岐阜県現代陶芸美術館「フィンランド・グラスアート」展 [美術]
1月14日(日)岐阜県現代陶芸美術館へ行きました。
「フィンランド・グラスアート
輝きと彩りのモダンデザイン」展をやっています。
「フィンランド・グラスアート」展のチラシは、同時開催の
「ムーミンの食卓とコンヴィヴィアル展」とで1枚になっており、
2種類作られています。
透明なガラスを表面にしたものは「ムーミンの‥」がピンク
色のついたガラスをメインにしたものは「ムーミン‥」がグリーン
裏(中面)は左側の作品がちょっと入れ替わっています
北欧フィンランドの家具やテーブルウェアは、洗練された美しさと考え抜かれた機能性によって国外でも広く愛され、日本でも近年人気が高まり続けています。フィンランド工芸の発展は、1917年にロシアから独立した後に始まり、現代的な優れたデザインが次々と生み出されてきました。(チラシ裏(中?)面の文)
フィンランドのデザインはとても洗練されてて素敵!
ブログに感想が書けてないですが、
2017年に愛知県美術館で開催された
「フィンランド・デザイン展」
ここ、岐阜県現代陶芸美術館でも
「フィンランド陶芸」展 や、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-01-24
同時に開催されていた「マリメッコ・スピリッツ」展、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-01-26
「ルート・ブリュック」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2020-06-15
など、フィンランドのデザインをとりあげた展覧会を
見に行っています。で、今回はグラスアート!
私はどちらかと言うと陶芸よりガラスが好きだし、
昨年7月9日に放送された日曜美術館アートシーンで、
東京都庭園美術館で開催されていたこの展覧会の紹介を見て、
岐阜県現代陶芸美術館に巡回してくる! って
楽しみにしていました。
受付に岐阜県美術館の後援会員証を提示して入場します。
岐阜県現代陶芸美術館は、岐阜県美術館の後援会会員証で
無料で観覧できるんです(展覧会毎1回)
年会費3,000円はなんておトクなんでしょう!!
岐阜県現代陶芸美術館友の会の会員証で岐阜県美術館の
展覧会を見ることもできます。
なんと、フィンランド・グラスアート展は撮影可!!
以下《作品名》デザイン・制作年 と表記(出品リストより)
第1章 フィンランド・グラスアートの台頭
まずは、フィンランド・デザインの巨匠
アルヴァ・アアルト(1898-1976)と、
妻 アイノ・アアルト(1894-1949)
アルヴァとアイノ・アアルトは、フィンランド・デザイン界でモダニズムを推し進めた最も著名な建築家およびデザイナーである。(図録より)
建築から家具、日用品のデザインまで、
多岐にわたって活躍したアルヴァ・アアルトの
ガラス作品のアイコンとも言うべき花器
《サヴォイ》1937年
1936年のカルフラ=イッタラ・ガラス製作所のコンペで大賞を受賞し、翌年のパリ万国博覧会に出品された。同年ヘルシンキの中心街にオープンした高級レストラン「サヴォイ」に飾られたため、この名が付いた。(キャプションの説明より)
背の高い《フィンランディア》1937年
1937年にデザインされた作品なのに、今なおモダン!
木の吹き型が展示されていました
経済的考慮から使われた木の吹き型
《アアルト・ヴェース》シリーズに金属型が使用され始めたのは1980年代に入ってからである。ただし木型で吹かれたガラスは、表面に木ならではの風合いが生じるため、味わい深い表情が得られる。(図録より)
チラシ表面にも使われていた
アルヴァ&アイノ・アアルト《アアルト・フラワー》1939年
ガラスの重なりとグラデーションがきれい!
グンネル・ニューマン(1909-1948)
《魚》1937年
ミニマルなガラス器の底に魚が描かれ(カットされ)ています。
《カラー》1946年
植物・カラーの優美な姿が、ミニマムなラインで端正に表現されている。
ガラスの透明性・透過性を生かしたミニマムな形が素敵!!
《ストリーマー》1947年
静謐な雰囲気のなかに詩情が感じられます
第2章 黄金期の巨匠たち
カイ・フランク(1911-1989)
シンプルで機能的、実用的なイッタラのテーブルウェアの
デザインで有名なカイ・フランク
《プリズム》1953-56年
複雑な色合いは「ガラスの表面に別の色ガラスの層を薄く重ねたり、コーティングさせるフラッシュ技法と、別の色ガラスの層を厚く被せる被せガラスとの双方の手法を駆使して制作された」
《ヤマシギ》1953年
《アートグラス、ユニークピース》
左2つが1972年 中1972年 右1970年代前半
ヴェネチアの伝統技法・レースグラス「1950年代からこの希望に興味を持ったフランクは、イタリア人職人の手も借りて、1960年代初頭にこれを再興した。」
「アートグラス」とは、芸術的志向が高い作品で、
カイ・フランクはデザイナーのサインを刻むことを主張した。
「ユニークピース」とは、デザイナーが制作現場に立ち会って作られた
独自性の高いアートグラスのことだそう。
《アートグラス、ユニークピース》1968年
《アートグラス、ユニークピース》1970年代前半
チラシにも使われていますが、透明なガラス作品が多い中、
このカラフルさ、目立ちます。なんか楽しい!
《アートグラス、ユニークピース》1970年代
色ガラスならではのとろっとした質感がいいな。
左《サルガッソ海》1970年代
右《アートグラス、ユニークピース》1975年頃
こんなガラスの「遥か遠い海域の光の移ろいを想起させる」
素材感も素敵だなぁ!
タビオ・ヴィルッカラ(1915-1985)
「フィンランド・デザインは自然との結びつきが強いが、ヴィルッカラほどその幸せなハーモニーが顕著にみられるデザイナーはいないだろう」
《杏茸》1946年
《バーダルの氷》1960年
《氷上の釣り穴 1970/1975》1975年バージョン
1970年に70歳を迎えるウルホ・ケッコネン大統領への
誕生日プレゼントに、釣りをたしなむ大統領へ
氷上の釣り穴を模したデザイン。
ガラス作品は映り込みで美しく撮るのは難しいけど、
見る角度で印象が違うのも魅力!
《氷山》1950年
《スパイラル》1948年
《東京》1954年
《東京》というタイトルから、日本と何らかの繋がりを暗示させるが、今のところ関係性が判明していない。中央に内包した気泡は、ガラスが熱いうちに、濡れた木の棒を差した際に水蒸気が吹いた自然の形である。
左《アートグラス》1968年
中《ユリアナ》1972年
右《アメリカン・ヴァーズ/ブレジネフ・カップ(1972年バージョン)》1972年
ティモ・サルパネヴァ(1926-2006)
《蘭》1953年
ガラスなのに、とろんと柔らかなフォルムが素敵。
《アートグラス》1954年
左《夢へのゲートウェイ》1981年
中《アーキペラゴ》1979年
右《アーキペラゴ》1978年(ガラスの映り込みで形がわかりにくいですが)
とても透明性の高いガラスを使用しているんだなって。
左の《夢へのゲートウェイ》1981年 なんて、
透明すぎて中の気泡が空中に浮いているようにも見える
オイヴァ・トイッカ(1931-2019)
これまでシャープな美しさのガラス作品が多かったので、
トイッカのユニークな色と形のガラス作品、
見てて楽しい!
《シエッポ》1971年
シエッポとはヒタキのことだそう。
「現在に至るまでに1000種類を超えて続く〈バード・パイ・トイッカ〉シリーズの始まり」 「《シエッポ》は1971年から78年まで連続生産され、1995年から96年にかけて色違いが再生産された」
キューブ形のユニークな作品も!
左《8人の花嫁、ユニークピース》1986年
右《湖の宮殿、ユニークピース》1969年
左の《8人の花嫁、ユニークピース》
なんか物語が出来そう。見てて面白い!
左《問題の森》1990年
右《錆の時、ユニークピース》1980年代末-90年代初頭
ゴシックロマン(?)みたいな(スミマセン意味よくわかってないけど)
重厚でなんか物語を感じさせるような作品で迫力。
《知恵の樹、ユニークピース》2008年
うわぁーーー。なんかすごく自由で迫力だー!!!
第3章 フィンランド・グラスアートの今
マルック・サロ(1954- )
ガラス作品というより、ガラスも用いた
アート作品ってカンジ
ユーモラスで楽しい!
左《アイスタワー、ユニークピース》1988年
中《サンバ、ユニークピース》1987年
右《水門》1989年
左《アンフォラ、ユニークピース》1989年
右《アンフォラ、ユニークピース》1990年
《缶詰のフラワーパワー》2009年
左《アートグラス、ユニークピース》2017年
中《アートグラス、ユニークピース》2014年
右《歓声と囁き、ユニークピース》1998年
皿のざらざらした質感と滑らかな脚部との対比が面白い
様々な色や質感のガラスで制作されたマルック・サロの作品
でも皆どことなくユーモラスな雰囲気。
最後の部屋の前のコーナーに「フィンランドのピクニック」
として、ディスプレイされていました。
オイヴァ・トイッカのバードたちも置かれています。
ヨーナス・ラークソ(1980- )
《リコリスみたい》2012年、2013年
展覧会で発表された時、8歳だったラークソの息子が
「リコリスみたい」って言ったそう(^▽^)
リコリスは、北欧の暮らしになじみ深い、ハーブ系の黒いチューイング菓子
左《はちみつ》2014年
右《ココナッツ》2016年
ラークソの作品はタイトルも面白いですね。
《はちみつ》は黒いボディにバットゥート技法(同一方向に無数の彫りを刻む手法)に
インスピレーションを得て作られた、はちみつのような色合いのガラスが魅力。
《ココナッツ》のタイトルは今や本人すら思い出せないそう(^▽^)
左《傷痕》2015年
右《ココナッツ》2014年
《寿司》2015年
ヨーナス・ラークソの作品は、フィリグリー(レースグラス)や、
バットゥート技法など、ヴェネチアン・テクニックを独自に組み合わせる
などして作られているのがわかります。
展示室を出たところで、吹きガラスの制作の様子を写した映像が
展示されていました。
長くなってしまったので、
「ムーミンの食卓とコンヴィヴィアル展」については次の記事で
写真たくさん撮らせてもらったけど、やっぱりプロの撮った写真は違う!
図録購入しました。2,700円
表紙(帯)はティモ・サルパネヴァ《カヤック》1954年
帯をめくると、
オイヴァ・トイッカ《松の樹、ユニークピース》1970年代中頃と
《シエッポ》
さらにカバーをめくると、
タビオ・ヴィルッカラ《杏茸》が使われています。
「フィンランド・グラスアート」展は、
富山市ガラス美術館で、2022年11月3日(木・祝)~2023年1月29日(日)
茨城県陶芸美術館で、2023年3月18日(土)~6月11日(日)
東京都庭園美術館で、2023年6月24日(土)~9月3日(日)
山口県立萩美術館・浦上記念館で、2023年9月16日(土)~12月3日(日)
と開催されて、ここ
岐阜県現代陶芸美術館で、2023年12月16日(土)~2024年3月3日(日)
の後、
兵庫陶芸美術館で、2024年3月16日(土)~5月26日(日)
と巡回します。
岐阜県現代陶芸美術館: https://www.cpm-gifu.jp/museum/
「フィンランド・グラスアート
輝きと彩りのモダンデザイン」展をやっています。
「フィンランド・グラスアート」展のチラシは、同時開催の
「ムーミンの食卓とコンヴィヴィアル展」とで1枚になっており、
2種類作られています。
透明なガラスを表面にしたものは「ムーミンの‥」がピンク
色のついたガラスをメインにしたものは「ムーミン‥」がグリーン
裏(中面)は左側の作品がちょっと入れ替わっています
北欧フィンランドの家具やテーブルウェアは、洗練された美しさと考え抜かれた機能性によって国外でも広く愛され、日本でも近年人気が高まり続けています。フィンランド工芸の発展は、1917年にロシアから独立した後に始まり、現代的な優れたデザインが次々と生み出されてきました。(チラシ裏(中?)面の文)
フィンランドのデザインはとても洗練されてて素敵!
ブログに感想が書けてないですが、
2017年に愛知県美術館で開催された
「フィンランド・デザイン展」
ここ、岐阜県現代陶芸美術館でも
「フィンランド陶芸」展 や、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-01-24
同時に開催されていた「マリメッコ・スピリッツ」展、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-01-26
「ルート・ブリュック」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2020-06-15
など、フィンランドのデザインをとりあげた展覧会を
見に行っています。で、今回はグラスアート!
私はどちらかと言うと陶芸よりガラスが好きだし、
昨年7月9日に放送された日曜美術館アートシーンで、
東京都庭園美術館で開催されていたこの展覧会の紹介を見て、
岐阜県現代陶芸美術館に巡回してくる! って
楽しみにしていました。
受付に岐阜県美術館の後援会員証を提示して入場します。
岐阜県現代陶芸美術館は、岐阜県美術館の後援会会員証で
無料で観覧できるんです(展覧会毎1回)
年会費3,000円はなんておトクなんでしょう!!
岐阜県現代陶芸美術館友の会の会員証で岐阜県美術館の
展覧会を見ることもできます。
なんと、フィンランド・グラスアート展は撮影可!!
以下《作品名》デザイン・制作年 と表記(出品リストより)
第1章 フィンランド・グラスアートの台頭
まずは、フィンランド・デザインの巨匠
アルヴァ・アアルト(1898-1976)と、
妻 アイノ・アアルト(1894-1949)
アルヴァとアイノ・アアルトは、フィンランド・デザイン界でモダニズムを推し進めた最も著名な建築家およびデザイナーである。(図録より)
建築から家具、日用品のデザインまで、
多岐にわたって活躍したアルヴァ・アアルトの
ガラス作品のアイコンとも言うべき花器
《サヴォイ》1937年
1936年のカルフラ=イッタラ・ガラス製作所のコンペで大賞を受賞し、翌年のパリ万国博覧会に出品された。同年ヘルシンキの中心街にオープンした高級レストラン「サヴォイ」に飾られたため、この名が付いた。(キャプションの説明より)
背の高い《フィンランディア》1937年
1937年にデザインされた作品なのに、今なおモダン!
木の吹き型が展示されていました
経済的考慮から使われた木の吹き型
《アアルト・ヴェース》シリーズに金属型が使用され始めたのは1980年代に入ってからである。ただし木型で吹かれたガラスは、表面に木ならではの風合いが生じるため、味わい深い表情が得られる。(図録より)
チラシ表面にも使われていた
アルヴァ&アイノ・アアルト《アアルト・フラワー》1939年
ガラスの重なりとグラデーションがきれい!
グンネル・ニューマン(1909-1948)
《魚》1937年
ミニマルなガラス器の底に魚が描かれ(カットされ)ています。
《カラー》1946年
植物・カラーの優美な姿が、ミニマムなラインで端正に表現されている。
ガラスの透明性・透過性を生かしたミニマムな形が素敵!!
《ストリーマー》1947年
静謐な雰囲気のなかに詩情が感じられます
第2章 黄金期の巨匠たち
カイ・フランク(1911-1989)
シンプルで機能的、実用的なイッタラのテーブルウェアの
デザインで有名なカイ・フランク
《プリズム》1953-56年
複雑な色合いは「ガラスの表面に別の色ガラスの層を薄く重ねたり、コーティングさせるフラッシュ技法と、別の色ガラスの層を厚く被せる被せガラスとの双方の手法を駆使して制作された」
《ヤマシギ》1953年
《アートグラス、ユニークピース》
左2つが1972年 中1972年 右1970年代前半
ヴェネチアの伝統技法・レースグラス「1950年代からこの希望に興味を持ったフランクは、イタリア人職人の手も借りて、1960年代初頭にこれを再興した。」
「アートグラス」とは、芸術的志向が高い作品で、
カイ・フランクはデザイナーのサインを刻むことを主張した。
「ユニークピース」とは、デザイナーが制作現場に立ち会って作られた
独自性の高いアートグラスのことだそう。
《アートグラス、ユニークピース》1968年
《アートグラス、ユニークピース》1970年代前半
チラシにも使われていますが、透明なガラス作品が多い中、
このカラフルさ、目立ちます。なんか楽しい!
《アートグラス、ユニークピース》1970年代
色ガラスならではのとろっとした質感がいいな。
左《サルガッソ海》1970年代
右《アートグラス、ユニークピース》1975年頃
こんなガラスの「遥か遠い海域の光の移ろいを想起させる」
素材感も素敵だなぁ!
タビオ・ヴィルッカラ(1915-1985)
「フィンランド・デザインは自然との結びつきが強いが、ヴィルッカラほどその幸せなハーモニーが顕著にみられるデザイナーはいないだろう」
《杏茸》1946年
《バーダルの氷》1960年
《氷上の釣り穴 1970/1975》1975年バージョン
1970年に70歳を迎えるウルホ・ケッコネン大統領への
誕生日プレゼントに、釣りをたしなむ大統領へ
氷上の釣り穴を模したデザイン。
ガラス作品は映り込みで美しく撮るのは難しいけど、
見る角度で印象が違うのも魅力!
《氷山》1950年
《スパイラル》1948年
《東京》1954年
《東京》というタイトルから、日本と何らかの繋がりを暗示させるが、今のところ関係性が判明していない。中央に内包した気泡は、ガラスが熱いうちに、濡れた木の棒を差した際に水蒸気が吹いた自然の形である。
左《アートグラス》1968年
中《ユリアナ》1972年
右《アメリカン・ヴァーズ/ブレジネフ・カップ(1972年バージョン)》1972年
ティモ・サルパネヴァ(1926-2006)
《蘭》1953年
ガラスなのに、とろんと柔らかなフォルムが素敵。
《アートグラス》1954年
左《夢へのゲートウェイ》1981年
中《アーキペラゴ》1979年
右《アーキペラゴ》1978年(ガラスの映り込みで形がわかりにくいですが)
とても透明性の高いガラスを使用しているんだなって。
左の《夢へのゲートウェイ》1981年 なんて、
透明すぎて中の気泡が空中に浮いているようにも見える
オイヴァ・トイッカ(1931-2019)
これまでシャープな美しさのガラス作品が多かったので、
トイッカのユニークな色と形のガラス作品、
見てて楽しい!
《シエッポ》1971年
シエッポとはヒタキのことだそう。
「現在に至るまでに1000種類を超えて続く〈バード・パイ・トイッカ〉シリーズの始まり」 「《シエッポ》は1971年から78年まで連続生産され、1995年から96年にかけて色違いが再生産された」
キューブ形のユニークな作品も!
左《8人の花嫁、ユニークピース》1986年
右《湖の宮殿、ユニークピース》1969年
左の《8人の花嫁、ユニークピース》
なんか物語が出来そう。見てて面白い!
左《問題の森》1990年
右《錆の時、ユニークピース》1980年代末-90年代初頭
ゴシックロマン(?)みたいな(スミマセン意味よくわかってないけど)
重厚でなんか物語を感じさせるような作品で迫力。
《知恵の樹、ユニークピース》2008年
うわぁーーー。なんかすごく自由で迫力だー!!!
第3章 フィンランド・グラスアートの今
マルック・サロ(1954- )
ガラス作品というより、ガラスも用いた
アート作品ってカンジ
ユーモラスで楽しい!
左《アイスタワー、ユニークピース》1988年
中《サンバ、ユニークピース》1987年
右《水門》1989年
左《アンフォラ、ユニークピース》1989年
右《アンフォラ、ユニークピース》1990年
《缶詰のフラワーパワー》2009年
左《アートグラス、ユニークピース》2017年
中《アートグラス、ユニークピース》2014年
右《歓声と囁き、ユニークピース》1998年
皿のざらざらした質感と滑らかな脚部との対比が面白い
様々な色や質感のガラスで制作されたマルック・サロの作品
でも皆どことなくユーモラスな雰囲気。
最後の部屋の前のコーナーに「フィンランドのピクニック」
として、ディスプレイされていました。
オイヴァ・トイッカのバードたちも置かれています。
ヨーナス・ラークソ(1980- )
《リコリスみたい》2012年、2013年
展覧会で発表された時、8歳だったラークソの息子が
「リコリスみたい」って言ったそう(^▽^)
リコリスは、北欧の暮らしになじみ深い、ハーブ系の黒いチューイング菓子
左《はちみつ》2014年
右《ココナッツ》2016年
ラークソの作品はタイトルも面白いですね。
《はちみつ》は黒いボディにバットゥート技法(同一方向に無数の彫りを刻む手法)に
インスピレーションを得て作られた、はちみつのような色合いのガラスが魅力。
《ココナッツ》のタイトルは今や本人すら思い出せないそう(^▽^)
左《傷痕》2015年
右《ココナッツ》2014年
《寿司》2015年
ヨーナス・ラークソの作品は、フィリグリー(レースグラス)や、
バットゥート技法など、ヴェネチアン・テクニックを独自に組み合わせる
などして作られているのがわかります。
展示室を出たところで、吹きガラスの制作の様子を写した映像が
展示されていました。
長くなってしまったので、
「ムーミンの食卓とコンヴィヴィアル展」については次の記事で
写真たくさん撮らせてもらったけど、やっぱりプロの撮った写真は違う!
