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岐阜県現代陶芸美術館「Ways of Earth」展 [美術]
11月12日(火)セラミックパークMINOへ行き、
国際陶磁器フェスティバル美濃'24 のメインイベント
「国際陶磁器展美濃」を見て、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-11-18
2階の岐阜県現代陶芸美術館で「荒川豊蔵展」を見ました。
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-11-25
11月24日(日)に荒川豊蔵資料館へ行ったことを、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-11-28
先に書いちゃいましたが、11月12日の
岐阜県現代陶芸美術館の展示の続きに戻ります。
ギャラリーⅠの「荒川豊蔵展」を出て、
ギャラリーⅡへ向かう途中に、こんな案内がありまして、
矢印に従ってプロジェクトルームへ行くと、
「Ways of Earth / A föld útjai」という企画展が
開催されていました。
写真撮影可
無料で見られる上に、素敵な小冊子もいただけました。
Ways of Earthは、多様な陶芸文化を擁する岐阜県東濃地域と、「地質のワンダーランド」であるバコニュ山地・バラトン高地エリアを結ぶプロジェクトとして、ハンガリーを拠点に活動する陶芸家ネーマ・ユリアの発案により2022年に発足しました。ハンガリーと岐阜の参加作家たちは、素材、自然のプロセス、風土、歴史といったものの基礎を改めて発見すべく、2023年にかけ互いの大地を訪ねて二国を巡り、探求しました。
本展覧会は、この国際交流がそれぞれの創作に与えたものを掘り起こし、抽出したものです。作家たちは、二国を巡る旅を通じて、それぞれに個人的方法で、陶芸というメディアを、土、岩、基礎的な形、地殻変動といった要素、つまり自然と人間文化の根源的要素へと解きほぐしました。
(もらった小冊子より)
ってことで、ハンガリーのネーマ・ユリア氏と、
日本・岐阜の日置哲也氏と阿曽藍人氏の作品が展示されています。
そして、この交流を記録した写真家・ツィガーニュ・アーコシュ氏の
写真作品も展示されていました。
ネーマ・ユリア‥‥どこかで聞いた名前?
去年、岐阜県現代陶芸美術館で開催された
「ハンガリー現代陶芸展」で作品が展示されていました。
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-07-18
その時の展覧会でアーティスト・トークをされ、
今回もアーティスト・トークをされています。
ネーマ・ユーリア《中心柱 常緑》
磁器土にバラトン高地で採取した土から作った釉薬を部分的に施し、薪窯で焼成している。台座となっているのは、同じ地域で採取した石灰石である。中心柱とは、植物の茎や根の中心部分で、水分や養分の通り道となる組織のこと。(もらった作品解説より)
ネーマ・ユリア《夢見る石》
一見、黒い石かと思ったんですが、バラトン高地で採取した、お気に入りの玄武岩の形に基づいている。釉薬にも同じくバラトン高地周辺で採取した鉱物を用い、薪窯で焼成しているとのこと。
壁に展示された掛軸のような作品は、
ネーマ・ユリア「風景」シリーズ
構図および寸法は、20世紀初頭にハンガリーに持ち込まれた、 同国における最初期の日本美術コレクションである、ペーター ・ヴァイ・ コレクション(プダペストのフェレンツィ ・ ホップ・ アジア美術館所蔵)に含まれる掛軸を基にしている。で、ベースとなっている紙はハンガリーで作られた手漉きの紙。ハンガリーや日本の土を使って作られているそう。
ネーマ・ユリア「混滑する風景」《生絹》《雨粒》《雪》
日置哲也氏は、瑞浪市にあるカネ利陶料という陶土製造会社の
社長をしつつ、作家活動をしていらっしゃいます。
いわば「土の専門家」
日置哲也《汲む》
2023年8月に作者らがハンガリ ーを訪れたとき、バラトン湖周辺の特殊な地質を事細かに案内してくれた、ユネスコジオパーク職員の地質学者・バルナバーシュ氏。彼が地質学を志したきっかけの地であるというカルデラ湖跡の畔で、 この環境を誇りに語る氏の様子がモチーフとなっている。 同氏の大きな手が、 自然を慈しみ掬い上げるイメージ、 また、複雑な地質を形づくった火山活動や水脈のイメージが重なっている。
作者の土への愛も感じられますね。
日置哲也《キューブ》《留まらない》
「土の専門家」らしく、いろいろな土の見本のような作品。
球体の方は、いろんな土がまじりあっているようなのがいいな。
日置哲也《晒す》
原土を型に詰め、そのまま風雨に晒しておくと、土がひび割れたり、溢れたり、さまざまな変化が生じる。素材に起こる現象を観察して示した作品は、それらが辿ってきた時間を想起させる。中央の作品には、ハンガリーで採取された土が使われている。
阿曽藍人氏は、2021年に美濃加茂市民ミュージアムで開催された
「阿曽藍人 Inner Land 内なる大地へ」を
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-11-05
見に行ったんですが、とても良かったです。
阿曽藍人《宝石》《石と山の景》
《宝石》は、長い時間をかけて磨かれた小石が、
《石と山の景》は、山の姿を想像させる岩の欠片が、
その姿を得るまでの過程のイメージを黒陶によって表現したもの。
阿曽藍人《場》
球体と、ちょうど球体がはまる窪みがある幾何学的な立体。
球体が動くと空間のありようは変化します。
会場入口前に置かれていた作品
阿曽藍人《深度》
この展覧会の土の素朴な質感と端正な造形、
とても私好みで良かったです。
日本とハンガリーでの交流の様子が、
もらった小冊子にも載っていました。
この展覧会、2024年5~8月にハンガリーの
ハウスオブアート・ヴェスプレームで開催され、
小冊子にはハウスオブアート・ヴェスプレームでの
展示風景が掲載されています。
岐阜県現代陶芸美術館で10月18日(金)~11月17日(日)
に開催された後、
東京のリスト・ハンガリー文化センター東京で、
https://culture.hu/jp/tokio
11月20日(水)~12月4日(水)に開催されます。
(一部を紹介する巡回展とのこと)
リスト・ハンガリー文化センター東京 Ways of Earth展
https://culture.hu/jp/tokio/events/Ways-of-Earth-2024-exhibition
岐阜県現代陶芸美術館: https://www.cpm-gifu.jp/museum/
国際陶磁器フェスティバル美濃'24 のメインイベント
「国際陶磁器展美濃」を見て、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-11-18
2階の岐阜県現代陶芸美術館で「荒川豊蔵展」を見ました。
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-11-25
11月24日(日)に荒川豊蔵資料館へ行ったことを、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-11-28
先に書いちゃいましたが、11月12日の
岐阜県現代陶芸美術館の展示の続きに戻ります。
ギャラリーⅠの「荒川豊蔵展」を出て、
ギャラリーⅡへ向かう途中に、こんな案内がありまして、
矢印に従ってプロジェクトルームへ行くと、
「Ways of Earth / A föld útjai」という企画展が
開催されていました。
写真撮影可
無料で見られる上に、素敵な小冊子もいただけました。
Ways of Earthは、多様な陶芸文化を擁する岐阜県東濃地域と、「地質のワンダーランド」であるバコニュ山地・バラトン高地エリアを結ぶプロジェクトとして、ハンガリーを拠点に活動する陶芸家ネーマ・ユリアの発案により2022年に発足しました。ハンガリーと岐阜の参加作家たちは、素材、自然のプロセス、風土、歴史といったものの基礎を改めて発見すべく、2023年にかけ互いの大地を訪ねて二国を巡り、探求しました。
本展覧会は、この国際交流がそれぞれの創作に与えたものを掘り起こし、抽出したものです。作家たちは、二国を巡る旅を通じて、それぞれに個人的方法で、陶芸というメディアを、土、岩、基礎的な形、地殻変動といった要素、つまり自然と人間文化の根源的要素へと解きほぐしました。
(もらった小冊子より)
ってことで、ハンガリーのネーマ・ユリア氏と、
日本・岐阜の日置哲也氏と阿曽藍人氏の作品が展示されています。
そして、この交流を記録した写真家・ツィガーニュ・アーコシュ氏の
写真作品も展示されていました。
ネーマ・ユリア‥‥どこかで聞いた名前?
去年、岐阜県現代陶芸美術館で開催された
「ハンガリー現代陶芸展」で作品が展示されていました。
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-07-18
その時の展覧会でアーティスト・トークをされ、
今回もアーティスト・トークをされています。
ネーマ・ユーリア《中心柱 常緑》
磁器土にバラトン高地で採取した土から作った釉薬を部分的に施し、薪窯で焼成している。台座となっているのは、同じ地域で採取した石灰石である。中心柱とは、植物の茎や根の中心部分で、水分や養分の通り道となる組織のこと。(もらった作品解説より)
ネーマ・ユリア《夢見る石》
一見、黒い石かと思ったんですが、バラトン高地で採取した、お気に入りの玄武岩の形に基づいている。釉薬にも同じくバラトン高地周辺で採取した鉱物を用い、薪窯で焼成しているとのこと。
壁に展示された掛軸のような作品は、
ネーマ・ユリア「風景」シリーズ
構図および寸法は、20世紀初頭にハンガリーに持ち込まれた、 同国における最初期の日本美術コレクションである、ペーター ・ヴァイ・ コレクション(プダペストのフェレンツィ ・ ホップ・ アジア美術館所蔵)に含まれる掛軸を基にしている。で、ベースとなっている紙はハンガリーで作られた手漉きの紙。ハンガリーや日本の土を使って作られているそう。
ネーマ・ユリア「混滑する風景」《生絹》《雨粒》《雪》
日置哲也氏は、瑞浪市にあるカネ利陶料という陶土製造会社の
社長をしつつ、作家活動をしていらっしゃいます。
いわば「土の専門家」
日置哲也《汲む》
2023年8月に作者らがハンガリ ーを訪れたとき、バラトン湖周辺の特殊な地質を事細かに案内してくれた、ユネスコジオパーク職員の地質学者・バルナバーシュ氏。彼が地質学を志したきっかけの地であるというカルデラ湖跡の畔で、 この環境を誇りに語る氏の様子がモチーフとなっている。 同氏の大きな手が、 自然を慈しみ掬い上げるイメージ、 また、複雑な地質を形づくった火山活動や水脈のイメージが重なっている。
作者の土への愛も感じられますね。
日置哲也《キューブ》《留まらない》
「土の専門家」らしく、いろいろな土の見本のような作品。
球体の方は、いろんな土がまじりあっているようなのがいいな。
日置哲也《晒す》
原土を型に詰め、そのまま風雨に晒しておくと、土がひび割れたり、溢れたり、さまざまな変化が生じる。素材に起こる現象を観察して示した作品は、それらが辿ってきた時間を想起させる。中央の作品には、ハンガリーで採取された土が使われている。
阿曽藍人氏は、2021年に美濃加茂市民ミュージアムで開催された
「阿曽藍人 Inner Land 内なる大地へ」を
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-11-05
見に行ったんですが、とても良かったです。
阿曽藍人《宝石》《石と山の景》
《宝石》は、長い時間をかけて磨かれた小石が、
《石と山の景》は、山の姿を想像させる岩の欠片が、
その姿を得るまでの過程のイメージを黒陶によって表現したもの。
阿曽藍人《場》
球体と、ちょうど球体がはまる窪みがある幾何学的な立体。
球体が動くと空間のありようは変化します。
会場入口前に置かれていた作品
阿曽藍人《深度》
この展覧会の土の素朴な質感と端正な造形、
とても私好みで良かったです。
日本とハンガリーでの交流の様子が、
もらった小冊子にも載っていました。
この展覧会、2024年5~8月にハンガリーの
ハウスオブアート・ヴェスプレームで開催され、
小冊子にはハウスオブアート・ヴェスプレームでの
展示風景が掲載されています。
岐阜県現代陶芸美術館で10月18日(金)~11月17日(日)
に開催された後、
東京のリスト・ハンガリー文化センター東京で、
https://culture.hu/jp/tokio
11月20日(水)~12月4日(水)に開催されます。
(一部を紹介する巡回展とのこと)
リスト・ハンガリー文化センター東京 Ways of Earth展
https://culture.hu/jp/tokio/events/Ways-of-Earth-2024-exhibition
岐阜県現代陶芸美術館: https://www.cpm-gifu.jp/museum/
荒川豊蔵資料館 [美術]
11月12日(火)セラミックパークMINOへ行き、
国際陶磁器フェスティバル美濃'24 のメインイベント
「国際陶磁器展美濃」を見て、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-11-18
2階の岐阜県現代陶芸美術館で「荒川豊蔵展」を見ました。
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-11-25
美濃焼の陶芸家としてまず名前が挙がる荒川豊蔵ですが、
私は、抹茶茶碗のワビサビとかよくわからない‥‥
それでも、なんかスゴイってことは感じまして、
可児市にある荒川豊蔵資料館も行ってみたいと思ったんです。
11月24日(日)、天気も良かったので、まぁここなら
それほど混まないだろうし、紅葉も楽しめるのではないかと。
9月末に風邪をひいて以来、わりと会社を休むようになって
家にいたダンナに言うと、荒川豊蔵なら興味あるからと、
一緒に行くことになりました。
ナビで検索すると、我が家から車で1時間ちょっと。
ナビに従って行くと、道路脇に駐車場がありました。
道を渡ったところに入口が
杉林の中の道を進むと、(帰りに撮影)
「牟田洞古窯跡」という石碑があります。
(昭和43年に建立されたもの)
ここから坂を登った上に
荒川豊蔵資料館があります。
特別展「豊蔵の志野・瀬戸黒ー美濃桃山陶への挑み」
が開催されていました。
会期: 令和6年10月4日(金)~12月1日(日)
入館料: 一般210円
(可児市の郷土資料館、荒川豊蔵資料館、戦国山城ミュージアムの3館のうち2館を選べる共通券が310円) 高校生以下無料
荒川豊蔵は「志野」と「瀬戸黒」で
国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されています。
その「志野」と「瀬戸黒」に焦点を当てた展示。
(展示室内撮影禁止)
昭和8年の《瀬戸黒茶垸》をはじめ、
(これって、初窯で瀬戸黒1点のみ焼成できたって茶碗?)
瀬戸黒茶垸が年代順にずらりと並んでいます。
(出品リストで豊蔵の作品には「茶垸」の文字が使われている)
茶碗の形や黒の色や艶がそれぞれ微妙に違いますね。
私知らなかったんですが、瀬戸黒は、窯で真っ赤に焼けたものを
引き出し、水につけて急冷することで黒い色が出るので、
「引き出し黒」とも呼ばれると。
引き出すタイミングによって黒い色や艶が違うのだそう。
そのため、窯から引き出せる範囲のものしか作れない。
一度の窯焼きで少ししかできない希少なものだそう。
川合玉堂や前田青邨が文字や絵を描いたもの、
秩父宮妃が文字を書いたという茶碗もありました。
《瀬戸黒雪月花文字茶垸 文字:秩父宮妃》昭和40年
優美な文字で良かったなー
また、妻・志づさんへの夫婦の絆についての展示もありました。
明治44年(1911)、17歳の豊蔵と、いとこで13歳の志づが結婚。
ふらふらしている豊蔵を落ち着かせるため?とかで、
親戚に勧められた結婚だったとか。
当時は珍しいことではなかったんでしょうが、13歳!!
転職をくり返していた頃だし、昭和5年に古い陶片を見つけて
志野の再現を目指して試行錯誤する豊蔵ですから、
収入も安定しないでしょうし、そんな中で5人の子どもを育て
(もらった年表から私が数えたので正確ではないかも)
生活していくのは、さぞ大変だったろうなぁーと。
豊蔵も、今あるのは妻のおかげと言っていたそうですし、
昭和43年(1968)に志づさんが亡くなった時には、
黄瀬戸の骨壺を作っているそう。
ロビーでは豊蔵の映像が流れていて、
窯から瀬戸黒の茶碗を引き出して水につける様子は迫力がありました。
豊蔵さんのパネルと写真が撮れます。
資料館から出ると、紅葉が陽に透けてきれい。
資料館の白い壁に木立の影が映っています。
坂を下っていくと、陶房があります。
午後2時半なのに、谷はもう陽が陰って小寒い。
荒川豊蔵資料館は、
陶芸家であり、志野・瀬戸黒で国の重要無形文化財保持者に認定された故・荒川豊蔵が、自身の作品やコレクションを公開し、見識を深めていただきたいという思いから創設され、昭和59年4月より開館いたしました。その後、平成25年4月に土地・建物・収蔵品が、財団法人豊蔵資料館より可児市に寄贈され、同年10月に荒川豊蔵資料館として再オープン。平成29年4月からは、旧荒川豊蔵邸の敷地を、居宅や陶房と共に公開しています。
(もらったリーフレットより)
「美濃桃山陶の聖地」として整備改修する事業についての
説明がありました。
陶房のロクロ場
荒川豊蔵資料館案内マップ
番号の場所に瓦製のナンバープレートが置かれていて、
わかりやすかったです。
裏には、豊蔵の居宅を整備する際の職人さんの苦労話などが
載っていました。
趣のある門
「陶祖源十郎景成」(通称:陶祖碑、石碑)
牟田洞古窯は、16世紀後半、大平の陶祖 加藤景豊の次男・源十郎景成が開窯したと伝わる。その開祖を称え、昭和28年4月16日(旧暦2月19日 景成の命日)建立。虎渓山永保寺師家 嶋田菊僊老師揮毫。脇の顕彰碑は文:小山冨士夫。(案内マップの説明より)
きれいに整備されています。
志野筍絵陶片を発見した場所に、昭和39年建立した
「隨縁」の石碑
(瓦製ナンバープレート9番)
旧風呂場跡に作られた東屋
東屋から外を眺める
‥‥しかし、居宅からかなり離れた場所にある風呂場ですよね。
夜だと坂の上り下りが危ないし、冬は冷えて不便だったのでは?
(昔、実家の風呂とトイレが外で面倒だったなぁー)
東屋から坂を登ったところにある「黄瀬戸の壺」石碑
昭和54年建立。豊蔵が語った妻への想いを汲み取り、知人・松岡一男が作詞した歌を刻む。題名は妻 志づの遺骨が豊蔵作の黄瀬戸壺に納められていることに由来する。
「黄瀬戸の壺」石碑の場所より居宅を眺める
下に見える屋根が旧風呂場である東屋
居宅下にある「斗出庵」石碑
昭和52年建立。居宅改築の時に建立したと思われる。昭和30年頃に、虎渓山永保寺師家 嶋田菊僊老師から戴いた豊蔵の号を刻む。
8番は「水ノ神」石碑
階段を上がった先にある居宅
玄関を入った土間から囲炉裏の間、座敷を望む。
外から掘りゴタツの間を望む。
豊蔵が日常を過ごす部屋だったそう。
お城のような石垣の上に家が建っているんですね。
しかし、ここ、暮らすのには結構厳しい場所だったのでは?
この時、3時前だったのに、もうかなり薄暗くて寒かったー。
車に戻って、どこかでお茶したいと検索すると、
すぐ近くの「東風谷(とうふや)」」という豆腐料理のお店に、
豆乳のチーズケーキが美味しかったって口コミを見つけて、
行ってみることに。
来るときにこの建物見て、気になってたんですよね。
二人とも、豆乳のレアチーズケーキ580円と、
コーヒー400円を注文。
サイフォンで1杯ずつ入れてくれました。
せっかくなので、「最高の木綿豆腐」200円と、
「うの花」350円を購入。
「最高の―」って言うだけあって、豆の味がしっかりした
美味しい豆腐でした。
食べログ
荒川豊蔵資料館: https://www.city.kani.lg.jp/10013.htm
国際陶磁器フェスティバル美濃'24 のメインイベント
「国際陶磁器展美濃」を見て、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-11-18
2階の岐阜県現代陶芸美術館で「荒川豊蔵展」を見ました。
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-11-25
美濃焼の陶芸家としてまず名前が挙がる荒川豊蔵ですが、
私は、抹茶茶碗のワビサビとかよくわからない‥‥
それでも、なんかスゴイってことは感じまして、
可児市にある荒川豊蔵資料館も行ってみたいと思ったんです。
11月24日(日)、天気も良かったので、まぁここなら
それほど混まないだろうし、紅葉も楽しめるのではないかと。
9月末に風邪をひいて以来、わりと会社を休むようになって
家にいたダンナに言うと、荒川豊蔵なら興味あるからと、
一緒に行くことになりました。
ナビで検索すると、我が家から車で1時間ちょっと。
ナビに従って行くと、道路脇に駐車場がありました。
道を渡ったところに入口が
杉林の中の道を進むと、(帰りに撮影)
「牟田洞古窯跡」という石碑があります。
(昭和43年に建立されたもの)
ここから坂を登った上に
荒川豊蔵資料館があります。
特別展「豊蔵の志野・瀬戸黒ー美濃桃山陶への挑み」
が開催されていました。
会期: 令和6年10月4日(金)~12月1日(日)
入館料: 一般210円
(可児市の郷土資料館、荒川豊蔵資料館、戦国山城ミュージアムの3館のうち2館を選べる共通券が310円) 高校生以下無料
荒川豊蔵は「志野」と「瀬戸黒」で
国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されています。
その「志野」と「瀬戸黒」に焦点を当てた展示。
(展示室内撮影禁止)
昭和8年の《瀬戸黒茶垸》をはじめ、
(これって、初窯で瀬戸黒1点のみ焼成できたって茶碗?)
