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大阪中之島美術館「モディリアーニ」展 [美術]

5月18日(水)、大阪で同級生たちと久しぶりに会い、
大阪シニア同窓会2022
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2022-05-29

ルートイン大阪本町に泊まって、
5月19日(木)、大阪中之島美術館へ行きました。

「開館記念特別展
 モディリアーニ
 ―愛と創作に捧げた35年―」をやっています。
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今年2月2日に開館した大阪中之島美術館。
2月27日のEテレ「日曜美術館」でも、その開館記念展のことを
紹介してましたね。
「大阪中之島美術館~蒐(しゅう)集もまた創作なり~」

ものづくりと商いの街、大阪にあることから、
近代・現代デザインも収集の柱としていて、
椅子のコレクションなども充実しているとか。

大阪中之島美術館建設のきっかけは、

山本發次郎(やまもと はつじろう 1887-1951) のコレクションが
大阪市に寄贈されたこと。

山本發次郎は、メリヤス事業で才覚を発揮した大阪商人。
40代の頃、新築した自宅に飾るために、美術品の収集を始めます。
まず興味を持ったのが墨跡
白隠慧鶴《大達磨》や仙厓義梵《布袋画賛》など、(どちらも江戸時代)
シンプルゆえに個性がにじみ出る墨跡が大好きだったとか。

發次郎45歳の時、佐伯祐三の《煉瓦焼》1928 と出会って、
「胸に動悸打つ異様な感じ」と、衝撃を受けます。
それからわずか5年で、《郵便配達夫》1928 など、
佐伯祐三の主だった作品およそ150点を集めてしまいます。

しかし当時は日本が戦争に突入していった頃。
發次郎に向けられる周囲の視線は厳しかった。

發次郎は、
「美術品の蒐集は永遠的の文化事業であると信じてやっている」
「蒐集もまた創作なり」とは、發次郎が生涯大切にしていた言葉だそう。

そして作品を見たいと言われれば、知り合いでなくても自宅に招き入れたとか。
美術館を作りたいという希望は初期の頃からあったそう。
1937年には、無料で見られる佐伯祐三展を企画・開催。
佐伯祐三の画集も自費出版しています。
「佐伯祐三を世に出すために生まれてきた」という
使命感を感じていたと。
美術館を建てたいという話を、佐伯の家族にも語っていたそう。

しかし、太平洋戦争末期になると、空襲のために
収集品を保管することすら危うくなってきます。
作品を疎開させたくても、
戦時下では輸送用トラックの手配もままなりません。

作品を疎開させるために、コレクションの
宸翰(しんかん 天皇直筆の書)を運ぶ名目で、軍に嘆願。
トラックを手配し、コレクションの一部を
岡山へ疎開させることができました。

その3週間後、神戸は空襲を受け、邸宅は全焼。
佐伯作品の3分の2が焼失するなど、
多くのコレクションが灰となってしまいます。
(あぁ、なんてモッタイナイ‥‥)

發次郎の死から32年後の1983年、發次郎の遺族から、
山本發次郎コレクション574点が大阪市へ寄贈されます。
美術館建設という發次郎の夢が再び動き出します。

1988~1994年には、大阪の画廊経営者が自らのコレクション131点を寄贈
(高畠アートコレクション)

1987年には、鉄鋼業を営んでいた田中徳松のコレクション19点が寄贈

1996年に大阪出身の前衛美術家・吉原治良の作品およそ800点が寄贈

2000年代には、美術館計画は大阪市の財政悪化のため凍結されますが、
その後も寄贈や寄託は続きます。

2012年にはサントリーポスターコレクションおよそ18,000点が寄託

2013年に大阪市は美術館の建設にゴーサインを出しました。

そんな経緯を経て、
‥‥「美術館要るの?」って声もよく聞いたとか(まぁ、ね)
やっと完成した大阪中之島美術館

オープニングの
「Hello! Super Collection
超コレクション展 ―99のものがたり―」 には行けなかったけど、

この「モディリアーニ」展は、是非行きたいって思ってました。

5月19日(木)、ルートイン大阪本町を出て靭公園のバラ園を見て
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2022-06-05

