INAXライブミュージアム(2)ナゴヤモザイク壁画時代 [美術]
もう1ヶ月以上前の 2月13日(日)、
INAXライブミュージアムへ行ってきたことの続きです。
総合受付のある「窯のある広場・資料館」と
「建築陶器のはじまり館」のことは前記事に
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2022-03-20
ここへ行こうと思ったチラシ
「ナゴヤモザイク壁画時代」
企画展は「土・どろんこ館」でやってるってことで
園内の道の前にある「止まれちゃん」
土・どろんこ館の企画展示室
「壮観! ナゴヤモザイク壁画時代」
写真撮影OK!
高度経済成長期、名古屋とその周辺ではさまざまなモザイク壁画による装飾文化が華ひらきました。(チラシ裏面の文)
1950年代後半~70年代の名古屋の主なモザイク壁画MAP
名古屋周辺のモザイク壁画って言えば、
矢橋六郎(1905-1988)
創業1901年、国会議事堂も手掛けた岐阜県大垣市の矢橋大理石商店(現・矢橋大理石)を営む矢橋家の六男として生まれた。東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科を卒業後、パリに留学。その経験がモザイクに生かされている。(中略)生涯で120を超えるモザイク壁画・装飾を手掛けている。(説明パネルより)
チラシ表面に使われているのは、愛知県庁西庁舎のモザイク壁画
《大樹》または《広がる愛知》
1964年/7.04×7.41m/制作:矢橋大理石商店/素材:大理石、ガラス、磁器質タイル
愛知県を大樹に見立てて、産業と平和を描いた壁画とのこと。
2019年に閉館になった中部日本ビルディング(旧中日ビル)の
天井画は迫力ありましたね。
《夜空の饗宴》
1966年/9.6×20.0m/制作:矢橋大理石商店/素材:大理石、ガラス、磁器質タイル
これが失われるのは惜しいなーって思ってたけど、
作品存続を望む多くの声に応え、24年春開業予定の新ビルに
一部を移設することが決定したとのこと。
会場入口のところに展示されていたのがこれの一部。
2018年10月に私が撮影した写真。
ついでに、その日撮影した名古屋市営地下鉄 矢場町駅の壁画
《生活》
1967年/56.06㎡(現在)/制作:矢橋大理石商店/素材:大理石
地下鉄矢場町駅から松坂屋への連絡通路にあり、図録の説明によると
「松坂屋が名古屋市に寄贈し、完成時は23面あったが、手すりやスロープなどの設置のため一部外され、現在は18面である。地下鉄通路の壁画は触れるように凹凸がなく、表面は滑らか。明るい色調で果物や人物などが楽しげに描かれている。」
北川民次(1894-1989)
メキシコ滞在中に当地の壁画運動を目のあたりにした北川民次
1936年42歳で帰国。疎開した瀬戸(愛知県)に移住し、洋画家、壁画家、児童美術の教育者として活動。
CBC会館
《芸術と平和》
1959年/7.12×14.72m/制作:矢橋大理石商店/素材:大理石
旧カゴメビル
《TOMATO》
1962年/3×15m/制作:近代モザイク(小林窯業)/素材:陶器質タイル
建て替えにより、取り外された壁画の一部が
INAXライブミュージアムに寄贈された。
うち3点が展示されていました。
壁画の断面が見えて興味深いです。
修復後の常設展示が計画されているそう。
瀬戸蔵(旧瀬戸市民会館より移設)
《陶土の山と採掘夫》《ロクロ場風景》《登り窯》
1959年/2.54×4m(移設後)/制作:近代モザイク(小林窯業)/素材:磁器質タイル
瀬戸のアトリエを構えて移住した北川は、製陶など市域の産業の
働く人々の姿を好んで描きました。
瀬戸市立図書館
《知識の勝利》《無知と英知》《勉学》
1970年/制作:霞仙製陶所/素材:陶板
古川秀昭(1944- )
岐阜県美術館の前館長 ってことくらいしか知りませんでしたが、
