SSブログ

「パーフェクトな妻たち」と『家事をとことん減らす50のコツ』 [本]

先週の木曜日、マアカさんのブログの記事で、
http://fusouka.blog.so-net.ne.jp/2009-06-04-2
http://fusouka.blog.so-net.ne.jp/2009-06-04-3

NHKの番組「パーフェクトな妻たち」を知りました。

片づけ嫌いの2人の主婦が、アンシア・ターナーというイギリスの
家事のプロフェッショナルの家で特訓を受けて、散らかった自分の家を
片付けるという番組です。

第1回の番組内容はこちら
http://www.nhk.or.jp/styleup/episodes/a090604.html

教育テレビ 毎週木曜 午前11時30分~11時55分
      再放送 同日午後8時30分~9時55分

お片づけ本を読むのは大好きというワタクシ。
(ただ全く実践はできていない)
イギリスのこの手のテレビはどうなのかと、録画して見ました。

うーーん、さすがイギリス。たとえ散らかっていても、
おウチが優雅だわ!

そういう点はとても興味深く見ましたが、私の参考にはなりませんねぇ。

まず、アンシアさん、2人の主婦を自分のキレイな家で訓練するのは
どうなのかなぁ? たとえ、リネン室をぐちゃぐちゃにしても、
それを片付ける事なんて簡単ですよ。
なんせ、リネン室の棚にリネンしか置いていないのだから。
我が家にこんな納戸があったら、色々なガラクタがドドーッと
押し込めるのにーと、うらやましく見ていました。

で、シーツは端を中に折り込むようにたたむとか、
高価な皮のスカートはハンガーに布をはさんでとめるとか、
そんなことは、車の中から出してきたものを玄関脇のテーブルに置いて、
そのまま2週間放置するような主婦(私もそうです)に、言っても、
ますます片づけが億劫になるだけじゃないですかぁ?

そんな私がオススメする家事の本はこれです。
佐光紀子『家事をとことん減らす50のコツ』

家事をとことん減らす50のコツ―これで毎日がラクになる!

家事をとことん減らす50のコツ―これで毎日がラクになる!

  • 作者: 佐光 紀子
  • 出版社/メーカー: 大和出版
  • 発売日: 2003/10
  • メディア: 単行本



読んでいて、あ、私もコレやってる、なんてことも多かったですが、
例えば、洗濯。
昔、家庭科で習いました。色柄物と白いものに分けて、さらに汚れのひどいものは
別に洗うようにって。でもねー、そんなことをしていたら、
洗濯機を何回も回さなきゃいけなくて、水や洗剤、そして時間がもったいないですよね。
最近じゃ、洗濯して色が落ちたなんて衣類なんかないですよ。
Gパンも、注意書きには別に洗うように書いてありますけど、色が落ちたなんてことは、
少なくとも私がよく履いているユニクロのGパンではありません。
私は一緒くたに洗っちゃってます。
布巾だって一緒に洗っちゃいます。「え?下着と一緒に洗うの?」と
抵抗がある人もいらっしゃるかもしれませんが、ちゃんとすすぐんですもん。
それに手洗いだと、どうしても洗濯機のようにきれいにならないんですよね。
母がやっていた、台所に生乾きの布巾が干してある状態よりは清潔だと思うんですよ。

「家事というのは、母親以外にあまりお手本がないので、お母さんのやり方を受け継いでいるという人がほとんどです。でも、中にはそこまで手間をかけなくてもいいのでは、と思うような代物が多いのも現状。一度、日々の家事のプロセスを細かく点検してみるというのは価値のあることかもしれません。」
ということで、「『やらなくても済むこと』は、できるだけしない」

そんな、「毎日の暮らしがラクになる」ヒントが色々つまった本です。
主婦が全てを抱え込まずに、上手に子供たちに自分たちのことをさせるようにしているのは、
結果的に子供たちの自立をさせるいい方法だなぁと。

もちろん「こんなぐうたら主婦はイヤだ、私は家族のために主婦の仕事をキッチリやる」
という方は、どうぞ、頑張ってください。
主婦の心が反映されたようにキチンと美しく整えられた家は、とても素敵です。

さぁ、「パーフェクトな妻たち」2回目は、いよいよ2人のダメ主婦が
自分たちの家を片付けていきます。やっぱりこれは見なくちゃ!
タグ:お片づけ
nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』 [本]

今頃‥‥と言われるかもしれませんが、リリー・フランキーの
『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を読みました。

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

  • 作者: リリー・フランキー
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2005/06/28
  • メディア: 単行本


図書館の棚に並んでいるのを見つけて借りてきました。
(図書館の本には、この文字がズラズラと並んだ帯はついていませんでした)

映画やテレビドラマにもなっているそうですが、私はどれも見ていないです。
リリー・フランキーがどんな人かも知らなかったです。

この本を知ったのは、友人に大学を留年する息子のことをグチっていた時
(まだ映画などになる前でした)に、
最近感動した本だけど――と、友人が教えてくれました。
「大学留年してるし、卒業後もメチャクチャしてる息子に注ぐ母親の愛情がすごいよ」と。

で、やっと読んだわけですが、
最近、ウチの息子の問題で色々落ち込んでいるので、小説として楽しむというより、
我が家と比べて色々考えてしまいまして‥‥

ウチの息子は借金とか作ってこないだけまだマシかなぁーーとか、
でも、リリーさんは一応仕事とかも成功しているからいいんだけど、
これでぐうたらなままの生活だったら、目も当てられない。
息子の場合はこれからどうなるのか‥‥とか。
私はここまで息子に愛情を注いできただろうか、尽くしてやっただろうか‥‥とか。