大阪中之島美術館へ
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開館の5分前くらいに着きました。
ちょうどスタッフの方が1階の玄関のロックを外したところで、
ロッカーに荷物を入れ、2階へ。
吹き抜けの天井の高さに圧倒されます。
日曜美術館で「誰もが自由に歩ける道」と紹介されていた
「パッサージュ」空間。
チケットカウンターもここ2階にありますが、
大阪中之島美術館のウェブサイトでチケットを
https://ticket.nakka-art.com/
購入していたので(QRコードをスマホの画面または印刷)
プリントアウトを提示して長いエスカレーターに乗りました。
4階は「開館記念展 みんなのまち 大阪の肖像」展なので、
さらにエスカレーターに乗って、5階へ。

QRコードを読み取ってもらい展覧会場へ。
「モディリアーニ」展 チラシ表面(開いたところ)
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中面(クリックで拡大します)
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プロローグ : 20世紀初頭のパリ

モディリアーニが生きた当時のポスターなどが展示されていましたが、
解説を読む人だかりができていたので、ここは後で見ることにして、
モディリアーニの絵が展示されている先へと進みました。

第1章 : 芸術家への道

1884年、イタリア中部トスカーナ地方のリヴォルノに生まれた
アメデオ・モディリアーニ(AMEDEO MODIGLIANI 1884-1920)
17歳でフィレンツェに出て美術学校で学び、1903年には
ヴェネツィアの美術学校に移ります。

1906年、パリのセーヌ川右岸のモンマルトル界隈に暮らし始めます。
(その後、左岸のモンパルナスに移る)

1907年に3歳年上の研修医ポール・アレクサンドルと出会う。
ポール・アレクサンドルはパトロンとして作品を購入して支援してくれます。

ってことで、展示されていたのが、
ヤマザキマザック美術の
《ポール・アレクサンドル博士の肖像》1909年と、
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(ヤマザキマザック美術館で撮影した画像)

構図もほぼ同じの、東京富士美術館の
《ポール・アレクサンドル博士》1909年

ヤマザキマザックの方は手をポケットに入れていますが、
東京富士美術館の方は、手が見えています。
こうやって並んでいるのを見るのも興味深いなぁ!

そして、名古屋市美術館の
《立てる裸婦(カリアティードのための習作)》1911-12年 と、

愛知県美術館の
《カリアティード》1911-13年 が並んでいます。
apmoa-13700.jpg
(愛知県美術館のコレクション検索で、
パブリック・ドメイン画像になっていたので、お借りしてきました)

コンスタンティン・ブランクーシの《接吻》1907-10年 や、
《眠れるミューズ》1910-11年頃 や、

アフリカの仮面や彫像が展示されていました。

この頃、モディリアーニはブランクーシから手ほどきを受けて、
彫刻に励んだそう。モディリアーニの彫刻は、輸送に耐えない
とのことで、写真での紹介でしたが、影響がよくわかりました。


第2章 : 1910年代パリの美術

ピカソ、マリー・ローランサン、ルソー‥‥、
芸術の都、パリに集まった芸術家たちの作品が、
多くの美術館から集められて展示されていました。

エコール・ド・パリを収集のひとつの柱としている名古屋市美術館からも
モディリアーニ《おさげ髪の少女》1918年頃 はもちろん(第3章で展示)、
藤田嗣治やキスリング、ユトリロなど、全部で8点来てました。

名古屋市美術館の キスリング《ルネ・キスリング婦人の肖像》1920年 と、
ポーラ美術館の モディリアーニ《ルネ》1917年 が並んでいて、
同じ人物を描いているのに、ずいぶん違った表現で興味深tかった。


特集 : モディリアーニと日本

名古屋市美術館の藤田嗣治《自画像》1929年 が来てました。
藤田嗣治は、生前のモディリアーニと親交があり、
モディリアーニについて、酒飲みだったとか、
大声を出してモデルを恐れさせたとか、
とても興味深い話を書き残しています。