東京藝術大学絵画科油画卒業。大学では山口薫に学んだが、そこで壁画講師として来ていた矢橋と知り合い、矢橋のモザイク壁画制作に参加するようになった。(中略)助手として10年でおよそ20作品を手掛けた。(後略)
という古川個人の仕事
日本キリスト教団 名古屋中央教会
《三位一体・キリストの系図》
1971年/約3.2×10.3m/素材:大理石、磁器質タイル
展示パネル左側が、
安藤幹衛(1916-2011)
東邦高等学校 旧赤萩校舎
1964年/全面積200㎡/素材:ガラス
東邦高校が本館竣工を記念して、
地元の画家・安藤幹衛に制作を依頼して設置。
男子生徒へのメッセージとしてダイナミックなたくましい
躍動感を現したもの。
安藤幹衛、名古屋市営地下鉄・久屋大通駅ホームの
《人間賛歌》と題した壁画があります。
2019年1月の私のツイート
中村順平(1887-1977)
展示パネルが上手く写ってないですが、この人のモザイク壁画、
細かくキッチリとしたカンジがします。
山口銀行旧名古屋支店
《城を築く》
1966年/約7×12m/施工:清水建設/素材:ガラス
山口銀行が名古屋に初出店するにあたって設置した、
名古屋城の築城に大きな役割を果たした加藤清正と
名古屋城のシンボルである鯱をモチーフにした大壁画。
(図録より)
この壁画、今見られるのかな? 見てみたい!
脇田和(1908-2005)
東京都生まれ。青山学院中等部中退後、15歳でドイツに渡る。17歳でベルリン国立美術学校に入学し、絵画や版画、七宝など、美術全般の技法を学ぶ。夏休みに訪れたナポリでモザイク壁画に感銘を受ける。1930年、同行より金メダルを授与され帰国。36年、小磯良平や猪熊源一郎と共に新制作派協会を設立。柔らかな色彩や抒情的な画風で知られ、具象・反具象を得意とする。59年より東京芸術大学で教鞭を執る。モザイク壁画は本項の2点に加え、旧国立競技場の《勝利の場》《飛転》《躍動》、東京會舘ローズルーム《ファンタジア》他がある。(図録より)
旧ホテルナゴヤキャッスル
《昼と夜の対話》
1956年/3×15m/制作:近代モザイク(小林窯業)/素材:ガラス、磁器質タイル
INAXライブミュージアムが譲り受けたモザイク壁画の一部が
展示されていました。やっぱりホンモノ(?)はスゴイというか、
モザイクタイルの素材感がすごくいい!
図録の裏表紙がこのモザイクの部分なんだけど、
美味しそうなスイーツの写真みたいに見える(^▽^;
左下にかつてのモザイク壁画全体の写真があるけど、
カラフルで素敵だったろうなぁ。
展示パネル左が、
名鉄グランドホテル
《鳥の対話》
1967年/2.7×6.93m/素材:御影石、ガラス
この壁画の写真、すごく私好み!
黒と金(に見えるけど黄?)がカッコイイ!!
「御影石を彫って鳥や草花を描き、象徴的に黄や赤のモザイクを施している」
とのこと。
パネル右が、
伊藤廉(1898-1983)
愛知県名古屋市出身。明治大学中退後、東京美術学校西洋画科卒業。在学中に二科展に入選。渡欧し、ジョルジュ・ルオーに師事。静謐な画風で知られる。教育にも力を注ぎ東京芸術大学で教鞭を執った後、愛知県立芸術大学の設立に尽力。『セザンヌ覚書』『絵の話』など著書も多い。(後略・図録より)
愛知県立芸術大学 管理棟
《太陽と鳥》
1969年/4.76×4.05m/制作:矢橋大理石商店/素材:大理石、ガラス
「土・どろんこ館」は、色鮮やかなモザイクタイルのトイレや、
日干し煉瓦の壁、左官職人のスゴ技で作られた壁など、
土の魅力を活かした建物も見どころなんだそうですが、
この時は、大人気の体験教室
「光るどろだんごづくり」が開催されていて、
親子連れでにぎわっていたので、企画展のみで出ました。
その隣の建物が「ものづくり工房」
ちょっと事務所か作業場っぽくて、ここ入っていいのかな?
