岐阜県現代陶芸美術館「三島喜美代ー遊ぶ 見つめる 創りだす」 [美術]
10月15日(日)岐阜県現代陶芸美術館へ行きました。
「三島喜美代
遊ぶ 見つめる 創りだす」
三島喜美代(1932年生まれ)は、大阪市と岐阜県土岐市を制作の拠点として活動し、陶で雑誌や新聞、ダンボールなどを表現する革新的な作品で知られています。(チラシ裏面の文より)
岐阜県現代陶芸美術館のコレクションでも、
そんな作品がよく展示されてたし、
(チラシ裏面、2段目と3段目の作品が岐阜県現代陶芸美術館の所蔵)
今年2月に見た
岐阜県美術館「第11回 円空大賞展」でも、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-02-05
陶でできたチラシや雑誌が散乱していたので、
私てっきり陶芸作家かと思ってたんですよ。
で、今回のチラシ表面のビジュアル見て、
三島喜美代のイメージと違うなぁ って。
でも「過去最大規模の個展」(チラシ裏面の文)ってことで、
楽しみに見に行きました。
岐阜県現代陶芸美術館は、岐阜県美術館の後援会員証で
各企画展毎に1回ずつ無料で見ることができます。
(岐阜県美術館の年会費3,000円はなんておトクなんでしょう!!)
もらったチケットのビジュアルは、
岐阜県現代陶芸美術館所蔵の《バナナボックス》2007年
そして、ほとんどの作品が撮影可!
ロビーに置いてある作品は、岐阜県現代陶芸美術館所蔵の
《Work-96A》
展示室入口に掛かっているのは、新作の
《Work23-TAG》
「われもの注意」のタグが陶で作られています(^^)
最初に初期の油彩作品が展示されています。
正面の壁に展示されている1点のみが、
夫である故・三島茂司の1960年の作品
《Work64-Ⅲ》 新聞紙が何枚も貼りつけられています
《ヴィーナスの変貌Ⅴ》1967年
シルクスクリーンが使われています
なんとこれ、馬券が貼り付けられているんです!
三島喜美代と言えば‥‥の、新聞を陶で作り始めた頃の作品
《Package'74》滋賀県立陶芸の森
ダンボールが陶で作られています
《Pacjage'78》滋賀県立陶芸の森
大きなチラシ(陶の作品)が壁面に張り巡らされた
《Copy'78-'80》滋賀県立陶芸の森
作品が巨大化してます
電信柱まで作ってる! この作品は(ここの所蔵なのに)
見たことなかったなー。
《Electric Poles》1984年 岐阜県現代陶芸美術館
新聞紙にくるまれた赤いポット
チラシが陶で作られています。
左側の作品《KOUKOKU 08》
「御同情の一票にて○○○○を働かせて下さい‥‥」(笑)
三島喜美代ってイメージする
陶でマンガ雑誌を制作した作品
めくれたページも再現されてます。
さわれる作品がありました。
持ってみると、ずっしりと重い!
まぁ、陶でできているのだから当たり前なんだけど。
このあたりから、
溶融スラグを使った作品を作るようになったと
溶融スラグとは、ごみを焼却炉で燃焼した後にできる物質
私、三島喜美代を「陶」で新聞や雑誌を作る作家だと
思っていたので、この部屋の作品には
ちょっと戸惑ったというか‥‥
ゴミがただ置かれているようにも見えて。
あとで気が付いたんだけど、この日14:00から
ギャラリートークがあったんだ‥‥もう少し
早く行けば良かった(私は14:30頃に着いた)
素材について聞いてみたかったな。
溶融スラグで作った作品はどれなのか?
(出品リストには素材は書いてなかったし、
図録はまだできてなかった)
この銀色のシート(でも表面をよく見ると文字が読める)が
積みあがっているように見える大きな作品は何でできているのか?
スパッと裁断されたような形になっているのが面白い。
《Work92-N1》
中に入っている新聞は陶でできているんだろうけど
錆びた一斗缶はゴミ(廃棄物)だったのか?
新聞紙を燃やして焚火したい(^^)
《Work21-B》
時計はゴミ(廃棄物)だったんだよね?
錆び具合、壊れ具合が風格を感じるというか。
広いスペースに大きな作品が置かれていていい雰囲気です。
これ、森美術館の「アナザーエナジー展」
(会期:2021.4.22~2022.1.16)で
展示されていた作品ですね!
《Work21A》森美術館
私は見に行かなかったけど、話題になってたし、
日曜美術館で三島喜美代が取り上げられた時
(2021年6月27日放送「三島喜美代 命がけで遊ぶ」)
紹介されてましたね。
こちらのゴミ箱は、屋外に置かれていたら、
本当のゴミ箱と思われて、空き缶とか捨てられそう(^^)
ギャラリーⅠを出たところで、三島喜美代さんの
インタビュー映像が流れていて、
ちょっと昔(10年くらい前?)のものでしたが、
美術を始めたきっかけは、高校の先生に
好きなことをしていいって言われたことだとか、
後に夫となる三島茂司さんに絵を見せに行ったら、
コテンパンに言われて、帰って大泣きしたとか、
大阪弁で楽しそうに語っておられたのが印象的でした。
で、いつもギャラリーⅡはコレクション展だったりするので、
てっきり、三島喜美代展はこれで終わりかと思って行くと、
(ちゃんとチラシとかにもギャラリーⅠ・Ⅱって書いてあるのに(^^:
こちらも三島喜美代!
吹き抜けの展示室には、高さを生かした作品が!
ドイツの新聞が転写されているとか。
化石の収蔵棚みたいな作品も
階段を上がったB室は‥‥
わー! 三島喜美代さんの家に迷い込んだみたい。
資料なのか、作品なのか、ゴミなのか‥‥雑多なものが
いっぱいあって、なんか楽しそうでもある(^^)
最近の三島喜美代さんのインタビュー映像もありました。
最後のD室には、この展覧会のために作られた
新作が2点展示されています。
床面に広がる《Work23-A》は、
「彩の国さいたま彫刻バラエティ'96」で大賞を受賞して
制作した《Newspaper97-A》(桶川駅西口公園・埼玉)を、
鋳造した際に流れ出たアルミ合金が材料。
そこに型抜きした文字が貼り付けられていると。
うねうねした鉄筋が絡まって、
2つの大きな塊になっています。
《Work23-S》
チラシ表面のビジュアルはこれですね!
捨てられていた建築物の鉄筋を、
土岐のアトリエに運び込んで、長く屋外で寝かしていた
その鉄筋にシルクスクリーン印刷で細かな文字が
転写されています。
屋外にも作品があります。
《Work 03》岐阜県現代陶芸美術館
2017年5月に「コレクション×クロニクル」展を
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2017-06-02
見に来た時にもここの池に展示されていました。
ギャラリーⅠ・Ⅱを使っての大規模な展示で、
吹き抜けの空間を使っての大きな作品とか、
新作もあって見ごたえありました。
新聞やマンガ雑誌を陶で作る陶芸家ではなく、
現代美術家なんだと。
大規模なインスタレーション、迫力です。
図録購入しようとショップへ行ったんですが、
まだできてないとのことで、ちょっと残念。
で、三島喜美代のアートも紹介されていると
並んでいたこの文庫本
秋本雅史「日本で見られる現代アート傑作11」
購入しました。682円(税込)
十和田市現代美術館の
ロン・ミュエク『スタンディング・ウーマン』や、
金沢21世紀美術館の
レアンドロ・エルリッヒ『スイミング・プール』など、
日本で見られるトップレベルの現代アート11作品が
紹介されていて、その1つが、
アートファクトリー城南島の
「ゴミを擬態化したアート」
三島喜美代『Newspaper08』『Work92-N』
『Work2000-Memory of Twentieth Century』
あ、日曜美術館でもちょっと紹介されていたけど、
すごいスケール!! で、予約制だけど、入館料無料?!!
