愛知県美術館「幻の愛知県博物館」 [美術]
8月13日(日)、愛知県美術館へ行きました。
「幻の愛知県博物館」という企画展をやっています。
正直、私、愛知県美術館友の会に入ってなかったら
見に行かなかったかも。
「140年前の大須には、
《どえりゃあ》博物館があった」と言われても‥‥
博物館っぽい展示があまり興味がないというか、
見るのに疲れそうだしぃ~
でも、せっかく無料で(年会費は払ってるけど)
見られるのだからと(ハイ、私はかなりのおケチです(^^;
会期も終わり近くになったので、猛暑の中を出かけました。
まぁ、猛暑は我が家から名鉄の駅までの間が大変だけど、
愛知県美術館のある愛知芸術文化センターは、
地下鉄「栄」駅からすぐだし、
美術館の展示室は長くいると寒いくらい(はい、私は
美術館のプロ?なので、ちゃんと上衣持ってってます!
今回はロビーから真っ直ぐ進んだ先に企画展の入口があります。
入口前にででーん!!と鎮座するのが
名古屋と言えば、の金鯱!!
実物大に作られて(塗装、発泡スチロール)いるそう。
受付で友の会会員証を提示すると、チケットと、
来場記念カードがもらえました。
展示物にちなんだ日替り51種類+レア4種類のうちから
先着順でもらえるとのこと。
展示はほとんどが撮影可ですが、撮影不可のもの
撮影可だがネット掲載不可のものがありました。
まずは、Ⅰ章 旅する金鯱
1 「無用の長物」、世界を巡る
明治維新で、名古屋城は陸軍の兵舎となり、鯱は
「無用の長物」として天守から降ろされます。
金鯱がない名古屋城の写真と、
1872(明治5)年に湯島聖堂で開催された博覧会の目玉として、
ガラス箱の中に納まっているのが名古屋城から降ろされた金鯱のオス
(この記念撮影写真の中央の白髪白髭の男性は、
名古屋の本草学者・伊藤圭介とのこと)
その後、日本各地を巡回します。
金鯱のメスはウィーン万博(1873)に出品されます。
出品作を積んだ船が帰国途中に沈没してしまったんですが、
金鯱は重すぎて次の船になったために助かったと。
このあたりのこと、
ヤマザキマザック美術館「名古屋城からはじまる植物物語」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-07-18
で知りました。湯島聖堂の博覧会の浮世絵
昇斎一景《元ト昌平阪聖堂ニ於テ博覧会図》も展示されていたなぁ。
2 博物館とは、何するところ?
あ、この「医学館薬品会」の様子も
「名古屋城からはじまる植物物語」展で見た!
この絵に描かれている木で作られた骸骨の頭部が、
ガラスケースに展示されているものだそう。
池内某《奥田木骨(頭部)》1820(文政3)年頃 名古屋市博物館
友の会特別鑑賞会での、展覧会を準備した副田一穂学芸員の解説が
動画配信されてきて、とても熱く楽しく語っていらっしゃいましたが、
その中で、名古屋市博物館にこのガイコツの全身があるのだから
貸してほしいと言ったら、骨の1本1本がバラバラに外れるようになっていて、
組み立てがものすごく大変だから、やめといたほうがいいとのことで、
頭部だけの展示になったそう。
3 鯱の行方――名古屋城は誰のもの?
山田猪三郎《名古屋金城及名所図》1895(明治28)年
名古屋城や熱田神宮、大須観音に、愛知博物館も載ってる!
