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大阪中之島美術館「佐伯祐三」展 [美術]

6月11日(日)、大阪中之島美術館へ行きました。

「開館1周年記念 特別展
 佐伯祐三
 自画像としての風景」
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大阪中之島美術館が、実業家・山本發次郎の
コレクションが寄贈されたことが契機となって
設立されたことは、
大阪中之島美術館が開館(2022年2月2日)した
昨年、2月27日放送の「日曜美術館」で紹介してましたね。
「大阪中之島美術館~蒐(しゅう)集もまた創作なり~」

昨年行った「モディリアーニ」展でも書きましたが、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2022-06-14

山本發次郎45歳の時、佐伯祐三の《煉瓦焼》と出会って、
衝撃を受け、それからわずか5年で、
佐伯祐三の主だった作品およそ150点を集めてしまいます。

美術館を作りたいという希望はあったが、
日本が戦争に突入して、それどころではなくなり、
戦争末期には空襲のために収集品を保管することすら
危うくなり、軍に嘆願して、コレクションの一部は
なんとか疎開させることができたが、その3週間後、
空襲で邸宅は全焼、佐伯作品の3分の2が焼失してしまったと。
(あぁ、なんてモッタイナイ‥‥)

そんな経緯で、「世界一のコレクション」を誇る
大阪中之島美術館、待望の「佐伯祐三」展
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この展覧会、東京ステーションギャラリーで
2023年1月21日(土)~4月2日(日)に開催された後、

大阪中之島美術館に4月15日(土)~6月25日(日)と
巡回してきました。

今年3月に「エゴン・シーレ展」を見に東京へ行った時、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-04-04
ついでに「佐伯祐三」展もって、候補には入れてたんですが、
東京国立近代美術館「重要文化財の秘密」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-04-19
行ってしまいまして。まぁ、大阪の方が近いし、
東京展より展示作品が20点も多いそうなので良かったかな。


6月11日(日)、JR西岐阜駅前の駐車場に停めて、
9:54の米原行きに乗車、米原から新大阪まで新幹線を奮発。
新大阪から地下鉄御堂筋線で淀屋橋へ
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土佐堀川沿いの歩道を通って、

歩道には多くの彫刻が設置されています。
藤木康成《陽だまりに遊ぶ》1989
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天野裕夫《十魚架》平成元年3月
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大阪中之島美術館に着いたのは12時少し過ぎ。
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オンラインでチケット買っといた方がいいかな?って、
少し心配してたけど、2階のチケット売り場で、
それほど並ばずに買うことができました。
当日一般 1,800円 (入場日時の指定なし)
ついでに、4階で開催していた(「佐伯祐三」展は5階)
「デザインに恋したアート♡アートに嫉妬したデザイン」の
チケットを、当日一般1,600円のところ、相互割引で
100円引きの1,500円で購入。

長~いエスカレーターに乗って5階へ。
なんと、「佐伯祐三」展、一部を除いて撮影可!!

最初に佐伯祐三のライフマスク(1921年頃)があり、

プロローグ――自画像
佐伯祐三は初期に多くの自画像を描いています。


あ、これ2021年の
一宮市三岸節子記念美術館「自画像展」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-03-19
に来てた、三重県立美術館所蔵の《自画像》
こちらをまっすぐ見つめる目がとても印象的でした。
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‥‥あれ? その展覧会では、この作品
1917年、佐伯19歳の作品ってなってたけど、
今回、1920-23年頃って記されている??

東京美術学校の卒業制作として描かれた
《自画像》1923年 東京藝術大学蔵
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中村彜の《エロシェンコ氏の像》からの影響が指摘されているそう

東京国立近代美術館「重要文化財の秘密」展で見た
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-04-19
《エロシェンコ氏の像》1920年
私には、ふーんこれが重要文化財? くらいの印象だったけど、
柔らかなタッチが似ているかな?

こっちはセザンヌ風!
《パレットをもつ自画像》1924年 ENEOS株式会社
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そして、パリでヴラマンクに「アカデミック!」と叱責された
後に描いた《立てる自画像》1924年 大阪中之島美術館
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なぜこの作品が壁に掛けられていないのか、それは、
裏側に《夜のノートルダム(マント=ラ=ジョリ)》1925年
が描かれているから。
佐伯にとってこの自画像は満足のいく出来ではなかったのか?


