碧南市藤井達吉現代美術館「須田国太郎の芸術」 [美術]
12月14日(木)、碧南市藤井達吉現代美術館へ行きました。
「須田国太郎の芸術
三つのまなざし
絵画・スペイン・能狂言」
碧南市藤井達吉現代美術館、いい展覧会をやってるんですよね。
以前展覧会に行った時にアンケートを書いてきたので、
展覧会のお知らせ等を時々送っていただくんですが、
我が家からはちょっと遠いので、行きそびれてしまうことも
多く、申し訳ないんですが。
長い改修工事が終わって、今年2023年5月2日に
リニューアルオーブンしたってことで、
行きたいなって思いつつ、なかなか‥‥
で、10月28日(土)から始まったこの展覧会、
須田国太郎について、名前は聞いたことがあるような‥‥
くらいの知識しかありませんでしたが、
チラシ表面の絵、なんかいいなって思ったのと、
ギャラリー小さい家へ行った時に招待券をゲットしまして、
(一般当日900円、ラッキー(^^)v
12月17日(日)までってことで、さすがにもう行かないと! と、
パートが休みだったこの日に出かけました。
洋画家の須田国太郎(1891~1961)は「東西の絵画の綜合」という壮大なテーマを掲げ、日本の精神文化に根差した日本独自の油彩画のありかたを追求し、近代絵画史に偉大な足跡を遺しました。
京都に生まれ、幼少時代から絵画に親しんだ須田は「東洋と西洋では、なぜ絵画が異なる方向で発展を遂げたのか?」という疑問を解明するために、京都帝国大学及び同大学院で美学・美術史を学びました。大学院に在籍中には「絵画の理論と技巧」を研究テーマとし、同時に関西美術院において、デッサンを学んでいます。
1919(大正8)年に28歳で渡欧し、スペインのマドリッドを拠点にヨーロッパ各地を訪れ、ヴェネツィア派の色彩理論やバロック絵画の明暗法など西洋絵画の底流をなすリアリズムの表現に関心を持ち、探求しました。1923(大正12)年に帰国して、日本独自の油彩画を生み出そうと制作に励み、1932(昭和7)年41歳の時に初個展を開催しました。これを契機として、ヨーロッパ留学中に交流のあった里見勝蔵や川口軌外の誘いにより、1934(昭和9)年に独立美術協会会員となりました。これ以後須田は、同協会展を中心の舞台とし、意欲作を発表していきます。骨太で生命感溢れる作品群には、会得した理論に裏付けられた風格さえ宿しています。
(チラシ裏面の文章)
美術館の外観などは、どこが変わったの? ってカンジでしたが、
展覧会の入口である2階へ行くと、ガラスの自動扉がついてました。
第1章 画業の歩み
初期から絶筆までの代表的な作品30点が展示されています。
京都帝国大学で美学・美術史を学んでいた1914年(大正3)
24歳頃に独学で描いた《自画像》
そして、《機関車庫》《校舎》と、渡欧前の作品が並び、
1919(大正8)年に28歳で渡欧して、
スペイン北西部にある城壁都市を描いた《アーヴィラ》1920年
プラド美術館で模写した《模写 グレコ「復活」》1921年
他の鑑賞者の方が撮影してて、えっ、いいの?! って、
ちょっと驚いたけど、確認したら、なんとこの展覧会、撮影可!!
隣に展示されてた須田国太郎の写真、カッコイイ!!
帰国後の作品
右《唐招提寺礼堂》1932年(昭和7)
正面から描かれた唐招提寺礼堂 重厚な画面がいい感じ。
左《蔬菜》1932(昭和7)年
砂漠の風景のようにも見えたけど、「蔬菜(そさい)」って
タイトルから、野菜を描いているらしい。なんか不思議なスケール感
《河原》1939年(昭和14)
タイトルから河原を描いた絵なんだろうけど、
四角い石が街の建物のようにも見えたり、
何より動物(犬?)が頭が画面から切れた状態で描かれていて、
なんか不穏で不思議な絵‥‥。
図録の解説で、この絵、市街風景として描き始められたが、
渓流に裸婦をあしらう絵となり、その後幾度も大幅な修正を重ねて
完成された絵だとのこと。
左《夏》1942年(昭和17)
あれ? この作品どこかで見たことが‥‥と思ったら、
愛知県美術館所蔵
愛知県美術館「曽我蕭白」展のコレクション展 の、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-11-28
「洋画特集」で展示されてて、重厚な画面がとても印象的だった絵だ!