瀬戸黒茶垸が年代順にずらりと並んでいます。
(出品リストで豊蔵の作品には「茶垸」の文字が使われている)
茶碗の形や黒の色や艶がそれぞれ微妙に違いますね。
私知らなかったんですが、瀬戸黒は、窯で真っ赤に焼けたものを
引き出し、水につけて急冷することで黒い色が出るので、
「引き出し黒」とも呼ばれると。
引き出すタイミングによって黒い色や艶が違うのだそう。
そのため、窯から引き出せる範囲のものしか作れない。
一度の窯焼きで少ししかできない希少なものだそう。
川合玉堂や前田青邨が文字や絵を描いたもの、
秩父宮妃が文字を書いたという茶碗もありました。
《瀬戸黒雪月花文字茶垸 文字:秩父宮妃》昭和40年
優美な文字で良かったなー
また、妻・志づさんへの夫婦の絆についての展示もありました。
明治44年(1911)、17歳の豊蔵と、いとこで13歳の志づが結婚。
ふらふらしている豊蔵を落ち着かせるため?とかで、
親戚に勧められた結婚だったとか。
当時は珍しいことではなかったんでしょうが、13歳!!
転職をくり返していた頃だし、昭和5年に古い陶片を見つけて
志野の再現を目指して試行錯誤する豊蔵ですから、
収入も安定しないでしょうし、そんな中で5人の子どもを育て
(もらった年表から私が数えたので正確ではないかも)
生活していくのは、さぞ大変だったろうなぁーと。
豊蔵も、今あるのは妻のおかげと言っていたそうですし、
昭和43年(1968)に志づさんが亡くなった時には、
黄瀬戸の骨壺を作っているそう。
ロビーでは豊蔵の映像が流れていて、
窯から瀬戸黒の茶碗を引き出して水につける様子は迫力がありました。
豊蔵さんのパネルと写真が撮れます。
資料館から出ると、紅葉が陽に透けてきれい。
資料館の白い壁に木立の影が映っています。
坂を下っていくと、陶房があります。
午後2時半なのに、谷はもう陽が陰って小寒い。
荒川豊蔵資料館は、
陶芸家であり、志野・瀬戸黒で国の重要無形文化財保持者に認定された故・荒川豊蔵が、自身の作品やコレクションを公開し、見識を深めていただきたいという思いから創設され、昭和59年4月より開館いたしました。その後、平成25年4月に土地・建物・収蔵品が、財団法人豊蔵資料館より可児市に寄贈され、同年10月に荒川豊蔵資料館として再オープン。平成29年4月からは、旧荒川豊蔵邸の敷地を、居宅や陶房と共に公開しています。
(もらったリーフレットより)
「美濃桃山陶の聖地」として整備改修する事業についての
説明がありました。
陶房のロクロ場
荒川豊蔵資料館案内マップ
番号の場所に瓦製のナンバープレートが置かれていて、
わかりやすかったです。
裏には、豊蔵の居宅を整備する際の職人さんの苦労話などが
載っていました。
趣のある門
「陶祖源十郎景成」(通称:陶祖碑、石碑)
牟田洞古窯は、16世紀後半、大平の陶祖 加藤景豊の次男・源十郎景成が開窯したと伝わる。その開祖を称え、昭和28年4月16日(旧暦2月19日 景成の命日)建立。虎渓山永保寺師家 嶋田菊僊老師揮毫。脇の顕彰碑は文:小山冨士夫。(案内マップの説明より)
きれいに整備されています。
志野筍絵陶片を発見した場所に、昭和39年建立した
「隨縁」の石碑
(瓦製ナンバープレート9番)
旧風呂場跡に作られた東屋
東屋から外を眺める
‥‥しかし、居宅からかなり離れた場所にある風呂場ですよね。
夜だと坂の上り下りが危ないし、冬は冷えて不便だったのでは?
(昔、実家の風呂とトイレが外で面倒だったなぁー)
東屋から坂を登ったところにある「黄瀬戸の壺」石碑
昭和54年建立。豊蔵が語った妻への想いを汲み取り、知人・松岡一男が作詞した歌を刻む。題名は妻 志づの遺骨が豊蔵作の黄瀬戸壺に納められていることに由来する。
「黄瀬戸の壺」石碑の場所より居宅を眺める
下に見える屋根が旧風呂場である東屋
居宅下にある「斗出庵」石碑
昭和52年建立。居宅改築の時に建立したと思われる。昭和30年頃に、虎渓山永保寺師家 嶋田菊僊老師から戴いた豊蔵の号を刻む。
8番は「水ノ神」石碑
階段を上がった先にある居宅
玄関を入った土間から囲炉裏の間、座敷を望む。
外から掘りゴタツの間を望む。
豊蔵が日常を過ごす部屋だったそう。
お城のような石垣の上に家が建っているんですね。
しかし、ここ、暮らすのには結構厳しい場所だったのでは?
この時、3時前だったのに、もうかなり薄暗くて寒かったー。
車に戻って、どこかでお茶したいと検索すると、
すぐ近くの「東風谷(とうふや)」」という豆腐料理のお店に、
豆乳のチーズケーキが美味しかったって口コミを見つけて、
行ってみることに。
来るときにこの建物見て、気になってたんですよね。
二人とも、豆乳のレアチーズケーキ580円と、
コーヒー400円を注文。
サイフォンで1杯ずつ入れてくれました。
せっかくなので、「最高の木綿豆腐」200円と、
「うの花」350円を購入。
「最高の―」って言うだけあって、豆の味がしっかりした
美味しい豆腐でした。
食べログ
荒川豊蔵資料館: https://www.city.kani.lg.jp/10013.htm
岐阜県現代陶芸美術館「荒川豊蔵展」 [美術]
11月12日(火)、セラミックパークMINOへ行き、
国際陶磁器フェスティバル美濃'24 のメインイベント
「国際陶磁器展美濃」を見たことは前記事に。
セラミックパークMINOの2階にあるのが
岐阜県現代陶芸美術館
ギャラリーⅠでは
「生誕130年
荒川豊蔵展」をやっています。
桃山時代の志野が美濃で焼かれていたことを自ら発見した陶片により実証し、そして「志野」と「瀬戸黒」の二つの重要無形文化財の保持者(人間国宝)となった岐阜県出身の荒川豊蔵(1894-1985)。生誕130年の機会に、現代へと続く美濃陶芸の先駆者であり、そして近代日本の陶芸をリードした、荒川の人となりを振り返ります。(チラシ裏面の文より)
美濃焼の作家として、まず第一に名前が挙がるのが荒川豊蔵
岐阜県美術館・岐阜県現代陶芸美術館をはじめ、
多治見市美濃焼ミュージアムには荒川豊蔵展示室があり、
(加藤孝造氏から受贈されたものだそう)
荒川豊蔵氏の作品はあちこちで見てるし、
多治見市美濃焼ミュージアムで、
荒川豊蔵の茶碗でお抹茶をいただいたこともあるんですが、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-07-14
どうも私にはすごさがよくわからない‥‥
なので、岐阜県美術館の後援会員証で
無料で見れるしーってくらいで入ったんです。
(展示会場内撮影禁止)
Ⅰ.プロローグ 人間国宝 荒川豊蔵
国立工芸館をはじめ、荒川豊蔵資料館、瑞浪市陶磁資料館、
清荒神清澄寺、多治見市美濃焼ミュージアムから出品された
志野や瀬戸黒の作品が並んでました。
いわゆる代表作? 私にはよくわからないながらも、
なんかいいな‥‥って感覚は伝わってきました。
Ⅱ.東山窯と星岡窯 やきものに風雅なのがあるのを知る
最初から陶芸家を志したのではなく、
色々苦労してるんだなって。
多治見尋常高等小学校高等科二年修了後、12歳で
神戸の貿易商で働き、多治見に戻って働き、
京都の私塾で1年間学び、名古屋で働いたり、
画家になろうと決意して東京に向かうが断念し、
京都の宮永東山窯に工場長として勤めます。
そこで一流のやきものを見る機会を得たり、
北大路魯山人と知り合い、鎌倉の星岡窯で働きます。
Ⅲ.荒川豊蔵の陶芸
昭和5年(1930)魯山人と名古屋で関戸家所蔵の
《志野筍絵茶碗銘玉川》を見て、高台についた赤い土に気付き、
志野は瀬戸で焼かれたという通説に疑問を持つ。
その2日後、可児市の古い窯跡から筍絵の陶片を発見。
古志野が美濃で焼かれていたことがわかり、
日本の陶磁器史の定説を覆す大発見だった。
この時のことを思い出して描いた絵が展示されていました。
豊蔵さんのとても嬉しかったことなんですね。
さすが、画家を志しただけあっていい絵だなって。
ここから豊蔵さんは、陶片を発見した場所に窯を築き、
400年前と同じ方法で志野を焼こうと決心します。
陶芸家に弟子入りとかしたのではなく、
陶片から学ぶ試行錯誤の制作だったわけですね。
志野、黄瀬戸、瀬戸黒などの作品が展示されていました。
Ⅳ.暮らしとともに 水月窯と大萱窯
昭和21年(1946)、「心やすらぎなごむ家庭用の器を」
ということで、多治見の虎渓山永保寺の山を借用して
「水月窯」を築きます。
Ⅴ.描く、愉しむ
画家を志した豊蔵ですから、染付や色絵の器も
多く展示されていましたし、書画もいいですね。
Ⅵ.交友 芸術家との共作、五窯歴遊
多くの陶芸家・芸術家と交流した豊蔵。
川合玉堂が絵付けをした茶碗や、
前田青邨が作ったものを豊蔵が焼いた香合なども
展示されていました。
Ⅶ.収集品にみる豊蔵の眼と作品へへのひろがり
16世紀の志野や瀬戸黒茶碗や陶片をはじめ、
尾形乾山の絵角皿、そして
展示は複製だったけど「宗達鶴図光悦書和歌巻」
え?! この《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》豊蔵が持ってたの?!!
昭和35年(1960)、この絵巻を発見して入手したと。
現在は、国の重要文化財となり、京都国立博物館が所蔵
この絵巻の鶴の模様のような鼠志野の茶碗、見たことあるような。
Ⅷ. エピローグ
最後に、写生・作陶道具や陶印、手控帖、
著書の表紙として作られた陶板なども展示されていました。
抹茶茶碗とか、どれも同じに見えてよくわからないーなんて
思ってたんですが、荒川豊蔵展、絵が味があって良かったし、
陶の作品もなんかいいなと。
で、今更ですが、ちょっと興味が出てきまして、
荒川豊蔵資料館へ行ってみたいなと。
11月12日(火)の岐阜県現代陶芸美術館の展示のことはまだ続くんですが、
11月24日(日)に、荒川豊蔵資料館へ行ってきたので、
次の記事ではそちらのことを先に書きたいと思います。
岐阜県現代陶芸美術館: https://www.cpm-gifu.jp/museum/
国際陶磁器フェスティバル美濃'24 のメインイベント
「国際陶磁器展美濃」を見たことは前記事に。
セラミックパークMINOの2階にあるのが
岐阜県現代陶芸美術館
ギャラリーⅠでは
「生誕130年
荒川豊蔵展」をやっています。
桃山時代の志野が美濃で焼かれていたことを自ら発見した陶片により実証し、そして「志野」と「瀬戸黒」の二つの重要無形文化財の保持者(人間国宝)となった岐阜県出身の荒川豊蔵(1894-1985)。生誕130年の機会に、現代へと続く美濃陶芸の先駆者であり、そして近代日本の陶芸をリードした、荒川の人となりを振り返ります。(チラシ裏面の文より)
美濃焼の作家として、まず第一に名前が挙がるのが荒川豊蔵
岐阜県美術館・岐阜県現代陶芸美術館をはじめ、
多治見市美濃焼ミュージアムには荒川豊蔵展示室があり、
(加藤孝造氏から受贈されたものだそう)
荒川豊蔵氏の作品はあちこちで見てるし、
多治見市美濃焼ミュージアムで、
荒川豊蔵の茶碗でお抹茶をいただいたこともあるんですが、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-07-14
どうも私にはすごさがよくわからない‥‥
なので、岐阜県美術館の後援会員証で
無料で見れるしーってくらいで入ったんです。
(展示会場内撮影禁止)
Ⅰ.プロローグ 人間国宝 荒川豊蔵
国立工芸館をはじめ、荒川豊蔵資料館、瑞浪市陶磁資料館、
清荒神清澄寺、多治見市美濃焼ミュージアムから出品された
志野や瀬戸黒の作品が並んでました。
いわゆる代表作? 私にはよくわからないながらも、
なんかいいな‥‥って感覚は伝わってきました。
Ⅱ.東山窯と星岡窯 やきものに風雅なのがあるのを知る
最初から陶芸家を志したのではなく、
色々苦労してるんだなって。
多治見尋常高等小学校高等科二年修了後、12歳で
神戸の貿易商で働き、多治見に戻って働き、
京都の私塾で1年間学び、名古屋で働いたり、
画家になろうと決意して東京に向かうが断念し、
京都の宮永東山窯に工場長として勤めます。
そこで一流のやきものを見る機会を得たり、
北大路魯山人と知り合い、鎌倉の星岡窯で働きます。
Ⅲ.荒川豊蔵の陶芸
昭和5年(1930)魯山人と名古屋で関戸家所蔵の
《志野筍絵茶碗銘玉川》を見て、高台についた赤い土に気付き、
志野は瀬戸で焼かれたという通説に疑問を持つ。
その2日後、可児市の古い窯跡から筍絵の陶片を発見。
古志野が美濃で焼かれていたことがわかり、
日本の陶磁器史の定説を覆す大発見だった。
この時のことを思い出して描いた絵が展示されていました。
豊蔵さんのとても嬉しかったことなんですね。
さすが、画家を志しただけあっていい絵だなって。
ここから豊蔵さんは、陶片を発見した場所に窯を築き、
400年前と同じ方法で志野を焼こうと決心します。
陶芸家に弟子入りとかしたのではなく、
陶片から学ぶ試行錯誤の制作だったわけですね。
志野、黄瀬戸、瀬戸黒などの作品が展示されていました。
Ⅳ.暮らしとともに 水月窯と大萱窯
昭和21年(1946)、「心やすらぎなごむ家庭用の器を」
ということで、多治見の虎渓山永保寺の山を借用して
「水月窯」を築きます。
Ⅴ.描く、愉しむ
画家を志した豊蔵ですから、染付や色絵の器も
多く展示されていましたし、書画もいいですね。
Ⅵ.交友 芸術家との共作、五窯歴遊
多くの陶芸家・芸術家と交流した豊蔵。
川合玉堂が絵付けをした茶碗や、
前田青邨が作ったものを豊蔵が焼いた香合なども
展示されていました。
Ⅶ.収集品にみる豊蔵の眼と作品へへのひろがり
16世紀の志野や瀬戸黒茶碗や陶片をはじめ、
尾形乾山の絵角皿、そして
展示は複製だったけど「宗達鶴図光悦書和歌巻」
え?! この《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》豊蔵が持ってたの?!!
昭和35年(1960)、この絵巻を発見して入手したと。
現在は、国の重要文化財となり、京都国立博物館が所蔵
この絵巻の鶴の模様のような鼠志野の茶碗、見たことあるような。
Ⅷ. エピローグ
最後に、写生・作陶道具や陶印、手控帖、
著書の表紙として作られた陶板なども展示されていました。
抹茶茶碗とか、どれも同じに見えてよくわからないーなんて
思ってたんですが、荒川豊蔵展、絵が味があって良かったし、
陶の作品もなんかいいなと。
で、今更ですが、ちょっと興味が出てきまして、
荒川豊蔵資料館へ行ってみたいなと。
11月12日(火)の岐阜県現代陶芸美術館の展示のことはまだ続くんですが、
11月24日(日)に、荒川豊蔵資料館へ行ってきたので、
次の記事ではそちらのことを先に書きたいと思います。
岐阜県現代陶芸美術館: https://www.cpm-gifu.jp/museum/
国際陶磁器フェスティバル美濃'24 [美術]
11月12日(火)、多治見にあるセラミックパークMINOへ行ってきました。
岐阜県現代陶芸美術館も入っている施設で、
私は岐阜県美術館の後援会会員証で、
岐阜県現代陶芸美術館の企画展も見られるので、
企画展毎に行っているんですが、
(前回は「リサ・ラーソン展」でした)
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-07-10
しばらく猫の介護で行けてなかったんです。
「荒川豊蔵展」が11月17日(日)までなので、
‥‥まぁ、私、それほど見たい!ってわけでもなかったけど
せっかくなので行っとかなくてはと。(根がケチなんですよね(^^;>
セラミックパークMINOでは、ここをメイン会場に、
10月18日(金)から11月17日(日)まで、
「国際陶磁器フェスティバル美濃'24」が開催されています。
「国際陶磁器フェスティバル美濃」は、日本を代表する陶産地である岐阜県多治見市・瑞浪市・土岐市・可児市を舞台に、1986年から3年に1度開催している世界最大級の陶磁器の祭典です。(もらったリーフレットより)
私、2014年の第10回と、2021年の第12回は見に行きました。
2014年のことはこちら
「国際陶磁器フェスティバル美濃'14」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2014-10-17
第11回が2017年に開催され、第12回は2020年の予定だったんですが、
コロナで開催が1年延期されて2021年となったので――
1年延期されて開催された2021年も、まだコロナの影響で、
会期が9月30日から10月17日の18日間だけで、
お茶会やランチ提供など、中止になったイベントも多く、
来場者も少なかったように思う。
駐車場からのアプローチには、2021年のグランプリ受賞者
麻匯源[Ma Huiyuan マー・ホイヤン]さんの作品が(グランプリ受賞作ではない)
――第13回が今年2024年になったわけです。
国際陶磁器フェスティバル美濃のメインイベントは
「国際陶磁器展美濃」
世界中から陶磁器の作品が集まる国際的なコンペティションです。
チケットは、7館入場セット券が当日1,500円
国際陶磁器展美濃
岐阜県現代陶芸美術館
多治見市美濃焼ミュージアム
多治見市モザイクタイルミュージアム
瑞浪市陶磁資料館
土岐市美濃焼伝統産業会館
荒川豊蔵資料館 に入ることができます。
国際陶磁器展美濃だけのチケットは800円、シニア(65歳以上)700円
7館入場セット券はお値打ちで、
岐阜県現代陶芸美術館の「荒川豊蔵展」の観覧料が1,000円なので、
それだけでモトはとれるんですが、私、岐阜県現代陶芸美術館は
入れるし、今回からシニア料金が適用される(^^)v ので、
単独券にしました。
前回2021年は白を基調にした会場だったんですが、
今回は黒を基調として、展示台の中央には陶土が置かれてます。
平日にもかかわらず大勢の来場者が。高校生?の団体も来ていました。
立派なリーフレットももらえます。
撮影不可の表示がある作品を除き、ほとんどの作品が撮影可
Light スペースに置かれていたこの作品、面白ーい!!
