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103歳の義母の葬儀

7月26日(日)、103歳の義母(ダンナのお母さん)が逝去されました。

昨年の2月から施設にお世話になっていて、
新型コロナウィルス感染予防のため、今年2月半ばに面会に行ったのを最後に、
ずっと面会禁止が続いていて、どうされているのかなぁと思っていたんですが
(お義兄さんの方には、その間、老人ホームの系列の病院に入院したって連絡は
あったそうですが、面会はできなかったと)

亡くなる一週間前の7月19日(日)に、病院から危ないと連絡があって、
ダンナと行った時、呼びかけてもほとんど反応がなく、
手を握っても、とても冷たい状態でしたが、
脈拍や呼吸も落ち着いたからと、帰されました。
歳がトシだけに、ある程度の覚悟はしてました。
ダンナは東京へ行く仕事をどうしよう?と迷ったんですが、
今の医療技術だと、意外と持つのかも‥‥と、
出かけたその日の夕方6時過ぎに病院から連絡があって、
私が駆け付けた時(義兄夫婦はすでに到着)は、
酸素マスクの下、かなり荒い息をしていたんですが、
呼びかけても反応はなく、そのうち息もだんだん穏やかになって、
脈拍や呼吸の数値が下がっていって、どちらも0を示したのが
8時半頃。医者が呼ばれて、死亡確認されたのが 午後8:42

看護師さんに死亡後の処置「エンゼルケア」をしてもらい、
入れ歯もはめてもらった義母は、
とても百歳を超えた顔には見えませんでした。

その間に義母の2人の弟(ダンナの叔父)――
義母は6人兄弟(の他に、生まれてすぐに亡くなった兄弟が2人いるそう)の
長女で、現在は4番目のY叔父と、末っ子のH叔父がおられます――と、
亡くなった3番目の叔父の長男(ダンナの従弟)が病院へ。

義兄が会員になっていた葬儀社の車が病院裏口へ到着。
死亡確認した医師や看護師に送られて、葬儀会館へ。

小部屋に遺体を安置して、あんじゅ様に来てもらって枕経をあげてもらい、

葬儀社と葬儀の打ち合わせ。
翌日の通夜、翌々日の葬儀(火葬場の予定がわからず正確な時間は
まだ決まりませんでしたが)が決定。


喪主の義兄が、こんな時節なので、家族葬で質素にやりたいと言ったのですが、
それでも20人以上にはなるので、家族葬用の会場だと密になっちゃうので、
広い会場が同じ値段で使えますがって言われて、じゃそちらで、となると、
小さい祭壇ではちょっとつり合いが‥‥とかってなって、
最初、義兄はお花もいらないって言ってたんですが、
叔父たちから、棺にいっぱい花をいれたいから贈りたいと言われ、
じゃ‥‥って、だんだん豪華(?)になっていきまして。

叔父たちには打ち合わせ開始早々に帰っていただいたんですが、
通夜式の後の食事や、葬儀の前のお斎(とき)、精進落としの食事の注文、
何名ほどが食べられる? 親戚のどこまで知らせるか??
通夜や葬儀の返礼品を選んだりと、決めることは多々ありまして。
私は傍で見ているだけなんですが、喪主の義兄は大変そうでした。

ダンナは、新幹線が静岡の大雨で止まってて、ホテルも今から
キャンセルできないので、翌朝帰ると連絡ありました。

家に帰ったのは、深夜2時半頃だったでしょうか。
さすがに疲れました。私は夕食の支度中に出たので、
結構お腹も空いていて、ご飯つまんだりして寝ました。

翌朝はパート代わってもらう打ち合わせやら(一週間前のことで、
近々あると思うってことは伝えておけたので良かった)
実家に知らせたり、歯医者の予約をキャンセルしたり、
義母の写真を探したり(遺影や思い出の組写真用に)、
礼服を準備したり‥‥そのうちにダンナも帰って来て、
遺影の写真提出の締め切り時間の12時に葬儀場へ。

私でも結構忙しかったんですが、喪主の義兄はやることや
考えることが多くて寝られなかったと。
2人の娘(ダンナの姪)一家も帰ってきましたし。

遺影決定、枕花やお供えの果物篭の注文締め切り

百寿の時の写真や、デイケアで撮ってもらった写真とかもあったけど、
孫(ダンナの姪)が「おばあちゃんならこっち使ってと言う」と主張して

義兄がいらないと言ってた供花も、仕事先から届いたりしたので、
それならと、ダンナの会社からも出すことにしたり。

14時から湯灌(ゆかん)とのことで
湯灌師さんが道具一色(?)を持って来られて、
遺体に水を足から胸元にかけ、(これは私初めての体験。
実家でやった祖母の時とか、水はかけなかった)
湯呑の水を葉ですくって口へ(これはやったことがある)

そして遺体を棺に納めます。
義姉が「お義母さんから、棺に入れてって頼まれてた」という
四国巡礼の御朱印を押した衣(3枚もあった!)を遺体にかけました。
そうそう、八十八ヶ所を4、5回に分けて巡るツアーによく行ってましたっけ。

棺を祭壇の下へ。白木の祭壇があるのと、お花だけのがあって、
お花だけの方を選びました。まだ遺影が映されていません。
(祭壇の遺影はデジタル)
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結局、供花こんなに並びました。
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会場入口に飾られた遺影と思い出の組写真(提出した写真で葬儀社が作ってくれる)
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上段中は、従弟の結婚式で兄弟4人で撮った写真
右は、書道展で自分の作品の前で
下段左は、百寿のお祝い
中は、ダンナとお彼岸の墓参り 2015年3月20日撮影(これは私が撮った写真) 
右は、市長から百歳のお祝いをもらった時の写真 