明治維新後、陸軍の兵舎となっていた名古屋城ですが、
天守はいらないし、維持が大変とのことで、
1893(明治26)年、本丸は宮内省に移管され、名古屋離宮となる。
1930(昭和5)年、宮内省から名古屋市に下賜
名古屋城は、当時の国宝保存法に基づいて、国宝に指定される
1931(昭和6)年、名古屋市は城を一般公開する
名古屋離宮だった頃に、お濠ごしに望遠鏡で
城を見ている絵葉書があったのが面白かった。
1931年までは、一般人は名古屋城に入れなかったんですね。
絵葉書「第十回関西府県連合共進会」1910(明治43)年
鶴舞公園で開催された「第10回関西府県連合共進会」
この博覧会のために鶴舞公園が整備され、この時に建てられた
噴水塔は当時のまま、奏楽堂は老朽化のため建て替えられたが、
1997(平成9)年に当初の形に復元されたとのこと。
わー、すごい建物!ってちょっと驚いたんですが、
ほとんどがハリボテだったとか。
(まぁ、現在の博覧会のパビリオンなんかもそうですものね)
壁に掛かっているのは、
川瀬巴水《東海道風景選集 名古屋城》1932(昭和7)年
この間、7月30日(日)に松坂屋美術館「川瀬巴水」展の
最終日に駆け込みで見てきたとこですが
「浮世絵復興の立役者による
穏やかな夏の名古屋城。」(キャプションに付けられたコピー)
この展覧会、キャプションに付けられたコピーが
わかりやすく的確だったり、ちょっとユーモアも感じられて
とても良かった。
展示台には、モダンな建物が写った絵葉書が並んでました。
「御大典奉祝名古屋博覧会」1928(昭和3)年 や、
「名古屋汎太平洋平和博覧会」1937(昭和12)年 など
博覧会が開催されて様々なモノを見せたりしてたんですね。
私がもらった入場記念カードの絵が、
「名古屋汎太平洋平和博覧会」のポスター。
昭和12年に「平和」って銘打ってるのが、ちょっと感慨深い。
二の丸、三の丸は陸軍の演習に使われていて、
名古屋城が描かれた防空演習のポスターなども展示されていました。
この皿は、日本陶器株式会社《名古屋防空演習記念絵皿》1929(昭和4)年
「オールドノリタケの絵皿で
防空演習は高まった?」
そして、とうとう1945(昭和20)年、空襲で名古屋城は焼失します。
鴨居玲が描いた
《昭和20年5月14日Nagoya(天守閣の燃えた日)》1985(昭和60)年
という油彩画がありました。(ネット不可)
これは、焼け残った金鯱鱗
「空襲の爆風で吹き飛ばされた鱗。
オリジナルの鯱の一部で貴重。」
焼け落ちた金鯱で作ったという
《丸八文様鯱還付真形釜》1969(昭和44)年 も
隣に展示してありました。
(チラシ裏面に写真あります)
さて、いよいよ、Ⅱ章 幻の愛知県博物館
1 愛知県博物館、開館!
小田切春江《明治十一年 愛知県博覧会独案内》1978(明治11)年
「博物館落成記念の大博覧会。
事業を志す者は
決して見逃すべからず。」
これが大須にあったという愛知県博物館。
金鯱も展示されているし、サンショウウオのいる池、
植物園や、動物館などもある!
1878(明治11)年に県が民間からの寄附金を集めて建てた博物館は、古く貴重な文物から味噌や醤油、酒、木材、織物、陶磁器、絵画、機械、動植物等々、国内外のあらゆる物産を集め、人々の知識を増やして技術の発展を促そうとしました。
(チラシ裏面の文より)
この頃の愛知県博物館の写真はこの門のところしか
見つからなかったと。(右)
2 商品陳列館の敏腕館長
おぉ! カッコイイ建物!! これが愛知県博物館の跡に建てられた
「愛知県商品陳列館」中村写真館の1941(明治44)年の写真
館長の山口貴雄は、産業に役立つようにと、
世界中から手本となるような商品を集めて展示したり、
図案を作ったり募集したり、
統計資料をわかりやすいように図式化したりと、
いろいろな試みをしているのだそう。
デザインに興味のある私にはこんな図案の展示が面白かった。
ジョージ・パーシヴァル・ベイカー編
『17-18世紀東インドにおけるキャラコ図案とプリント』1921(大正10)年
染付皿図案と、伊東四郎左衛門宛 褒章授与之証
図案に基づいて、瀬戸の窯元で実際に製作されたそう。
中でもこの絵葉書のデザイン、素敵!!
世紀末ウィーンのグラフィック、ってカンジ!!
絵葉書「名古屋俘虜収容所俘虜製作作品展覧会」1919(大正8)年
第一次世界大戦のドイツ人俘虜は、
(第二次世界大戦での俘虜と違い)結構拘束もゆるくて、
市民との交流もしていたと。
当時の日本にとって、ドイツは先進国
敷島製パン(パスコ)で技術を教えたりしたそう。
絵葉書「名古屋衛生博覧会記念絵葉書」1932(昭和7)年
建物がモダンで面白いなぁ。余興?の踊りもある。
3 美術館が欲しい!──画家たちの展示場所
愛知県博物館では、美術品の展示も行われました。
愛知県商品陳列館で1917(大正6)年2月10日~12日に
開催された(わずか3日間?!)
