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ヤマザキマザック美術館 5階の常設展示 [美術]

7月9日(日)に、ヤマザキマザック美術館へ行き、
八幡はるみ GARDEN」を見たことは前記事
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-08-06

続いて5階の常設展示を見たことを書いていたんですが、
長くなりそうだったので、4階の八幡はるみ展だけの
記事をアップしました。続きです。

ヤマザキマザック美術館の5階の赤い壁紙の部屋、
もう、絵の配置も覚えちゃいましたが、何度来ても
ここの展示室、大好き!!

今回、鑑賞者がほとんどいなかったこともあって、
あらためて私のお気に入りの絵の写真撮ってきちゃいました(^^)v
(今までも何度かブログにアップしたことがあるんですが)

すごく貴重な絵画にもかかわらず、額装に
ガラス板やアクリル板がないので、写り込みがなくて、
筆のタッチなどの細かい部分までキレイに見られます!


ジャン=バティスト・パテル《野営》
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当時の軍隊は、料理人や洗濯人、娼婦なども引き連れた大所帯で
移動したとのことで、大鍋で料理する人と子供たち、
女性に言い寄る若い男、ダンスするカップルなど、
軍隊とは思えない陽気な雰囲気です。

ジャン=バティスト・パテル《行軍》
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《野営》が夕方の情景だったのに対し、こちらは朝で、
軍装を整えて出発する場面。女性たちに別れを告げています。


ニコラ・ランクレ《からかい》1736年
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ルイ15世の王妃マリー・レグザンスカの居室のために
注文された絵画の一つだそう。信心深い王妃の私室にも
こんな、当時流行の他愛のない牧歌的な主題の風俗画が飾られていたと。


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ジャン・アントワーヌ・ヴァトー《夏の木陰》1715年頃
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「雅宴画」というジャンルを生み出したヴァトー。
「フランス絵画の父と称され、
「ルーヴル美術館が火事になったら真っ先に持ち出すのはヴァトーの絵」
と言われるほどだそう。
(ブログに感想が書けてないけど)2017年に開催された
「よそおいの200年」展で、この絵が描かれた1715年は、
ルイ14世が逝去し、15世が即位した年で、この絵の
中央に描かれた女性は、当時流行の低めで小さな髪形をしていて、
右手暗がりの女性の髪形はルイ14世時代に流行した
高く盛りあげたフォンタンジュ・スタイル。
つまり、この絵から権力の交替を読み取ることができると。
テーブルのボタンを押すと、
ヤマザキマザック株式会社の工作機械で作られた拡大鏡が上がってきて、
絵の細部まで見ることができます。


ジャン=マルク・ナティエ《狩りの衣を着たマイイ伯爵夫人》1743年
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ルイ15世の公認寵姫であったマイイ夫人を
狩りの女神ディアナに扮した姿で描いた「神話風肖像画」


ニコラ・ド・ラルジリエール《ジャッソ夫人とふたりの子供》1707年
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パリの裕福な布地商人の家に生まれ、貴族のもとに嫁いだジャッソ夫人。
高く盛り上げた髪型は、ルイ14世の愛妾フォンタンジュ公爵夫人が
考案した「フォンタンジュ・スタイル」
ルイ14世、15世の時代の裕福なブルジョワジーに人気の
肖像画家だったラルジリエール。画料がとくに高額だったため、
富裕層しか肖像画を依頼できなかったそう。


ウジェーヌ・ドラクロワ《シビュラと黄金の小枝》1838年(サロン出品1845年)
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ウェルギリウスの『アエネイス』の一場面で、
トロイアの王子アエネアスが冥界に下るための
黄金の小枝を、アポロンの巫女シビュラが指し示しているところ。



エリザベト・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン《エカチェリーナ・フェオドロヴナ・ドルゴロウキー皇女》1797年頃
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マリー・アントワネットの宮廷画家だったヴィジェ=ルブラン
(漫画「ベルサイユのばら」にも登場しますね)
フランス革命後は亡命を余儀なくされるが、
各地の社交界で肖像画を描いて結構優雅な生活だったらしい(たくましい!)
ロシア滞在時に描いたこの肖像画の報酬は、素晴らしい四輪馬車と、
「ときめく者を飾れ」とダイヤモンドで刻まれたブレスレットだったとのこと。