リリーさんは1963年生まれとのことで、私より6歳ほど若いけど、
リリーさんのオカンは、本に昭和6年生まれとあったので、私の父親と同じ。
なので、小さい頃のエピソードは、私の子供時代を思い出して、
成長してからのエピソードは、全くしょうがないと息子を思う母親の立場で、
そして介護のエピソードは、最近、老いたなぁと思える父母を思う子の立場で、
読んでしまいましたね。

しかし、オカン、すごいです。
母の愛はすごいというけど、自分を省みると、母親として
子供のことを考えるより自分のことを考えてしまうところがありまして、
息子のことは、育て方に問題があったのかな‥‥とか。
今、ニートだのフリーターだのという問題が出てきているのは、社会的な
問題はもちろんだけど、私たちの世代が、子育てが下手だったのかなぁ。

私の同級生には独身や子供がいない夫婦というのも多いです。
DINKS(Double Income No Kids)という言葉が適齢期あたりに流行りまして。

これが、私の母の世代になると、戦中・戦後の貧しい中、大勢の兄弟たちと
力を合わせて、必死になって生きてきて、子育ても、子供にひもじい思い、
貧しい思いをさせまいと、とにかく頑張ってきたという気がします。
もちろん、中にはオトンのような、桁違いのハチャメチャもいるでしょうが。

がむしゃらに働いて金持ちになった一代目。子供には貧しい思いをさせまいと、
自分たちが受けられなかった教育も受けさせようと、頑張って子育てをしました。
二代目は、そんな親の愛情に包まれて育ち、立派な教育も受けましたが、
自由だの権利だの、そんな言葉に浮かれ、親から受け継いだ財産で
贅沢な生活をしてきました。
さぁ、生まれたときから全てがあり、贅沢な生活で育った三代目は‥‥?
二代目はまだ貧しい暮らしも、親が奮闘する姿も知っていますが、
三代目は贅沢な暮らししか知りません。金持ちは三代で潰れると言いますね。

しかし、私も、息子とこんな老後が送れるようになるといいなぁと思ってしまう。
オカンが日記の間に挟んでいた葉祥明の詩のように、

「我が子がどんなに偉くなるよりも
 どんなにお金持ちになるよりも
 毎日元気でいてくれる事を
 心の底から願います
 どんなに高価な贈り物より
 我が子の優しいひとことで
 十分過ぎるほど倖になれる
 母親というものは
 実に本当に無欲なものです」(抜粋)

‥‥そうなんだよ、頼むよ、我が息子!
私もオカンのように、自分の葬式代くらいは積み立てておくようにするから!

ただ、小説としては、なんか完成度が低いというか、統一感が無いというか、
雑多な印象を持った。
「東京タワー」というタイトルが、ちょっと疑問だし、
最初に東京タワーを描写して、それからすぐに幼児の頃の記憶の話になるので、
私は、幼児の頃は東京で家族揃って暮らしていたのかと思ってしまいましたが、
育ったのは福岡なんですよね。
「五月にある人は言った。」という言葉が何回か出てきますが、特にどんな
意味があるのか、そこだけ文章が変わっているが、あまり効果があるとは思えない。
そして、オカンとボクは、やはり実の母子なんでしょ?
途中、思わせぶりなシーンとかあるけど、どういう効果を狙ったのか?
無い方がいいんじゃない?

本を読んですぐ泣く私ですが、この本のオカンとボクとの話では泣けませんでした。
唯一泣いたのが、オカマのママの母親の手紙。
「あんたがどんな身体になっていても、あんたは私の子供なんやから」

言い古された言葉ですが、やはり、親と子という関係は切っても切れませんね。
nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

池田理代子『寝てもさめても猫三昧』 [本]

『ベルばら』に対する色々屈折した想いがあって‥‥
http://shizukozb.blog.so-net.ne.jp/2008-05-29
池田理代子の作品はそれ以降読んでいないのですが、
図書館に本を返却に行った時に、たまたま返却棚にこの本がありまして、

寝てもさめても猫三昧

寝てもさめても猫三昧

  • 作者: 池田 理代子
  • 出版社/メーカー: 主婦と生活社
  • 発売日: 2002/12
  • メディア: 単行本


ちょっと手に取ったら‥‥この人の文章は面白いじゃありませんか!

その場で、かなりのページをさささーっと、時々「くくくっ」と
笑いをかみ殺したりして読んでしまっておりまして、
悔しいけど(何が?)借りてきてしまいました。
ikedaneko.gif
主婦と生活社のホームページに2002年4月から10月までの連載に加筆・修正を加え
再編集したものとのこと。

現在の愛猫「ごんち」のこと、21年生きた「たぬき」ちゃんのこと、
この人は、「一度に一匹、もとい一人の猫ちゃんしか愛せないという性(さが)」と
いうことだが、一時期ペットショップで見かけたシャムネコ「シモ兄」を迎えて、
あっという間に、メスのシャムネコ「ユリア」が来て、
「ちまじ」という子猫が放り込まれて、それが子供を産んだり‥‥といった
猫との生活が数年あって、やはり自分はこんなに沢山の猫ちゃんたちを一度に愛することは
不可能であるということで、たぬちゃんを除いてみんな養子に出したとのこと。