岸田劉生ら草土社のメンバーの展覧会は、
名古屋の若い画家に強い印象を与えました。
【参考写真】渡辺写真館「草土社名古屋展覧会 会場風景」
そして大澤鉦一郎がリーダーとなり、
萬代比佐志、森馨之助、鵜城繁、藤井外喜雄、
山田睦三郎、宮脇晴 の7人で愛美社が結成されます。
「愛美社油絵素描展覧会目録」1919(大正8)年
「愛美社リーダーの大沢鉦一郎、
劉生にライバル意識を
バチバチ燃やす。」
愛知県商品陳列館で、大正8年3月21日~25日に開催されています。
(こちらも会期はわずか5日間)
「サンサシオン第4回展会場にて集合写真」1926(大正15)年
4 陳列所の展開と、もう一つの博物館
わーなんかレトロな建物で、明り取りの窓のデザインとか、
オシャレでちょっとカワイイ!
【参考写真】【重要文化財(建造物)】旧額田郡物産陳列所
1913(大正2)年竣工
昭和36年に今の岡崎市朝日町に移され、
岡崎市郷土館、同収蔵庫棟として利用されたが、
耐震性能の不足から現在は使われていないそう。
あ、この展示、私の博物館のイメージに近い!
愛知県立明倫中学校付属博物館旧蔵の、
動物の頭骨標本
「寄贈者は解剖学者・奈良坂源一郎、
愛知医学校の名物教諭で
愛知教育博物館設立の立役者」
植物の腊葉(さくよう)標本
「今に伝わる百点の押し葉標本、
伊藤圭介の孫や、田中芳男の名も見える。」
これらの標本の所蔵が「学習院中・高等科」ってなっているのは、
関東大震災で学習院の標本が失われた後に譲られたからとのこと。
Ⅲ章 ものづくり愛知の力
1 朝日遺跡──ヒトとモノが行き交う市
あいち朝日遺跡ミュージアム所蔵の
朝日遺跡から出土した土器や木製農具などが展示されていました。
《円窓付土器》弥生時代
「大きな窓付き土器は、
朝日遺跡の特産品。
何のための窓かは、大きな謎。」
《赤彩土器》弥生時代
「尾張地域独特の赤い土器。
壺、高杯、器台などかたちは多彩、
文様パターンもいろいろ。」
2 ミツカン──江戸の寿司を変えた粕酢
酢の輸送を樽から常滑焼の壺にしたら、
樽は帰りにバラせるが、壺はできないし重いので、
かえって輸送効率は落ちてしまったとか。
3 ガラガラ音が、三河に響く──ガラ紡の普及と養蚕奨励
蚕の繭が品種改良でずいぶん大きくなっていったのが
印象的でした。
4 売れ線陶器に学ぶ──産総研のドイツ参考品
実はこのあたりの展示、かなり疲れてきてあまり見てなかったんですが、
これらの、ドイツ陶器の展示、すごくカワイイ!!
明治の超絶技巧的なゴテゴテ陶磁器が飽きられてきて、
どのようなものを作ったらいいか参考にと、
ドイツで一般に売られていたものを買い付けてきたんだそう。
1931(昭和6)年収集
「海外市場で勝負するには、
軽くて丈夫な陶器じゃないと。
欧米の流行品を調査せよ! 」
国立陶磁器試験所/沼田一雅原型
《蛸置物》と《ホウボウ置物》1937(昭和12)年
「工芸か、はたまた彫刻か。
沼田の陶彫は帝展でも議論に。」
「陶磁器の超区は、
ヨーロッパでは一大ジャンル。」
国立陶磁器試験所/沼田一雅原型
《平野耕輔像》1937(昭和12)年
「ロダンとも交流した
陶彫家・沼田一雅が作る
所長の像。」
国立陶磁器試験所瀬戸試験場
瀬戸周辺で試掘されて陶土・窯業原料試料
私には中に入っている試料のことはわからないけど、
この風格のある棚の雰囲気がいいなと(^^;
5 ファンデーションを支える──奥三河の絹雲母
全く知らなかったけど、
「北設楽の粟代(あわしろ)鉱業所で採掘する
高純度の絹雲母は、
世界的にも希少。」で、
「世界中の化粧品に用いられる、
ファンデーションの主原料。」
なんだそう。
一昔前の鉱山のようなところで採掘されているんですね。
鈴木孝幸《self-40 掘るから》 という映像が
上映されていましたが、長そうなので、よく見ませんでした。
なんか思ったより楽しかった!
