新美南吉記念館記念館と矢勝川の彼岸花 [花]
9月28日(木)、愛知県半田市へ行ってきました。
「新美南吉のふるさと」として知られる半田には、
新美南吉記念館があり、その近くを流れる
矢勝川の堤は、300万本の彼岸花が咲く、
ヒガンバナの名所として知られています。
矢勝川堤のヒガンバナは、
新美南吉の童話『ごんぎつね』の一節
「ひがん花が赤い布(きれ)のようにさきつづいていました」
という描写を再現しようと、1990年に地域の方が主体となって
彼岸花の球根を植栽したのがはじまりで、今では
300万本の群生となっているのだそう。
毎年、秋の風物詩として紹介されていて、
行ってみたいなーと思いつつ、行ったことがありませんでした。
彼岸花って、桜と同じかそれ以上に期間が限られてるし
できれば平日に行きたいと思うと、なかなか都合がつかなくて
(桜って地域やその年の気候によって咲く時期がズレますが、
彼岸花は本当に秋の彼岸に咲きますね! 不思議‥‥
今年みたいに猛暑でも、例年より少し遅めかなって気もするけど、
彼岸にはあちこちで咲いてるのを見ることができました!)
8月25日に父が亡くなり、葬儀の後も、
二七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)、四七日(よなのか)、
月命日と法要があったりで、趣味の(?)美術館巡りとかにも
ちょっと心が動かなくて‥‥
9月28日(木)は、本来なら父の五七日になるんですが、
9月23日(土・祝)に五七日忌明法要を営んだので、
この日の法要はなく、パートも休みとなっていたので、
久しぶりにどこか出かけて来ようかなって気になりまして
名鉄河和線特急で阿久比駅で普通に乗換えて
特急が停まる駅なのに、駅の片側は田んぼ。
車内の中吊り広告に「新美南吉生誕110年」と
(名鉄電車にはもう名鉄関連の広告しかないですねー)
「半田口」駅下車
ホームには「新美南吉とふるさと岩滑(やなべ)」の看板
駅から出たところには、
「名古屋から
帰って来ると
我々の村は
新緑の中に
埋もれていた。
うれしかった。」
1941(昭和16).6.22日記 27歳
「死ぬのは嫌だ。
生きていたい。
本が読みたい。
創作がしたい。」
1933(昭和8).12.6日記 20歳
わずか29歳で亡くなった南吉を思うと、
悲痛な叫びのように心に響きます。
「僕の文学は
田舎の道を
分野とする。」
1940(昭和15).11.24日記 27歳
駅に置かれていたウォーキングガイドマップを見て、
まずは、新美南吉生家へ
1913年(大正2年)7月30日、畳屋を営む父・渡邊多蔵、母・りゑ(旧姓・新美)の次男として生まれる。
前年に生まれ18日後に死亡した兄「正八」の名をそのままつけられた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%8E%E5%8D%97%E5%90%89 より
母りゑの実家の養子に出されて「新美正八」となる。
こちらが父が営んでいた畳屋
こちらは継母・志んが営んでいた下駄屋
観光ボランティアガイドの方が説明してくださいました。
観光パンフなども置かれています。
道側から見ると一階建てですが、
急な梯子を降りると、下に御勝手や、
小さな部屋もあります。
生家は、南吉が亡くなる二か月前に喉の痛みをこらえながら、
「狐」「小さい太郎の悲しみ」など最後の作品を書いたところ
でもあるそうで、こんな部屋で書いていたのかなと。
生家の横にある南吉の句碑
「冬ばれや
大丸煎餅
屋根に干す」
南吉の文字が繊細で詩的!