CIMATTI ANTONELLA《第8回 バーチャルミュージアム》イタリア
下からライトを照らすと、棚に見えるところを通して、上に影が映るみたい。
鳴海製陶株式会社《FULL BLOOM - Object》日本
陶磁器デザイン部門スタジオ分野の展示台
この色合い、面白い。
朴延宰[PARK YEONJAE]《;(セミコロン)》大韓民国
須田あゆみ《Meta》日本
西久松友花《魂の容れ物》日本
青木良太《21世紀の抹茶椀》日本
陶磁器デザイン部門ファクトリー分野
黄金色の器だ! ちょっと渋いところもいい感じ。
株式会社RYOTA AOKI POTTERY/青木良太《ブリンブリンの器》日本
あ、これ書いてて気づいたけど、21世紀の抹茶椀と同じ
青木良太さんのファクトリーの作品なんですね。
今回、デザイン部門がファクトリー分野とスタジオ分野とあるけど、
違いがよくわからない。
(応募は各部門3作品までできるそうで、会場で
同じような作品あったなって見たら、同じ人の作品だったりと)
今回のグランプリ作品(陶芸部門)
IELIZAVETA PORTNOVA《Kiln(窯)》
フランス在住のウクライナの人だそう。
戦争によって人間らしい姿を失ってしまった怪獣だとか。
このプールの周囲が今回の入賞作品の展示エリア。
金賞(陶磁器デザイン部門ファクトリー分野)
secca inc《AMU》日本
手前が銀賞(陶磁器デザイン部門ファクトリー分野)
小田陶器株式会社 天野里栄《momotto -ももっと-》日本
小田陶器さんは2014年の第10回でも銀賞を受賞されてます。
私、そのコップ気に入って買ったんですが(もちろん手頃だったから)
割ってしまって残念(T.T)
今回も洗練されたシンプルな器でいいですね。
奥も銀賞(陶磁器デザイン部門スタジオ分野)の
EOM HEEJAE《Dot series, Vase》韓国
銀賞(陶芸部門)
胡春宇 & 蒋玉婷[CHUNYU HU & YUTING JIANG]《Weaving into Ware》中国
紐を織って壺の形にしているのがユニークで面白い
銅賞(陶芸部門)
蔡珉雨[CHAE MINWOO]《connection》大韓民国
ねじれた形も面白いけど、艶やかな白と銀色の質感もいい。
2つのセラミックモジュールを連結させて作っているそう。
アイザワリエ《蝕甚》日本
ブロッコリーみたいな?(^v^)モコモコした質感が独特。
審査員特別賞(菅谷富夫)受賞作品
曾蔓婷[ZENG MANTING]《故郷の記憶》中国
審査員特別賞(ルパート・フォークナー)
川浦紗季《窒息》日本
生理的嫌悪感を感じてしまうような気持ち悪さが‥‥迫力
坂﨑重雄セラミックス賞
沖村昇香《Beadwork bear》日本
ビーズでできたクマちゃん。カワイイ
審査員特別賞(田嶋悦子)
徳丸鏡子《芽吹く精・発生の場》日本
この大きさ! 二本足で立っているのが迫力!
大石早矢香《Yin and Yang - IWANAGAHIME, KONOHANASAKUYAHIME-》日本
この耽美な雰囲気、私好みです
SUSAN BEINER《静寂の風景》アメリカ
布とか草のような柔らかそうな質感が面白い
酒井智也《Connection 2022-2023》日本
カラフルでユーモラスでカワイイ。
酒井智也さんは、やはりカラフルでカワイイ花瓶?が銅賞に選ばれてました。
(隣の作品が撮影不可だったので、写り込んでしまうのを心配して写真撮らなかった)
陶芸部門の展示台
堀貴春《OS2 Actuate Stag beetle》日本
陶でできた巨大なクワガタ。ツヤツヤの質感がいい。
木野智史《颪(二重)》日本
シャープな形が素敵
芥川宏《うおアラ》日本
魚のアラをリアルな形で作ってるんだけど、
どことなくユーモアがあって、素朴な質感に魅かれる。
このあたり、不思議な形が並ぶなぁー いちばん手前が
小峰尚《億年の記憶》日本
古代の化石が合体したような?
加藤智也《intron 2024-1》日本
この人、第11回で金賞を受賞されてた方ですよね。
受賞作の《Topological Formation》は、
岐阜県現代陶芸美術館所蔵となってます。
収蔵品データベースに画像あります:
https://jmapps.ne.jp/momca/det.html?data_id=21929
KIESKAMP EVELINE《虐げられた女王Ⅱ》オランダ
アン・ブーリンの生涯への賛辞だそう
青木岳文《Vessel》日本
レース編みのような透ける器。繊細!
HOU HONGMEI《風化シリーズⅡ》中国
流れるような優美な曲線、穴の形も素敵。
NICHOLAS LEES《青緑軌道》英国
一見、シンプルな形に見えるけど‥‥
李翔[LI XIANG]《オマージュ長沙窯2》中国
胡春宇 & 蒋玉婷[CHUNYU HU & YUTING JIANG]《一連のブロック》中国
書いてて気が付いたけど、銀賞に選ばれた紐で組んだ壺の作品と
同じ作家さんなんだ! ポップな色と形がカワイイ!
陳安琦[CHAN ON KEI]《Sustain Ⅲ》中国(マカオ)
ハイヒールがつながってるー
陶芸部門ファイナリストの展示台
LIN ZHAO《ミラー・ライフ》中国
ハハハ、人とタヌキ!
同じく LIN ZHAOさんの作品《虎と人間》
手前の紐が絡まったようなのが
波多野亜耶《相克》日本
矢次美穂《uvula》日本
ツヤツヤの質感と柔らかな形。でも私、
なんか衛生陶器を連想してしまったり(^^;
前田晶子《Blue Plants 2023 Strange Fruits-1》日本
大きな陶作品が吊り下げられていて迫力
見た目は重そうだけど、軽いのかな?
CHEN FEIXIAN《浮くものシリーズ 01》中国
鈴木秀昭《宇宙的泉》日本
細かな装飾がされた便器を思わせる形は、
デュシャン《泉》をふまえた作品とのこと!
DARIEN ARIKOSKI-JOHNSON《ゆがんだ図式》アメリカ
張琨[ZHANG KUN]《『画像』シリーズ38》中国
モザイクタイル?
WISAM AL-SAMAD《愛に出会う》ノルウェー
金意陽[JIN YIYANG]《蝶》中国
蝶のようなモチーフ面白い、いろんな形にできるところもいい。
WANG ZHAOJING《和して同ぜず》中国
不思議な縞模様の石(に見える)が並んでいる中に
小さな茶色い石(に見える)が置かれてる
趙文婧[ZHAO WENJING]《ワタシ》中国
彭学晶[PENG XUEJING]《フェニックス、蓮、馬、羊》中国
破れた紙のように見えるんだけど‥‥?
金智淏[KIM JIHO]《私たち、ケージ》韓国
スパッと切られたような動物たち
落ち葉が置かれている? のではなく、
喬芸芸[QIAO YUNYUN]《『磁化』シリーズ5』》中国
山本幸嗣《地球》日本
VIHAR KOTECHA《復活》インド
古代遺跡の柱みたいな‥‥
《地球》とおなじく山本幸嗣さんの作品ですね《種》
鈴木まこと《艶黒陶-鶉-》日本
端正な形なのに模様のせいで歪んで見えたりするのが面白い。
-鶉-か! 幾何学的な模様だけど、そんなイメージにも見える!
MARY CASSILLY《二つの頭》アメリカ
瓦みたいな質感だなー
刘兵[LIU BING]《Convex-13 & Convex-15》中国
有機物が膨らんでヒビが出た‥‥みたいな?
デザイン部門のファナリスト展示台
プラスチック? ではなく、ガラスとセラミックでできています
ユースケ・オフハウズ《フワフワ(セカンドシーズン)》フランス
今回、過去最高となる77の国と地域から3,890作品の応募があり、
10名の審査員により選ばれた203作品が展示されているとのこと。
1階ホワイエでは、美濃焼タイルの展示や、
(モザイクタイルでQRコードを作ってて面白いですね)
美濃焼メーカーの「こだわりの器」で提供するカフェもありました。
(展覧会見てから来ようと考えてたら、営業時間終わってて残念)
1階イベントホールでは、
フラワーアレンジメントコンテストin MINO
中島晴美さんや酒井博司さんなど、美濃焼の有名作家の花器に
花が生けられていました。花器がかなり大きいので、花も豪華!
1階 国際会議場では「第26回 美濃茶盌展」が。
岐阜県現代陶芸美術館の展示を見終わって、まだ時間があったので
入ってみました。入場無料で出品目録もいただきました。
銅賞の鈴木秀昭さんの《色絵釉裏金彩光輝茶碗》が、
キラキラで素敵って見たんですが、
(公式ガイドブックの写真右下)
これ書いてて気が付きました、鈴木秀昭さん、
国際陶磁器展美濃で《宇宙的泉》が展示されてた方だ!
2階の岐阜県現代陶芸美術館の展覧会のことは次の記事で
国際陶磁器フェスティバル美濃'24: https://www.icfmino.com/
国際陶磁器展美濃: https://www.icfmino.com/iccm/
セラミックパークMINO: https://www.cpm-gifu.jp/
岐阜県現代陶芸美術館: https://www.cpm-gifu.jp/museum/
岐阜県現代陶芸美術館も入っている施設で、
私は岐阜県美術館の後援会会員証で、
岐阜県現代陶芸美術館の企画展も見られるので、
企画展毎に行っているんですが、
(前回は「リサ・ラーソン展」でした)
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-07-10
しばらく猫の介護で行けてなかったんです。
「荒川豊蔵展」が11月17日(日)までなので、
‥‥まぁ、私、それほど見たい!ってわけでもなかったけど
せっかくなので行っとかなくてはと。(根がケチなんですよね(^^;>
セラミックパークMINOでは、ここをメイン会場に、
10月18日(金)から11月17日(日)まで、
「国際陶磁器フェスティバル美濃'24」が開催されています。
「国際陶磁器フェスティバル美濃」は、日本を代表する陶産地である岐阜県多治見市・瑞浪市・土岐市・可児市を舞台に、1986年から3年に1度開催している世界最大級の陶磁器の祭典です。(もらったリーフレットより)
私、2014年の第10回と、2021年の第12回は見に行きました。
2014年のことはこちら
「国際陶磁器フェスティバル美濃'14」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2014-10-17
第11回が2017年に開催され、第12回は2020年の予定だったんですが、
コロナで開催が1年延期されて2021年となったので――
1年延期されて開催された2021年も、まだコロナの影響で、
会期が9月30日から10月17日の18日間だけで、
お茶会やランチ提供など、中止になったイベントも多く、
来場者も少なかったように思う。
駐車場からのアプローチには、2021年のグランプリ受賞者
麻匯源[Ma Huiyuan マー・ホイヤン]さんの作品が(グランプリ受賞作ではない)
――第13回が今年2024年になったわけです。
国際陶磁器フェスティバル美濃のメインイベントは
「国際陶磁器展美濃」
世界中から陶磁器の作品が集まる国際的なコンペティションです。
チケットは、7館入場セット券が当日1,500円
国際陶磁器展美濃
岐阜県現代陶芸美術館
多治見市美濃焼ミュージアム
多治見市モザイクタイルミュージアム
瑞浪市陶磁資料館
土岐市美濃焼伝統産業会館
荒川豊蔵資料館 に入ることができます。
国際陶磁器展美濃だけのチケットは800円、シニア(65歳以上)700円
7館入場セット券はお値打ちで、
岐阜県現代陶芸美術館の「荒川豊蔵展」の観覧料が1,000円なので、
それだけでモトはとれるんですが、私、岐阜県現代陶芸美術館は
入れるし、今回からシニア料金が適用される(^^)v ので、
単独券にしました。
前回2021年は白を基調にした会場だったんですが、
今回は黒を基調として、展示台の中央には陶土が置かれてます。
平日にもかかわらず大勢の来場者が。高校生?の団体も来ていました。
立派なリーフレットももらえます。
撮影不可の表示がある作品を除き、ほとんどの作品が撮影可
Light スペースに置かれていたこの作品、面白ーい!!
CIMATTI ANTONELLA《第8回 バーチャルミュージアム》イタリア
下からライトを照らすと、棚に見えるところを通して、上に影が映るみたい。
鳴海製陶株式会社《FULL BLOOM - Object》日本
陶磁器デザイン部門スタジオ分野の展示台
この色合い、面白い。
朴延宰[PARK YEONJAE]《;(セミコロン)》大韓民国
須田あゆみ《Meta》日本
西久松友花《魂の容れ物》日本
青木良太《21世紀の抹茶椀》日本
陶磁器デザイン部門ファクトリー分野
黄金色の器だ! ちょっと渋いところもいい感じ。
株式会社RYOTA AOKI POTTERY/青木良太《ブリンブリンの器》日本
あ、これ書いてて気づいたけど、21世紀の抹茶椀と同じ
青木良太さんのファクトリーの作品なんですね。
今回、デザイン部門がファクトリー分野とスタジオ分野とあるけど、
違いがよくわからない。
(応募は各部門3作品までできるそうで、会場で
同じような作品あったなって見たら、同じ人の作品だったりと)
今回のグランプリ作品(陶芸部門)
IELIZAVETA PORTNOVA《Kiln(窯)》
フランス在住のウクライナの人だそう。
戦争によって人間らしい姿を失ってしまった怪獣だとか。
このプールの周囲が今回の入賞作品の展示エリア。
金賞(陶磁器デザイン部門ファクトリー分野)
secca inc《AMU》日本
手前が銀賞(陶磁器デザイン部門ファクトリー分野)
小田陶器株式会社 天野里栄《momotto -ももっと-》日本
小田陶器さんは2014年の第10回でも銀賞を受賞されてます。
私、そのコップ気に入って買ったんですが(もちろん手頃だったから)
割ってしまって残念(T.T)
今回も洗練されたシンプルな器でいいですね。
奥も銀賞(陶磁器デザイン部門スタジオ分野)の
EOM HEEJAE《Dot series, Vase》韓国
銀賞(陶芸部門)
胡春宇 & 蒋玉婷[CHUNYU HU & YUTING JIANG]《Weaving into Ware》中国
紐を織って壺の形にしているのがユニークで面白い
銅賞(陶芸部門)
蔡珉雨[CHAE MINWOO]《connection》大韓民国
ねじれた形も面白いけど、艶やかな白と銀色の質感もいい。
2つのセラミックモジュールを連結させて作っているそう。
アイザワリエ《蝕甚》日本
ブロッコリーみたいな?(^v^)モコモコした質感が独特。
審査員特別賞(菅谷富夫)受賞作品
曾蔓婷[ZENG MANTING]《故郷の記憶》中国
審査員特別賞(ルパート・フォークナー)
川浦紗季《窒息》日本
生理的嫌悪感を感じてしまうような気持ち悪さが‥‥迫力
坂﨑重雄セラミックス賞
沖村昇香《Beadwork bear》日本
ビーズでできたクマちゃん。カワイイ
審査員特別賞(田嶋悦子)
徳丸鏡子《芽吹く精・発生の場》日本
この大きさ! 二本足で立っているのが迫力!
大石早矢香《Yin and Yang - IWANAGAHIME, KONOHANASAKUYAHIME-》日本
この耽美な雰囲気、私好みです
SUSAN BEINER《静寂の風景》アメリカ
布とか草のような柔らかそうな質感が面白い
酒井智也《Connection 2022-2023》日本
カラフルでユーモラスでカワイイ。
酒井智也さんは、やはりカラフルでカワイイ花瓶?が銅賞に選ばれてました。
(隣の作品が撮影不可だったので、写り込んでしまうのを心配して写真撮らなかった)
陶芸部門の展示台
堀貴春《OS2 Actuate Stag beetle》日本
陶でできた巨大なクワガタ。ツヤツヤの質感がいい。
木野智史《颪(二重)》日本
シャープな形が素敵
芥川宏《うおアラ》日本
魚のアラをリアルな形で作ってるんだけど、
どことなくユーモアがあって、素朴な質感に魅かれる。
このあたり、不思議な形が並ぶなぁー いちばん手前が
小峰尚《億年の記憶》日本
古代の化石が合体したような?
加藤智也《intron 2024-1》日本
この人、第11回で金賞を受賞されてた方ですよね。
受賞作の《Topological Formation》は、
岐阜県現代陶芸美術館所蔵となってます。
収蔵品データベースに画像あります:
https://jmapps.ne.jp/momca/det.html?data_id=21929
KIESKAMP EVELINE《虐げられた女王Ⅱ》オランダ
アン・ブーリンの生涯への賛辞だそう
青木岳文《Vessel》日本
レース編みのような透ける器。繊細!
HOU HONGMEI《風化シリーズⅡ》中国
流れるような優美な曲線、穴の形も素敵。
NICHOLAS LEES《青緑軌道》英国
一見、シンプルな形に見えるけど‥‥
李翔[LI XIANG]《オマージュ長沙窯2》中国
胡春宇 & 蒋玉婷[CHUNYU HU & YUTING JIANG]《一連のブロック》中国
書いてて気が付いたけど、銀賞に選ばれた紐で組んだ壺の作品と
同じ作家さんなんだ! ポップな色と形がカワイイ!
陳安琦[CHAN ON KEI]《Sustain Ⅲ》中国(マカオ)
ハイヒールがつながってるー
陶芸部門ファイナリストの展示台
LIN ZHAO《ミラー・ライフ》中国
ハハハ、人とタヌキ!
同じく LIN ZHAOさんの作品《虎と人間》
手前の紐が絡まったようなのが
波多野亜耶《相克》日本
矢次美穂《uvula》日本
ツヤツヤの質感と柔らかな形。でも私、
なんか衛生陶器を連想してしまったり(^^;
前田晶子《Blue Plants 2023 Strange Fruits-1》日本
大きな陶作品が吊り下げられていて迫力
見た目は重そうだけど、軽いのかな?
CHEN FEIXIAN《浮くものシリーズ 01》中国
鈴木秀昭《宇宙的泉》日本
細かな装飾がされた便器を思わせる形は、
デュシャン《泉》をふまえた作品とのこと!
DARIEN ARIKOSKI-JOHNSON《ゆがんだ図式》アメリカ
張琨[ZHANG KUN]《『画像』シリーズ38》中国
モザイクタイル?
WISAM AL-SAMAD《愛に出会う》ノルウェー
金意陽[JIN YIYANG]《蝶》中国
蝶のようなモチーフ面白い、いろんな形にできるところもいい。
WANG ZHAOJING《和して同ぜず》中国
不思議な縞模様の石(に見える)が並んでいる中に
小さな茶色い石(に見える)が置かれてる
趙文婧[ZHAO WENJING]《ワタシ》中国
彭学晶[PENG XUEJING]《フェニックス、蓮、馬、羊》中国
破れた紙のように見えるんだけど‥‥?
金智淏[KIM JIHO]《私たち、ケージ》韓国
スパッと切られたような動物たち
落ち葉が置かれている? のではなく、
喬芸芸[QIAO YUNYUN]《『磁化』シリーズ5』》中国
山本幸嗣《地球》日本
VIHAR KOTECHA《復活》インド
古代遺跡の柱みたいな‥‥
《地球》とおなじく山本幸嗣さんの作品ですね《種》
鈴木まこと《艶黒陶-鶉-》日本
端正な形なのに模様のせいで歪んで見えたりするのが面白い。
-鶉-か! 幾何学的な模様だけど、そんなイメージにも見える!
MARY CASSILLY《二つの頭》アメリカ
瓦みたいな質感だなー
刘兵[LIU BING]《Convex-13 & Convex-15》中国
有機物が膨らんでヒビが出た‥‥みたいな?
デザイン部門のファナリスト展示台
プラスチック? ではなく、ガラスとセラミックでできています
ユースケ・オフハウズ《フワフワ(セカンドシーズン)》フランス
今回、過去最高となる77の国と地域から3,890作品の応募があり、
10名の審査員により選ばれた203作品が展示されているとのこと。
1階ホワイエでは、美濃焼タイルの展示や、
(モザイクタイルでQRコードを作ってて面白いですね)
美濃焼メーカーの「こだわりの器」で提供するカフェもありました。
(展覧会見てから来ようと考えてたら、営業時間終わってて残念)
1階イベントホールでは、
フラワーアレンジメントコンテストin MINO
中島晴美さんや酒井博司さんなど、美濃焼の有名作家の花器に
花が生けられていました。花器がかなり大きいので、花も豪華!
1階 国際会議場では「第26回 美濃茶盌展」が。
岐阜県現代陶芸美術館の展示を見終わって、まだ時間があったので
入ってみました。入場無料で出品目録もいただきました。
銅賞の鈴木秀昭さんの《色絵釉裏金彩光輝茶碗》が、
キラキラで素敵って見たんですが、
(公式ガイドブックの写真右下)
これ書いてて気が付きました、鈴木秀昭さん、
国際陶磁器展美濃で《宇宙的泉》が展示されてた方だ!