私は、ちまじの恋愛と出産のところなんか面白く読んだが、私は一匹の猫を
ここまで愛することが出来ないなぁーと思うのは、
私の周囲の猫が人間に対してあっさりした性格なのか、
子供の頃の猫とのかかわりなのか――とにかく多くの半ノラ猫が入れ替わりしていた。

21年生きた「たぬき」ちゃんに死なれた後、あまりに辛くて、自宅まで引越ししたとか。
ごんちが家に来るまで、3年間は猫を見るのも辛かったということを読んで、
同じ猫好きと言っても、猫への対応や思いはだいぶ違うなぁと思う。

そして、池田理代子が大阪生まれということを知って、なんとなく、今まで抱いていた
この人への違和感みたいなものが、ちょっとわかった気がする‥‥というのは、
最近テレビの「秘密のケンミンショー」を楽しんで見ているのだが、その中の、
大阪のおばちゃんたちが出てくるコーナーを見て、非常にストレートでいいなぁと思うのだが、
「クサイ」と思うような愛情表現をストレートに描くところとか、
この本の表紙に、猫と自分の写真をバーンと使うような――
もし私がこんな猫との本を出せるとしたら、表紙は例えば猫のイラストとか、
写真を使うにしても猫だけの写真をグラフィック的に小さく使うとかすると思う。
こういう表紙は「恥ずかしい」みたいな意識があるんだけど‥‥
そんな「大阪のおばちゃん」的なストレートなところが強いというか、
この人の体質なんだなーと。

でも、半世紀以上も生きてきて、ちょっと人生みたいなのがわかってくると、
そんな自意識過剰で、他人の目をいつも気にしているような生き方はソンだったなぁと。
池田理代子の、オペラに挑戦するバイタリティーはすごいし、
最近の「ベルばらキッズ」 あれを池田理代子本人が描いているというのがスゴイ!
フツー、ああいうのは、マニアックなファンがやるでしょう?

これを機に、ヘンな意地を張らずに(だから、誰に?)
池田理代子のマンガも読んでみようと思っております。
nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

正しい猫のかい方 [本]


正しい暮し方読本

正しい暮し方読本

  • 作者: 五味 太郎
  • 出版社/メーカー: 福音館書店
  • 発売日: 1993/10
  • メディア: 大型本


五味太郎『正しい暮し方読本』から引用します。

--------
行くあてのない猫や

捨てられた猫や

病気にかかった猫や

ケガをした猫や

人気のない猫や

弱気の猫などを

かうことは正しいことです。かう必要があります。

その他の、特に問題がない猫に関しては「かわせていただく」「家にいてもらう」という態度が正しい。
--------

あははは! 全くその通り!

さすが、五味さんの、かわいらしい絵と、ヒネリと軽い毒の効いた絵本です!

この他にも私が、そうそう、その通り、これはすごい!と思ったのが、

正しいテレビの見方
正しい怪獣とのつきあい方
正しい魚の食べ方

特に、正しい魚の食べ方。最近は、食べ物に関して、栄養がどうの、産地がどうの、味がどうのと、色々な情報があふれているが、食べるということの原点はこれではないかと。あはは、と笑いながら、ちょっと感動してしまいました。
nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

捨てられない私の収納・整理本 [本]

私は収納や整理について書かれた本を読むのが好きだ。

だが、実際に私の家はというと、モノがあふれかえり、散らかっている。
だからこそ、そういった本を読むのだろう。
キレイに片づけられる人なら、そんな本などは必要ない。

整理や掃除をしなくてはと、もうずっと思っている。
わかっているのだ。 捨てればいいのだと。
モノが少なければ、掃除も整理も簡単。
モノの管理のために使う時間も少なくて済む。
昔の日本家屋の何もない空間のなんと美しいことか。
シンプルライフが一番なのだと。
だが、実際に捨てようとモノを手に取ると‥‥捨てられない。

当然だが数年前(と思ったら、発行は2000年だって)ベストセラーになった
『「捨てる!」技術』読みました。

「捨てる!」技術 (宝島社新書)

「捨てる!」技術 (宝島社新書)

  • 作者: 辰巳 渚
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2000/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


だけど、私にはこの本は反発を感じてダメだった。
この本を読んで、捨てることができたのは、この本だけ。
(私は普通このテの本は買わないのだが、たまたまこの本だけは買っていた)
なんでも一緒くたに、ザーッと捨てる――そりゃ、キレイにはなるでしょうよ!
この本のなんか軽薄っぽいところ――キチンとしたデータでなく、
自分の周囲の人々を見回したくらいで断定してしまうような――が嫌だった。

それに比べて、1998年発行 節約本の元祖で、ベストセラーもなった
『節約生活のススメ』

節約生活のススメ

節約生活のススメ

  • 作者: 山崎 えり子
  • 出版社/メーカー: 飛鳥新社
  • 発売日: 1998/10
  • メディア: 単行本


その後、著者の経歴の偽装問題とか出てきて「何だったの?」という気もするが、
読んだ時には、素直に、あぁ、こういう生活――
本当に必要なモノだけを大切に暮らす――がいいなぁと思った。
「節約」することで「健康」にも「環境」にもいいという生活は、
もはや常識というか、今なら「何当たり前のことを言ってるの?」という
カンジなのだが、それだけこういうライフスタイルが浸透してきたのだろう。
「35年住宅ローンを7年で返済」という、ヘンにインパクトを与えようとするような
キャッチコピーがついているが、中身は非常にオーソドックスな本だ。