一度行ってみなくては!!
この本で紹介されているアート作品、私は
金沢21世紀美術館の『スイミング・プール』と
ジェームズ・タレル『ブルー・プラネット・スカイ』
金沢21世紀美術館「レアンドロ・エルリッヒ―ありきたりの?」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2014-07-24
DIC川村記念美術閣のマーク・ロスコ『シーグラム壁画』
DIC川村記念美術館「ブリジット・ライリーの絵画」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2018-08-27
くらいしか見たことがないけど、全部見てみたい!!
ついでに隣に置いてあった
「岐阜県現代陶芸美術館 収蔵作品選 日本の陶芸」
1,000円(税込)も購入しました。
もちろん三島喜美代の作品も、
ロビーに展示してある《WORK-96A》が掲載されてます。
(富本憲吉の2点を除き、1作家につき1点で、60点)
この本の表紙になっている
桑田卓郎《陶木》2022
2022年のリニューアル後に来た時、
このドハデなオブジェに驚いたなぁ!
夕陽にキラキラと輝いています。
岐阜県現代陶芸美術館: https://www.cpm-gifu.jp/museum/
----
2023年2月4日(土)中日新聞夕刊の記事
--PR--
「三島喜美代
遊ぶ 見つめる 創りだす」
三島喜美代(1932年生まれ)は、大阪市と岐阜県土岐市を制作の拠点として活動し、陶で雑誌や新聞、ダンボールなどを表現する革新的な作品で知られています。(チラシ裏面の文より)
岐阜県現代陶芸美術館のコレクションでも、
そんな作品がよく展示されてたし、
(チラシ裏面、2段目と3段目の作品が岐阜県現代陶芸美術館の所蔵)
今年2月に見た
岐阜県美術館「第11回 円空大賞展」でも、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-02-05
陶でできたチラシや雑誌が散乱していたので、
私てっきり陶芸作家かと思ってたんですよ。
で、今回のチラシ表面のビジュアル見て、
三島喜美代のイメージと違うなぁ って。
でも「過去最大規模の個展」(チラシ裏面の文)ってことで、
楽しみに見に行きました。
岐阜県現代陶芸美術館は、岐阜県美術館の後援会員証で
各企画展毎に1回ずつ無料で見ることができます。
(岐阜県美術館の年会費3,000円はなんておトクなんでしょう!!)
もらったチケットのビジュアルは、
岐阜県現代陶芸美術館所蔵の《バナナボックス》2007年
そして、ほとんどの作品が撮影可!
ロビーに置いてある作品は、岐阜県現代陶芸美術館所蔵の
《Work-96A》
展示室入口に掛かっているのは、新作の
《Work23-TAG》
「われもの注意」のタグが陶で作られています(^^)
最初に初期の油彩作品が展示されています。
正面の壁に展示されている1点のみが、
夫である故・三島茂司の1960年の作品
《Work64-Ⅲ》 新聞紙が何枚も貼りつけられています
《ヴィーナスの変貌Ⅴ》1967年
シルクスクリーンが使われています
なんとこれ、馬券が貼り付けられているんです!
三島喜美代と言えば‥‥の、新聞を陶で作り始めた頃の作品
《Package'74》滋賀県立陶芸の森
ダンボールが陶で作られています
《Pacjage'78》滋賀県立陶芸の森
大きなチラシ(陶の作品)が壁面に張り巡らされた
《Copy'78-'80》滋賀県立陶芸の森
作品が巨大化してます
電信柱まで作ってる! この作品は(ここの所蔵なのに)
見たことなかったなー。
《Electric Poles》1984年 岐阜県現代陶芸美術館
新聞紙にくるまれた赤いポット
チラシが陶で作られています。
左側の作品《KOUKOKU 08》
「御同情の一票にて○○○○を働かせて下さい‥‥」(笑)
三島喜美代ってイメージする
陶でマンガ雑誌を制作した作品
めくれたページも再現されてます。
さわれる作品がありました。
持ってみると、ずっしりと重い!
まぁ、陶でできているのだから当たり前なんだけど。
このあたりから、
溶融スラグを使った作品を作るようになったと
溶融スラグとは、ごみを焼却炉で燃焼した後にできる物質
私、三島喜美代を「陶」で新聞や雑誌を作る作家だと
思っていたので、この部屋の作品には
ちょっと戸惑ったというか‥‥
ゴミがただ置かれているようにも見えて。
あとで気が付いたんだけど、この日14:00から
ギャラリートークがあったんだ‥‥もう少し
早く行けば良かった(私は14:30頃に着いた)
素材について聞いてみたかったな。
溶融スラグで作った作品はどれなのか?
(出品リストには素材は書いてなかったし、
図録はまだできてなかった)
この銀色のシート(でも表面をよく見ると文字が読める)が
積みあがっているように見える大きな作品は何でできているのか?
スパッと裁断されたような形になっているのが面白い。
《Work92-N1》
中に入っている新聞は陶でできているんだろうけど
錆びた一斗缶はゴミ(廃棄物)だったのか?
新聞紙を燃やして焚火したい(^^)
《Work21-B》
時計はゴミ(廃棄物)だったんだよね?
錆び具合、壊れ具合が風格を感じるというか。
広いスペースに大きな作品が置かれていていい雰囲気です。
これ、森美術館の「アナザーエナジー展」
(会期:2021.4.22~2022.1.16)で
展示されていた作品ですね!
《Work21A》森美術館
私は見に行かなかったけど、話題になってたし、
日曜美術館で三島喜美代が取り上げられた時
(2021年6月27日放送「三島喜美代 命がけで遊ぶ」)
紹介されてましたね。
こちらのゴミ箱は、屋外に置かれていたら、
本当のゴミ箱と思われて、空き缶とか捨てられそう(^^)
ギャラリーⅠを出たところで、三島喜美代さんの
インタビュー映像が流れていて、
ちょっと昔(10年くらい前?)のものでしたが、
美術を始めたきっかけは、高校の先生に
好きなことをしていいって言われたことだとか、
後に夫となる三島茂司さんに絵を見せに行ったら、
コテンパンに言われて、帰って大泣きしたとか、
大阪弁で楽しそうに語っておられたのが印象的でした。
で、いつもギャラリーⅡはコレクション展だったりするので、
てっきり、三島喜美代展はこれで終わりかと思って行くと、
(ちゃんとチラシとかにもギャラリーⅠ・Ⅱって書いてあるのに(^^:
こちらも三島喜美代!
吹き抜けの展示室には、高さを生かした作品が!