まずは翻弄される金鯱に思いをはせ、
愛知県博物館のなんでもありの楽しそうな園内、
愛知県商品陳列館、とても立派な建物で驚いた。
鶴舞公園などで開催された博覧会のパビリオンのデザインとか、
興味深かったし、ドイツ人俘虜との交流とか、
ドイツで買い付けてきたという陶器もカワイイ。
でも、やっぱり博物館的な展示は文字を読むのに
だんだん疲れてきて、途中から後で図録買ってゆっくり読もう
と思ってショップに行くと、まさかの、
図録は8月下旬の発行になると! Σ(゚д゚lll)ガーン
なので、ブログの記事を書くのは、図録読んでからの方が
いいかなとも思ったけど‥‥
ショップで売られていた金鯱や名古屋城のキーホルダーとか、
名古屋のお土産がまた面白かった!!
金鯱キーホルダー、迷ってやめたけど、
やっぱり買ってこれば良かったかなー(^^;
こちらのしゃちほこビスケット380円(税込)と、
金鯱のパックに入った「豆でなも」648円(税込)
(このあたりの言葉で「お元気でね」って意味にかけてますね)
を購入。「豆でなも」は、
八丁味噌カシューナッツと、えびしおアーモンドの2種類入り
美味しかった!!
皿に出ているのは、えびしおアーモンド
八丁味噌カシューナッツが美味しかったんだけど、
写真撮る前に食べちゃった(^^;;
あ、もちろん愛知県美術館のコレクション展も見ましたよ。
いつもながらの盛り沢山なので、次の記事で書くつもり。
(また時間かかりそうだけど)
愛知県美術館: https://www-art.aac.pref.aichi.jp/
「幻の愛知県博物館」という企画展をやっています。
正直、私、愛知県美術館友の会に入ってなかったら
見に行かなかったかも。
「140年前の大須には、
《どえりゃあ》博物館があった」と言われても‥‥
博物館っぽい展示があまり興味がないというか、
見るのに疲れそうだしぃ~
でも、せっかく無料で(年会費は払ってるけど)
見られるのだからと(ハイ、私はかなりのおケチです(^^;
会期も終わり近くになったので、猛暑の中を出かけました。
まぁ、猛暑は我が家から名鉄の駅までの間が大変だけど、
愛知県美術館のある愛知芸術文化センターは、
地下鉄「栄」駅からすぐだし、
美術館の展示室は長くいると寒いくらい(はい、私は
美術館のプロ?なので、ちゃんと上衣持ってってます!
今回はロビーから真っ直ぐ進んだ先に企画展の入口があります。
入口前にででーん!!と鎮座するのが
名古屋と言えば、の金鯱!!
実物大に作られて(塗装、発泡スチロール)いるそう。
受付で友の会会員証を提示すると、チケットと、
来場記念カードがもらえました。
展示物にちなんだ日替り51種類+レア4種類のうちから
先着順でもらえるとのこと。
展示はほとんどが撮影可ですが、撮影不可のもの
撮影可だがネット掲載不可のものがありました。
まずは、Ⅰ章 旅する金鯱
1 「無用の長物」、世界を巡る
明治維新で、名古屋城は陸軍の兵舎となり、鯱は
「無用の長物」として天守から降ろされます。
金鯱がない名古屋城の写真と、
1872(明治5)年に湯島聖堂で開催された博覧会の目玉として、
ガラス箱の中に納まっているのが名古屋城から降ろされた金鯱のオス
(この記念撮影写真の中央の白髪白髭の男性は、
名古屋の本草学者・伊藤圭介とのこと)
その後、日本各地を巡回します。
金鯱のメスはウィーン万博(1873)に出品されます。
出品作を積んだ船が帰国途中に沈没してしまったんですが、
金鯱は重すぎて次の船になったために助かったと。
このあたりのこと、
ヤマザキマザック美術館「名古屋城からはじまる植物物語」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-07-18
で知りました。湯島聖堂の博覧会の浮世絵
昇斎一景《元ト昌平阪聖堂ニ於テ博覧会図》も展示されていたなぁ。
2 博物館とは、何するところ?