『片付けられない女たち』‥‥タイトルを見てドキッとして、読んでみたが、

片づけられない女たち

片づけられない女たち

  • 作者: サリ ソルデン
  • 出版社/メーカー: WAVE出版
  • 発売日: 2000/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


内容は、ADD(注意欠陥障害)という神経系の障害のために、
日常の雑事をこなすのに問題がある人について書かれている本で、
時々ドキッとするところはあるが、ちょっと私とは違うかな‥‥と。
ただ息子について、コレ(ADD)なのかなと。
今まで「なぜ、こんな簡単なことができないの?!」と、
たびたび息子を責めていたのだが、もしかして神経系の障害だったのかもと、
息子に対する今までの態度を反省させられた。
その意味では、少しは役に立ったが、片づけや整理についての本ではない。
ADDだと理解したところで、生きにくくても
生活していかなければならないわけで、そのあたりの解決法や、
片付けられなくても、少しはマシに暮らすための方法といったことが
もう少し書かれていたらと思う。

今までの整理の本の中で、私が一番気に入ったのは、
『捨てる達人 収納名人 スッキリ暮らす50の鉄則』

捨てる達人・収納名人―スッキリ暮らす50の鉄則

捨てる達人・収納名人―スッキリ暮らす50の鉄則

  • 作者: 芳垣 真之
  • 出版社/メーカー: 三水社
  • 発売日: 2001/10
  • メディア: 単行本


『「捨てる!」技術』が私にはダメだったので、この本のタイトルに少し反発を
感じながら、図書館で借りてきたが、
「趣味の物は捨てなくてもいい」という言葉に、おーーっ!!
「趣味のモノは他人から見て、どんなにくだらない物でも全然構いませんから、
 捨てよう、あるいは捨てさせようとしないことです。」
「家中がそれぞれの家族の本当に好きな物であふれかえっているのなら、
 それはそれでなんの問題もありません。というか素敵です。」!!!!
なんて、言われると、気持ちがすーーーっとしてくる。
でも、じゃぁ、捨てる物なんてないんじゃない?と思うと、
「案外怪しいのは、必需品の顔をした物達」ということで、
まだ使えるとか、いつか使うかも‥‥というものは捨てていいということ。
そして、「まず裏方からかたづける」
とりあえず押し込んでおくことの出来る場所を確保することから始めるとか、
古い物は、思い出というか、時の重みがしみこんでいるのだから、
整理は新しい物から始めるとか、
そんな目からウロコの話も多く、参考になった。
で、実際にやったか?というと‥‥汗‥‥なのだが。

少しは実践して生活が変わったということなら、
野口悠紀雄の『「超」整理法』 1993年発行

「超」整理法―情報検索と発想の新システム (中公新書)

「超」整理法―情報検索と発想の新システム (中公新書)

  • 作者: 野口 悠紀雄
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1993/11
  • メディア: -


私がこの本を知ったのは、家事をしながらつけていたNHKのラジオ。
インタビューで野口悠紀雄先生が来ていて、「超」整理法について
簡単に話していた。その画期的な方法に、思わず家事の手を止めて、
ラジオのボリュームを大きくして真剣に聞き入ってしまった。
それから図書館で借りて読みました。
何より、紙封筒に資料を入れて、分類などしなくていいので、
時間順に並べておくという、簡単で、お金もかからない方法がすごい。
それまで私は、仕事、家計、子供の学校とか分類して、
あちこちの引き出しに入れて整理していたが、分類に迷ったり、
引き出しは結構深いので、入れっぱなしになって、
底の方の資料が探せなかったりしていた。
この方法は、そんなことに頭は使わず、全て同じ場所に並べておけば、
探す場所も限られてくる。これは結構スゴイことだ。ここを探して、
見つからなければ「ウチには無い!」――それが分かれば、
イライラしながら、いつまでも家中を探し回ることがない。

ただ、私はまだ完璧に実践できていない‥‥と、いうのは、
この方法の優れているところは、時間順に並べていくと、自動的に
古い書類が押し出されてくるので、それらは内容を確認して捨てるという、
「捨てる」ところまでシステム的にできているところなのだが、
私にはやっぱり、その「捨てる」ができないので、
あまり見栄えの良くない封筒(経済上の問題から、古封筒を使っている)が
ドンドンたまっているので、並べる場所がなくなって、
あちこちに積みまくり‥‥やっぱり、ドコへ置いたっけ――?状態に
なってしまっているのであったー。

2008.5.21-002.jpg
「超」整理法を参考に整理した封筒。
「H」は、ダンナの印。旅行の袋には、切符や食堂のはし袋、
タダでもらえるパンフレットなどが入ってます。
(旅行ではそんなのをつい集めてきてしまい、捨てられない私であった)

2007.6.26-002.jpg
そんな私の捨てられない性格から、この「お宝」(私にとってのみ)が
あるのだが‥‥。雑誌から切り取った昔の少女漫画。

最後に、シンプルライフについて私が印象的だった言葉。
「グアテマラに住んでいたとき、十四歳の少年が手伝いにきていました。
 ある日、夫が着なくなったシャツを一枚上げようと思いました。ところが、
 すでに二枚もっていて、替わる替わる着るから足りていますと、
 断られてしまいました。」