右《校倉(乙)》1943年(昭和18)
手向山八幡宮の校倉造(あぜくらつくり)の宝庫を描いた作品。
髙床式倉庫独特の建築様式が力強く描かれています。
第2章 旅でのまなざし
須田は、1919年(大正8)から23年(大正12)までの4年間に、スペインを拠点にヨーロッパ各国の170を超える町を訪れ、文化史的あるいは美術史的な観点から建築物や遺跡、そして風物などを写真に収めています。(図録より)
須田愛用の品々が展示されていました。
滞欧時に使用した大きなトランクには、「K.SUDA」と書かれています。
愛用の帽子も展示されていました。カッコイイ!
《モヘンテ》1922年(大正11) と、実景写真
写真裏に
「これはヴァレンシアより約汽車で四時間
程□向ふのMogente(モヘンテ)
と云ふ村で景色がいゝので(自分は)
数日こゝへ通って写生をしました」
などと記されています。
《グレコ・イヘベリヤの首》1931年(昭和6)
これは、帰国後8年経ってから、
1922年(大正11)にマドリードの国立考古学博物館の彫刻室で撮影した
写真を参考に描いた作品。
ガラスの反射まで描いているのが面白い、だけど
写真通りではなく、再構成されているのがわかります。
須田愛用のカメラ レヒテック・プリマー と、
世界各地で撮影した写真
写真の裏に書かれたメモも興味深い
第3章 幽玄へへのまざし
須田国太郎1910年(明治43)に第三高等学校に入学し、この頃から独学で油絵を描き始めるとともに、金剛流シテ方の高岡鵜三郎に師事して謡曲を始めました。この謡曲修業は1957年(昭和32)の入院前まで続けられました。(図録より)
あ、この展示室(多目的室A)は新しく作られたんですね
能・狂言のデッサンが並んでます。
初世金剛巌が1941年(昭和16)10月に演じた「野宮」を写生したもの
連続写真みたい!
動く役者を的確にとらえていてすごい。
能・狂言の写生は6000点にも及ぶが、油絵は2点しかない(図録P120より)
とのことで、その2点がこちら
左《野宮》1945年(昭和20)頃
右《大原御幸》1942年(昭和17)
1階の展示室へ移動します
こんなところに山本富章さんの作品が!
第4章 真理へのまなざし
須田国太郎が求めた造形上の芸術的真理の追究として、代表的な「黒の絵画」を核とした油彩画作品を展示しています。併せて学術的な真理の追究としての著作なども展示し、須田芸術の結実を提示しています。(もらった鑑賞ガイドより)
チラシ表面に使われている《鵜》1952年(昭和27)や、
裏面の下段左から2番目《犬》1950年(昭和25)、
2段目右端の《窪八幡》1955年(昭和30)などが展示されていました。
須田は戦後になと水墨画も試みたそうで、
水墨画の代表的作品《老松》1951年(昭和26)
水墨とのことだけど黒の油絵具で描いたようにも見えて面白いなって。
この《動物園》1953年(昭和28)も、
艶のある黒い絵具のマチエールとか面白いなって。
鳥がなんかカワイイのもいい。
部屋の中央に置かれた展示台には、
1926年(大正15)に、現在の和歌山大学経済学部の前身である
和歌山高等商業学校で教鞭を執った時の
美術史講義のための準備ノート
『希臘藝術史概説Ⅱ』 や、
(手前)大学時代の絵日記『一日一感』
(奥)小学校時代に須田が友人と始めた同人雑誌『竹馬の友』
この雑誌づくりは高校時代まで10年近くにわたって続けられたと!
『竹馬の友』第88号 1907年頃
須田国太郎は美術雑誌などに画論や美術史解説、随筆などを発表してます。
左端の書籍『近代絵画のレアリスム』中央美術出版、1963年 は、
没後に編まれた遺文集
ロビーに展示された須田国太郎の
グリコのおもちゃコレクション
「オマケで世界一周」
「おままごと・家電」
重厚な絵を描く画家のイメージからは、
ちょっと意外なコレクションだなって。
カワイイ!