あ、この「医学館薬品会」の様子も
「名古屋城からはじまる植物物語」展で見た!
この絵に描かれている木で作られた骸骨の頭部が、
ガラスケースに展示されているものだそう。
池内某《奥田木骨(頭部)》1820(文政3)年頃 名古屋市博物館
友の会特別鑑賞会での、展覧会を準備した副田一穂学芸員の解説が
動画配信されてきて、とても熱く楽しく語っていらっしゃいましたが、
その中で、名古屋市博物館にこのガイコツの全身があるのだから
貸してほしいと言ったら、骨の1本1本がバラバラに外れるようになっていて、
組み立てがものすごく大変だから、やめといたほうがいいとのことで、
頭部だけの展示になったそう。
3 鯱の行方――名古屋城は誰のもの?
山田猪三郎《名古屋金城及名所図》1895(明治28)年
名古屋城や熱田神宮、大須観音に、愛知博物館も載ってる!
明治維新後、陸軍の兵舎となっていた名古屋城ですが、
天守はいらないし、維持が大変とのことで、
1893(明治26)年、本丸は宮内省に移管され、名古屋離宮となる。
1930(昭和5)年、宮内省から名古屋市に下賜
名古屋城は、当時の国宝保存法に基づいて、国宝に指定される
1931(昭和6)年、名古屋市は城を一般公開する
名古屋離宮だった頃に、お濠ごしに望遠鏡で
城を見ている絵葉書があったのが面白かった。
1931年までは、一般人は名古屋城に入れなかったんですね。
絵葉書「第十回関西府県連合共進会」1910(明治43)年
鶴舞公園で開催された「第10回関西府県連合共進会」
この博覧会のために鶴舞公園が整備され、この時に建てられた
噴水塔は当時のまま、奏楽堂は老朽化のため建て替えられたが、
1997(平成9)年に当初の形に復元されたとのこと。
わー、すごい建物!ってちょっと驚いたんですが、
ほとんどがハリボテだったとか。
(まぁ、現在の博覧会のパビリオンなんかもそうですものね)
壁に掛かっているのは、
川瀬巴水《東海道風景選集 名古屋城》1932(昭和7)年
この間、7月30日(日)に松坂屋美術館「川瀬巴水」展の
最終日に駆け込みで見てきたとこですが
「浮世絵復興の立役者による
穏やかな夏の名古屋城。」(キャプションに付けられたコピー)
この展覧会、キャプションに付けられたコピーが
わかりやすく的確だったり、ちょっとユーモアも感じられて
とても良かった。
展示台には、モダンな建物が写った絵葉書が並んでました。
「御大典奉祝名古屋博覧会」1928(昭和3)年 や、
「名古屋汎太平洋平和博覧会」1937(昭和12)年 など
博覧会が開催されて様々なモノを見せたりしてたんですね。
私がもらった入場記念カードの絵が、
「名古屋汎太平洋平和博覧会」のポスター。
昭和12年に「平和」って銘打ってるのが、ちょっと感慨深い。
二の丸、三の丸は陸軍の演習に使われていて、
名古屋城が描かれた防空演習のポスターなども展示されていました。
この皿は、日本陶器株式会社《名古屋防空演習記念絵皿》1929(昭和4)年
「オールドノリタケの絵皿で
防空演習は高まった?」
そして、とうとう1945(昭和20)年、空襲で名古屋城は焼失します。
鴨居玲が描いた
《昭和20年5月14日Nagoya(天守閣の燃えた日)》1985(昭和60)年
という油彩画がありました。(ネット不可)
これは、焼け残った金鯱鱗
「空襲の爆風で吹き飛ばされた鱗。
オリジナルの鯱の一部で貴重。」
焼け落ちた金鯱で作ったという
《丸八文様鯱還付真形釜》1969(昭和44)年 も
隣に展示してありました。
(チラシ裏面に写真あります)
さて、いよいよ、Ⅱ章 幻の愛知県博物館
1 愛知県博物館、開館!