積極的シンプルライフ―わずかな工夫でみんなが豊かに

積極的シンプルライフ―わずかな工夫でみんなが豊かに

  • 作者: ドリス・J. ロングエーカー
  • 出版社/メーカー: すぐ書房
  • 発売日: 1988/11
  • メディア: 単行本


『積極的シンプルライフ』より

‥‥うーーん! これくらいシンプルな生活で足りるのよねー。

実際、私は衣類にはこだわらないので、最近、下着を買わずにいたら、
2枚になってしまったが、毎日洗濯するし、1日1枚で足りるし、
イザとなればいつでも買いに行ける今の生活では、2枚で充分というか、
かえって箪笥にしまったりする必要もないから、ズボラな私にはいいかなーと。


PR--
こんなサービスもあるんですね


nice!(2)  コメント(5)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

城繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか?』 [本]

若者はなぜ3年で辞めるのか?
そう聞かれて、年配者はこう言うかもしれない。
「今の若者はわがままで忍耐力が足りない」
「転職市場が成熟してきたので、簡単に辞めてしまう」
「自分のやりたい仕事とはと、仕事のえり好みをして贅沢だ。入社してしばらくは、上から言われたことを何でもやれ」


若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

  • 作者: 城 繁幸
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2006/09/15
  • メディア: 新書


この本は若者側から反論した本である。

「なんでもやります的な就職活動では、企業の厳しい選考は勝ち残れなかった。採用されるために、明確なキャリアプランを持ち、そのために努力をしてきたのに、いざ入社してみたら、それらの能力を発揮する場が与えられない」

このような、若者の「仕事に対する意識」が高すぎて下積みの仕事に耐えられないという理由。

そのような若者に対して年配者はさらにこう言って批判するだろう。
会社というのは年功序列であり、新入社員は一番下から始めて、だんだん上がっていくシステムとなっているのだから、若者は辛抱して働け――と。

だが、このような年功序列システムは実はもう崩れていると筆者は言う。

このような年功序列のシステムが維持されるためには「組織が一定の成長を維持すること」が必要だということは誰でもすぐ気付く。
だが、1990年のバブル崩壊から、そのような右肩上がりの社会は崩れてしまった。
頑張って働いても、若いときの苦労は報われない。

そう気付いてしまった若者は会社を辞め、30代は「心の病」を抱えるようになった。

日本の年功序列は「従業員の勤続年数を引き上げ、技術の長期間の蓄積を可能とし、結果として日本のモノ作りは世界一にまでのぼり詰めた」優れた制度なので、そのシステムを維持するべきか?

実際、多くの(それも先端企業と思われているような大企業でも)企業内では、いまだに年功序列制度を維持している(と、思わせている)。とりわけ、就職先として一番人気の公務員は、ガチガチの年功序列だ。公務員になるのは今やものすごい難関だが、一度公務員というチケットさえ手に入れれば、あとはレールの上を進むだけ。気楽な旅の最後には輝かしいゴールが約束されている(と、思われている)

これを筆者は“昭和的価値観”と呼ぶ。

現在、年功序列制度を維持しようとすると、上がっていく中高年社員の地位と給料を確保しなければならない。この本の第3章で「若者にツケを回す国」として述べられているが、そのためには、新規採用を減らし、下働きは安い派遣社員にやらせて、浮いた人件費を中高年に回すことになる。年功序列では若者には発言権もない。(前の記事で派遣社員について考えました)

筆者は、年功序列制度が崩れてしまっている今、昭和的価値観を捨て、自分が何のために働くのか、「働く理由」を取り戻せ。自分たちの権利と取り分を主張して「声を上げろ」と言う。

うーーん、この結論がどうも‥‥私には、そんなふうに自分探しをしてフリーターとかになってしまったら、派遣社員よりもっとヒドイことになるのでは‥‥と、危なっかしく思えるのだけど。

とにかく息子には、派遣会社ではなくて、きちんと正社員で雇ってくれるところに就職しなさいと言っている。そして、若いうちは何事も勉強だと思って、身を粉にして働きなさいと。――これは私が昭和的価値観に浸かってしまっているせい?

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

桜のことがよくわかる絵本「春の主役 桜」 [本]


春の主役 桜 (絵本〈気になる日本の木〉シリーズ)

春の主役 桜 (絵本〈気になる日本の木〉シリーズ)

  • 作者: 早川 司寿乃
  • 出版社/メーカー: 理論社
  • 発売日: 2006/03
  • メディア: 大型本



3月12日、お花見の途中で立ち寄った図書館では桜の本を入り口近くに集めて展示していた。
この絵本も並んでいて、上品な絵で、桜の種類が易しく簡潔に説明されていて、
ほぼ立ち読みしてしまったが、借りることもできるとあったので、
せっかくの桜の時期に、私が独り占めするのは悪いかなと思いながらも、
借りてきてしまった。気が付けば、2週間の返却期限日を過ぎている!返さなきゃ。

桜の花は終わってしまいましたが、この本はお薦めです。
なによりも早川司寿乃(はやかわ しずの)さんの絵が美しい。
淡い色調の、図鑑的な正確さできちんと描かれていながら、少し様式化された表現が
上品な中に詩的なものを感じさせて、とてもいい。
そしてちょっと遊び心というか、案内役みたいに出てくる小さな天狗と柴犬も可愛い。