第1章――大阪と東京

《目白自宅附近》1922年頃 大阪中之島美術館(浅見家寄贈)
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なんてことのない冬枯れの雑木林だけど、
柔らかく暖かな光にあふれた風景で、いいなって。
米子と結婚し、下落合661番(現・新宿区立佐伯公園)に
新築したアトリエの南側に広がる風景だそう。


2年間のパリ滞在を経て、佐伯は1926年3月に日本に戻ります。それから約1年半の一時帰国時代、集中的に取り組んだ画題が「下落合風景」と「滞船」でした。

《下落合風景》1926年頃 和歌山県立近代美術館
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同じ下落合の風景を描いた作品ですね。
右《下落合風景》1926年頃
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電柱の中空に伸びる線を気に入ったのではないかと

《白い壁の家(下落合風景)》1926年頃 瀬戸内市立美術館
白い壁の重厚な質感がいいなって見ました。
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左《下落合風景》1926年頃 ポーラ美術館
右《ガード風景》1926-27年 個人蔵
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《下落合風景》1926年頃 学校法人甲南学園甲南小学校
油絵具の重厚なタッチがいいなって。
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《雪景色》1927年 東京国立近代美術館
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大阪で集中的に描いたのが「滞船」
空に向かって伸びる帆柱やそこから引かれた帆綱の
幾何学的な構成が気に入ったのではないかと。

《滞船》1926年頃 ENEOS株式会社
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《滞船》1927年 ポーラ美術館
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柔らかく暖かな色彩で描かれた、
佐伯の一人娘・彌智子(やちこ)1歳頃の姿
思わず微笑んでしまうような、佐伯の愛情あふれる絵。
フランス語を上手に話し、佐伯の友人たちにも可愛がられた
彌智子だが、佐伯が死去して約2週間後、父と同じ
結核によりわずか6歳で亡くなります。
《彌智子像》1923年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
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隣には妻の《米子像》1927年 三重県立美術館
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こちらはサッと引かれた線できりっとした顔が
捉えられています。パリで佐伯と一人娘を亡くし、
帰国した米子は、一人下落合のアトリエに戻り、
洋画家として二科展、戦後は二紀展を中心に活躍したそう。


左《大谷安兵衛像》1920-23年頃 大阪中之島美術館(小原大二氏寄贈)
右《大谷さく像》1920-23年頃 大阪中之島美術館(小原大二氏寄贈)
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佐伯が美術学校在学中に下宿していた家の
大谷さくと、兄の安兵衛の肖像画 本展が初公開とのこと


雨で写生に出られない時などに、アトリエで制作した
静物画が並んでいました。

《テレピン油のある静物》1925年頃 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
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アトリエで目の前にあったものを描いたのかな?
箱の文字も面白いなって。

ニンジンや、蟹や鯖など、身近なものを素早く描いた
小品が並んでいて面白かった。

《人形》の絵のモチーフは、佐伯が1ヶ月分の生活費にあたる
1000フランで衝動買いした男女一対の女性の方だとか。


第2章――パリ

1924年1月、妻子とともにパリに到着し、充実した留学生活を
スタートさせた佐伯祐三。

積極的に作品を見てまわり、とりわけセザンヌに感銘を受けた
とのことで、このセザンヌの影響がわかる風景画。
明るく柔らかな色彩、私この風景画好きです。
《パリ遠望》1924年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
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大きな転機が、6月30日に里見勝蔵に伴われてヴラマンクを訪ね、
自信作の《裸婦》を見せたところ、「このアカデミック!」と
痛罵されてしまったこと。

そこから、まずはヴラマンクに倣った
暗く重厚な筆致で郊外の風景を描きます。

《オワーズ河周辺風景》1924年 和歌山県立近代美術館
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左《風景》1924年頃 大阪中之島美術館
右《風景》1924年 個人蔵
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今年2月に行った
ヤマザキマザック美術館「パリに生きた画家たち」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-02-15

この頃の作品が、隣にヤマザキマザック美術館所蔵の
ヴラマンク作品と並べて展示されていて、
厚塗りの激しい筆致や斜めに歪んだ家々など、
とてもよく似ているなって見ました。

秋に再び里見勝蔵と共にヴラマンクを訪ねた佐伯は、
「物質感はナマクラだが、大変優れた色彩家」と褒められたと。

《オーヴェールの教会》1924年 鳥取県立博物館
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ゴッホ終焉の地・オーヴェール=シュル=オワーズ
佐伯はヴラマンクとの衝撃的な出会いの翌日に、
ゴッホ兄弟の墓を詣で、ガシェ博士の所蔵する20点余りの
ゴッホ作品を見学した。
この作品は、オーヴェールを再訪した際に制作されたもの。
ゴッホも描いた教会をほぼ同じアングル、構図で描いている
とのことだけど、印象は、同じ教会? って思うほど違ってます。