小田切春江《明治十一年 愛知県博覧会独案内》1978(明治11)年
「博物館落成記念の大博覧会。
事業を志す者は
決して見逃すべからず。」
これが大須にあったという愛知県博物館。
金鯱も展示されているし、サンショウウオのいる池、
植物園や、動物館などもある!
1878(明治11)年に県が民間からの寄附金を集めて建てた博物館は、古く貴重な文物から味噌や醤油、酒、木材、織物、陶磁器、絵画、機械、動植物等々、国内外のあらゆる物産を集め、人々の知識を増やして技術の発展を促そうとしました。
(チラシ裏面の文より)
この頃の愛知県博物館の写真はこの門のところしか
見つからなかったと。(右)
2 商品陳列館の敏腕館長
おぉ! カッコイイ建物!! これが愛知県博物館の跡に建てられた
「愛知県商品陳列館」中村写真館の1941(明治44)年の写真
館長の山口貴雄は、産業に役立つようにと、
世界中から手本となるような商品を集めて展示したり、
図案を作ったり募集したり、
統計資料をわかりやすいように図式化したりと、
いろいろな試みをしているのだそう。
デザインに興味のある私にはこんな図案の展示が面白かった。
ジョージ・パーシヴァル・ベイカー編
『17-18世紀東インドにおけるキャラコ図案とプリント』1921(大正10)年
染付皿図案と、伊東四郎左衛門宛 褒章授与之証
図案に基づいて、瀬戸の窯元で実際に製作されたそう。
中でもこの絵葉書のデザイン、素敵!!
世紀末ウィーンのグラフィック、ってカンジ!!
絵葉書「名古屋俘虜収容所俘虜製作作品展覧会」1919(大正8)年
第一次世界大戦のドイツ人俘虜は、
(第二次世界大戦での俘虜と違い)結構拘束もゆるくて、
市民との交流もしていたと。
当時の日本にとって、ドイツは先進国
敷島製パン(パスコ)で技術を教えたりしたそう。
絵葉書「名古屋衛生博覧会記念絵葉書」1932(昭和7)年
建物がモダンで面白いなぁ。余興?の踊りもある。
3 美術館が欲しい!──画家たちの展示場所
愛知県博物館では、美術品の展示も行われました。
愛知県商品陳列館で1917(大正6)年2月10日~12日に
開催された(わずか3日間?!)
岸田劉生ら草土社のメンバーの展覧会は、
名古屋の若い画家に強い印象を与えました。
【参考写真】渡辺写真館「草土社名古屋展覧会 会場風景」
そして大澤鉦一郎がリーダーとなり、
萬代比佐志、森馨之助、鵜城繁、藤井外喜雄、
山田睦三郎、宮脇晴 の7人で愛美社が結成されます。
「愛美社油絵素描展覧会目録」1919(大正8)年
「愛美社リーダーの大沢鉦一郎、
劉生にライバル意識を
バチバチ燃やす。」
愛知県商品陳列館で、大正8年3月21日~25日に開催されています。
(こちらも会期はわずか5日間)
「サンサシオン第4回展会場にて集合写真」1926(大正15)年
4 陳列所の展開と、もう一つの博物館
わーなんかレトロな建物で、明り取りの窓のデザインとか、
オシャレでちょっとカワイイ!
【参考写真】【重要文化財(建造物)】旧額田郡物産陳列所
1913(大正2)年竣工
昭和36年に今の岡崎市朝日町に移され、
岡崎市郷土館、同収蔵庫棟として利用されたが、
耐震性能の不足から現在は使われていないそう。
あ、この展示、私の博物館のイメージに近い!