図録購入しました。2,700円
表紙(帯)はティモ・サルパネヴァ《カヤック》1954年
帯をめくると、
オイヴァ・トイッカ《松の樹、ユニークピース》1970年代中頃と
《シエッポ》
さらにカバーをめくると、
タビオ・ヴィルッカラ《杏茸》が使われています。
「フィンランド・グラスアート」展は、
富山市ガラス美術館で、2022年11月3日(木・祝)~2023年1月29日(日)
茨城県陶芸美術館で、2023年3月18日(土)~6月11日(日)
東京都庭園美術館で、2023年6月24日(土)~9月3日(日)
山口県立萩美術館・浦上記念館で、2023年9月16日(土)~12月3日(日)
と開催されて、ここ
岐阜県現代陶芸美術館で、2023年12月16日(土)~2024年3月3日(日)
の後、
兵庫陶芸美術館で、2024年3月16日(土)~5月26日(日)
と巡回します。
岐阜県現代陶芸美術館: https://www.cpm-gifu.jp/museum/
ヤマザキマザック美術館「杉浦非水の世界」 [美術]
1月7日(日)、ジェイアール名古屋タカシマヤで
「京都 細見美術館の名品」展を見た後、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-01-15
ヤマザキマザック美術館へ行きました。
「レトロ・モダン・おしゃれ
杉浦非水の世界」という展覧会をやっています。
杉浦非水のデザインは大好きだし、
ヤマザキマザック美術館も私の好きな美術館で
ここの企画展は全て見に行っているんですが、
杉浦非水の展覧会は2022年1月4日(火)に
三重県立美術館へ見に行ったなーってことと、
会期がわりと長いので、
2023年10月27日(金)~2024年2月25日(日)
のんびりしていたんですね。さすがにもう行かなくては、と。
入館料一般1,300円が、大垣共立銀行の年金サークル
「スマイル倶楽部」の会員証で100円引きの1,200円になりました。
市バス・地下鉄のドニチエコきっぷや一日乗車券や、
名古屋市美術館「ガウディとサグラダ・ファミリア展」のチケットでも
100円引きになります。(併用不可)
4階から見て行きます。無料の音声ガイド借りました。
今回の企画展は撮影不可でした。
最初に展示されていたのはポスター
《貯蓄は根の如く 平和は花の如し》1917年頃
この展覧会、前期2023年10月27日(金)~2024年1月8日(月・祝)と
後期1月10日(水)~2月25日(日)で、展示替えがあり、
見に行ったのは前期だったので、原画の展示でした。
三重県立美術館で見た「杉浦非水 時代をひらくデザイン」展の図録より
原画の「平和条約成立記念」という文字が線で消してあり、
出来上がったポスターにはありません。
1917年というと、大正6年 第一次世界大戦のさなか。
ロシア革命がおこった年。平和条約とは、
アメリカ合衆国ウィルソン大統領の十四か条の平和原則のこと?
(スミマセン、このあたり全く無知でネットで調べた知識です)
「平和は花の如し」この時代に平和が美しくいいものだって
認識されていたんだなぁって(これから第二次世界大戦もあるのに)
でも花のように儚いものだともとれる。
だから貯蓄をしましょうってメッセージなんだろうけど。
それから有名な三越のポスター(チラシ中面左上)
あれ?展示されていたポスターの女性が手にしているのは
「みつこしタイムス」だけど、三重県立美術館で見たのは
「三越」を持っている!?
三重県立美術館で見た「杉浦非水 時代をひらくデザイン」展の図録より
《三越呉服店 春の新柄陳列会》1914年
岐阜長良川鵜飼のポスターもあったのは興味深い
ヤマザキマザック美術館の図録より
(私が見た前期に展示されていたのは上左側)
三越の広報誌「みつこしタイムス」や「三越」がズラリと並びます。
アール・ヌーヴォー風、アール・デコ風、人物から動物、植物、
西洋風から日本風、表表紙と裏表紙がつながったデザインなど様々。
「三越の非水か、非水の三越か」と言われたとか。
興味深かったのが、杉浦非水の作品は故郷にある愛媛県美術館に
充実したコレクションがあって、三重県立美術館で見た展覧会でも
かなりの作品が愛媛県美術館の所蔵作品でした。
今回も愛媛県美術館の所蔵作品が多く出品されていますが、
この三越広報誌、ヤマザキマザック美術館所蔵のものも
多くあったこと。
『子宝』という、三越顧問であった児童文学者、巌谷小波(いわや さざなみ)の
監修のもとに、非水が挿絵と装丁を担当した育児記録書が展示されていましたが、
非水が「此当時としては寝食を忘れるほど没頭して数ヵ月を費やして完成した」
「出来上がってみると予告定価一冊金五円也は遂に原価に到達してしまった」
という育児記録書というよりも贅沢な石版画(リトグラフ)の作品集でした。
そして、島根県出雲市の造り酒屋のお嬢さんが
嫁入りの時に仕立ててもらったという
《白地鈴蘭に鳥模様長襦袢》1913-16年頃(チラシ中面右中段)
非水の『三越』第3巻第8号(1913年8月刊行)の表紙デザインが
使われているとのことだけど、とてもカワイイ!!
ヤマザキマザック美術館のショップで買った
「杉浦非水のデザイン」の表紙にもこの柄が使われています。
『非水百花譜』が展示されていました。
去年3月、東京国立近代美術館のコレクション展で見て、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-04-24
これ木版画なの?! って驚いたんですけど、
三重県立美術館でも見てるはずなんですよね。
今回の展覧会見てきて、三重県立美術館で買った図録あらためて見たら、
ちゃんと載ってるじゃないですか! それも大正版も昭和版も!
大正版は島根県立石見美術館のものが、
昭和版は愛媛県美術館のものが出品されていました。
1920-22(大正9-11)年に1輯5点の花弁図を20輯、計100点を刊行した
『非水百花譜』
非水が原画を描き、当代一流の彫り師と刷り師が木版画にした花の図譜だが、ただの木版画集ではなく、グレー一色で刷った花のシルエット図「投影写生図」と、写真図版(その多くは非水自身が撮影)・部分図等が掲載された植物解説が3枚セットになっており、豪華な植物図鑑にもなっている。
1923(大正12)年の関東大震災の折に版木が焼失したため、非水の手元にあった原画から再び版木を作り、1929-34(昭和4-9)年に再販した。(ヤマザキマザック美術館の図録より)
今回展示されていたのは昭和版(愛媛県美術館所蔵)
これが木版画?! って驚くほど繊細で美しい!
とてもリアルなのに構図とか、デザイン的にもきれい!!
ヤマザキマザック美術館が所蔵する植物文様が施された
ガレなどのガラス器も隣に展示されていて素敵でした。
非水のデザインしたタバコのパッケージや、
図案集、雑誌表紙、書籍装丁、広告等もいろいろ展示されていました。
非水の妻・翠子(すいこ)の歌集の装丁はもちろん、
翠子の実兄で福澤諭吉の娘婿となった実業家・福澤桃介の伝記の装丁や、
福澤が女優川上貞奴と暮らした名古屋の邸宅
「二葉御殿」(現・文化のみち二葉館)の
ステンドグラスの一部は非水のデザインとのこと。
非水は1922-24(大正11-13)年、46歳の時
念願だったヨーロッパ留学を果たします。
(関東大震災のため予定を短縮して帰国)
この間に描かれた《滞欧期スケッチ》や《ヨーロッパ日記》
非水の旅行鞄(鞄というよりもはや家具では?)も展示されていました。
非水は滞欧中に300点ものポスターを収集しているそう。
非水のポスター《三越呉服店新館落成》1914年 に描かれたような
ジョルジュ・ドゥイエ《レセプション・ドレス》1903年頃 や、
《銀座三越 四月十日開店》1930年 に描かれたような
ガブリエル・シャネル《ディ・スーツ》1927年頃 も
展示されていて興味深かった。
(どちらも神戸ファッション美術館所蔵)
5階の常設展を見た後(去年7月9日に見た時の記事)
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-08-10
ショップで、
図録500円(ここの図録はリーズナブルで嬉しい)と、
「杉浦非水のデザイン」3,080円を買いました。
裏表紙
非水のこんな図案、とても素敵!
年賀状のデザインいいな、真似したい!
三重県立美術館「杉浦非水 時代をひらくデザイン」
あらためて図録見たら、すごい出品数と充実ぶりに驚いた。
やっぱり、ブログに感想書いておかないと忘れちゃうんだなと反省。
ブログに感想を書こうとすると、少なくとも図録は
もっと丁寧に読んだはず(^^;
三重県立美術館の記念撮影スポット
《東洋随一の地下鉄道 上野浅草間開通》1927年 の
ホームの乗客の中に紛れ込むことができます。
欧州留学中に目にしたアール・デコの幾何学的デザインの
影響がわかります。手前の女性の洋装もモダン。
三重県立美術館、こんなディスプレイもありました。
ショップで図録と、非水デザインのスカーフエコバッグを購入。
これ、今でも私のバッグの持ち手につけて使ってます。
外すとエコバッグになるんですよ! オシャレで便利です!!
「杉浦非水 時代をひらくデザイン」展は、
島根県立石見美術館で2021年7月3日(土)~8月30日(月)
たばこと塩の博物館で2021年9月11日(土)~11月14日(日)
三重県立美術館で2021年11月23日(火・祝)~2022年1月30日(日)
福岡県立美術館で2022年4月15日(金)~6月12日(日)
と、巡回しました。
ヤマザキマザック美術館の展示は巡回ありません。
ヤマザキマザック美術館: https://www.mazak-art.com/
「京都 細見美術館の名品」展を見た後、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2024-01-15
ヤマザキマザック美術館へ行きました。
「レトロ・モダン・おしゃれ
杉浦非水の世界」という展覧会をやっています。
杉浦非水のデザインは大好きだし、
ヤマザキマザック美術館も私の好きな美術館で
ここの企画展は全て見に行っているんですが、
杉浦非水の展覧会は2022年1月4日(火)に
三重県立美術館へ見に行ったなーってことと、
会期がわりと長いので、
2023年10月27日(金)~2024年2月25日(日)
のんびりしていたんですね。さすがにもう行かなくては、と。
入館料一般1,300円が、大垣共立銀行の年金サークル
「スマイル倶楽部」の会員証で100円引きの1,200円になりました。
市バス・地下鉄のドニチエコきっぷや一日乗車券や、
名古屋市美術館「ガウディとサグラダ・ファミリア展」のチケットでも
100円引きになります。(併用不可)
4階から見て行きます。無料の音声ガイド借りました。
今回の企画展は撮影不可でした。
最初に展示されていたのはポスター
《貯蓄は根の如く 平和は花の如し》1917年頃
この展覧会、前期2023年10月27日(金)~2024年1月8日(月・祝)と
後期1月10日(水)~2月25日(日)で、展示替えがあり、
見に行ったのは前期だったので、原画の展示でした。
三重県立美術館で見た「杉浦非水 時代をひらくデザイン」展の図録より
原画の「平和条約成立記念」という文字が線で消してあり、
出来上がったポスターにはありません。
1917年というと、大正6年 第一次世界大戦のさなか。
ロシア革命がおこった年。平和条約とは、
アメリカ合衆国ウィルソン大統領の十四か条の平和原則のこと?
(スミマセン、このあたり全く無知でネットで調べた知識です)
「平和は花の如し」この時代に平和が美しくいいものだって
認識されていたんだなぁって(これから第二次世界大戦もあるのに)
でも花のように儚いものだともとれる。
だから貯蓄をしましょうってメッセージなんだろうけど。
それから有名な三越のポスター(チラシ中面左上)
あれ?展示されていたポスターの女性が手にしているのは
「みつこしタイムス」だけど、三重県立美術館で見たのは
「三越」を持っている!?
三重県立美術館で見た「杉浦非水 時代をひらくデザイン」展の図録より
《三越呉服店 春の新柄陳列会》1914年
岐阜長良川鵜飼のポスターもあったのは興味深い
ヤマザキマザック美術館の図録より
(私が見た前期に展示されていたのは上左側)
三越の広報誌「みつこしタイムス」や「三越」がズラリと並びます。
アール・ヌーヴォー風、アール・デコ風、人物から動物、植物、
西洋風から日本風、表表紙と裏表紙がつながったデザインなど様々。
「三越の非水か、非水の三越か」と言われたとか。
興味深かったのが、杉浦非水の作品は故郷にある愛媛県美術館に
充実したコレクションがあって、三重県立美術館で見た展覧会でも
かなりの作品が愛媛県美術館の所蔵作品でした。
今回も愛媛県美術館の所蔵作品が多く出品されていますが、
この三越広報誌、ヤマザキマザック美術館所蔵のものも
多くあったこと。
『子宝』という、三越顧問であった児童文学者、巌谷小波(いわや さざなみ)の
監修のもとに、非水が挿絵と装丁を担当した育児記録書が展示されていましたが、
非水が「此当時としては寝食を忘れるほど没頭して数ヵ月を費やして完成した」
「出来上がってみると予告定価一冊金五円也は遂に原価に到達してしまった」
という育児記録書というよりも贅沢な石版画(リトグラフ)の作品集でした。
そして、島根県出雲市の造り酒屋のお嬢さんが
嫁入りの時に仕立ててもらったという
《白地鈴蘭に鳥模様長襦袢》1913-16年頃(チラシ中面右中段)
非水の『三越』第3巻第8号(1913年8月刊行)の表紙デザインが
使われているとのことだけど、とてもカワイイ!!
ヤマザキマザック美術館のショップで買った
「杉浦非水のデザイン」の表紙にもこの柄が使われています。
『非水百花譜』が展示されていました。
去年3月、東京国立近代美術館のコレクション展で見て、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-04-24
これ木版画なの?! って驚いたんですけど、
三重県立美術館でも見てるはずなんですよね。
今回の展覧会見てきて、三重県立美術館で買った図録あらためて見たら、
ちゃんと載ってるじゃないですか! それも大正版も昭和版も!
大正版は島根県立石見美術館のものが、
昭和版は愛媛県美術館のものが出品されていました。
1920-22(大正9-11)年に1輯5点の花弁図を20輯、計100点を刊行した
『非水百花譜』
非水が原画を描き、当代一流の彫り師と刷り師が木版画にした花の図譜だが、ただの木版画集ではなく、グレー一色で刷った花のシルエット図「投影写生図」と、写真図版(その多くは非水自身が撮影)・部分図等が掲載された植物解説が3枚セットになっており、豪華な植物図鑑にもなっている。
1923(大正12)年の関東大震災の折に版木が焼失したため、非水の手元にあった原画から再び版木を作り、1929-34(昭和4-9)年に再販した。(ヤマザキマザック美術館の図録より)
今回展示されていたのは昭和版(愛媛県美術館所蔵)
これが木版画?! って驚くほど繊細で美しい!
とてもリアルなのに構図とか、デザイン的にもきれい!!
ヤマザキマザック美術館が所蔵する植物文様が施された
ガレなどのガラス器も隣に展示されていて素敵でした。
非水のデザインしたタバコのパッケージや、
図案集、雑誌表紙、書籍装丁、広告等もいろいろ展示されていました。
非水の妻・翠子(すいこ)の歌集の装丁はもちろん、
翠子の実兄で福澤諭吉の娘婿となった実業家・福澤桃介の伝記の装丁や、
福澤が女優川上貞奴と暮らした名古屋の邸宅
「二葉御殿」(現・文化のみち二葉館)の
ステンドグラスの一部は非水のデザインとのこと。
非水は1922-24(大正11-13)年、46歳の時
念願だったヨーロッパ留学を果たします。
(関東大震災のため予定を短縮して帰国)
この間に描かれた《滞欧期スケッチ》や《ヨーロッパ日記》
非水の旅行鞄(鞄というよりもはや家具では?)も展示されていました。
非水は滞欧中に300点ものポスターを収集しているそう。
非水のポスター《三越呉服店新館落成》1914年 に描かれたような
ジョルジュ・ドゥイエ《レセプション・ドレス》1903年頃 や、
《銀座三越 四月十日開店》1930年 に描かれたような
ガブリエル・シャネル《ディ・スーツ》1927年頃 も
展示されていて興味深かった。
(どちらも神戸ファッション美術館所蔵)
5階の常設展を見た後(去年7月9日に見た時の記事)
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-08-10
ショップで、
図録500円(ここの図録はリーズナブルで嬉しい)と、
「杉浦非水のデザイン」3,080円を買いました。
裏表紙
非水のこんな図案、とても素敵!
年賀状のデザインいいな、真似したい!
三重県立美術館「杉浦非水 時代をひらくデザイン」
あらためて図録見たら、すごい出品数と充実ぶりに驚いた。
やっぱり、ブログに感想書いておかないと忘れちゃうんだなと反省。
ブログに感想を書こうとすると、少なくとも図録は
もっと丁寧に読んだはず(^^;
三重県立美術館の記念撮影スポット
《東洋随一の地下鉄道 上野浅草間開通》1927年 の
ホームの乗客の中に紛れ込むことができます。
欧州留学中に目にしたアール・デコの幾何学的デザインの
影響がわかります。手前の女性の洋装もモダン。
三重県立美術館、こんなディスプレイもありました。
ショップで図録と、非水デザインのスカーフエコバッグを購入。
これ、今でも私のバッグの持ち手につけて使ってます。
外すとエコバッグになるんですよ! オシャレで便利です!!
「杉浦非水 時代をひらくデザイン」展は、
島根県立石見美術館で2021年7月3日(土)~8月30日(月)
たばこと塩の博物館で2021年9月11日(土)~11月14日(日)
三重県立美術館で2021年11月23日(火・祝)~2022年1月30日(日)
福岡県立美術館で2022年4月15日(金)~6月12日(日)
と、巡回しました。
ヤマザキマザック美術館の展示は巡回ありません。
ヤマザキマザック美術館: https://www.mazak-art.com/
ジェイアール名古屋タカシマヤ「京都 細見美術館の名品」展 [美術]
なかなかブログが書けません。
2024年初展覧会のことを簡単に書いておこうと思います。
1月7日(日)に、
ジェイアール名古屋タカシマヤ10階特設会場でやっていた
「京都 細見美術館の名品
琳派、若冲、ときめきの日本美術」展へ行きました。
(チラシは手に入れられなかったので、ネットから
画像をダウンロードしました)
2023年12月23日(土)から始まったこの展覧会
旧ツイッターXで、混雑してるって流れてきて、
うーん、琳派も若冲も好きで見たいけど、混雑してるのはなー
お正月もやってる(1月1日だけ休み)から
パートの休みのうちに行くといいかな‥‥と思いつつ
あっという間に最終日になってしまいました。
細見美術館には1回だけ行ったことがあります。
細見美術館「中村芳中」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2014-07-02
わりとこじんまりしたカンジの、でも建物がユニークで、
吹き抜けになったカフェや、開放的なお茶室がありました。
あまり混んでいるようなら諦めようと思いつつ行くと、
チケットもすぐ買えるようだったので、窓口で
一般入場料の1,200円を出すと、
タカシマヤのポイントカードを申し込めば半額の600円になります
と言われ、タカシマヤで買い物をするようなことはあまりないと
思うけど(なにしろ高いし)、会費もいらないってことだったので、
その場でカードもらって、600円でチケットが買えました。ラッキー!
多彩な日本の美を国内外へ発信し続ける京都・細見美術館。その開館25周年を記念して、コレクションを象徴する珠玉の優品を集めた展覧会を開催いたします。
昭和の実業家 細見良(初代古香庵、1901~79)に始まる細見家三代が80年近くを費やして蒐集した名品の数々は、日本美術史を総覧する幅広い時代とジャンルにわたります。仏画や荘厳具にみる祈りの美、細見家好みの茶の湯の美術、華麗な蒔絵や七宝と風俗画、日本美の象徴・琳派、そして奇想の画家・伊藤若冲、の5章で、細見美術館ならではの美の世界をお愉しみください。
(チケットの裏の文)
展示会場はさすがに混んでいて、
(でも、私が会場を出た2時前頃には、入場の列ができていたので、
それ見たら私入ってなかったなー。私にしては早い時間
―チケットのレシートには12:46とあった―に来てよかった)
最初の「祈りのかたち」「数寄の心」あたりの渋い(私にとって)展示は、
すっ飛ばしまして(^^;>
「華やぎのとき」桃山時代の釘隠が素敵だった!
北斎の肉筆浮世絵も近くで見られて良かった。
「琳派への憧れ」
尾形光琳《柳図香包》柳の絵に折り目がついているのは、
お香の包み紙だったため。なんて贅沢なんでしょう!
酒井抱一《桜に小禽図》の優美なこと!
鈴木其一《水辺家鴨図屏風》家鴨がなんかカワイイ。
特に後ろ向きの家鴨のぽてっとした形がいい!
中村芳中のゆるさ、いいなぁ。
そして「若冲のちから」
さすが人気の若冲、著色画の《雪中雄鶏図》《糸瓜群虫図》は、
人がいっぱいで近くで見られなかったけど、すごさは伝わってきた。
若冲得意の鶏を描いた絵が貼りつけられた屏風も、さすが迫力だとは
思ったけど、やっぱり人の多さにちょっと疲れてしまい、
まあいいか、って出ようとした会場の最後のところに展示してあった
鶏の屏風、なんかゆるいカンジでいいなってキャプション見たら、
若冲の弟子だという若演の絵だとのこと。
へー、ちょっと単純化されたような鶏が
ほんわかするような雰囲気で、私とても気に入りました!
私の好きそうな絵が並んではいたんだけど、やっぱり
この人の多さは‥‥絵に集中できなかったというか。
なので、ブログに書くか迷ったんだけど。
展覧会のウェブサイト: https://www.mbs.jp/hosomi25-tokimeki/
大阪高島屋で2023年3月22日(水)~4月10日(月)
東京・日本橋高島屋で2023年4月26日(水)~5月15日(月)
と開催され、
ジェイアール名古屋タカシマヤで2023年12月23日(土)~2024年1月7日(日)
の後は、
静岡市美術館で2024年4月13日(土)~5月26日(日)
長野県立美術館で2024年10月5日(土)~11月17日(日)
と巡回するそうです。
細見美術館のチラシが置いてありました。
京都行ったらまた行きたいな。
細見美術館のウェブサイト: https://www.emuseum.or.jp/
2024年初展覧会のことを簡単に書いておこうと思います。
1月7日(日)に、
ジェイアール名古屋タカシマヤ10階特設会場でやっていた
「京都 細見美術館の名品
琳派、若冲、ときめきの日本美術」展へ行きました。
(チラシは手に入れられなかったので、ネットから
画像をダウンロードしました)
2023年12月23日(土)から始まったこの展覧会
旧ツイッターXで、混雑してるって流れてきて、
うーん、琳派も若冲も好きで見たいけど、混雑してるのはなー
お正月もやってる(1月1日だけ休み)から
パートの休みのうちに行くといいかな‥‥と思いつつ
あっという間に最終日になってしまいました。
細見美術館には1回だけ行ったことがあります。
細見美術館「中村芳中」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2014-07-02
わりとこじんまりしたカンジの、でも建物がユニークで、
吹き抜けになったカフェや、開放的なお茶室がありました。
あまり混んでいるようなら諦めようと思いつつ行くと、
チケットもすぐ買えるようだったので、窓口で
一般入場料の1,200円を出すと、
タカシマヤのポイントカードを申し込めば半額の600円になります
と言われ、タカシマヤで買い物をするようなことはあまりないと
思うけど(なにしろ高いし)、会費もいらないってことだったので、
その場でカードもらって、600円でチケットが買えました。ラッキー!