ドイツの新聞が転写されているとか。
化石の収蔵棚みたいな作品も
階段を上がったB室は‥‥
わー! 三島喜美代さんの家に迷い込んだみたい。
資料なのか、作品なのか、ゴミなのか‥‥雑多なものが
いっぱいあって、なんか楽しそうでもある(^^)
最近の三島喜美代さんのインタビュー映像もありました。
最後のD室には、この展覧会のために作られた
新作が2点展示されています。
床面に広がる《Work23-A》は、
「彩の国さいたま彫刻バラエティ'96」で大賞を受賞して
制作した《Newspaper97-A》(桶川駅西口公園・埼玉)を、
鋳造した際に流れ出たアルミ合金が材料。
そこに型抜きした文字が貼り付けられていると。
うねうねした鉄筋が絡まって、
2つの大きな塊になっています。
《Work23-S》
チラシ表面のビジュアルはこれですね!
捨てられていた建築物の鉄筋を、
土岐のアトリエに運び込んで、長く屋外で寝かしていた
その鉄筋にシルクスクリーン印刷で細かな文字が
転写されています。
屋外にも作品があります。
《Work 03》岐阜県現代陶芸美術館
2017年5月に「コレクション×クロニクル」展を
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2017-06-02
見に来た時にもここの池に展示されていました。
ギャラリーⅠ・Ⅱを使っての大規模な展示で、
吹き抜けの空間を使っての大きな作品とか、
新作もあって見ごたえありました。
新聞やマンガ雑誌を陶で作る陶芸家ではなく、
現代美術家なんだと。
大規模なインスタレーション、迫力です。
図録購入しようとショップへ行ったんですが、
まだできてないとのことで、ちょっと残念。
で、三島喜美代のアートも紹介されていると
並んでいたこの文庫本
秋本雅史「日本で見られる現代アート傑作11」
購入しました。682円(税込)
十和田市現代美術館の
ロン・ミュエク『スタンディング・ウーマン』や、
金沢21世紀美術館の
レアンドロ・エルリッヒ『スイミング・プール』など、
日本で見られるトップレベルの現代アート11作品が
紹介されていて、その1つが、
アートファクトリー城南島の
「ゴミを擬態化したアート」
三島喜美代『Newspaper08』『Work92-N』
『Work2000-Memory of Twentieth Century』
あ、日曜美術館でもちょっと紹介されていたけど、
すごいスケール!! で、予約制だけど、入館料無料?!!
一度行ってみなくては!!
この本で紹介されているアート作品、私は
金沢21世紀美術館の『スイミング・プール』と
ジェームズ・タレル『ブルー・プラネット・スカイ』
金沢21世紀美術館「レアンドロ・エルリッヒ―ありきたりの?」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2014-07-24
DIC川村記念美術閣のマーク・ロスコ『シーグラム壁画』
DIC川村記念美術館「ブリジット・ライリーの絵画」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2018-08-27
くらいしか見たことがないけど、全部見てみたい!!
ついでに隣に置いてあった
「岐阜県現代陶芸美術館 収蔵作品選 日本の陶芸」
1,000円(税込)も購入しました。
もちろん三島喜美代の作品も、
ロビーに展示してある《WORK-96A》が掲載されてます。
(富本憲吉の2点を除き、1作家につき1点で、60点)
この本の表紙になっている
桑田卓郎《陶木》2022
2022年のリニューアル後に来た時、
このドハデなオブジェに驚いたなぁ!
夕陽にキラキラと輝いています。
岐阜県現代陶芸美術館: https://www.cpm-gifu.jp/museum/
----
2023年2月4日(土)中日新聞夕刊の記事
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日本で見られる現代アート傑作11 (小学館文庫 あ 50-1)
- 作者: 秋元 雄史
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2022/07/06
- メディア: 文庫
名古屋市美術館「福田美蘭―美術って、なに?」 [美術]
10月12日(木)、名古屋市美術館へ行きました。
「開館35周年記念
福田美蘭
美術って、なに?」という特別展をやっています。
このチラシ見て、この展覧会って、なに? って(@o@)
これは絵? 写真? これが作品なの?
《松竹梅》ってタイトルがついてる
確かに上から鰻重の松竹梅だけど、これをわざわざ
作品にする意味は? なんて。
福田美蘭について、名前くらいは知ってるってくらいの
(でも、美蘭を「みらん」って読んでなかった(^^;
知識しかありませんでした。
福田繁雄の娘さんなんですね。
名古屋市美術館の常設展で、スルバランの静物の絵の
並んだ壺の一つをモザイクにしたり、
レンチキュラーレンズ(って言うのを今回知りました
見る角度によって絵が変化するカマボコ状のシート)で、
壺が倒れて壊れるように見えたりする作品を見てたんですが、
ふーん、ってカンジで。
2018年に名古屋市美術館で開催された
「モネ、それからの100年」展でも、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2018-05-25
福田美蘭の作品が展示されていたんですが、
その時はあまり心に響かなかったんですね。
大原美術館の池を描いた作品《睡蓮の池》を、
ただの風景画では? くらいにしか見てなくて(^^;
2020年、豊田市美術館「いま見える景色」で
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2020-12-30
福田美蘭の作品が2点展示されていて、その1枚が、
《大根おろし》1996年
一見して、抽象画かって思ったけど、
タイトルを見たら、確かにこれは大根おろしを拡大して描いた
具象絵画にしか見えなくて面白かった。
それくらいの認識だったので、
特に見に行きたい展覧会リストには入れてなかったんですが、
10月1日の日曜美術館アートシーンで取り上げられていて、
へーちょっと面白そうかも、って
それであらためてチラシの裏面まで読んでみた(^^)
国内外で活躍を続ける現代美術家・福田美蘭(1963- )は、現代社会が抱える問題に鋭く切り込み、東西の美術、日本の伝統や文化を、意表を突くような手法であらわして、私たちの既成概念を打ち破ってきました。
本展では、古今東西の名画に福田独自のユニークな視点で向き合った作品から、国内外の時事問題をテーマに鋭い視点で切り込んだ作品まで、新作を含む約50点で福田美蘭の世界観を紹介します。
(チラシ裏面の文)
パートが休みだった9月12日(木)、
愛知県美術館友の会の特別鑑賞会の夜の部が
17:30~にあるので、名古屋市美術館を見てから
愛知県美術館へ行こうって。
気候も良くなってきたので、名古屋駅から歩こうと、
途中の金券ショップのぞいたら、
当日一般1,500円の福田美蘭展のチケットが
1,400円であったのでゲット!
白川公園の噴水と名古屋市科学館
名古屋市美術館
展示室入口の記念撮影スポット
(でも、この展覧会、一部を除きほとんどの作品が写真撮影可!!)