《煙突のある風景》1924年頃 個人蔵
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絵が掛けられている壁紙の色が少し濃くなってますね。
2-2 壁のパリ

1925年、佐伯は郊外のクラマールから
パリ15区の下町のアトリエに移り、
付近の通りに画架を立て、街の風景を描き始めます。

ヴラマンクの影響下にあった荒々しい郊外風景から、
ユトリロに影響を受けたパリの街並みへ、

そして、建物を正面からとらえ、時にはその壁のみで
構成された画面へ

同じ建物を正面から描いた絵が並んでます
左《レ・ジュ・ド・ノエル》1925年 和歌山県立近代美術館
右《レ・ジュ・ド・ノエル》1925年 大阪中之島美術館
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左《コルドヌリ(靴屋)》1925年 石橋財団アーティゾン美術館
右《コルドヌリ(靴屋)》1925年 茨城県近代美術館
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興味を抱いた対象に執着して何点も制作することは
佐伯の特徴の一つで、サロン・ドートンヌに出品して
ドイツの絵具屋に買い上げられた《コルドヌリ》も
これらに類似した作品だったろうと。


《パリの街角(家具付きホテル)》1925年 大阪中之島美術館寄託
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《パリの街角》1925年 和歌山県立近代美術館
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この建物は荻須高徳が好きそう、なんて見ました。
佐伯の後輩画家で、モラン写生旅行にも同行した荻須高徳
初期には佐伯と見分けがつかないような絵も描いていたけど、
次第にどっしりと落ち着いたパリの街の絵になっていきますね。


《壁》1925年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
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壁に書かれた広告の文字に紛れるように、
署名と佐伯作品には珍しく完成した日付(1925年10月5日)が
記されています。

左《広告のある門》1925年 和歌山県立近代美術館
右《門と広告》1925年 埼玉県立近代美術館
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1926年1月14日、健康状態について心配する家族の説得を受け、
佐伯一家は日本に帰国するため、パリを離れます。


もう一度パリを描いきたいと、シベリア鉄道でパリに到着したのが、
1927年8月21日

2-3 線のパリ
解説パネルには、洒落たランプもついてます!
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2回目のバリの作品の壁紙は鮮やかなローズ色ですね
《オブセルヴァトワール附近》1927年 和歌山県立近代美術館
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佐伯一家と親しく交流したヴァイオリニスト・林龍作が住んでいた
部屋からの街を描いた作品。画面左下から右奥へと走るのが
モンパルナス大通りで、佐伯のアトリエは左から7番目の建物に
あったとのこと。

佐伯祐三といえば想起される、画面を跳躍する線描
ポスターの文字が軽やかに描かれてます。
《オブセルヴァトワール附近》1927年 大阪中之島美術館
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《街角の広告》1927年 大阪中之島美術館
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《新聞屋》1927年 朝日新聞東京本社
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新聞はこんなふうに売られてたのかー。
新聞の文字が躍ってます。

《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》1927年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
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広告の文字だけでなく、テーブルや椅子の線、
署名の文字も画面上で踊っているみたい。

《テラスの広告》1927年 石橋財団アーティゾン美術館
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《広告貼り》1927年 石橋財団アーティゾン美術館
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《共同便所》1928年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
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ポスターの文字がリズミカルな佐伯らしい絵だけど、
この建物「エスカルゴ」とも呼ばれたパリの公衆便所なんですって?!


佐伯にしては珍しい? 人物画
《靴屋》1927年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
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1928年、肺の病が進行して身体の衰弱は進むが、
制作ペースは加速して、

2月にヴィリエ=シュル=モランへ発つ前のパリで
工場を題材とする3点をわずか2日で仕上げている

《工場》1928年 田辺市立美術館(脇村義太郎コレクション)
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《白い道》1928年 島川美術館
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パリの街のような広告がないので、それまでと
ちょっと違う印象だけど、堂々としていいなって。


第3章――ヴィリエ=シュル=モラン
壁紙の色が深い緑に変わります。
吊り下げられた幕の写真はモランの寺の前の佐伯?
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パリから電車で1時間ほどの小さな村
ヴィリエ=シュル=モラン

《モランの寺》1928年 大阪中之島美術館
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《モランの寺》1928年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
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モランの中心に位置するこのサン=レミ教会を、
佐伯は異なる構図で15点制作しているとのこと(一部は焼失)
ヤマザキマザック美術館「パリに生きた画家たち」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-02-15
にも、《モランの寺院》が展示されてて、
とても素敵だって見ました。