隣のモニタでは、1932年(昭和7)41歳の須田国太郎が
銀座・資生堂ギャラリーで開催した初個展の様子が
CGで再現されていて、今回の展覧会に出品されていた絵も
多くあって、とても興味深かったです。
図録、ハードカバーのとてもしっかりした装丁で、
図書館に並んでるような、ちょっとレトロな雰囲気もする本。
内容もとてもしっかりしてて、それぞれの絵に詳しい解説が
あるのはもちろん、多くの学芸員の方が須田国太郎の芸術について
論評を書かれてて、とても読み応えあります。
須田国太郎の長男の須田寛氏が制作の様子を追懐された文章は
とても興味深かったです。
2,500円(税込)だったのと(この内容と装丁にしたら安いと思うけど)
私、須田国太郎の絵、ちょっと好みと違うなってカンジもあって、
写真も撮らせてもらったし、もらった鑑賞ガイドなども充実していて、
迷ったんですけど、やっぱり買っちゃいました。
「須田国太郎の芸術」展は、ここ
碧南市藤井達吉現代美術館で、2023年10月28日~12月17日
まで開催された後、
大分市美術館で、2024年1月5日~2月18日
西宮市大谷記念美術館で、2024年3月2日~4月21日
三之瀬御本陣芸術文化館/蘭島閣美術館で、2024年5月1日~6月24日
世田谷美術館で、2024年7月13日~9月8日
と巡回します。
----
1階の展示室3では、令和5年度コレクション展 3期
「図案とデザイン」が展示されていました。
美術工芸、図案、教育など多彩な活動をした藤井達吉の
図案集などが展示されていました
《芋版と臈纈(ろうけつ)の文様》1926(大正15)年11月
《創作染織図案集》1933(昭和8)年
《水墨自画像》と達吉さんの眼鏡も展示されていました。
水墨でサラサラっと描いたように見える自画像
思わず微笑んでしまうようなユーモアもあって、
すごくいいですね!
----
今回、まだカフェ「むぎの家」の営業時間に間に合ったので、
(いつも閉館ギリギリになってしまうんですよ(^^;
カフェの天井には新宮晋《光のこだま》2008 が戻りましたね。
黄色いパーツがくるくると軽やかに動きます。
ケーキセットかハンバーガーセットか迷ったんですが、
ちょっとお腹も空いていたので、ハンバーガーセットを。
パンがパリパリしてて美味しかった! 990円(税込)
藤井達吉現代美術館: https://www.city.hekinan.lg.jp/museum/
次回の企画展「顕神の夢 ―幻視の表現者― 村山槐多、関根正二から現代まで」も
楽しみ! 2024年1月5日(金)~2月25日(日)
今回のチケット半券がリピーター券として割引券になるので、
忘れずに持って行かなくては!
「須田国太郎の芸術
三つのまなざし
絵画・スペイン・能狂言」
碧南市藤井達吉現代美術館、いい展覧会をやってるんですよね。
以前展覧会に行った時にアンケートを書いてきたので、
展覧会のお知らせ等を時々送っていただくんですが、
我が家からはちょっと遠いので、行きそびれてしまうことも
多く、申し訳ないんですが。
長い改修工事が終わって、今年2023年5月2日に
リニューアルオーブンしたってことで、
行きたいなって思いつつ、なかなか‥‥
で、10月28日(土)から始まったこの展覧会、
須田国太郎について、名前は聞いたことがあるような‥‥
くらいの知識しかありませんでしたが、
チラシ表面の絵、なんかいいなって思ったのと、
ギャラリー小さい家へ行った時に招待券をゲットしまして、
(一般当日900円、ラッキー(^^)v
12月17日(日)までってことで、さすがにもう行かないと! と、
パートが休みだったこの日に出かけました。
洋画家の須田国太郎(1891~1961)は「東西の絵画の綜合」という壮大なテーマを掲げ、日本の精神文化に根差した日本独自の油彩画のありかたを追求し、近代絵画史に偉大な足跡を遺しました。
京都に生まれ、幼少時代から絵画に親しんだ須田は「東洋と西洋では、なぜ絵画が異なる方向で発展を遂げたのか?」という疑問を解明するために、京都帝国大学及び同大学院で美学・美術史を学びました。大学院に在籍中には「絵画の理論と技巧」を研究テーマとし、同時に関西美術院において、デッサンを学んでいます。
1919(大正8)年に28歳で渡欧し、スペインのマドリッドを拠点にヨーロッパ各地を訪れ、ヴェネツィア派の色彩理論やバロック絵画の明暗法など西洋絵画の底流をなすリアリズムの表現に関心を持ち、探求しました。1923(大正12)年に帰国して、日本独自の油彩画を生み出そうと制作に励み、1932(昭和7)年41歳の時に初個展を開催しました。これを契機として、ヨーロッパ留学中に交流のあった里見勝蔵や川口軌外の誘いにより、1934(昭和9)年に独立美術協会会員となりました。これ以後須田は、同協会展を中心の舞台とし、意欲作を発表していきます。骨太で生命感溢れる作品群には、会得した理論に裏付けられた風格さえ宿しています。
(チラシ裏面の文章)
美術館の外観などは、どこが変わったの? ってカンジでしたが、
展覧会の入口である2階へ行くと、ガラスの自動扉がついてました。
第1章 画業の歩み
初期から絶筆までの代表的な作品30点が展示されています。
京都帝国大学で美学・美術史を学んでいた1914年(大正3)
24歳頃に独学で描いた《自画像》
そして、《機関車庫》《校舎》と、渡欧前の作品が並び、
1919(大正8)年に28歳で渡欧して、
スペイン北西部にある城壁都市を描いた《アーヴィラ》1920年
プラド美術館で模写した《模写 グレコ「復活」》1921年
他の鑑賞者の方が撮影してて、えっ、いいの?! って、
ちょっと驚いたけど、確認したら、なんとこの展覧会、撮影可!!