生家の前にある「常夜灯」
石段にあるくぼみは、子どもたちが「草つき遊び」をした跡
「花を埋める」「音ちゃんは豆を煮ていた」に登場する。
南吉が8歳で養子に出されたことを
「常夜灯の下で遊んでいるところへ、母が呼びに来て家につれられて帰ると、初(はつ)という人が私を待っていた。少しの酒と鰯の煮たのとでささやかな儀式がすんで、私は新しい着物を着せられ、初という人につれられて、隣村のおばあさんの家に養子にいったのだった。」
と書いています。
岩滑八幡社
南吉は毎日この境内を通って、はなれの家と店(生家)を往復していた
「ごんぎつね」の中で「赤い井戸」として登場する
常滑焼の井戸筒
「ごんの秋まつり」の旗が立てられていて、
道に迷うことはありません。
矢勝川に出ました。
カタツムリの像がある「てでむし広場」
堤に彼岸花が咲く、のどかな風景が広がっています。
矢勝川にかかる殿橋を渡って北側の堤の道
矢勝川は半田市と阿久比町の境になっているので、
こちらは阿久比町になります。
黄色く色づいた田んぼにシラサギがいました。
「ごんの飛び石」で矢勝川を渡ることができます。
田んぼアートが作られていました。
毎年、南吉のふるさとをテーマにした絵柄で作られていて、
今年は『でんでんむしの かなしみ』とのこと。
彼岸花だけでなく、コスモスも咲いてます。
(今年のヒマワリはもう終わったとのこと)
童話「ごん狐」で、兵十がウナギを捕っていた矢勝川
(その頃は裏の川という意味で「背戸川」と呼んでいた。)
川の向うに見える山は「権現山」
ごんは中山(新美南吉記念館敷地内の小山)から少し離れた山に
住んでいたことになっているので、南吉は
「権現山の狐」というつもりで「権狐」としたのかもしれないと。
ここは白い彼岸花も多く咲いてますね。
「ごんの秋まつり」期間中(9/20~10/4)は、
お休み処が開設されていて、心ひかれたんですが、
トイレ行きたくなって、新美南吉記念館へと急ぎました。
新美南吉記念館の屋外トイレ
えーと、記念館は?
わー! 芝生に埋もれたようなユニークな設計!
帰る時に撮った写真ですが、記念館の入口は右側にあり、
左側はcafe&shop「ごんの贈り物」(展示室の出口にもなってます)
観覧料220円(中学生以下無料)
チケットのキツネの絵は安野光雅
ロビーには、新美南吉生誕110年の花輪が。
ごんをモチーフにしたステンドグラスも素敵。
ゆったりしたスロープを通って展示室へ。
右手には、手袋を買いに来た子ぎつね?
奥には図書閲覧室も
新美南吉さんが読書してる!
階段にできた影が面白い
展示室
今年の田んぼアートのモチーフになっていた
『でんでんむしのかなしみ』
私、この話知らなかったんですが、
平成10(1998)年9月、インドのニューデリーで開かれた国際児童図書評議会(IBBY)世界大会において、当時皇后だった美智子さまが紹介された作品なんだそう。
今、子どもに限らず、明るく積極的にって求められることが
多いような気がするけど、この世に生きる全ての人に、
こんな淋しさが根底にあるような気がする。
決して、あきらめの物語ではないと思う。
天井に吊るされているのは
兵十が川で魚をとっていた「はりきり網」
ごんがいたずらしてる(^^)
小部屋で、ごんぎつねの人形アニメが上映されていたので、
座れるから休憩がてら、なんて軽い気持ちで見たら、
その世界に引き込まれて、28分という、短くはない
作品なんですけど、全部見てしまいました。
ストップモーションアニメーション
「ごん/GON,THE LITTLE FOX」
素朴な人形ならではの表情‥‥これすごく手間かかってますよね?!
原作にはないけど、ごんが罠にかかった母狐と別れるシーン、
すごく心に沁みたなぁ‥‥
「ごん/GON,THE LITTLE FOX」公式サイト: https://gon-cinema.jp/
新美南吉の生い立ちが紹介されています。
半田中学校入学から上京まで(1926-1932)
「権狐」が書かれたノート(複製)
昭和6(1931)年10月4日(南吉18歳!)
『赤い鳥』に投稿した際の控えと考えられる
と、「ごん狐」掲載の『赤い鳥』
昭和7(1932)年1月号
冒頭部分がかなり簡潔になっていたり、
全編にわたって数多くの修正がみられるそう。
昭和7年4月、東京外国語学校英語部文科に入学。
北原白秋に師事し、巽聖歌、与田凖一らと交流。
岩滑への帰郷と運命との闘い(1937-1938)
喀血して帰郷した南吉は、昭和12年(1937)4月から4か月間、
河和第一尋常高等小学校で代用教員として働きます。
「ここで僕はかりそめのささやかな仕合せを味っています。
(略)生きていることは無駄ばかりではないことがこれで解りました。」
巽聖歌(たつみ せいか)宛の手紙 昭和12年6月5日消印
安城への赴任と少女たちとの出会い(1938-1940)
代用教員の後に勤めた飼料会社での激務を心配した
中学時代の恩師のはからいで、安城高等女学校の教員となり、
やっと生活が安定します。英語、作文、農業を教え、
生徒たちと詩集を発行したりしました。
南吉の絵(複製)も味がありますね。
「安城に下宿し、作品を多く書くようになりました。書いた作品は、新聞や雑誌に掲載されました。南吉にとって充実した毎日でした。」
(こどもむけかいせつ より)
初めての出版から永眠まで(1941-1943)
学習社から執筆依頼を受け、昭和16年(1941)1月からわずか
3ヶ月で伝記物語『良寛物語 手毬と鉢の子』を書きあげ、
10月に出版されました。南吉の初の単行本出版
売れ行きは好調だったが、執筆の無理がたたったのか体調を崩す。
昭和17年(1942)3月から5月にかけ、
「おじいさんのランプ」「牛をつないだ椿の木」
「花のき村と盗人たち」などの代表作を次々に執筆。
10月、はじめての童話集『おぢいさんのランプ』出版。
挿絵は棟方志功!
