜多六平太の出を待つ構えを見て、新たに本作品を構想したと伝わる。(図録より)
《出を待つ》昭和30(1955) 岐阜県美術館(チラシ中面下段)

その奥の、いつものはルドンの版画などが並んでいる部屋に、
チラシ表面に使われている
《羅馬使節》昭和2(1927) 早稲田大学 會津八一記念博物館

約3mもある(291.0×196.0cm)大きな作品!
MaedaSeison-gifu-1.jpg

秘蔵の大作、40年ぶりに郷土で特別公開」とチラシなどにありますが、
早稲田大学 會津八一記念博物館で専用の固定展示ケースの中で
額装され建物と一体化して保管されている状態のこの作品を
借用し、搬送して、ここに展示するには数々の苦労があったとのこと。
MaedaSeison-gifu-4.jpg
会場に置いてあった岐阜新聞の記事

MaedaSeison-gifu-23.jpg

青邨は大正11(1922)年10月から翌年8月まで、
日本美術院の泰西芸術視察海外研究生として、
欧州へ留学します。この旅が大きな転機となります。
それまで
自分の進む道を模索し、西洋美術の方がこれからの時代にはふさわしいのではないかと悩んでいた青邨が、イタリアで見た中世の絵画に日本画との共通点を見いだし、日本画の将来性に確信を得たからである。
岐阜新聞の記事より

欧州で膨大なスケッチと共に、大量の写真資料――絵画や建築彫刻、
中でも初期ルネッサンス壁画が多い――を購入しているそう。
それらを基に、欧州留学の集大成として取り組んだ作品。

この作品の下図や、やや小ぶり(110.0×63.5cm)な
《羅馬使節》昭和5(1930)頃 公益財団法人 二階堂美術館
も展示されていました。
黒い馬と赤い馬具、背景の建物も少し平面的で
全体に装飾的なのが、私はこちら好きですけど。

同じ部屋に東大寺二月堂の「お水取」を描いた絵巻や
スケッチなども展示されてました。
青邨は昭和34年2月から3月まで奈良に滞在し、
何百枚もスケッチしたそう。

行事を見守る群集の中に、スケッチする画家が描かれている
とのことで、探して見つけてニヤッとしました。

いつも抹茶茶碗などが展示されている小部屋には、
《遊漁》大正10(1921) 公益財団法人 三渓園保勝会 と
《遊漁》大正10(1921)頃 岐阜県美術館 が

向かい合わせに展示されていて、それまでのカッチリした絵に
比べ、ゆるいというか、ちょっと抽象画にも見えるような、
面白い空間になっていました。

私どちらも同じ六曲一双の金屏風だと思っていたら、
岐阜県美術館蔵の方は「紙本金彩
数種類の金泥(金箔を粉状にし膠水で溶きまぜたもの)だけで表現した作品」で、

再興第八回院展に出品された原三渓旧蔵品の方は「絹本着色
裏箔(絹地の裏から金箔を押して、木滑の隙間から柔らかく金を光らせたもの)に墨と金泥とで描き、より繊細な雰囲気を漂わせたものとなっている。

ここまで青邨の代表作ともいえる名品がズラリと並んでいて、
見ごたえ充分なんですが、実はここまでが展覧会の序章(!)


ここから青邨の芸術が7つの章に分けて紹介されます。

第一章 古きものへの愛
青邨初期の作品が並びます。

青邨は16歳で梶田半古(かじた はんこ)に師事します。
兄弟子に小林古径(こばやし こけい)がいて、
生涯の盟友となります。

《袈裟御前》明治35(1902)頃 中津高等学校同窓会

師の梶田半古から「青邨」の雅号を受けた17歳頃の作品。
どこかで見たような絵だなって思ったら、
菊池容斎『前賢故実』を参考にしつつ細部に変更を加えて描いたと。

「渡辺省亭」展を見に行って、省亭の師だと知った菊池容斎
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-06-09

菊池容斎『前賢故実』は、歴史上の人物581名の肖像と
漢文による略歴を記した労作で、明治から大正にかけての
歴史画家にとって最大のお手本であり、
絵を描く際のネタ本だったと。


第二章 異文化体験と惑い
青邨が参加した美術団体「日本美術院」では、所属作家が積極的に海外を旅して異国の文化を体験しており、青邨もまた繰り返し海外へ渡ってその見聞を絵にした。

この頃の青邨は日本画に対して惑いを抱いていた
とのことですが、デザイン的な構図のセンスとか
洒落てるなぁって見ました。


第三章 いにしえびとへの愛

青邨は「人物をかくのが一番むずかしく、人物がかける者は花鳥でも山水でもかけるのだという気持ちがあって抜けません。」と言ったそうですが、
歴史上の人物画は青邨のライフワークでした。


作品をたくさん鑑賞して、少し疲れたので、
ソファで一休みしたんですが、そこに図録と共に置いてあった
中津川市が発行した前田青邨の伝記漫画がとてもわかりやすくて、
最後まで読んでしまいました。非売品ってことで残念!


