横浜みなと博物館/柳原良平アートミュージアム [美術]
12月1日(日)に横浜へ行ったことが、まだ書き終わりません(^^;>
横浜美術館で「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」と、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-12-15
コレクション展を見て、美術館を出たのか1時半くらい。
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-12-19
ルートインの朝食バイキングでしっかり食べていたので、
お腹空いてなかったので、これからどうしようかなー、
これで帰るのもなんだかもったいないし、どこかへ行くには
中途半端な時間‥‥なんて思いつつ、ぶらぶらと
桜木町駅へ向かってました。
秋の風情がイイ感じ。よく見たら、石に字が刻まれてます。
「小説家・劇作家 長谷川伸文学碑」だそう。
‥‥申し訳ありません。全く知りませんでした。
師弟代表 村上元三による碑文もありました。
(クリックで拡大します)
横浜生まれの長谷川伸(1884-1963)は少年期に第二号ドッグの建設現場雑用係として 働いていました。生誕百年を記念して、建立されました。
(横浜みなと博物館のリーフレットより)
『沓掛時次郎』『瞼の母』など「股旅物」というジャンルを作った人なんですね。
帆船日本丸
日本丸と横浜ランドマークタワー
「柳原良平アートミュージアム」って看板が目に入ったんですね。
へー、アンクルトリスの柳原良平か、懐かしいな、
時間もあるし、ちょっと見ていこうかなと。
柳原良平アートミュージアムは、横浜みなと博物館の中にあるので、
入館料400円(一般)―あとちょっとで65歳以上250円で入れるようになる!―で、
自動的(?)に横浜みなと博物館の展示も見ることになります。
日本丸の見学もできる共通券は600円(一般)、400円(65歳以上)
正直、博物館まではいいかって思ってたけど、せっかくだし、
通路でもあるので、見ていくと、これが結構面白かった。
ペリー艦隊の横浜来航ジオラマの中から、甲板のペリーを探したり、
大さん橋の建設の様子や使われたスクリューパイルが展示されていました。
工費には、アメリカに支払った賠償金が償還された金を当てたそう。
関東大震災では、横浜港も壊滅的な被害を受けたが、停泊していた船が
被災した人を救助したり避難所として支援してくれたと。
航空機が発達するまで、海外へ行くのは船だったんですよね。
チャップリンや、ベーブ・ルースら米国野球選手の来日
チャップリンは現在山下公園前に停泊している「氷川丸」の
きめ細かいサービスが気に入って乗船したそう。
1932年ロサンゼルスオリンピックの日本選手の写真があったり、
加納治五郎が帰国途中の「氷川丸」で亡くなったという説明に、
NHK大河ドラマ「いだてん」を思い出しました。
客船の黄金時代! 横浜港は海外からの渡航者で賑わったでしょうね!
海外へ移住する人々の宿が多く立ち並んでいた時代もあったんだと。
(私、移民は戦前だけかって思ってたら、戦後も結構続いてたんですね)
コンテナを船に積む模型も面白かった。
特別展示室では
「港・ヨコハマの1980年代」という企画展をやっていました。
2019年11月02日(土)~2020年01月13日(月・祝)
この企画展では帆船日本丸、赤レンガ倉庫、横浜ベイブリッジが、 1980年代に横浜港の新しいシンボルとして整備された経緯を紹介 します。1981(昭和56)年に公表された「みなとみらい21」計画で、 旧横浜船渠第1号ドックや赤レンガ倉庫の周辺は公園として再開発 されることが決まり、1985(昭和60)年からは同ドックで帆船日本丸の 一般公開が始まりました。また、横浜ベイブリッジは1980(昭和55) 年に建設工事が始まり、1989(平成元)年に開通しました。市民が港を 身近に感じることができるこれらの場所が、どのように作られて いったのか、当時の様子を写真や模型で紹介します。
(チラシ裏面より)
この企画展、撮影OKの展示もありました。
帆船日本丸模型
赤レンガパークの計画 完成イメージのスケッチや、
整備される前の赤レンガ倉庫の写真
壁にたくさんの落書きがされてます。
ボランティアできれいに消したそう。
大さん橋の模型は今のとちょっと違うし、
赤レンガの前にも建物があったりします。
昨日歩いた汽車道、「ナビオス横浜」はないですね。
横浜ベイブリッジの模型
1980(昭和55)年頃の、みなとみらい21のイメージスケッチ(上)と、
2018(平成30)年に、ほぼ同じ構図で撮影された写真(下)
柳原良平アートミュージアム
柳原良平(1931-2015)と言えば、アンクルトリス!
寿屋(現・サントリー)宣伝部時代の仕事から、
(アンクルトリスのCMが懐かしい!)
グラフィックデザイン、漫画、アニメーション、
装丁、絵本、出版、そして油彩、水彩、リトグラフと、
多彩な作品が展示されていました。
アンクルトリスやモノクロのイラストは切絵で作られているんですね!
特集展示は「海を見ながら…」
柳原良平アートミュージアムは、2016(平成28)年に ご遺族から横浜市に寄贈された4,848点の作品を 「多くの人に楽しんでいただきたい」という思いを踏まえて 2018(平成30)年に開設された(リーフレットより)とのこと。
ショップに柳原良平アートミュージアムの図録があったので購入
509円。このデザイン素敵!
柳原良平のイラストを使ったグッズや
リトグラフなども売られていましたし、
船や港に関するグッズや横浜のお土産も売られていました。
ちょっと見て行こう、くらいのつもりが博物館を出たら4時。
桜木町駅から帰りました。
日本丸メモリアルパーク: https://www.nippon-maru.or.jp/
横浜みなと博物館: https://www.nippon-maru.or.jp/port-museum/
横浜美術館で「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」と、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-12-15
コレクション展を見て、美術館を出たのか1時半くらい。
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-12-19
ルートインの朝食バイキングでしっかり食べていたので、
お腹空いてなかったので、これからどうしようかなー、
これで帰るのもなんだかもったいないし、どこかへ行くには
中途半端な時間‥‥なんて思いつつ、ぶらぶらと
桜木町駅へ向かってました。
秋の風情がイイ感じ。よく見たら、石に字が刻まれてます。
「小説家・劇作家 長谷川伸文学碑」だそう。
‥‥申し訳ありません。全く知りませんでした。
師弟代表 村上元三による碑文もありました。
(クリックで拡大します)
横浜生まれの長谷川伸(1884-1963)は少年期に第二号ドッグの建設現場雑用係として 働いていました。生誕百年を記念して、建立されました。
(横浜みなと博物館のリーフレットより)
『沓掛時次郎』『瞼の母』など「股旅物」というジャンルを作った人なんですね。
帆船日本丸
日本丸と横浜ランドマークタワー
「柳原良平アートミュージアム」って看板が目に入ったんですね。
へー、アンクルトリスの柳原良平か、懐かしいな、
時間もあるし、ちょっと見ていこうかなと。
柳原良平アートミュージアムは、横浜みなと博物館の中にあるので、
入館料400円(一般)―あとちょっとで65歳以上250円で入れるようになる!―で、
自動的(?)に横浜みなと博物館の展示も見ることになります。
日本丸の見学もできる共通券は600円(一般)、400円(65歳以上)
正直、博物館まではいいかって思ってたけど、せっかくだし、
通路でもあるので、見ていくと、これが結構面白かった。
ペリー艦隊の横浜来航ジオラマの中から、甲板のペリーを探したり、
大さん橋の建設の様子や使われたスクリューパイルが展示されていました。
工費には、アメリカに支払った賠償金が償還された金を当てたそう。
関東大震災では、横浜港も壊滅的な被害を受けたが、停泊していた船が
被災した人を救助したり避難所として支援してくれたと。
航空機が発達するまで、海外へ行くのは船だったんですよね。
チャップリンや、ベーブ・ルースら米国野球選手の来日
チャップリンは現在山下公園前に停泊している「氷川丸」の
きめ細かいサービスが気に入って乗船したそう。
1932年ロサンゼルスオリンピックの日本選手の写真があったり、
加納治五郎が帰国途中の「氷川丸」で亡くなったという説明に、
NHK大河ドラマ「いだてん」を思い出しました。
客船の黄金時代! 横浜港は海外からの渡航者で賑わったでしょうね!