モディリアーニが藤田をスケッチした
《フジタの肖像》1919年 は、第2章で展示されていました。

中原實《モジリアニの美しき家婦》1923年(東京都現代美術館)は、
モディリアーニの《可愛い家婦》を小さめにかなり正確に写した作品で、
フランスから帰国した中原が二科展に出品・入選して、
「モジリアニ」という名前と作風を日本で広めることになったと。
中原はパリのカフェで、生前のモディリアーニを見かけたことがあるそう。


私もそうだけど、モディリアーニの作品ももちろん素敵だけど、
その波乱に満ちた短い生涯がいかにも芸術家ってイメージで、
ロマンティックだなーって。

ここの展示ケースに、私が持っている本も展示されておりました(^▽^)
(出品リストには載ってませんが)
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1979年の「モディリアニ展」の図録
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1979年9月13日~10月16日 大丸東京店
1979年10月25日~11月6日 大丸大阪展
で開催された展覧会 展覧会のことは覚えてないけど、
図録があるのだから見に行ったんだろうなー
当時、多摩美術大学4年生だった。会期短かっ!
今回、名古屋市美術館蔵になってる
《立てる裸婦(カリアティードのための習作)》は、
パールズ・ギャラリー、ニューヨーク となってる。

テートの《若い女性の肖像》1917年頃 と、
フィリップス・コレクションの《エレナ・ポヴォロスキ》1917年 は、
今回の展覧会にも来てました。

《若い女性の肖像》は大阪中之島美術館HPで、今回の
モディリアーニ展のビジュアルとして使われていますね。
https://nakka-art.jp/exhibition-post/modigliani-2022/

相澤いくえ『モディリアーニにお願い』
東北地方の小さな美大を舞台に、3人の男子学生の成長を中心に描いた
漫画(全5巻、小学館、2016-2021年)
初出は「ビッグコミック増刊号」2014年12月17日~2020年12月17日
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図録にも言及がありますが(P135)
才能や名声への渇望と不安、嫉妬、友情、貧乏など若い芸術家が経験する日々の物語であるが、モディリアーニの名が実際に登場する場面は少ない。(中略)このマンガは、映画等で脚色された悲劇の芸術家像が日本で今も生きていることを示す好例である。


第3章 : モディリアーニ芸術の真骨頂 肖像画とヌード

そして、モディリアーニの油彩画がずらりと並ぶ展示室がスゴイ!!

名古屋市美術館で見慣れた
《おさげ髪の少女》1918年頃 はやっぱりいいし、

大阪中之島美術館が誇る
《髪をほどいた横たわる裸婦》1917年 は、やっぱり、すごく素敵!!
日本で所蔵する唯一の裸婦像だそう。
この絵が戦災で焼失しなくて本当に良かった!
この作品は撮影可でした!!
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隣に展示されていたのが、同じモデルを描いた
アントワープ王立美術館所蔵の《座る裸婦》1917年
(チラシ表面に一部が使われています)
2つの裸婦像が並んでいて圧巻でした!

モディリアーニは目の前にモデルがいないと描けなかった
って解説には、ちょっと意外な気がしました。
だって、結構デフォルメされてるじゃないですか?

妻であるジャンヌ・エビュテルヌを描いた作品が2点並んでました。
大原美術館の《ジャンヌ・エビュテルヌの肖像》1919年
個人蔵の《大きな帽子をかぶったジャンヌ・エビュテルヌ》1918年
どちらも面長の楚々とした雰囲気の女性像で素敵だけど、
16歳のジャンヌの写真見たら、すごい美少女!!
意志の強そうな顔で、あまり絵とは似ていないように思える。
(モディリアーニの写真もイケメンですよねー)

最後に展示されていたのが、
往年の大女優、グレタ・ガルボが所蔵していたって
《少女の肖像》1915年 (こちらも撮影可!)
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なんと、展覧会に世界初公開なんだそう。
小さいけど、とても素敵な絵です。