ゆのきようこ さんの文も、簡潔な中にきちんと説明されていて、
――子供にわかるように易しい文で書くというのは難しいんだけど――
この本を読んで、今まで私の持っていた園芸の本では様々な桜の写真と名前が並んでいて、
色々な種類があるのだなーくらいにしか思っていなかったのだが、
この絵本の大まかな桜の系列の説明で、すっきりとわかった気がする。

桜そして花見といえば今ではソメイヨシノだが、
ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラの雑種で、すべて「クローン」なのだそう。
みな同じ遺伝子を持っているので、同じ場所にある木はいっせいに咲くのだと。
その豪華さにさそわれて、こんなに花見が盛んになったのだと。

江戸時代にソメイヨシノが生まれる前は、桜といえばおもにヤマザクラで、
雑木林から低い山にふつうに見られるヤマザクラは、
「ヤマザクラの花は、ソメイヨシノより少しおくれてさきます。
 また、花がさくのと同じ時期に葉が出ます。」
奈良の吉野山はヤマザクラなのね。
雑木林のところどころで、赤っぽい若葉に混じって咲く桜の花は、
ソメイヨシノのふわふわした華やかさとはまた違った風情がある。
そういえば、桜の文様には花と葉とが一緒に描かれているものが多い。

「ソメイヨシノの親になったオオシマザクラは伊豆半島と、関東南部、
 伊豆諸島のかぎられたところに見られる桜です。
 大きなはなやかな花なので、オオシマザクラをもとに、
 たくさんの品種がつくられてきました。」
そうか!このあたりでも、たまに白くて大きな桜が咲いていることがあるけど、
あれがオオシマザクラなのね!

「ソメイヨシノのもうひとつの親になった、エドヒガンは、
 桜のなかでは、一番長生きです。
 1000年を越えるといわれる大木が各地にあります。」
ということで、岐阜県根尾谷の「淡墨桜」が紹介されている。

そのほかに紹介されている桜は、
「北の方では、オオヤマザクラがおそい春を告げます。
 五月に入ってからの遅い花見を楽しみます。」

「いっぽう、南の沖縄では、一月に桜がさき始めます。
 沖縄のお花見は、カンヒザクラという桜です。
 じつは、沖縄には、ソメイヨシノはありません。
 あたたかい沖縄では、花芽の休眠がやぶられるほどの寒さがないので、
 ソメイヨシノはさくことができないからです。
 カンヒザクラは、もとは台湾、中国南部の桜で、古くから沖縄に植えられてきた種類です。」

ということで、この絵本では、夏に花芽ができて冬に休眠し、春に咲いて、葉が出て、
実ができるまでを、上品で美しい絵で説明している。

「マメザクラの木は、あまり大きくなりません。花も葉も小さいのですよ。
 関東南部と、山梨県、静岡県を中心に分布しています。
 富士山のふもとては『フジザクラ』といわれ、たくさん見られます。」

「チョウジザクラは、花びらの小さな花をさかせます。
 大きな木はあまりなく、山の中でひっそりとさいています。」

「シダレザクラは、エドヒガンの突然変異から
 生まれた品種です。各地に大木があります。」

絵本の説明文があまりに簡潔でわかりやすいので、つい引用してしまいました。
暗誦できるほどに、何度も繰り返して読みたい絵本です。

2008.4.12-003.jpg
我が家の八重桜も満開になりました。こういう園芸種はオオシマザクラをもとにつくられてきたんですね。
nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

中村文則「最後の命」 [本]

図書館に中村文則の「銃」と「悪意の手記」を返却して、「最後の命」を借りてきた。

最後の命

最後の命

  • 作者: 中村 文則
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/06/12
  • メディア: 単行本

白い表紙に小さな銀色のタイトル文字だけという、パッと見ただけではそっけないほどの装丁だが、白い紙と銀の文字は光の加減で繊細に表情を変える。そして白い見返しをめくると、ぴかぴか光る銀色の紙にやはり小さな黒い文字の本扉、真っ白な紙に大きめの細い明朝体の本文。無機質で潔癖なカンジのする本だ。
翌日には読み終えた。

中村文則の公式ウェブサイト
http://www.nakamurafuminori.jp/
で、「現時点においての僕のベストです。」となっていたので、どんな小説なのか期待していたのだが、
うーーん。まぁ、こういう純文学ってのは、「ああ面白かった」という読後感とは違うのだが、なんか、ヘンにミステリーっぽく構成しようとか、そんな読者を意識した小細工的なことは考えない方が、この作者はいいんじゃないかなーとか。あまりに都合よく事件が起こるのも気になったし‥‥。
私はこの作者の、主人公の行動を「私は‥‥」と書いたキビキビとした文章が好きなので、後半、冴木からのメールや会話が多くなって、ちょっと文章が薄まったようなカンジがして、それが不満だったのだけど。でも、いつまでも「私は‥‥」では、毎回同じような話にしかならないだろうから、色々新しい試みに挑戦していってほしい。読者はつい、「あの感動をもう一度」的な期待をしがちで、芸術家の新しい試みは往々にしてブーイングで迎えられるものだから。