2階の岐阜県現代陶芸美術館の展覧会のことは次の記事で
国際陶磁器フェスティバル美濃'24: https://www.icfmino.com/
国際陶磁器展美濃: https://www.icfmino.com/iccm/
セラミックパークMINO: https://www.cpm-gifu.jp/
岐阜県現代陶芸美術館: https://www.cpm-gifu.jp/museum/
愛知県美術館「相国寺展」のコレクション展 [美術]
10月20日(日)と11月10日(日)に、愛知県美術館へ行き、
「相国寺展」を見たことはこちらの記事に
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-11-11
続いて、コレクション展(2024年度第3期)を見たことを
展示室5 西洋近代美術の名品
第3期コレクション展では、愛知県美術館が所蔵する「西洋近代美術の名品」を特集します。前半の章では、「馬」や「窓」といった普遍的なモティーフや、近代の風景表現に光を当てます。後半の章では、当館所蔵の油彩画を通して、20世紀ヨーロッパ・アメリカ絵画の展開を辿ります。
愛知県美術館 2024年度第3期コレクション展のページ:
https://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/20243.html より
ってことで「馬」をモティーフにした作品
(右)グスタフ・クリムト《人生は戦いなり(黄金の騎士)》1903年 と
(左)バルテュス《白馬の上の女性曲馬師》1941年(1945年加筆)
(コレクション展は撮影可)
マックス・エルンスト《ポーランドの騎士》1954年
レオノーラ・キャリントン《ウルでの狩り》1946年頃
「馬」つながりってだけでなく、エルンストとキャリントンは
一時期一緒に暮らしていたんだそうですね。
「窓」がモティーフの作品
エドワード・ジョン・ポインター《世界の若かりし頃》1891年
アンリ・マティス《待つ》1921-22年
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー《⽇の当たる庭》1935年
(右)ジャン・デュビュッフェ《二人の脱走兵》1953年 と
(左)アントニ・タピエス《コンポジション》1977年
アド・ラインハート《No. 114》1950年
展示室6 みんなの文化会館美術館
1955年から92年まで名古屋・栄の地に存在していた愛知県文化会館美術館。愛知県美術館の前身であるこの美術館の開館70周年に合わせて、様々なエピソードを紹介しながら所蔵作品をご紹介します。
なんとなく覚えてます、この美術館。
書道をやっていた義母と日展を見に行ったことがあったし、
1980年に開催された「ルドン展」の図録持ってるんですけど、
「愛知県美術館」って書いてあるんですよ。
まだ現在の建物はできてないので、
この「文化会館美術館」のことだったのではと。
(チラシに使われている作品、今、岐阜県美術館が所蔵してます。
この時のタイトルは《あずまやの下の二人の女》ですが
今は《神秘的な会話》となっています)
開館前の県議会において、文化施設に多額の予算を使うよりは経済振興や社会保障制度などに回すべきだという批判の声に対し、文化会館の産みの親である桑原幹根知事(当時)は、次のような言葉を残しています。「私どもが本当に平和を衷心から要求していることを後世に伝え残す意味において、この千載一遇の好機に、私は記念塔を打ち建てたい。(後略)「みんなの文化会館美術館」説明文より
最初に展示されている
鶴岡政男《夜》1955年 は、桑原知事が1975年に知事を退くのと同時に
美術館に30点弱の作品を寄贈したうちの1点だそう。
太田三郎《人物(昇天)》1955年頃
太田三郎は戦前から東京で活躍していた画家です。戦後に地元の愛知に戻り、中部日本美術協会(中美)の委員長になった太田は、文化会館の初代美術科長を務めました。(後略)キャプションの説明より
市ノ木慶治《子供》1932年
市ノ木慶治は森村組(現・ノリタケ株式会社)の絵付け職人として活躍するかたわら、油彩作品を日展に出品するなど、画家としても活躍しました。(後略)
正木公《美術館の窓》1972年
ここに窓があって外の景色が見えているみたい!
この絵、素敵。チマチョゴリの女性たちもいいけど、猫がかわいい!
松田文子《哀歌》1952年頃
松田は1951年に24歳の若さで院展の日本美術院賞と横山大観賞を同時に受賞し、『アサヒグラフ』の表紙を飾るなど一世を風靡します。その僅か2年後にはこの作品を文化会館が購入しており、地元の日本画家の作品としては最初のコレクションとなりました。(中略)松田は早くから渡欧し海外で活動を続けたため日本での知名度は高くありませんが、その優美な線描には目を見張るものがあります。
リュシアン・クートー《干潮の帽子》1962年
文化会館が収蔵した海外作家の作品とのこと。名前も知らなかった。
シュルレアリスムの作家なのかな。
ジョルジュ・パパゾフ《無題》1928年
こちらも文化会館時代に収蔵した海外作家の作品。
うーーん? ってカンジ。
前室の壁面ケースに展示されていたのは、
木村定三コレクションの橋本独山旧蔵作品
橋本独山[はしもとどくざん](1869-1938)は臨済宗相国寺派の元管長
画家を志して富岡鉄斎に師事。中年に出家して相国寺派管長(百二十八世)を務め、
退隠後は書画三昧に過ごしたとか。
この《青銅蟠螭文壷》 中国・春秋時代(紀元前8世紀-5世紀)
吊り手の形が面白いですね。そして木箱に描かれている水墨画は
独山が描いたと思われると。
木村定三コレクションにはいつも驚かされてますが、
展示室7 木村定三の古美術蒐集
《十牛図霰窯》室町時代(15世紀-16世紀)
伊藤若冲《六歌仙図》
六歌仙が田楽を焼いているという、ユーモアあふれる絵(^^)
伊藤若冲《菊に双鶴図》江戸時代中期(18世紀後半)
ゆるい鶴の描き方が、「相国寺展」の若冲の障壁画に描かれた
丸い鶏にも通じるカンジ。
伊藤若冲《若竹雄鶏/梅花雌鶏図》江戸時代中期(18世紀後半)
竹をバックにした雄鶏と、梅をバックにした雌鶏。
箱書きはもしかして熊谷守一?
与謝蕪村《若竹図》江戸時代中期(18世紀後半)
さらりと描かれたような若竹の風情が素敵。
愛知県美術館ウェブサイトのコレクション検索によれば、
https://jmapps.ne.jp/apmoa/det.html?data_id=10385
「若竹やはしもとの遊女ありやなしや」という
蕪村の俳画中の著名な作品である。と
流麗な文字も絵とひとつになっていますね。
前室に
ジャーコモ・マンズー《踊りのステップ》1953年
エミール゠アントワーヌ・ブールデル《ペネロープ》1908年
愛知県美術館のコレクション展、今回もとても良かったです。
11月10日(日)は、オアシス21の倉式珈琲店で
抹茶フレンチトーストとコーヒーを食べて帰りました。
「相国寺展」を見たことはこちらの記事に
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-11-11
続いて、コレクション展(2024年度第3期)を見たことを
展示室5 西洋近代美術の名品
第3期コレクション展では、愛知県美術館が所蔵する「西洋近代美術の名品」を特集します。前半の章では、「馬」や「窓」といった普遍的なモティーフや、近代の風景表現に光を当てます。後半の章では、当館所蔵の油彩画を通して、20世紀ヨーロッパ・アメリカ絵画の展開を辿ります。
愛知県美術館 2024年度第3期コレクション展のページ:
https://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/20243.html より
ってことで「馬」をモティーフにした作品
(右)グスタフ・クリムト《人生は戦いなり(黄金の騎士)》1903年 と
(左)バルテュス《白馬の上の女性曲馬師》1941年(1945年加筆)
(コレクション展は撮影可)
マックス・エルンスト《ポーランドの騎士》1954年
レオノーラ・キャリントン《ウルでの狩り》1946年頃
「馬」つながりってだけでなく、エルンストとキャリントンは
一時期一緒に暮らしていたんだそうですね。
「窓」がモティーフの作品
エドワード・ジョン・ポインター《世界の若かりし頃》1891年
アンリ・マティス《待つ》1921-22年
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー《⽇の当たる庭》1935年
(右)ジャン・デュビュッフェ《二人の脱走兵》1953年 と
(左)アントニ・タピエス《コンポジション》1977年
アド・ラインハート《No. 114》1950年
展示室6 みんなの文化会館美術館
1955年から92年まで名古屋・栄の地に存在していた愛知県文化会館美術館。愛知県美術館の前身であるこの美術館の開館70周年に合わせて、様々なエピソードを紹介しながら所蔵作品をご紹介します。
なんとなく覚えてます、この美術館。
書道をやっていた義母と日展を見に行ったことがあったし、
1980年に開催された「ルドン展」の図録持ってるんですけど、
「愛知県美術館」って書いてあるんですよ。
まだ現在の建物はできてないので、
この「文化会館美術館」のことだったのではと。
(チラシに使われている作品、今、岐阜県美術館が所蔵してます。
この時のタイトルは《あずまやの下の二人の女》ですが
今は《神秘的な会話》となっています)
開館前の県議会において、文化施設に多額の予算を使うよりは経済振興や社会保障制度などに回すべきだという批判の声に対し、文化会館の産みの親である桑原幹根知事(当時)は、次のような言葉を残しています。「私どもが本当に平和を衷心から要求していることを後世に伝え残す意味において、この千載一遇の好機に、私は記念塔を打ち建てたい。(後略)「みんなの文化会館美術館」説明文より
最初に展示されている
鶴岡政男《夜》1955年 は、桑原知事が1975年に知事を退くのと同時に
美術館に30点弱の作品を寄贈したうちの1点だそう。
太田三郎《人物(昇天)》1955年頃
太田三郎は戦前から東京で活躍していた画家です。戦後に地元の愛知に戻り、中部日本美術協会(中美)の委員長になった太田は、文化会館の初代美術科長を務めました。(後略)キャプションの説明より
市ノ木慶治《子供》1932年
市ノ木慶治は森村組(現・ノリタケ株式会社)の絵付け職人として活躍するかたわら、油彩作品を日展に出品するなど、画家としても活躍しました。(後略)
正木公《美術館の窓》1972年
ここに窓があって外の景色が見えているみたい!
この絵、素敵。チマチョゴリの女性たちもいいけど、猫がかわいい!
松田文子《哀歌》1952年頃
松田は1951年に24歳の若さで院展の日本美術院賞と横山大観賞を同時に受賞し、『アサヒグラフ』の表紙を飾るなど一世を風靡します。その僅か2年後にはこの作品を文化会館が購入しており、地元の日本画家の作品としては最初のコレクションとなりました。(中略)松田は早くから渡欧し海外で活動を続けたため日本での知名度は高くありませんが、その優美な線描には目を見張るものがあります。
リュシアン・クートー《干潮の帽子》1962年
文化会館が収蔵した海外作家の作品とのこと。名前も知らなかった。
シュルレアリスムの作家なのかな。
ジョルジュ・パパゾフ《無題》1928年
こちらも文化会館時代に収蔵した海外作家の作品。
うーーん? ってカンジ。
前室の壁面ケースに展示されていたのは、
木村定三コレクションの橋本独山旧蔵作品
橋本独山[はしもとどくざん](1869-1938)は臨済宗相国寺派の元管長
画家を志して富岡鉄斎に師事。中年に出家して相国寺派管長(百二十八世)を務め、
退隠後は書画三昧に過ごしたとか。
この《青銅蟠螭文壷》 中国・春秋時代(紀元前8世紀-5世紀)
吊り手の形が面白いですね。そして木箱に描かれている水墨画は
独山が描いたと思われると。
木村定三コレクションにはいつも驚かされてますが、
展示室7 木村定三の古美術蒐集
《十牛図霰窯》室町時代(15世紀-16世紀)
伊藤若冲《六歌仙図》
六歌仙が田楽を焼いているという、ユーモアあふれる絵(^^)
伊藤若冲《菊に双鶴図》江戸時代中期(18世紀後半)
ゆるい鶴の描き方が、「相国寺展」の若冲の障壁画に描かれた
丸い鶏にも通じるカンジ。
伊藤若冲《若竹雄鶏/梅花雌鶏図》江戸時代中期(18世紀後半)
竹をバックにした雄鶏と、梅をバックにした雌鶏。
箱書きはもしかして熊谷守一?
与謝蕪村《若竹図》江戸時代中期(18世紀後半)
さらりと描かれたような若竹の風情が素敵。
愛知県美術館ウェブサイトのコレクション検索によれば、
https://jmapps.ne.jp/apmoa/det.html?data_id=10385
「若竹やはしもとの遊女ありやなしや」という
蕪村の俳画中の著名な作品である。と
流麗な文字も絵とひとつになっていますね。
前室に
ジャーコモ・マンズー《踊りのステップ》1953年
エミール゠アントワーヌ・ブールデル《ペネロープ》1908年
愛知県美術館のコレクション展、今回もとても良かったです。
11月10日(日)は、オアシス21の倉式珈琲店で
抹茶フレンチトーストとコーヒーを食べて帰りました。
愛知県美術館「相国寺展」 [美術]
10月20日(日)、愛知県美術館へ行きました。
「相国寺承天閣美術館開館40周年記念
相国寺展
金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史」
しばらく猫の介護で展覧会に行けてなかったんですが、
この日、骨折した顎の骨を固定していた針金等を取る手術をするために
動物病院へ連れて行き、迎えは翌朝になるので、
久しぶりに美術館へ行けると。
愛知県美術館は友の会に入っているので、
年間10回まで企画展に入れるんです。
チラシの鶴―中国・明時代初期の花鳥画家・文正の《鳴鶴図》―や
応挙の孔雀の絵を見て、すごく格調高い絵だなー
若冲の障壁画も見られるの!? って
まぁ、私、金閣や銀閣は知ってたけど、相国寺?
ってくらいの知識しかなかったんですよ。
相国寺[しょうこくじ]は、室町幕府三代将軍・足利義満(1358~1408)が永徳2年(1382)に発願し、
京五山禅林の最大門派であった夢窓派の祖・夢窓疎石[むそうそせき](1275~1351)を勧請開山に迎え、
高弟の春屋妙葩[しゅんおくみょうは](1311~1388)を実質開山とし創建された禅宗の古刹です。
今も京都の地、御所の北側にその大寺の姿を誇り、
金閣寺、銀閣寺の通称で名高い鹿苑寺、慈照寺を擁する臨済宗相国寺派の大本山です。
(チラシ中面の文)ってことで、
第一章 創建相国寺―将軍義満の祈願
夢窓疎石、春屋妙葩の肖像画や墨跡が並んでいます。
足利義満の肖像画もあります。
それぞれの肖像画に本人の賛が書かれていたりして、
すごいものなんだろうなーとは感じるんですが‥‥
キャプションに「重要文化財」って書かれているのも多いし。
でも私には読めないし、書ってどう鑑賞していいのかもわからない。
後の第三章では、国宝の
《無学祖元墨蹟 与長楽寺一翁偈語》鎌倉時代 弘安2年(1279)
って書が展示されていたんですが(二幅ずつ前後期入替)
私には、これが国宝? ってカンジで(^^;;
無学祖元[むがくそげん](1226-86)は北条時宗(1251-84)の招聘によって来日し、
建長寺に住したのちに円覚寺の開山となった高僧で、
その無学祖元が上野国世良田長楽寺の住持である一翁院豪(1210-81)に与えた
偈頌[げじゅ]とのこと。
まぁ、そんなカンジで、解説を読むのがちょっと面倒だなぁって
見て行ったんですが、
明国の永楽帝から足利義満に宛てた勅書には、さすがに驚きました。
《永楽帝勅書》中国・明時代 永楽5年(1407) 重要文化財
丁寧な楷書で書かれていて、わかる字も多い。
もちろん意味まではわからないけど。
義満が倭寇の禁圧に尽力したことへの感謝が示されているそう。
展示室の中央に置かれたガラスケースにあった鳳凰、
創建当時から金閣の頂上にあったものなんですって!
金色ではなないんですね。(銅製)
明治37年から39年にかけての解体修理の際に下ろされて保管
されていたため、昭和25年の金閣炎上事件の災を免れたそう。
そしてチラシにも使われていてすごく素敵な絵だなって
文正《鳴鶴図》 元~明時代 14〜15世紀 重要文化財
鶴の羽の透けるような白さが素晴らしい!
相国寺六世の絶海中津[ぜっかいちゅうしん](1336-1405)が
洪武9年(1376)に中国から帰国する際に請来した作と伝えられると。
この右幅の鶴を模写した狩野探幽の絵が第三章にあって、
狩野探幽《飛鶴図》江戸時代 承応3年(1654) 京都国立博物館蔵
相国寺の中国の絵が日本の美術に大きな影響を与えたんだろうなって。
他にも中国の絵が多く展示されていました。
こんなにたくさんの中国の古い絵を見るのは初めて!
中国の絵が日本に渡って来るだけでも、すごい苦労があったんだろうなと。
第二章 中世相国寺文化圏―雪舟がみた風景
15世紀の相国寺には、相国寺文化圏と名づけられるべき美の営みがありました。室町幕府の御用絵師であったとされる相国寺の画僧・如拙と周文は室町水墨画の様式を確立し、また、彼らを師と仰いだと語る雪舟(1420~1506?)は、若き日を相国寺にて過ごしたとされます。のちに室町水墨画の巨匠と称される雪舟がみた中世相国寺文化圏の風景を展開します。
(相国寺展 展覧会特設サイト:https://shokokuji.exhn.jp 「みどころ」より)
墨で描かれた梅や、禅の修行の過程を牛と人間との関係にたとえて描かれた
伝 周文《十牛図巻》などが並んでいて、すごいんだろうなーとは思いつつ、
私のレベルでは古い絵‥‥くらいの感想だったんですけど、
これいいなって見たのが、
釈迦の衣がシンプルな墨の線で描かれた《出山釈迦図》岡山県立美術館蔵
解説見たら、雪舟と名乗る前の絵だと。十代で相国寺に入った雪舟は、
師の春林周藤[しゅんりんしゅうとう]から
「等楊[とうよう]」の法諱[ほうい]を与えられ、禅と画を学んだと。
そして、中国・明に渡った雪舟は多くの中国絵画を見たであろうと、
明時代の花鳥図が並んでいました。
大画面に極彩色で花や鳥が精緻に描かれていて豪華!
第三章 『隔蓂記』の時代 ―復興の世の文化
戦国の世の荒廃した相国寺を復興したのは92世住持・西笑承兌[せいしょうじょうたい](1548~1607)。相国寺の復興に尽力し、天下人秀吉、家康のブレーンとなり外交僧としても活躍。相国寺中興の祖となりました。これに続く1600年代。復興の相国寺に登場するのが鳳林承章[ほうりんじょうしょう](1593~1668)でした。西笑承兌の法嗣[ほっす]で鹿苑寺の住持を務め、75 歳で亡くなる34 年間の日記『隔蓂記[かくめいき]』は鳳林承章をめぐる風雅の時と場を伝える貴重な史料となっています。
(相国寺展 展覧会特設サイト:https://shokokuji.exhn.jp 「みどころ」より)
ってことで、国宝の《無学祖元墨蹟 与長楽寺一翁偈語》や、
文正の《鳴鶴図》を模写した狩野探幽《飛鶴図》などが展示されていました。
観音の絵を中幅に、左右の幅に猿を描いた《観音猿猴図》正保2年(1645) は、
中幅を狩野探幽が、左幅(向かって右)を狩野尚信、右幅(向かって左)を狩野安信が
描いていて、この作品を含む法具を後水尾天皇が相国寺に収めた際の寄進状も
展示されていました。
第四章 新奇歓迎!古画礼讃!―若冲が生きた時代
この展覧会、解説を読むのにちょっと疲れたなーって感じてたんですが、
若冲の鹿苑寺大書院の障壁画の展示は良かった!!
江戸時代 宝暦9年(1759) 重要文化財
これらの襖絵がどのように配置されていたのか、
CGで紹介されていた映像がわかりやすい。
鶴と松、鶏と菊など、水墨なのがかえって上品。
入口の《竹図》の奇抜な描き方が面白い!
のびのびと描かれた芭蕉もいいし、
《葡萄小禽図》はさすがだなって。
はー、若冲の障壁画すごかった。
いつも企画展の出口になっているところに来たので、
これで終わりかって思ったら、まだ続いておりまして
第5章 未来へと育む相国寺の文化 ―“永存せよ”
そういやチラシに使われている応挙の孔雀の絵を見てないなって、
出品リスト見たら、それは後期展示とのこと。
結構、前期10月11日~11月4日 後期11月6日~11月27日で展示替えがあって、
文正の《鳴鶴図》は前期展示とのことで、見られて良かったなーと。
友の会で鑑賞できるので後期展示も来たいな。
円山応挙《七難七福図巻》江戸時代 明和5年(1768) 重要文化財
すごかった! 火事で逃げ惑う人々、盗賊にみぐるみはがれる女性とか
見入ってしまいました。
応挙の孔雀の絵《牡丹孔雀図》も《七難七福図巻》も、
2004年に閉館した大阪の萬野美術館から寄贈された作品とのこと。
そしてこちらも旧萬野美術館コレクション
伝俵屋宗達《葛の細道図屏風》江戸時代 17世紀 重要文化財
金地に緑青の山と書がグラフィカルで素敵!
これ前期展示だったんだ、見られて良かったな!!
私の知識では、ちょっとレベル高すぎって展覧会だったけど、
どれも大切に守られてきた貴重なものだなって。
この展覧会、「相国寺承天閣美術館開館40周年記念」って
あるように、相国寺派の寺院が所蔵する寺宝を保存管理するために
建設された「承天閣美術館」が昭和59年(1984)に開館して
40年になるのを記念して開催されたとのこと。
「承天閣美術館」名前は聞いたことがあるくらいだったんですが、
相国寺や美術館にも行ってみたくなりました。
こういう難しい(?)展覧会はやっぱり図録が欲しい 2,900円
それぞれの作品の解説が詳しくてすごい!
読めない―って見てた賛も活字で書かれてます!
(それでも私には読めないし、意味はわからないけど(^^;
この情報量で2,900円はお値打ち!!