海外へ移住する人々の宿が多く立ち並んでいた時代もあったんだと。
(私、移民は戦前だけかって思ってたら、戦後も結構続いてたんですね)
コンテナを船に積む模型も面白かった。
特別展示室では
「港・ヨコハマの1980年代」という企画展をやっていました。
2019年11月02日(土)~2020年01月13日(月・祝)
この企画展では帆船日本丸、赤レンガ倉庫、横浜ベイブリッジが、 1980年代に横浜港の新しいシンボルとして整備された経緯を紹介 します。1981(昭和56)年に公表された「みなとみらい21」計画で、 旧横浜船渠第1号ドックや赤レンガ倉庫の周辺は公園として再開発 されることが決まり、1985(昭和60)年からは同ドックで帆船日本丸の 一般公開が始まりました。また、横浜ベイブリッジは1980(昭和55) 年に建設工事が始まり、1989(平成元)年に開通しました。市民が港を 身近に感じることができるこれらの場所が、どのように作られて いったのか、当時の様子を写真や模型で紹介します。
(チラシ裏面より)
この企画展、撮影OKの展示もありました。
帆船日本丸模型
赤レンガパークの計画 完成イメージのスケッチや、
整備される前の赤レンガ倉庫の写真
壁にたくさんの落書きがされてます。
ボランティアできれいに消したそう。
大さん橋の模型は今のとちょっと違うし、
赤レンガの前にも建物があったりします。
昨日歩いた汽車道、「ナビオス横浜」はないですね。
横浜ベイブリッジの模型
1980(昭和55)年頃の、みなとみらい21のイメージスケッチ(上)と、
2018(平成30)年に、ほぼ同じ構図で撮影された写真(下)
柳原良平アートミュージアム
柳原良平(1931-2015)と言えば、アンクルトリス!
寿屋(現・サントリー)宣伝部時代の仕事から、
(アンクルトリスのCMが懐かしい!)
グラフィックデザイン、漫画、アニメーション、
装丁、絵本、出版、そして油彩、水彩、リトグラフと、
多彩な作品が展示されていました。
アンクルトリスやモノクロのイラストは切絵で作られているんですね!
特集展示は「海を見ながら…」
柳原良平アートミュージアムは、2016(平成28)年に ご遺族から横浜市に寄贈された4,848点の作品を 「多くの人に楽しんでいただきたい」という思いを踏まえて 2018(平成30)年に開設された(リーフレットより)とのこと。
ショップに柳原良平アートミュージアムの図録があったので購入
509円。このデザイン素敵!
柳原良平のイラストを使ったグッズや
リトグラフなども売られていましたし、
船や港に関するグッズや横浜のお土産も売られていました。
ちょっと見て行こう、くらいのつもりが博物館を出たら4時。
桜木町駅から帰りました。
日本丸メモリアルパーク: https://www.nippon-maru.or.jp/
横浜みなと博物館: https://www.nippon-maru.or.jp/port-museum/
横浜美術館コレクション展「東西交流160年の諸相」 [美術]
12月1日(日)、横浜美術館で
「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」を見て、
続いて入れるコレクション展を見ました。
柳幸典《パシフィック―シャタード・ブルー》1997 が最初に展示され、
開催中の「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」の出品作の制作期と
ほぼ同時代にあたる、第一次世界大戦後のパリで、
自身の表現を切り拓いていった藤田嗣治と長谷川潔の作品が続きます。
横浜美術館、コレクション展は撮影可なんですね!
藤田嗣治の猫の絵、たまりません!!
アメリカへ渡った清水登之や国吉康雄や、
日本人の父とアメリカ人の母を持つイサム・ノグチの絵が並びます。
日経二世としてアメリカに生まれた画家・
野田英夫《二人の子供》1934
岡田謙三のコーナーがありました。
アメリカで認められた、どこか東洋的な抽象画を、画家は
「幽玄」の語から「ユーゲニズム(幽玄主義)」と称しているそう。
なんかこの雰囲気いいな。
左《雨》1959 右《垂直》1964
特にこの《雨》素敵!
左《黒と象牙色》1955 《オレンジ・ナンバー2》1975-76
知らない画家だって思ったけど、
京都国立近代美術館「生誕110年 東山魁夷展」に行った時に、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2018-09-20
コレクション展で、岡田謙三《入江》が気に入ったって書いてました。
この彫刻、面白ーい!!
ジャン・デュビュッフェ《目印の像》1969
第二次大戦終結前後にぐにゃぐにゃとした形象を描いていたフォートリエやデュビュッフェ、ヴォルスらの作品を、批評家のミシェル・タピエは「アンフォルメル(不定形)」と名づけ、人間存在の不安を表現した新しい動向として称揚しました。
横浜美術館「東西交流160年の諸相」展覧会概要 より
https://yokohama.art.museum/exhibition/index/20190921-543.html
(以下同)
戦後の復興から高度経済成長への転換期にあった日本でも、前衛運動が盛り上がりをみせました。「自由な精神を具体的に提示」しようと1954年に結成された具体美術協会は、その代表格です。
床に拡げたカンヴァスに足で絵具を塗りたくる白髪一雄[しらが・かずお]。
カラフルな電球をつなげた服を着てパフォーマンスを行う田中敦子[たなか・あつこ]。
カンヴァスを斜めにして絵具を垂れ流す元永定正[もとなが・さだまさ]。
元永定正《作品》1963 小石を貼り付けているところも面白い。
みずからの身体と物質との格闘を繰り広げる彼らの活動は、57年に来日し「具体」をアンフォルメルの日本での展開と位置づけたタピエによって、国際的に紹介されました。
日用品や廃品、巷にあふれるイメージを作品に取り込み、芸術の垣根を打ち崩していったラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズたちの制作は、20世紀初頭のダダを継承するものとして「ネオダダ」と呼ばれます。
彼らの仕事は日本にも紹介され、1960年には吉村益信[よしむら・ますのぶ]、荒川修作[あらかわ・しゅうさく]、篠原有司男[しのはら・うしお]らがネオ・ダダイズム・オルガナイザーズを結成します。ジョーンズとラウシェンバーグの作品に登場する「星条旗」と「コカ・コーラ」を摸倣した篠原の《ドリンク・モア》は、政治経済にとどまらず世界の覇者に伸し上がったアメリカ文化に対する複雑な感情と、それを制作のパワーに逆転する作家の強靭な精神を感じさせる作品です。
篠原有司男《ラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)》1964
隣に資料として展示されていた『美術手帳』232号(1964年)に、
この作品の作り方を説明していて、イミテーションを作ってみよう、と。
具体やネオダダの作家たちが描かれていて、おもしろーい!
篠原有司男《具体とネオダダ》1985
ジャスパー・ジョーンズ
左《フラッグズⅡ》1973 右《標的》1974 (どちらもシルクスクリーン)
大学の教授だった東野芳明先生が推していた
ジャスパー・ジョーンズの展覧会(1978.8.19-9.26)を、
今は無い池袋の西武美術館へ見に行ったなー。
円形の展示室へ入ると、おぉ! 宮川香山の壺だ!!
そうか、輸出に便利な横浜に窯を移したんでしたね。
宮川香山はヤマザキマザック美術館「世界に挑んだ明治の美」で
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2015-06-16
知って、岐阜県現代陶芸美術館にも所蔵作品があるので、
見てるんですが、この《高浮彫桜ニ群鳩大花瓶》の一対、
鳩や桜がとても優雅!
外国人の男性と女性が日本のキモノを着た掛軸が並んでいるのも
興味深かった。制作年不詳
伝 五姓田 芳柳《外国人男性和装像》《外国人女性和装像》
展示室1へ行くと、下村観山(1873-1930)のコーナーになっています。
初の文部省留学生として横浜港からイギリスに渡ったのは1903年2月21日のこと。2年のイギリス留学と半年にわたるヨーロッパ巡遊をとおして、水彩画を研究したり(ジョン・エヴァレット・ミレイ《ナイト・エラント》の模写)、絹地に日本画材でルネサンス絵画を模写したり(ラファエロ《椅子の聖母》《まひわの聖母》の模写)と、貪欲に西洋の表現を摂取しました。
《ナイト・エラント(ミレイの模写)》1904
《ラファエロ作「椅子の聖母」(模写)》1904
《まひわの聖母(ラファエロ模写)》1905
すごい!! 絹本着色でここまで模写できるんだ!! ラファエロの掛軸!!
そんな滞欧体験の成果が発揮された大作
下村観山《小倉山》1909
横浜美術館、たくさん下村観山持ってるんだって思ったら、
三渓園の原三溪が支援してて、横浜の本牧に居を構えてるんですね。
次へ進むと、木版画がたくさん並んでいます。
橋口五葉
優雅でロマンチック
吉田博
抒情的。水彩画のよう
川瀬巴水
重厚でドラマチック
ポール・ジャクレー
モダンでエキゾチック!
《オウム貝、ヤップ島》
《黒い蓮華、中国》 《雪の夜、朝鮮》
《メナドの男とマングスチン、セレベス島(果物の組の内)》
《朝鮮の男3人、ソウル》
《サイパンの娘とハイビスカスの花、マリアナ諸島》
《清馨さん》
《パリの婦人》
そして古い日本の風景を撮影した写真がずらりと並ぶ部屋もありました。
吹き抜けのエントランスを見下ろすスペースには、多くの彫刻が
展示されていました。
イサム・ノグチ《真夜中の太陽》1989
イサム・ノグチ《下方へ引く力》1970
輪が切れてズレてるww でも《真夜中の太陽》より
こっちの方が先に制作されているんだー。
階段の途中にも彫刻の展示があります。
ルネ・マグリット《レカミエ夫人》1967
マグリットの彫刻! レカミエ夫人が棺桶!!