左から、
《モランの寺》1928年 東京国立近代美術館
《モランの寺》1928年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
《モランの寺》1928年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
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《モラン風景》1928年 和歌山県立近代美術館 と、
モランでの写真
股の間から顔をのぞかせるのが佐伯、その右に
荻須高徳、山口長男、横手貞美
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モラン写生旅行に同行したのは後輩画家の
荻須高徳、山口長男、大橋了介、横手貞美に米子と彌智子

楽しそうな佐伯の様子だけど、
創作態度は厳しく、午前に1枚、午後に1枚と自らに課し、
思う結果が得られなかった日にはさらに
夕方に描きに出ることもあったと。
厳しい寒さの中で自らを追い込むような制作は、
確実に体力を奪っていきます。

《納屋》1928年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
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《モラン風景》1928年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
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《煉瓦焼》1928年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
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昨年放送された「日曜美術館」で、山本發次郎氏は、
佐伯祐三の《煉瓦焼》と出会って
「胸に動悸打つ異様な感じ」と、衝撃を受け、
佐伯の絵を収集するようになったって知りましたが、
それが納得できる、なんかすごい迫力の絵です。


入口をくぐって入った部屋のようになった最後の展示室、
壁紙の色も渋いベージュ色

エピローグ――人物と扉

佐伯祐三の絶筆に近い作品が展示されています。

1928年3月、小雨の中での制作がもとで風邪をこじらせ、
体調がすぐれない日々を過ごしていた佐伯は、偶然に
自宅を訪れた郵便配達夫に創作意欲をかきたてられ、
絵のモデルを依頼します。後日、自宅を訪れた
郵便配達夫を前にして、その日のうちに、
グワッシュ1点(戦火により焼失)、
《郵便配達夫(半身)》1928年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
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そして《郵便配達夫》1928年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
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を描きます。
佐伯祐三の代表作ともいえる絵ですね。
切手にもなってたなー。

創作意欲をかきたてられたのは、
ゴッホの「郵便配達人」のイメージがあったからかな?

そして、モデルに使わないかと扉をたたいた
ロシアの亡命貴族の娘を描いた
《ロシアの少女》1928年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
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わずかに体力が回復した時に戸外へ出て描かれた2つの扉の絵
《黄色いレストラン》1928年 大阪中之島美術館(山本清雄氏寄贈)
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《扉》1928年 田辺市立美術館(脇村義太郎コレクション)
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病床の佐伯が、この2枚は僕の最高に自信のある作品なので
売らないようにと頼んだそう。

3月末に喀血して病臥し、それ以降、再び筆を持つことはかなわず、
病状の悪化とともに精神状態も不安定となり、
パリ郊外のヴィル・エヴラール精神病院に入院、
8月16日に亡くなります。


30歳の短い生涯、本格的に画業に取り組んだのは
わずか4年余りという、
その短い期間で、まぁ、よくこれだけの作品を! って
驚いた展覧会でした。これでも「日曜美術館」によると、
戦災で佐伯作品の3分の2が焼失してしまったとか‥‥

そして、これだけの作品が一堂に集められているのも感動です。

これは、コレクターの山本發次郎氏のおかげ
って言ってもいいかもしれませんね。
日曜美術館のタイトルでもある
「大阪中之島美術館~蒐(しゅう)集もまた創作なり~」

出口のところに、1937年に開催された
「山本發次郎氏所蔵 佐伯祐三遺作展覧会」の
ポスターが展示されていました。
山本發次郎氏所蔵の108点が展示されたそう。
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展示台には展覧会にあわせて出版した
「山本發次郎氏蒐蔵 佐伯祐三画集」

開かれたページに載っているのは、
戦災で焼失したグワッシュで描かれた郵便配達夫の絵だそう。

戦火をまぬがれた佐伯作品のうち33点が、
1983年、遺族により大阪市に寄贈されたことが
大阪中之島美術館設立のスタートとなったんですね。

「山本清雄氏寄贈」って記されている作品、
さすが、名品揃いだなーって見ました。

ショップで図録 2,800円(税込)と、
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《郵便配達夫》と《煉瓦焼》の絵を缶に使った
ミニゴーフルのセット 1,188円(税込) を買いました。
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4階の展覧会
「デザインに恋したアート♡アートに嫉妬したデザイン」
のことは、次の記事で――




大阪中之島美術館: https://nakka-art.jp/
「佐伯祐三」展特設サイト: https://saeki2023.jp/


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