隣に展示されてた須田国太郎の写真、カッコイイ!!
帰国後の作品
右《唐招提寺礼堂》1932年(昭和7)
正面から描かれた唐招提寺礼堂 重厚な画面がいい感じ。
左《蔬菜》1932(昭和7)年
砂漠の風景のようにも見えたけど、「蔬菜(そさい)」って
タイトルから、野菜を描いているらしい。なんか不思議なスケール感
《河原》1939年(昭和14)
タイトルから河原を描いた絵なんだろうけど、
四角い石が街の建物のようにも見えたり、
何より動物(犬?)が頭が画面から切れた状態で描かれていて、
なんか不穏で不思議な絵‥‥。
図録の解説で、この絵、市街風景として描き始められたが、
渓流に裸婦をあしらう絵となり、その後幾度も大幅な修正を重ねて
完成された絵だとのこと。
左《夏》1942年(昭和17)
あれ? この作品どこかで見たことが‥‥と思ったら、
愛知県美術館所蔵
愛知県美術館「曽我蕭白」展のコレクション展 の、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-11-28
「洋画特集」で展示されてて、重厚な画面がとても印象的だった絵だ!
右《校倉(乙)》1943年(昭和18)
手向山八幡宮の校倉造(あぜくらつくり)の宝庫を描いた作品。
髙床式倉庫独特の建築様式が力強く描かれています。
第2章 旅でのまなざし
須田は、1919年(大正8)から23年(大正12)までの4年間に、スペインを拠点にヨーロッパ各国の170を超える町を訪れ、文化史的あるいは美術史的な観点から建築物や遺跡、そして風物などを写真に収めています。(図録より)
須田愛用の品々が展示されていました。
滞欧時に使用した大きなトランクには、「K.SUDA」と書かれています。
愛用の帽子も展示されていました。カッコイイ!
《モヘンテ》1922年(大正11) と、実景写真
写真裏に
「これはヴァレンシアより約汽車で四時間
程□向ふのMogente(モヘンテ)
と云ふ村で景色がいゝので(自分は)
数日こゝへ通って写生をしました」
などと記されています。
《グレコ・イヘベリヤの首》1931年(昭和6)
これは、帰国後8年経ってから、
1922年(大正11)にマドリードの国立考古学博物館の彫刻室で撮影した
写真を参考に描いた作品。
ガラスの反射まで描いているのが面白い、だけど
写真通りではなく、再構成されているのがわかります。
須田愛用のカメラ レヒテック・プリマー と、
世界各地で撮影した写真
写真の裏に書かれたメモも興味深い
第3章 幽玄へへのまざし
須田国太郎1910年(明治43)に第三高等学校に入学し、この頃から独学で油絵を描き始めるとともに、金剛流シテ方の高岡鵜三郎に師事して謡曲を始めました。この謡曲修業は1957年(昭和32)の入院前まで続けられました。(図録より)
あ、この展示室(多目的室A)は新しく作られたんですね
能・狂言のデッサンが並んでます。
初世金剛巌が1941年(昭和16)10月に演じた「野宮」を写生したもの
連続写真みたい!
動く役者を的確にとらえていてすごい。
能・狂言の写生は6000点にも及ぶが、油絵は2点しかない(図録P120より)
とのことで、その2点がこちら
左《野宮》1945年(昭和20)頃
右《大原御幸》1942年(昭和17)
1階の展示室へ移動します
こんなところに山本富章さんの作品が!