多彩な日本の美を国内外へ発信し続ける京都・細見美術館。その開館25周年を記念して、コレクションを象徴する珠玉の優品を集めた展覧会を開催いたします。
昭和の実業家 細見良(初代古香庵、1901~79)に始まる細見家三代が80年近くを費やして蒐集した名品の数々は、日本美術史を総覧する幅広い時代とジャンルにわたります。仏画や荘厳具にみる祈りの美、細見家好みの茶の湯の美術、華麗な蒔絵や七宝と風俗画、日本美の象徴・琳派、そして奇想の画家・伊藤若冲、の5章で、細見美術館ならではの美の世界をお愉しみください。
(チケットの裏の文)
展示会場はさすがに混んでいて、
(でも、私が会場を出た2時前頃には、入場の列ができていたので、
それ見たら私入ってなかったなー。私にしては早い時間
―チケットのレシートには12:46とあった―に来てよかった)
最初の「祈りのかたち」「数寄の心」あたりの渋い(私にとって)展示は、
すっ飛ばしまして(^^;>
「華やぎのとき」桃山時代の釘隠が素敵だった!
北斎の肉筆浮世絵も近くで見られて良かった。
「琳派への憧れ」
尾形光琳《柳図香包》柳の絵に折り目がついているのは、
お香の包み紙だったため。なんて贅沢なんでしょう!
酒井抱一《桜に小禽図》の優美なこと!
鈴木其一《水辺家鴨図屏風》家鴨がなんかカワイイ。
特に後ろ向きの家鴨のぽてっとした形がいい!
中村芳中のゆるさ、いいなぁ。
そして「若冲のちから」
さすが人気の若冲、著色画の《雪中雄鶏図》《糸瓜群虫図》は、
人がいっぱいで近くで見られなかったけど、すごさは伝わってきた。
若冲得意の鶏を描いた絵が貼りつけられた屏風も、さすが迫力だとは
思ったけど、やっぱり人の多さにちょっと疲れてしまい、
まあいいか、って出ようとした会場の最後のところに展示してあった
鶏の屏風、なんかゆるいカンジでいいなってキャプション見たら、
若冲の弟子だという若演の絵だとのこと。
へー、ちょっと単純化されたような鶏が
ほんわかするような雰囲気で、私とても気に入りました!
私の好きそうな絵が並んではいたんだけど、やっぱり
この人の多さは‥‥絵に集中できなかったというか。
なので、ブログに書くか迷ったんだけど。
展覧会のウェブサイト: https://www.mbs.jp/hosomi25-tokimeki/
大阪高島屋で2023年3月22日(水)~4月10日(月)
東京・日本橋高島屋で2023年4月26日(水)~5月15日(月)
と開催され、
ジェイアール名古屋タカシマヤで2023年12月23日(土)~2024年1月7日(日)
の後は、
静岡市美術館で2024年4月13日(土)~5月26日(日)
長野県立美術館で2024年10月5日(土)~11月17日(日)
と巡回するそうです。
細見美術館のチラシが置いてありました。
京都行ったらまた行きたいな。
細見美術館のウェブサイト: https://www.emuseum.or.jp/
碧南市藤井達吉現代美術館「須田国太郎の芸術」 [美術]
12月14日(木)、碧南市藤井達吉現代美術館へ行きました。
「須田国太郎の芸術
三つのまなざし
絵画・スペイン・能狂言」
碧南市藤井達吉現代美術館、いい展覧会をやってるんですよね。
以前展覧会に行った時にアンケートを書いてきたので、
展覧会のお知らせ等を時々送っていただくんですが、
我が家からはちょっと遠いので、行きそびれてしまうことも
多く、申し訳ないんですが。
長い改修工事が終わって、今年2023年5月2日に
リニューアルオーブンしたってことで、
行きたいなって思いつつ、なかなか‥‥
で、10月28日(土)から始まったこの展覧会、
須田国太郎について、名前は聞いたことがあるような‥‥
くらいの知識しかありませんでしたが、
チラシ表面の絵、なんかいいなって思ったのと、
ギャラリー小さい家へ行った時に招待券をゲットしまして、
(一般当日900円、ラッキー(^^)v
12月17日(日)までってことで、さすがにもう行かないと! と、
パートが休みだったこの日に出かけました。
洋画家の須田国太郎(1891~1961)は「東西の絵画の綜合」という壮大なテーマを掲げ、日本の精神文化に根差した日本独自の油彩画のありかたを追求し、近代絵画史に偉大な足跡を遺しました。
京都に生まれ、幼少時代から絵画に親しんだ須田は「東洋と西洋では、なぜ絵画が異なる方向で発展を遂げたのか?」という疑問を解明するために、京都帝国大学及び同大学院で美学・美術史を学びました。大学院に在籍中には「絵画の理論と技巧」を研究テーマとし、同時に関西美術院において、デッサンを学んでいます。
1919(大正8)年に28歳で渡欧し、スペインのマドリッドを拠点にヨーロッパ各地を訪れ、ヴェネツィア派の色彩理論やバロック絵画の明暗法など西洋絵画の底流をなすリアリズムの表現に関心を持ち、探求しました。1923(大正12)年に帰国して、日本独自の油彩画を生み出そうと制作に励み、1932(昭和7)年41歳の時に初個展を開催しました。これを契機として、ヨーロッパ留学中に交流のあった里見勝蔵や川口軌外の誘いにより、1934(昭和9)年に独立美術協会会員となりました。これ以後須田は、同協会展を中心の舞台とし、意欲作を発表していきます。骨太で生命感溢れる作品群には、会得した理論に裏付けられた風格さえ宿しています。
(チラシ裏面の文章)
美術館の外観などは、どこが変わったの? ってカンジでしたが、
展覧会の入口である2階へ行くと、ガラスの自動扉がついてました。
第1章 画業の歩み
初期から絶筆までの代表的な作品30点が展示されています。
京都帝国大学で美学・美術史を学んでいた1914年(大正3)
24歳頃に独学で描いた《自画像》
そして、《機関車庫》《校舎》と、渡欧前の作品が並び、
1919(大正8)年に28歳で渡欧して、
スペイン北西部にある城壁都市を描いた《アーヴィラ》1920年
プラド美術館で模写した《模写 グレコ「復活」》1921年
他の鑑賞者の方が撮影してて、えっ、いいの?! って、
ちょっと驚いたけど、確認したら、なんとこの展覧会、撮影可!!
隣に展示されてた須田国太郎の写真、カッコイイ!!
帰国後の作品
右《唐招提寺礼堂》1932年(昭和7)
正面から描かれた唐招提寺礼堂 重厚な画面がいい感じ。
左《蔬菜》1932(昭和7)年
砂漠の風景のようにも見えたけど、「蔬菜(そさい)」って
タイトルから、野菜を描いているらしい。なんか不思議なスケール感
《河原》1939年(昭和14)
タイトルから河原を描いた絵なんだろうけど、
四角い石が街の建物のようにも見えたり、
何より動物(犬?)が頭が画面から切れた状態で描かれていて、
なんか不穏で不思議な絵‥‥。
図録の解説で、この絵、市街風景として描き始められたが、
渓流に裸婦をあしらう絵となり、その後幾度も大幅な修正を重ねて
完成された絵だとのこと。
左《夏》1942年(昭和17)
あれ? この作品どこかで見たことが‥‥と思ったら、
愛知県美術館所蔵
愛知県美術館「曽我蕭白」展のコレクション展 の、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-11-28
「洋画特集」で展示されてて、重厚な画面がとても印象的だった絵だ!
右《校倉(乙)》1943年(昭和18)
手向山八幡宮の校倉造(あぜくらつくり)の宝庫を描いた作品。
髙床式倉庫独特の建築様式が力強く描かれています。
第2章 旅でのまなざし
須田は、1919年(大正8)から23年(大正12)までの4年間に、スペインを拠点にヨーロッパ各国の170を超える町を訪れ、文化史的あるいは美術史的な観点から建築物や遺跡、そして風物などを写真に収めています。(図録より)
須田愛用の品々が展示されていました。
滞欧時に使用した大きなトランクには、「K.SUDA」と書かれています。
愛用の帽子も展示されていました。カッコイイ!
《モヘンテ》1922年(大正11) と、実景写真
写真裏に
「これはヴァレンシアより約汽車で四時間
程□向ふのMogente(モヘンテ)
と云ふ村で景色がいゝので(自分は)
数日こゝへ通って写生をしました」
などと記されています。
《グレコ・イヘベリヤの首》1931年(昭和6)
これは、帰国後8年経ってから、
1922年(大正11)にマドリードの国立考古学博物館の彫刻室で撮影した
写真を参考に描いた作品。
ガラスの反射まで描いているのが面白い、だけど
写真通りではなく、再構成されているのがわかります。
須田愛用のカメラ レヒテック・プリマー と、
世界各地で撮影した写真
写真の裏に書かれたメモも興味深い
第3章 幽玄へへのまざし
須田国太郎1910年(明治43)に第三高等学校に入学し、この頃から独学で油絵を描き始めるとともに、金剛流シテ方の高岡鵜三郎に師事して謡曲を始めました。この謡曲修業は1957年(昭和32)の入院前まで続けられました。(図録より)
あ、この展示室(多目的室A)は新しく作られたんですね
能・狂言のデッサンが並んでます。
初世金剛巌が1941年(昭和16)10月に演じた「野宮」を写生したもの
連続写真みたい!
動く役者を的確にとらえていてすごい。
能・狂言の写生は6000点にも及ぶが、油絵は2点しかない(図録P120より)
とのことで、その2点がこちら
左《野宮》1945年(昭和20)頃
右《大原御幸》1942年(昭和17)
1階の展示室へ移動します
こんなところに山本富章さんの作品が!
第4章 真理へのまなざし
須田国太郎が求めた造形上の芸術的真理の追究として、代表的な「黒の絵画」を核とした油彩画作品を展示しています。併せて学術的な真理の追究としての著作なども展示し、須田芸術の結実を提示しています。(もらった鑑賞ガイドより)
チラシ表面に使われている《鵜》1952年(昭和27)や、
裏面の下段左から2番目《犬》1950年(昭和25)、
2段目右端の《窪八幡》1955年(昭和30)などが展示されていました。
須田は戦後になと水墨画も試みたそうで、
水墨画の代表的作品《老松》1951年(昭和26)
水墨とのことだけど黒の油絵具で描いたようにも見えて面白いなって。
この《動物園》1953年(昭和28)も、
艶のある黒い絵具のマチエールとか面白いなって。
鳥がなんかカワイイのもいい。
部屋の中央に置かれた展示台には、
1926年(大正15)に、現在の和歌山大学経済学部の前身である
和歌山高等商業学校で教鞭を執った時の
美術史講義のための準備ノート
『希臘藝術史概説Ⅱ』 や、
(手前)大学時代の絵日記『一日一感』
(奥)小学校時代に須田が友人と始めた同人雑誌『竹馬の友』
この雑誌づくりは高校時代まで10年近くにわたって続けられたと!
『竹馬の友』第88号 1907年頃
須田国太郎は美術雑誌などに画論や美術史解説、随筆などを発表してます。
左端の書籍『近代絵画のレアリスム』中央美術出版、1963年 は、
没後に編まれた遺文集
ロビーに展示された須田国太郎の
グリコのおもちゃコレクション
「オマケで世界一周」
「おままごと・家電」
重厚な絵を描く画家のイメージからは、
ちょっと意外なコレクションだなって。
カワイイ!
隣のモニタでは、1932年(昭和7)41歳の須田国太郎が
銀座・資生堂ギャラリーで開催した初個展の様子が
CGで再現されていて、今回の展覧会に出品されていた絵も
多くあって、とても興味深かったです。
図録、ハードカバーのとてもしっかりした装丁で、
図書館に並んでるような、ちょっとレトロな雰囲気もする本。
内容もとてもしっかりしてて、それぞれの絵に詳しい解説が
あるのはもちろん、多くの学芸員の方が須田国太郎の芸術について
論評を書かれてて、とても読み応えあります。
須田国太郎の長男の須田寛氏が制作の様子を追懐された文章は
とても興味深かったです。
2,500円(税込)だったのと(この内容と装丁にしたら安いと思うけど)
私、須田国太郎の絵、ちょっと好みと違うなってカンジもあって、
写真も撮らせてもらったし、もらった鑑賞ガイドなども充実していて、
迷ったんですけど、やっぱり買っちゃいました。
「須田国太郎の芸術」展は、ここ
碧南市藤井達吉現代美術館で、2023年10月28日~12月17日
まで開催された後、
大分市美術館で、2024年1月5日~2月18日
西宮市大谷記念美術館で、2024年3月2日~4月21日
三之瀬御本陣芸術文化館/蘭島閣美術館で、2024年5月1日~6月24日
世田谷美術館で、2024年7月13日~9月8日
と巡回します。
----
1階の展示室3では、令和5年度コレクション展 3期
「図案とデザイン」が展示されていました。
美術工芸、図案、教育など多彩な活動をした藤井達吉の
図案集などが展示されていました
《芋版と臈纈(ろうけつ)の文様》1926(大正15)年11月
《創作染織図案集》1933(昭和8)年
《水墨自画像》と達吉さんの眼鏡も展示されていました。
水墨でサラサラっと描いたように見える自画像
思わず微笑んでしまうようなユーモアもあって、
すごくいいですね!
----
今回、まだカフェ「むぎの家」の営業時間に間に合ったので、
(いつも閉館ギリギリになってしまうんですよ(^^;
カフェの天井には新宮晋《光のこだま》2008 が戻りましたね。
黄色いパーツがくるくると軽やかに動きます。
ケーキセットかハンバーガーセットか迷ったんですが、
ちょっとお腹も空いていたので、ハンバーガーセットを。
パンがパリパリしてて美味しかった! 990円(税込)
藤井達吉現代美術館: https://www.city.hekinan.lg.jp/museum/
次回の企画展「顕神の夢 ―幻視の表現者― 村山槐多、関根正二から現代まで」も
楽しみ! 2024年1月5日(金)~2月25日(日)
今回のチケット半券がリピーター券として割引券になるので、
忘れずに持って行かなくては!
「須田国太郎の芸術
三つのまなざし
絵画・スペイン・能狂言」
碧南市藤井達吉現代美術館、いい展覧会をやってるんですよね。
以前展覧会に行った時にアンケートを書いてきたので、
展覧会のお知らせ等を時々送っていただくんですが、
我が家からはちょっと遠いので、行きそびれてしまうことも
多く、申し訳ないんですが。
長い改修工事が終わって、今年2023年5月2日に
リニューアルオーブンしたってことで、
行きたいなって思いつつ、なかなか‥‥
で、10月28日(土)から始まったこの展覧会、
須田国太郎について、名前は聞いたことがあるような‥‥
くらいの知識しかありませんでしたが、
チラシ表面の絵、なんかいいなって思ったのと、
ギャラリー小さい家へ行った時に招待券をゲットしまして、
(一般当日900円、ラッキー(^^)v
12月17日(日)までってことで、さすがにもう行かないと! と、
パートが休みだったこの日に出かけました。
洋画家の須田国太郎(1891~1961)は「東西の絵画の綜合」という壮大なテーマを掲げ、日本の精神文化に根差した日本独自の油彩画のありかたを追求し、近代絵画史に偉大な足跡を遺しました。
京都に生まれ、幼少時代から絵画に親しんだ須田は「東洋と西洋では、なぜ絵画が異なる方向で発展を遂げたのか?」という疑問を解明するために、京都帝国大学及び同大学院で美学・美術史を学びました。大学院に在籍中には「絵画の理論と技巧」を研究テーマとし、同時に関西美術院において、デッサンを学んでいます。
1919(大正8)年に28歳で渡欧し、スペインのマドリッドを拠点にヨーロッパ各地を訪れ、ヴェネツィア派の色彩理論やバロック絵画の明暗法など西洋絵画の底流をなすリアリズムの表現に関心を持ち、探求しました。1923(大正12)年に帰国して、日本独自の油彩画を生み出そうと制作に励み、1932(昭和7)年41歳の時に初個展を開催しました。これを契機として、ヨーロッパ留学中に交流のあった里見勝蔵や川口軌外の誘いにより、1934(昭和9)年に独立美術協会会員となりました。これ以後須田は、同協会展を中心の舞台とし、意欲作を発表していきます。骨太で生命感溢れる作品群には、会得した理論に裏付けられた風格さえ宿しています。
(チラシ裏面の文章)
美術館の外観などは、どこが変わったの? ってカンジでしたが、
展覧会の入口である2階へ行くと、ガラスの自動扉がついてました。
第1章 画業の歩み
初期から絶筆までの代表的な作品30点が展示されています。
京都帝国大学で美学・美術史を学んでいた1914年(大正3)
24歳頃に独学で描いた《自画像》
そして、《機関車庫》《校舎》と、渡欧前の作品が並び、
1919(大正8)年に28歳で渡欧して、
スペイン北西部にある城壁都市を描いた《アーヴィラ》1920年
プラド美術館で模写した《模写 グレコ「復活」》1921年
他の鑑賞者の方が撮影してて、えっ、いいの?! って、
ちょっと驚いたけど、確認したら、なんとこの展覧会、撮影可!!
隣に展示されてた須田国太郎の写真、カッコイイ!!
帰国後の作品
右《唐招提寺礼堂》1932年(昭和7)
正面から描かれた唐招提寺礼堂 重厚な画面がいい感じ。
左《蔬菜》1932(昭和7)年
砂漠の風景のようにも見えたけど、「蔬菜(そさい)」って
タイトルから、野菜を描いているらしい。なんか不思議なスケール感
《河原》1939年(昭和14)
タイトルから河原を描いた絵なんだろうけど、
四角い石が街の建物のようにも見えたり、
何より動物(犬?)が頭が画面から切れた状態で描かれていて、
なんか不穏で不思議な絵‥‥。
図録の解説で、この絵、市街風景として描き始められたが、
渓流に裸婦をあしらう絵となり、その後幾度も大幅な修正を重ねて
完成された絵だとのこと。
左《夏》1942年(昭和17)
あれ? この作品どこかで見たことが‥‥と思ったら、
愛知県美術館所蔵
愛知県美術館「曽我蕭白」展のコレクション展 の、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-11-28
「洋画特集」で展示されてて、重厚な画面がとても印象的だった絵だ!
右《校倉(乙)》1943年(昭和18)
手向山八幡宮の校倉造(あぜくらつくり)の宝庫を描いた作品。
髙床式倉庫独特の建築様式が力強く描かれています。
第2章 旅でのまなざし
須田は、1919年(大正8)から23年(大正12)までの4年間に、スペインを拠点にヨーロッパ各国の170を超える町を訪れ、文化史的あるいは美術史的な観点から建築物や遺跡、そして風物などを写真に収めています。(図録より)
須田愛用の品々が展示されていました。
滞欧時に使用した大きなトランクには、「K.SUDA」と書かれています。
愛用の帽子も展示されていました。カッコイイ!
《モヘンテ》1922年(大正11) と、実景写真
写真裏に
「これはヴァレンシアより約汽車で四時間
程□向ふのMogente(モヘンテ)
と云ふ村で景色がいゝので(自分は)
数日こゝへ通って写生をしました」
などと記されています。
《グレコ・イヘベリヤの首》1931年(昭和6)
これは、帰国後8年経ってから、
1922年(大正11)にマドリードの国立考古学博物館の彫刻室で撮影した
写真を参考に描いた作品。
ガラスの反射まで描いているのが面白い、だけど
写真通りではなく、再構成されているのがわかります。
須田愛用のカメラ レヒテック・プリマー と、
世界各地で撮影した写真
写真の裏に書かれたメモも興味深い
第3章 幽玄へへのまざし
須田国太郎1910年(明治43)に第三高等学校に入学し、この頃から独学で油絵を描き始めるとともに、金剛流シテ方の高岡鵜三郎に師事して謡曲を始めました。この謡曲修業は1957年(昭和32)の入院前まで続けられました。(図録より)
あ、この展示室(多目的室A)は新しく作られたんですね
能・狂言のデッサンが並んでます。
初世金剛巌が1941年(昭和16)10月に演じた「野宮」を写生したもの
連続写真みたい!
動く役者を的確にとらえていてすごい。
能・狂言の写生は6000点にも及ぶが、油絵は2点しかない(図録P120より)
とのことで、その2点がこちら
左《野宮》1945年(昭和20)頃
右《大原御幸》1942年(昭和17)
1階の展示室へ移動します
こんなところに山本富章さんの作品が!
第4章 真理へのまなざし
須田国太郎が求めた造形上の芸術的真理の追究として、代表的な「黒の絵画」を核とした油彩画作品を展示しています。併せて学術的な真理の追究としての著作なども展示し、須田芸術の結実を提示しています。(もらった鑑賞ガイドより)
チラシ表面に使われている《鵜》1952年(昭和27)や、
裏面の下段左から2番目《犬》1950年(昭和25)、
2段目右端の《窪八幡》1955年(昭和30)などが展示されていました。
須田は戦後になと水墨画も試みたそうで、
水墨画の代表的作品《老松》1951年(昭和26)
水墨とのことだけど黒の油絵具で描いたようにも見えて面白いなって。
この《動物園》1953年(昭和28)も、
艶のある黒い絵具のマチエールとか面白いなって。
鳥がなんかカワイイのもいい。
部屋の中央に置かれた展示台には、
1926年(大正15)に、現在の和歌山大学経済学部の前身である
和歌山高等商業学校で教鞭を執った時の
美術史講義のための準備ノート
『希臘藝術史概説Ⅱ』 や、
(手前)大学時代の絵日記『一日一感』
(奥)小学校時代に須田が友人と始めた同人雑誌『竹馬の友』
この雑誌づくりは高校時代まで10年近くにわたって続けられたと!
『竹馬の友』第88号 1907年頃
須田国太郎は美術雑誌などに画論や美術史解説、随筆などを発表してます。
左端の書籍『近代絵画のレアリスム』中央美術出版、1963年 は、
没後に編まれた遺文集
ロビーに展示された須田国太郎の
グリコのおもちゃコレクション
「オマケで世界一周」
「おままごと・家電」
重厚な絵を描く画家のイメージからは、
ちょっと意外なコレクションだなって。
カワイイ!