序章 福田美蘭のすがた
1963年に東京で生まれた福田美蘭は、東京藝術大学に学び、大学院修了後すぐに第18回現代日本美術展で佳作賞、翌年には26歳の若さで具象絵画の登竜門といわれる安井賞に輝く(後略)
最初に展示されていたのが(出品リストや図録の番号順ではなく)
《志村ふくみ《聖堂》を着る》2004年 滋賀県立美術館
志村ふくみの着物を着た作者の姿。
志村ふくみの着物《聖堂》は、貴重な美術品として、
滋賀県立美術館に所蔵され、触ってはいけない
鑑賞する着物になっている。
でも絵画の中では着ることができる。
そんな作品の隣に展示されていたのが、
《フランク・ステラと私》2001年
(あ、写真撮り忘れた(T.T)
現代美術界の巨匠・フランク・ステラと作者が並んで
記念撮影した写真を拡大して描いた作品。
写真の日付まで描き込んであるんだけど、
本当にステラと並んで写ったのか?って疑うことも
できるわけで(もちろん本当だと思うけど)
この絵の大きさ、写真をよくここまで引き伸ばしたな、
なんて思っちゃうような画力すごいなーって。
その隣の《緑の巨人》1989年 国立国際美術館
出品リストではno.1、福田の初期の作品で、
伝統的絵画からコミックまで、既存のイメージを寄せ集めて
構成した作品で、その描写力と構成力を高く評価されて、
インド・トリエンナーレで金賞を受賞したとのこと
《涅槃図》2012年 豊田市美術館
2010年12月に104歳で亡くなった福田の母方の祖父で童画家の
林義雄 動画に描かれた人や動物で構成した涅槃図
可愛く、ほっこりするような涅槃図。
豊田市美術館の所蔵なんだ!
名画 イメージのひろがり/視点をかえる
休憩するモナ・リザ(^▽^)
《ポーズの途中に休憩するモデル》2000年 富山県美術館
《虎渓三笑図》2020年 千葉市美術館
千葉市美術館所蔵の曽我蕭白《虎渓三笑図》を題材に、
「虎の声を聞いたとはその姿を見たわけではないと解釈し、ここでは描かれている急峻な岩山をそのまま組み込んで、風景の中に見えない虎の姿を描いている。」福田美蘭の作品解説より
鑑賞のヒントにも「隠れたトラを探してみよう!」
ってあったけど、なかなか見つけられずにいたら、
監視員の方が教えてくれました。
でもちょっとわかりにくいですよね。
この岩が虎の顔なの? って。
《安井曾太郎と孫》2002年 大原美術館
大原美術館所蔵の安井曾太郎《孫》を
描いていたときの様子を想像して描いた絵。
安井曾太郎の表現方法で描いているのがすごい。
安井が孫を描いているところを、
安井が描いたんじゃないかって思ってしまう。
《ミレー“種をまく人”》2002年 山梨県立美術館
山梨県立美術館所蔵のミレー《種をまく人》の
その後のポーズ、種が手から離れた瞬間を描いた絵。
ミレーが連作したんじゃないかって思う描写力!
これはゴッホの絵を題材にして描いたのか? って
キャプション見たら、大原美術館所蔵の
伝フィンセント・ファン・ゴッホ《アルビーユの道》
えっ!? ゴッホではないかって言われてる絵なの??
「真贋論争は、絵画の一つの問題点であり、また芸術というものの本質的な問題も含んでいる」
福田がこの絵をはじめて見たとき、
「真作かどうか、ということよりも、ゴッホらしくない、と感じることに惹かれて、これが本物であると感じるには何が足りないかということを、また、これが真作だとしたら、ゴッホの作品をもっとゴッホらしくするとはどういうことか、を描きながら考えてみたかった。」
ということで描いたのがこちら
《ゴッホをもっとゴッホらしくするには》2002年 大原美術館
《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》1996年 国際交流基金
写楽の大首絵は役者を実際に見て描いたと言われている。
写楽が見たであろう役者の姿はこうではなかったか。
うんうん、まさにリアル!
ベラスケスの名画《ラス・メニーナス》の中に入り込んだよう!
《侍女ドーニャ・マリア・アウグスティーナから見た王女マルガリータ、ドーニャ・イザベル・ベラスコ、矮人マリア・バルボラ、ワイ人ニコラシート・ペルトゥサートと犬》1992年 高松市美術館
マネの《草上の昼食》の裸婦を正面から見ています
《帽子を被った男性から見た草上の二人》1992年 高松市美術館
名古屋市美術館所蔵のフランク・ステラ《説教》を
チョコレート・ドリップケーキのデコレーションにした新作絵画
《説教(フランク・ステラによる)》2023年
名古屋市美術館所蔵の名画、
フリーダ・カーロ《死の仮面を被った少女》を題材に、
インスタレーションの新作作品が作られていました。
(撮影不可でした)
あっ、天井にも作品が!
《Portrait》1995年
二つ折りになった状態で壁に掛けられていて、
絵を観たい人は自由に手で開けて鑑賞する
《開ける絵》2000年
は、不具合で一部のみのの展示となっていて、
開閉することはできませんでした。
名古屋市美術館所蔵のレンチキュラーレンズを使った
《陶器(スルバランによる)》1992年 も展示されてましたし、
レンチキュラーレンズで、
ベラスケスの初期の代表的ボデゴン(厨房画)の一点が
完成するまでの3段階が一枚の絵の中で見られる
《卵を料理する老婆》1992年 京都国立近代美術館
なども面白かった!
2階の展示室へ行くと、
時代をみる
龍安寺の石庭をそのまま描いた? って解説を読むと、
一番手前の石は尖閣諸島の南小島の形をしているんですね!
《石庭》2017年 千葉市美術館
展覧会のメインビジュアルとなっている
《松竹梅》2017年 千葉市美術館
絵の大きさと(227.2×181.8cm)リアルな描写力に驚きます。
江戸時代に流行した《誰が袖図》に習い、
衣桁にディズニーキャラクターの服を掛けた
《誰が袖図》2015年 京都市美術館
可愛くて、クスッと笑ってしまった。
でも、画中の屏風に描かれているのは、2015年2月1日
過激派組織ISILがジャーナリストを殺害したとする映像を
インターネット上に公開したその現場の風景だとかで、
可愛いディズニーキャラクターがアメリカの富と権力の
象徴として描いているのだとか。
その絵をぬりえの形態にした作品も隣にあったけど、
(来場者が実際にぬりえをすることはできない)
置かれていたクレヨンはオレンジ色と黒のみ。
「オレンジ色は殺害される人質を、黒はジハーディ・ジョンの呼び名で知られる覆面の戦闘員の男と、ISILの旗の色をイメージしている」のだそう。
ゴッホの絵みたいって見た
《冬―供花》2012年 豊田市美術館
作者は、2011年に国立新美術館で見たゴッホの《薔薇》を見て、
その2年前に父が亡くなった際に届けられた白い花々を思い出し、
花籠一枚ずつ撮っていた写真をもとに描いているそう。
震災で命を落とした人と向き合うような気持ちで描いたと。
《秋―悲母観音》2012年 東京藝術大学
東京藝術大学所蔵の狩野芳崖《悲母観音》をもとに、
観音が子を抱く母子像として描いています。
背景には、震災で家、船、瓦礫が流される風景!
慈愛に満ちた観音像に心がきゅんとなりました。
《世界貿易センタービルの展望台》2008年 富山県美術館
2001年9月11日航空機に激突されて失われた展望台からの眺望。
等身大にリアルに描かれているので、私もこの人物たちに交じって
展望台からの景色を眺めているような気分になりました。
《ブッシュ大統領に話しかけるキリスト》2002年
新潟県立近代美術館・万代島美術館
背景では世界貿易センターが黒煙を上げています。
「人の話を聞こうとしないブッシュが耳を傾けるとしたら、もはやキリストしかいないのではないか、という私の考えを絵画にしたもの。」
東京ビエンナーレ2023のアートプロジェクト
美術家の原画をおしぼりに刺繍し、東京都内の飲食店で
実際におしぼりとして提供する「おしぼりリンゲージ」
一見、これは何の図? って思ったけど、
矢印に気が付いて、引っ張ってみたら―
日本語と英語でおもてなしの言葉が出るんですね!