昭和18年(1943)病状悪化。自宅で療養しながら
「狐」「小さい太郎の悲しみ」などを執筆。
2月、手元の作品をまとめて巽聖歌に送り、出版を依頼。
3月22日、喉頭結核のため、29歳7か月の生涯を閉じる。
「はやく童話集がみたい。
今はそのことばかり考えている。」
巽聖歌宛の葉書 昭和18年3月8日
南吉が生前手にすることができた本は、
伝記物語『良寛物語 手毬と鉢の子』と、
童話集『おぢいさんのランプ』だけだった。
南吉が「ちょっと僕の独房を見てよ(笑)」と言った
昭和8(1933)年5月から昭和10(1935)年春頃まで暮らしていた
川村家の三畳間が再現されています。
川村家の建物は、戦火をまぬがれ、長く使われていましたが、
平成23年に取り壊されました。再現された部屋にはめられている
高窓は、その時の取り外されたものだそう。
南吉もこの窓から空を見上げてたんですね。
この部屋で「手袋を買いに」をはじめ数々の作品が生まれたと。
南吉の胸像の前にはお花が
ふるさと納税で南吉さんにお花を贈るプランが
あるそうですね。
企画展のコーナーでは、
「新美南吉生誕110年
南吉と長野ヒデ子の母の世界展」
として(期間 2023年7月15日~10月29日)
南吉の「狐」を描いた絵本作家の長野ヒデ子さんの、
絵本や原画、ラフスケッチなどが展示されていました。
(このコーナーは撮影禁止)
新美南吉生誕110年を前に、記念館では南吉作品で
赤ちゃんのための絵本を記念につくれないかと検討して、
長野ヒデ子さんに相談したところ、
南吉の詩『天国』を絵本にした『てんごく』ができたとのこと。
短い詩を何ページもある絵本にするために、
多くのラフや原画が描かれているんだなと。
使われなかった絵もあるんですね。
ショップでは、新美南吉の絵本や書籍をはじめ、
童話をモチーフにしたグッズや、銘菓などが売られていました。
(カフェもあるんですが、秋まつり期間はテイクアウトのみ)
かわいい狐のグッズにも魅かれたけど、
購入したのは、(袋もカワイイ!)
長野ヒデ子さんの絵本
『おばあちゃんがおばあちゃんになった日』1,430円(税込)
パワフルなおばあちゃんたちが登場するのが楽しい!
岩滑サブレ 2枚組×10袋 1,080円(税込)
ごんの顔の形もカワイイけど、美味しかった!
ココナッツとココアの2枚組でパックされてるのも嬉しい。
南吉の黄ごん芋 3個入り 680円(税込)
サツマイモを使ったボリュームのある焼き菓子
お地蔵さんが並んでると、よく見たら
ごんがお地蔵さんのかげにかくれています!
前には栗も置かれていますね(^▽^)
「手袋を買いに」の文学碑
記念館のすぐ南にある丘のようになった森は、
「ごんぎつね」にも登場する中山。
「童話の森」として遊歩道が整備されています。
ここにも彼岸花が咲いていました。
さて、矢勝川の彼岸花を見ながら帰ることにします。
お休み処は夕方になってほとんど店じまいされてました。
‥‥ちょっと残念。
コスモスの花の中を通ったり、
彼岸花と実った稲。豊かな日本の風景ですねー
童話の世界に入り込んだようなのどかな風景
「半田口」駅から帰ります。屋根にもごんぎつねがいる!