表紙は若冲の障壁画の《葡萄小禽図》の部分ですね。
金の箔押しのタイトル文字も素敵!
裏表紙はチラシにも使われている 文正《鳴鶴図》
----
ここまでブログ記事書いたところで、
11月10日(日)、「相国寺展」後期展示に行ってきました。
見てきてからだいぶ経ち、図録見ながら書いてたんですが、
応挙の孔雀も見たいし、やっぱりもう一度行ってこようと。
今回は音声ガイドを借りてみました。650円
ナビゲーターは向井理さん。ナレーターの恒松あゆみさんとで、
前回、解説を読むだけではわからなかったり、気づかなかったことも
わかりやすく解説してもらえました。
前回来た時、相国寺の僧の肖像画や墨跡が並んで、私にはちょっと退屈‥‥
なんて思ってたんですが、禅宗では高僧の肖像画を
「頂相[ちんそう]」と呼び、その教えを受け継ぐ縁として大切にしたそう。
これが国宝? って見た《無学祖元墨蹟 与長楽寺一翁偈語》
音声ガイドで内容についてわかりやすく説明してもらえました。
無学と一翁は中国で同じ師に学んでいた。
建長寺の住持を務めていた54歳の無学のもとを70歳の一翁が訪ね、
自分が正しく師匠の教えを受け継いでいるか判断してほしいと請う。
無学が唐の禅僧・香厳智閑にまつわる「香厳撃竹偈」について尋ねたところ、
一切無駄なく的確に答えた一翁に与えた印可の証だと。
この墨跡が相国寺に入ったのは、明暦4年(1658)
無学祖元の筆跡に間違いないと鑑定されて購入したと、
『隔蓂記』に記されているそう。
その『隔蓂記』前回見た時は、まーなんて細かな字!ってくらいだったんですが、
相国寺95世・鳳林承章[ほうりんじょうしょう](1593~1668)が
75歳で亡くなるまでの34年間の日記で、
当時の相国寺の文化活動の詳細が細かく記されているとのこと。
相国寺復興に尽力した西笑承兌[せいしょうじょうたい](1548~1607)
私、名前も知らなかったけど、秀吉に重用され、外交政策に深く関っていたと。
西笑承兌が綴った秀吉の遺言の文案や、
西笑承兌が書いた徳川幕府が海外渡航の商船に給付した通船朱印状、
前回はほとんどスルーだったんですけど(^^;
あらためて行先など興味深く見ました。(重要文化財)
若冲の障壁画、今回もやっぱすごいなーって見たけど、
あれ? 《葡萄小禽図》がない? 出品リスト見たら入ってないので、
前回見たと思ってたのは、映像でだった??
前回は全くスルーしてしまった
《同仁斎書画展観目次》江戸時代 明和3年(1766)4月5日、寛政元年(1789)4月25・26日
慈照寺(銀閣寺)にある国宝東求堂の一間・同仁斎で開催された書画展観会の目録
江戸時代の展覧会の出品リストなんですね!
相国寺の書画だけでなく他から借用して展示したものもあったと。
若冲が生きた時代、こういった書画展を見て絵を学んだり、
影響を受けてたんでしょうね。
若冲の障壁画の展示の前に、若冲のちょっとユーモラスな水墨の虎の絵
《竹虎図》が、着色画の 伝 李公麟筆《猛虎図》と並んでいて、
若冲がこの《猛虎図》を元に描いたのがわかります。
《猛虎図》は 李公麟筆ではなく、朝鮮の画家の作品だろうとのこと。
旧萬野美術館から入った作品など、近年相国寺に加わった作品が展示されていた
第5章ですが、前回は全くスルーしてしまった
《維摩居士像》明治10年(1877)
相国寺126世(特住一世)の荻野独園[おぎのどくおん](1819-95)が着賛した絵。
荻野独園は明治の廃仏毀釈で苦しい寺の維持のため、
若冲の《動植綵絵》30幅を宮内省へ献上する決断をします。
そして見たかった応挙の《牡丹孔雀図》江戸時代 明和8年(1771)
素晴らしかった!! 淡い色で描かれた牡丹の精緻で上品な描写、
孔雀の羽の群青色の発色がとても美しい!!
前回も見入ってしまった応挙の《七難七福図巻》
前期と場面替で、合掌する幼い弟?を泣く泣く切ろうとする兄?
そして傍で泣き崩れている母親? の場面が衝撃で、
いろいろ想像しつつ見入ってしまいました。
「相国寺展」愛知県美術館で11月27日(水)まで開催された後、
東京藝術大学大学美術館に2025年3月29日(土)~5月25日(日)と
巡回します。
「相国寺展」特設サイト: https://shokokuji.exhn.jp/
愛知県美術館: https://www-art.aac.pref.aichi.jp/
「相国寺承天閣美術館開館40周年記念
相国寺展
金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史」
しばらく猫の介護で展覧会に行けてなかったんですが、
この日、骨折した顎の骨を固定していた針金等を取る手術をするために
動物病院へ連れて行き、迎えは翌朝になるので、
久しぶりに美術館へ行けると。
愛知県美術館は友の会に入っているので、
年間10回まで企画展に入れるんです。
チラシの鶴―中国・明時代初期の花鳥画家・文正の《鳴鶴図》―や
応挙の孔雀の絵を見て、すごく格調高い絵だなー
若冲の障壁画も見られるの!? って
まぁ、私、金閣や銀閣は知ってたけど、相国寺?
ってくらいの知識しかなかったんですよ。
相国寺[しょうこくじ]は、室町幕府三代将軍・足利義満(1358~1408)が永徳2年(1382)に発願し、
京五山禅林の最大門派であった夢窓派の祖・夢窓疎石[むそうそせき](1275~1351)を勧請開山に迎え、
高弟の春屋妙葩[しゅんおくみょうは](1311~1388)を実質開山とし創建された禅宗の古刹です。
今も京都の地、御所の北側にその大寺の姿を誇り、
金閣寺、銀閣寺の通称で名高い鹿苑寺、慈照寺を擁する臨済宗相国寺派の大本山です。
(チラシ中面の文)ってことで、
第一章 創建相国寺―将軍義満の祈願
夢窓疎石、春屋妙葩の肖像画や墨跡が並んでいます。
足利義満の肖像画もあります。
それぞれの肖像画に本人の賛が書かれていたりして、
すごいものなんだろうなーとは感じるんですが‥‥
キャプションに「重要文化財」って書かれているのも多いし。
でも私には読めないし、書ってどう鑑賞していいのかもわからない。
後の第三章では、国宝の
《無学祖元墨蹟 与長楽寺一翁偈語》鎌倉時代 弘安2年(1279)
って書が展示されていたんですが(二幅ずつ前後期入替)
私には、これが国宝? ってカンジで(^^;;
無学祖元[むがくそげん](1226-86)は北条時宗(1251-84)の招聘によって来日し、
建長寺に住したのちに円覚寺の開山となった高僧で、
その無学祖元が上野国世良田長楽寺の住持である一翁院豪(1210-81)に与えた
偈頌[げじゅ]とのこと。
まぁ、そんなカンジで、解説を読むのがちょっと面倒だなぁって
見て行ったんですが、
明国の永楽帝から足利義満に宛てた勅書には、さすがに驚きました。
《永楽帝勅書》中国・明時代 永楽5年(1407) 重要文化財
丁寧な楷書で書かれていて、わかる字も多い。
もちろん意味まではわからないけど。
義満が倭寇の禁圧に尽力したことへの感謝が示されているそう。
展示室の中央に置かれたガラスケースにあった鳳凰、
創建当時から金閣の頂上にあったものなんですって!
金色ではなないんですね。(銅製)
明治37年から39年にかけての解体修理の際に下ろされて保管
されていたため、昭和25年の金閣炎上事件の災を免れたそう。
そしてチラシにも使われていてすごく素敵な絵だなって
文正《鳴鶴図》 元~明時代 14〜15世紀 重要文化財
鶴の羽の透けるような白さが素晴らしい!
相国寺六世の絶海中津[ぜっかいちゅうしん](1336-1405)が
洪武9年(1376)に中国から帰国する際に請来した作と伝えられると。
この右幅の鶴を模写した狩野探幽の絵が第三章にあって、
狩野探幽《飛鶴図》江戸時代 承応3年(1654) 京都国立博物館蔵
相国寺の中国の絵が日本の美術に大きな影響を与えたんだろうなって。
他にも中国の絵が多く展示されていました。
こんなにたくさんの中国の古い絵を見るのは初めて!
中国の絵が日本に渡って来るだけでも、すごい苦労があったんだろうなと。
第二章 中世相国寺文化圏―雪舟がみた風景
15世紀の相国寺には、相国寺文化圏と名づけられるべき美の営みがありました。室町幕府の御用絵師であったとされる相国寺の画僧・如拙と周文は室町水墨画の様式を確立し、また、彼らを師と仰いだと語る雪舟(1420~1506?)は、若き日を相国寺にて過ごしたとされます。のちに室町水墨画の巨匠と称される雪舟がみた中世相国寺文化圏の風景を展開します。
(相国寺展 展覧会特設サイト:https://shokokuji.exhn.jp 「みどころ」より)
墨で描かれた梅や、禅の修行の過程を牛と人間との関係にたとえて描かれた
伝 周文《十牛図巻》などが並んでいて、すごいんだろうなーとは思いつつ、
私のレベルでは古い絵‥‥くらいの感想だったんですけど、
これいいなって見たのが、
釈迦の衣がシンプルな墨の線で描かれた《出山釈迦図》岡山県立美術館蔵
解説見たら、雪舟と名乗る前の絵だと。十代で相国寺に入った雪舟は、
師の春林周藤[しゅんりんしゅうとう]から
「等楊[とうよう]」の法諱[ほうい]を与えられ、禅と画を学んだと。
そして、中国・明に渡った雪舟は多くの中国絵画を見たであろうと、
明時代の花鳥図が並んでいました。
大画面に極彩色で花や鳥が精緻に描かれていて豪華!
第三章 『隔蓂記』の時代 ―復興の世の文化
戦国の世の荒廃した相国寺を復興したのは92世住持・西笑承兌[せいしょうじょうたい](1548~1607)。相国寺の復興に尽力し、天下人秀吉、家康のブレーンとなり外交僧としても活躍。相国寺中興の祖となりました。これに続く1600年代。復興の相国寺に登場するのが鳳林承章[ほうりんじょうしょう](1593~1668)でした。西笑承兌の法嗣[ほっす]で鹿苑寺の住持を務め、75 歳で亡くなる34 年間の日記『隔蓂記[かくめいき]』は鳳林承章をめぐる風雅の時と場を伝える貴重な史料となっています。
(相国寺展 展覧会特設サイト:https://shokokuji.exhn.jp 「みどころ」より)
ってことで、国宝の《無学祖元墨蹟 与長楽寺一翁偈語》や、
文正の《鳴鶴図》を模写した狩野探幽《飛鶴図》などが展示されていました。
観音の絵を中幅に、左右の幅に猿を描いた《観音猿猴図》正保2年(1645) は、
中幅を狩野探幽が、左幅(向かって右)を狩野尚信、右幅(向かって左)を狩野安信が
描いていて、この作品を含む法具を後水尾天皇が相国寺に収めた際の寄進状も
展示されていました。
第四章 新奇歓迎!古画礼讃!―若冲が生きた時代
この展覧会、解説を読むのにちょっと疲れたなーって感じてたんですが、
若冲の鹿苑寺大書院の障壁画の展示は良かった!!
江戸時代 宝暦9年(1759) 重要文化財
これらの襖絵がどのように配置されていたのか、
CGで紹介されていた映像がわかりやすい。
鶴と松、鶏と菊など、水墨なのがかえって上品。
入口の《竹図》の奇抜な描き方が面白い!
のびのびと描かれた芭蕉もいいし、
《葡萄小禽図》はさすがだなって。
はー、若冲の障壁画すごかった。
いつも企画展の出口になっているところに来たので、
これで終わりかって思ったら、まだ続いておりまして
第5章 未来へと育む相国寺の文化 ―“永存せよ”
そういやチラシに使われている応挙の孔雀の絵を見てないなって、
出品リスト見たら、それは後期展示とのこと。
結構、前期10月11日~11月4日 後期11月6日~11月27日で展示替えがあって、
文正の《鳴鶴図》は前期展示とのことで、見られて良かったなーと。
友の会で鑑賞できるので後期展示も来たいな。
円山応挙《七難七福図巻》江戸時代 明和5年(1768) 重要文化財
すごかった! 火事で逃げ惑う人々、盗賊にみぐるみはがれる女性とか
見入ってしまいました。
応挙の孔雀の絵《牡丹孔雀図》も《七難七福図巻》も、
2004年に閉館した大阪の萬野美術館から寄贈された作品とのこと。
そしてこちらも旧萬野美術館コレクション
伝俵屋宗達《葛の細道図屏風》江戸時代 17世紀 重要文化財
金地に緑青の山と書がグラフィカルで素敵!
これ前期展示だったんだ、見られて良かったな!!
私の知識では、ちょっとレベル高すぎって展覧会だったけど、
どれも大切に守られてきた貴重なものだなって。
この展覧会、「相国寺承天閣美術館開館40周年記念」って
あるように、相国寺派の寺院が所蔵する寺宝を保存管理するために
建設された「承天閣美術館」が昭和59年(1984)に開館して
40年になるのを記念して開催されたとのこと。
「承天閣美術館」名前は聞いたことがあるくらいだったんですが、
相国寺や美術館にも行ってみたくなりました。
こういう難しい(?)展覧会はやっぱり図録が欲しい 2,900円
それぞれの作品の解説が詳しくてすごい!
読めない―って見てた賛も活字で書かれてます!
(それでも私には読めないし、意味はわからないけど(^^;
この情報量で2,900円はお値打ち!!
表紙は若冲の障壁画の《葡萄小禽図》の部分ですね。
金の箔押しのタイトル文字も素敵!
裏表紙はチラシにも使われている 文正《鳴鶴図》
----
ここまでブログ記事書いたところで、
11月10日(日)、「相国寺展」後期展示に行ってきました。
見てきてからだいぶ経ち、図録見ながら書いてたんですが、
応挙の孔雀も見たいし、やっぱりもう一度行ってこようと。
今回は音声ガイドを借りてみました。650円
ナビゲーターは向井理さん。ナレーターの恒松あゆみさんとで、
前回、解説を読むだけではわからなかったり、気づかなかったことも
わかりやすく解説してもらえました。
前回来た時、相国寺の僧の肖像画や墨跡が並んで、私にはちょっと退屈‥‥
なんて思ってたんですが、禅宗では高僧の肖像画を
「頂相[ちんそう]」と呼び、その教えを受け継ぐ縁として大切にしたそう。
これが国宝? って見た《無学祖元墨蹟 与長楽寺一翁偈語》
音声ガイドで内容についてわかりやすく説明してもらえました。
無学と一翁は中国で同じ師に学んでいた。
建長寺の住持を務めていた54歳の無学のもとを70歳の一翁が訪ね、
自分が正しく師匠の教えを受け継いでいるか判断してほしいと請う。
無学が唐の禅僧・香厳智閑にまつわる「香厳撃竹偈」について尋ねたところ、
一切無駄なく的確に答えた一翁に与えた印可の証だと。
この墨跡が相国寺に入ったのは、明暦4年(1658)
無学祖元の筆跡に間違いないと鑑定されて購入したと、
『隔蓂記』に記されているそう。
その『隔蓂記』前回見た時は、まーなんて細かな字!ってくらいだったんですが、
相国寺95世・鳳林承章[ほうりんじょうしょう](1593~1668)が
75歳で亡くなるまでの34年間の日記で、
当時の相国寺の文化活動の詳細が細かく記されているとのこと。
相国寺復興に尽力した西笑承兌[せいしょうじょうたい](1548~1607)
私、名前も知らなかったけど、秀吉に重用され、外交政策に深く関っていたと。
西笑承兌が綴った秀吉の遺言の文案や、
西笑承兌が書いた徳川幕府が海外渡航の商船に給付した通船朱印状、
前回はほとんどスルーだったんですけど(^^;
あらためて行先など興味深く見ました。(重要文化財)
若冲の障壁画、今回もやっぱすごいなーって見たけど、
あれ? 《葡萄小禽図》がない? 出品リスト見たら入ってないので、
前回見たと思ってたのは、映像でだった??
前回は全くスルーしてしまった
《同仁斎書画展観目次》江戸時代 明和3年(1766)4月5日、寛政元年(1789)4月25・26日
慈照寺(銀閣寺)にある国宝東求堂の一間・同仁斎で開催された書画展観会の目録
江戸時代の展覧会の出品リストなんですね!
相国寺の書画だけでなく他から借用して展示したものもあったと。
若冲が生きた時代、こういった書画展を見て絵を学んだり、
影響を受けてたんでしょうね。
若冲の障壁画の展示の前に、若冲のちょっとユーモラスな水墨の虎の絵
《竹虎図》が、着色画の 伝 李公麟筆《猛虎図》と並んでいて、
若冲がこの《猛虎図》を元に描いたのがわかります。
《猛虎図》は 李公麟筆ではなく、朝鮮の画家の作品だろうとのこと。
旧萬野美術館から入った作品など、近年相国寺に加わった作品が展示されていた
第5章ですが、前回は全くスルーしてしまった
《維摩居士像》明治10年(1877)
相国寺126世(特住一世)の荻野独園[おぎのどくおん](1819-95)が着賛した絵。
荻野独園は明治の廃仏毀釈で苦しい寺の維持のため、
若冲の《動植綵絵》30幅を宮内省へ献上する決断をします。
そして見たかった応挙の《牡丹孔雀図》江戸時代 明和8年(1771)
素晴らしかった!! 淡い色で描かれた牡丹の精緻で上品な描写、
孔雀の羽の群青色の発色がとても美しい!!
前回も見入ってしまった応挙の《七難七福図巻》
前期と場面替で、合掌する幼い弟?を泣く泣く切ろうとする兄?
そして傍で泣き崩れている母親? の場面が衝撃で、
いろいろ想像しつつ見入ってしまいました。
「相国寺展」愛知県美術館で11月27日(水)まで開催された後、
東京藝術大学大学美術館に2025年3月29日(土)~5月25日(日)と
巡回します。
「相国寺展」特設サイト: https://shokokuji.exhn.jp/
愛知県美術館: https://www-art.aac.pref.aichi.jp/
ミイ復活。凝りてない~ [猫]
9月28日(土)、我が家の猫・ミイが屋根から落ちて
顎の骨が折れ、入院やら手術やら、その後の介護で
大変だったことはこちらの記事に書いたんですが
ミイが屋根から落ちて
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-10-08
おかげさまで、ほぼ復活しまして‥‥
口の中血だらけのミイを動物病院まで運んだ時は、
柔らかいフードでいいから、なんとか自分の口で食べるまでに
回復してくれーって願ったんですが‥‥
今、まだカリカリを食べさせるのは次回の診察(10月23日に予約)後で
ってことなんですが、柔らかいキャットフードをもりもり食べてるし、
顎の骨が正常にくっつくまで2ヶ月くらい固定したまま
って聞いて、大変だ―って覚悟してたんですが、
2週間ほどで顎を固定していた針金なども取れた後は、
もう元気、元気! 活発すぎて、
また屋根から落ちるのではないかと心配してます。
この事故、どうやら「屋根から落ちた」のではなく、
「3階ベランダから飛び降りて着地失敗」だったみたいなので。
前の記事では、
10月6日(日)に、顎の骨を正常な位置で固定する手術をして、
10月7日(月)に迎えに行ったんですが、
10月8日(火)には、口が開かないようにくっつけていたところが
取れてしまったみたいなので、病院へ相談に連れて行ったんです。
犬だと口が開かないように嵌める口輪があるそうですが、
猫だと‥‥テープのようなものでやってみようかとするも、
嫌がってかえって口を大きく開けてしまうので、
まぁそれほど口も開かないだろうし、
このまま様子を見ましょうと。
かえってそれがミイには良かったかも。
口が開かず、舌が出ない状態では、ちゅーるを
少し開いた口に流し込むようにやっても、
うまく呑み込めないようで、よだれと一緒に出てしまってたんですが、
舌が出るようになって、皿に出したちゅーるを舐めることが
できるようになりました。
それよりも問題だったのが、食道チューブから入れる
ロイヤルカナンのリキッドが入ってこないとのことで、
代替品としてもらったのが、森乳サンワールド チューブダイエット
粉末なのでお湯に溶いて使うんですが、
湯は60℃以上だとビタミンが壊れるので、40度くらいの微温湯でないとだめ、
溶いたら2時間以内には使わないといけないので、
毎回作らないといけないなど、
まるで授乳期の赤ん坊を持ったみたいww
(私はほとんど母乳で育てられたので
面倒な粉ミルク作りはそんなにやらなくて良かったんですが)
それが毎日5~6回
そして、顎の骨をくっつけているために口が完全に閉じないので、
よだれが出てエリザベスカラーが汚れる。
ミイはトイレはキッチリ埋めるので、トイレの後に
カラーに砂がいっぱいついて、
それが部屋中にまき散らされる(ToT;;
10月12日(土)に病院へ診察に行き、経過も良さそうだったので、
10月20日(日)に、顎をくっつけている針金等を取る手術をすることに。
10月21日(月)に迎えに行き、柔らかいフードなら食べさせていいよと。
で、ちゅーるだけでなく、パウチのキャットフードも買ってきてやったんですが、
エリザベスカラーが皿につかえて食べにくそうだったので、
食事中はカラーを外してやりました。
その日はまだ食道チューブからの給餌もしたんですが、
翌22日(火)、パウチを皿に出して食べている間、カラーを外してやったんです。
食べ終わったのでカラーをつけようとすると、
素早く高い棚まで逃げてしまって捕まらないww
首から食道チューブをプラプラさせてるので、気になってたんですが、
チューブを包帯(?)に収めるまではできても、カラーをつけようとすると
素早く逃げるww
夜にまた食道チューブをプラプラさせてたので、包帯に収めようとしたら、
首から取れちゃってるではないですか!