オシップ・ザツキン《オルフェウス》1948
コンスタンティン・ブランクーシ《空間の鳥》1926(1982 Cast)
豊田市美術館の《雄鶏》1924 を、もっとシャープにしたカンジ
エントランス奥のグランドギャラリーには、
「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」の記念撮影用キューブが
バラの花束や絵筆とパレットを借りて撮影もできます(^▽^)/
横浜美術館とランドマークタワー
美術館前では、「縁市(えにしいち)」として、
コンサートや手作り品のブースが並んでいました。(11.30-12.1)
(美術館に来た時の写真と混在しています)
美術館横の入口前にあった
ヴェナンツォ・クロチェッティ《平和の若い騎手》1987
美術館へ行く途中に見た彫刻
安田侃《天泉》1997
ランドマークタワーとクイーンズスクエアの間にある
不思議な形の巨大なオブジェはカッコイイですね。
最上壽之《モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー》1994
このオブジェから、この場所がヨーヨー広場と呼ばれているそうですね。
‥‥いつまで12月1日(日)のことを書いているのかって、自分でも
呆れますが、実はまだ続きますー。
横浜美術館: https://yokohama.art.museum/
「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」を見て、
続いて入れるコレクション展を見ました。
柳幸典《パシフィック―シャタード・ブルー》1997 が最初に展示され、
開催中の「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」の出品作の制作期と
ほぼ同時代にあたる、第一次世界大戦後のパリで、
自身の表現を切り拓いていった藤田嗣治と長谷川潔の作品が続きます。
横浜美術館、コレクション展は撮影可なんですね!
藤田嗣治の猫の絵、たまりません!!
アメリカへ渡った清水登之や国吉康雄や、
日本人の父とアメリカ人の母を持つイサム・ノグチの絵が並びます。
日経二世としてアメリカに生まれた画家・
野田英夫《二人の子供》1934
岡田謙三のコーナーがありました。
アメリカで認められた、どこか東洋的な抽象画を、画家は
「幽玄」の語から「ユーゲニズム(幽玄主義)」と称しているそう。
なんかこの雰囲気いいな。
左《雨》1959 右《垂直》1964
特にこの《雨》素敵!
左《黒と象牙色》1955 《オレンジ・ナンバー2》1975-76
知らない画家だって思ったけど、
京都国立近代美術館「生誕110年 東山魁夷展」に行った時に、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2018-09-20
コレクション展で、岡田謙三《入江》が気に入ったって書いてました。
この彫刻、面白ーい!!
ジャン・デュビュッフェ《目印の像》1969
第二次大戦終結前後にぐにゃぐにゃとした形象を描いていたフォートリエやデュビュッフェ、ヴォルスらの作品を、批評家のミシェル・タピエは「アンフォルメル(不定形)」と名づけ、人間存在の不安を表現した新しい動向として称揚しました。
横浜美術館「東西交流160年の諸相」展覧会概要 より
https://yokohama.art.museum/exhibition/index/20190921-543.html
(以下同)
戦後の復興から高度経済成長への転換期にあった日本でも、前衛運動が盛り上がりをみせました。「自由な精神を具体的に提示」しようと1954年に結成された具体美術協会は、その代表格です。
床に拡げたカンヴァスに足で絵具を塗りたくる白髪一雄[しらが・かずお]。
カラフルな電球をつなげた服を着てパフォーマンスを行う田中敦子[たなか・あつこ]。
カンヴァスを斜めにして絵具を垂れ流す元永定正[もとなが・さだまさ]。
元永定正《作品》1963 小石を貼り付けているところも面白い。
みずからの身体と物質との格闘を繰り広げる彼らの活動は、57年に来日し「具体」をアンフォルメルの日本での展開と位置づけたタピエによって、国際的に紹介されました。
日用品や廃品、巷にあふれるイメージを作品に取り込み、芸術の垣根を打ち崩していったラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズたちの制作は、20世紀初頭のダダを継承するものとして「ネオダダ」と呼ばれます。
彼らの仕事は日本にも紹介され、1960年には吉村益信[よしむら・ますのぶ]、荒川修作[あらかわ・しゅうさく]、篠原有司男[しのはら・うしお]らがネオ・ダダイズム・オルガナイザーズを結成します。ジョーンズとラウシェンバーグの作品に登場する「星条旗」と「コカ・コーラ」を摸倣した篠原の《ドリンク・モア》は、政治経済にとどまらず世界の覇者に伸し上がったアメリカ文化に対する複雑な感情と、それを制作のパワーに逆転する作家の強靭な精神を感じさせる作品です。
篠原有司男《ラブリー・ラブリー・アメリカ(ドリンク・モア)》1964
隣に資料として展示されていた『美術手帳』232号(1964年)に、
この作品の作り方を説明していて、イミテーションを作ってみよう、と。
具体やネオダダの作家たちが描かれていて、おもしろーい!
篠原有司男《具体とネオダダ》1985
ジャスパー・ジョーンズ
左《フラッグズⅡ》1973 右《標的》1974 (どちらもシルクスクリーン)
大学の教授だった東野芳明先生が推していた
ジャスパー・ジョーンズの展覧会(1978.8.19-9.26)を、
今は無い池袋の西武美術館へ見に行ったなー。
円形の展示室へ入ると、おぉ! 宮川香山の壺だ!!
そうか、輸出に便利な横浜に窯を移したんでしたね。
宮川香山はヤマザキマザック美術館「世界に挑んだ明治の美」で
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2015-06-16
知って、岐阜県現代陶芸美術館にも所蔵作品があるので、
見てるんですが、この《高浮彫桜ニ群鳩大花瓶》の一対、
鳩や桜がとても優雅!
外国人の男性と女性が日本のキモノを着た掛軸が並んでいるのも
興味深かった。制作年不詳
伝 五姓田 芳柳《外国人男性和装像》《外国人女性和装像》
展示室1へ行くと、下村観山(1873-1930)のコーナーになっています。
初の文部省留学生として横浜港からイギリスに渡ったのは1903年2月21日のこと。2年のイギリス留学と半年にわたるヨーロッパ巡遊をとおして、水彩画を研究したり(ジョン・エヴァレット・ミレイ《ナイト・エラント》の模写)、絹地に日本画材でルネサンス絵画を模写したり(ラファエロ《椅子の聖母》《まひわの聖母》の模写)と、貪欲に西洋の表現を摂取しました。
《ナイト・エラント(ミレイの模写)》1904
《ラファエロ作「椅子の聖母」(模写)》1904
《まひわの聖母(ラファエロ模写)》1905
すごい!! 絹本着色でここまで模写できるんだ!! ラファエロの掛軸!!
そんな滞欧体験の成果が発揮された大作
下村観山《小倉山》1909
横浜美術館、たくさん下村観山持ってるんだって思ったら、
三渓園の原三溪が支援してて、横浜の本牧に居を構えてるんですね。
次へ進むと、木版画がたくさん並んでいます。
橋口五葉
優雅でロマンチック
吉田博
抒情的。水彩画のよう
川瀬巴水
重厚でドラマチック
ポール・ジャクレー
モダンでエキゾチック!
《オウム貝、ヤップ島》
《黒い蓮華、中国》 《雪の夜、朝鮮》
《メナドの男とマングスチン、セレベス島(果物の組の内)》
《朝鮮の男3人、ソウル》
《サイパンの娘とハイビスカスの花、マリアナ諸島》
《清馨さん》
《パリの婦人》
そして古い日本の風景を撮影した写真がずらりと並ぶ部屋もありました。
吹き抜けのエントランスを見下ろすスペースには、多くの彫刻が
展示されていました。
イサム・ノグチ《真夜中の太陽》1989
イサム・ノグチ《下方へ引く力》1970
輪が切れてズレてるww でも《真夜中の太陽》より
こっちの方が先に制作されているんだー。
階段の途中にも彫刻の展示があります。
ルネ・マグリット《レカミエ夫人》1967
マグリットの彫刻! レカミエ夫人が棺桶!!
オシップ・ザツキン《オルフェウス》1948
コンスタンティン・ブランクーシ《空間の鳥》1926(1982 Cast)
豊田市美術館の《雄鶏》1924 を、もっとシャープにしたカンジ
エントランス奥のグランドギャラリーには、
「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」の記念撮影用キューブが
バラの花束や絵筆とパレットを借りて撮影もできます(^▽^)/
横浜美術館とランドマークタワー
美術館前では、「縁市(えにしいち)」として、
コンサートや手作り品のブースが並んでいました。(11.30-12.1)
(美術館に来た時の写真と混在しています)
美術館横の入口前にあった
ヴェナンツォ・クロチェッティ《平和の若い騎手》1987
美術館へ行く途中に見た彫刻
安田侃《天泉》1997
ランドマークタワーとクイーンズスクエアの間にある
不思議な形の巨大なオブジェはカッコイイですね。
最上壽之《モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー》1994
このオブジェから、この場所がヨーヨー広場と呼ばれているそうですね。
‥‥いつまで12月1日(日)のことを書いているのかって、自分でも
呆れますが、実はまだ続きますー。
横浜美術館: https://yokohama.art.museum/
横浜美術館「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」 [美術]
12月1日(日)、横浜美術館へ行きました。
「横浜美術館開館30周年記念
オランジュリー美術館コレクション
ルノワールと
パリに恋した12人の画家たち」という展覧会をやっています。
11月30日(土)の夜、横浜・桜木町駅前のコレットマーレ7階
「海風季」にて、大学の友人や古い職場の同僚たちが集まる会に
参加するために横浜・桜木町へ行って、ルートイン横浜馬車道に
泊まったことは前記事に:
横浜忘年会 コスモクロック21
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-12-07
一緒に泊まった友人から、翌日は所用があるので
付き合えないって聞いていたので、
どこか美術館にでも行くつもりで、調べたんですが、
首都圏はあちこちでいい展覧会やっているんですけど、
私にとって「これは!」ってのがなかったし、
日曜なので上野とか混んでるだろうなーって。
横浜美術館のこの展覧会、いかにも日本人好みの
ルノワールや印象派やエコール・ド・パリの画家たちで、
ちよっとポピュラーすぎるかなぁ‥‥と思いつつも、
(この展覧会を見に横浜まで行こうとは思わなかった)
ルートインからも電車に乗らずに行けるし、
横浜美術館ってまだ行ったことなかったので――
なんて、消極的な理由で行った展覧会でしたが、
良かった!