新美南吉記念館: http://www.nankichi.gr.jp/
半田市観光ガイド: https://www.handa-kankou.com/
久しぶり(1年半ぶり!)にインスタに投稿してみました。
--楽天ブックス--
「新美南吉のふるさと」として知られる半田には、
新美南吉記念館があり、その近くを流れる
矢勝川の堤は、300万本の彼岸花が咲く、
ヒガンバナの名所として知られています。
矢勝川堤のヒガンバナは、
新美南吉の童話『ごんぎつね』の一節
「ひがん花が赤い布(きれ)のようにさきつづいていました」
という描写を再現しようと、1990年に地域の方が主体となって
彼岸花の球根を植栽したのがはじまりで、今では
300万本の群生となっているのだそう。
毎年、秋の風物詩として紹介されていて、
行ってみたいなーと思いつつ、行ったことがありませんでした。
彼岸花って、桜と同じかそれ以上に期間が限られてるし
できれば平日に行きたいと思うと、なかなか都合がつかなくて
(桜って地域やその年の気候によって咲く時期がズレますが、
彼岸花は本当に秋の彼岸に咲きますね! 不思議‥‥
今年みたいに猛暑でも、例年より少し遅めかなって気もするけど、
彼岸にはあちこちで咲いてるのを見ることができました!)
8月25日に父が亡くなり、葬儀の後も、
二七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)、四七日(よなのか)、
月命日と法要があったりで、趣味の(?)美術館巡りとかにも
ちょっと心が動かなくて‥‥
9月28日(木)は、本来なら父の五七日になるんですが、
9月23日(土・祝)に五七日忌明法要を営んだので、
この日の法要はなく、パートも休みとなっていたので、
久しぶりにどこか出かけて来ようかなって気になりまして
名鉄河和線特急で阿久比駅で普通に乗換えて
特急が停まる駅なのに、駅の片側は田んぼ。
車内の中吊り広告に「新美南吉生誕110年」と
(名鉄電車にはもう名鉄関連の広告しかないですねー)
「半田口」駅下車
ホームには「新美南吉とふるさと岩滑(やなべ)」の看板
駅から出たところには、
「名古屋から
帰って来ると
我々の村は
新緑の中に
埋もれていた。
うれしかった。」
1941(昭和16).6.22日記 27歳
「死ぬのは嫌だ。
生きていたい。
本が読みたい。
創作がしたい。」
1933(昭和8).12.6日記 20歳
わずか29歳で亡くなった南吉を思うと、
悲痛な叫びのように心に響きます。
「僕の文学は
田舎の道を
分野とする。」
1940(昭和15).11.24日記 27歳
駅に置かれていたウォーキングガイドマップを見て、
まずは、新美南吉生家へ
1913年(大正2年)7月30日、畳屋を営む父・渡邊多蔵、母・りゑ(旧姓・新美)の次男として生まれる。
前年に生まれ18日後に死亡した兄「正八」の名をそのままつけられた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%8E%E5%8D%97%E5%90%89 より
母りゑの実家の養子に出されて「新美正八」となる。
こちらが父が営んでいた畳屋
こちらは継母・志んが営んでいた下駄屋
観光ボランティアガイドの方が説明してくださいました。
観光パンフなども置かれています。
道側から見ると一階建てですが、
急な梯子を降りると、下に御勝手や、
小さな部屋もあります。
生家は、南吉が亡くなる二か月前に喉の痛みをこらえながら、
「狐」「小さい太郎の悲しみ」など最後の作品を書いたところ
でもあるそうで、こんな部屋で書いていたのかなと。
生家の横にある南吉の句碑
「冬ばれや
大丸煎餅
屋根に干す」
南吉の文字が繊細で詩的!