隣のモニタでは、1932年(昭和7)41歳の須田国太郎が
銀座・資生堂ギャラリーで開催した初個展の様子が
CGで再現されていて、今回の展覧会に出品されていた絵も
多くあって、とても興味深かったです。
図録、ハードカバーのとてもしっかりした装丁で、
図書館に並んでるような、ちょっとレトロな雰囲気もする本。
内容もとてもしっかりしてて、それぞれの絵に詳しい解説が
あるのはもちろん、多くの学芸員の方が須田国太郎の芸術について
論評を書かれてて、とても読み応えあります。
須田国太郎の長男の須田寛氏が制作の様子を追懐された文章は
とても興味深かったです。
2,500円(税込)だったのと(この内容と装丁にしたら安いと思うけど)
私、須田国太郎の絵、ちょっと好みと違うなってカンジもあって、
写真も撮らせてもらったし、もらった鑑賞ガイドなども充実していて、
迷ったんですけど、やっぱり買っちゃいました。
「須田国太郎の芸術」展は、ここ
碧南市藤井達吉現代美術館で、2023年10月28日~12月17日
まで開催された後、
大分市美術館で、2024年1月5日~2月18日
西宮市大谷記念美術館で、2024年3月2日~4月21日
三之瀬御本陣芸術文化館/蘭島閣美術館で、2024年5月1日~6月24日
世田谷美術館で、2024年7月13日~9月8日
と巡回します。
----
1階の展示室3では、令和5年度コレクション展 3期
「図案とデザイン」が展示されていました。
美術工芸、図案、教育など多彩な活動をした藤井達吉の
図案集などが展示されていました
《芋版と臈纈(ろうけつ)の文様》1926(大正15)年11月
《創作染織図案集》1933(昭和8)年
《水墨自画像》と達吉さんの眼鏡も展示されていました。
水墨でサラサラっと描いたように見える自画像
思わず微笑んでしまうようなユーモアもあって、
すごくいいですね!
----
今回、まだカフェ「むぎの家」の営業時間に間に合ったので、
(いつも閉館ギリギリになってしまうんですよ(^^;
カフェの天井には新宮晋《光のこだま》2008 が戻りましたね。
黄色いパーツがくるくると軽やかに動きます。
ケーキセットかハンバーガーセットか迷ったんですが、
ちょっとお腹も空いていたので、ハンバーガーセットを。
パンがパリパリしてて美味しかった! 990円(税込)
藤井達吉現代美術館: https://www.city.hekinan.lg.jp/museum/
次回の企画展「顕神の夢 ―幻視の表現者― 村山槐多、関根正二から現代まで」も
楽しみ! 2024年1月5日(金)~2月25日(日)
今回のチケット半券がリピーター券として割引券になるので、
忘れずに持って行かなくては!
一宮市尾西歴史民俗資料館「紅葉のおもてなし」 [美術]
11月21日(火)、一宮市尾西歴史民俗資料館へ行きました。
別館の旧林家住宅で「紅葉のおもてなし」というイベントを
やっていました。(期間:11月11日(土)~26日(日)
国登録有形文化財 林家住宅は、
美濃脇本陣林家の建物が濃尾震災で倒壊した後、
大正2年に建て直された風格ある建物。
今年6月18日(日)に「新緑のおもてなし」に行って、
とても良かったので、お庭の秋の風情も素敵だろうなって。
一宮市尾西歴史民俗資料館「新緑のおもてなし」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-07-13
今回の展示は、野澤朋恵「たまゆら」
出入口横の、帳場には、
薄い和紙(?)に桜の花びらが散っています。
上がった奥の正面には、
《Present》雲肌麻紙、岩絵の具、墨、洋箔
豪華な花の絵、キラキラして装飾的
お庭が見える座敷には、
床の間に掛けられた掛軸や額も素敵
金箔が豪華
道に面した座敷には、
赤い毛氈の上に並んだ《貝合わせ》蛤、洋箔、顔彩、岩絵の具
ハマグリのような二枚貝は同一の貝でないと蓋と身が合わないために、
貞女は二夫にまみえずと、嫁入り道具として豪華な貝桶が作られたんですね。
「そっと触れて、遊んでみてください。
正しい一組を選ぶと、貝がぴったり合います。」
知ってはいましたが、実際にやってみるのは初めて。
とても雅な気分(^▽^)
階段下?のようなスペースにもこんなかわいい作品が
北の間
あ、棚の上に月が並んでる(^^)
天井や戸の窓(?)の造りが面白かったので‥‥
離れの座敷には
落ち葉の舞う上を蝶が飛んでいます。
レトロな照明がいいなって、よく見たら‥‥
最初これ、描かれてるのか、作り物かって思っちゃったけど、
‥‥ホンモノの虫ですよね?
水琴窟
柄杓ですくった水を注ぐと、幽玄な音がします。
縁側から見たお庭
主屋の部屋に置かれた箪笥
《陽光》
鏡台が置かれた小部屋
タイルの流し 窓の模様が入ったガラスも素敵、
お庭側の門から入ると
腰掛待合も秋の風情が
ツワブキも咲いています。
紅葉が苔の緑に映えて美しい
風格ある旧林家住宅に展示された野澤朋恵さんの日本画と
お庭の紅葉がとても素敵でした。
野澤朋恵インスタグラム: https://www.instagram.com/nozawa_tomoe/
--
一宮市尾西歴史民俗資料館の本館
2階で「琉球使節と琉球文化」という秋季特別展をやっていました。
江戸時代に琉球王国から派遣された琉球使節は、
この資料館がある美濃路の起(おこし)宿を通って行った
こともあるそうで、使節団がお礼(?)に書いた掛軸なども
展示されていました。
一宮市尾西歴史民俗資料館:
https://www.city.ichinomiya.aichi.jp/rekimin/
別館の旧林家住宅で「紅葉のおもてなし」というイベントを
やっていました。(期間:11月11日(土)~26日(日)
国登録有形文化財 林家住宅は、
美濃脇本陣林家の建物が濃尾震災で倒壊した後、
大正2年に建て直された風格ある建物。
今年6月18日(日)に「新緑のおもてなし」に行って、
とても良かったので、お庭の秋の風情も素敵だろうなって。
一宮市尾西歴史民俗資料館「新緑のおもてなし」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-07-13
今回の展示は、野澤朋恵「たまゆら」
出入口横の、帳場には、
薄い和紙(?)に桜の花びらが散っています。
上がった奥の正面には、
《Present》雲肌麻紙、岩絵の具、墨、洋箔
豪華な花の絵、キラキラして装飾的
お庭が見える座敷には、
床の間に掛けられた掛軸や額も素敵
金箔が豪華
道に面した座敷には、
赤い毛氈の上に並んだ《貝合わせ》蛤、洋箔、顔彩、岩絵の具
ハマグリのような二枚貝は同一の貝でないと蓋と身が合わないために、
貞女は二夫にまみえずと、嫁入り道具として豪華な貝桶が作られたんですね。
「そっと触れて、遊んでみてください。
正しい一組を選ぶと、貝がぴったり合います。」
知ってはいましたが、実際にやってみるのは初めて。
とても雅な気分(^▽^)
階段下?のようなスペースにもこんなかわいい作品が
北の間
あ、棚の上に月が並んでる(^^)
天井や戸の窓(?)の造りが面白かったので‥‥
離れの座敷には
落ち葉の舞う上を蝶が飛んでいます。
レトロな照明がいいなって、よく見たら‥‥
最初これ、描かれてるのか、作り物かって思っちゃったけど、
‥‥ホンモノの虫ですよね?
水琴窟
柄杓ですくった水を注ぐと、幽玄な音がします。
縁側から見たお庭
主屋の部屋に置かれた箪笥
《陽光》
鏡台が置かれた小部屋
タイルの流し 窓の模様が入ったガラスも素敵、
お庭側の門から入ると
腰掛待合も秋の風情が
ツワブキも咲いています。
紅葉が苔の緑に映えて美しい
風格ある旧林家住宅に展示された野澤朋恵さんの日本画と
お庭の紅葉がとても素敵でした。
野澤朋恵インスタグラム: https://www.instagram.com/nozawa_tomoe/
--
一宮市尾西歴史民俗資料館の本館
2階で「琉球使節と琉球文化」という秋季特別展をやっていました。
江戸時代に琉球王国から派遣された琉球使節は、
この資料館がある美濃路の起(おこし)宿を通って行った
こともあるそうで、使節団がお礼(?)に書いた掛軸なども
展示されていました。
一宮市尾西歴史民俗資料館:
https://www.city.ichinomiya.aichi.jp/rekimin/
愛知県美術館「安井仲治」展のコレクション展 [美術]
11月5日(日)、愛知県美術館「安井仲治」展を見た後、
コレクション展(2023年度第3期)を見ました。
展示室4 は「正方形」をテーマにした展示
愛知県美術館で正方形の絵っていうと、まず
クリムト《人生は戦いなり(黄金の騎士)》を思い浮かべます。
クリムトは風景画でも正方形のキャンバスに描いてましたよね。
でも、たいていのキャンバスは長方形です。
最初に展示されているのが、
桑山忠明《untitled》2001年
アルミの正方形が2つ。
1つはアルミの地の色で、もう1つはブルーに着色されています
ミニマル・アートってやつですね。
でも、これ、横から見たら
2つのパーツがボルトで繋がっている?
オノサトトシノブ《作品》1971年
正方形の画面に同心円なんだけど、
渦巻きのように見えたり、
分割された色面がキラキラと動いているようにも
見えて面白い!
展示室4 の入口正面に見える大きな正方形の絵
フランク・ステラ《リヴァー・オブ・ポンズ IV》1969年
コレクション展でよく見てる絵だけど、
フランク・ステラって、名古屋市美術館には
立体作品《説教》があるし、
(先月見てきた「福田美蘭―美術って、なに?」展で、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-10-16
ケーキのデコレーションに見立てられてた)
DIC川村記念美術館へ行った時に、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2018-08-27
庭にステラの巨大な彫刻があったけど、
それらとは全く違う印象。
初期にはミニマル・アート風の作品、シンメトリカルな色面構成の「ハード・エッジ」(色面の輪郭が目立つ作風)風の作品を手がけていたが、80年代以降大きく作風を変え、さまざまな色彩を施された、さまざまな形態の破片・ねじ曲げられた平面・立体物が、大画面に貼り付けられたりそのまま組み合わされて壁面や床に置かれたりした、2次元の枠を超えて炸裂する絵画とも立体ともつかないダイナミックな作品を制作している。
(Wikipediaより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A9 )
こちらにも、桑山忠明《untitled》が
次のコーナーへ進むと、中央に
多和圭三《泉-想-》2002年
鉄の直方体をそのまま展示した?
上部を繰り返し金槌で叩いて形を歪ませているそうだけど‥‥
後ろの壁に展示されているのが、
千崎千恵夫《無題》1992年
ワックスの塗られたマチエールも独特だけど、
画面から出た針金?の上に丸いガラスが乗っています。
不思議な雰囲気だなぁ‥‥
仕切り壁には、
百瀬寿《Square-NE XIV: Twelve Stripes E》1987年
並べられた12×12の正方形がグラデーションを作っています。
和紙を使っている? ソフトな色調がとても美しい。
こちらも正方形が並んでいます。
田島秀彦《playroom (09-06)/playroom (09-07)》2009年
正方形は、装飾タイルの絵柄とのこと。
イスラム風や、ヨーロッパ、アジア風などの絵柄が混じっている中に、
キラキラと光っている(光ファイバー・電球・モーター)列があって、
戦車や戦闘機などが描かれています。
オモチャのようにも見えるけど、戦争のイメージ?
展示室5 「名品」はどこから来たのか?
愛知県美術館が所蔵する20世紀の西洋美術の名品を、その来歴(所有者の変遷)とともに紹介します。そこには、大富豪による芸術家支援、あるいはナチによる没収など、さまざまな歴史の物語が隠されています。(出品リストの文)
ってことで、愛知県美術館が誇る「名品」と共に
来歴の説明が展示されていました。
モーリス・ドニ《花飾りの舟》1921年
愛知県美術館が2020年に購入した作品
感想が書けてないけど、お披露目の展示で、
(2022年度第1期コレクション展(ミロ展の時)
詳しい説明とかもあった。
大原美術館のために児島虎次郎が1921年に、
ドニ本人から購入したとのことで、画面に
日本の国旗も描かれていると。
1930年会館の大原美術館に収蔵されましたが、
1936年に手放され、日本国内の所有を経て、
2020年に愛知県美術館が寄附金により購入
ピエール・ボナール《にぎやかな風景》1913年頃
富豪ヘレナ・ルビンスタインの邸宅を飾っていた作品。
右下に妻マルトと愛犬ユビュ、
左手奥には動物と戯れる子供たちが描かれていると。
前回、「幻の愛知県博物館」展のコレクション展で、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-09-03
匿名の個人の5億円の寄附で購入した絵画として、
初公開されてましたね。
ジョルジュ・ブラック《水浴する女性と3つの果実》1926年
スイスの美術コレクターであるヨゼフ・ミュラー(1887-1977)が、
1926年から生涯にわたり所有していた絵画。
上 「ジョルジュ・ブラック 油彩画カタログ・レゾネ 1924-27」
下左「ヨゼフ・ミュラー・コレクション クリスティーズ・ロンドン オークション・カタログ」
下右「ジョルジュ・ブラック クンストハレ・ベルン展覧会図録」
「青の時代」のピカソ初期の作品。
《青い肩かけの女》1902年
愛知県美術館の名品として、コレクション展ではよく見てるんですが、
1902年に制作されて、91歳で没する1973年まで、
ピカソが手元に保管していた作品なんだそう!
ピカソの孫のひとりマリナ・ピカソ(1950- )に受け継がれ、
作品売却の資金で子どものための慈善事業を展開していたと。
1988年に東海銀行が彼女から購入し、開館直前の
愛知県美術館に寄贈とのこと。
愛知県美術館が誇る名品が並んでます
左 ポール・デルヴォー《こだま(あるいは「街路の神秘」)》1943年
右 ジョアン・ミロ《絵画》1925年
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー
《グラスのある静物》1912年
ナチスが退廃芸術として没収した作品で、
アメリカを経由して愛知県美術館に収蔵されたとのこと。
1917年にロジー&ルートヴィヒ・フィッシャー夫妻が購入
1924年にモーリッツブルク美術館に売却
1937年ナチスが退廃芸術展のために「借用」(没収)
1939年没収作品の売却を担った画商の手に渡り、翌年転売
1950年セントルイスの個人コレクターの所有に
1974年マールボロ・ギャラリーへと売却
1992年愛知県美術館が購入
なんとドラマチック!
「退廃芸術家」の烙印を押されたキルヒナーは
1938年に自殺しているんですね。
愛知県美術館が誇る
グスタフ・クリムト《人生は戦いなり(黄金の騎士)》1903年
1903年のウィーン分離派展に出品された後、製鉄関連事業で成功を収めたオーストリアの大富豪カール・ヴィトゲンシュタインとその妻によって購入され、一家の壮麗な邸宅の階段室に掲げられていた。
夫妻の死後、長女ヘルミーネに相続されます。
1938年にドイツがオーストリアを併合すると、一家はユダヤ人とみなされます。
ナチはユダヤ人の資産をさまざまな理由をつけて没収していたが、一家の資産のかなりの部分が中立国スイスの銀行で凍結されており、ナチが手を出せずにいた。度重なる交渉の末、ナチは資産の多くを得る代わりに、一家に「混血」のユダヤ人としての認定を与え、一定の市民権を留保します。
詳細はまだはっきりと分かっていないが、
ぎりぎりのところで難を逃れた作品であると。
あ、作品の方の写真撮り忘れた(^^; けど、
愛知県美術館のコレクション検索で、
パブリック・ドメイン画像になってる!
アド・ラインハート《No.114》1950年
日本の公立美術館では、収蔵した作品を再び市場に出すことはないが、
アメリカの美術館では、作品の新規購入等の目的で所蔵品の売却が行われることがあるそうで、この作品も1969年にラインハートの遺族からニューヨーク近代美術館に寄贈されたが、1991年までに市場に出され、ニューヨークの個人所蔵家の手を経て、1993年に愛知県美術館が購入しました。
アンリ・マティス《待つ》1921-22年
一足先にアメリカへ渡った作品
第二次大戦後の経済力の拡大に応じて、ヨーロッパの美術品が数多くアメリカにもたらされるようになりますが、本作はそれよりも早く1931-33年頃にアメリカへと渡りました。購入したのはニューヨークの実業家ステファン・カールトン・クラーク(後略)
イヴ・クライン《アルマン(肖像レリーフ)》1962年(原型)
ブルー(インターナショナル・クライン・ブルー(IKB))一色の絵で知られる
クラインが友人の彫刻家アルマンの身体から取った石膏型をもとにレリーフを作成したもの。
これは、クラインの没後に完成した作品で、
1962年2月、クラインは友人3人の身体から石膏型を取ります。
しかし、アルマンの像だけを完成させた後、6月に34歳の若さで
心臓発作により没しました。本作は没後の1965年にクラインの妻の許可のもと、
他の2体とともに再制作されたものだそう。
へー、と読んで作品を見ると、あ、横から見たら
こんなふうになってるんだと。
今まで正面からばかり見てたから、ちょっと新鮮(?)
今までもコレクション展で見てる名品で、
作品と作家については解説されてたりしたけど、
それぞれの作品の来歴もドラマチックだったりと
興味深かった。
展示室6 ぷくぷくときらきら
当館が2020年度に収蔵した碓井ゆい《ガラスの中で》は生殖医療を主題とした作品です。本作品を中心に、ぷくぷくと生成、増殖を続ける細胞、あるいは、きらきらと鋭利な輝きを放つガラスを連想させる作品をご紹介します。自然と人智、脆さと強さ、有機と無機を照らし出す作品と共に、想像力と思考力を泡立たせてください。
あ、これ、あいちトリエンナーレ2019で、
名古屋市美術館の最初の展示室にあった作品!
碓井ゆい《ガラスの中で》2019年
あいちトリエンナーレ2019(5) 名古屋市美術館
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-09-30
名古屋市美術館では外光が入る部屋で、オーガンジーの布が
光に透けてきれいだなって見ましたが、この部屋では
ライトで床に落ちる影が、シャーレでうごめく生命体みたいな
イメージでまた良かった。
そして、この作品に呼応するような丸い形が印象的な写真は、
米田知子
左 《坂口安吾の眼鏡―『朝鮮会談に関する日記』の原稿を見る 「Between Visible and Invisible」シリーズより》2013年
右 《藤田嗣治の眼鏡―日本出国を助けたシャーマンGHQ民政官に送った電報を見る 「Between Visible and Invisible」シリーズより》2015年
こちらは、
田中敦子《Untitled》1967年
展示室7江戸から近代へ受け継がれるやまと絵の世界
平安時代に始まる古典的な「やまと絵」の復権を目指した復古大和絵派は、田中訥言によって名古屋にも広がりました。江戸時代末期から近代の愛知画壇に「やまと絵」の与えた影響を紹介します。
田中訥言《菊鶉図》江戸時代後期(19世紀前半)
森高雅《雪中鴛鴦図》江戸時代後期(18世紀・19世紀)
日比野白圭《鶯宿梅図》明治43(1910)年
日比野白圭
左《柳下納涼図》 右《款冬雀図》
「款冬(かんとう)」とはヤマブキのこと
日比野白圭
左《佐野渡古歌意図》 右《菊花鶉図》
あっさりして上品なカンジで、私好きかも。
森村宜稲《明治天皇収穫叡覧之図》1932年
明治元年に明治天皇が尾張東海道八丁畷(なわて)で
農事を天覧した様子を描いたものとのこと。
森村宜稲《四季草花図》1925年頃
金屏風だけど、豪華というより上品なカンジ。
あー、この清楚で上品な女性像は、
舟越保武《シオン》1979年
展示室8 木村定三コレクション 熊谷守一と夜と絵具
熊谷守一が、夜のアトリエに閉じこもって「むずかしい顔」で制作していたのはなぜでしょうか? 彼の絵具の扱いに注目し、まるで厳密な実験を繰り返す科学者のような姿を想像してみます。
猫や、雨滴、伸餅など、見てるとほっこりするけど、
守一は「夜のアトリエに閉じこもって『むずかしい顔』で制作していた」?
チューブの絵具をそのまま塗ったような
《裸婦》1954(昭和29)年 が面白い。
ロビーには、
戸谷成雄《地霊》1990年
「正方形」のテーマで展示されてるのかな。
彫刻って普通は彫って凸型の像にするのに、
これは凹型になってるのが面白い。
吉本直子《白の棺》2006年
愛知県美術館で2012年から2017年まで展示室6で行われた
APMoA Project, ARCH (プロジェクト・アーチ)
愛知県美術館の学芸員と若手作家との協同によって作られた展覧会
その最初の展示が
吉本直子「Reflection Space ――鼓動の庭」でした。
(2012年4月13日(金)~6月24日(日))
こちらに少し感想を書いてます。
愛知県美術館「魔術/美術」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2012-06-12
着古した白いシャツを固めて作られています。
両側から延ぴる袖は、何かを求めているのか?
引き裂かれようとしているのか?
ショップで、
「安井仲治」展の図録はまぁいいかなって思ったけど、
展示室5の「名品」はどこから来たのか? で置いてあった
「近代美術の100年 愛知県美術館のコレクション」
美術館の名品の画像を大きく載せて、解説するという
カタログスタイルではなく、近代美術史の流れの中で、
コレクション作品がどのような位置にあるのかという
解説の中に作品の画像が載っていて、今まで
コレクション展でよく見てた作品だけど、
あらためて詳しく知ることができました。
1998年1月30日~3月8日に開催された展覧会の図録だそう。
1,600円(税込)が友の会で5%引きになりました(^^)v
そして、前回の企画展「幻の愛知県博物館」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-08-20
見に来た時、図録がまだできてなかったんです。
できてたので購入。
1,500円(税込)が、友の会で5%割引(^^)v
「幻の愛知県博物館」では、
博覧会のパビリオンの写真とか興味深く見たっけ。
クスッと笑ったキャプションも健在!
さらに、前回ショップで
シャチホコのパッケージが面白くて買って、
とても美味しかった「豆でなも」756円(税込)
今回なんと5%割引になってたんです!
隣にあった「豆だくさん」1,080円(税込)も5%引きだったので、
購入しました。こっちも、いろんな味の豆が入ってて
それぞれ美味しかった。パッケージもオシャレ!
ショップでちょっと散財しちゃったかな?
いつもながら、愛知県美術館のコレクション展充実してます。
オアシス21のカフェで、ケーキセット食べて帰りました(^^)v
コレクション展(2023年度第3期)を見ました。
展示室4 は「正方形」をテーマにした展示
愛知県美術館で正方形の絵っていうと、まず
クリムト《人生は戦いなり(黄金の騎士)》を思い浮かべます。
クリムトは風景画でも正方形のキャンバスに描いてましたよね。
でも、たいていのキャンバスは長方形です。
最初に展示されているのが、
桑山忠明《untitled》2001年
アルミの正方形が2つ。
1つはアルミの地の色で、もう1つはブルーに着色されています
ミニマル・アートってやつですね。
でも、これ、横から見たら
2つのパーツがボルトで繋がっている?