なんて思いながらも入ると、
金のトイレがインパクト!
あ、これ、2020年に豊田市美術館で開催された
「岡﨑乾二郎 視覚のカイソウ」展で見たタイル!
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2020-03-08
ここで作られたのかな?
「岡﨑乾二郎 視覚のカイソウ」展 での展示風景
アートの島、香川県直島に2009年9月にできた
「直島銭湯『I♡湯(アイラブユ)』
大竹伸朗さんがデザイン・設計したタイル絵や絵付けトイレの
制作もここで行われたそう。
「やきもの工房」のコーナーでは、
やきものの原材料となる土についてや、
成形方法について
釉薬について
焼き上げについての説明パネルがありました。
同じ原料でも空気を十分に送り込みながら焼いたもの(酸化焼成)と、
空気をできるだけ絞って焼いたもの(還元焼成)では
色が全く違うんですね。
左が酸化焼成 右が還元焼成
「ものづくり工房」では、タイルやテラコッタの復元・再生に
取り組んでいるそう。
F.L.ライトが設計した帝国ホテル旧本館の
すだれ(スクラッチ)煉瓦とテラコッタを復元制作したとのこと。
INAXライブミュージアムのこと、まだ続きます!
「世界のタイル博物館」のことは次の記事でー
「世界のタイル博物館」にあったミュージアムショップで買った
『壮観!ナゴヤ・モザイク壁画時代』図録 550円(税込)
INAXライブミュージアム: https://livingculture.lixil.com/ilm/
INAXライブミュージアムへ行ってきたことの続きです。
総合受付のある「窯のある広場・資料館」と
「建築陶器のはじまり館」のことは前記事に
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2022-03-20
ここへ行こうと思ったチラシ
「ナゴヤモザイク壁画時代」
企画展は「土・どろんこ館」でやってるってことで
園内の道の前にある「止まれちゃん」
土・どろんこ館の企画展示室
「壮観! ナゴヤモザイク壁画時代」
写真撮影OK!
高度経済成長期、名古屋とその周辺ではさまざまなモザイク壁画による装飾文化が華ひらきました。(チラシ裏面の文)
1950年代後半~70年代の名古屋の主なモザイク壁画MAP
名古屋周辺のモザイク壁画って言えば、
矢橋六郎(1905-1988)
創業1901年、国会議事堂も手掛けた岐阜県大垣市の矢橋大理石商店(現・矢橋大理石)を営む矢橋家の六男として生まれた。東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科を卒業後、パリに留学。その経験がモザイクに生かされている。(中略)生涯で120を超えるモザイク壁画・装飾を手掛けている。(説明パネルより)
チラシ表面に使われているのは、愛知県庁西庁舎のモザイク壁画
《大樹》または《広がる愛知》
1964年/7.04×7.41m/制作:矢橋大理石商店/素材:大理石、ガラス、磁器質タイル
愛知県を大樹に見立てて、産業と平和を描いた壁画とのこと。
2019年に閉館になった中部日本ビルディング(旧中日ビル)の
天井画は迫力ありましたね。
《夜空の饗宴》
1966年/9.6×20.0m/制作:矢橋大理石商店/素材:大理石、ガラス、磁器質タイル
これが失われるのは惜しいなーって思ってたけど、
作品存続を望む多くの声に応え、24年春開業予定の新ビルに
一部を移設することが決定したとのこと。
会場入口のところに展示されていたのがこれの一部。