第四章 究極の「白」を求めて

青邨の水墨画が並びます。線の魅力を存分に発揮した
白描(墨の線だけで表す描法)による肖像画は、
画面の余白が美しく、緊張感があります。

喜寿を迎えた青邨の横向きの自画像
《白頭》昭和36(1961)東京藝術大学
横向きの自分を描くために二枚の鏡を合わせたりして苦労したそう。
眼鏡をはずし画架を見つめる白髪の画家の鋭い目
余白に緊張感のある作品ですが、画家の横に置かれた鉢にある
果物は、白桃? タイトルとの遊び心?


第五章 美しき彩りへの偏愛

白描画の一方、大和絵に学んだ華麗な色彩も青邨の特徴で、
混色が少ないために、色の固有の美しさが際立っています。

これは、青邨27歳の明治45(1912)年、紅児会の展覧会場で
岡倉天心に「前田さん、にごりをお取りなさい」と
言われたことも、きっかけではないかと。

岐阜県美術館蔵の《応永の武者》昭和22(1947) も
ここに展示されていました。
会場入口前の記念撮影コーナーに使われていました
2022-10-27-(8).jpg


第六章 可愛い青邨

ここに展示されてた
《動物の舞踏会》昭和33(1958) 公益財団法人 二階堂美術館
すっごく気に入りました! ユーモラスで可愛い!!
MaedaSeison-b (2).jpg
1958年の第29回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展に
出品された作品の1つ。《鳥獣戯画》の継承ですね!
イタリアでこの作品を見た人も、きっと笑みを誘われたでしょう!!

花瓶の桃花や薔薇、ペンギンや枝長、果物鉢など、
個人蔵の小品が多いですが、こういう
ちょっと力の抜けたというか「可愛い」絵、いいなぁ!!


第七章 画禅入三昧―ただ絵を愛す

青邨の座右の銘「画禅入三昧」
スランプに陥っていた30代半ばの青邨は、鎌倉・円覚寺の老師、
釈宗演(しゃく そうえん)へ参禅し、この偈文
―自己の全てを絵に投入する―を記した掛軸を与えられた。
青邨はこれを生涯の指針とし、難しい制作の時は書を
画室の床へ掲げたとのこと。

老いてなお意欲的な制作を続ける青邨最晩年の作品が並びます。

《異装行列の信長》昭和44(1969) 山種美術館
《水辺春暖》昭和48(1973) 岐阜プラスチック工業株式会社(大松美術館にあった作品ですね)
《富貴花》昭和49(1974) 名古屋市美術館
など、どれも老いを全く感じさせない大作!

青邨は、画家仲間からも「絵を描くことが好き」と
言われるほど、作画三昧の人だったそうで、
それが、歴史画から風景、花鳥画、肖像画など幅広い題材を
水墨画も着色画も描いた近代日本画の巨匠の源だったんでしょうね。

そこには絵への、
 愛がある。
」(チラシのサブコピー)


映像コーナーでは、皇居仮宮殿「饗応の間」の壁画を依頼され、
14世喜多六平太をモデルに描いた《石橋》の制作過程を
記録した映像が上映されていました。

この《石橋》、現在皇居「石橋の間」に
後年描き足された紅白の牡丹図と共に配置され、
天皇陛下の記者会見の折りには背景画になっています。


図録がまたいい!
特色が使われているのかな? 金色がすごくきれいに出てます。
MaedaSeison-b (1).jpg
2,900円+税金のところ、後援会員は税込3,000円で買えました。

中津川市発行の前田青邨の伝記漫画、売ればいいのに。

ショップで、青邨が郷里から取り寄せていたという好物、
栗菓子が売られていたので購入。
2022-10-27-(13).jpg

栗納豆3個、渋栗納豆3個入りで1,555円(税込)でした。
2022-10-27-(14).jpg
あ、このヤマツ食品の初代の次男が青邨とのこと。
つまり、青邨の実家なんですね。
青邨は次男なので、好きな絵の道に進むのもいいだろうと
上京を許されたそう。

店舗の2階には、前田青邨を記念した
「ギャラリー前田館」があるそう。
中津川に行く機会があったら行ってみたい!

栗納豆、美味しかった!
2022-10-28-(3).jpg


岐阜県美術館: https://kenbi.pref.gifu.lg.jp/

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:アート