オノサトトシノブ《作品》1971年
正方形の画面に同心円なんだけど、
渦巻きのように見えたり、
分割された色面がキラキラと動いているようにも
見えて面白い!
展示室4 の入口正面に見える大きな正方形の絵
フランク・ステラ《リヴァー・オブ・ポンズ IV》1969年
コレクション展でよく見てる絵だけど、
フランク・ステラって、名古屋市美術館には
立体作品《説教》があるし、
(先月見てきた「福田美蘭―美術って、なに?」展で、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-10-16
ケーキのデコレーションに見立てられてた)
DIC川村記念美術館へ行った時に、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2018-08-27
庭にステラの巨大な彫刻があったけど、
それらとは全く違う印象。
初期にはミニマル・アート風の作品、シンメトリカルな色面構成の「ハード・エッジ」(色面の輪郭が目立つ作風)風の作品を手がけていたが、80年代以降大きく作風を変え、さまざまな色彩を施された、さまざまな形態の破片・ねじ曲げられた平面・立体物が、大画面に貼り付けられたりそのまま組み合わされて壁面や床に置かれたりした、2次元の枠を超えて炸裂する絵画とも立体ともつかないダイナミックな作品を制作している。
(Wikipediaより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A9 )
こちらにも、桑山忠明《untitled》が
次のコーナーへ進むと、中央に
多和圭三《泉-想-》2002年
鉄の直方体をそのまま展示した?
上部を繰り返し金槌で叩いて形を歪ませているそうだけど‥‥
後ろの壁に展示されているのが、
千崎千恵夫《無題》1992年
ワックスの塗られたマチエールも独特だけど、
画面から出た針金?の上に丸いガラスが乗っています。
不思議な雰囲気だなぁ‥‥
仕切り壁には、
百瀬寿《Square-NE XIV: Twelve Stripes E》1987年
並べられた12×12の正方形がグラデーションを作っています。
和紙を使っている? ソフトな色調がとても美しい。
こちらも正方形が並んでいます。
田島秀彦《playroom (09-06)/playroom (09-07)》2009年
正方形は、装飾タイルの絵柄とのこと。
イスラム風や、ヨーロッパ、アジア風などの絵柄が混じっている中に、
キラキラと光っている(光ファイバー・電球・モーター)列があって、
戦車や戦闘機などが描かれています。
オモチャのようにも見えるけど、戦争のイメージ?
展示室5 「名品」はどこから来たのか?
愛知県美術館が所蔵する20世紀の西洋美術の名品を、その来歴(所有者の変遷)とともに紹介します。そこには、大富豪による芸術家支援、あるいはナチによる没収など、さまざまな歴史の物語が隠されています。(出品リストの文)
ってことで、愛知県美術館が誇る「名品」と共に
来歴の説明が展示されていました。
モーリス・ドニ《花飾りの舟》1921年
愛知県美術館が2020年に購入した作品
感想が書けてないけど、お披露目の展示で、
(2022年度第1期コレクション展(ミロ展の時)
詳しい説明とかもあった。
大原美術館のために児島虎次郎が1921年に、
ドニ本人から購入したとのことで、画面に
日本の国旗も描かれていると。
1930年会館の大原美術館に収蔵されましたが、
1936年に手放され、日本国内の所有を経て、
2020年に愛知県美術館が寄附金により購入
ピエール・ボナール《にぎやかな風景》1913年頃
富豪ヘレナ・ルビンスタインの邸宅を飾っていた作品。
右下に妻マルトと愛犬ユビュ、
左手奥には動物と戯れる子供たちが描かれていると。
前回、「幻の愛知県博物館」展のコレクション展で、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-09-03
匿名の個人の5億円の寄附で購入した絵画として、
初公開されてましたね。
ジョルジュ・ブラック《水浴する女性と3つの果実》1926年
スイスの美術コレクターであるヨゼフ・ミュラー(1887-1977)が、
1926年から生涯にわたり所有していた絵画。
上 「ジョルジュ・ブラック 油彩画カタログ・レゾネ 1924-27」
下左「ヨゼフ・ミュラー・コレクション クリスティーズ・ロンドン オークション・カタログ」
下右「ジョルジュ・ブラック クンストハレ・ベルン展覧会図録」
「青の時代」のピカソ初期の作品。
《青い肩かけの女》1902年
愛知県美術館の名品として、コレクション展ではよく見てるんですが、
1902年に制作されて、91歳で没する1973年まで、
ピカソが手元に保管していた作品なんだそう!
ピカソの孫のひとりマリナ・ピカソ(1950- )に受け継がれ、
作品売却の資金で子どものための慈善事業を展開していたと。
1988年に東海銀行が彼女から購入し、開館直前の
愛知県美術館に寄贈とのこと。
愛知県美術館が誇る名品が並んでます
左 ポール・デルヴォー《こだま(あるいは「街路の神秘」)》1943年
右 ジョアン・ミロ《絵画》1925年
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー
《グラスのある静物》1912年
ナチスが退廃芸術として没収した作品で、
アメリカを経由して愛知県美術館に収蔵されたとのこと。
1917年にロジー&ルートヴィヒ・フィッシャー夫妻が購入
1924年にモーリッツブルク美術館に売却
1937年ナチスが退廃芸術展のために「借用」(没収)
1939年没収作品の売却を担った画商の手に渡り、翌年転売
1950年セントルイスの個人コレクターの所有に
1974年マールボロ・ギャラリーへと売却
1992年愛知県美術館が購入
なんとドラマチック!
「退廃芸術家」の烙印を押されたキルヒナーは
1938年に自殺しているんですね。
愛知県美術館が誇る
グスタフ・クリムト《人生は戦いなり(黄金の騎士)》1903年
1903年のウィーン分離派展に出品された後、製鉄関連事業で成功を収めたオーストリアの大富豪カール・ヴィトゲンシュタインとその妻によって購入され、一家の壮麗な邸宅の階段室に掲げられていた。
夫妻の死後、長女ヘルミーネに相続されます。
1938年にドイツがオーストリアを併合すると、一家はユダヤ人とみなされます。
ナチはユダヤ人の資産をさまざまな理由をつけて没収していたが、一家の資産のかなりの部分が中立国スイスの銀行で凍結されており、ナチが手を出せずにいた。度重なる交渉の末、ナチは資産の多くを得る代わりに、一家に「混血」のユダヤ人としての認定を与え、一定の市民権を留保します。
詳細はまだはっきりと分かっていないが、
ぎりぎりのところで難を逃れた作品であると。
あ、作品の方の写真撮り忘れた(^^; けど、
愛知県美術館のコレクション検索で、
パブリック・ドメイン画像になってる!
アド・ラインハート《No.114》1950年
日本の公立美術館では、収蔵した作品を再び市場に出すことはないが、
アメリカの美術館では、作品の新規購入等の目的で所蔵品の売却が行われることがあるそうで、この作品も1969年にラインハートの遺族からニューヨーク近代美術館に寄贈されたが、1991年までに市場に出され、ニューヨークの個人所蔵家の手を経て、1993年に愛知県美術館が購入しました。
アンリ・マティス《待つ》1921-22年
一足先にアメリカへ渡った作品
第二次大戦後の経済力の拡大に応じて、ヨーロッパの美術品が数多くアメリカにもたらされるようになりますが、本作はそれよりも早く1931-33年頃にアメリカへと渡りました。購入したのはニューヨークの実業家ステファン・カールトン・クラーク(後略)
イヴ・クライン《アルマン(肖像レリーフ)》1962年(原型)
ブルー(インターナショナル・クライン・ブルー(IKB))一色の絵で知られる
クラインが友人の彫刻家アルマンの身体から取った石膏型をもとにレリーフを作成したもの。
これは、クラインの没後に完成した作品で、
1962年2月、クラインは友人3人の身体から石膏型を取ります。
しかし、アルマンの像だけを完成させた後、6月に34歳の若さで
心臓発作により没しました。本作は没後の1965年にクラインの妻の許可のもと、
他の2体とともに再制作されたものだそう。
へー、と読んで作品を見ると、あ、横から見たら
こんなふうになってるんだと。
今まで正面からばかり見てたから、ちょっと新鮮(?)
今までもコレクション展で見てる名品で、
作品と作家については解説されてたりしたけど、
それぞれの作品の来歴もドラマチックだったりと
興味深かった。
展示室6 ぷくぷくときらきら
当館が2020年度に収蔵した碓井ゆい《ガラスの中で》は生殖医療を主題とした作品です。本作品を中心に、ぷくぷくと生成、増殖を続ける細胞、あるいは、きらきらと鋭利な輝きを放つガラスを連想させる作品をご紹介します。自然と人智、脆さと強さ、有機と無機を照らし出す作品と共に、想像力と思考力を泡立たせてください。
あ、これ、あいちトリエンナーレ2019で、
名古屋市美術館の最初の展示室にあった作品!
碓井ゆい《ガラスの中で》2019年
あいちトリエンナーレ2019(5) 名古屋市美術館
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-09-30
名古屋市美術館では外光が入る部屋で、オーガンジーの布が
光に透けてきれいだなって見ましたが、この部屋では
ライトで床に落ちる影が、シャーレでうごめく生命体みたいな
イメージでまた良かった。
そして、この作品に呼応するような丸い形が印象的な写真は、
米田知子
左 《坂口安吾の眼鏡―『朝鮮会談に関する日記』の原稿を見る 「Between Visible and Invisible」シリーズより》2013年
右 《藤田嗣治の眼鏡―日本出国を助けたシャーマンGHQ民政官に送った電報を見る 「Between Visible and Invisible」シリーズより》2015年
こちらは、
田中敦子《Untitled》1967年
展示室7江戸から近代へ受け継がれるやまと絵の世界
平安時代に始まる古典的な「やまと絵」の復権を目指した復古大和絵派は、田中訥言によって名古屋にも広がりました。江戸時代末期から近代の愛知画壇に「やまと絵」の与えた影響を紹介します。
田中訥言《菊鶉図》江戸時代後期(19世紀前半)
森高雅《雪中鴛鴦図》江戸時代後期(18世紀・19世紀)
日比野白圭《鶯宿梅図》明治43(1910)年
日比野白圭
左《柳下納涼図》 右《款冬雀図》
「款冬(かんとう)」とはヤマブキのこと
日比野白圭
左《佐野渡古歌意図》 右《菊花鶉図》
あっさりして上品なカンジで、私好きかも。
森村宜稲《明治天皇収穫叡覧之図》1932年
明治元年に明治天皇が尾張東海道八丁畷(なわて)で
農事を天覧した様子を描いたものとのこと。
森村宜稲《四季草花図》1925年頃
金屏風だけど、豪華というより上品なカンジ。
あー、この清楚で上品な女性像は、
舟越保武《シオン》1979年
展示室8 木村定三コレクション 熊谷守一と夜と絵具
熊谷守一が、夜のアトリエに閉じこもって「むずかしい顔」で制作していたのはなぜでしょうか? 彼の絵具の扱いに注目し、まるで厳密な実験を繰り返す科学者のような姿を想像してみます。
猫や、雨滴、伸餅など、見てるとほっこりするけど、
守一は「夜のアトリエに閉じこもって『むずかしい顔』で制作していた」?
チューブの絵具をそのまま塗ったような
《裸婦》1954(昭和29)年 が面白い。
ロビーには、
戸谷成雄《地霊》1990年
「正方形」のテーマで展示されてるのかな。
彫刻って普通は彫って凸型の像にするのに、
これは凹型になってるのが面白い。
吉本直子《白の棺》2006年
愛知県美術館で2012年から2017年まで展示室6で行われた
APMoA Project, ARCH (プロジェクト・アーチ)
愛知県美術館の学芸員と若手作家との協同によって作られた展覧会
その最初の展示が
吉本直子「Reflection Space ――鼓動の庭」でした。
(2012年4月13日(金)~6月24日(日))
こちらに少し感想を書いてます。
愛知県美術館「魔術/美術」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2012-06-12
着古した白いシャツを固めて作られています。
両側から延ぴる袖は、何かを求めているのか?
引き裂かれようとしているのか?
ショップで、
「安井仲治」展の図録はまぁいいかなって思ったけど、
展示室5の「名品」はどこから来たのか? で置いてあった
「近代美術の100年 愛知県美術館のコレクション」
美術館の名品の画像を大きく載せて、解説するという
カタログスタイルではなく、近代美術史の流れの中で、
コレクション作品がどのような位置にあるのかという
解説の中に作品の画像が載っていて、今まで
コレクション展でよく見てた作品だけど、
あらためて詳しく知ることができました。
1998年1月30日~3月8日に開催された展覧会の図録だそう。
1,600円(税込)が友の会で5%引きになりました(^^)v
そして、前回の企画展「幻の愛知県博物館」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-08-20
見に来た時、図録がまだできてなかったんです。
できてたので購入。
1,500円(税込)が、友の会で5%割引(^^)v
「幻の愛知県博物館」では、
博覧会のパビリオンの写真とか興味深く見たっけ。
クスッと笑ったキャプションも健在!
さらに、前回ショップで
シャチホコのパッケージが面白くて買って、
とても美味しかった「豆でなも」756円(税込)
今回なんと5%割引になってたんです!
隣にあった「豆だくさん」1,080円(税込)も5%引きだったので、
購入しました。こっちも、いろんな味の豆が入ってて
それぞれ美味しかった。パッケージもオシャレ!
ショップでちょっと散財しちゃったかな?
いつもながら、愛知県美術館のコレクション展充実してます。
オアシス21のカフェで、ケーキセット食べて帰りました(^^)v
愛知県美術館「安井仲治」展 [美術]
愛知県美術館「生誕120年 安井仲治」展を見てきました。
この展覧会、愛知県美術館友の会に入ってなかったら
行かなかったと思う。
安井仲治(やすい なかじ)って名前も、
聞いたことさえなかったし、
チラシの写真も、なんか暗くて‥‥
日本の写真史において傑出した存在であった安井仲治(1903-1942)。10代でカメラと出会った安井は、20代半ばには関西の写真シーンで一目置かれる存在となりました。そして38歳の若さで病没するまで、旺盛な創作意欲をもって極めて多くの写真の技法、スタイルに取り組みました。
(チラシ裏面の文より)
この展覧会、10月6日(金)から始まったんですが、
10月12日(木)に、友の会の特別鑑賞会があったんですね。
たまたまその日、パートも休みだったので、
全く知らない作家だし、解説を聞くのもいいかもしれないと、
夜の部に参加しました。
(その鑑賞会へ行く前に見たのが、
名古屋市美術館「福田美蘭―美術って、なに?」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-10-16 )
特別鑑賞会では、展覧会を準備された
愛知県美術館学芸員の鵜尾佳奈(うお かな)さんが
解説してくださいました。
安井仲治を知っている方って質問に、
さすが友の会、ちらほらと手が挙がってました。
20年前に、生誕100年を記念した展覧会が
名古屋市美術館で開催されてたそう。
(その展覧会は、渋谷区立松濤美術館と名古屋市美術館を巡回)
今回の展覧会に出品された安井仲治のヴィンテージプリントは、
ほとんどが兵庫県立美術館に寄託されたものなので、
そちらで見た人もいるのではと。
でも私のように知らないって方も多かったです。
1903(明治36)年生まれ。
関西を中心に活躍したアマチュア写真家
写真家としては木村伊兵衛(1901-1974)と同年代
土門拳や森山大道が高く評価していたと。
「アマチュア」と言っても、当時は
職業として写真を撮っているのは、
写真館の経営者か、報道写真家くらいなので、
「アマチュア」という言葉は、
余暇に写真を撮っているというだけでなく、
芸術として写真を撮る、自立した表現者としての写真家
という意味でもあるとのこと。
特別鑑賞会でも、解説の後、閉館後の会場を
友の会貸切で展示を見たんですが、限られた時間で、
多くの写真があるので、じっくり見られなかったし、
コレクション展を見たかったので、
11月5日(日)にもう一度見に行きました。
友の会の会員証にスタンプを押してもらい、
チケットをもらいます。
一部を除き撮影可!
置いてあった鑑賞ガイド
まず、安井仲治の紹介と、愛用のカメラの展示
左が、ローライフレックス
右が、ライカⅢB
最初に展示されているのが、
《分離派の建築と其周囲》1922年
特別鑑賞会で画像を見せられた時、
なんかボケた写真? みたいに思ったけど、
当時、芸術写真として絵画風に仕上げた
「ピクトリアリズム」写真が全盛だったそう。
《クレインノヒビキ》1923年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
プロムオイルという技法を使って、
油絵のような効果を出しています。
《眺める人々》1925年/2023年
猿回しを眺める人々だけを切り取った作品
制作年に「1925年/2023年」と記されているのは、
写真が初めに発表された年/モダンプリントされた年
写真家自身が撮影後間もなくプリントした写真のことを「ヴィンテージプリント」、その写真が撮影されて時間が経ってから、もしくは写真家の死後に第三者の手によってプリントされた写真を「モダンプリント」と呼びます。
安井の写真の一部は、彼の死の3年後1945年の大阪大空襲により焼失してしまっているため、過去に何回かモダンプリントが制作されています。(鑑賞ガイドより)
この展覧会では、ヴィンテージプリントが約140点、モダンプリントが約60点展示されており、うち、この展覧会のためにモダンプリントされたものが23点。
モダンプリントの制作には、作家の作品制作過程の研究が重ねられていると。
ネガコンタクトプリント《或る船員の像》《(童女スケッチ)》
《或る船員の像》や《(童女スケッチ)》は、
ネガを大胆にトリミングして作品にしているってのがわかって
興味深かった。
《(横たわる女)》1930年頃 安井冨子氏蔵
白い女性のヌードが美しい
《平野町》1929年/2004年 渋谷区立松濤美術館
当時の都市風景が切り取られていて興味深い
《(牛 Ver.)》1929年頃 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
画面いっぱいの黒い牛が迫力
《斧と鎌》1931年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
斧と鎌が作り出す影が面白い!
安井仲治旧蔵の書籍
ヴェルナー・グラフ
「映画と写真」展関連書籍
『新しい写真家がやってくる!』1929年
ドイツで行われた「映画と写真」展(1929年)の写真部門が、「独逸国際移動写真展」(1931年)として日本に巡回し、多くの写真家に影響を与えた。本書に収録されたマン・レイの作品を安井は後に雑誌で紹介している。(キャプションの文)
左ページがマン・レイの作品(写真?)
《海浜》1936年/2004年 渋谷区立松濤美術館
この写真、今回の展覧会にあたっての調査で、
撮影地は愛知県知多半島にある野間埼灯台だと特定したそう。
なんかドラマチックな迫力がある写真
キャプションの解説でも、
「話題を呼び、模倣者が続出した。」と
《夕》1938年/2004年 名古屋市美術館
なんかこの写真見て、バックの単純な建造物といい、
素朴な姉妹の様子といい、寂寥感が迫ってくるように
感じたんですが、説明を読むと、
「写友T君が応召しました。戦地へ出発の前の最後の面会日を知らしてもらったので出かけました。其帰途こんな風景へ通りかゝりました。建物と子供の関係等に心惹かれて撮りましたが、少し寂しい写真が出来ました。」(『カメラクラブ』1939年1月号)
《モニュメント》1938年/2004年 渋谷区立松濤美術館
このフォルム、面白い!
安井が「半静物」と呼んでいたシリーズで、
北野中学校撮影会で理科室の標本を組み合わせて
撮影した写真。
《海辺》1938年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
撮影会で撮られた写真
《白衣勇士(着座)》1940年/2004年 名古屋市美術館
陸軍病院で撮影した写真。1940年、戦争の影が感じられます。
《流氓ユダヤ 母》1941年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
女性の強い目線がとても印象的な写真
「流氓(るぼう)ユダヤ」シリーズは、
1941(昭和16)年3月、安井は丹平写真倶楽部の有志と共に、ナチスによる迫害を逃れ神戸にたどり着いたポーランド系ユダヤ人を撮影した。
この撮影メンバーに手塚治虫の父が入っていたって
特別鑑賞会で聞いて興味深かった。
《(サーカスの女)》1940年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
最後のコーナーに展示してあったこの写真
《熊谷守一氏像》1939-42年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
へー、熊谷守一の写真!
守一は1980年生まれだから、60歳くらい? って
1942年に38歳の若さで病没。
‥‥正直、安井仲治の写真がそんなにすごいのか、私では
よくわからないところもあるんだけど、人物から風景から、
シュルレアリスム風の半静物など、38歳の若さで亡くなったってのが
信じられない程の多彩な写真があって、いいなって見た写真も多い。
モノクロ写真が並ぶ展示室は端正な雰囲気で良かったし。
そして、私個人的に感慨深かったのが、もらった鑑賞ガイド、
安井仲治のプリント技法についての解説や、
ヴィンテージプリントとモダンプリントについて、
とてもわかりやすく説明されていて良かったけど、
フィルムカメラの現像と銀塩写真のプリント方法についても
説明されていて、そうか、スマホやデジカメで
簡単に美しいカラー写真が撮れる現代では、
ネガフィルムは白黒が反転しているなんてことも
わからない人も出てきてるのかなーなんて。
私、大学でモノクロフィルムの現像や
引き伸ばしは習ったんですよ。
実は引き伸ばし機、持ってます!
(さすがにもうずっと使ってないですが、
押し入れから引っ張り出してみました)
LUCKY ENLARGER 60M
フィルムの現像は光は厳禁なので、黒い袋の中に手を入れて
行ないますが、印画紙への引き延ばし作業は、それほど
厳密な暗室でなくてもできたので(あくまで私のレベルでは)
夜、窓に黒い幕を張ってやってました。
印画紙を現像液に浸して画像が浮き上がってくるのが
楽しかった。どれくらいで現像液から引き上げて、
(足りないと白っぽいし、浸しすぎると黒くなってしまう)
停止液、定着液に浸すか調整するのも面白かったです。
そして、手塚治虫のお父さんについて、
Wikiで安井仲治を調べてたら、ちゃんと
手塚治虫の父・手塚 粲(てづか ゆたか 1900-1986)
のページもあって、興味深く読みました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E7%B2%B2
ちょっと前にLINEマンガで、お勧めで流れてきた
堀田あきお&かよ「手塚治虫アシスタントの食卓」が
とても面白かった(課金して最後まで読んでしまった)んだけど、
忙しい手塚治虫に代わって訪ねてきたファンの相手をしたりと、
とてもいいお父さんだなって思って読んでたけど、
アマチュア写真家として、
安井仲治と「流氓ユダヤ」の写真を撮るほどの腕前だったとは!