生家の前にある「常夜灯」
石段にあるくぼみは、子どもたちが「草つき遊び」をした跡
「花を埋める」「音ちゃんは豆を煮ていた」に登場する。
南吉が8歳で養子に出されたことを
「常夜灯の下で遊んでいるところへ、母が呼びに来て家につれられて帰ると、初(はつ)という人が私を待っていた。少しの酒と鰯の煮たのとでささやかな儀式がすんで、私は新しい着物を着せられ、初という人につれられて、隣村のおばあさんの家に養子にいったのだった。」
と書いています。
岩滑八幡社
南吉は毎日この境内を通って、はなれの家と店(生家)を往復していた
「ごんぎつね」の中で「赤い井戸」として登場する
常滑焼の井戸筒
「ごんの秋まつり」の旗が立てられていて、
道に迷うことはありません。
矢勝川に出ました。
カタツムリの像がある「てでむし広場」
堤に彼岸花が咲く、のどかな風景が広がっています。
矢勝川にかかる殿橋を渡って北側の堤の道
矢勝川は半田市と阿久比町の境になっているので、
こちらは阿久比町になります。
黄色く色づいた田んぼにシラサギがいました。
「ごんの飛び石」で矢勝川を渡ることができます。
田んぼアートが作られていました。
毎年、南吉のふるさとをテーマにした絵柄で作られていて、
今年は『でんでんむしの かなしみ』とのこと。
彼岸花だけでなく、コスモスも咲いてます。
(今年のヒマワリはもう終わったとのこと)
童話「ごん狐」で、兵十がウナギを捕っていた矢勝川
(その頃は裏の川という意味で「背戸川」と呼んでいた。)
川の向うに見える山は「権現山」
ごんは中山(新美南吉記念館敷地内の小山)から少し離れた山に
住んでいたことになっているので、南吉は
「権現山の狐」というつもりで「権狐」としたのかもしれないと。
ここは白い彼岸花も多く咲いてますね。
「ごんの秋まつり」期間中(9/20~10/4)は、
お休み処が開設されていて、心ひかれたんですが、
トイレ行きたくなって、新美南吉記念館へと急ぎました。
新美南吉記念館の屋外トイレ
えーと、記念館は?
わー! 芝生に埋もれたようなユニークな設計!
帰る時に撮った写真ですが、記念館の入口は右側にあり、
左側はcafe&shop「ごんの贈り物」(展示室の出口にもなってます)
観覧料220円(中学生以下無料)
チケットのキツネの絵は安野光雅
ロビーには、新美南吉生誕110年の花輪が。
ごんをモチーフにしたステンドグラスも素敵。
ゆったりしたスロープを通って展示室へ。
右手には、手袋を買いに来た子ぎつね?
奥には図書閲覧室も
新美南吉さんが読書してる!
階段にできた影が面白い
展示室
今年の田んぼアートのモチーフになっていた
『でんでんむしのかなしみ』
私、この話知らなかったんですが、
平成10(1998)年9月、インドのニューデリーで開かれた国際児童図書評議会(IBBY)世界大会において、当時皇后だった美智子さまが紹介された作品なんだそう。
今、子どもに限らず、明るく積極的にって求められることが
多いような気がするけど、この世に生きる全ての人に、
こんな淋しさが根底にあるような気がする。
決して、あきらめの物語ではないと思う。
天井に吊るされているのは
兵十が川で魚をとっていた「はりきり網」
ごんがいたずらしてる(^^)
小部屋で、ごんぎつねの人形アニメが上映されていたので、
座れるから休憩がてら、なんて軽い気持ちで見たら、
その世界に引き込まれて、28分という、短くはない
作品なんですけど、全部見てしまいました。
ストップモーションアニメーション
「ごん/GON,THE LITTLE FOX」
素朴な人形ならではの表情‥‥これすごく手間かかってますよね?!
原作にはないけど、ごんが罠にかかった母狐と別れるシーン、
すごく心に沁みたなぁ‥‥
「ごん/GON,THE LITTLE FOX」公式サイト: https://gon-cinema.jp/
新美南吉の生い立ちが紹介されています。
半田中学校入学から上京まで(1926-1932)
「権狐」が書かれたノート(複製)
昭和6(1931)年10月4日(南吉18歳!)
『赤い鳥』に投稿した際の控えと考えられる
と、「ごん狐」掲載の『赤い鳥』
昭和7(1932)年1月号
冒頭部分がかなり簡潔になっていたり、
全編にわたって数多くの修正がみられるそう。
昭和7年4月、東京外国語学校英語部文科に入学。
北原白秋に師事し、巽聖歌、与田凖一らと交流。
岩滑への帰郷と運命との闘い(1937-1938)
喀血して帰郷した南吉は、昭和12年(1937)4月から4か月間、
河和第一尋常高等小学校で代用教員として働きます。
「ここで僕はかりそめのささやかな仕合せを味っています。
(略)生きていることは無駄ばかりではないことがこれで解りました。」
巽聖歌(たつみ せいか)宛の手紙 昭和12年6月5日消印
安城への赴任と少女たちとの出会い(1938-1940)
代用教員の後に勤めた飼料会社での激務を心配した
中学時代の恩師のはからいで、安城高等女学校の教員となり、
やっと生活が安定します。英語、作文、農業を教え、
生徒たちと詩集を発行したりしました。
南吉の絵(複製)も味がありますね。
「安城に下宿し、作品を多く書くようになりました。書いた作品は、新聞や雑誌に掲載されました。南吉にとって充実した毎日でした。」
(こどもむけかいせつ より)
初めての出版から永眠まで(1941-1943)
学習社から執筆依頼を受け、昭和16年(1941)1月からわずか
3ヶ月で伝記物語『良寛物語 手毬と鉢の子』を書きあげ、
10月に出版されました。南吉の初の単行本出版
売れ行きは好調だったが、執筆の無理がたたったのか体調を崩す。
昭和17年(1942)3月から5月にかけ、
「おじいさんのランプ」「牛をつないだ椿の木」
「花のき村と盗人たち」などの代表作を次々に執筆。
10月、はじめての童話集『おぢいさんのランプ』出版。
挿絵は棟方志功!