洒落てます!
最後のコーナーには、
プーチン大統領をモディリアーニのカリアティードの連作に
見られるような鉛筆のドローイングの連作作品(新作)と、
モディリアーニ風にデフォルメした
《プーチン大統領の肖像》2023年
モディリアーニのような瞳のない肖像
そして《ゼレンスキー大統領》2022年 練馬区立美術館
テレビの報道やSNSですっかりおなじみ(?)になってしまった
ゼレンスキー大統領のこのイメージ!
福田美蘭はこの絵を「マネの現実認識による曖昧さそのものをイメージした絵画について考えることができると思った。」
面白かった! とにかく福田美蘭の画力すごいなって。
さすが、安井賞を最年少で受賞しただけありますね。
絵を描くことを楽しんでるってカンジがします。
そして、それぞれの作品につけられた福田美蘭の解説が良かった。
そんな意図で描いていたんだって、気づかされることも多くて、
(よくわからないところもあったけど)
ショップで、写真いっぱい撮らせてもらったので、
ちょっと迷ったけど、福田美蘭の作品解説をまた読みたくて、
図録購入しました。2,200円(税込)
この展覧会は名古屋市美術館のみの開催で、
数量限定とのことなので、なかなか貴重な一冊ではないかと。
グッズ売り場にあった記念撮影スポット
いろんな角度から描いた見返り美人の群像の中に、
紛れ込むことができます!
名古屋市美術館: https://art-museum.city.nagoya.jp/
特別展「開館35周年記念 福田美蘭―美術って、なに?」公式サイト:
https://static.chunichi.co.jp/chunichi/pages/event/fukudamiran/
特別展を見終わって、地下のコレクション展へ。
愛知県美術館の特別鑑賞会の時間も迫ってきたので、
駆け足で‥‥福田美蘭の絵の題材となった
フランク・ステラ《説教》や、
モディリアーニ《おさげ髪の少女》や、
フリーダ・カーロ《死の仮面を被った少女》を
やっぱり展示してあるーって確認してきました(^^)
現代の美術の展示テーマは「金属を用いた美術作品」
久野真の作品がシャープで良かった。
そして、
「東山動物園猛獣画廊壁画修復プロジェクト」
https://art-museum.city.nagoya.jp/topics/mouju_hekiga/
の部屋では、2名の方が修復作業をしておられて興味深かったです。
「開館35周年記念
福田美蘭
美術って、なに?」という特別展をやっています。
このチラシ見て、この展覧会って、なに? って(@o@)
これは絵? 写真? これが作品なの?
《松竹梅》ってタイトルがついてる
確かに上から鰻重の松竹梅だけど、これをわざわざ
作品にする意味は? なんて。
福田美蘭について、名前くらいは知ってるってくらいの
(でも、美蘭を「みらん」って読んでなかった(^^;
知識しかありませんでした。
福田繁雄の娘さんなんですね。
名古屋市美術館の常設展で、スルバランの静物の絵の
並んだ壺の一つをモザイクにしたり、
レンチキュラーレンズ(って言うのを今回知りました
見る角度によって絵が変化するカマボコ状のシート)で、
壺が倒れて壊れるように見えたりする作品を見てたんですが、
ふーん、ってカンジで。
2018年に名古屋市美術館で開催された
「モネ、それからの100年」展でも、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2018-05-25
福田美蘭の作品が展示されていたんですが、
その時はあまり心に響かなかったんですね。
大原美術館の池を描いた作品《睡蓮の池》を、
ただの風景画では? くらいにしか見てなくて(^^;
2020年、豊田市美術館「いま見える景色」で
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2020-12-30
福田美蘭の作品が2点展示されていて、その1枚が、
《大根おろし》1996年
一見して、抽象画かって思ったけど、
タイトルを見たら、確かにこれは大根おろしを拡大して描いた
具象絵画にしか見えなくて面白かった。
それくらいの認識だったので、
特に見に行きたい展覧会リストには入れてなかったんですが、
10月1日の日曜美術館アートシーンで取り上げられていて、
へーちょっと面白そうかも、って
それであらためてチラシの裏面まで読んでみた(^^)
国内外で活躍を続ける現代美術家・福田美蘭(1963- )は、現代社会が抱える問題に鋭く切り込み、東西の美術、日本の伝統や文化を、意表を突くような手法であらわして、私たちの既成概念を打ち破ってきました。
本展では、古今東西の名画に福田独自のユニークな視点で向き合った作品から、国内外の時事問題をテーマに鋭い視点で切り込んだ作品まで、新作を含む約50点で福田美蘭の世界観を紹介します。
(チラシ裏面の文)
パートが休みだった9月12日(木)、
愛知県美術館友の会の特別鑑賞会の夜の部が
17:30~にあるので、名古屋市美術館を見てから
愛知県美術館へ行こうって。
気候も良くなってきたので、名古屋駅から歩こうと、
途中の金券ショップのぞいたら、
当日一般1,500円の福田美蘭展のチケットが
1,400円であったのでゲット!
白川公園の噴水と名古屋市科学館
名古屋市美術館
展示室入口の記念撮影スポット
(でも、この展覧会、一部を除きほとんどの作品が写真撮影可!!)
序章 福田美蘭のすがた
1963年に東京で生まれた福田美蘭は、東京藝術大学に学び、大学院修了後すぐに第18回現代日本美術展で佳作賞、翌年には26歳の若さで具象絵画の登竜門といわれる安井賞に輝く(後略)
最初に展示されていたのが(出品リストや図録の番号順ではなく)
《志村ふくみ《聖堂》を着る》2004年 滋賀県立美術館
志村ふくみの着物を着た作者の姿。
志村ふくみの着物《聖堂》は、貴重な美術品として、
滋賀県立美術館に所蔵され、触ってはいけない
鑑賞する着物になっている。
でも絵画の中では着ることができる。
そんな作品の隣に展示されていたのが、
《フランク・ステラと私》2001年
(あ、写真撮り忘れた(T.T)
現代美術界の巨匠・フランク・ステラと作者が並んで
記念撮影した写真を拡大して描いた作品。
写真の日付まで描き込んであるんだけど、
本当にステラと並んで写ったのか?って疑うことも
できるわけで(もちろん本当だと思うけど)
この絵の大きさ、写真をよくここまで引き伸ばしたな、
なんて思っちゃうような画力すごいなーって。
その隣の《緑の巨人》1989年 国立国際美術館
出品リストではno.1、福田の初期の作品で、
伝統的絵画からコミックまで、既存のイメージを寄せ集めて
構成した作品で、その描写力と構成力を高く評価されて、
インド・トリエンナーレで金賞を受賞したとのこと
《涅槃図》2012年 豊田市美術館
2010年12月に104歳で亡くなった福田の母方の祖父で童画家の
林義雄 動画に描かれた人や動物で構成した涅槃図
可愛く、ほっこりするような涅槃図。
豊田市美術館の所蔵なんだ!