まず、展示されているルノワールをはじめとする名画が
親しみやすい! 日本人が好きな西洋絵画っていうか、
中学の美術の教科書に載っている絵って、
こんなカンジじゃないですか?
(クリックで拡大します)
あまりカラヴァッジョとかデューラーとかって、
授業で取り上げないですよね? 印象派以前の絵って、
キリスト教の知識がないと理解できなかったりするし、
そういうリアルな絵って、絵を描く参考にはならないっていうか、
ユトリロの絵とか、風景画の「お手本」みたいな感じで
生徒作品と一緒に載ってたりしましたよね。
そして、これらオランジュリー美術館のコレクションの基になった
画商ポール・ギョームと妻ドメニカについて知ることができて、
とても興味深かったです。
展覧会の最初に展示されているのが、
アンドレ・ドランが描いた
《ポール・ギョームの肖像》1919年 と、
《大きな帽子を被るポール・ギョーム夫人の肖像》1928-29年
制作年が10年違うってのもあるかもしれませんが、
ポール・ギョームが、なんか頼りなさげな雰囲気なのに比べて、
夫人の意思が強い性格がわかるような肖像画が素敵。
ポール・ギョームの肖像は、アメデオ・モディリアーニや
キース・ヴァン・ドンゲンが描いたものがありましたし、
ギョーム夫人の肖像は、マリー・ローランサンが描いた絵も出てました。
チラシ裏面に並んでいるのは、モディリアーニが描いた
《新しき水先案内人ポール・ギョームの肖像》1915年と
ドランが描いた夫人の肖像
20世紀初頭のパリ、自動車修理工だったギョームは、アフリカ彫刻へ関心を寄せたことをきっかけにモンパルナスの芸術家たちと親交を深めます。 そして画廊を開設し、自らもコレクターとして作品収集をはじめました。 彼が私邸を美術館にする構想を抱きながらも、夢を果たせぬまま若くして世を去った後は、妻ドメニカがコレクションに手を加えていきました。
(チラシ裏面の文より)
私が興味深かったのは、ギョームとドメニカの美意識(?)の違い
例えば、アンリ・マティス
ポール・ギョームは1918年に自らの画廊で「マティスとピカソの作品展」を開催し、マティスの作品を何年にもわたって買い集めました。しかしギョームの死後、妻ドメニカは1910年代の大型作品を手放し、「ニース時代」(1917-1929)に描かれた作品だけを手元に残しました。
(ミニ図録より)
ピカソでは、ギョームが収集したキュビスム時代の作品の多くを
妻ドメニカは手放して「新古典主義」時代の作品を残したそう。
私もピカソの訳の分からんキュビスムの絵より、おおらかな
新古典主義の絵がいいなって思う(特にここに展示されてる
《布を纏う裸婦》1921-23年頃 大きな絵で迫力あります)けど、
捨てなれない私の性格からすると、スッパリ捨てて、
自分好みのコレクションにしたドメニカの強い意思って
すごいなぁって思ったりする。
そうした経緯でできたコレクションは、
ギヨームとドメニカの二番目の夫の名を冠した
「ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム コレクション」として
フランス国家へ譲渡され、オランジュリー美術館で展示されるようになったそう。
オランジュリー美術館の建物は、19世紀中頃にチュイルリー宮の庭園に建てられた
オレンジ温室(フランス語でオランジュリー)を改装したものなので、
そう呼ばれるようになったとか。
モネの「睡蓮」連作の展示室がある美術館なんですね。
ポール・ギョームは美術館をつくることを夢見たそうで、
1930年頃のポール・ギョームの邸宅のマケットが展示されていました。
(撮影可でした!)食堂
展覧会に出てたドランの《台所のテーブル》(写真ではシャンデリアで
隠れちゃってますが)や《踊り子ソニア》もあります。
ポール・ギョームの書斎
アフリカ彫刻らしきものもたくさん飾られていますね。
展覧会のタイトルにもなっているルノワールの作品が10点、
メインビジュアルにも使われている《ピアノを弾く少女たち》1892頃
どこかで見ている(もちろん本とか複製で)と思う絵ですが、
それはこちらの絵だったかも。オルセー美術館の
《ピアノに寄る少女たち》1892年 (wikiからダウンロードしました)
同じような構図の絵が少なくとも6点あるそうで、
オルセー美術館所蔵の絵の方が知られているかもしれません。
この絵と比べると、展覧会の絵はスケッチ風だけど、
少女たちの甘い柔らかさがより表現されているような。
(wikiにこちらの絵もありました)
隣に展示されていた
《ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル》1897-1898頃
描かれている壁にかかっている絵はドガの絵?
二人の女性たちは、ルノワールの友人アンリ・ルロルの娘です。ルロルは画家で美術品を収集し、音楽も愛していました。楽しげにグランド・ピアノを弾いているルロルの娘たちの背後の壁には、交流のあった画家ドガの作品がかけられています。
展覧会公式サイト/出品作家紹介/オーギュスト・ルノワール より
https://artexhibition.jp/orangerie2019/gallery/20190412-AEJ71754/
ルノワールが展覧会のタイトルになってるんですが、
出品点数としては13点でアンドレ・ドランが一番多いかな。
最初にあった夫妻の肖像画もだけど、
《アルルカンとピエロ》1924頃 は、ギョームが発注した作品で、
ギョームの自宅の壁に掛けられた写真がありました。
フォーヴィズムの画家とされるドランですが「1911年には伝統への 回帰を遂げ、古典的な画風に戻りました」(ミニ図録より)
この展覧会に出てたのは、古典的な画風に戻ってからの作品ですが、
それでもいろんな画風の絵があるなぁと。
面白かったのは、アンリ・ルソー
チラシ中面に使われている《婚礼》1905頃 なんて、
花嫁さんが宙に浮いちゃってるじゃーん! ってツッコミたくなるし、
《ジェニエ爺さんの二輪馬車》1908 では、犬が小さすぎるじゃん!!
思わずショップで、《人形を持つ子ども》1892頃 が表紙に使われている
『へんな西洋絵画』山田五郎 を買ってしまいましたよ!
「西洋にあえて「へん」に描く絵画が登場するのは、19世紀も後半に入ってから。」
「それ以前の西洋絵画には、わざと「へん」に描いた作品は存在しません。 丹念に絵具を塗り重ね、遠近法や陰影法を駆使して立体的かつリアルに描く西洋絵画は、あらゆる文化圏の絵画の中で最も「ガチ」な絵画ともいえ、日本の禅画や南画のように素朴さやゆるさを「味」としてめでる美意識が入り込む余地はありませんでした。私たち日本人が古典的な西洋絵画に息苦しさを感じ、印象主義以降の作品のほうが親しみやすいと感じがちなのもそのせいでしょう。」って指摘にはなるほど!って思った。
あと、
公式図録2,300円(+税)の解説や資料写真も捨てがたかったけど、
ミニ図録1,200円(+税)のコンパクトな可愛さと安さ(←これが大きい)に
ミニの方を買ってしまいました。
そしてお土産に、展覧会オリジナル「えの木てい」の横濱ローズサブレが
バラのパッケージに入っているものも購入800円(+税)
「えの木てい」は、5月に横浜に来た時に友人に連れて行ってもらいました。
横浜のバラと散策・えの木てい
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-06-02
ショップを出たところにガチャガチャがあったので、
やってみたらセザンヌが出ました。私的にはアタリ! です。
続いて、横浜美術館のコレクション展を見ましたが、
長くなるので、それは次の記事で。
横浜美術館: https://yokohama.art.museum/
「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」展覧会公式サイト:
https://artexhibition.jp/orangerie2019
「横浜美術館開館30周年記念
オランジュリー美術館コレクション
ルノワールと
パリに恋した12人の画家たち」という展覧会をやっています。
11月30日(土)の夜、横浜・桜木町駅前のコレットマーレ7階
「海風季」にて、大学の友人や古い職場の同僚たちが集まる会に
参加するために横浜・桜木町へ行って、ルートイン横浜馬車道に
泊まったことは前記事に:
横浜忘年会 コスモクロック21
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-12-07
一緒に泊まった友人から、翌日は所用があるので
付き合えないって聞いていたので、
どこか美術館にでも行くつもりで、調べたんですが、
首都圏はあちこちでいい展覧会やっているんですけど、
私にとって「これは!」ってのがなかったし、
日曜なので上野とか混んでるだろうなーって。
横浜美術館のこの展覧会、いかにも日本人好みの
ルノワールや印象派やエコール・ド・パリの画家たちで、
ちよっとポピュラーすぎるかなぁ‥‥と思いつつも、
(この展覧会を見に横浜まで行こうとは思わなかった)
ルートインからも電車に乗らずに行けるし、
横浜美術館ってまだ行ったことなかったので――
なんて、消極的な理由で行った展覧会でしたが、
良かった!