そして、この主人公は、今までの作品の主人公と比べ、一番作者に近いのではないかと感じる。非常に真面目だ。読んでいるこちらが、「もうそんなこといいじゃない。アナタの責任じゃないよ」ってことで、うだうだと悩んでいる。例えば、強姦犯のホームレスが死にそうになっている、助けるべきか? 助けて、彼がまた強姦を犯したら、被害者の女性に何と言うのか? しかし、こういうことを悩むことは、今の時代、情報や刺激がありすぎて、色々なことに鈍感になっている時代、鈍感にならねば忙しい日々を過ごせないような時代には貴重なことなのかもしれない。最後のところで主人公に言わせているが、「割り切るべきだとも思う。でも、どんな状態であれ、命ってのは厄介なんだ。ずっとね、付きまとうんだよ。」と。

私がこの作品で好きなのは、十分毎に列車が通過する線路の脇の部屋とか、「私」が踏切で通過する列車を見ているシーン。確かに、踏切で列車の圧倒的な大きさを見ていると、自殺なんてことは全く考えたことのない私でも、ここで前に飛べば‥‥なんてイメージがわきあがってくることがある。

そして、こんな文章がとても好きだ。
「習慣のように、パソコンを起動させた。私はまた、意味のない翻訳を始めようとしていた。踏切の音が、再び鳴った。もう古いこのパソコンは、起動するまでに不快な時間を必要とした。」

また、中村文則の本で、初めて泣いた本です。私はだいたい涙もろいので、本や映画、TVなどですぐ泣くので、泣けることと、良いということは全く別なのだけど、やっぱりこれは「最後の命」が良かったってことなのかなぁ?

しかし、太宰に安吾に三島由紀夫、ドストエフスキーをボロボロになるまで読み、サルトルを翻訳しようとする。好きな映画はフェリーニにタルコフスキー。この主人公は何歳なのか?(私は、ドストエフスキーは途中で挫折。ボーヴォワールは読んだけどサルトルは読んでない。太宰は読んでいると恥ずかしくなるので嫌い‥‥と言うのは、好きということ?三島由紀夫はファン。フェリーニにタルコフスキーは大好き――と挙げてくると、私と好みは似ている? 音楽についてもあったけど、私はわからないので何も言えない。)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

中村文則「銃」「悪意の手記」 [本]

中村文則の「銃」と「悪意の手記」の返却期限日を過ぎてしまった。
この作者の文体は、文章が短いし、表現も平易なので、読み終えるのは早かったのだが、
ブログに感想を書こうと思って、まだ返却していなかった。
昔から読書感想文は好きではなかったのだから、わざわざ苦労して書かなくてもいいのだけど、
なんか、とにかく暗いこの作者の作品は気になるというか。
「ああ面白かった」と満足して本を閉じるのとは正反対。
読後感はなんかモヤモヤして非常によくない。

銃

  • 作者: 中村 文則
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/03
  • メディア: 単行本

「銃」は作者のデビュー作になるそうだ。
表紙の「銃」という文字のデザイン(銀色のギザギザと赤)が非常に美しい。
「昨日、私は拳銃を拾った。」という最初の文章がすごくいい。

偶然に拳銃を拾った「私」が、その美しさに魅了され、拳銃を撃ってみたいと思い‥‥
「私」の心理が事細かに描写されていくわけだが、あまりいい性格じゃないなぁ。
登場人物の大学生たちの軽薄さも好きになれない。

だけど、拳銃に魅入られていくというのは、なんかわかるような気もする。
人を殺せるという力を手に入れてしまう、他者より圧倒的に強い立場を得たと勘違いしてしまう。
そう考えると、アメリカでは普通に銃を持てるというのは、恐ろしいことだと思う。
たとえ防衛のためと言っても、自分が引き金を引いた銃で人が死んだとしたら‥‥
戦争で「国のため」と人を殺した兵士は、その後平和な世の中になったとして、
普通に、幸せに暮らせるだろうかとか、そんなことを色々考えてしまった。

悪意の手記

悪意の手記

  • 作者: 中村 文則
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/08/30
  • メディア: 単行本

「悪意の手記」
相変わらず「私」がウダウダと迷っているのだけど、読んでいて、うんざりというカンジと、
ちょっと懐かしい‥‥昔、学生運動はなやかなりし頃(私はそれより少し遅い世代だけど)
ロシア文学や実存主義を論じるのがカッコイイとされた頃の雰囲気の‥‥カンジもした。
作者は「罪と罰」を書きたかったのか?
‥‥恥ずかしながら、私は「罪と罰」途中で挫折して読んでいないのだけど‥‥
祥子はソーニャかとも思ったが、やはり現代ではソーニャになれるような女性はいないだろう。
しかし「私」は、人を殺したことをずっと悩んでいるわけで、ある意味、真面目だ。
但し、現代の殺人者は、ラスコーリニコフのような理論もなく、なりゆきで殺してしまう。
登場する元刑事に「最近の殺人に、動機なんて言葉は通用しない」と言わせているが、
時代がそれだけ矮小になってきているのか。そして、この幼女殺人の少年に至っては、
出院してまた同じ犯罪を繰り返そうとした。反省もなく。‥‥不毛な時代だ。
また元刑事に、「なぜ彼らは人を殺したのか。絶望がそうさせるんだよ。」と言わせている。
「なぜそういった絶望した人間の行動が殺人へと繋がるのか」というと、
「今の、その現状を変えるために、だよ。」
「犯罪を犯すことで、警察に救いの手を求めている」のだそうだ。「本当に、迷惑な奴ら」だ。
そんなことに巻き込まれる被害者の方はたまったものじゃない。

これで、中村文則の作品は、
第1作「銃」
第2作「遮光」
第3作「蜘蛛の声」(「土の中の子供」に収録)
第4作「悪意の手記」
第5作「土の中の子供」と、読んだわけで、
ダンナから「最近、中村文則を読んでるけど、面白い?」と聞かれて、
「うーん、とにかく暗いし、面白い話じゃないし、あまり読みたいというわけじゃないけど‥‥」
と答えたのだが、せっかくだから次は、最新作「最後の命」を借りてこようかなと思ってる。
――こういうのをファンと言うのだろうか??