2018年10月に私が撮影した写真。
ついでに、その日撮影した名古屋市営地下鉄 矢場町駅の壁画
《生活》
1967年/56.06㎡(現在)/制作:矢橋大理石商店/素材:大理石
地下鉄矢場町駅から松坂屋への連絡通路にあり、図録の説明によると
「松坂屋が名古屋市に寄贈し、完成時は23面あったが、手すりやスロープなどの設置のため一部外され、現在は18面である。地下鉄通路の壁画は触れるように凹凸がなく、表面は滑らか。明るい色調で果物や人物などが楽しげに描かれている。」
北川民次(1894-1989)
メキシコ滞在中に当地の壁画運動を目のあたりにした北川民次
1936年42歳で帰国。疎開した瀬戸(愛知県)に移住し、洋画家、壁画家、児童美術の教育者として活動。
CBC会館
《芸術と平和》
1959年/7.12×14.72m/制作:矢橋大理石商店/素材:大理石
旧カゴメビル
《TOMATO》
1962年/3×15m/制作:近代モザイク(小林窯業)/素材:陶器質タイル
建て替えにより、取り外された壁画の一部が
INAXライブミュージアムに寄贈された。
うち3点が展示されていました。
壁画の断面が見えて興味深いです。
修復後の常設展示が計画されているそう。
瀬戸蔵(旧瀬戸市民会館より移設)
《陶土の山と採掘夫》《ロクロ場風景》《登り窯》
1959年/2.54×4m(移設後)/制作:近代モザイク(小林窯業)/素材:磁器質タイル
瀬戸のアトリエを構えて移住した北川は、製陶など市域の産業の
働く人々の姿を好んで描きました。
瀬戸市立図書館
《知識の勝利》《無知と英知》《勉学》
1970年/制作:霞仙製陶所/素材:陶板
古川秀昭(1944- )
岐阜県美術館の前館長 ってことくらいしか知りませんでしたが、
東京藝術大学絵画科油画卒業。大学では山口薫に学んだが、そこで壁画講師として来ていた矢橋と知り合い、矢橋のモザイク壁画制作に参加するようになった。(中略)助手として10年でおよそ20作品を手掛けた。(後略)
という古川個人の仕事
日本キリスト教団 名古屋中央教会
《三位一体・キリストの系図》
1971年/約3.2×10.3m/素材:大理石、磁器質タイル
展示パネル左側が、
安藤幹衛(1916-2011)
東邦高等学校 旧赤萩校舎
1964年/全面積200㎡/素材:ガラス
東邦高校が本館竣工を記念して、
地元の画家・安藤幹衛に制作を依頼して設置。
男子生徒へのメッセージとしてダイナミックなたくましい
躍動感を現したもの。
安藤幹衛、名古屋市営地下鉄・久屋大通駅ホームの
《人間賛歌》と題した壁画があります。
2019年1月の私のツイート
名古屋の地下鉄「久屋大通」駅の名城線にあった壁画《人間讃歌》制作:安藤幹衛 制作協力として、杉浦正美、永井忠雄 他、中部二科会の14名の名前がありました。朝見た日曜美術館「北川民次」を思い出すなあと見たら、やはり北川民次に師事された方なんですね。 pic.twitter.com/hU0bqKxYAT
— しーちゃん (@shizukozb) January 28, 2019
中村順平(1887-1977)
展示パネルが上手く写ってないですが、この人のモザイク壁画、
細かくキッチリとしたカンジがします。
山口銀行旧名古屋支店
《城を築く》
1966年/約7×12m/施工:清水建設/素材:ガラス
山口銀行が名古屋に初出店するにあたって設置した、
名古屋城の築城に大きな役割を果たした加藤清正と
名古屋城のシンボルである鯱をモチーフにした大壁画。
(図録より)
この壁画、今見られるのかな? 見てみたい!