まず、展示されているルノワールをはじめとする名画が
親しみやすい! 日本人が好きな西洋絵画っていうか、
中学の美術の教科書に載っている絵って、
こんなカンジじゃないですか?
(クリックで拡大します)
あまりカラヴァッジョとかデューラーとかって、
授業で取り上げないですよね? 印象派以前の絵って、
キリスト教の知識がないと理解できなかったりするし、
そういうリアルな絵って、絵を描く参考にはならないっていうか、
ユトリロの絵とか、風景画の「お手本」みたいな感じで
生徒作品と一緒に載ってたりしましたよね。
そして、これらオランジュリー美術館のコレクションの基になった
画商ポール・ギョームと妻ドメニカについて知ることができて、
とても興味深かったです。
展覧会の最初に展示されているのが、
アンドレ・ドランが描いた
《ポール・ギョームの肖像》1919年 と、
《大きな帽子を被るポール・ギョーム夫人の肖像》1928-29年
制作年が10年違うってのもあるかもしれませんが、
ポール・ギョームが、なんか頼りなさげな雰囲気なのに比べて、
夫人の意思が強い性格がわかるような肖像画が素敵。
ポール・ギョームの肖像は、アメデオ・モディリアーニや
キース・ヴァン・ドンゲンが描いたものがありましたし、
ギョーム夫人の肖像は、マリー・ローランサンが描いた絵も出てました。
チラシ裏面に並んでいるのは、モディリアーニが描いた
《新しき水先案内人ポール・ギョームの肖像》1915年と
ドランが描いた夫人の肖像
20世紀初頭のパリ、自動車修理工だったギョームは、アフリカ彫刻へ関心を寄せたことをきっかけにモンパルナスの芸術家たちと親交を深めます。 そして画廊を開設し、自らもコレクターとして作品収集をはじめました。 彼が私邸を美術館にする構想を抱きながらも、夢を果たせぬまま若くして世を去った後は、妻ドメニカがコレクションに手を加えていきました。
(チラシ裏面の文より)
私が興味深かったのは、ギョームとドメニカの美意識(?)の違い
例えば、アンリ・マティス
ポール・ギョームは1918年に自らの画廊で「マティスとピカソの作品展」を開催し、マティスの作品を何年にもわたって買い集めました。しかしギョームの死後、妻ドメニカは1910年代の大型作品を手放し、「ニース時代」(1917-1929)に描かれた作品だけを手元に残しました。
(ミニ図録より)
ピカソでは、ギョームが収集したキュビスム時代の作品の多くを
妻ドメニカは手放して「新古典主義」時代の作品を残したそう。
私もピカソの訳の分からんキュビスムの絵より、おおらかな
新古典主義の絵がいいなって思う(特にここに展示されてる
《布を纏う裸婦》1921-23年頃 大きな絵で迫力あります)けど、
捨てなれない私の性格からすると、スッパリ捨てて、
自分好みのコレクションにしたドメニカの強い意思って
すごいなぁって思ったりする。
そうした経緯でできたコレクションは、
ギヨームとドメニカの二番目の夫の名を冠した
「ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム コレクション」として
フランス国家へ譲渡され、オランジュリー美術館で展示されるようになったそう。
オランジュリー美術館の建物は、19世紀中頃にチュイルリー宮の庭園に建てられた
オレンジ温室(フランス語でオランジュリー)を改装したものなので、
そう呼ばれるようになったとか。
モネの「睡蓮」連作の展示室がある美術館なんですね。
ポール・ギョームは美術館をつくることを夢見たそうで、
1930年頃のポール・ギョームの邸宅のマケットが展示されていました。
(撮影可でした!)食堂
展覧会に出てたドランの《台所のテーブル》(写真ではシャンデリアで
隠れちゃってますが)や《踊り子ソニア》もあります。
ポール・ギョームの書斎
アフリカ彫刻らしきものもたくさん飾られていますね。
展覧会のタイトルにもなっているルノワールの作品が10点、
メインビジュアルにも使われている《ピアノを弾く少女たち》1892頃
どこかで見ている(もちろん本とか複製で)と思う絵ですが、
それはこちらの絵だったかも。オルセー美術館の
《ピアノに寄る少女たち》1892年 (wikiからダウンロードしました)
同じような構図の絵が少なくとも6点あるそうで、
オルセー美術館所蔵の絵の方が知られているかもしれません。
この絵と比べると、展覧会の絵はスケッチ風だけど、
少女たちの甘い柔らかさがより表現されているような。
(wikiにこちらの絵もありました)
隣に展示されていた
《ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル》1897-1898頃
描かれている壁にかかっている絵はドガの絵?
二人の女性たちは、ルノワールの友人アンリ・ルロルの娘です。ルロルは画家で美術品を収集し、音楽も愛していました。楽しげにグランド・ピアノを弾いているルロルの娘たちの背後の壁には、交流のあった画家ドガの作品がかけられています。
展覧会公式サイト/出品作家紹介/オーギュスト・ルノワール より
https://artexhibition.jp/orangerie2019/gallery/20190412-AEJ71754/
ルノワールが展覧会のタイトルになってるんですが、
出品点数としては13点でアンドレ・ドランが一番多いかな。
最初にあった夫妻の肖像画もだけど、
《アルルカンとピエロ》1924頃 は、ギョームが発注した作品で、
ギョームの自宅の壁に掛けられた写真がありました。
フォーヴィズムの画家とされるドランですが「1911年には伝統への 回帰を遂げ、古典的な画風に戻りました」(ミニ図録より)
この展覧会に出てたのは、古典的な画風に戻ってからの作品ですが、
それでもいろんな画風の絵があるなぁと。
面白かったのは、アンリ・ルソー
チラシ中面に使われている《婚礼》1905頃 なんて、
花嫁さんが宙に浮いちゃってるじゃーん! ってツッコミたくなるし、
《ジェニエ爺さんの二輪馬車》1908 では、犬が小さすぎるじゃん!!
思わずショップで、《人形を持つ子ども》1892頃 が表紙に使われている
『へんな西洋絵画』山田五郎 を買ってしまいましたよ!
「西洋にあえて「へん」に描く絵画が登場するのは、19世紀も後半に入ってから。」
「それ以前の西洋絵画には、わざと「へん」に描いた作品は存在しません。 丹念に絵具を塗り重ね、遠近法や陰影法を駆使して立体的かつリアルに描く西洋絵画は、あらゆる文化圏の絵画の中で最も「ガチ」な絵画ともいえ、日本の禅画や南画のように素朴さやゆるさを「味」としてめでる美意識が入り込む余地はありませんでした。私たち日本人が古典的な西洋絵画に息苦しさを感じ、印象主義以降の作品のほうが親しみやすいと感じがちなのもそのせいでしょう。」って指摘にはなるほど!って思った。
あと、
公式図録2,300円(+税)の解説や資料写真も捨てがたかったけど、
ミニ図録1,200円(+税)のコンパクトな可愛さと安さ(←これが大きい)に
ミニの方を買ってしまいました。
そしてお土産に、展覧会オリジナル「えの木てい」の横濱ローズサブレが
バラのパッケージに入っているものも購入800円(+税)
「えの木てい」は、5月に横浜に来た時に友人に連れて行ってもらいました。
横浜のバラと散策・えの木てい
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-06-02
ショップを出たところにガチャガチャがあったので、
やってみたらセザンヌが出ました。私的にはアタリ! です。
続いて、横浜美術館のコレクション展を見ましたが、
長くなるので、それは次の記事で。
横浜美術館: https://yokohama.art.museum/
「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」展覧会公式サイト:
https://artexhibition.jp/orangerie2019
子年に届いた年賀状 [年賀状]
横浜へ行ったことを書いている途中ですが、
年賀状も考えなきゃ‥‥って時期なので、
(もう近年は年賀状は時代遅れって雰囲気もありますけど)
このブログの毎年恒例の記事になっている、
子年に我が家に届いた年賀状を紹介します。
前回の子年は2008年(平成20年)
2008年からもう干支が一回りするんですよ!!
