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愛知県美術館「ピカソ、天才の秘密」展 [美術]

1月14日(木)、愛知県美術館へ行きました。
「ピカソ、天才の秘密」展をやっています。
ピカソの若い頃―「青の時代」と「バラ色の時代」―に焦点を当てた展覧会。

Picasso.jpg

この日はパートが休みで、ちょうど愛知県美術館友の会の
特別鑑賞会があるとのことでしたので、この機会に行ってこようと。

「ピカソ、天才の秘密」展、1月3日(日)から開催で、
初日には入場待ちの列ができるほどの人気だとツイッターで流れてきていました。

友の会の特別鑑賞会は、昼の部10:30~11:30、夜の部17:30~19:00で、
レクチャー後、会場でギャラリー・トークという予定だったのですが、
会場混雑のため、昼の部はギャラリートークなしで、
レクチャーを長めにするとのメールが配信されてきました。

昼の部10:30に愛知県美術館に行くのは、朝の遅い私にはちょっとキツくて、
夜の部の閉館後のピカソ展会場でのギャラリートークってのも魅力だったんですが、
洗濯もゴミ捨てもパスして9時に家を出たら、余裕で着いてしまいました。

12階のアートスペースEFで、
担当の 塩津青夏 学芸員にレクチャーをしていただきました。
(以下、私が聞いたことなので、聞き違い等あるかもしれませんが)

ピカソって言ったら、美術に関心のない方でも知っていますよね。
ま、「ワケのわからない絵を描く人」みたいなイメージかもしれませんが。

20世紀最大の巨匠で、
キュビスムの創始者であり、
自在にスタイルを変え、数多くの作品を創作した画家だと。

絵画の歴史が、ピカソ以前と以後に分けられるほど、
ルネサンス以来、最も重要な美術の革命であったと。

ピカソは1881年、スペインのマラガに生まれ、
画家で美術教師であった父のもと、幼い頃から絵の才能を発揮。
ピカソの神童伝説はいくつかあるけれど、

母親によれば、言葉を話すより先に絵を描いたとか、
妻子の言葉はスペイン語で鉛筆を表す「ビス」だったとか。

父がピカソの描いた絵を見て、自分の画材を譲り、二度と絵を描くことはなかったとか。
ただ、これはピカソの伝記作者・サバルテスが、
レオナルド・ダ・ヴィンチと師ヴェロッキオの話を元ネタにして書いたのではないかと。
実際はその後も父親は絵を描いているみたいです。

ついでに、ピカソの伝記を執筆したサバルテスは、ピカソの友人で、
後に秘書となり、まとめて譲れられた作品をもとに開館したのが、
バルセロナのピカソ美術館だそう。

この展覧会でも《鼻眼鏡をかけたサバルテスの肖像》が出ていました。

そしてピカソ本人が、私は子供らしい絵を描かなかったと。
6歳で描いたとピカソが言うヘラクレスの絵を映像で見せてもらいましたが、
実際に描いたのは9歳の時だそう(ピカソ話を盛っているww)
それでも、もう子どもの絵らしくないデッサンです。

Picasso-2.jpg
この展覧会にも出ているピカソ14歳の《女性頭部石膏のデッサン》
上手いです!! 所蔵は、おかざき世界子ども美術館
世界の画家の10代の頃の絵をコレクションしているユニークな美術館と
いうことで、一度見に行きたいと思っているんですけど。

16歳で描いた《科学と慈愛》という絵がいくつかの賞をもらい、

今回の展覧会では、上原近代美術館所蔵の《科学と慈愛》が展示されていました。
バルセロナのピカソ美術館にある本画の習作として描かれたものだろうと。
こんな絵が日本にあるとは! と、バルセロナ・ピカソ美術館の人も驚いていたそう。

マドリードの美術学校に入学。でもアカデミックな授業にあきたらず、
プラド美術館でベラスケスやエル・グレコの絵を模写していたと。

バルセロナの「4匹の猫」という居酒屋に入り浸って、
メニューのイラスト(?)を描いたり、パリに行って《カンカン》の絵を描いたり
このあたりの絵は、ロートレック風でもありますね。

ピカソが描いた《キク》これは売り絵だろうと。
ゴッホのひまわりの画像と並べて見せてもらいましたが、
似ているなと感じました。この絵、下に人物が描かれていたことがわかるそう。