お礼の言葉も、さすが、ちょっとだけ話したことから、
この短時間で上手く書いてくれますね。
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義母が書いた掛軸を入口に飾りました。
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葬儀に来てくださった方が皆、感心して見てくれました。
般若心経の掛軸は、毎月のおじょうはんの時に掛けてるので、
だいぶ日焼けが進んでますが‥‥
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「平成六年三月吉日 ○○○勤写」とあるので、義母76歳の書。
義姉が「私たちがよく書けてると思っても、本人が気に入らないみたいで、
これ一枚仕上げるのに、ずいぶんたくさん書いてた」と。


ご主人を亡くされたのが50年以上前、次男のダンナが高校2年の時で、
義母は縫製会社のパートと、お習字教室を開いて、
ダンナを大学へ行かせてくれたと。

ダンナは「お義母さんの書道の才能が全く受け継がれてないね」と
からかうほど字がヘタ! それでも小学校の頃、義母に習って書いた
書初めで賞をもらったとか。


18時から通夜式 おじょうはんに来てもらうあんじゅ様と、
同じ宗派のお寺様の2人来ていただきました。

喪主の義兄が、疲れすぎて寝てしまったので、急遽
通夜の挨拶をダンナがしました。


その後、食事が出ました。葬儀社との打ち合わせで、何人になっても融通のきく
盛り合わせの寿司を勧められたんですが、義兄が時節柄、個別の膳にしてほしいと
希望して、何人分注文するか悩ましいところでしたが、だいたい予想どうりの
人数でよかった。結構豪華な膳でした。
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葬儀場の遺族控室は、布団もあり、風呂もついていて、
泊まれるようになっているんですが、
疲れて寝ていた義兄が「明日もあるし、家へ帰る」と言い、
義姉も「私一人では‥‥」となり、葬儀場に任せて帰ろう
ということで、私たち一家も帰ってきちゃいました。


葬儀当日、11時半に式場へ。12時からお斎
さすがに精進料理です。ほう葉みそとお焼きと餅(?)を
焼いて食べるようになってました。
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通夜の後と同じ数の注文にしたら、
足りなくなって、2人の姪一家は小さい子もいるしと、
外で買って車の中で食べたそう(葬儀会館への持ち込みは禁止)

葬儀開始13:30
通夜と同じく、お寺様2人に来ていただき、
焼香の名前は読み上げずに、座っていただいた席の並びで、
葬儀社スタッフの方に案内していただきました。
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出棺14:30
いかにもって霊柩車じゃなくて、黒いバン型の霊柩車に喪主が乗り、
私たちはマイクロバスで火葬場へ。お寺様2人も来ていただけました。

各務原市の火葬場「瞑想の森 市営斎場」
http://www.city.kakamigahara.lg.jp/shisetsu/2947/1311/001600.html
世界的建築家・伊東豊雄氏の設計による美しい建物です。
平成18年(2006年)6月竣工
平成20年(2008年)度のBCS賞(建築業協会賞)受賞
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2019年8月撮影の写真


収骨まで2時間弱ってことで、葬儀場が近いので、
戻って、精進落としの膳を
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精進落としってことで、刺身や肉もありました。
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(以前の別の葬式では、斎場の待合室でお供えの菓子など食べながら
待っていたことがあります)


16:30頃に収骨のため再び火葬場へ
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腿の関節を骨折した時に入れた金属が黒々と出てました。
この時は義母も痛がって大変だったね、
まだ病院が新しくなる前だったから、ずいぶん前だね‥‥と。
(2004年でした。義母87歳)

葬儀場へ戻り、初七日
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お供えのお花や果物篭を分けてもらって帰宅。18時過ぎでした。

今は葬儀会館が色々やってくれるし、
(昔~の葬式は近所の人たちが集まって料理からやってましたよね)
喪主でもないし、昨夜の通夜も楽してしまったんだけど、
やっぱり疲れたというか、気が抜けたみたいなカンジ。


私が結婚した頃、義母と、5番目の兄弟で唯一の妹である叔母とで、
細かく言ってくるのがウザイなーって(同居ではなかったのでまだ
よかったんですけどね)思ってた頃もあったんですけど、
いろいろ心遣いをしていただいて、ありがとうございました。

施設に入られてからは、ちょっと?ってところもありましたけど、
最後までボケずに、しっかりされていたところはさすがだと。

私が感心した出来事の一つは、一緒に買い物に行った時、
レジに並んでいる間に、3つか4つあった買い物の合計を計算して
財布からお金を用意しておられたこと。
レジで合計金額が出てから財布を取り出す私は、
普段からこうやって頭を使わないとダメだなーと反省しました。
(でも今、消費税が面倒だし、カード支払いが多いので、そもそも
使ったお金も覚えていないことが多い(^^;)


義母の写真探したら、こんなのが‥‥
私たちの結婚式で(義母67歳)
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海外旅行に行く義母を、小牧の名古屋空港まで
(中部国際空港ができる前)見送りに行った時の写真
photo1987.jpg

ダンナの従妹の結婚式で
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100歳の誕生日のお祝いに100本のバラを持って行ったことはこちら:
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2017-05-12
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