23日(水)、病院から経過はどうですか? って電話があって、
食道チューブが取れてしまったことを言うと、
取れたところがジュクジュクしているようなら診察に来てくださいと言われたけど、
乾いているようだし、とにかく元気なのでそのままにしておきました。
24日(木)撮影 気持ちよさそうに寝てます。
顎の下に、骨をくっつけた針金を抜いた痕が見えてます。
パウチのキャットフード カルカンの「まぐろ」を気に入ったみたいで、
もりもり食べる。で、もっと買ってこなくちゃ、同じ味では飽きるだろうと、
「とりささみ まぐろ入」を買ってきたんですが、
なぜかこれは気に入らないらしい。
‥‥グルメになってしまって困ったもんだ(-_-)
でも私は食べ物を捨てるなんてしませんっ。
時間かかっても食べさせてます<(`^´)>
こんなこともするようになって(@o@;;;
我が家の3階のベランダからは、屋根伝いに行けるようなところはなく、
一番近いところが、ミイが落ちた場所の横のお隣の屋根なんですよね。
懲りるどころか、リベンジしようとしている??
実際、25日(金)の朝、ミイがいなくて、3階ベランダの戸が開いていたので、
心配したんですよ。探してたら、1階の外で鳴いてるではないですか!
‥‥3階ベランダから飛び降りたとしか思えない!
それからは3階ベランダの戸締りをしっかりするようにしました。
ガラス戸と障子戸で、鍵をかう(閉める「鍵をかう」って方言なんですってね。
ずっと標準語だと思ってた)のが面倒だったんですが、
鍵閉め用に障子破りました(^^;)
夏の間は1階や2階の網戸を破って、
(ミイはサッシ戸なら開ける。網戸は開けるか破る;;)
そこから出入りしてたのに、
(2階のベランダからは隣の屋根伝いに行ける)
そこが閉まって出られなくなったから
3階ベランダから飛び降りてみたのかな?
10月29日(火)に動物病院に診察に。先生はこの日に食道チューブを抜こうと
計画していたみたいなんですが、自分で抜いてしまって(^^;;
でもパウチのキャットフードを食べるようになって
この8日間で、ミイの体重が4.1kgから4.4kgに増えました。
まぁとにかく、ミイ復活で良かったです。
お気に入りのオモチャで遊ぶ遊ぶ。
隣の屋根にとまったカラスを見て尻尾フリフリするミイ。
もう落ちるんじゃないよ!!
顎の骨が折れ、入院やら手術やら、その後の介護で
大変だったことはこちらの記事に書いたんですが
ミイが屋根から落ちて
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-10-08
おかげさまで、ほぼ復活しまして‥‥
口の中血だらけのミイを動物病院まで運んだ時は、
柔らかいフードでいいから、なんとか自分の口で食べるまでに
回復してくれーって願ったんですが‥‥
今、まだカリカリを食べさせるのは次回の診察(10月23日に予約)後で
ってことなんですが、柔らかいキャットフードをもりもり食べてるし、
顎の骨が正常にくっつくまで2ヶ月くらい固定したまま
って聞いて、大変だ―って覚悟してたんですが、
2週間ほどで顎を固定していた針金なども取れた後は、
もう元気、元気! 活発すぎて、
また屋根から落ちるのではないかと心配してます。
この事故、どうやら「屋根から落ちた」のではなく、
「3階ベランダから飛び降りて着地失敗」だったみたいなので。
前の記事では、
10月6日(日)に、顎の骨を正常な位置で固定する手術をして、
10月7日(月)に迎えに行ったんですが、
10月8日(火)には、口が開かないようにくっつけていたところが
取れてしまったみたいなので、病院へ相談に連れて行ったんです。
犬だと口が開かないように嵌める口輪があるそうですが、
猫だと‥‥テープのようなものでやってみようかとするも、
嫌がってかえって口を大きく開けてしまうので、
まぁそれほど口も開かないだろうし、
このまま様子を見ましょうと。
かえってそれがミイには良かったかも。
口が開かず、舌が出ない状態では、ちゅーるを
少し開いた口に流し込むようにやっても、
うまく呑み込めないようで、よだれと一緒に出てしまってたんですが、
舌が出るようになって、皿に出したちゅーるを舐めることが
できるようになりました。
それよりも問題だったのが、食道チューブから入れる
ロイヤルカナンのリキッドが入ってこないとのことで、
代替品としてもらったのが、森乳サンワールド チューブダイエット
粉末なのでお湯に溶いて使うんですが、
湯は60℃以上だとビタミンが壊れるので、40度くらいの微温湯でないとだめ、
溶いたら2時間以内には使わないといけないので、
毎回作らないといけないなど、
まるで授乳期の赤ん坊を持ったみたいww
(私はほとんど母乳で育てられたので
面倒な粉ミルク作りはそんなにやらなくて良かったんですが)
それが毎日5~6回
そして、顎の骨をくっつけているために口が完全に閉じないので、
よだれが出てエリザベスカラーが汚れる。
ミイはトイレはキッチリ埋めるので、トイレの後に
カラーに砂がいっぱいついて、
それが部屋中にまき散らされる(ToT;;
10月12日(土)に病院へ診察に行き、経過も良さそうだったので、
10月20日(日)に、顎をくっつけている針金等を取る手術をすることに。
10月21日(月)に迎えに行き、柔らかいフードなら食べさせていいよと。
で、ちゅーるだけでなく、パウチのキャットフードも買ってきてやったんですが、
エリザベスカラーが皿につかえて食べにくそうだったので、
食事中はカラーを外してやりました。
その日はまだ食道チューブからの給餌もしたんですが、
翌22日(火)、パウチを皿に出して食べている間、カラーを外してやったんです。
食べ終わったのでカラーをつけようとすると、
素早く高い棚まで逃げてしまって捕まらないww
首から食道チューブをプラプラさせてるので、気になってたんですが、
チューブを包帯(?)に収めるまではできても、カラーをつけようとすると
素早く逃げるww
夜にまた食道チューブをプラプラさせてたので、包帯に収めようとしたら、
首から取れちゃってるではないですか!
23日(水)、病院から経過はどうですか? って電話があって、
食道チューブが取れてしまったことを言うと、
取れたところがジュクジュクしているようなら診察に来てくださいと言われたけど、
乾いているようだし、とにかく元気なのでそのままにしておきました。
24日(木)撮影 気持ちよさそうに寝てます。
顎の下に、骨をくっつけた針金を抜いた痕が見えてます。
パウチのキャットフード カルカンの「まぐろ」を気に入ったみたいで、
もりもり食べる。で、もっと買ってこなくちゃ、同じ味では飽きるだろうと、
「とりささみ まぐろ入」を買ってきたんですが、
なぜかこれは気に入らないらしい。
‥‥グルメになってしまって困ったもんだ(-_-)
でも私は食べ物を捨てるなんてしませんっ。
時間かかっても食べさせてます<(`^´)>
こんなこともするようになって(@o@;;;
我が家の3階のベランダからは、屋根伝いに行けるようなところはなく、
一番近いところが、ミイが落ちた場所の横のお隣の屋根なんですよね。
懲りるどころか、リベンジしようとしている??
実際、25日(金)の朝、ミイがいなくて、3階ベランダの戸が開いていたので、
心配したんですよ。探してたら、1階の外で鳴いてるではないですか!
‥‥3階ベランダから飛び降りたとしか思えない!
それからは3階ベランダの戸締りをしっかりするようにしました。
ガラス戸と障子戸で、鍵をかう(閉める「鍵をかう」って方言なんですってね。
ずっと標準語だと思ってた)のが面倒だったんですが、
鍵閉め用に障子破りました(^^;)
夏の間は1階や2階の網戸を破って、
(ミイはサッシ戸なら開ける。網戸は開けるか破る;;)
そこから出入りしてたのに、
(2階のベランダからは隣の屋根伝いに行ける)
そこが閉まって出られなくなったから
3階ベランダから飛び降りてみたのかな?
10月29日(火)に動物病院に診察に。先生はこの日に食道チューブを抜こうと
計画していたみたいなんですが、自分で抜いてしまって(^^;;
でもパウチのキャットフードを食べるようになって
この8日間で、ミイの体重が4.1kgから4.4kgに増えました。
まぁとにかく、ミイ復活で良かったです。
お気に入りのオモチャで遊ぶ遊ぶ。
隣の屋根にとまったカラスを見て尻尾フリフリするミイ。
もう落ちるんじゃないよ!!
京都文化博物館の総合展示「陽明文庫の名宝」他 [美術]
10月1日(火)京都文化博物館へ「石崎光瑤」展を見に行ったことは前記事に。
4階、3階が「石崎光瑤」展になっていました。
3階に「やすらぎコーナー」というのがあったので、
入ってみると、いい感じの休憩室。
小さな庭に石仏が置かれています。
説明板がありました。
ここに展示した石仏は、永禄12年(1569)に織田信長が将軍足利義昭の居館として築いた「旧二条城(二條新第)」の北西の部分と推定される場所(京都市上京区新町通下立売上ル両御霊町ほか)から出土したものです。信長は工事を短期間に終わらせるために、配下の武将に命じて付近の寺院から石仏などを徴発し、石垣や石段を築造するのに利用させたようです。(以下略)
そ、そんな扱いをうけた石仏たちなんだ‥‥
頭部がなかったり、破損している石仏も多い。
エスカレーターで2階へ降りると、
京都文化博物館の総合展示があって、「石崎光瑤」展のチケットで
見られるようなので、まぁせっかくだし‥‥と入りました。
まずは、京都の地図や歴史の紹介。
平安貴族を描いた絵など、まぁ京都という地域の博物館の
よくある展示だと、かなりすっ飛ばして奥へ進みました。
奥のコーナーに、雅で優美な着物が展示されていました。
「京都府コレクションにみる
刺繍の世界」
写真入りの豪華な出品リストが置かれていました。
会期: 2024年8月10日(土)~10月6日(日)
京都文化博物館HPのこの総合展示のページ:
https://www.bunpaku.or.jp/exhi_sogo_post/20240810-1006/
順路に従い次のコーナーへ行くと、
「池大雅
山水颯爽」
会期: 2024年9月28日(土)~11月24日(日)
https://www.bunpaku.or.jp/exhi_sogo_post/20240928-1124-2/
池大雅(1723~1776)は、近世日本の文人画家を代表する存在です。少年時代から書画に才能を発揮した大雅は、中国の文人文化に大きな興味と憧れを抱き、書画家としての人生を歩みはじめます。(出品リストより)
紀州の野呂介石が池大雅の住まいの様子を描いた《池大雅居室之図》1792
住まいの周囲に菜畑があり、屋根から葛や蔦が垂れ下がって扉も閉じられなかったこと、食事の際には雀が集まってきたこと、妻の玉瀾も和歌や書画をよくしたことなどが記されており、生前の大雅像をありありと伝える貴重な資料である。(出品リストより)
素朴な家ですね!
文人のあこがれライフ、些事から離れ隠遁生活を送ること
そんな自然の中での暮らしを描いた《高士訪隠図屏風》1750
右手から友人がやってきています。
八曲一隻の《柳下童子図屏風》重要文化財 は、
橋(というより板ですね)の上で、メダカを捕まえようとしている
2人の子どもが可愛い。
ここに展示された作品は、平成25年に閉館した
池大雅美術館から京都府に寄贈されたものなんだそう。
文人画ってよくわからないけど、
雅でいいななぁ(大雅だけに?)ーって、次のコーナーへ進むと、
「近衛家 王朝のみやび
陽明文庫の名宝14
御堂関白記と源氏物語」
会期: 2024年9月28日(土)~11月24日(日)
https://www.bunpaku.or.jp/exhi_sogo_post/20240928-1124/
陽明文庫とは
京都市右京区の所在する陽明文庫は、朝廷の最高官職である摂政・関白を務めた藤原氏五摂家の一つ、近衛家の御蔵を継承した機関で、平安時代以来の歴史資料の一大宝庫です。(出品リストより)
ってことで展示されていたのが
藤原道長の日記『御堂関白記』
え?! あの藤原道長が書いた日記? 約1000年前だよね?!!
そんなのが残ってるの? すごいんじゃない??
はい、何気なく(?)展示されてるけど、国宝です。
びっくり!!!
他にも『源氏物語』の写本が!
鎌倉時代に写された写本を含む一群は、『源氏物語』[別本]系統の代表的な写本とされ、重要文化財に指定されていると。(通称、陽明文庫本)(出品リスト表紙の写真)
さらに、室町後期に後柏原院や三条西実隆らによる寄合書
近衛基熈(もとひろ)による写本(江戸時代、1700-1704)一式が展示されていました。
どの写本も正方形ですね。
ちょっと前、NHKの「歴史探偵」で、
源氏物語の写本は正方形の紙に書かれていることが多い
これは、長方形の紙の方が正方形より格が高いとされていて、
物語は嘘なので、長方形より格の低い正方形の紙に書かれていた
ってやってたなーって。
わー、ついでに見て行くか、くらいで入った展示で、
なんかすごいもの見ちゃった! さすが京都だなぁ‥‥と。
紫式部の像もありました。
特別展「石崎光瑤」展を含め、外国人も多く鑑賞してました。
京都文化博物館の周囲にも外国人観光客がいっぱい!
1階には、江戸時代末期の京の町家の表構えを復元した
「ろうじ店舗」があって、心ひかれたけど、帰らなくちゃと。
あ、これは清水九兵衛さんの作品ですね!
京都らしい街並み
PAUL 京都三条店
この猫は?
地下鉄で京都駅へ。帰りは新幹線も考えたけど、在来線で西岐阜まで。
家に帰って、ごはん食べながらテレビ見てたら、
Eテレ「知恵泉」で、藤原実資(957-1046)についてやってた。
大河ドラマ「光る君へ」で、存在感ある役を秋山竜次が演じていますね。
彼が書いた日記「小右記」は、藤原道長(966-1028)が権勢をふるった
時代の詳細な記録として貴重とのこと。
90歳まで生きたのは当時としては驚くほどの長寿ですよね。
----
京都文化博物館「石崎光瑤」展のショップで買ったもの。
(図録は南砺市立福光美術館で購入してます)
石崎光瑤《燦雨》の部分を使ったグリッターコースター 1,650円(税込)
机に飲み物を置く時にコースターがあると濡れなくていいなって。
スノードームのように、金色の砂(?)がキラキラと動いて素敵。
あとは、石崎光瑤とはちょっと違うけど(^^;
うつし絵蒔絵『シマエナガ』660円(税込)
カワイイ! 貼ってこすると、蒔絵飾りができるんだそう。
‥‥まだどこに貼ろうか考えてて貼ってないんだけどー
伊藤若冲「玄圃瑤華」シール 330円(税込)
単色拓版摺「玄圃瑤華」の図を使ったシール
なんてシャープでモダン! 若冲のデザインセンス、すごいです
京都文化博物館: https://www.bunpaku.or.jp/
4階、3階が「石崎光瑤」展になっていました。
3階に「やすらぎコーナー」というのがあったので、
入ってみると、いい感じの休憩室。
小さな庭に石仏が置かれています。
説明板がありました。
ここに展示した石仏は、永禄12年(1569)に織田信長が将軍足利義昭の居館として築いた「旧二条城(二條新第)」の北西の部分と推定される場所(京都市上京区新町通下立売上ル両御霊町ほか)から出土したものです。信長は工事を短期間に終わらせるために、配下の武将に命じて付近の寺院から石仏などを徴発し、石垣や石段を築造するのに利用させたようです。(以下略)
そ、そんな扱いをうけた石仏たちなんだ‥‥
頭部がなかったり、破損している石仏も多い。
エスカレーターで2階へ降りると、
京都文化博物館の総合展示があって、「石崎光瑤」展のチケットで
見られるようなので、まぁせっかくだし‥‥と入りました。
まずは、京都の地図や歴史の紹介。
平安貴族を描いた絵など、まぁ京都という地域の博物館の
よくある展示だと、かなりすっ飛ばして奥へ進みました。
奥のコーナーに、雅で優美な着物が展示されていました。
「京都府コレクションにみる
刺繍の世界」
写真入りの豪華な出品リストが置かれていました。
会期: 2024年8月10日(土)~10月6日(日)
京都文化博物館HPのこの総合展示のページ:
https://www.bunpaku.or.jp/exhi_sogo_post/20240810-1006/
順路に従い次のコーナーへ行くと、
「池大雅
山水颯爽」
会期: 2024年9月28日(土)~11月24日(日)
https://www.bunpaku.or.jp/exhi_sogo_post/20240928-1124-2/
池大雅(1723~1776)は、近世日本の文人画家を代表する存在です。少年時代から書画に才能を発揮した大雅は、中国の文人文化に大きな興味と憧れを抱き、書画家としての人生を歩みはじめます。(出品リストより)
紀州の野呂介石が池大雅の住まいの様子を描いた《池大雅居室之図》1792
住まいの周囲に菜畑があり、屋根から葛や蔦が垂れ下がって扉も閉じられなかったこと、食事の際には雀が集まってきたこと、妻の玉瀾も和歌や書画をよくしたことなどが記されており、生前の大雅像をありありと伝える貴重な資料である。(出品リストより)
素朴な家ですね!
文人のあこがれライフ、些事から離れ隠遁生活を送ること
そんな自然の中での暮らしを描いた《高士訪隠図屏風》1750
右手から友人がやってきています。
八曲一隻の《柳下童子図屏風》重要文化財 は、
橋(というより板ですね)の上で、メダカを捕まえようとしている
2人の子どもが可愛い。
ここに展示された作品は、平成25年に閉館した
池大雅美術館から京都府に寄贈されたものなんだそう。
文人画ってよくわからないけど、
雅でいいななぁ(大雅だけに?)ーって、次のコーナーへ進むと、
「近衛家 王朝のみやび
陽明文庫の名宝14
御堂関白記と源氏物語」
会期: 2024年9月28日(土)~11月24日(日)
https://www.bunpaku.or.jp/exhi_sogo_post/20240928-1124/
陽明文庫とは
京都市右京区の所在する陽明文庫は、朝廷の最高官職である摂政・関白を務めた藤原氏五摂家の一つ、近衛家の御蔵を継承した機関で、平安時代以来の歴史資料の一大宝庫です。(出品リストより)
ってことで展示されていたのが
藤原道長の日記『御堂関白記』
え?! あの藤原道長が書いた日記? 約1000年前だよね?!!
そんなのが残ってるの? すごいんじゃない??
はい、何気なく(?)展示されてるけど、国宝です。
びっくり!!!
他にも『源氏物語』の写本が!
鎌倉時代に写された写本を含む一群は、『源氏物語』[別本]系統の代表的な写本とされ、重要文化財に指定されていると。(通称、陽明文庫本)(出品リスト表紙の写真)
さらに、室町後期に後柏原院や三条西実隆らによる寄合書
近衛基熈(もとひろ)による写本(江戸時代、1700-1704)一式が展示されていました。
どの写本も正方形ですね。
ちょっと前、NHKの「歴史探偵」で、
源氏物語の写本は正方形の紙に書かれていることが多い
これは、長方形の紙の方が正方形より格が高いとされていて、
物語は嘘なので、長方形より格の低い正方形の紙に書かれていた
ってやってたなーって。
わー、ついでに見て行くか、くらいで入った展示で、
なんかすごいもの見ちゃった! さすが京都だなぁ‥‥と。
紫式部の像もありました。
特別展「石崎光瑤」展を含め、外国人も多く鑑賞してました。
京都文化博物館の周囲にも外国人観光客がいっぱい!
1階には、江戸時代末期の京の町家の表構えを復元した
「ろうじ店舗」があって、心ひかれたけど、帰らなくちゃと。
あ、これは清水九兵衛さんの作品ですね!
京都らしい街並み
PAUL 京都三条店
この猫は?