名画 イメージのひろがり/視点をかえる
休憩するモナ・リザ(^▽^)
《ポーズの途中に休憩するモデル》2000年 富山県美術館
《虎渓三笑図》2020年 千葉市美術館
千葉市美術館所蔵の曽我蕭白《虎渓三笑図》を題材に、
「虎の声を聞いたとはその姿を見たわけではないと解釈し、ここでは描かれている急峻な岩山をそのまま組み込んで、風景の中に見えない虎の姿を描いている。」福田美蘭の作品解説より
鑑賞のヒントにも「隠れたトラを探してみよう!」
ってあったけど、なかなか見つけられずにいたら、
監視員の方が教えてくれました。
でもちょっとわかりにくいですよね。
この岩が虎の顔なの? って。
《安井曾太郎と孫》2002年 大原美術館
大原美術館所蔵の安井曾太郎《孫》を
描いていたときの様子を想像して描いた絵。
安井曾太郎の表現方法で描いているのがすごい。
安井が孫を描いているところを、
安井が描いたんじゃないかって思ってしまう。
《ミレー“種をまく人”》2002年 山梨県立美術館
山梨県立美術館所蔵のミレー《種をまく人》の
その後のポーズ、種が手から離れた瞬間を描いた絵。
ミレーが連作したんじゃないかって思う描写力!
これはゴッホの絵を題材にして描いたのか? って
キャプション見たら、大原美術館所蔵の
伝フィンセント・ファン・ゴッホ《アルビーユの道》
えっ!? ゴッホではないかって言われてる絵なの??
「真贋論争は、絵画の一つの問題点であり、また芸術というものの本質的な問題も含んでいる」
福田がこの絵をはじめて見たとき、
「真作かどうか、ということよりも、ゴッホらしくない、と感じることに惹かれて、これが本物であると感じるには何が足りないかということを、また、これが真作だとしたら、ゴッホの作品をもっとゴッホらしくするとはどういうことか、を描きながら考えてみたかった。」
ということで描いたのがこちら
《ゴッホをもっとゴッホらしくするには》2002年 大原美術館
《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》1996年 国際交流基金
写楽の大首絵は役者を実際に見て描いたと言われている。
写楽が見たであろう役者の姿はこうではなかったか。
うんうん、まさにリアル!
ベラスケスの名画《ラス・メニーナス》の中に入り込んだよう!
《侍女ドーニャ・マリア・アウグスティーナから見た王女マルガリータ、ドーニャ・イザベル・ベラスコ、矮人マリア・バルボラ、ワイ人ニコラシート・ペルトゥサートと犬》1992年 高松市美術館
マネの《草上の昼食》の裸婦を正面から見ています
《帽子を被った男性から見た草上の二人》1992年 高松市美術館
名古屋市美術館所蔵のフランク・ステラ《説教》を
チョコレート・ドリップケーキのデコレーションにした新作絵画
《説教(フランク・ステラによる)》2023年
名古屋市美術館所蔵の名画、
フリーダ・カーロ《死の仮面を被った少女》を題材に、
インスタレーションの新作作品が作られていました。
(撮影不可でした)
あっ、天井にも作品が!
《Portrait》1995年
二つ折りになった状態で壁に掛けられていて、
絵を観たい人は自由に手で開けて鑑賞する
《開ける絵》2000年
は、不具合で一部のみのの展示となっていて、
開閉することはできませんでした。
名古屋市美術館所蔵のレンチキュラーレンズを使った
《陶器(スルバランによる)》1992年 も展示されてましたし、
レンチキュラーレンズで、
ベラスケスの初期の代表的ボデゴン(厨房画)の一点が
完成するまでの3段階が一枚の絵の中で見られる
《卵を料理する老婆》1992年 京都国立近代美術館
なども面白かった!
2階の展示室へ行くと、
時代をみる
龍安寺の石庭をそのまま描いた? って解説を読むと、
一番手前の石は尖閣諸島の南小島の形をしているんですね!
《石庭》2017年 千葉市美術館
展覧会のメインビジュアルとなっている
《松竹梅》2017年 千葉市美術館
絵の大きさと(227.2×181.8cm)リアルな描写力に驚きます。
江戸時代に流行した《誰が袖図》に習い、
衣桁にディズニーキャラクターの服を掛けた
《誰が袖図》2015年 京都市美術館
可愛くて、クスッと笑ってしまった。
でも、画中の屏風に描かれているのは、2015年2月1日
過激派組織ISILがジャーナリストを殺害したとする映像を
インターネット上に公開したその現場の風景だとかで、
可愛いディズニーキャラクターがアメリカの富と権力の
象徴として描いているのだとか。
その絵をぬりえの形態にした作品も隣にあったけど、
(来場者が実際にぬりえをすることはできない)
置かれていたクレヨンはオレンジ色と黒のみ。
「オレンジ色は殺害される人質を、黒はジハーディ・ジョンの呼び名で知られる覆面の戦闘員の男と、ISILの旗の色をイメージしている」のだそう。
ゴッホの絵みたいって見た
《冬―供花》2012年 豊田市美術館
作者は、2011年に国立新美術館で見たゴッホの《薔薇》を見て、
その2年前に父が亡くなった際に届けられた白い花々を思い出し、
花籠一枚ずつ撮っていた写真をもとに描いているそう。
震災で命を落とした人と向き合うような気持ちで描いたと。
《秋―悲母観音》2012年 東京藝術大学
東京藝術大学所蔵の狩野芳崖《悲母観音》をもとに、
観音が子を抱く母子像として描いています。
背景には、震災で家、船、瓦礫が流される風景!
慈愛に満ちた観音像に心がきゅんとなりました。
《世界貿易センタービルの展望台》2008年 富山県美術館
2001年9月11日航空機に激突されて失われた展望台からの眺望。
等身大にリアルに描かれているので、私もこの人物たちに交じって
展望台からの景色を眺めているような気分になりました。
《ブッシュ大統領に話しかけるキリスト》2002年
新潟県立近代美術館・万代島美術館
背景では世界貿易センターが黒煙を上げています。
「人の話を聞こうとしないブッシュが耳を傾けるとしたら、もはやキリストしかいないのではないか、という私の考えを絵画にしたもの。」
東京ビエンナーレ2023のアートプロジェクト
美術家の原画をおしぼりに刺繍し、東京都内の飲食店で
実際におしぼりとして提供する「おしぼりリンゲージ」
一見、これは何の図? って思ったけど、
矢印に気が付いて、引っ張ってみたら―
日本語と英語でおもてなしの言葉が出るんですね!
洒落てます!
最後のコーナーには、
プーチン大統領をモディリアーニのカリアティードの連作に
見られるような鉛筆のドローイングの連作作品(新作)と、
モディリアーニ風にデフォルメした
《プーチン大統領の肖像》2023年
モディリアーニのような瞳のない肖像
そして《ゼレンスキー大統領》2022年 練馬区立美術館
テレビの報道やSNSですっかりおなじみ(?)になってしまった
ゼレンスキー大統領のこのイメージ!