グレタ・ガルボの部屋の写真が展示されてて撮影可!
《少女の肖像》は写ってないみたいだけど、
多くの絵が飾られてます。わりとフォーヴィスムとか、
エコール・ド・パリあたりの絵が好みだったのかな? って。
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私が持ってる、グレタ・ガルボの「マタ・ハリ」の写真が表紙の
古い(1920~40年代)ハリウッド映画の写真集「GRAND ILLUSIONS」
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ショップでは、モディリアーニのクリアファイルなども売られていて
迷ったけど、
図録のみ購入。2,800円(税込)
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モディリアーニには贋作が多いって論文は興味深かった。
エルミア・ド・ホーリィって贋作者が有名(?)らしい。


4階へ階段で降りると、
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ヤノベケンジ《ジャイアント・トらやん》2005年
日曜美術館でも紹介されていたけど、
大阪出身の作家の寄贈だそう。
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大阪の都市風景をバックに、未来っぽい。
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長~いエスカレーターを降りて、
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芝生広場に出ると、
ヤノベケンジの作品がここにも!
《SHIP'S CAT (Muse)》2021年
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多くの人が写真撮ってました。
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テントのカフェが出てました。その名も
「AMEDEO MODIGLIANEI CAFE」
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モディリアーニが生まれたイタリアをテーマにした
期間限定カフェなんだとか。
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イタリアのビールやワイン、パニーニやバスクチーズケーキなども
ありましたが、ルートインのバイキング朝食でしっかり食べてて
お腹空いてなかったので、すりおろしレモンスカッシュ500円を。
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すりおろしのレモンが爽やかー


さて、まだ時間に余裕があるし、もう一つくらい展覧会見てもいいかな、と。
すぐ隣にある国立国際美術館の展覧会もいいかなって思ったんですが、
4階でやってる
「みんなのまち 大阪の肖像」展が、
モディリアーニ展のチケットで300円引きの900円になるってことで、
まぁ、ついでに見て行こうかなと。
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2階のチケットカウンターでチケットを購入して、
もう一度長いエスカレーターに乗りました。

「みんなのまち 大阪の肖像」展は、
第1期/「都市」への道標。明治・大正・昭和戦前」が、
2020年4月9日(土)~7月3日(日)

第2期/「祝祭」との共鳴。昭和戦後・平成・令和」が
2020年8月6日(土)~10月2日(日)

と、2期にわたって開催されます。

第1期の第1章は、
おおさか時空散歩―中之島からはじめよう―

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出品リストに「ほな。いきまひょ。」と、
かな文字が組み合わさっていますが、こういう文字が
オブジェのように各章の最初に天井からぶら下がっています。
それはなかなかセンス感じて良かったんですけど、

古い中之島の風景画が並んでいて‥‥

大阪の街も、中之島もよく知らない私には、十分楽しめなかったなぁ。

撮影可の作品がいくつかありました。

小出楢重《街景》1925年(大正14)
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第2章 胎動するランドスケープ
近代化へと進む大阪の姿が、絵画だけでなく、
写真やポスターなどで展示が続きますが、以下略(^^;

左の2点が、大阪市立電気科学館のポスター
右の2点が、市電の店のポスター (全て作者不詳)
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前田藤四郎《デパート装飾》1930年代 リノカット、紙
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展示室ロビー 外の景色が見えます。
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反対側からは、吹き抜けの館内を見下ろすことができました。
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赤松麟作《デンドロビウム》大正末期~昭和初期
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小石清《クラブ石鹸》1931年(昭和6)
第2回国際広告写真展の1等賞を受賞した作品とのこと。
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古い大阪の映像(観光の宣伝用?)も興味深かったけど、
長いので(途中でウトウトした)全部は見てません。


美術館1階にあった「コレクションへのラブレター」
大阪中之島美術館の所蔵作品への想いが紹介されていました。
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6000点を大きく超えるコレクション(寄託品を除く)を有する
大阪中之島美術館。これからの展覧会も楽しみです。


大阪中之島美術館: https://nakka-art.jp/



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