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ミャンマーの事件 [国際交流]

ミャンマーで大規模なデモがあって、日本人カメラマンが死亡したニュースが
大きく報道されている。
ミャンマーは軍事政権が統治していて、たびたび民主化を求める運動があり、
それに対する弾圧が問題になっている。
民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チーさんもずっと自宅軟禁状態だというし。
今回はガソリンの値上げなどに抗議する僧侶らのデモから始まったそうだが、
軍事政権は武力で弾圧を始めたようだ。デモの民衆に対して無差別発砲をしている
とかで、このようなことは決して許されることではない。
なんとか、うまく解決できるような方法はないのだろうか?

ミャンマーというと、私が思うのは留学生のヌウェイさんのこと。
まだ彼女が日本に来て間もない2002年の秋、日本のことを知りたいからと
私たちの会にホームステイの希望があって、週末に我が家で受け入れた。
車で迎えに行き、我が家までの小一時間ほどのドライブでさえ、
何もかも珍しいことだらけのようで、トンネルを通るだけでも喜んでくれた。

彼女はミャンマー第二の都市、中部のマンダレーの出身とのこと。
インターネットでミャンマーの写真がたくさん載っているサイトを見つけ、
数々の仏教遺跡のこと、黄金を貼っていく石(彼女はdonateと言っていた)
オレンジ色の衣を着た僧侶、おてもやんのように頬に色を塗った少女たち
(これって虫除けのためだったっけ?彼女に聞いたはずなんだけど‥‥?)
そんなことを教えてもらいながら見た。
また、ミャンマー人にはファミリーネームがないことも初めて知った。

ミャンマーは敬虔な仏教徒の国だというが、彼女を見ていてそれを実感した。
日本の寺へ連れて行った時、境内の石畳を歩く時に、
「ここは靴を脱がなくてもいいのか?」と聞かれたり、
お堂の中で、仏像の前で額をこすりつけるようにしてお参りする様子を見ると、
同じ仏教徒(まぁ私は普段はあまり意識していないのだが)として親近感を覚えた。

その後も、たまに会って寺院や温泉に行ったりして、
彼女は私を「日本のおかあさん」と呼んでくれて親しくしていた。
半年の日本語コースの後、3年間、大学院で研究するとか聞いていたのに、
2005年の初夏、どこかへ行こうと彼女の携帯にかけるが、つならがらなかった。
他のミャンマー留学生から、彼女はお兄さんが亡くなって、国に帰ったと聞いた。
2006年の正月に、彼女から航空便が届き、短い新年の挨拶が書いてあった。
封筒には住所もなかった。署名のあとにメールアドレスが書いてあったので、
メールを送信したのだが、5日程たって、届かないと戻された。

彼女は国から送られてきた留学生だったし、お兄さんは軍人だとか言ってたので
(彼女は独身だったが)体制側の人ではないかと思うのだが、
私たちに一言もなく国へ帰ってしまったことや、お兄さん(というからには、
まだ若いと思う)が亡くなってどうしたのかとか、ずっと気になっている。

この混乱の中、無事でいてくれればいいのだが‥‥。
そして「私がミャンマーに帰ったら、遊びに来てください」と言われていたのだが、
そんな日が来ますように。
(それにはミャンマーや彼女の状況だけでなく、
 我が家の経済状態も立て直す必要があるのだけど‥‥)


これは、彼女ではないミャンマー留学生からもらったお土産。
(ヤンゴンとマンダレーの文字は私が画像ソフトで付け加えました)
ミャンマーには色々な少数民族が住んでいて、民族的な問題も色々あるとのこと。


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