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:

中村文則「土の中の子供」 [本]

最近、中村文則の本を読んでいる。

暗い!ものすごく暗い!
なんで、年末の忙しい時や、新年のめでたい(と世間では言われている)時に、こんな暗い本を読み始めてしまったのかと思うが‥‥

中村文則――「土の中の子供」で、第133回(2005年上半期)芥川賞を受賞した若い(1977年生まれ)作家。

土の中の子供

土の中の子供

  • 作者: 中村 文則
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/07/26
  • メディア: 単行本

だけど、私は芥川賞や直木賞には興味がないので――だいたい、最近はあまり本も読もうという気にならず、どんな作家が活躍しているのかもわからない。図書館へ行くと、知らない作家がずらりと並んでいて、あまりに本が多すぎて、どの本を読もうかと途方に暮れる気持ちになる。――この作家が芥川賞を受賞したことも知らなかった。なぜ、この作家を読もうかと思ったかと言うと、1年半くらい前に、中日新聞の夕刊のコラム「紙つぶて」に随筆を書いていたのを読んだから。「紙つぶて」は、財界人や作家など、様々な分野から選ばれた書き手が日替わりで1週間に1回、半年間担当するコラム。中村文則は、フリーターをしていた頃の体験などを書いていたが、社会の底辺で、現代の生きにくさを感じながら、それでも誠実に生きようとしている印象を持ち、パートでの不満が色々たまっていたその頃の自分に、なんかスッと入ってきたというか、共感できるところがあった。そして、「なぜ暗い小説ばかり書くのか」とよく聞かれると書いていて、それに答えていたので、「ふーん、この人の本を一度読んでみようかな」という気になったのであった。(そう思ってから、実際に図書館で借りるまでずいぶん間があったけど)

図書館で中村文則の棚へ行くと、いくつかの本があり、それぞれの本について何の知識も持っていなかったので、とりあえず「芥川賞受賞」という(こんな時は、やはり賞というのは大きなステイタスになる。そして、以前なら、図書館では本の帯は外すのが普通だったが、最近は帯の一部を本の見返しに貼り付けてあったりして、これはなかなかいいサービスではないかと思う。)「土の中の子供」と、装丁がきれいでタイトルに魅かれた「遮光」を借りた。

遮光

遮光

  • 作者: 中村 文則
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/07/01
  • メディア: 単行本

で、印象。とにかく暗い!
「紙つぶて」からは非常に真面目でいい印象が著者にはあったのだが、この作品の主人公は同情すべき点はあるものの、病んでいるというか、あまり好きになれない。主人公の心の動きが事細かに語られていくのだけど、読んでいて、あまり面白い話ではないというか‥‥
だが、この作家の文体は好きだ。短い文で、表現も平易で、凝った比喩などは無いが、キビキビとした迫力がある。

特に、コーヒーの缶を窓から落とす。そのシーンにはものすごい迫力を感じた。
>
下へ落ちていく缶を見届けながら、胸がざわついていた。自分が緊張から解放される感覚と、新たに生まれた不安に、首筋に汗がにじみ、急かされるように呼吸が速くなっていた。もう、私の力ではどうしようもない。これは私の行為であるが、既に私のコントロールの外にある。もう、全ては遅いのだ。
>

そして、主人公の子供時代、虐待されて施設に引き取られ、そこでの思い出
>
しかし、一番心が騒いだのは、トカゲなどの、生き物を落とした時だった。既に尻尾の切れたトカゲや無自覚なカエルを掴み、柵から腕を出し、手を、ぱっと放す。一つの生物が落下し、まだ死んではいないが、数秒後に確実に死のうとしている。それを見届ける時いつも不安を覚えたが、その不安は、なぜか私を慰めた。動揺している感情の中に確かに生まれる、ノスタルジーのような、甘味の漂う感覚が、自分に拡がるのを感じたのだ。
>

この箇所は、何度読んでも、私の胸までざわつくような、そんな印象的な場面だ。

しかし、この暗さは伝統的で正統的な純文学というか芥川賞の流れ?
ちょっとなつかしいというか、今の若い人はカフカの「城」なんて読むのだろうか?
(ちなみに、恥ずかしながら私は読んでないです)

著者は、「なぜ暗い話ばかり書くのか」という問いに、自分が辛かった時に、本を読むことによって救われた気がするからというような説明をしていた。うーん、この本を読んで救われる人がいるのだろうか? でも、今年になってからだけでも、母と弟妹を殺した長男の事件とか、なんか人の心が病んでいるというか‥‥

‥‥など、「ああ暗い」と思いつつ、「遮光」も読み終え、図書館に返却に行き、
「銃」と「悪意の手記」を借りてきてしまった。今、「ああ気が滅入る」と思いつつ読んでいる。


市民図書館の前にある平和の日記念モニュメント 2008年1月11日撮影


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: