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瀬戸内晴美『祇園女御』 [本]

今年のNHK大河ドラマは「平清盛」
――毎年NHKの看板番組(?)として、気を入れて作られており、
タイアップでの観光や展覧会などのイベントも多いですね。
大河ドラマ「平清盛」HP: http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/
評判はどうなんでしょう?私は見たり見なかったりですが、
(もともと私はテレビもドラマもあまり見ないので)
初回は見ており、伊東四朗が演じる白河法皇のふてぶてしさと、
松田聖子が演じる祇園女御は印象に残りました。

で、確か昔、瀬戸内晴美の『祇園女御』って作品読んだハズだけど‥‥って。
読み返してみました。歴史背景など忘れているというか、
読んでも頭に入ってないことも多くて、あらためて興味深く読みました。

祇園女御(上) (講談社文庫 せ 1-4)

祇園女御(上) (講談社文庫 せ 1-4)

  • 作者: 瀬戸内 晴美
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1975/09/25
  • メディア: 文庫



祇園女御 下 (講談社文庫 せ 1-5)

祇園女御 下 (講談社文庫 せ 1-5)

  • 作者: 瀬戸内 晴美
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1975/10/28
  • メディア: 文庫


この本、「祇園女御」ってタイトルなんですが、
祇園女御が登場するのは下巻のそれも後半。
「たまき」という名前の少女時代のこともそんなに多くは語られません。

この作品のヒロインは
承香殿(じょうきょうでん)の女御・藤原道子であり、
数奇な運命を生きる女「あかね」でしょう。

源氏物語の六条御息所のような道子のことは気を入れて描かれており、
この小説を初めて読んだ頃――結婚前でした――もし女の子が生まれたら
「道子」って古風な名前もいいかなって思ったくらい。

この作品は、昭和42年(1967年)4月から翌年5月まで、
新聞三社連合に連載されたものだそう。

冒頭は『とはずがたり』の解説から始まります。
著者は昭和46年(1971年)には『とはずがたり』を作品化した『中世炎上』を発表。

中世炎上 (新潮文庫)

中世炎上 (新潮文庫)

  • 作者: 瀬戸内 晴美
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1989
  • メディア: 文庫



また昭和48年(1973年)には現代語訳もしています。

現代語訳 とわずがたり (新潮文庫)

現代語訳 とわずがたり (新潮文庫)

  • 作者: 後深草院二条
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1988/03
  • メディア: 文庫



源氏物語の光源氏と藤壺の密通も物語にしてもすごいなぁって思うんですが、
『とはずがたり』は後深草上皇の寵愛を受けた二条とよばれる女性の日記で、
これが現実にあったことを書いているわけで‥‥す、すごい。

宮廷に上がった貴族の女たちの貞操が、いかに頼りなく、守られ難いものであったかは、源氏物語にも書かれている。

平清盛が、白河法皇の落胤だという説は、今では歴史学者の認めているところだし、鳥羽天皇の皇子と皇統系図では示されている崇徳天皇さえ、まことは白河法皇の皇子だったと歴史家は証明しているのである。

吉川英治の『新・平家物語』では、祇園女御は泰子という名を与えられ、稀代の悪女に描かれている。
そして、祇園女御を清盛の母としているそう(私は未読)ですが、瀬戸内晴美の『祇園女御』では‥‥

その混沌ぶり曖昧さが、物語の作者にとっては、「空想」という便利なひとことで、どこまでも想像や妄想の翅を押しのばせる所以でもある。」と、資料を調べた上で、生き生きとした物語にしています。

この『祇園女御』は、『とはずがたり』より170年ほど前の時代が舞台。
『源氏物語』が書かれた頃、栄華を誇った藤原道長の孫・能長(よしなが)の娘が
承香殿の女御となる藤原道子です。

そんな貴い身分に生まれ、生まれついての美貌と才能に恵まれた道子。
だが、幸せな人生ではなかった。

道子15歳の時に、4歳の東宮の妃となるように言い聞かされ、
あたら美しい時を秘仏のように守り育てられる。

道子の美しさの評判に、求婚する貴公子も多かったのだが、
父親の能長がちらともそばへ寄せ付けない。

能長の従弟にあたる藤原祐家は、光源氏のようなプレイボーイぶりで、
なんとか道子をモノにしようと、侍女のあかねを籠絡して道子にせまる。
あわや‥‥って場面もあって、そのあたりのきわどい描写もさすが瀬戸内さんです。

侍女のあかねは祐家を手引きしたことでひまを出され、
祐家の世話になるが、祐家が見つけてきた娘の世話を頼まれ、
その娘が祐家の寵愛を受けて娘を産んだのを嫉妬して、
娘を盗んで竹藪に捨てる――この赤ん坊が祇園女御という設定なのだが――
あかねはその後夜盗に襲われ陵辱され、傀儡子(くぐつ)の首領の女となり、
伊勢平氏正盛(清盛の祖父)に献じられ、
正盛はあかねを白河院に献じ、
白河院は帝位に備わると人望のある三の宮に密偵としてあかねを下賜する‥‥と、
物語ならではの数奇な運命を生きます。
このあたり、傀儡子や正盛のバイタリティーが魅力です。

道子は父親の思惑通り、28歳の時に17歳の東宮(後の白河院)妃として入内する。
年の差に気後れする道子に対して、年よりずっと大人びた東宮は、
道子を寵愛する。父親の能長は有頂天になるが、道子はなかなか懐妊しない。

やがて東宮に新しい妃として若い賢子(けんし)が入内してくると、
東宮の寵愛は賢子に移っていく。

後三条帝が譲位されて東宮は白河帝となる。
後三条帝は新東宮に自分の二の宮を立て、その後の東宮に三の宮を指名して亡くなる。

白河帝と賢子の仲は睦まじく、第一皇子を赤裳瘡(もがさ)で亡くした時は
二人して悲嘆するが、第二皇子に恵まれる。
その第二皇子が5つの時、賢子は亡くなってしまう。
白河帝の嘆きはひととおりでなく、政務さえ滞らせてしまうほどだったが、

裳瘡が流行して、東宮(後三条帝の二の宮・白河帝の異母弟)が亡くなる。
後三条帝の遺詔ではその後の東宮は三の宮とのことだったが、
白河帝はなかなか次の東宮をたてられない。
自分の第二皇子が8つの時、白河帝は第二皇子を東宮に立て、その日のうちに
譲位してしまう。堀河帝は幼いので白河上皇が院政を執ることになる。
当然、三の宮の周辺では不満が充ちる。

歴史の授業で、院政は藤原摂関家の力を抑えるためとか習ったけど、
白河上皇の院政は、自分の子を天皇につけるためだったように思える。
白河上皇は「治天の君」と呼ばれるようになり、天下の政は院中心に動いていくようになる。

ここまでは、白河帝は源氏物語の光源氏のように描かれているが、
――賢子が紫の上で、道子が六条御息所のよう――
ここから急に政治のこと、あかねと平正盛のストーリーもからんで、
「治天の君」として君臨した、ふてぶてしいような白河上皇が描かれる。

まだ幼い堀河帝なので、三の宮周辺では、こんどこそ東宮に三の宮をと期待するが、
白河院はまだ13歳の天皇に32歳の叔母にあたる篤子内親王を立后させたり
――篤子内親王が斎宮に選ばれた娘について野々宮にいる道子のもとを訪れて嘆く場面が哀れ――
それで子どもが生まれないと、若い女御・茨子を入れ、女御は皇子を産んで亡くなる。
皇子は生まれて1年にもならないうちに東宮に立てられ、白河法皇の下で育てられる。
堀河帝はもともと病弱だったが、女御に先立たれ、政治も思うようにならずに、
29歳で亡くなる。自分の息子の死もそこそこに5歳の孫を鳥羽帝として即位させる白河法皇。

晩年の白河法皇の好色ぶり、さすが瀬戸内晴美さんの筆は生き生きとして、
謎の寵姫・祇園女御を、白河法皇の寵を拒む女として魅力的に描いています。

平忠盛も出てきますが、中井貴一の平忠盛がカッコ良かったって人が読むと幻滅かも。
清盛は祇園女御の昔の傀儡子仲間の夫婦に生まれた娘・ちどりを妹として邸に引き取っていたのに
白河法皇が手をつけて、胤を宿したちどりを平忠盛に下賜したとしています。
待賢門院璋子は祇園女御の猶子と白河法皇が連れてきたと。幼い頃からの放埓な女ぶり、
男を惑わせる美貌の女として描かれています。

『祇園女御』は、白河法皇の死で終わっています。

動乱の平清盛の時代の少し前の歴史に興味を持たれた方、かなりの長編作ですが、
読んでみられても面白いですよ。

瀬戸内晴美の歴史小説
足利義政と愛妾のお今さまと正室・日野富子の葛藤などを千草という女の目から描いています。

幻花(上) (集英社文庫)

幻花(上) (集英社文庫)

  • 作者: 瀬戸内 寂聴
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1979/06/20
  • メディア: 文庫



幻花(下) (集英社文庫)

幻花(下) (集英社文庫)

  • 作者: 瀬戸内 寂聴
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1979/06/20
  • メディア: 文庫



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