話がそれましたが、愛知県美術館のコレクション展については
次の記事で。
この展覧会、愛知県美術館友の会に入ってなかったら
行かなかったと思う。
安井仲治(やすい なかじ)って名前も、
聞いたことさえなかったし、
チラシの写真も、なんか暗くて‥‥
日本の写真史において傑出した存在であった安井仲治(1903-1942)。10代でカメラと出会った安井は、20代半ばには関西の写真シーンで一目置かれる存在となりました。そして38歳の若さで病没するまで、旺盛な創作意欲をもって極めて多くの写真の技法、スタイルに取り組みました。
(チラシ裏面の文より)
この展覧会、10月6日(金)から始まったんですが、
10月12日(木)に、友の会の特別鑑賞会があったんですね。
たまたまその日、パートも休みだったので、
全く知らない作家だし、解説を聞くのもいいかもしれないと、
夜の部に参加しました。
(その鑑賞会へ行く前に見たのが、
名古屋市美術館「福田美蘭―美術って、なに?」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-10-16 )
特別鑑賞会では、展覧会を準備された
愛知県美術館学芸員の鵜尾佳奈(うお かな)さんが
解説してくださいました。
安井仲治を知っている方って質問に、
さすが友の会、ちらほらと手が挙がってました。
20年前に、生誕100年を記念した展覧会が
名古屋市美術館で開催されてたそう。
(その展覧会は、渋谷区立松濤美術館と名古屋市美術館を巡回)
今回の展覧会に出品された安井仲治のヴィンテージプリントは、
ほとんどが兵庫県立美術館に寄託されたものなので、
そちらで見た人もいるのではと。
でも私のように知らないって方も多かったです。
1903(明治36)年生まれ。
関西を中心に活躍したアマチュア写真家
写真家としては木村伊兵衛(1901-1974)と同年代
土門拳や森山大道が高く評価していたと。
「アマチュア」と言っても、当時は
職業として写真を撮っているのは、
写真館の経営者か、報道写真家くらいなので、
「アマチュア」という言葉は、
余暇に写真を撮っているというだけでなく、
芸術として写真を撮る、自立した表現者としての写真家
という意味でもあるとのこと。
特別鑑賞会でも、解説の後、閉館後の会場を
友の会貸切で展示を見たんですが、限られた時間で、
多くの写真があるので、じっくり見られなかったし、
コレクション展を見たかったので、
11月5日(日)にもう一度見に行きました。
友の会の会員証にスタンプを押してもらい、
チケットをもらいます。
一部を除き撮影可!
置いてあった鑑賞ガイド
まず、安井仲治の紹介と、愛用のカメラの展示
左が、ローライフレックス
右が、ライカⅢB
最初に展示されているのが、
《分離派の建築と其周囲》1922年
特別鑑賞会で画像を見せられた時、
なんかボケた写真? みたいに思ったけど、
当時、芸術写真として絵画風に仕上げた
「ピクトリアリズム」写真が全盛だったそう。
《クレインノヒビキ》1923年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
プロムオイルという技法を使って、
油絵のような効果を出しています。
《眺める人々》1925年/2023年
猿回しを眺める人々だけを切り取った作品
制作年に「1925年/2023年」と記されているのは、
写真が初めに発表された年/モダンプリントされた年
写真家自身が撮影後間もなくプリントした写真のことを「ヴィンテージプリント」、その写真が撮影されて時間が経ってから、もしくは写真家の死後に第三者の手によってプリントされた写真を「モダンプリント」と呼びます。
安井の写真の一部は、彼の死の3年後1945年の大阪大空襲により焼失してしまっているため、過去に何回かモダンプリントが制作されています。(鑑賞ガイドより)
この展覧会では、ヴィンテージプリントが約140点、モダンプリントが約60点展示されており、うち、この展覧会のためにモダンプリントされたものが23点。
モダンプリントの制作には、作家の作品制作過程の研究が重ねられていると。
ネガコンタクトプリント《或る船員の像》《(童女スケッチ)》
《或る船員の像》や《(童女スケッチ)》は、
ネガを大胆にトリミングして作品にしているってのがわかって
興味深かった。
《(横たわる女)》1930年頃 安井冨子氏蔵
白い女性のヌードが美しい
《平野町》1929年/2004年 渋谷区立松濤美術館
当時の都市風景が切り取られていて興味深い
《(牛 Ver.)》1929年頃 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
画面いっぱいの黒い牛が迫力
《斧と鎌》1931年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
斧と鎌が作り出す影が面白い!
安井仲治旧蔵の書籍
ヴェルナー・グラフ
「映画と写真」展関連書籍
『新しい写真家がやってくる!』1929年
ドイツで行われた「映画と写真」展(1929年)の写真部門が、「独逸国際移動写真展」(1931年)として日本に巡回し、多くの写真家に影響を与えた。本書に収録されたマン・レイの作品を安井は後に雑誌で紹介している。(キャプションの文)
左ページがマン・レイの作品(写真?)
《海浜》1936年/2004年 渋谷区立松濤美術館
この写真、今回の展覧会にあたっての調査で、
撮影地は愛知県知多半島にある野間埼灯台だと特定したそう。
なんかドラマチックな迫力がある写真
キャプションの解説でも、
「話題を呼び、模倣者が続出した。」と
《夕》1938年/2004年 名古屋市美術館
なんかこの写真見て、バックの単純な建造物といい、
素朴な姉妹の様子といい、寂寥感が迫ってくるように
感じたんですが、説明を読むと、
「写友T君が応召しました。戦地へ出発の前の最後の面会日を知らしてもらったので出かけました。其帰途こんな風景へ通りかゝりました。建物と子供の関係等に心惹かれて撮りましたが、少し寂しい写真が出来ました。」(『カメラクラブ』1939年1月号)
《モニュメント》1938年/2004年 渋谷区立松濤美術館
このフォルム、面白い!
安井が「半静物」と呼んでいたシリーズで、
北野中学校撮影会で理科室の標本を組み合わせて
撮影した写真。
《海辺》1938年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
撮影会で撮られた写真
《白衣勇士(着座)》1940年/2004年 名古屋市美術館
陸軍病院で撮影した写真。1940年、戦争の影が感じられます。
《流氓ユダヤ 母》1941年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
女性の強い目線がとても印象的な写真
「流氓(るぼう)ユダヤ」シリーズは、
1941(昭和16)年3月、安井は丹平写真倶楽部の有志と共に、ナチスによる迫害を逃れ神戸にたどり着いたポーランド系ユダヤ人を撮影した。
この撮影メンバーに手塚治虫の父が入っていたって
特別鑑賞会で聞いて興味深かった。
《(サーカスの女)》1940年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
最後のコーナーに展示してあったこの写真
《熊谷守一氏像》1939-42年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
へー、熊谷守一の写真!
守一は1980年生まれだから、60歳くらい? って
1942年に38歳の若さで病没。
‥‥正直、安井仲治の写真がそんなにすごいのか、私では
よくわからないところもあるんだけど、人物から風景から、
シュルレアリスム風の半静物など、38歳の若さで亡くなったってのが
信じられない程の多彩な写真があって、いいなって見た写真も多い。
モノクロ写真が並ぶ展示室は端正な雰囲気で良かったし。
そして、私個人的に感慨深かったのが、もらった鑑賞ガイド、
安井仲治のプリント技法についての解説や、
ヴィンテージプリントとモダンプリントについて、
とてもわかりやすく説明されていて良かったけど、
フィルムカメラの現像と銀塩写真のプリント方法についても
説明されていて、そうか、スマホやデジカメで
簡単に美しいカラー写真が撮れる現代では、
ネガフィルムは白黒が反転しているなんてことも
わからない人も出てきてるのかなーなんて。
私、大学でモノクロフィルムの現像や
引き伸ばしは習ったんですよ。
実は引き伸ばし機、持ってます!
(さすがにもうずっと使ってないですが、
押し入れから引っ張り出してみました)
LUCKY ENLARGER 60M
フィルムの現像は光は厳禁なので、黒い袋の中に手を入れて
行ないますが、印画紙への引き延ばし作業は、それほど
厳密な暗室でなくてもできたので(あくまで私のレベルでは)
夜、窓に黒い幕を張ってやってました。
印画紙を現像液に浸して画像が浮き上がってくるのが
楽しかった。どれくらいで現像液から引き上げて、
(足りないと白っぽいし、浸しすぎると黒くなってしまう)
停止液、定着液に浸すか調整するのも面白かったです。
そして、手塚治虫のお父さんについて、
Wikiで安井仲治を調べてたら、ちゃんと
手塚治虫の父・手塚 粲(てづか ゆたか 1900-1986)
のページもあって、興味深く読みました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E7%B2%B2
ちょっと前にLINEマンガで、お勧めで流れてきた
堀田あきお&かよ「手塚治虫アシスタントの食卓」が
とても面白かった(課金して最後まで読んでしまった)んだけど、
忙しい手塚治虫に代わって訪ねてきたファンの相手をしたりと、
とてもいいお父さんだなって思って読んでたけど、
アマチュア写真家として、
安井仲治と「流氓ユダヤ」の写真を撮るほどの腕前だったとは!
話がそれましたが、愛知県美術館のコレクション展については
次の記事で。
なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾 (3) [美術]
10月29日(日)愛知県西尾市へ行き、
「国際芸術祭地域展開事業
なめらかでないしぐさ
現代美術 in 西尾」を見たことの続き。
康全寺で、大東忍さんの作品を、
旧上田家具店で、岡本健児さんとキ・スルギさんの作品を見て、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-11-02
尚古荘不言庵で、札本彩子さんの作品を見て、
西尾歴史公園を散策、旧近衛邸でお抹茶をいただき、
西尾市資料館で、茨木のり子・大和田俊さんの作品を見ました。
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-11-04
4名の作家の作品がある西尾市岩瀬文庫 がある
鶴城公園 西尾市立図書館
10月28日(土)・29日(日)と
「にしお本まつり」をやっているとのこと。
テニスコートもありました。
「本まつり」と風船で作られている(^^)
えーと、岩瀬文庫は? と進んでいくと、
屋外に写真が洗濯物のように(^^)展示されています。
#にしおイズム 野外写真展 10月14日(土)~11月5日(日)
あ、チラシのメインビジュアルに使われている作品!
神農 理恵 Shinno Rie 1994年 三重県出身
《dog (big)》2021年
風景の中で、この作品だけ異質なような、
なんか不思議な雰囲気。
まるでカラフルな紙をハサミで思いつくままに切って糊づけしただけに見える《dog (big)》が置かれています。そのペーパークフトのような見かけの軽やかさとは裏腹に、神農理恵の作品は、火花を散らしながら切り出した厚く重い鉄板を自重とのバランスを考えながら溶接するという、とてもハードな作業を伴います。
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/shinno-rie.html
少し後で、この日行われていた
本展キュレーターが会場を回りながら見どころを話すって
プログラムが来て解説が始まったので
(あ、愛知県美術館の副田一穂学芸員だ)聞いてると、
この作品、下に置かれた鉄板から切り出して組み立てている
ってことで、あらためて下に置かれた鉄板をよく見てみた。
周囲の柵も鉄板を切り出して作っていて、
見た目、なんかコミカルな印象なんだけど、
実際に作るのは大変な作業なんだろうなって。
鑑賞したのは後だけど、神農理恵さんのもう一つの作品
《朝のひかり、昼のひかり、夜のひかり、》2023年
1階休憩室から撮った写真
光庭に降りて見ました
鏡のようなステンレスに空が映って、
キラキラと輝いているのがきれい。
矢作川が運んできた土砂が形成した肥沃な沖積平野が広がるここ西尾の土地のイメージに、神農は溶接の際に鉄が高温で溶け合ってできるオレンジ色のプール(溶融池)のイメージを重ね合わせます。
神農理恵《dog (big)》の後ろの建物が重厚でいいなって見てたら、
この日は、内部が特別公開される日だったんです!
(毎年10月に開催される「にしお本まつり」の際のみ)
登録有形文化財 岩瀬文庫旧書庫
木造瓦葺き、地上3階地下1階建て、外壁は過焼煉瓦のタイル貼り、室内側には厚く漆喰が塗られています。2度に及ぶ大地震に耐え蔵書を守り抜いた堅牢な造りです。
(もらったリーフレットより)
本棚がいっぱい並んでます
(蔵書は、現在は新しい収蔵庫に保管されていて、
ここにある本は見本ですと)
床板がすのこのように張られています。
人が歩いてもびくともしません。
本は重いから、頑丈な造りでないと耐えられませんよね。
窓から神農理恵さんの作品を見下ろします。
岩瀬文庫を創設した岩瀬弥助の展示があり、
ボランティアの方が説明してくださいました。
岩瀬弥助 慶応3(1867)年-昭和5(1930)年
旧西尾城下の須田に生まれ、
20歳の時、本家筋の肥料商「山本屋」の入婿となり四代目当主・岩瀬弥助を襲名します。商才に長け、一代で莫大な財を築き上げますが、自身は質素な暮らしぶりであったと伝えられます。一方で市内の学校へ土地やお金を寄附したり、鉄道(現在の名鉄西尾線の前身)を敷くなど社会事業にも莫大な貢献をし、31歳の先には西尾町長も務めました。岩瀬文庫の設立は、大厄を迎える数えで42歳の誕生日を期して計画されました。(リーフレットより)
ということで、岩瀬文庫は明治41(1908)年に
私立図書館として誕生します。
この旧書庫は、大正時代の文庫改築時に建築されたもの。
旧書庫の脇に岩瀬弥助翁之像がありました。
岩瀬文庫は戦後、西尾市の所管となり、
2003(平成15)年には重要文化財を含む古典籍から近代の実用書まで8万冊余りの蔵書を保存・公開する日本初の「古書の博物館」としてリニューアル開館した。(会場ガイドより)
ということで、現在の岩瀬文庫の1階と階段を使って展示されていたのが、
時里 充 Tokisato Mitsuru 1990年 兵庫県出身
階段の上と下に設置されたモニタに2体のパペットが
何かを語り合っている映像が映されています。
二人が話している内容は、いくつかのキーワードを元にAIが機械的に生成したストーリーなのです。それをさも筋が通ったお話であるかのように声優が声を当てて、さらにその声に合わせて時里充が自らの手をキャラクターに見立てて動かしています。手の動きはモーションキャプチャーで読み取られ、コンピュータ上でシミュレートした布が被せられて、二体のパペットが誕生します。パペットたちが語らう舞台は、現実の複数の場所を3Dスキャンして組み合わせた仮想の空間です。
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/tokisato-mitsuru.html
1階に設置されたモニタでは、手の動きがパペットになる
映像が上映されていて(うまく写ってないけど、画面左半分に
手の動き、右半分はそれに布が被せられた動きになっている)
AI技術を使って制作されているんだって
ことはわかったけど‥‥
作品はともかく(^^;; この階段の雰囲気いいなぁ。
壁に貼られている絵(?)も、作品かと思ったけど、
岩瀬文庫の蔵書を写した壁画グラフィックらしい。
齋藤吾朗《西尾に岩瀬文庫あり》2020年
シルクスクリーン
岩瀬文庫 常設展示室
その奥の企画展示室が
山口 麻加 Yamaguchi Asaka 1991年 大阪府出身
青い画面に白い点が反転したような版画が
並んでいたりします。
版そのものもまた厚みを持った立体的なモノだという事実に着目した版画作品を作ってきました。たとえば版木に虫食いの穴が無数に走っていたとして、版木の表側と裏側の両方を挟み込むように刷ることで、穴の入口と出口を一枚の紙に転写することができます。このように、山口の版画はあくまで薄い一枚の紙に過ぎませんが、それがかつて版に接していたときの分厚い情報をさまざまな形で宿しています。
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/yamaguchi-asaka.html
触れる版画もあって、かすかな紙の破れを確かめたりできたけど、
‥‥うーん、なんかよくわからなかった(^^;;
地下に展示されていたのが、
柄澤 健介 Karasawa Kensuke 1987年 愛知県出身
《道》2023年
彫られて凹んだ部分に白い蝋が流し込まれているのが、
川の流れのように見えます。
《深[未]景》2017-2021年
庭で開催されていた古本市も気にはなったけど、
時間もないし、買ってしまったら持ち帰るのが大変、
なので、見るのは我慢して、お腹も空いたので、
出ていた屋台の焼きそば500円とチュロス250円を買って、
神農理恵さんの作品の近くのテーブルでいただきました。
さて、最後の会場、林帯芯工場へ
ここは、会期中の土日のみ開館
潘 逸舟 Han Ishu 1987年 上海(中国)出身
昨年開催された国際芸術祭「あいち2022」に、
出品された作品《埃から生まれた糸の盆踊り》を
作品の撮影地である林帯芯工場で展示するとのこと。
わー!! これは‥‥昭和、それも戦前の昭和くらいの雰囲気
今でも稼働しているんですよね!!
林帯芯工場は、大正8(1919)年創業
リーフレットいただきました
林帯芯工場のHP: http://obishin.web.fc2.com/
設備は、豊田式小幅織機52台
今や世界のトヨタ自動車ですが、
その始まりは、豊田佐吉の自動織機でしたね。
潘逸舟さんは、この工場の埃を
「蓄積しつづける記憶、溶けない雪、工場の内側を覆う一層の皮膚」といったメタファーとして捉え
白い糸がゆらゆらと舞う映像を
「あいち2022」に出品されました。
国際芸術祭「あいち2022」(2)愛知芸術文化センター8階
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2022-09-23
愛知芸術文化センターで見た時は、
ゆらゆらと動く糸に、なんか癒されるなー
なんて感想だったんですが、この現場で見たら、
この古い織機に圧倒されたというか。
(実際ほとんど映像見てなかった(^^;
潘逸舟さんが社長さんの顔を描いた絵が飾ってあって、
いい絵だなーって。
林帯芯工場を見終わって、名鉄の駅としては桜町前駅が
近いんですが、名鉄のこんなキャンペーンのリーフレット見て、
西尾のスイーツを食べたいなーって、
(キャンペーンのスイーツきっぷは買ってなかっですが)
で、西尾駅の近くにあるお店を目指して、二駅分歩きました
途中で見た金物屋さんの看板。金槌で釘を打ち付けてる(^^)
しかしっ! 目指した店は日曜閉店(T.T)
(ちゃんと細かい文字まで読まないとー)
西尾駅前にあった「まーちゃ」の像、カワイイ
別の店に行こうかって歩きはじめたけど、LO近い時間になって
あきらめました。(うーん、ちょっと心残り‥‥)
古本屋さんがちゃんとやってる! それも店舗も結構立派
他の場所でも古本屋さん見たけど、なんか西尾の文化の高さ
みたいなのを感じてしまった。
岩瀬文庫もすごいと感心したし、
西尾市資料館も元西尾市長の多額の寄付をうけてできたとか。
天王寺商店街の像
とても楽しい一日でした。撮った写真が198枚(^^;
なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾:
https://aichitriennale.jp/aichi-art/
西尾市岩瀬文庫: https://iwasebunko.jp/
「国際芸術祭地域展開事業
なめらかでないしぐさ
現代美術 in 西尾」を見たことの続き。
康全寺で、大東忍さんの作品を、
旧上田家具店で、岡本健児さんとキ・スルギさんの作品を見て、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-11-02
尚古荘不言庵で、札本彩子さんの作品を見て、
西尾歴史公園を散策、旧近衛邸でお抹茶をいただき、
西尾市資料館で、茨木のり子・大和田俊さんの作品を見ました。
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-11-04
4名の作家の作品がある西尾市岩瀬文庫 がある
鶴城公園 西尾市立図書館
10月28日(土)・29日(日)と
「にしお本まつり」をやっているとのこと。
テニスコートもありました。
「本まつり」と風船で作られている(^^)
えーと、岩瀬文庫は? と進んでいくと、
屋外に写真が洗濯物のように(^^)展示されています。
#にしおイズム 野外写真展 10月14日(土)~11月5日(日)
あ、チラシのメインビジュアルに使われている作品!
神農 理恵 Shinno Rie 1994年 三重県出身
《dog (big)》2021年
風景の中で、この作品だけ異質なような、
なんか不思議な雰囲気。
まるでカラフルな紙をハサミで思いつくままに切って糊づけしただけに見える《dog (big)》が置かれています。そのペーパークフトのような見かけの軽やかさとは裏腹に、神農理恵の作品は、火花を散らしながら切り出した厚く重い鉄板を自重とのバランスを考えながら溶接するという、とてもハードな作業を伴います。
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/shinno-rie.html
少し後で、この日行われていた
本展キュレーターが会場を回りながら見どころを話すって
プログラムが来て解説が始まったので
(あ、愛知県美術館の副田一穂学芸員だ)聞いてると、
この作品、下に置かれた鉄板から切り出して組み立てている
ってことで、あらためて下に置かれた鉄板をよく見てみた。
周囲の柵も鉄板を切り出して作っていて、
見た目、なんかコミカルな印象なんだけど、
実際に作るのは大変な作業なんだろうなって。
鑑賞したのは後だけど、神農理恵さんのもう一つの作品
《朝のひかり、昼のひかり、夜のひかり、》2023年
1階休憩室から撮った写真
光庭に降りて見ました
鏡のようなステンレスに空が映って、
キラキラと輝いているのがきれい。
矢作川が運んできた土砂が形成した肥沃な沖積平野が広がるここ西尾の土地のイメージに、神農は溶接の際に鉄が高温で溶け合ってできるオレンジ色のプール(溶融池)のイメージを重ね合わせます。
神農理恵《dog (big)》の後ろの建物が重厚でいいなって見てたら、
この日は、内部が特別公開される日だったんです!
(毎年10月に開催される「にしお本まつり」の際のみ)
登録有形文化財 岩瀬文庫旧書庫
木造瓦葺き、地上3階地下1階建て、外壁は過焼煉瓦のタイル貼り、室内側には厚く漆喰が塗られています。2度に及ぶ大地震に耐え蔵書を守り抜いた堅牢な造りです。
(もらったリーフレットより)
本棚がいっぱい並んでます
(蔵書は、現在は新しい収蔵庫に保管されていて、
ここにある本は見本ですと)
床板がすのこのように張られています。
人が歩いてもびくともしません。
本は重いから、頑丈な造りでないと耐えられませんよね。
窓から神農理恵さんの作品を見下ろします。
岩瀬文庫を創設した岩瀬弥助の展示があり、
ボランティアの方が説明してくださいました。
岩瀬弥助 慶応3(1867)年-昭和5(1930)年
旧西尾城下の須田に生まれ、
20歳の時、本家筋の肥料商「山本屋」の入婿となり四代目当主・岩瀬弥助を襲名します。商才に長け、一代で莫大な財を築き上げますが、自身は質素な暮らしぶりであったと伝えられます。一方で市内の学校へ土地やお金を寄附したり、鉄道(現在の名鉄西尾線の前身)を敷くなど社会事業にも莫大な貢献をし、31歳の先には西尾町長も務めました。岩瀬文庫の設立は、大厄を迎える数えで42歳の誕生日を期して計画されました。(リーフレットより)
ということで、岩瀬文庫は明治41(1908)年に
私立図書館として誕生します。
この旧書庫は、大正時代の文庫改築時に建築されたもの。
旧書庫の脇に岩瀬弥助翁之像がありました。
岩瀬文庫は戦後、西尾市の所管となり、
2003(平成15)年には重要文化財を含む古典籍から近代の実用書まで8万冊余りの蔵書を保存・公開する日本初の「古書の博物館」としてリニューアル開館した。(会場ガイドより)
ということで、現在の岩瀬文庫の1階と階段を使って展示されていたのが、
時里 充 Tokisato Mitsuru 1990年 兵庫県出身
階段の上と下に設置されたモニタに2体のパペットが
何かを語り合っている映像が映されています。
二人が話している内容は、いくつかのキーワードを元にAIが機械的に生成したストーリーなのです。それをさも筋が通ったお話であるかのように声優が声を当てて、さらにその声に合わせて時里充が自らの手をキャラクターに見立てて動かしています。手の動きはモーションキャプチャーで読み取られ、コンピュータ上でシミュレートした布が被せられて、二体のパペットが誕生します。パペットたちが語らう舞台は、現実の複数の場所を3Dスキャンして組み合わせた仮想の空間です。
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/tokisato-mitsuru.html
1階に設置されたモニタでは、手の動きがパペットになる
映像が上映されていて(うまく写ってないけど、画面左半分に
手の動き、右半分はそれに布が被せられた動きになっている)
AI技術を使って制作されているんだって
ことはわかったけど‥‥
作品はともかく(^^;; この階段の雰囲気いいなぁ。
壁に貼られている絵(?)も、作品かと思ったけど、
岩瀬文庫の蔵書を写した壁画グラフィックらしい。
齋藤吾朗《西尾に岩瀬文庫あり》2020年
シルクスクリーン
岩瀬文庫 常設展示室
その奥の企画展示室が
山口 麻加 Yamaguchi Asaka 1991年 大阪府出身
青い画面に白い点が反転したような版画が
並んでいたりします。
版そのものもまた厚みを持った立体的なモノだという事実に着目した版画作品を作ってきました。たとえば版木に虫食いの穴が無数に走っていたとして、版木の表側と裏側の両方を挟み込むように刷ることで、穴の入口と出口を一枚の紙に転写することができます。このように、山口の版画はあくまで薄い一枚の紙に過ぎませんが、それがかつて版に接していたときの分厚い情報をさまざまな形で宿しています。
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/yamaguchi-asaka.html
触れる版画もあって、かすかな紙の破れを確かめたりできたけど、
‥‥うーん、なんかよくわからなかった(^^;;
地下に展示されていたのが、
柄澤 健介 Karasawa Kensuke 1987年 愛知県出身
《道》2023年
彫られて凹んだ部分に白い蝋が流し込まれているのが、
川の流れのように見えます。
《深[未]景》2017-2021年
庭で開催されていた古本市も気にはなったけど、
時間もないし、買ってしまったら持ち帰るのが大変、
なので、見るのは我慢して、お腹も空いたので、
出ていた屋台の焼きそば500円とチュロス250円を買って、
神農理恵さんの作品の近くのテーブルでいただきました。
さて、最後の会場、林帯芯工場へ
ここは、会期中の土日のみ開館
潘 逸舟 Han Ishu 1987年 上海(中国)出身
昨年開催された国際芸術祭「あいち2022」に、
出品された作品《埃から生まれた糸の盆踊り》を
作品の撮影地である林帯芯工場で展示するとのこと。
わー!! これは‥‥昭和、それも戦前の昭和くらいの雰囲気
今でも稼働しているんですよね!!
林帯芯工場は、大正8(1919)年創業
リーフレットいただきました
林帯芯工場のHP: http://obishin.web.fc2.com/
設備は、豊田式小幅織機52台
今や世界のトヨタ自動車ですが、
その始まりは、豊田佐吉の自動織機でしたね。
潘逸舟さんは、この工場の埃を
「蓄積しつづける記憶、溶けない雪、工場の内側を覆う一層の皮膚」といったメタファーとして捉え
白い糸がゆらゆらと舞う映像を
「あいち2022」に出品されました。
国際芸術祭「あいち2022」(2)愛知芸術文化センター8階
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2022-09-23
愛知芸術文化センターで見た時は、
ゆらゆらと動く糸に、なんか癒されるなー
なんて感想だったんですが、この現場で見たら、
この古い織機に圧倒されたというか。
(実際ほとんど映像見てなかった(^^;
潘逸舟さんが社長さんの顔を描いた絵が飾ってあって、
いい絵だなーって。
林帯芯工場を見終わって、名鉄の駅としては桜町前駅が
近いんですが、名鉄のこんなキャンペーンのリーフレット見て、
西尾のスイーツを食べたいなーって、
(キャンペーンのスイーツきっぷは買ってなかっですが)
で、西尾駅の近くにあるお店を目指して、二駅分歩きました
途中で見た金物屋さんの看板。金槌で釘を打ち付けてる(^^)
しかしっ! 目指した店は日曜閉店(T.T)
(ちゃんと細かい文字まで読まないとー)
西尾駅前にあった「まーちゃ」の像、カワイイ
別の店に行こうかって歩きはじめたけど、LO近い時間になって
あきらめました。(うーん、ちょっと心残り‥‥)
古本屋さんがちゃんとやってる! それも店舗も結構立派
他の場所でも古本屋さん見たけど、なんか西尾の文化の高さ
みたいなのを感じてしまった。
岩瀬文庫もすごいと感心したし、
西尾市資料館も元西尾市長の多額の寄付をうけてできたとか。
天王寺商店街の像
とても楽しい一日でした。撮った写真が198枚(^^;
なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾:
https://aichitriennale.jp/aichi-art/
西尾市岩瀬文庫: https://iwasebunko.jp/
なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾 (2) [美術]
10月29日(日)愛知県西尾市へ行き、
「国際芸術祭地域展開事業
なめらかでないしぐさ
現代美術 in 西尾」を見たことの続き。
康全寺で、大東忍さんの作品を、
旧上田家具店で、岡本健児さんとキ・スルギさんの作品を見たことは、
前記事に: https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-11-02
会場の一つである尚古荘不言庵
尚古荘 正門
昭和初期に米穀商・岩崎明三郎が西尾城東之丸の移行の保存のために造営した、日本庭園が美しい別荘・尚古荘。庭園内に移築された不言庵は、元は鍋屋・辻利八の妻・多豆子の茶室で、彼女の和歌の師で幕末明治にかけて活躍した歌人・佐々木弘綱も訪れている。(会場ガイドより)
色づきはじめたモミジが陽に透けてきれい
札本 彩子 Fudamoto Ayako 1991年 山口県出身
不言庵の軒に鮭が吊るされています。
札本彩子は独自の手法で制作した食品造形を通して、食を取り巻く社会環境や食文化について考察する作品を制作してきました。塩化ビニール製の一般的な食品サンプルとは異なり、札本は樹脂粘土を中心に、食材の質感に合わせてさまざまな素材を組み合わせながら彫刻のような手法で制作しています。
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/fudamoto-ayako.html より
風情のある茶室に吊るされた、
高橋由一の絵のようなリアルな鮭!
茶室の隅に、鮭の切り身が置いてある?
《モシャス(焼鮭 辛口)》
これ、右は樹脂粘土と粘度粘土にアクリル着色で作ったもの
なんですが、左は愛宕山の石なんだそう!
札本はまた、目の前にいる誰かとそっくりの姿に変身するというゲームの呪文に由来する〈モシャス〉シリーズを継続して制作してきました。身の回りのものや道端に落ちている石やレンガがふとした拍子に食べ物に見えることがありますが、この瞬間を捉えてその形状を模した食品造形を制作し、2つを並べたものが札本の〈モシャス〉です。
裏の御勝手にも作品がありますってことで、見ると
《モシャス(焼鮭 甘口)》
これも、左はスポンジ(^▽^)
尚古荘の大広間
東屋へも登ってみました。
西尾小学校
西尾城跡に整備された西尾市歴史公園
西尾城は1221年に起こった承久の乱の戦功で現在の西尾市に進出した足利義氏が築いたと伝えられる城です。義氏の子孫はやがて「吉良」を名乗り、この地を拠点としました。江戸時代は大給松平氏6万石の城下町として栄えました。(案内板の説明より)
二之丸の表門「鍮石門(ちゅうじゃくもん)」
平成8年(1996)に再建されたもの
顔はめパネルがある(^▽^)
私、西尾にお城がある(あった)なんて知らなかったんですが、
これは天守ではなく「本丸 丑寅櫓(うしとらやぐら)」
鍮石門と同じ平成8年に再建されたものだそう
趣のあるお庭の奥に優美な建物が見えます。
旧近衛邸
江戸時代末期に建てられた公家近衛家の邸宅の一部を
京都から移築したもの。
お抹茶がいただけます(500円) 見学のみは無料
赤い毛氈が敷かれた広縁でいただきました。
旧近衛邸からのお庭の眺め
書院棟の一の間
掛軸は「月在青天水在瓶」
つきはせいてんにあって、みずはかめにある
右のレンコンの木彫は、神谷健司木彫工房の作品
二の間
西尾神社
丑寅櫓への階段
丑寅櫓は三重の簡素な造り
敵の見張りにはいい位置にありますね。
眼下に見える建物が、芸術祭の会場の一つ
西尾市資料館
西尾市4代市長・杉浦喜之助の遺志で寄附を受け、1977(昭和52)年に西尾城姫丸跡に開館した入母屋造瓦葺きの資料館。(会場ガイドより)
もらったリーフレット
入口すぐのコーナーは、常設展示として、
かつての西尾城のジオラマや、
西尾藩主や藩士の暮らしぶりについての展示がありました。
大給松平(おぎゅうまつだいら)10代乗邑(のりさと)が
宝永8年(1711)に発布した『亀山訓(きざんくん)』は、
西尾藩士の教育の根底になっていたと。
奥のコーナーが、企画展コーナーとして、
「なめらかでないしぐさ」の展示となっています。
茨木のり子 Ibaragi Noriko 1926年-2006年 大阪府出身
ガラスに茨木の詩が記されています。
白い壁、白木の展示台、
シンプルでシャープな雰囲気がとても素敵。
本展のタイトル「なめらかでないしぐさ」は、茨木が戯曲作家時代に知り合った女優・山本安英との思い出をうたった「汲む──Y・Yに──」のフレーズから採ったものです。
この「怒るとき許すとき」という詩、
私初めて知ったけど、とてもいい!
「女がひとり
頬杖をついて
慣れない煙草をぷかぷかふかし
油断すればぽたぽた垂れる涙を
水道栓のように きっちり締め
男を許すべきか 怒るべきかについて
思いをめぐらせている
(中略)
女たちは長く長く許してきた
あまりに長く許してきたので
どこの国の女たちも鉛の兵隊しか
生めなくなったのではないか?
このあたりでひとつ
男の鼻っぱしらをボイーンと殴り
アマゾンの焚火でも囲むべきではないか?
女のひとのやさしさは
長く世界の潤滑油であったけれど
それがなにを生んできたというのだろう
(後略) 」
‥‥それは自分で発見しなげぱならないと。
ガラスに記された文字の影が台に落ちています
大和田俊 Owada Shun 1985年 栃木県出身
この展示室で、時々展示ケースのガラスが
ガタリと音を立てることは、常設展示を見ていた時から
気になっていましたが、
大和田俊さんは「なめらかでないしぐさ」を、
炭酸水を「ごくり」と飲み込むときの音ととらえ、
その音を響かせているのだそう。
炭酸水は二酸化炭素を高圧で水に溶かしたもの。
実際に飲用可能な「清涼飲料水」にするためには、殺菌して容器に充填して密栓するなど、国が定める製造や保存の基準をクリアしなければなりません。
ということで、実際に飲んでもらうために、
許認可を得て作った炭酸水がこちら
ちゃんと「製造者 炭酸水製造工場」って表示されてる!
大和田俊さん、この工場の社長さんだそう。
(このあたり、展示室にいらしたスタッフの方から
聞いた話なので、聞き間違い等あるかもしれません。)
石灰岩から炭酸水を作るための装置
貝類やサンゴ、有孔虫などの海の生き物は、水中に溶けた二酸化炭素を利用して骨格や殻を作ります。石材やセメントの原料となる石灰岩の多くは、こうした生き物の死骸が堆積して形成されたものです。このようなプロセスは数億年という地質学的な時間をかけて、われわれ人間には知覚できないほどゆっくりと進行しています。
大和田俊は、石灰岩が酸性の水溶液と反応して再び二酸化炭素を放出する性質を利用して、この一連のプロセスを私たちにも知覚可能な速さへと変換して見せます。
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/owada-shun.html
周囲の景観に配慮した公衆トイレ
自動販売機には西尾の抹茶入りのお茶(ペットボトル)も
売られていました。
令和2年(2020)に完成した「二之丸丑寅櫓」
西尾歴史公園を出て、西尾市岩瀬文庫へ向かいます。
こういうレトロなお店、いいなぁ。
古いカメラもウインドウに並んでました。
煙草屋とかだったのかな?
唯法寺→ って標識があったので、確か会場の一つだったと、
細い路地を入ってみました。
唯法寺は10月14日(土)の音楽プログラムの会場なので、
この日は何もやってなかったんですが、この風情のある景色を
見られただけでも良かったと。
西尾の郵便ポストは抹茶色をしてます(^^)
なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾
西尾市岩瀬文庫の作品については次の記事で。
なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾:
https://aichitriennale.jp/aichi-art/
西尾市歴史公園:
https://www.city.nishio.aichi.jp/shisetsu/1005437/1002603.html
西尾市資料館: https://nishio-museum.jp/
「国際芸術祭地域展開事業
なめらかでないしぐさ
現代美術 in 西尾」を見たことの続き。
康全寺で、大東忍さんの作品を、
旧上田家具店で、岡本健児さんとキ・スルギさんの作品を見たことは、
前記事に: https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-11-02
会場の一つである尚古荘不言庵
尚古荘 正門
昭和初期に米穀商・岩崎明三郎が西尾城東之丸の移行の保存のために造営した、日本庭園が美しい別荘・尚古荘。庭園内に移築された不言庵は、元は鍋屋・辻利八の妻・多豆子の茶室で、彼女の和歌の師で幕末明治にかけて活躍した歌人・佐々木弘綱も訪れている。(会場ガイドより)
色づきはじめたモミジが陽に透けてきれい
札本 彩子 Fudamoto Ayako 1991年 山口県出身
不言庵の軒に鮭が吊るされています。
札本彩子は独自の手法で制作した食品造形を通して、食を取り巻く社会環境や食文化について考察する作品を制作してきました。塩化ビニール製の一般的な食品サンプルとは異なり、札本は樹脂粘土を中心に、食材の質感に合わせてさまざまな素材を組み合わせながら彫刻のような手法で制作しています。
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/fudamoto-ayako.html より
風情のある茶室に吊るされた、
高橋由一の絵のようなリアルな鮭!
茶室の隅に、鮭の切り身が置いてある?
《モシャス(焼鮭 辛口)》
これ、右は樹脂粘土と粘度粘土にアクリル着色で作ったもの
なんですが、左は愛宕山の石なんだそう!
札本はまた、目の前にいる誰かとそっくりの姿に変身するというゲームの呪文に由来する〈モシャス〉シリーズを継続して制作してきました。身の回りのものや道端に落ちている石やレンガがふとした拍子に食べ物に見えることがありますが、この瞬間を捉えてその形状を模した食品造形を制作し、2つを並べたものが札本の〈モシャス〉です。
裏の御勝手にも作品がありますってことで、見ると
《モシャス(焼鮭 甘口)》
これも、左はスポンジ(^▽^)
尚古荘の大広間
東屋へも登ってみました。
西尾小学校
西尾城跡に整備された西尾市歴史公園
西尾城は1221年に起こった承久の乱の戦功で現在の西尾市に進出した足利義氏が築いたと伝えられる城です。義氏の子孫はやがて「吉良」を名乗り、この地を拠点としました。江戸時代は大給松平氏6万石の城下町として栄えました。(案内板の説明より)
二之丸の表門「鍮石門(ちゅうじゃくもん)」
平成8年(1996)に再建されたもの
顔はめパネルがある(^▽^)
私、西尾にお城がある(あった)なんて知らなかったんですが、
これは天守ではなく「本丸 丑寅櫓(うしとらやぐら)」
鍮石門と同じ平成8年に再建されたものだそう
趣のあるお庭の奥に優美な建物が見えます。
旧近衛邸
江戸時代末期に建てられた公家近衛家の邸宅の一部を
京都から移築したもの。
お抹茶がいただけます(500円) 見学のみは無料
赤い毛氈が敷かれた広縁でいただきました。
旧近衛邸からのお庭の眺め
書院棟の一の間
掛軸は「月在青天水在瓶」
つきはせいてんにあって、みずはかめにある
右のレンコンの木彫は、神谷健司木彫工房の作品
二の間
西尾神社
丑寅櫓への階段
丑寅櫓は三重の簡素な造り
敵の見張りにはいい位置にありますね。
眼下に見える建物が、芸術祭の会場の一つ
西尾市資料館
西尾市4代市長・杉浦喜之助の遺志で寄附を受け、1977(昭和52)年に西尾城姫丸跡に開館した入母屋造瓦葺きの資料館。(会場ガイドより)
もらったリーフレット
入口すぐのコーナーは、常設展示として、
かつての西尾城のジオラマや、
西尾藩主や藩士の暮らしぶりについての展示がありました。
大給松平(おぎゅうまつだいら)10代乗邑(のりさと)が
宝永8年(1711)に発布した『亀山訓(きざんくん)』は、
西尾藩士の教育の根底になっていたと。
奥のコーナーが、企画展コーナーとして、
「なめらかでないしぐさ」の展示となっています。
茨木のり子 Ibaragi Noriko 1926年-2006年 大阪府出身
ガラスに茨木の詩が記されています。
白い壁、白木の展示台、
シンプルでシャープな雰囲気がとても素敵。
本展のタイトル「なめらかでないしぐさ」は、茨木が戯曲作家時代に知り合った女優・山本安英との思い出をうたった「汲む──Y・Yに──」のフレーズから採ったものです。
この「怒るとき許すとき」という詩、
私初めて知ったけど、とてもいい!
「女がひとり
頬杖をついて
慣れない煙草をぷかぷかふかし
油断すればぽたぽた垂れる涙を
水道栓のように きっちり締め
男を許すべきか 怒るべきかについて
思いをめぐらせている
(中略)
女たちは長く長く許してきた
あまりに長く許してきたので
どこの国の女たちも鉛の兵隊しか
生めなくなったのではないか?
このあたりでひとつ
男の鼻っぱしらをボイーンと殴り
アマゾンの焚火でも囲むべきではないか?
女のひとのやさしさは
長く世界の潤滑油であったけれど
それがなにを生んできたというのだろう
(後略) 」
‥‥それは自分で発見しなげぱならないと。
ガラスに記された文字の影が台に落ちています
大和田俊 Owada Shun 1985年 栃木県出身
この展示室で、時々展示ケースのガラスが
ガタリと音を立てることは、常設展示を見ていた時から
気になっていましたが、
大和田俊さんは「なめらかでないしぐさ」を、
炭酸水を「ごくり」と飲み込むときの音ととらえ、
その音を響かせているのだそう。
炭酸水は二酸化炭素を高圧で水に溶かしたもの。
実際に飲用可能な「清涼飲料水」にするためには、殺菌して容器に充填して密栓するなど、国が定める製造や保存の基準をクリアしなければなりません。
ということで、実際に飲んでもらうために、
許認可を得て作った炭酸水がこちら
ちゃんと「製造者 炭酸水製造工場」って表示されてる!
大和田俊さん、この工場の社長さんだそう。
(このあたり、展示室にいらしたスタッフの方から
聞いた話なので、聞き間違い等あるかもしれません。)
石灰岩から炭酸水を作るための装置
貝類やサンゴ、有孔虫などの海の生き物は、水中に溶けた二酸化炭素を利用して骨格や殻を作ります。石材やセメントの原料となる石灰岩の多くは、こうした生き物の死骸が堆積して形成されたものです。このようなプロセスは数億年という地質学的な時間をかけて、われわれ人間には知覚できないほどゆっくりと進行しています。
大和田俊は、石灰岩が酸性の水溶液と反応して再び二酸化炭素を放出する性質を利用して、この一連のプロセスを私たちにも知覚可能な速さへと変換して見せます。
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/owada-shun.html
周囲の景観に配慮した公衆トイレ
自動販売機には西尾の抹茶入りのお茶(ペットボトル)も
売られていました。
令和2年(2020)に完成した「二之丸丑寅櫓」
西尾歴史公園を出て、西尾市岩瀬文庫へ向かいます。
こういうレトロなお店、いいなぁ。
古いカメラもウインドウに並んでました。
煙草屋とかだったのかな?