地下鉄で京都駅へ。帰りは新幹線も考えたけど、在来線で西岐阜まで。
家に帰って、ごはん食べながらテレビ見てたら、
Eテレ「知恵泉」で、藤原実資(957-1046)についてやってた。
大河ドラマ「光る君へ」で、存在感ある役を秋山竜次が演じていますね。
彼が書いた日記「小右記」は、藤原道長(966-1028)が権勢をふるった
時代の詳細な記録として貴重とのこと。
90歳まで生きたのは当時としては驚くほどの長寿ですよね。
----
京都文化博物館「石崎光瑤」展のショップで買ったもの。
(図録は南砺市立福光美術館で購入してます)
石崎光瑤《燦雨》の部分を使ったグリッターコースター 1,650円(税込)
机に飲み物を置く時にコースターがあると濡れなくていいなって。
スノードームのように、金色の砂(?)がキラキラと動いて素敵。
あとは、石崎光瑤とはちょっと違うけど(^^;
うつし絵蒔絵『シマエナガ』660円(税込)
カワイイ! 貼ってこすると、蒔絵飾りができるんだそう。
‥‥まだどこに貼ろうか考えてて貼ってないんだけどー
伊藤若冲「玄圃瑤華」シール 330円(税込)
単色拓版摺「玄圃瑤華」の図を使ったシール
なんてシャープでモダン! 若冲のデザインセンス、すごいです
京都文化博物館: https://www.bunpaku.or.jp/
京都文化博物館「「石崎光瑤」展 [美術]
10月1日(火)、京都文化博物館へ行ってきました。
「若沖を超えろ!絢爛の花鳥画
生誕140年記念 石崎光瑤」展
え? 猫が屋根から落ちて大変だったんじゃない?
はい、自分でもよく行った、行けたなって思うんですけど‥‥
南砺市立福光美術館まで「石崎光瑤」展を見に行ったのは、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-08-26
8月18日(日)のことでした。私好みの華麗な絵で良かったけど、
展示替えで、代表作の一つとされ、チラシにも使われている
《熱国姸春》が見られなかったんですよね。
加えて、南砺市立福光美術館では展示されなかった
大阪中之島美術館蔵の《白孔雀》も見ようとすると、
10月1日(火)~10月14日(月・祝)の間ってことを知りました。
10月1日(火)が、パートのシフトで休みになってたので、
この日に京都まで行こうって、計画していたんですが――
ミイの顎の骨折で、犬山動物医療センターでCTを撮ってきてほしいと
言われ、この日にCTが撮れるなら、もちろんそちらに行ったんですが、
問い合わせてもらったら、もう予約がとれないとのことで、
午前中に入院中のミイの面会と相談だけになり、
風邪で休んでいたダンナも、前からの約束があるから
事務所へ行くと言われて、最寄り駅まで送ったのが11時過ぎ。
今から京都まで行っても‥‥とは思ったんですが、
乗換案内で、まぁ15時までには着けるだろうということ、
展覧会が18時までやってるってことを知り、
ダンナを下ろしてそのままJR西岐阜駅まで走りました。
JR西岐阜駅前の駐車場に入れ、12:09発の大垣行に。
大垣で21分待ち12:41発で米原に13:17着
米原から新幹線を奮発したんですが、米原13:53発のひかり
で、待ち時間が長くてツイてないなー
(それでも快速で京都に行くより25分早く着く)
と思いながら、新幹線のホームに行くと、
なんかカメラ持った人とか結構いるなって思ったら、
わー、ドクターイエローだ!!
私、見るのは初めて。見ると幸せになれる?
米原13:53発のひかりで、京都に14:12着。
地下鉄烏丸線で「烏丸御池」下車。
京都文化博物館のHPを見て、5番出口から出ると、
逆光で上手く写ってないけど、赤レンガの堂々たる建物
京都銀行三条支店
三条通りへ折れて行くと、こっちも風格ある建物
中京郵便局
ただ、これ外壁と屋根のみ残して、内部は全く新しい
鉄筋コンクリート構造の建物に作り替えられたものだそう。
そして、その先の建物が京都文化博物館(別館)
東京駅や日本銀行を設計した辰野金吾と
その弟子・長野宇平治が設計した旧日本銀行京都支店
明治を代表する洋風建築として、国の重要文化財に指定されています。
建物内部も素敵!
‥‥で、展覧会会場は??
横の通路から別館建物裏手へ出て、本館(?)へ
中庭から見た別館
「生誕140年記念 石崎光瑤」展は、4・3階展示室
新幹線の中でウェブでチケットを買っていたので、
https://www.e-tix.jp/ishizakikouyou/
(一般1,800円 南砺市立福光美術館の石崎光瑤展は1,000円だったんですけどね)
エレベーターで4階へ。
スマホ表示のチケットをかざして入場。
音声ガイドがあったので借りてみました。700円
4階は撮影可!!
南砺市立福光美術館では屏風、掛軸で会場が分かれていたけど、
ここではほぼ年代順に展示されていました。
第1章 画学修業と登山
《虫類写生》明治29~36年(1896~1903) 京都市立芸術大学芸術資料館
やっぱりこの図鑑のような細密描写には感心しますよね
《立山写生 巻一》明治40年(1907) 富山県美術館 より
登山にのめりこんだ光瑤
山や高山植物の写生、すごくいいなぁ!
山での写生を基に制作された画譜
絵としても美しいけれど、高山植物研究家・山岳写真家の
志村烏嶺の序文とともに、上下巻それぞれ12図ずつ、合計24図が
収められた、博物学的研究を目的にした植物画でもあると。
《高嶺百花譜》明治41年(1908) 南砺市立福光美術館
あ、これ南砺市立福光美術館では気が付かなかったなぁ!
光瑤という雅号を師の山本光一から受けた
雅号証 明治30年(1897)
光瑤 本名・石崎猪四一(いしいち)は、12歳で
江戸琳派の系脈の画人 山本光一に師事します。
孝一のもとでの学びは、旧来の手習いではなく、
写生を基本としたものだったそうで、、
そのため《虫類写生》のような写実の絵が生まれたんですね。
《筧》大正3年(1914) 南砺市立福光美術館
南砺市立福光美術館で見てとても気に入った作品!
音声ガイドで、宮内省買上げとなって、
屏風の枠に菊の飾り(?)がついていると聞いて、
金色の飾りに気が付きました。
これも南砺市立福光美術館ですごく気に入った作品
《森の藤》大正4年(1915) 南砺市立福光美術館
ここではガラスケースの中なので、横からの写真は撮れないな(^^)
第2章 インドへの旅、新しい日本画へ
光瑤は第1次インド行に際して、
多くの富山の人々から経済的支援を得ていました
「光瑤渡印百画会 金銭出納簿」と「石崎光瑤画伯画会人名簿」
インドからの光瑤絵葉書アルバム
石崎光瑤撮影《幻灯用彩色硝子板》一組より
第一次インド旅行でのスケッチより
《カシミヤ州の雀》大正6年(1917) 南砺市立福光美術館
そして、インド旅行の成果として制作し、
第12回文展で特選を受賞した作品
《熱国姸春》大正7年(1918) 京都国立近代美術館
この作品が見たくて京都まで来ました!
輪郭線がしっかり描かれた右隻
ビンロウの巨大な葉の重量感!
咲き誇る白い蘭の花!
左隻は輪郭線がないために、もわっとした熱帯の
密林の雰囲気が伝わってきます。赤い花が鮮やか!
《熱国姸春》に続いて、第1回帝展で連続の特選となった
《燦雨》大正年8(1919) 南砺市立福光美術館
ガラスケースの写り込みで、うまく撮れてないんですが、
南砺市立福光美術館でも写真撮ったので、まぁいいか(^^;
そして、こちらも見たかった作品
《白孔雀》大正11年(1922) 大阪中之島美術館
羽を広げた白孔雀のふわふわと透き通るような美しさ!
プラタナスの葉にのみ太い輪郭線が描かれていて、
装飾的なところも素敵!
これらインド主題の光瑤の代表作3点
《熱国妍春》《燦雨》《白孔雀》が同時に見られるのは、
10月1日(火)~14日(月・祝)の2週間、京都会場のみ ってことで、
この期間に行けて良かった。
《緑陰》大正9年(1920) 南砺市立福光美術館
バショウの葉がデザイン的に大胆に配置されていて
シンプルだけど面白い構図の絵だなって。
この作品、光瑤が昭和16年に代表作30点を選んで集成した
『林蘭居画冊』にも収録されている作品だそう。
光瑤も気に入っていた作品なんですね。
第3章 深まる絵画表現
《麗日風鳥》大正13年(1924) 南砺市立福光美術館
《鶏之図(若冲の模写)》大正15年(1926) 富山市郷土博物館
大正14年、光瑤は、大阪・西福寺の障壁画《仙人掌群鶏図襖》を
若冲真筆と美術雑誌に発見報告の記事を書きます。
その《仙人掌群鶏図襖》6面のうち2面を模写したもの
南砺市立福光美術館で右幅を見たので、今回左幅が見られて嬉しい。
(京都文化博物館でも左幅が前期、右幅が後期展示)
(これ、作品リストでは第2章に分類されてるけど)
《雪》大正9年(1920) 南砺市立福光美術館
これ、南砺市立福光美術館で見た時、すごく背丈の高い
屏風だなって見上げたけど、ここでは隣に
《寂光》昭和4年(1929) 南砺市立福光美術館
が並んでいたので‥‥逆に言うとこの作品がすごく大きいんだけど。
南国の濃密な雰囲気ではなく、静謐さも感じるような大画面。
《藤花孔雀之図》昭和4年(1929)
エスカレーターで3階へ。3階は撮影禁止でした。
《熱国妍春》《白孔雀》を見たいと京都まで行ったんですが、
金剛峯寺奥殿襖絵の《虹雉》と《雪嶺》が再現展示されているのが
見られて、これがすごくいい! 京都まで来て良かったー!! と
(南砺市立福光美術館で《雪嶺》の8面が一列に並んでいたのは見たけど)
《雪嶺》のシャープな構成も格調高くていいけど、
《虹雉》のヒマラヤシャクナゲが咲き誇る華麗な襖に
囲まれた空間はすごく素敵!!
第4章 静謐なる境地へ
晩年の、私にはちょっと細密描写が行き過ぎちゃってるのでは?
と感じた菊や牡丹の作品
時局に合わせたのか、鷺などを襲う鷹を描いた作品が展示されていました。
南砺市立福光美術館でもウサギのふわふわしたカンジがすごく可愛いと見た
《遊兎》昭和21年(1946) 南砺市立福光美術館
(南砺市立福光美術館で撮影)
最晩年(光瑤は昭和22年3月25日没)の写生帖に
「枕辺の白と黒との仔兎を写し取りつつ今日も暮るゝか」
という短歌とともに黒兎のスケッチを遺しているそう。
最後まで写生をしていたんだなぁーと。
石崎光瑤展のチケットで、
京都文化博物館の2階総合展示が見られて、
(3階フィルムシアターも見られたそうだけど、そっちは行かなかった)
そちらもすごく良かったけど、長くなったので、
とりあえずここまで。
京都文化博物館: https://www.bunpaku.or.jp/
特別展「生誕140年記念 石崎光瑤」のページ: https://www.bunpaku.or.jp/exhi_special_post/20240914-1110/
「生誕140年記念 石崎光瑤」展は、
南砺市立福光美術館で、2024年7月13日(土)~9月2日(月)
京都文化博物館で、2024年9月14日(土)~11月10日(日)
静岡県立美術館で、2025年1月25日(土)~3月23日(日)
東京 日本橋高島屋で、2025年4月23日(水)~5月6日(火)と巡回します。
「若沖を超えろ!絢爛の花鳥画
生誕140年記念 石崎光瑤」展
え? 猫が屋根から落ちて大変だったんじゃない?
はい、自分でもよく行った、行けたなって思うんですけど‥‥
南砺市立福光美術館まで「石崎光瑤」展を見に行ったのは、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-08-26
8月18日(日)のことでした。私好みの華麗な絵で良かったけど、
展示替えで、代表作の一つとされ、チラシにも使われている
《熱国姸春》が見られなかったんですよね。
加えて、南砺市立福光美術館では展示されなかった
大阪中之島美術館蔵の《白孔雀》も見ようとすると、
10月1日(火)~10月14日(月・祝)の間ってことを知りました。
10月1日(火)が、パートのシフトで休みになってたので、
この日に京都まで行こうって、計画していたんですが――
ミイの顎の骨折で、犬山動物医療センターでCTを撮ってきてほしいと
言われ、この日にCTが撮れるなら、もちろんそちらに行ったんですが、
問い合わせてもらったら、もう予約がとれないとのことで、
午前中に入院中のミイの面会と相談だけになり、
風邪で休んでいたダンナも、前からの約束があるから
事務所へ行くと言われて、最寄り駅まで送ったのが11時過ぎ。
今から京都まで行っても‥‥とは思ったんですが、
乗換案内で、まぁ15時までには着けるだろうということ、
展覧会が18時までやってるってことを知り、
ダンナを下ろしてそのままJR西岐阜駅まで走りました。
JR西岐阜駅前の駐車場に入れ、12:09発の大垣行に。
大垣で21分待ち12:41発で米原に13:17着
米原から新幹線を奮発したんですが、米原13:53発のひかり
で、待ち時間が長くてツイてないなー
(それでも快速で京都に行くより25分早く着く)
と思いながら、新幹線のホームに行くと、
なんかカメラ持った人とか結構いるなって思ったら、
わー、ドクターイエローだ!!
私、見るのは初めて。見ると幸せになれる?
米原13:53発のひかりで、京都に14:12着。
地下鉄烏丸線で「烏丸御池」下車。
京都文化博物館のHPを見て、5番出口から出ると、
逆光で上手く写ってないけど、赤レンガの堂々たる建物
京都銀行三条支店
三条通りへ折れて行くと、こっちも風格ある建物
中京郵便局
ただ、これ外壁と屋根のみ残して、内部は全く新しい
鉄筋コンクリート構造の建物に作り替えられたものだそう。
そして、その先の建物が京都文化博物館(別館)
東京駅や日本銀行を設計した辰野金吾と
その弟子・長野宇平治が設計した旧日本銀行京都支店
明治を代表する洋風建築として、国の重要文化財に指定されています。
建物内部も素敵!
‥‥で、展覧会会場は??
横の通路から別館建物裏手へ出て、本館(?)へ
中庭から見た別館
「生誕140年記念 石崎光瑤」展は、4・3階展示室
新幹線の中でウェブでチケットを買っていたので、
https://www.e-tix.jp/ishizakikouyou/
(一般1,800円 南砺市立福光美術館の石崎光瑤展は1,000円だったんですけどね)
エレベーターで4階へ。
スマホ表示のチケットをかざして入場。
音声ガイドがあったので借りてみました。700円
4階は撮影可!!
南砺市立福光美術館では屏風、掛軸で会場が分かれていたけど、
ここではほぼ年代順に展示されていました。
第1章 画学修業と登山
《虫類写生》明治29~36年(1896~1903) 京都市立芸術大学芸術資料館
やっぱりこの図鑑のような細密描写には感心しますよね
《立山写生 巻一》明治40年(1907) 富山県美術館 より
登山にのめりこんだ光瑤
山や高山植物の写生、すごくいいなぁ!
山での写生を基に制作された画譜
絵としても美しいけれど、高山植物研究家・山岳写真家の
志村烏嶺の序文とともに、上下巻それぞれ12図ずつ、合計24図が
収められた、博物学的研究を目的にした植物画でもあると。
《高嶺百花譜》明治41年(1908) 南砺市立福光美術館
あ、これ南砺市立福光美術館では気が付かなかったなぁ!
光瑤という雅号を師の山本光一から受けた
雅号証 明治30年(1897)
光瑤 本名・石崎猪四一(いしいち)は、12歳で
江戸琳派の系脈の画人 山本光一に師事します。
孝一のもとでの学びは、旧来の手習いではなく、
写生を基本としたものだったそうで、、
そのため《虫類写生》のような写実の絵が生まれたんですね。
《筧》大正3年(1914) 南砺市立福光美術館
南砺市立福光美術館で見てとても気に入った作品!
音声ガイドで、宮内省買上げとなって、
屏風の枠に菊の飾り(?)がついていると聞いて、
金色の飾りに気が付きました。
これも南砺市立福光美術館ですごく気に入った作品
《森の藤》大正4年(1915) 南砺市立福光美術館
ここではガラスケースの中なので、横からの写真は撮れないな(^^)
第2章 インドへの旅、新しい日本画へ
光瑤は第1次インド行に際して、
多くの富山の人々から経済的支援を得ていました
「光瑤渡印百画会 金銭出納簿」と「石崎光瑤画伯画会人名簿」
インドからの光瑤絵葉書アルバム
石崎光瑤撮影《幻灯用彩色硝子板》一組より
第一次インド旅行でのスケッチより
《カシミヤ州の雀》大正6年(1917) 南砺市立福光美術館
そして、インド旅行の成果として制作し、
第12回文展で特選を受賞した作品
《熱国姸春》大正7年(1918) 京都国立近代美術館
この作品が見たくて京都まで来ました!
輪郭線がしっかり描かれた右隻
ビンロウの巨大な葉の重量感!
咲き誇る白い蘭の花!
左隻は輪郭線がないために、もわっとした熱帯の
密林の雰囲気が伝わってきます。赤い花が鮮やか!
《熱国姸春》に続いて、第1回帝展で連続の特選となった
《燦雨》大正年8(1919) 南砺市立福光美術館
ガラスケースの写り込みで、うまく撮れてないんですが、
南砺市立福光美術館でも写真撮ったので、まぁいいか(^^;
そして、こちらも見たかった作品
《白孔雀》大正11年(1922) 大阪中之島美術館
羽を広げた白孔雀のふわふわと透き通るような美しさ!
プラタナスの葉にのみ太い輪郭線が描かれていて、
装飾的なところも素敵!
これらインド主題の光瑤の代表作3点
《熱国妍春》《燦雨》《白孔雀》が同時に見られるのは、
10月1日(火)~14日(月・祝)の2週間、京都会場のみ ってことで、
この期間に行けて良かった。
《緑陰》大正9年(1920) 南砺市立福光美術館
バショウの葉がデザイン的に大胆に配置されていて
シンプルだけど面白い構図の絵だなって。
この作品、光瑤が昭和16年に代表作30点を選んで集成した
『林蘭居画冊』にも収録されている作品だそう。
光瑤も気に入っていた作品なんですね。
第3章 深まる絵画表現
《麗日風鳥》大正13年(1924) 南砺市立福光美術館
《鶏之図(若冲の模写)》大正15年(1926) 富山市郷土博物館
大正14年、光瑤は、大阪・西福寺の障壁画《仙人掌群鶏図襖》を
若冲真筆と美術雑誌に発見報告の記事を書きます。
その《仙人掌群鶏図襖》6面のうち2面を模写したもの
南砺市立福光美術館で右幅を見たので、今回左幅が見られて嬉しい。
(京都文化博物館でも左幅が前期、右幅が後期展示)
(これ、作品リストでは第2章に分類されてるけど)
《雪》大正9年(1920) 南砺市立福光美術館
これ、南砺市立福光美術館で見た時、すごく背丈の高い
屏風だなって見上げたけど、ここでは隣に
《寂光》昭和4年(1929) 南砺市立福光美術館
が並んでいたので‥‥逆に言うとこの作品がすごく大きいんだけど。
南国の濃密な雰囲気ではなく、静謐さも感じるような大画面。
《藤花孔雀之図》昭和4年(1929)
エスカレーターで3階へ。3階は撮影禁止でした。
《熱国妍春》《白孔雀》を見たいと京都まで行ったんですが、
金剛峯寺奥殿襖絵の《虹雉》と《雪嶺》が再現展示されているのが
見られて、これがすごくいい! 京都まで来て良かったー!! と
(南砺市立福光美術館で《雪嶺》の8面が一列に並んでいたのは見たけど)
《雪嶺》のシャープな構成も格調高くていいけど、
《虹雉》のヒマラヤシャクナゲが咲き誇る華麗な襖に
囲まれた空間はすごく素敵!!
第4章 静謐なる境地へ
晩年の、私にはちょっと細密描写が行き過ぎちゃってるのでは?