福田美蘭はこの絵を「マネの現実認識による曖昧さそのものをイメージした絵画について考えることができると思った。」
面白かった! とにかく福田美蘭の画力すごいなって。
さすが、安井賞を最年少で受賞しただけありますね。
絵を描くことを楽しんでるってカンジがします。
そして、それぞれの作品につけられた福田美蘭の解説が良かった。
そんな意図で描いていたんだって、気づかされることも多くて、
(よくわからないところもあったけど)
ショップで、写真いっぱい撮らせてもらったので、
ちょっと迷ったけど、福田美蘭の作品解説をまた読みたくて、
図録購入しました。2,200円(税込)
この展覧会は名古屋市美術館のみの開催で、
数量限定とのことなので、なかなか貴重な一冊ではないかと。
グッズ売り場にあった記念撮影スポット
いろんな角度から描いた見返り美人の群像の中に、
紛れ込むことができます!
名古屋市美術館: https://art-museum.city.nagoya.jp/
特別展「開館35周年記念 福田美蘭―美術って、なに?」公式サイト:
https://static.chunichi.co.jp/chunichi/pages/event/fukudamiran/
特別展を見終わって、地下のコレクション展へ。
愛知県美術館の特別鑑賞会の時間も迫ってきたので、
駆け足で‥‥福田美蘭の絵の題材となった
フランク・ステラ《説教》や、
モディリアーニ《おさげ髪の少女》や、
フリーダ・カーロ《死の仮面を被った少女》を
やっぱり展示してあるーって確認してきました(^^)
現代の美術の展示テーマは「金属を用いた美術作品」
久野真の作品がシャープで良かった。
そして、
「東山動物園猛獣画廊壁画修復プロジェクト」
https://art-museum.city.nagoya.jp/topics/mouju_hekiga/
の部屋では、2名の方が修復作業をしておられて興味深かったです。
愛知県美術館「幻の愛知県博物館」展のコレクション展 [美術]
8月13日(日)、愛知県美術館へ行き、
「幻の愛知県博物館」展を見たことは、前記事に
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-08-20
続いて、コレクション展も見ました。
コレクション展の入口である前室1には、
野永信《コの記号》1963年
タイトル通り「コ」の字形が積みあがっています。
この前室1と展示室4のテーマは、「記号のからくり」
絵画や彫刻といった美術作品は、たいていの場合なにか別のものを指し示す「記号」として機能しています。作品を記号として捉えたときの多様性を考えます。
(出品リストの文)
シンボル、アイコン、インデックス
と、記号を分類して解説されてましたが、
正直、よくわからず‥‥
《虎図(朝鮮民画)》木村定三コレクション
虎と言いつつ、ヒョウみたいな斑点模様。
ギョロッとした目が素朴でユーモラス!
「山神の使いである虎と、吉報を知らせる鵲(かささぎ)の組み合わせは「鵲虎図(じゃっこず)」とも呼ばれ、朝鮮半島では伝統的な吉祥の図像として繰り返し描かれてきました。(中略)
虎の描き手たちは、伝統的に描かれてきた虎の姿を参照し、実際の虎がどのような姿であるかにはあまり気を留めなかったようです。それでも、当時の人々は、描き手と共通のコードを参照してそれが虎であると解釈できたので、吉祥の図像として十分に機能していました。」(キャプションの説明文)
左右とも、安井曾太郎《人物立像》1905年
こういう、いわゆる「リアル」に写し取った絵は、
アイコンであるとか‥‥?
(すみません説明をよく覚えてないので私の思い違いかも‥‥)
北野謙の写真
左《バリ舞踏の踊り子17人を重ねた肖像、2009年9月29日、30日、インドネシア、バリ島、ウブド村、No.1「our face」シリーズより》2010年
右《2014年香港反政府デモ“雨傘革命”に参加する25人を重ねた肖像、2014年10月12日、13日、14日、占拠エリア(金鐘、銅鑼湾、旺角)香港 No.2「our face」シリーズより》2014年
複数の人の肖像写真を重ねた肖像写真。
なんか集団の普遍的なイメージみたいな雰囲気が、
ぼんやりした中からわき上がってくるような‥‥。
「記号」といって思い出すのは、やはり荒川修作かな。
荒川修作《作品》1963年
私には、この作品をどう見たらいいのかわからないんですが、
「仮に画面右下の署名を出発点とするならば、署名(シンボル)は矢印の付随する線を辿って、マイブリッジの連続写真(インデックス)へと到達します。さらに、その形をグリッド状の線へと置き換えた図式(アイコン)と羽と手袋のシルエット(インデックス)を経由して、再び出発点に戻ります。シンボル、アイコン、インデックスが入り乱れるこの循環においては、記号が意味をなすプロセス自体に関心が向けられているようです。」
‥‥???
青野文昭《なおす・代用・合体・侵入(震災後宮古で収集した衣料店床面/テーブル)2011》2011年
人間を記号化したような、いわゆる「棒人間」
本山ゆかり《画用紙(柔道_左)》《画用紙(柔道_右)》2016年
この作品を初めて見たのは、2020年10月に行った
「古代エジプト展」のコレクション展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2020-11-24
コロナ禍における文化芸術活動の緊急支援策の一つとして、
若手アーティストの作品を購入して展示されていた中にありました。
これは棒人間を描いたのではなく、アクリルボードの裏から
アクリルで描いていて、画用紙に見えるのも描いた絵なんだそう。
2枚の布をつなぎ合わせて、ミシンで図柄を縫った作品もあって、
うーん、なんかよくわからんと思いつつ見てましたが、
2021年5月に、文化フォーラム春日井・ギャラリーで開催された
「本山ゆかり コインはふたつあるから鳴る」を見て、
(2021年5月9日撮影)
あっ、この人すごい! って、やっと気づくことができました。
壁に釘を打って、1本のロープで
一筆書きのように名画の図が描かれたりと、
私たちは絵って、当然のように画用紙やキャンバスに画材で
描くものだって思ってるけど、それを問うているわけですね。
(今回の「記号のからくり」というテーマとはちょっと違うけど)
展示室5は、「こだまする芸術」
あ、この部屋、前回の
「近代日本の視覚開化 明治」展(ブログに感想が書けてない(^^;)の
コレクション展とほぼ同じ。 だけど今回は
クリムトの《黄金の騎士》さまがお戻りになっておられます!
「あるものと他のもののあいだにみられる響き合い(エコー)をひろく「こだま」と捉えて、ベルギー出身の画家ポール・デルヴォーの《こだま(街路の神秘)》を出発点に、作品同士のあいだやひとつの作品の中にみられる多様なこだまを紹介します。」
ってことて、まずは
ポール・デルヴォー《こだま(あるいは街路の神秘)》1943年 と、
横尾忠則《月光の街Ⅱ》2003年
愛知県美術館「GENKYO 横尾忠則」展」で、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-03-28
《月光の街》の5点のシリーズを見て、
あ、ここの所蔵の絵だ! って嬉しくなりました。
ピカソの《青い肩かけの女》1902年 には、
下層に別の人物の下絵があったと。
中日新聞2023年2月17日の記事
私のお気に入りの絵!
エドワード・ジョン・ポインター《世界の若かりし頃》1891年
ホンモノ(?)の釘の影か、描かれたものか、
触って確かめてみたくなる(絶対ダメ(^^;
高松次郎《釘の影 No.648》1978年
(写真は前回行った5月14日に撮影)
右は、アンディ・ウォーホル《レディース・アンド・ジェントルメン》1975年
左は、フランツ・ゲルチュ《ナターシャⅣ》1987-88年
なんと、木版画なんだそう!!