脇田和(1908-2005)
東京都生まれ。青山学院中等部中退後、15歳でドイツに渡る。17歳でベルリン国立美術学校に入学し、絵画や版画、七宝など、美術全般の技法を学ぶ。夏休みに訪れたナポリでモザイク壁画に感銘を受ける。1930年、同行より金メダルを授与され帰国。36年、小磯良平や猪熊源一郎と共に新制作派協会を設立。柔らかな色彩や抒情的な画風で知られ、具象・反具象を得意とする。59年より東京芸術大学で教鞭を執る。モザイク壁画は本項の2点に加え、旧国立競技場の《勝利の場》《飛転》《躍動》、東京會舘ローズルーム《ファンタジア》他がある。(図録より)
旧ホテルナゴヤキャッスル
《昼と夜の対話》
1956年/3×15m/制作:近代モザイク(小林窯業)/素材:ガラス、磁器質タイル
INAXライブミュージアムが譲り受けたモザイク壁画の一部が
展示されていました。やっぱりホンモノ(?)はスゴイというか、
モザイクタイルの素材感がすごくいい!
図録の裏表紙がこのモザイクの部分なんだけど、
美味しそうなスイーツの写真みたいに見える(^▽^;
左下にかつてのモザイク壁画全体の写真があるけど、
カラフルで素敵だったろうなぁ。
展示パネル左が、
名鉄グランドホテル
《鳥の対話》
1967年/2.7×6.93m/素材:御影石、ガラス
この壁画の写真、すごく私好み!
黒と金(に見えるけど黄?)がカッコイイ!!
「御影石を彫って鳥や草花を描き、象徴的に黄や赤のモザイクを施している」
とのこと。
パネル右が、
伊藤廉(1898-1983)
愛知県名古屋市出身。明治大学中退後、東京美術学校西洋画科卒業。在学中に二科展に入選。渡欧し、ジョルジュ・ルオーに師事。静謐な画風で知られる。教育にも力を注ぎ東京芸術大学で教鞭を執った後、愛知県立芸術大学の設立に尽力。『セザンヌ覚書』『絵の話』など著書も多い。(後略・図録より)
愛知県立芸術大学 管理棟
《太陽と鳥》
1969年/4.76×4.05m/制作:矢橋大理石商店/素材:大理石、ガラス
「土・どろんこ館」は、色鮮やかなモザイクタイルのトイレや、
日干し煉瓦の壁、左官職人のスゴ技で作られた壁など、
土の魅力を活かした建物も見どころなんだそうですが、
この時は、大人気の体験教室
「光るどろだんごづくり」が開催されていて、
親子連れでにぎわっていたので、企画展のみで出ました。
その隣の建物が「ものづくり工房」
ちょっと事務所か作業場っぽくて、ここ入っていいのかな?
なんて思いながらも入ると、
金のトイレがインパクト!
あ、これ、2020年に豊田市美術館で開催された
「岡﨑乾二郎 視覚のカイソウ」展で見たタイル!
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2020-03-08
ここで作られたのかな?
「岡﨑乾二郎 視覚のカイソウ」展 での展示風景
アートの島、香川県直島に2009年9月にできた
「直島銭湯『I♡湯(アイラブユ)』
大竹伸朗さんがデザイン・設計したタイル絵や絵付けトイレの
制作もここで行われたそう。
「やきもの工房」のコーナーでは、
やきものの原材料となる土についてや、
成形方法について
釉薬について
焼き上げについての説明パネルがありました。
同じ原料でも空気を十分に送り込みながら焼いたもの(酸化焼成)と、
空気をできるだけ絞って焼いたもの(還元焼成)では
色が全く違うんですね。
左が酸化焼成 右が還元焼成
「ものづくり工房」では、タイルやテラコッタの復元・再生に
取り組んでいるそう。
F.L.ライトが設計した帝国ホテル旧本館の
すだれ(スクラッチ)煉瓦とテラコッタを復元制作したとのこと。
INAXライブミュージアムのこと、まだ続きます!
「世界のタイル博物館」のことは次の記事でー
「世界のタイル博物館」にあったミュージアムショップで買った
『壮観!ナゴヤ・モザイク壁画時代』図録 550円(税込)
INAXライブミュージアム: https://livingculture.lixil.com/ilm/
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