唯法寺→ って標識があったので、確か会場の一つだったと、
細い路地を入ってみました。
唯法寺は10月14日(土)の音楽プログラムの会場なので、
この日は何もやってなかったんですが、この風情のある景色を
見られただけでも良かったと。
西尾の郵便ポストは抹茶色をしてます(^^)
なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾
西尾市岩瀬文庫の作品については次の記事で。
なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾:
https://aichitriennale.jp/aichi-art/
西尾市歴史公園:
https://www.city.nishio.aichi.jp/shisetsu/1005437/1002603.html
西尾市資料館: https://nishio-museum.jp/
なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾 (1) [美術]
10月29日(日)愛知県西尾市へ行ってきました。
「国際芸術祭地域展開事業
なめらかでないしぐさ
現代美術 in 西尾」が開催されています。
名古屋市美術館「福田美蘭―美術って、なに?」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-10-16
を見に、名鉄電車に乗った時、
中吊り広告でこのイベントを知りました。
でもその時は、メインビジュアルに使われている
神農理恵さんの作品が、切り紙細工とか、
デジタルで加工した写真のようにも見えて、
えー、なにこれ?? みたいなカンジだったんです。
でもそれからツイッター(いまだにXって名称に馴染めない)や
インスタで、フォローしている方々が、
この芸術祭(って言っていい?)のことをアップされてるのを見て、
なんか面白そう‥‥って。
「国際芸術祭地域展開事業」とは、
国際芸術祭(あいちトリエンナーレ)の開催成果を県内各地に広め、
文化芸術への関心を高めてもらい、次回の国際芸術祭の
開催気運の醸成を図るために、
2020年度は大府で「境界のかたち 現代美術 in 大府」
2018年度は豊田で「Windshield Time - わたしのフロントガラスから 現代美術 in 豊田」
2017年度は一宮で「織り目の在りか 現代美術展 in 一宮」
2015年度は春日井で「となりの人びと 現代美術展 in 春日井」
2014年度は豊川で「豊穣なるもの 現代美術展 in 豊川」
2012年度は岡崎で「岡崎 ART & JAZZ」
2011年度は豊橋で「現代美術展 in とよはし」
と、開催されてきたのだそう(知らなかった!)
今回の「なめらかでないしぐさ」というタイトルは、
幡豆郡西尾町(現・西尾市)で少女時代を過ごした作家・茨木のり子の「汲む」という詩に、「なめらかでないしぐさ」というフレーズが登場します。(チラシ中面の文章)
からつけられていて、開催概要として、
日々の暮らしに追われるあまり、じっくりと考えることをやめてしまったり、見てみぬふりをしてしまったりしがちな出来事に対し、アーティストたちはそれぞれの感受性で目を留め、作品を生み出します。そのやり方は、必ずしも周囲に波風を立てないなめらかなものばかりとは限りません。しかし、身の回りのさまざまな物事をオトナな態度でやり過ごさない、そのなめらかでないしぐさが私たちの心に立てる美しいさざなみこそが、ときに明日を生きる原動力にもなり得るでしょう。
本展では、国内外で活躍するアーティストたちが、地域にまつわる様々な文化や伝承などにも触れながら、西尾駅周辺の文化施設やまちなかの会場に作品を展開します。
西尾市は今まで行ったことがありませんでした。
調べてみると、我が家から名鉄電車を利用して約2時間。
結構遠いけど、西尾市は抹茶生産で全国有数の産地で、
抹茶のスイーツもいろいろあることを聞いていて、
行ってみたいと思ってたんです。
あいちトリエンナーレで、街を歩きながら
アートを鑑賞する楽しさってのに目覚めたというか、
この機会に西尾の街も観光してみようと。
私にしては朝早い8時前に家を出ました。
2回の乗換で行けるので(時間はかかるけど)わりと便利。
名鉄西尾線「西尾駅」に着いたのが10時。
駅前の街の案内看板「三河の小京都・西尾」
「西尾市は六万石城下町として発展した都市で茶文化など京都とも関りが深く 平成七年に全国京都会議に加盟しました 文化の薫る散策路を歩いてみて下さい」と
チラシ中面の地図を見て(チラシはこの日、名鉄の乗換駅の新安城で
手に入れたけど、それまではウエブサイトからダウンロードしてた)
なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾
https://aichitriennale.jp/aichi-art/
まずは尚古荘不言庵かな、と歩き始めたんだけど、
なんか面白そうなイベントやってるって横道に逸れ、
で、大通り(中央通り)に出たら、え?! この人形なに(^▽^)
「高砂町商店街へようこそ!!」と
銀行のウインドウに、ポスターと
茨木のり子の詩「倚りかからず」が掲示されてます。
茨木のり子「自分の感受性くらい」
茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」
ちょっとモダンで面白いなって建物。床屋さんの
ウインドウに顔(誰?)が書いてある(^^)
吾妻町商店街の人形は獅子舞?
幸町商店街 背中にしょっているのはお好み焼きのコテ?
「本町商店街へようこそ」と。
芸術祭の会場のひとつ 西尾山 康全寺
本堂
こちらのお堂に作品があります
大東忍 Daito Shinobu 1993年 愛知県出身
《かつての騒ぎと今日の踊り》2023年
わっ!! これはすごい! すごくいい!!
堂内のたくさんの襖に絵が描かれています。
木炭で描かれたモノクロームの夜の景色
どこか懐かしいような‥‥
「日本中のどこにでもありそうな住宅地の静まり返った夜。ひとり、またひとりと去ってしまった限界集落の夜。祭りが終わり、その余韻すらもすでに消えて静まり返った広場の夜。ただ生活の気配だけがかすかに漂っている、そんな抜け殻のような景色を舞台に、」
ウェブサイトの文章より
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/daito-shinobu.html
「月明かりや街灯をスポットライトにして、黒い人影が黙々と踊り続けています。」
大東忍さん、2019年のアーツ・チャレンジに
出品してらした作家さんだ!
アーツ・チャレンジ2019
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-03-03
大東忍さんは全国の盆踊りを訪ねていくうちに、
「その秩序と混乱の狭間にある状態に、強く惹かれるようになりました。」
隣の座敷で、大東忍さんの画集や、
盆踊りのレポート(?)を読むことができました。
康全寺の閻魔堂を覗くと、閻魔王はじめ
仏(?)様の像が。格子の隙間から写真撮らせてもらいました。
本町通りの街灯 雲一つない秋晴れ。
ハロウィンも近い。
会場の一つ 旧上田家具店
岡本健児 Okamoto Kenji 1980年 愛知県出身
無数の点が集まって、キラキラしているような大きな絵
この場所にあってきれいだけど、何を描こうとしたのか?
「特別支援学校での造形あそびや美術の指導の経験を通じて、岡本は絵を描くという行為を「描きたいもの」や「描く技術」ありきで考えるのではなく、画材に使えそうな色々なものと、それを握って画面に擦り付ける人の動きの組み合わせとして捉えるようになりました。」
そうか、無心に点を打っていくのって、
なんか楽しくなってきますよね。
この流し台の前にある綿花から糸を紡いで、
キャンバスを織り、それに土や貝殻を砕いた顔料で
描くってのも《絵を描く》って作品なんだ
「799(延暦18)年、天竺(インド)から現在の西尾市に小舟で漂着した一人の若者が携えていた綿の種。それこそが、日本への綿の伝来だとされています(『日本後紀』)。綿の祖を祀るここ西尾の地で、岡本の絵は自らの成り立ちを丁寧に手繰り寄せながら、より確かな手触りを帯びていくのです。」
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/okamoto-kenji.html より
旧上田家具店の奥にあったのは、
キ・スルギ Ki Seulki 1983年 ソウル(韓国)出身
茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」が、
鏡に一行おきに鏡文字で書かれています。
《彼女たちが一番きれいだったとき》
ヘッドホンからは、二人の女性が英語で朗読する声が聞こえます。
現在のモスクワとキーウに暮らす女性とのこと。
それを知って聞くと、戦時下の青春をうたった茨木の詩が、
現在のロシアやウクライナの状況と重なって聞こえます。
「街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした」
「まわりの人達が沢山死んだ」
「男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった」
床に映った文字は、鏡の文字とは反転するんですね。
部屋の中央に置かれたテーブルは、
テーブルクロスの上に置かれた茨木のり子の眼鏡と
ティーカップを写した写真をモチーフに制作したとのこと
この写真は、茨木のり子の肖像写真を作家が演じた作品
《なめらかなしぐさをまねる》
こちらは、茨木のり子と、27歳の若さで敗戦直前の日本で獄死した
韓国の国民的詩人ユン・ドンジュが一緒にいるかのような合成写真
《わたしたちが一番きれいだったとき》
「茨木はユンの詩を高く評価していました。二人が一緒にいるかのような合成写真は、もし彼らが出会っていたら交わされたであろう会話についての私たちの想像を掻き立てます。」
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/ki-seulki.html
茨木のり子は「50歳を超える年齢で韓国語を勉強し始め、 韓国現代詩人たちとの交流を深め、日本国内でユン・ドンジュの詩と その生涯を広く知らしめるのに大きく貢献した人物だ。」
(写真下に書かれたキ・スルギの文章より)
私が昔、韓国語を習っていた頃――冬ソナがブームになる前、
ハングル文字が面白いなーって軽い気持ちで始めたんだけど、
その頃は、なんで韓国語‘なんか’習うの? って言われた。
冬ソナがヒットして、周囲で韓国語を習う人が増え、
あっという間に私より上達していくのを見て、
なんか熱が冷めちゃったというか(^^;>
尹 東柱「序詩」を知って感動したな。
「死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥ずべきなきを
草葉にそよぐ風にも
私は苦しんだ。
星をうたう心もて
すべての死にゆくものを愛さねば
そして 私に与えられた道を
歩まねばならないだろう
今夜も 星は風にふれている」
別冊宝島42「10日間のハングル」より
チュンヌン ナルカジ ハヌル ウロロ‥‥
韓国にホームステイ(っても2泊くらい?)に行った時、
この詩を暗唱したら、すごく喜んでもらった。
茨木のり子やユン・ドンジュの資料も展示されていて、
尹東柱の詩集「空と風と星と詩」の
表紙(リー・ジョン作の版画)を模写して、
オマージュの意味で星を描き入れた絵と、
茨木のり子が9歳の時に作った初めての絵本に収録された
折り紙のコラージュを同じように制作し、星(あるいは雪)を
表現した絵が展示されていました。
「私は幼い頃から絵を描いたことがない。写真家の私にとって、今回の絵画の展示は、最初で最後の展示となる可能性が非常に高い。恥ずかしい腕前だが、この2人の詩人への愛情と尊敬の念を込めて、一生懸命描いた。」(絵の下に書かれていた文章)
なんかいろいろ考えさせられる作品で良かった。
旧上田家具店の店先に、額田郡幸田町のヴィーガンレストラン
「monologue」のコーヒースタンドが出店されてます。
見た目も美しいケーキもあって、
コーヒーと、フルーツタルトを 1,274円(税込)
コップの蓋も紙でできています。
岡本健児さんの展示空間内のテーブルで
いただくことができました。
さて、旧上田家具店を出て、尚古荘不言庵へ向かいます。
あ、こちらのお店のウインドウにも
茨木のり子の詩が貼られている。
わー、ユニークな建物! 歯科医院らしい。
緑色の二階建てバス
立派な古いお家!
「西尾城三之丸新門跡」にあるのが、
抹茶ラボ 西尾伝想茶屋店
西尾の名産・抹茶を使ったスイーツが楽しめるお店
ってことで、心ひかれたけど、今コーヒーとケーキを
食べたところなので‥‥その隣にあるのが
会場の一つである「尚古荘不言庵」
長くなりましたので、とりあえずここまででアップします。
‥‥こんな調子でブログ記事書いていったら、
この一日のこと、いつになったら完成するのか? なんだけどー
この「なめらかでないしぐさ」11月5日(日)までですが、
観覧無料なのに、とても良かった! 行ける方は是非!
なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾:
https://aichitriennale.jp/aichi-art/
「国際芸術祭地域展開事業
なめらかでないしぐさ
現代美術 in 西尾」が開催されています。
名古屋市美術館「福田美蘭―美術って、なに?」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-10-16
を見に、名鉄電車に乗った時、
中吊り広告でこのイベントを知りました。
でもその時は、メインビジュアルに使われている
神農理恵さんの作品が、切り紙細工とか、
デジタルで加工した写真のようにも見えて、
えー、なにこれ?? みたいなカンジだったんです。
でもそれからツイッター(いまだにXって名称に馴染めない)や
インスタで、フォローしている方々が、
この芸術祭(って言っていい?)のことをアップされてるのを見て、
なんか面白そう‥‥って。
「国際芸術祭地域展開事業」とは、
国際芸術祭(あいちトリエンナーレ)の開催成果を県内各地に広め、
文化芸術への関心を高めてもらい、次回の国際芸術祭の
開催気運の醸成を図るために、
2020年度は大府で「境界のかたち 現代美術 in 大府」
2018年度は豊田で「Windshield Time - わたしのフロントガラスから 現代美術 in 豊田」
2017年度は一宮で「織り目の在りか 現代美術展 in 一宮」
2015年度は春日井で「となりの人びと 現代美術展 in 春日井」
2014年度は豊川で「豊穣なるもの 現代美術展 in 豊川」
2012年度は岡崎で「岡崎 ART & JAZZ」
2011年度は豊橋で「現代美術展 in とよはし」
と、開催されてきたのだそう(知らなかった!)
今回の「なめらかでないしぐさ」というタイトルは、
幡豆郡西尾町(現・西尾市)で少女時代を過ごした作家・茨木のり子の「汲む」という詩に、「なめらかでないしぐさ」というフレーズが登場します。(チラシ中面の文章)
からつけられていて、開催概要として、
日々の暮らしに追われるあまり、じっくりと考えることをやめてしまったり、見てみぬふりをしてしまったりしがちな出来事に対し、アーティストたちはそれぞれの感受性で目を留め、作品を生み出します。そのやり方は、必ずしも周囲に波風を立てないなめらかなものばかりとは限りません。しかし、身の回りのさまざまな物事をオトナな態度でやり過ごさない、そのなめらかでないしぐさが私たちの心に立てる美しいさざなみこそが、ときに明日を生きる原動力にもなり得るでしょう。
本展では、国内外で活躍するアーティストたちが、地域にまつわる様々な文化や伝承などにも触れながら、西尾駅周辺の文化施設やまちなかの会場に作品を展開します。
西尾市は今まで行ったことがありませんでした。
調べてみると、我が家から名鉄電車を利用して約2時間。
結構遠いけど、西尾市は抹茶生産で全国有数の産地で、
抹茶のスイーツもいろいろあることを聞いていて、
行ってみたいと思ってたんです。
あいちトリエンナーレで、街を歩きながら
アートを鑑賞する楽しさってのに目覚めたというか、
この機会に西尾の街も観光してみようと。
私にしては朝早い8時前に家を出ました。
2回の乗換で行けるので(時間はかかるけど)わりと便利。
名鉄西尾線「西尾駅」に着いたのが10時。
駅前の街の案内看板「三河の小京都・西尾」
「西尾市は六万石城下町として発展した都市で茶文化など京都とも関りが深く 平成七年に全国京都会議に加盟しました 文化の薫る散策路を歩いてみて下さい」と
チラシ中面の地図を見て(チラシはこの日、名鉄の乗換駅の新安城で
手に入れたけど、それまではウエブサイトからダウンロードしてた)
なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾
https://aichitriennale.jp/aichi-art/
まずは尚古荘不言庵かな、と歩き始めたんだけど、
なんか面白そうなイベントやってるって横道に逸れ、
で、大通り(中央通り)に出たら、え?! この人形なに(^▽^)
「高砂町商店街へようこそ!!」と
銀行のウインドウに、ポスターと
茨木のり子の詩「倚りかからず」が掲示されてます。
茨木のり子「自分の感受性くらい」
茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」
ちょっとモダンで面白いなって建物。床屋さんの
ウインドウに顔(誰?)が書いてある(^^)
吾妻町商店街の人形は獅子舞?
幸町商店街 背中にしょっているのはお好み焼きのコテ?
「本町商店街へようこそ」と。
芸術祭の会場のひとつ 西尾山 康全寺
本堂
こちらのお堂に作品があります
大東忍 Daito Shinobu 1993年 愛知県出身
《かつての騒ぎと今日の踊り》2023年
わっ!! これはすごい! すごくいい!!
堂内のたくさんの襖に絵が描かれています。
木炭で描かれたモノクロームの夜の景色
どこか懐かしいような‥‥
「日本中のどこにでもありそうな住宅地の静まり返った夜。ひとり、またひとりと去ってしまった限界集落の夜。祭りが終わり、その余韻すらもすでに消えて静まり返った広場の夜。ただ生活の気配だけがかすかに漂っている、そんな抜け殻のような景色を舞台に、」
ウェブサイトの文章より
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/daito-shinobu.html
「月明かりや街灯をスポットライトにして、黒い人影が黙々と踊り続けています。」
大東忍さん、2019年のアーツ・チャレンジに
出品してらした作家さんだ!
アーツ・チャレンジ2019
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-03-03
大東忍さんは全国の盆踊りを訪ねていくうちに、
「その秩序と混乱の狭間にある状態に、強く惹かれるようになりました。」
隣の座敷で、大東忍さんの画集や、
盆踊りのレポート(?)を読むことができました。
康全寺の閻魔堂を覗くと、閻魔王はじめ
仏(?)様の像が。格子の隙間から写真撮らせてもらいました。
本町通りの街灯 雲一つない秋晴れ。
ハロウィンも近い。
会場の一つ 旧上田家具店
岡本健児 Okamoto Kenji 1980年 愛知県出身
無数の点が集まって、キラキラしているような大きな絵
この場所にあってきれいだけど、何を描こうとしたのか?
「特別支援学校での造形あそびや美術の指導の経験を通じて、岡本は絵を描くという行為を「描きたいもの」や「描く技術」ありきで考えるのではなく、画材に使えそうな色々なものと、それを握って画面に擦り付ける人の動きの組み合わせとして捉えるようになりました。」
そうか、無心に点を打っていくのって、
なんか楽しくなってきますよね。
この流し台の前にある綿花から糸を紡いで、
キャンバスを織り、それに土や貝殻を砕いた顔料で
描くってのも《絵を描く》って作品なんだ
「799(延暦18)年、天竺(インド)から現在の西尾市に小舟で漂着した一人の若者が携えていた綿の種。それこそが、日本への綿の伝来だとされています(『日本後紀』)。綿の祖を祀るここ西尾の地で、岡本の絵は自らの成り立ちを丁寧に手繰り寄せながら、より確かな手触りを帯びていくのです。」
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/okamoto-kenji.html より
旧上田家具店の奥にあったのは、
キ・スルギ Ki Seulki 1983年 ソウル(韓国)出身
茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」が、
鏡に一行おきに鏡文字で書かれています。
《彼女たちが一番きれいだったとき》
ヘッドホンからは、二人の女性が英語で朗読する声が聞こえます。
現在のモスクワとキーウに暮らす女性とのこと。
それを知って聞くと、戦時下の青春をうたった茨木の詩が、
現在のロシアやウクライナの状況と重なって聞こえます。
「街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした」
「まわりの人達が沢山死んだ」
「男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった」
床に映った文字は、鏡の文字とは反転するんですね。
部屋の中央に置かれたテーブルは、
テーブルクロスの上に置かれた茨木のり子の眼鏡と
ティーカップを写した写真をモチーフに制作したとのこと
この写真は、茨木のり子の肖像写真を作家が演じた作品
《なめらかなしぐさをまねる》
こちらは、茨木のり子と、27歳の若さで敗戦直前の日本で獄死した
韓国の国民的詩人ユン・ドンジュが一緒にいるかのような合成写真
《わたしたちが一番きれいだったとき》
「茨木はユンの詩を高く評価していました。二人が一緒にいるかのような合成写真は、もし彼らが出会っていたら交わされたであろう会話についての私たちの想像を掻き立てます。」
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/ki-seulki.html
茨木のり子は「50歳を超える年齢で韓国語を勉強し始め、 韓国現代詩人たちとの交流を深め、日本国内でユン・ドンジュの詩と その生涯を広く知らしめるのに大きく貢献した人物だ。」
(写真下に書かれたキ・スルギの文章より)
私が昔、韓国語を習っていた頃――冬ソナがブームになる前、
ハングル文字が面白いなーって軽い気持ちで始めたんだけど、
その頃は、なんで韓国語‘なんか’習うの? って言われた。
冬ソナがヒットして、周囲で韓国語を習う人が増え、
あっという間に私より上達していくのを見て、
なんか熱が冷めちゃったというか(^^;>
尹 東柱「序詩」を知って感動したな。
「死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥ずべきなきを
草葉にそよぐ風にも
私は苦しんだ。
星をうたう心もて
すべての死にゆくものを愛さねば
そして 私に与えられた道を
歩まねばならないだろう
今夜も 星は風にふれている」
別冊宝島42「10日間のハングル」より
チュンヌン ナルカジ ハヌル ウロロ‥‥
韓国にホームステイ(っても2泊くらい?)に行った時、
この詩を暗唱したら、すごく喜んでもらった。
茨木のり子やユン・ドンジュの資料も展示されていて、
尹東柱の詩集「空と風と星と詩」の
表紙(リー・ジョン作の版画)を模写して、
オマージュの意味で星を描き入れた絵と、
茨木のり子が9歳の時に作った初めての絵本に収録された
折り紙のコラージュを同じように制作し、星(あるいは雪)を
表現した絵が展示されていました。
「私は幼い頃から絵を描いたことがない。写真家の私にとって、今回の絵画の展示は、最初で最後の展示となる可能性が非常に高い。恥ずかしい腕前だが、この2人の詩人への愛情と尊敬の念を込めて、一生懸命描いた。」(絵の下に書かれていた文章)
なんかいろいろ考えさせられる作品で良かった。
旧上田家具店の店先に、額田郡幸田町のヴィーガンレストラン
「monologue」のコーヒースタンドが出店されてます。
見た目も美しいケーキもあって、
コーヒーと、フルーツタルトを 1,274円(税込)
コップの蓋も紙でできています。
岡本健児さんの展示空間内のテーブルで
いただくことができました。
さて、旧上田家具店を出て、尚古荘不言庵へ向かいます。
あ、こちらのお店のウインドウにも
茨木のり子の詩が貼られている。
わー、ユニークな建物! 歯科医院らしい。
緑色の二階建てバス
立派な古いお家!
「西尾城三之丸新門跡」にあるのが、
抹茶ラボ 西尾伝想茶屋店
西尾の名産・抹茶を使ったスイーツが楽しめるお店
ってことで、心ひかれたけど、今コーヒーとケーキを
食べたところなので‥‥その隣にあるのが
会場の一つである「尚古荘不言庵」
長くなりましたので、とりあえずここまででアップします。
‥‥こんな調子でブログ記事書いていったら、
この一日のこと、いつになったら完成するのか? なんだけどー
この「なめらかでないしぐさ」11月5日(日)までですが、
観覧無料なのに、とても良かった! 行ける方は是非!
なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾:
https://aichitriennale.jp/aichi-art/