ベルン美術館蔵の《母と子》ピカソは生涯、母と子の絵を繰り返し描いているが、
この絵にはゴッホのルーラン夫人と赤ちゃんの絵からの影響があると、
並べて見せてもらいました。ゴーギャンの影響もあるだろうと。

いろんな画家たちから学んだピカソだが、上手く描けてしまう分、
器用貧乏というか、オリジナリティがないと初期の頃は批判されていたようです。

そんなピカソが自分のスタイルを持ったのが「青の時代」
親友カサジェマスの自殺にショックを受け、深い青色で、
貧しい人や体の不自由な人などを、彫刻的で硬質に描く。

愛知県美術館所蔵の《青い肩かけの女》

チラシ裏面に使われている《スープ》は、スケッチを見せてもらいましたが、
シンプルになってきているのがわかりました。

ピカソは、サン・ラザール刑務所を訪問して、
赤ちゃんを連れた女囚を見て、多くの絵のモチーフにしているそう。

パリ国立ピカソ美術館は、
ピカソが終生手元に残しておいた作品の寄贈による美術館だそうで、
《男の像》は、ピカソが座っている部屋の壁にかかっている写真があり、
絵の傷もその頃からあったものだそう。

バルセロナ・ピカソ美術館《サバスティア・ジュニェンの肖像》は、
ピカソの友人で画家で支援者でもあった人物を描いたもの。
ピカソを描いたサバスティア・ジュニェンの絵も映像で見せてもらいました。

やがて、パリ・モンマルトルの伝説的な集合アトリエである「洗濯船」へ移住。
フェルナンド・オリヴィエという恋人もでき、「バラ色の時代」へ。
明るい色調でサーカスの芸人や恋人、友人家族などを描くようになります。

この時代の代表作ともいえるのが、チラシやポスターに使われている
《扇子を持つ女》1905年ピカソ24歳の作品‥‥私、女性の服が青いから
「青の時代」の作品かと思ってました。女性の不思議なポーズが印象的です。
古代エジプトのレリーフを思わせると言われているそうですが、
日本人の私たちから見ると、仏像のポーズのようにも見えますよね。

ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵のこの作品、
ちょうどギャラリーの修理のために、この展覧会に貸し出してもらえることに
なったそうです。そのメールを受け取った時には、
それまで、ピカソの「青の時代」「バラ色の時代」の作品は数が少なく、
なかなか集まらなくて、展覧会の準備室が「青の時代」のように暗かったのが、
「バラ色の時代」になったようだったと(笑)

「バラ色の時代」作品が売れて、お金が入ったので、恋人と
スペイン北部の村・ゴゾルへ旅行します。そこで村人の風俗をした
恋人をモデルに描いたのが《パンを頭に乗せた女》1906年
明るい色彩の穏やかな絵ですね。

それからキュビスムの時代が始まります。
初期から、分析的キュビスム、綜合的キュビスム、
そして新古典主義の時代‥‥と自在にスタイルを変え、
膨大な作品を生み出します。

‥‥こんな興味深いお話を聞いていたら、いつの間にか昼近くになっていました。
展覧会に入場できるシールをもらって、昼の部は鑑賞は各自で。

混雑を心配していたけど、平日のためか、それほど混んでなくて、
ゆったりと鑑賞できました。中学生らしいグループも来ていました。

初期のピカソの絵の上手さ、サラッと書いた線のすごさ、
《扇子を持つ女》の「格」みたいな不思議な迫力とか、
まぁ、さすがピカソってのは感じるんですが、やっぱり私、あまり
ピカソ好きじゃないなぁ‥‥って。
表紙が《扇子を持つ女》と、ピカソの若い頃の写真の2種類ある図録
結局買いませんでした。

ピカソの若い頃ってイケメンですよねww
愛知県美術館のある愛知芸術文化センターへの入口のピカソ展垂れ幕
2016-1-14-(6).jpg

ツイッターでも話題になっていましたが、作品リストの内側にある
「ピカソ、天才への道程 すごろく」
ピカソの人生を楽しくたどることができて、とてもナイス!!です。
Picasso-3.jpg
ピカソの各年代のイラストのコマも素敵!
Picasso(5).jpg

コレクション展とプロジェクト・アーチのことは次の記事で書きます。
愛知県美術館: http://www-art.aac.pref.aichi.jp/

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