昭和18年(1943)病状悪化。自宅で療養しながら
「狐」「小さい太郎の悲しみ」などを執筆。
2月、手元の作品をまとめて巽聖歌に送り、出版を依頼。
3月22日、喉頭結核のため、29歳7か月の生涯を閉じる。
「はやく童話集がみたい。
今はそのことばかり考えている。」
巽聖歌宛の葉書 昭和18年3月8日
南吉が生前手にすることができた本は、
伝記物語『良寛物語 手毬と鉢の子』と、
童話集『おぢいさんのランプ』だけだった。
南吉が「ちょっと僕の独房を見てよ(笑)」と言った
昭和8(1933)年5月から昭和10(1935)年春頃まで暮らしていた
川村家の三畳間が再現されています。
川村家の建物は、戦火をまぬがれ、長く使われていましたが、
平成23年に取り壊されました。再現された部屋にはめられている
高窓は、その時の取り外されたものだそう。
南吉もこの窓から空を見上げてたんですね。
この部屋で「手袋を買いに」をはじめ数々の作品が生まれたと。
南吉の胸像の前にはお花が
ふるさと納税で南吉さんにお花を贈るプランが
あるそうですね。
企画展のコーナーでは、
「新美南吉生誕110年
南吉と長野ヒデ子の母の世界展」
として(期間 2023年7月15日~10月29日)
南吉の「狐」を描いた絵本作家の長野ヒデ子さんの、
絵本や原画、ラフスケッチなどが展示されていました。
(このコーナーは撮影禁止)
新美南吉生誕110年を前に、記念館では南吉作品で
赤ちゃんのための絵本を記念につくれないかと検討して、
長野ヒデ子さんに相談したところ、
南吉の詩『天国』を絵本にした『てんごく』ができたとのこと。
短い詩を何ページもある絵本にするために、
多くのラフや原画が描かれているんだなと。
使われなかった絵もあるんですね。
ショップでは、新美南吉の絵本や書籍をはじめ、
童話をモチーフにしたグッズや、銘菓などが売られていました。
(カフェもあるんですが、秋まつり期間はテイクアウトのみ)
かわいい狐のグッズにも魅かれたけど、
購入したのは、(袋もカワイイ!)
長野ヒデ子さんの絵本
『おばあちゃんがおばあちゃんになった日』1,430円(税込)
パワフルなおばあちゃんたちが登場するのが楽しい!
岩滑サブレ 2枚組×10袋 1,080円(税込)
ごんの顔の形もカワイイけど、美味しかった!
ココナッツとココアの2枚組でパックされてるのも嬉しい。
南吉の黄ごん芋 3個入り 680円(税込)
サツマイモを使ったボリュームのある焼き菓子
お地蔵さんが並んでると、よく見たら
ごんがお地蔵さんのかげにかくれています!
前には栗も置かれていますね(^▽^)
「手袋を買いに」の文学碑
記念館のすぐ南にある丘のようになった森は、
「ごんぎつね」にも登場する中山。
「童話の森」として遊歩道が整備されています。
ここにも彼岸花が咲いていました。
さて、矢勝川の彼岸花を見ながら帰ることにします。
お休み処は夕方になってほとんど店じまいされてました。
‥‥ちょっと残念。
コスモスの花の中を通ったり、
彼岸花と実った稲。豊かな日本の風景ですねー
童話の世界に入り込んだようなのどかな風景
「半田口」駅から帰ります。屋根にもごんぎつねがいる!
新美南吉記念館: http://www.nankichi.gr.jp/
半田市観光ガイド: https://www.handa-kankou.com/
久しぶり(1年半ぶり!)にインスタに投稿してみました。
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