はがき50円でした。
私、この年の年賀状デザインは頑張りました。
今は無き「デザインガーデン」で、
オリジナルデザインの年賀状を売ることができたので、
デザインをアップしてみたんです。
オリジナルデザイン年賀状
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2007-11-07
「ねずみの嫁入り」年賀状が何枚か売れて嬉しかったです。
この時のデザインガーデンの年賀状は、
画像をダウンロードするのではなく、
プリントしたハガキが送られてくるってシステムでした。
(デザインガーデンは富士フイルムがやってたので、
印刷のクォリティは高かったです。)
動物マンガも多く描いている漫画家の方からの年賀状
ジャコウネズミのキャラバン行動
(ネズミと言っても、モグラの仲間。) だそう。
2008年なんて、ついこの間じゃん!って思ってしまうけど、
その間に亡くなられた方からの年賀状もあって、
感慨にふけってしまいます。
飼っている猫の写真を使ったネズミ年の年賀状
一般の方(?)でもパソコンの素材集などから
素敵なデザインの年賀状が作れるようになりましたね。
これもパソコンの素材集からだと
ネズミたちが引く米俵に猫が(^^;)
コピーライターの方からの年賀状
ねずみ小僧次郎吉のお墓だそう。
パソコンで作った年賀状がほとんどの中、
手描きの年賀状は目立ちます。
子という文字でネズミが描かれてます。
その前(24年前)の子年は1996年(平成8年)
年賀状は2008年と変わらず50円。ただ郵便番号は5桁です。
毎年、木版多色刷りの年賀状を送ってくださる先生から
イラストレーターの方から、自分のイラストを印刷した年賀状
紙質も豪華で複雑な色が出てます。さすが。
ダイビングが趣味の友人から。ネズミの魚が泳いでます。
イラストのドットとか目立つけど、プリントがこの頃としてはキレイ。
パソコンで作ったものを会社のレーザープリンタで印刷した?
この頃はまだ家庭用のインクジェットプリンターの性能が
それほど良くなくて、宛名は多くが手書きか、
宛名シールにプリントして住所面に貼り付けるって方式が多いです。
(ワープロ専用機のプリントかな?)
コンピュータで作ったイラストも、写真に撮って貼り付けてたり。
シルクスクリーンですね。緑もわざわざ別版作ってるのかな?
細かい文字もちゃんと刷れてて、かなりの技術なんですが、
この数年後に、家庭用エプソンプリンターで、これと見間違える
レベルの印刷ができるようになって、あれは感動したなぁ‥‥
年賀状の印刷で多かったのがプリントゴッコ
蛍光色やメタリックインクなども使えるのが魅力でした。
プリントゴッコ用の素材集なども販売されてましたね。
息子の英語教室の先生から
小学4年の息子の同級生から届いた手描きの年賀状。
私が出した年賀状。
Macを持ってましたが、ほとんど使えてませんでしたねー。
この年賀状もプリントゴッコで作ってますし。
その前(36年前)の子年1984年(昭和59年)
はがき40円。
26歳、大学を卒業して4年目、仕事も私生活も‥‥まだ
「女はクリスマスケーキ」なんて言われてた時代ですから、
結婚は? なんて周囲からのプレッシャーもあったりして、
いろいろ忙しかったりしたんですが、あらためて見ると、
皆それぞれ凝った年賀状を送ってくれてますね。
シルクスクリーンです!! バックの金色の版も含めて、
何版刷ってるんだろう?!! 手間かかってます。
ネズミのベビーに交じって(^▽^)
人形作って撮影して「1984 あけた あけた」と。カワイイ!
シルクスクリーン「ねずみ花火」
蛍光インク使ってて、現物はもっとハデハデなんですけど。
こちらもシルクスクリーン。同じ版を色を変えてズラして刷った
効果が出てますね。
シルクスクリーン。いかにもデザイナーってカンジの年賀状。
デザイン科の同級生からの年賀状は
シルクスクリーンで作ったものも多かったです。
ハガキサイズのキットがあったとはいえ、今思うと、
手間かかるんですよー。
この頃は、一般の方(?)とクリエイティブやる人との年賀状って
はっきり違ってたんですよね。
彼女は日本画科卒業。パワーあふれる版画の年賀状
イラストレーションの授業を担当していただいた先生からの
木版画の年賀状。さすがです。
マンドリンクラブの先輩から。たしか染織だったと。
木版多色刷り。福寿草の色づかいが優しい。
年賀状だけど、思いっきり自分の世界ですね(^▽^)
プリントゴッコの素朴な味わいが生きてます。
子どもの写真を使った年賀状も多かったですが、
ミッキーマウスのお面をかぶっているところが
デザイン関係者! ってカンジですね。(職場の先輩からの年賀状)
私もプリントゴッコで作りました。4版重ねてます。
はい、24年後、デザインガーデンに出品して売れたモトはこれです。
その前(48年前)の子年は1972年(昭和47年)
中学2年生でした。年賀状7円。(1972年にはがき10円に値上げ)
同級生からの年賀状。ネズミの絵は印刷されていたもの。
シートの上から書くと、キラキラの文字が転写されるもので
文字を書いてくれてます。
同級生から。鶴の絵はハンコ(これなら干支に関係なく年賀状に使えますね)
14歳と26歳の違い!!
そしてこの間、ハガキが7円から40円になったように、
日本の社会も大きく変化した時代でした。
さて、今年もアイデアに苦しみつつも作ることにしますか。
年賀状だけの付き合いの方もいますけど、まぁ、それもいいんじゃないかと。
過去記事
亥年に届いた年賀状: https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2018-12-09
戌年に届いた年賀状: https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2017-12-09
酉年に届いた年賀状: https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2016-11-18
申年に届いた年賀状: https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2015-12-12
未年に届いた年賀状:https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2014-11-28
午年に届いた年賀状:https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2013-12-10
巳年に届いた年賀状:https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2012-12-11
辰年に届いた年賀状:https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2011-12-19
卯年に届いた年賀状:https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2010-11-11
寅年の年賀状を紹介した記事
年賀状の(私的)歴史:https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2009-11-24
年賀状も考えなきゃ‥‥って時期なので、
(もう近年は年賀状は時代遅れって雰囲気もありますけど)
このブログの毎年恒例の記事になっている、
子年に我が家に届いた年賀状を紹介します。
前回の子年は2008年(平成20年)
2008年からもう干支が一回りするんですよ!!
はがき50円でした。
私、この年の年賀状デザインは頑張りました。
今は無き「デザインガーデン」で、
オリジナルデザインの年賀状を売ることができたので、
デザインをアップしてみたんです。
オリジナルデザイン年賀状
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2007-11-07
「ねずみの嫁入り」年賀状が何枚か売れて嬉しかったです。
この時のデザインガーデンの年賀状は、
画像をダウンロードするのではなく、
プリントしたハガキが送られてくるってシステムでした。
(デザインガーデンは富士フイルムがやってたので、
印刷のクォリティは高かったです。)
動物マンガも多く描いている漫画家の方からの年賀状
ジャコウネズミのキャラバン行動
(ネズミと言っても、モグラの仲間。) だそう。
2008年なんて、ついこの間じゃん!って思ってしまうけど、
その間に亡くなられた方からの年賀状もあって、
感慨にふけってしまいます。
飼っている猫の写真を使ったネズミ年の年賀状
一般の方(?)でもパソコンの素材集などから
素敵なデザインの年賀状が作れるようになりましたね。
これもパソコンの素材集からだと
ネズミたちが引く米俵に猫が(^^;)
コピーライターの方からの年賀状
ねずみ小僧次郎吉のお墓だそう。
パソコンで作った年賀状がほとんどの中、
手描きの年賀状は目立ちます。
子という文字でネズミが描かれてます。
その前(24年前)の子年は1996年(平成8年)
年賀状は2008年と変わらず50円。ただ郵便番号は5桁です。
毎年、木版多色刷りの年賀状を送ってくださる先生から
イラストレーターの方から、自分のイラストを印刷した年賀状
紙質も豪華で複雑な色が出てます。さすが。
ダイビングが趣味の友人から。ネズミの魚が泳いでます。
イラストのドットとか目立つけど、プリントがこの頃としてはキレイ。
パソコンで作ったものを会社のレーザープリンタで印刷した?
この頃はまだ家庭用のインクジェットプリンターの性能が
それほど良くなくて、宛名は多くが手書きか、
宛名シールにプリントして住所面に貼り付けるって方式が多いです。
(ワープロ専用機のプリントかな?)
コンピュータで作ったイラストも、写真に撮って貼り付けてたり。
シルクスクリーンですね。緑もわざわざ別版作ってるのかな?