エリザベト・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン《リラを弾く女性》1804年
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フランス革命後、1790年から1800年には、古代ギリシアの内衣キトンのような、
シンプルなシュミーズ風のガウンが流行します。流行はその後イギリス、
ロシアなどヨーロッパ中にひろがっていきます。
ルブランは1802年にフランスに帰国するが、ナポレオン統治下の
パリの雰囲気が気に入らず、翌年から05年にはイギリスに滞在。
この絵はイギリス滞在中に制作されました。
リラを弾くギリシャ風の女性は女流詩人サッフォーをイメージさせます。
ちなみに、ナポレオンの帝政が始まると、フランス宮廷では、再び
サテンや刺繍を用いた、しっかりした布地のドレスや
豪華な宝飾品の流行が戻ってきたとのこと。


ジャン・オノレ・フラゴナール《キューピッドのささやき》1776-77年
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胸をはだけた女性は、古代ギリシャの女性詩人サッフォーで、
愛神キューピッドが背後からささやいて、
創造のインスピレーションを与える場面。



ユベール・ロベール《メレヴィル庭園の眺め》
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これは自然風に作られた庭園の景色。
ユペール・ロベールは、イタリア留学で制作した下描きをもとに、
古代遺跡の廃墟のあるイタリアの景観や、フランスの景観、
廃墟のあるカプリッチョ(空想の構成画)、同時代の有名な庭園などを
描いて「廃墟のロベール」と名声を築きます。

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そして、ヤマザキマザック美術館を代表する
フランソワ・ブーシェ《アウロラとケファロス》1745年頃
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ルイ15世の寵姫ポンパドゥール侯爵夫人旧蔵と伝わる
2375×2590mmの大きな絵!
暁の女神アウロラが黄金色に輝く凱旋車から身を乗り出して、
猟師の若者ケファロスを誘惑する場面。
アウロラの髪形は、前髪を巻き上げて頭頂部でまとめた
「ポンパドゥール巻き」をしているそう。

隣には、フランソワ・ブーシェ《恋文》1745年
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黄色の壁紙の部屋には、印象派とそれ以降の
マルケやヴラマンク、ドニ、セリュジェなどの絵が展示されています。

中央の絵は、ギュスターヴ・クールベ《波、夕暮れにうねる海》1869年
左右の彫刻は、ピエール=オーギュスト・ルノワール
《母の愛、あるいは息子ピエールに授乳するルノワール夫人》の
テラコッタ作品と、ブロンズ作品
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アルベール・マルケ
左《サン=ジャン=ド=リュズの港》1927年
右上《税関前の艦船》1942-43年
右下《ラ・ショームの家並み》1921年
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マルケは、ヤマザキマザック美術館の前回の企画展
パリに生きた画家たち
 マルケ、ユトリロ、佐伯祐三、荻須高徳が見た風景」展で、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-02-15
ヤマザキマザック美術館が所蔵する《パリ、ルーヴル河岸》や、
他館のパリの街を描いた絵が並んでて、私それまで
マルケって知らないなーなんて思ってたけど、この3点の絵、
マルケだったんだ!

《サン=ジャン=ド=リュズの港》私ずっといいなって見てたのにww
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ギュスターヴ・モローの教室で、ルオーやマティスなどと共に学んだマルケ。
マティスとは生涯の友で、マルケも野獣派(フォーヴィスム)に
分類される画家とのことですが、大胆なタッチで描かれているけど、
水の揺らめきの描写がとても気持ちのいい絵だなって。


モーリス・ドニ《聖母月》1907年
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キリスト教暦でいう聖母月とは5月のことで、
5月31日は聖母マリアの祝日となっているそう。
白い衣装の聖母子を祝うために白い衣装の女性たちが集まっています。
木には白い花がたくさん咲いていて、ロマンティックな雰囲気。
ドニはナビ派の画家として、絵画理論も多く発表しているが、
聖書を題材とした絵も多く、聖書の画家と呼ばれているそうですね。

青い壁紙の部屋には、ヴァン・ドンゲンやユトリロ、
モディリアーニ、キスリング、シャイム・スーチンなどが、

最後の青い壁紙の部屋には、ピカソやラウル・デュフィ、
ポール・デルヴォーなどの絵が展示されています。

ヤマザキマザック美術館: https://www.mazak-art.com/ の、
所蔵作品検索のページや、
(とても詳しく説明されているし、画像も大きくていいです)

2017年4月22日(土)~8月27日(日)に開催された企画展
「もっと知りたい名画の世界 よそおいの200年」の図録を
Mazak-art2017-(1).jpg
参考にさせてもらいました。
Mazak-art2017-(2).jpg

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