愛知県立明倫中学校付属博物館旧蔵の、
動物の頭骨標本
「寄贈者は解剖学者・奈良坂源一郎、
愛知医学校の名物教諭で
愛知教育博物館設立の立役者」
植物の腊葉(さくよう)標本
「今に伝わる百点の押し葉標本、
伊藤圭介の孫や、田中芳男の名も見える。」
これらの標本の所蔵が「学習院中・高等科」ってなっているのは、
関東大震災で学習院の標本が失われた後に譲られたからとのこと。
Ⅲ章 ものづくり愛知の力
1 朝日遺跡──ヒトとモノが行き交う市
あいち朝日遺跡ミュージアム所蔵の
朝日遺跡から出土した土器や木製農具などが展示されていました。
《円窓付土器》弥生時代
「大きな窓付き土器は、
朝日遺跡の特産品。
何のための窓かは、大きな謎。」
《赤彩土器》弥生時代
「尾張地域独特の赤い土器。
壺、高杯、器台などかたちは多彩、
文様パターンもいろいろ。」
2 ミツカン──江戸の寿司を変えた粕酢
酢の輸送を樽から常滑焼の壺にしたら、
樽は帰りにバラせるが、壺はできないし重いので、
かえって輸送効率は落ちてしまったとか。
3 ガラガラ音が、三河に響く──ガラ紡の普及と養蚕奨励
蚕の繭が品種改良でずいぶん大きくなっていったのが
印象的でした。
4 売れ線陶器に学ぶ──産総研のドイツ参考品
実はこのあたりの展示、かなり疲れてきてあまり見てなかったんですが、
これらの、ドイツ陶器の展示、すごくカワイイ!!
明治の超絶技巧的なゴテゴテ陶磁器が飽きられてきて、
どのようなものを作ったらいいか参考にと、
ドイツで一般に売られていたものを買い付けてきたんだそう。
1931(昭和6)年収集
「海外市場で勝負するには、
軽くて丈夫な陶器じゃないと。
欧米の流行品を調査せよ! 」
国立陶磁器試験所/沼田一雅原型
《蛸置物》と《ホウボウ置物》1937(昭和12)年
「工芸か、はたまた彫刻か。
沼田の陶彫は帝展でも議論に。」
「陶磁器の超区は、
ヨーロッパでは一大ジャンル。」
国立陶磁器試験所/沼田一雅原型
《平野耕輔像》1937(昭和12)年
「ロダンとも交流した
陶彫家・沼田一雅が作る
所長の像。」
国立陶磁器試験所瀬戸試験場
瀬戸周辺で試掘されて陶土・窯業原料試料
私には中に入っている試料のことはわからないけど、
この風格のある棚の雰囲気がいいなと(^^;
5 ファンデーションを支える──奥三河の絹雲母
全く知らなかったけど、
「北設楽の粟代(あわしろ)鉱業所で採掘する
高純度の絹雲母は、
世界的にも希少。」で、
「世界中の化粧品に用いられる、
ファンデーションの主原料。」
なんだそう。
一昔前の鉱山のようなところで採掘されているんですね。
鈴木孝幸《self-40 掘るから》 という映像が
上映されていましたが、長そうなので、よく見ませんでした。
なんか思ったより楽しかった!
まずは翻弄される金鯱に思いをはせ、
愛知県博物館のなんでもありの楽しそうな園内、
愛知県商品陳列館、とても立派な建物で驚いた。
鶴舞公園などで開催された博覧会のパビリオンのデザインとか、
興味深かったし、ドイツ人俘虜との交流とか、
ドイツで買い付けてきたという陶器もカワイイ。
でも、やっぱり博物館的な展示は文字を読むのに
だんだん疲れてきて、途中から後で図録買ってゆっくり読もう
と思ってショップに行くと、まさかの、
図録は8月下旬の発行になると! Σ(゚д゚lll)ガーン
なので、ブログの記事を書くのは、図録読んでからの方が
いいかなとも思ったけど‥‥
ショップで売られていた金鯱や名古屋城のキーホルダーとか、
名古屋のお土産がまた面白かった!!
金鯱キーホルダー、迷ってやめたけど、
やっぱり買ってこれば良かったかなー(^^;
こちらのしゃちほこビスケット380円(税込)と、
金鯱のパックに入った「豆でなも」648円(税込)
(このあたりの言葉で「お元気でね」って意味にかけてますね)
を購入。「豆でなも」は、
八丁味噌カシューナッツと、えびしおアーモンドの2種類入り
美味しかった!!
皿に出ているのは、えびしおアーモンド
八丁味噌カシューナッツが美味しかったんだけど、
写真撮る前に食べちゃった(^^;;
あ、もちろん愛知県美術館のコレクション展も見ましたよ。
いつもながらの盛り沢山なので、次の記事で書くつもり。
(また時間かかりそうだけど)
愛知県美術館: https://www-art.aac.pref.aichi.jp/
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