細かい文字もちゃんと刷れてて、かなりの技術なんですが、
この数年後に、家庭用エプソンプリンターで、これと見間違える
レベルの印刷ができるようになって、あれは感動したなぁ‥‥
年賀状の印刷で多かったのがプリントゴッコ
蛍光色やメタリックインクなども使えるのが魅力でした。
プリントゴッコ用の素材集なども販売されてましたね。
息子の英語教室の先生から
小学4年の息子の同級生から届いた手描きの年賀状。
私が出した年賀状。
Macを持ってましたが、ほとんど使えてませんでしたねー。
この年賀状もプリントゴッコで作ってますし。
その前(36年前)の子年1984年(昭和59年)
はがき40円。
26歳、大学を卒業して4年目、仕事も私生活も‥‥まだ
「女はクリスマスケーキ」なんて言われてた時代ですから、
結婚は? なんて周囲からのプレッシャーもあったりして、
いろいろ忙しかったりしたんですが、あらためて見ると、
皆それぞれ凝った年賀状を送ってくれてますね。
シルクスクリーンです!! バックの金色の版も含めて、
何版刷ってるんだろう?!! 手間かかってます。
ネズミのベビーに交じって(^▽^)
人形作って撮影して「1984 あけた あけた」と。カワイイ!
シルクスクリーン「ねずみ花火」
蛍光インク使ってて、現物はもっとハデハデなんですけど。
こちらもシルクスクリーン。同じ版を色を変えてズラして刷った
効果が出てますね。
シルクスクリーン。いかにもデザイナーってカンジの年賀状。
デザイン科の同級生からの年賀状は
シルクスクリーンで作ったものも多かったです。
ハガキサイズのキットがあったとはいえ、今思うと、
手間かかるんですよー。
この頃は、一般の方(?)とクリエイティブやる人との年賀状って
はっきり違ってたんですよね。
彼女は日本画科卒業。パワーあふれる版画の年賀状
イラストレーションの授業を担当していただいた先生からの
木版画の年賀状。さすがです。
マンドリンクラブの先輩から。たしか染織だったと。
木版多色刷り。福寿草の色づかいが優しい。
年賀状だけど、思いっきり自分の世界ですね(^▽^)
プリントゴッコの素朴な味わいが生きてます。
子どもの写真を使った年賀状も多かったですが、
ミッキーマウスのお面をかぶっているところが
デザイン関係者! ってカンジですね。(職場の先輩からの年賀状)
私もプリントゴッコで作りました。4版重ねてます。
はい、24年後、デザインガーデンに出品して売れたモトはこれです。
その前(48年前)の子年は1972年(昭和47年)
中学2年生でした。年賀状7円。(1972年にはがき10円に値上げ)
同級生からの年賀状。ネズミの絵は印刷されていたもの。
シートの上から書くと、キラキラの文字が転写されるもので
文字を書いてくれてます。
同級生から。鶴の絵はハンコ(これなら干支に関係なく年賀状に使えますね)
14歳と26歳の違い!!
そしてこの間、ハガキが7円から40円になったように、
日本の社会も大きく変化した時代でした。
さて、今年もアイデアに苦しみつつも作ることにしますか。
年賀状だけの付き合いの方もいますけど、まぁ、それもいいんじゃないかと。
過去記事
亥年に届いた年賀状: https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2018-12-09
戌年に届いた年賀状: https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2017-12-09
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寅年の年賀状を紹介した記事
年賀状の(私的)歴史:https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2009-11-24
横浜忘年会 コスモクロック21 [旅行]
11月30日(土)・12月1日(日)と、横浜・桜木町へ行ってきました。
大学の友人から、土曜夜に忘年会というか、大学の友人たちと
古い職場の同僚たちが集まる会があるけど来ない?と誘われて、
山梨の友人も参加するって聞いたし、
私のパート先に8月から入った方がかなり仕事にも慣れてきて、
シフトも余裕できそうだなって思ってたので、会える時は
会っておこうって、参加の返事をしたんです。
まぁ、それから参加するはずだった山梨の友人――
豊田市美術館「クリムト展」に
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-10-11
交通事故の骨折した足で来てくれたんですが――
インフルエンザ(?)で高熱と咳が出たあとに
ずっと咳が治まらず、今回来られないってことに。
(なんか今年は不運続き‥‥ってボヤいてました)
私のパート先も、期待していた新人さんが、家庭の都合で
辞めることになって、シフトの見直しをせざるを得なくなり、
土曜の休みが危なかったんですが、他の方の協力もあって
行けることになりました。
忘年会は18:30からですが、横浜の友人と大阪の友人とで
ランチをしようってことで、12:30に桜木町駅へ。
桜木町駅前のコレットマーレ
(今夜の忘年会はこちら7階の海風季で)
汽車道からみなとみらいを望む
横浜ランドマークタワーと紅葉
街の紅葉がきれい。
汽車道をまたぐ印象的な建物は「ナビオス横浜」
横浜の友人がランチを考えていたレストランが
閉店していたので、店を探しながら、
横浜赤レンガ倉庫へ
クリスマスマーケットをやっていて人でいっぱい!
(この写真は帰りに撮影したもの)
ガラスボックス席で
KUA'AINAの厚切りチェダーアボカドバーガーのセットを。
ちょっと追加料金出して、タピオカ入りのドリンクに。
ペット同伴可エリアでこんな方見ました。
ベビーカー(?)に小型犬がたくさん! カワイイ!!
(うまく写ってないんですが)
クリスマスのオーナメントとかスノードーム、
マトリョーシカなどのお店も並んでました。
向こうに見える大さん橋まで行ってみることに
大さん橋・国際客船ターミナルの入口
観光船や水上バスが行きかいます
赤レンガパークやみなとみらいを望む。
反対側にはマリンタワーや
山下公園に停泊している氷川丸が見えます。
サンタを乗せた船が出航していきました。
ウッドデッキのゆるやかな曲線がとても印象的な建造物ですね。
奥に進んだホールでは、ビーズの祭典ってイベントをやってて、
〈Bead Art Show 11月28日(木)~30日(土)〉
多種多様なビーズやクラフトのブースが並んでました。
ペデストリアンデッキを通って戻ります。
工場夜景を見る観光船だそう。ちょっといいかも!
塔が印象的な建物「横浜税関資料展示室」
これが「横浜三塔」の「クイーン」と呼ばれているんですってね。
ちなみに「キング」は神奈川県庁、
「ジャック」は横浜市開港記念会館 だそう。
象の鼻テラス
赤レンガパークにあった遺構
関東大震災で被災した旧税関事務所遺構
花壇としても利用されています。
旧横浜港駅プラットホーム
新しくできたという「横浜ハンマーヘッド」
タピオカドリンクに行列ができていたり、
“クルミッ子”を作っているところが見られたり、
スイーツのお店が充実しているカンジ。
「ハンマーヘッド」って、これのことかー!
これからこの周辺も公園として整備されるみたい。
施設内に描かれたイラストがオシャレ!!
宮崎信恵(ノブエ)・知恵(トモエ)姉妹によるイラストレーターユニット
「STOMACHACHE.(ストマックエイク)」のイラストだそう。
これはクイーンズスクエアに設置されていた
横浜ハンマーヘッドオープンの垂れ幕
海なし県・岐阜県人の私は海を見るだけでテンションあがります。
ヨットの帆をイメージしたという
ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルの建物は
やっぱりカッコイイ!!
まだ忘年会の時間まであるので、冗談交じりに
「観覧車にでも乗る?」と言うと、友人がおごってくれました。
(太っ腹! ありがとう)
世界最大の時計型大観覧車「コスモクロック21」 1人800円
遊園地(よこはまコスモワールド)が下に見えます。
赤レンガ倉庫も見えます。
ちょうど日没時、観覧車が上に上がっていくと、
沈んだ夕日がちょっとだけ顔を出しました。
ランドマークタワー
あ? ビルの間に見えるのは
富士山ですね!!
日帰り温泉・万葉倶楽部の屋上の足湯が見えます。
高層ビルの横の三日月がわかりますか?
コスモクロック21のイルミネーションも点灯しました。
イラストが素敵「みなとみらいのいきものたち」
音楽を奏でるツリー
「みなとみらい駅」のホームが見えます。
スヌーピーショップのディスプレイ
ランドマークタワーのクリスマスツリーには
雪が降る?!
まだ忘年会の開始時間には早かったけど、他の
参加者から「着いたよー」って連絡で
コレットマーレのイルミネーションがきれい
コレットマーレ7階「海風季(かぶき)」
窓から街の夜景が眺めらるお店
(私たちの席は窓際ではなかったですが、それでも夜景きれいでした)
8人が集まりました。
飲み放題(2時間)付のコース
前菜
お刺身盛り合わせ
(食べたり飲んだりしていると、写真撮るの忘れるんですよねー(^^;)
美味しかった蟹の写真がない(^o^;)
牛肉の鍋も美味しかった(しゃぶしゃぶより厚めの肉で、
とても柔らかかった!)
天ぷらは塩で
最後に握り寿司が出ます。
しっかりお料理食べて、飲み放題で1人5,000円で良かった?
満腹でお店を出て、全員で喫茶店に。
8人で入れる店を探して、桜木町駅下の PRONTO(プロント)へ
私はコーヒーだけで良かったけど、コーヒーが割高(510円くらい?)で、
(17:30以降はバーになるみたいなので高かったのかな?)