と感じた菊や牡丹の作品
時局に合わせたのか、鷺などを襲う鷹を描いた作品が展示されていました。
南砺市立福光美術館でもウサギのふわふわしたカンジがすごく可愛いと見た
《遊兎》昭和21年(1946) 南砺市立福光美術館
(南砺市立福光美術館で撮影)
最晩年(光瑤は昭和22年3月25日没)の写生帖に
「枕辺の白と黒との仔兎を写し取りつつ今日も暮るゝか」
という短歌とともに黒兎のスケッチを遺しているそう。
最後まで写生をしていたんだなぁーと。
石崎光瑤展のチケットで、
京都文化博物館の2階総合展示が見られて、
(3階フィルムシアターも見られたそうだけど、そっちは行かなかった)
そちらもすごく良かったけど、長くなったので、
とりあえずここまで。
京都文化博物館: https://www.bunpaku.or.jp/
特別展「生誕140年記念 石崎光瑤」のページ: https://www.bunpaku.or.jp/exhi_special_post/20240914-1110/
「生誕140年記念 石崎光瑤」展は、
南砺市立福光美術館で、2024年7月13日(土)~9月2日(月)
京都文化博物館で、2024年9月14日(土)~11月10日(日)
静岡県立美術館で、2025年1月25日(土)~3月23日(日)
東京 日本橋高島屋で、2025年4月23日(水)~5月6日(火)と巡回します。
ミイが屋根から落ちて [猫]
ここしばらく、色々なトラブルが押し寄せてまして。
パソコンの調子が悪いとか、
パート先で転んで腕に青あざを作ったとか、
父から遺産相続した土地のこととか‥‥
そんな中での重大トラブルの一つが、
ダンナの風邪。
コロナ流行時、「基礎疾患のある高齢者」なんだからーと
からかっていたんですが、73歳で、高血圧と糖尿で
通院しているとはいえ、元気で仕事もバリバリやっていた
ダンナが「なんかだるい」「やたら眠い」と言い、
9月28日(土)の朝、「今日は休むわ」と家で寝ていたんですが、
顔が赤いので、熱を計ったら38度あるではないですか!
通院している医者へ行き、まずは屋外で
コロナとインフルエンザの検査をしたんですが、幸いにして
どちらでもなく、風邪の薬をもらって帰宅しました。
解熱剤ももらったので、少し熱が下がったところで、
仕事の電話が入り、「ちょっと事務所へ行ってくる」と。
「薬で熱が下がってるだけだから、無理しない方がいいよ」とは
言ったんですが、超ワンマンなダンナのことで、聞くわけもなく、
最寄り駅まで送って戻り、花の手入れなどをしていたら、
ミイのただならぬ声が!
ケンカでもしている? それにしては他の猫もいないようだが‥‥と、
声のする方へ行ってみると、
ミイが口の中を血だらけにして、ハッハッと息も荒く
うずくまっているではありませんか!!
去勢手術をしてもらった動物病院に連絡して連れて行くと、
顎がつぶれて牙も折れているということで、急遽
入院となりました。万一のこともあるかもしれない
と言われて心配したんですが‥‥
どうやら、お隣の屋根から落ちた時に、
(もしかしたら我が家の3階のベランダから落ちた?)
境界のフェンスに激突したのではないかと。
フェンスの横に飛び散った血が
ミイが口の中血だらけでうずくまっていた場所
この日、私は夕方からパートに入ってたので、
もう少し遅い時間だったら、ここで死んでしまっていたかも。
29日(日)の朝に病院へ行くと、頭を打っている可能性があるので、
まだレントゲンは撮れないが、顎の骨が折れて、かみ合わせが
ずれてしまっているのではないかと、猫の頭蓋骨の模型で説明されました。
ミイはスタッフが行き来する集中治療室で、酸素管理と点滴を受けてましたが、
呼吸や脈拍は落ち着いているとのことで、撫でてやると、心細そうに鳴きました。
30日(月)は、レントゲンの写真を見せてもらって、説明を受けました。
顎の骨に何ヶ所か折れている箇所がある。
頭蓋骨は複雑で、レントゲンだけではわからない箇所もあるので、
手術の前にCT検査を受けて来てほしいと。
猫のCT検査が受けられる犬山動物総合医療センターを紹介されました。
朝9時~10時の間に連れて行って、夕方迎えに行くことになるとのことで、
翌10月1日(火)はパートが休みなので、その日が良かったんですが、
問い合わせてもらったら、もう予約はいっぱいとのこと。
次のパートの休みは日曜なんですが、それではちょっと遅いので、
シフトを確認して電話しますと言って、ミイに会ってきました。
集中治療室からケージが並んでいる入院室に移ったミイ、
点滴の管は繋がれていたけど、昨日よりは元気になったみたい。
やたら舌をペロペロしてて、撫でてやるとウロウロと動きました。
10月2日(水)は、ちょっとパートを休むのが難しい。
3日(木)ならなんとか休めそうだからと、聞いてもらうと
予約が取れたと。
10月1日(火)もミイに会いに行き、説明を聞きました。
CT検査が3日だけど、その日まで顎の骨が見えたままの状態では
良くないので、明日2日に応急的に顎の骨を固定して縫合し、
折れた歯を抜歯する手術をしますと。
3日(木)にCTの予約が取れたので、休ませてもらおうと連絡するより前に、
その日入る同僚からメールで、めまいと嘔吐で点滴治療を受けていて、
今週いっぱい休ませてくださいと!! えー?! 同僚の体調も心配だけど、
それじゃ、その日私休めないじゃない~
そして、風邪なのに仕事があるからと出かけて、夜に
やっぱりエライ(このあたりの方言で辛い、疲れたという意味)と
帰って来たダンナ。言わんこっちゃないと医者へ連れて行くと、
肺炎をおこしかけているので、点滴を受け、明日も来てくださいと。
10月3日(木)、ミイが入院している動物病院は木曜休みなのですが、
対応してもらえました。朝8時にミイを迎えに行き、
(さすがに洗濯ネットではダメだろうと、キャリーも買いました)
CT検査後に家で看るための、食道チューブからの食事の与え方の
説明を受け、犬山へ出発。
行ったことはないけど、地図見たらわかりやすいところだし、
ドラレコもあるし、迷う心配はなかったけど、これなら30分くらいで
行けるだろうから早く着きすぎるのでは? と思ってたけど、
朝の渋滞が酷かった。着いたのは、ほぼ9時。
さすが「犬山動物総合医療センター」と名乗るだけあって、
(建物の表示がまだ「犬山動物病院」となってるけど)
人間で言えば総合病院のように大きい!
犬と猫とで待つ場所も分けられていて、診察室もたくさん並んでます。
受付をして診察室でミイを預け、迎えは夕方5時から7時までの間ということで
犬山動物総合医療センターを出たのが10時。
家に帰り、こんどはダンナを医者へ。まだ体調がだいぶ悪そうなのに、
前からの約束があるから岐阜の事務所まで行くというので送り、
(迎えには行けないよと言っておいたのでタクシーで帰って来た)
夕方にミイを迎えに。
顎の骨は折れてるけど、頭蓋骨の方は大丈夫のようですねと、
CTのデータをもらって帰宅。
費用は、初診料1,200円+CT検査42,500円+消費税で、48,070円でした。
様子も見たいし、ごはんもやらなきゃいけないけど、
とりあえずパート行かなきゃと、息子に
「様子見ててくれるならキャリーから出していいよ」と言って
パートに行きました。
10時前くらいにパートから帰ると、ミイがキャットフードや
ちゅーるが入っている瓶を倒して食べたそうにしていたので、
ちゅーるをやったと。えー?食べさせて良かったかなと
心配になりつつも、(良かったみたい。
翌朝の診察で、ミイちゃん、それだけしっかりしてるんですねと。
ちゅーるや柔らかいフードなら食べさせていいと。)
朝説明を受けたとおりに、食道チューブから水と溶かした薬、
リキッドを与えました。
これでお腹が膨れたみたいで、椅子の上で気持ちよさそうに寝ました。
椅子の破れはスルーしてくださいね。
落ちないか心配で、床の猫ベッドで寝かせようとしたけど、
エリザベスカラーをテーブルにぶつけながらも椅子に乗る(^^;;;;
トイレもフツーに今までのトイレへ行き、
おしっこも少し柔らかいウンチもしました。
窓を開けようとしているミイ。
今回の骨折に凝りて、外へ行かなくなるといいと思ったんですが、
‥‥凝りてない~
10月4日(金)、朝病院へCT検査のデータを持って連れて行こうと、
キャリーに入れようとすると、
暴れて高い棚まで飛び乗って逃げるのでハラハラ(@o@;;
顎の骨を正常な位置で固定する手術を6日(日)にすることが決まり、
それまでの診療費の精算をしました。
ここまでにかかった診療費合計283,756円(税込)
それまでに預かり金として5万円払ってましたので、
残り233,756円をカードで支払ってきました(T.T;;
ちゅーるはやっていいってお墨付き(?)をもらったので、
堂々と? ダンナや息子からももらってました。
いつもはなかなかもらえないちゅーるが食べ放題(?)で、
ミイは満足そう(^^;
エリザベスカラーが病院のブルーのものから
視界のいい透明なものになりました。
リキッドは1日に180cc、1回30cc×6回が目標とのこと
10月5日(土)は、7:30、午前中用事があったので帰ってからの13:00、
パート行く直前の16:20、パートから帰ってすぐの22:00、
寝る前の24:30と30cc×5回与えたんですが、
ちゅーるもたくさん食べたし(この日、合計5本)
まぁいいんじゃないかと。
シリンジにリキッド10cc、水で溶いた抗生剤、水、リキッド20cc
ベランダに出ちゃうミイ
窓に張り付いたヤモリを見つけてとびかかっていくしー
(窓の外側に張り付いているんだから捕れないんですけどね)
10月6日(日)9時に、
顎の骨を正常な位置で固定する手術のために動物病院へ。
内金4万円を払って預けてきました。
10月7日(月)11:30に迎えに。
口が少し開いた状態で固定しているので、ちゅーるなどをやる際には
舌の動きに合わせて、誤嚥に注意するように。
よだれが出やすいので、口のまわりを拭いてやってと。
食道チューブからのリキッドを1日30cc×6回なんですが、
今、このリキッドが入ってこないんだとか。
とりあえず病院にあった2本もらってきたんですが、
その後は代替品になるかもと。
でもこのリキッド、明細書見たら1本1,480円(税別)!
1日半かそれ以下で使いきってしまう(T.T;;
手術代含む診療費合計62,238円 内金を引いて22,238円を支払い帰宅。
口がうまく開かないせいか、ちゅーるを舌にのせてやって、
食べたかなと思うとよだれと一緒に出てしまったり‥‥
よだれが出るのでカラーにティッシュがはさんであります。
この状態で2ヶ月くらい、ってことなので、
この秋、色々楽しみにしていた展覧会も行けないかなぁ‥‥
なにより費用が~~~CT含めてこれまでで約40万かかってる!!
これからも、アゴをくっつけている針金をとる手術もあるし、
毎日の食事代も高くつくなぁ(T.T)
はぁ~ しょーがないですね。助けちゃったんだから。
これもミイの運なのかな?
お気に入りのおもちゃで遊ぶことができるように回復してくれー!
動物病院の処置や食事量は、あくまでミイの場合です。
説明も私が覚えていることなので、間違っているかもしれません。
この記事書いてたら、どうも顎が動かないようにしてもらったところが
とれてしまったみたいで、急遽病院へ行ってきました。
そのうち、この後の経過報告もするつもりです。
パソコンの調子が悪いとか、
パート先で転んで腕に青あざを作ったとか、
父から遺産相続した土地のこととか‥‥
そんな中での重大トラブルの一つが、
ダンナの風邪。
コロナ流行時、「基礎疾患のある高齢者」なんだからーと
からかっていたんですが、73歳で、高血圧と糖尿で
通院しているとはいえ、元気で仕事もバリバリやっていた
ダンナが「なんかだるい」「やたら眠い」と言い、
9月28日(土)の朝、「今日は休むわ」と家で寝ていたんですが、
顔が赤いので、熱を計ったら38度あるではないですか!
通院している医者へ行き、まずは屋外で
コロナとインフルエンザの検査をしたんですが、幸いにして
どちらでもなく、風邪の薬をもらって帰宅しました。
解熱剤ももらったので、少し熱が下がったところで、
仕事の電話が入り、「ちょっと事務所へ行ってくる」と。
「薬で熱が下がってるだけだから、無理しない方がいいよ」とは
言ったんですが、超ワンマンなダンナのことで、聞くわけもなく、
最寄り駅まで送って戻り、花の手入れなどをしていたら、
ミイのただならぬ声が!
ケンカでもしている? それにしては他の猫もいないようだが‥‥と、
声のする方へ行ってみると、
ミイが口の中を血だらけにして、ハッハッと息も荒く
うずくまっているではありませんか!!
去勢手術をしてもらった動物病院に連絡して連れて行くと、
顎がつぶれて牙も折れているということで、急遽
入院となりました。万一のこともあるかもしれない
と言われて心配したんですが‥‥
どうやら、お隣の屋根から落ちた時に、
(もしかしたら我が家の3階のベランダから落ちた?)
境界のフェンスに激突したのではないかと。
フェンスの横に飛び散った血が
ミイが口の中血だらけでうずくまっていた場所
この日、私は夕方からパートに入ってたので、
もう少し遅い時間だったら、ここで死んでしまっていたかも。
29日(日)の朝に病院へ行くと、頭を打っている可能性があるので、
まだレントゲンは撮れないが、顎の骨が折れて、かみ合わせが
ずれてしまっているのではないかと、猫の頭蓋骨の模型で説明されました。
ミイはスタッフが行き来する集中治療室で、酸素管理と点滴を受けてましたが、
呼吸や脈拍は落ち着いているとのことで、撫でてやると、心細そうに鳴きました。
30日(月)は、レントゲンの写真を見せてもらって、説明を受けました。
顎の骨に何ヶ所か折れている箇所がある。
頭蓋骨は複雑で、レントゲンだけではわからない箇所もあるので、
手術の前にCT検査を受けて来てほしいと。
猫のCT検査が受けられる犬山動物総合医療センターを紹介されました。
朝9時~10時の間に連れて行って、夕方迎えに行くことになるとのことで、
翌10月1日(火)はパートが休みなので、その日が良かったんですが、
問い合わせてもらったら、もう予約はいっぱいとのこと。
次のパートの休みは日曜なんですが、それではちょっと遅いので、
シフトを確認して電話しますと言って、ミイに会ってきました。
集中治療室からケージが並んでいる入院室に移ったミイ、
点滴の管は繋がれていたけど、昨日よりは元気になったみたい。
やたら舌をペロペロしてて、撫でてやるとウロウロと動きました。
10月2日(水)は、ちょっとパートを休むのが難しい。
3日(木)ならなんとか休めそうだからと、聞いてもらうと
予約が取れたと。
10月1日(火)もミイに会いに行き、説明を聞きました。
CT検査が3日だけど、その日まで顎の骨が見えたままの状態では
良くないので、明日2日に応急的に顎の骨を固定して縫合し、
折れた歯を抜歯する手術をしますと。
3日(木)にCTの予約が取れたので、休ませてもらおうと連絡するより前に、
その日入る同僚からメールで、めまいと嘔吐で点滴治療を受けていて、
今週いっぱい休ませてくださいと!! えー?! 同僚の体調も心配だけど、
それじゃ、その日私休めないじゃない~
そして、風邪なのに仕事があるからと出かけて、夜に
やっぱりエライ(このあたりの方言で辛い、疲れたという意味)と
帰って来たダンナ。言わんこっちゃないと医者へ連れて行くと、
肺炎をおこしかけているので、点滴を受け、明日も来てくださいと。
10月3日(木)、ミイが入院している動物病院は木曜休みなのですが、
対応してもらえました。朝8時にミイを迎えに行き、
(さすがに洗濯ネットではダメだろうと、キャリーも買いました)
CT検査後に家で看るための、食道チューブからの食事の与え方の
説明を受け、犬山へ出発。
行ったことはないけど、地図見たらわかりやすいところだし、
ドラレコもあるし、迷う心配はなかったけど、これなら30分くらいで
行けるだろうから早く着きすぎるのでは? と思ってたけど、
朝の渋滞が酷かった。着いたのは、ほぼ9時。
さすが「犬山動物総合医療センター」と名乗るだけあって、
(建物の表示がまだ「犬山動物病院」となってるけど)
人間で言えば総合病院のように大きい!
犬と猫とで待つ場所も分けられていて、診察室もたくさん並んでます。
受付をして診察室でミイを預け、迎えは夕方5時から7時までの間ということで
犬山動物総合医療センターを出たのが10時。
家に帰り、こんどはダンナを医者へ。まだ体調がだいぶ悪そうなのに、
前からの約束があるから岐阜の事務所まで行くというので送り、
(迎えには行けないよと言っておいたのでタクシーで帰って来た)
夕方にミイを迎えに。
顎の骨は折れてるけど、頭蓋骨の方は大丈夫のようですねと、
CTのデータをもらって帰宅。
費用は、初診料1,200円+CT検査42,500円+消費税で、48,070円でした。
様子も見たいし、ごはんもやらなきゃいけないけど、
とりあえずパート行かなきゃと、息子に
「様子見ててくれるならキャリーから出していいよ」と言って
パートに行きました。
10時前くらいにパートから帰ると、ミイがキャットフードや
ちゅーるが入っている瓶を倒して食べたそうにしていたので、
ちゅーるをやったと。えー?食べさせて良かったかなと
心配になりつつも、(良かったみたい。
翌朝の診察で、ミイちゃん、それだけしっかりしてるんですねと。
ちゅーるや柔らかいフードなら食べさせていいと。)
朝説明を受けたとおりに、食道チューブから水と溶かした薬、
リキッドを与えました。
これでお腹が膨れたみたいで、椅子の上で気持ちよさそうに寝ました。
椅子の破れはスルーしてくださいね。
落ちないか心配で、床の猫ベッドで寝かせようとしたけど、
エリザベスカラーをテーブルにぶつけながらも椅子に乗る(^^;;;;
トイレもフツーに今までのトイレへ行き、
おしっこも少し柔らかいウンチもしました。
窓を開けようとしているミイ。
今回の骨折に凝りて、外へ行かなくなるといいと思ったんですが、
‥‥凝りてない~
10月4日(金)、朝病院へCT検査のデータを持って連れて行こうと、
キャリーに入れようとすると、
暴れて高い棚まで飛び乗って逃げるのでハラハラ(@o@;;
顎の骨を正常な位置で固定する手術を6日(日)にすることが決まり、
それまでの診療費の精算をしました。
ここまでにかかった診療費合計283,756円(税込)
それまでに預かり金として5万円払ってましたので、
残り233,756円をカードで支払ってきました(T.T;;
ちゅーるはやっていいってお墨付き(?)をもらったので、
堂々と? ダンナや息子からももらってました。
いつもはなかなかもらえないちゅーるが食べ放題(?)で、
ミイは満足そう(^^;
エリザベスカラーが病院のブルーのものから
視界のいい透明なものになりました。
リキッドは1日に180cc、1回30cc×6回が目標とのこと
10月5日(土)は、7:30、午前中用事があったので帰ってからの13:00、
パート行く直前の16:20、パートから帰ってすぐの22:00、
寝る前の24:30と30cc×5回与えたんですが、
ちゅーるもたくさん食べたし(この日、合計5本)
まぁいいんじゃないかと。
シリンジにリキッド10cc、水で溶いた抗生剤、水、リキッド20cc
ベランダに出ちゃうミイ
窓に張り付いたヤモリを見つけてとびかかっていくしー
(窓の外側に張り付いているんだから捕れないんですけどね)
10月6日(日)9時に、
顎の骨を正常な位置で固定する手術のために動物病院へ。
内金4万円を払って預けてきました。
10月7日(月)11:30に迎えに。
口が少し開いた状態で固定しているので、ちゅーるなどをやる際には
舌の動きに合わせて、誤嚥に注意するように。
よだれが出やすいので、口のまわりを拭いてやってと。
食道チューブからのリキッドを1日30cc×6回なんですが、
今、このリキッドが入ってこないんだとか。
とりあえず病院にあった2本もらってきたんですが、
その後は代替品になるかもと。
でもこのリキッド、明細書見たら1本1,480円(税別)!
1日半かそれ以下で使いきってしまう(T.T;;
手術代含む診療費合計62,238円 内金を引いて22,238円を支払い帰宅。
口がうまく開かないせいか、ちゅーるを舌にのせてやって、
食べたかなと思うとよだれと一緒に出てしまったり‥‥
よだれが出るのでカラーにティッシュがはさんであります。
この状態で2ヶ月くらい、ってことなので、
この秋、色々楽しみにしていた展覧会も行けないかなぁ‥‥
なにより費用が~~~CT含めてこれまでで約40万かかってる!!
これからも、アゴをくっつけている針金をとる手術もあるし、
毎日の食事代も高くつくなぁ(T.T)
はぁ~ しょーがないですね。助けちゃったんだから。
これもミイの運なのかな?
お気に入りのおもちゃで遊ぶことができるように回復してくれー!
動物病院の処置や食事量は、あくまでミイの場合です。
説明も私が覚えていることなので、間違っているかもしれません。
この記事書いてたら、どうも顎が動かないようにしてもらったところが
とれてしまったみたいで、急遽病院へ行ってきました。
そのうち、この後の経過報告もするつもりです。
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