第4章 真理へのまなざし
須田国太郎が求めた造形上の芸術的真理の追究として、代表的な「黒の絵画」を核とした油彩画作品を展示しています。併せて学術的な真理の追究としての著作なども展示し、須田芸術の結実を提示しています。(もらった鑑賞ガイドより)
チラシ表面に使われている《鵜》1952年(昭和27)や、
裏面の下段左から2番目《犬》1950年(昭和25)、
2段目右端の《窪八幡》1955年(昭和30)などが展示されていました。
須田は戦後になと水墨画も試みたそうで、
水墨画の代表的作品《老松》1951年(昭和26)
水墨とのことだけど黒の油絵具で描いたようにも見えて面白いなって。
この《動物園》1953年(昭和28)も、
艶のある黒い絵具のマチエールとか面白いなって。
鳥がなんかカワイイのもいい。
部屋の中央に置かれた展示台には、
1926年(大正15)に、現在の和歌山大学経済学部の前身である
和歌山高等商業学校で教鞭を執った時の
美術史講義のための準備ノート
『希臘藝術史概説Ⅱ』 や、
(手前)大学時代の絵日記『一日一感』
(奥)小学校時代に須田が友人と始めた同人雑誌『竹馬の友』
この雑誌づくりは高校時代まで10年近くにわたって続けられたと!
『竹馬の友』第88号 1907年頃
須田国太郎は美術雑誌などに画論や美術史解説、随筆などを発表してます。
左端の書籍『近代絵画のレアリスム』中央美術出版、1963年 は、
没後に編まれた遺文集
ロビーに展示された須田国太郎の
グリコのおもちゃコレクション
「オマケで世界一周」
「おままごと・家電」
重厚な絵を描く画家のイメージからは、
ちょっと意外なコレクションだなって。
カワイイ!
隣のモニタでは、1932年(昭和7)41歳の須田国太郎が
銀座・資生堂ギャラリーで開催した初個展の様子が
CGで再現されていて、今回の展覧会に出品されていた絵も
多くあって、とても興味深かったです。
図録、ハードカバーのとてもしっかりした装丁で、
図書館に並んでるような、ちょっとレトロな雰囲気もする本。
内容もとてもしっかりしてて、それぞれの絵に詳しい解説が
あるのはもちろん、多くの学芸員の方が須田国太郎の芸術について
論評を書かれてて、とても読み応えあります。
須田国太郎の長男の須田寛氏が制作の様子を追懐された文章は
とても興味深かったです。
2,500円(税込)だったのと(この内容と装丁にしたら安いと思うけど)
私、須田国太郎の絵、ちょっと好みと違うなってカンジもあって、
写真も撮らせてもらったし、もらった鑑賞ガイドなども充実していて、
迷ったんですけど、やっぱり買っちゃいました。
「須田国太郎の芸術」展は、ここ
碧南市藤井達吉現代美術館で、2023年10月28日~12月17日
まで開催された後、
大分市美術館で、2024年1月5日~2月18日
西宮市大谷記念美術館で、2024年3月2日~4月21日
三之瀬御本陣芸術文化館/蘭島閣美術館で、2024年5月1日~6月24日
世田谷美術館で、2024年7月13日~9月8日
と巡回します。
----
1階の展示室3では、令和5年度コレクション展 3期
「図案とデザイン」が展示されていました。
美術工芸、図案、教育など多彩な活動をした藤井達吉の
図案集などが展示されていました
《芋版と臈纈(ろうけつ)の文様》1926(大正15)年11月
《創作染織図案集》1933(昭和8)年
《水墨自画像》と達吉さんの眼鏡も展示されていました。
水墨でサラサラっと描いたように見える自画像
思わず微笑んでしまうようなユーモアもあって、
すごくいいですね!
----
今回、まだカフェ「むぎの家」の営業時間に間に合ったので、
(いつも閉館ギリギリになってしまうんですよ(^^;
カフェの天井には新宮晋《光のこだま》2008 が戻りましたね。
黄色いパーツがくるくると軽やかに動きます。
ケーキセットかハンバーガーセットか迷ったんですが、
ちょっとお腹も空いていたので、ハンバーガーセットを。
パンがパリパリしてて美味しかった! 990円(税込)
藤井達吉現代美術館: https://www.city.hekinan.lg.jp/museum/
次回の企画展「顕神の夢 ―幻視の表現者― 村山槐多、関根正二から現代まで」も
楽しみ! 2024年1月5日(金)~2月25日(日)
今回のチケット半券がリピーター券として割引券になるので、
忘れずに持って行かなくては!
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