ケーキセットが850円くらい? だったので、
ケーキセットにしてしまいました(^^;
結局友人が全ておごってくれました。ごちそうさまー。
宿泊はいつものルートイン横浜馬車道
ツインを予約して、山梨の友人と泊まる予定だったんですが、
来れなかったので、今回も横浜の友人に一緒に泊まってもらいました。
ルートインは大浴場と無料の朝食が付いているのがウリ。
朝からしっかりいただきます。
クロワッサンが店内で焼いているってことで、
美味しかったです。
今回、デザートが充実してました!
ヨーグルト、ケーキ2種類、オレンジ、キウイ、パイナップル!!
横浜の友人はこの日、予定が入っていたので、ここで別れて、
私は横浜美術館へ向かいました。
そのことは次の記事で。
----
ルートイン横浜馬車道に泊まるのはこれで4回目!!
最初は2015年1月18日
単身上京(ルートイン横浜馬車道と周辺観光)
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2015-01-26
2回目は、2017年4月16日
「ミュシャ展」で上京したこと(横浜・六本木)
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2017-05-07
そして今年の5月26日にも横浜へ行ったんだった!!
横浜のバラと散策・えの木てい
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-06-02
私、ルートインの割引券が手に入るってこともあるんですが、
ここは横浜の便利な場所にあるのにお値打ちな値段だし、
朝食は豪華だし、友人と一緒に大浴場でのんびりできるのも嬉しい。
公式サイトより予約すると、指定の自販機で使える
コインがもらえて、好きなドリンクが選べるんですよ!
ホテルルートイン横浜馬車道:
https://www.route-inn.co.jp/hotel_list/kanagawa/index_hotel_id_530/
大学の友人から、土曜夜に忘年会というか、大学の友人たちと
古い職場の同僚たちが集まる会があるけど来ない?と誘われて、
山梨の友人も参加するって聞いたし、
私のパート先に8月から入った方がかなり仕事にも慣れてきて、
シフトも余裕できそうだなって思ってたので、会える時は
会っておこうって、参加の返事をしたんです。
まぁ、それから参加するはずだった山梨の友人――
豊田市美術館「クリムト展」に
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-10-11
交通事故の骨折した足で来てくれたんですが――
インフルエンザ(?)で高熱と咳が出たあとに
ずっと咳が治まらず、今回来られないってことに。
(なんか今年は不運続き‥‥ってボヤいてました)
私のパート先も、期待していた新人さんが、家庭の都合で
辞めることになって、シフトの見直しをせざるを得なくなり、
土曜の休みが危なかったんですが、他の方の協力もあって
行けることになりました。
忘年会は18:30からですが、横浜の友人と大阪の友人とで
ランチをしようってことで、12:30に桜木町駅へ。
桜木町駅前のコレットマーレ
(今夜の忘年会はこちら7階の海風季で)
汽車道からみなとみらいを望む
横浜ランドマークタワーと紅葉
街の紅葉がきれい。
汽車道をまたぐ印象的な建物は「ナビオス横浜」
横浜の友人がランチを考えていたレストランが
閉店していたので、店を探しながら、
横浜赤レンガ倉庫へ
クリスマスマーケットをやっていて人でいっぱい!
(この写真は帰りに撮影したもの)
ガラスボックス席で
KUA'AINAの厚切りチェダーアボカドバーガーのセットを。
ちょっと追加料金出して、タピオカ入りのドリンクに。
ペット同伴可エリアでこんな方見ました。
ベビーカー(?)に小型犬がたくさん! カワイイ!!
(うまく写ってないんですが)
クリスマスのオーナメントとかスノードーム、
マトリョーシカなどのお店も並んでました。
向こうに見える大さん橋まで行ってみることに
大さん橋・国際客船ターミナルの入口
観光船や水上バスが行きかいます
赤レンガパークやみなとみらいを望む。
反対側にはマリンタワーや
山下公園に停泊している氷川丸が見えます。
サンタを乗せた船が出航していきました。
ウッドデッキのゆるやかな曲線がとても印象的な建造物ですね。
奥に進んだホールでは、ビーズの祭典ってイベントをやってて、
〈Bead Art Show 11月28日(木)~30日(土)〉
多種多様なビーズやクラフトのブースが並んでました。
ペデストリアンデッキを通って戻ります。
工場夜景を見る観光船だそう。ちょっといいかも!
塔が印象的な建物「横浜税関資料展示室」
これが「横浜三塔」の「クイーン」と呼ばれているんですってね。
ちなみに「キング」は神奈川県庁、
「ジャック」は横浜市開港記念会館 だそう。
象の鼻テラス
赤レンガパークにあった遺構
関東大震災で被災した旧税関事務所遺構
花壇としても利用されています。
旧横浜港駅プラットホーム
新しくできたという「横浜ハンマーヘッド」
タピオカドリンクに行列ができていたり、
“クルミッ子”を作っているところが見られたり、
スイーツのお店が充実しているカンジ。
「ハンマーヘッド」って、これのことかー!
これからこの周辺も公園として整備されるみたい。
施設内に描かれたイラストがオシャレ!!
宮崎信恵(ノブエ)・知恵(トモエ)姉妹によるイラストレーターユニット
「STOMACHACHE.(ストマックエイク)」のイラストだそう。
これはクイーンズスクエアに設置されていた
横浜ハンマーヘッドオープンの垂れ幕
海なし県・岐阜県人の私は海を見るだけでテンションあがります。
ヨットの帆をイメージしたという
ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルの建物は
やっぱりカッコイイ!!
まだ忘年会の時間まであるので、冗談交じりに
「観覧車にでも乗る?」と言うと、友人がおごってくれました。
(太っ腹! ありがとう)
世界最大の時計型大観覧車「コスモクロック21」 1人800円
遊園地(よこはまコスモワールド)が下に見えます。
赤レンガ倉庫も見えます。
ちょうど日没時、観覧車が上に上がっていくと、
沈んだ夕日がちょっとだけ顔を出しました。
ランドマークタワー
あ? ビルの間に見えるのは
富士山ですね!!
日帰り温泉・万葉倶楽部の屋上の足湯が見えます。
高層ビルの横の三日月がわかりますか?
コスモクロック21のイルミネーションも点灯しました。
イラストが素敵「みなとみらいのいきものたち」
音楽を奏でるツリー
「みなとみらい駅」のホームが見えます。
スヌーピーショップのディスプレイ
ランドマークタワーのクリスマスツリーには
雪が降る?!
まだ忘年会の開始時間には早かったけど、他の
参加者から「着いたよー」って連絡で
コレットマーレのイルミネーションがきれい
コレットマーレ7階「海風季(かぶき)」
窓から街の夜景が眺めらるお店
(私たちの席は窓際ではなかったですが、それでも夜景きれいでした)
8人が集まりました。
飲み放題(2時間)付のコース
前菜
お刺身盛り合わせ
(食べたり飲んだりしていると、写真撮るの忘れるんですよねー(^^;)
美味しかった蟹の写真がない(^o^;)
牛肉の鍋も美味しかった(しゃぶしゃぶより厚めの肉で、
とても柔らかかった!)
天ぷらは塩で
最後に握り寿司が出ます。
しっかりお料理食べて、飲み放題で1人5,000円で良かった?
関連ランキング:寿司 | 桜木町駅、馬車道駅、みなとみらい駅
満腹でお店を出て、全員で喫茶店に。
8人で入れる店を探して、桜木町駅下の PRONTO(プロント)へ
私はコーヒーだけで良かったけど、コーヒーが割高(510円くらい?)で、
(17:30以降はバーになるみたいなので高かったのかな?)
ケーキセットが850円くらい? だったので、
ケーキセットにしてしまいました(^^;
結局友人が全ておごってくれました。ごちそうさまー。
宿泊はいつものルートイン横浜馬車道
ツインを予約して、山梨の友人と泊まる予定だったんですが、
来れなかったので、今回も横浜の友人に一緒に泊まってもらいました。
ルートインは大浴場と無料の朝食が付いているのがウリ。
朝からしっかりいただきます。
クロワッサンが店内で焼いているってことで、
美味しかったです。
今回、デザートが充実してました!
ヨーグルト、ケーキ2種類、オレンジ、キウイ、パイナップル!!
横浜の友人はこの日、予定が入っていたので、ここで別れて、
私は横浜美術館へ向かいました。
そのことは次の記事で。
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ルートイン横浜馬車道に泊まるのはこれで4回目!!
最初は2015年1月18日
単身上京(ルートイン横浜馬車道と周辺観光)
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2015-01-26
2回目は、2017年4月16日
「ミュシャ展」で上京したこと(横浜・六本木)
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2017-05-07
そして今年の5月26日にも横浜へ行ったんだった!!
横浜のバラと散策・えの木てい
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-06-02
私、ルートインの割引券が手に入るってこともあるんですが、
ここは横浜の便利な場所にあるのにお値打ちな値段だし、
朝食は豪華だし、友人と一緒に大浴場でのんびりできるのも嬉しい。
公式サイトより予約すると、指定の自販機で使える
コインがもらえて、好きなドリンクが選べるんですよ!
ホテルルートイン横浜馬車道:
https://www.route-inn.co.jp/hotel_list/kanagawa/index_hotel_id_530/