この大きさの紙の版をどうやって刷ったのか?
そして制作方法も、プロジェクターで画像を映した後、
画像を消して、記憶している部分だけ彫っていったとか!
(キャプションがボケて読めないので間違っているかも(^^;
なんか静かな精神性? すごい迫力を感じます。
あ、これあらためて写真で見たら、猫の影って気付くけど、
最初見た時は、モノクロームの抽象画かと思った。写真なんだ!
杉浦邦恵《子猫の書類》1992年
「カメラを使わずに印画紙の上に直接物を置いて感光させるというフォトグラムの手法」で、「暗室に2匹の猫を一晩中放置して朝に露光・定着させることを7晩繰り返したもの」なんだそう。
熊谷守一は同じような絵を描いていたりしますね。
同じ輪郭を使って描いていて、これでは「ぬりえ」じゃん
とも思うけど、熊谷守一ならいいかーと。
コレクション展で何回か見ている
袴田京太朗《ハルガ》2008-09年
隣の《Inner Hulga》2011年 は、
ハルガの内部をくり抜いて作られていると
絵画の梱包に使う箱が2つ並んでいるように見える
ライアン・ガンダー《It stole your thunder - (Alchemy Box #25) / It stole my thunder》2011年
「コートールド美術館展」のコレクション展で
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2020-01-25
一つは資料が入った段ボール箱で、
もう一つは合板にアクリルでそっくりに描いたものだと知りました。
展示室中央には、4つの石と4枚の鉄板で作られた
李禹煥《Relatum - with Four Stones and Four Irons》1986年
壁には、榎倉康二《干渉 (Story-No. 49)》1992年
野田裕示《WORK-984》1995年
黒と白の画面がインパクトあるなーって見たけど、
これ、描かれたものではなく、
「本作は、凹凸をつけた木板を2枚の画布で覆ったもので、主にクリーム色で彩色された1枚目は木板をそ裏側までぐるりと包み込み、主に黒色で彩色された2枚目は9本の切り込みに沿って鋭角に折り畳まれて画面に貼り付けられています。」
(キャプションの説明より)
展示室6は、「三田村光土里 グリーン・オン・ザ・マウンテン」
「偶然手に入れたネガフィルムに記録されていた、見知らぬ家族の写真から展開するインスタレーション作品、三田村光土里《グリーン・オン・ザ・マウンテン》を愛知県で初公開します。」
緑色の光に包まれた不思議な空間に音楽が響いています。
山の中で家族が集う写真。床の鏡に映っています。
棚の中に飾られた家族の写真。
時計回りとは逆に回る針
いつ、どこで生きていた家族かわからないけど、
なんだか愛おしく、なつかしいような‥‥
展示室7 「ブラックとピカソ キュビスムと『秩序への回帰』」
「本年度新たに受贈した、ジョルジュ・ブラック《水浴する女性と3つの果実》を初公開。ブラックとピカソを中心に、第一次世界大戦前のキュビスムから、戦後の「秩序への回帰」と呼ばれる古典的傾向への変化を紹介します。」
匿名を希望する名古屋市在住の個人から、
5億円のキュービスム名画が愛知県美術館に
寄贈されたと報じられてましたね。
中日新聞Webの記事:
https://www.chunichi.co.jp/article/710356
これがその5億円の絵画
ジョルジュ・ブラック《水浴する女性と3つの果実》1926年
左隣には、モーリス・ドニ《花飾りの舟》1921年
右隣りには、アンリ・マティス《待つ》1921-22年
右側の彫刻は、アレクサンダー・アーチペンコ《歩く女》1912年
左側の彫刻は、オシップ・ザツキン《チェロのトルソ》1956年(1956-57年鋳造)
反対側の壁には、ブラックの版画が並んでました。
展示室8は、「木村定三コレクション フォロンとグラフィック・アート」
「ベルギー出身のグラフィックアーティスト、ジャン゠ミシェル・フォロンは風刺の効いた独特のユーモアを交えながら現代社会やそこに生きる人々の姿を色彩豊かに描き出しました。フォロンの作品を中心にポスターや挿絵原画などのグラフィック作品をご紹介します。」
えー!? 木村定三さん、こんなポスターや版画もコレクションしてたの?!!
って、驚いた部屋。
フォロン! 私が大学でグラフィック・デザインを学んでいた頃、
フォロンは教科書的な存在でした。
確か、高校か中学の美術の教科書にも載ってたような。
灘本唯人や和田誠の版画もありましたし、
この絵本の一場面のような幻想的な絵いいなーって見た
フリードリッヒ・シュレーダー゠ゾンネンシュターン《冒涜された力》1959年
「東プロイセン(現リトアニア)に生まれたゾンネンシュターンは、時に暴力的でエロティックな要素を取り入れながら、架空の生き物たちが登場する幻想的な世界を色鉛筆で描き揚げました。」(キャプションより)
ジョルジュ・ブラックの版画《四羽の鳥》1959年 や、
パブロ・ピカソの版画《ポスター》1961年 もありました。
通路(前室2)には、いくつか彫刻が展示されていました。
左 中原悌二郎《平櫛田中像》1919-21年
出窓には 高田博厚《女のトルソ》1937年
ブログの記事がずいぶん遅くなってしまいましたが、
今回もとても充実した盛りだくさんのコレクション展でした。
愛知県美術館: https://www-art.aac.pref.aichi.jp/
「幻の愛知県博物館」展を見たことは、前記事に
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-08-20
続いて、コレクション展も見ました。
コレクション展の入口である前室1には、
野永信《コの記号》1963年
タイトル通り「コ」の字形が積みあがっています。
この前室1と展示室4のテーマは、「記号のからくり」
絵画や彫刻といった美術作品は、たいていの場合なにか別のものを指し示す「記号」として機能しています。作品を記号として捉えたときの多様性を考えます。
(出品リストの文)
シンボル、アイコン、インデックス
と、記号を分類して解説されてましたが、
正直、よくわからず‥‥
《虎図(朝鮮民画)》木村定三コレクション
虎と言いつつ、ヒョウみたいな斑点模様。
ギョロッとした目が素朴でユーモラス!
「山神の使いである虎と、吉報を知らせる鵲(かささぎ)の組み合わせは「鵲虎図(じゃっこず)」とも呼ばれ、朝鮮半島では伝統的な吉祥の図像として繰り返し描かれてきました。(中略)
虎の描き手たちは、伝統的に描かれてきた虎の姿を参照し、実際の虎がどのような姿であるかにはあまり気を留めなかったようです。それでも、当時の人々は、描き手と共通のコードを参照してそれが虎であると解釈できたので、吉祥の図像として十分に機能していました。」(キャプションの説明文)
左右とも、安井曾太郎《人物立像》1905年
こういう、いわゆる「リアル」に写し取った絵は、
アイコンであるとか‥‥?
(すみません説明をよく覚えてないので私の思い違いかも‥‥)
北野謙の写真
左《バリ舞踏の踊り子17人を重ねた肖像、2009年9月29日、30日、インドネシア、バリ島、ウブド村、No.1「our face」シリーズより》2010年
右《2014年香港反政府デモ“雨傘革命”に参加する25人を重ねた肖像、2014年10月12日、13日、14日、占拠エリア(金鐘、銅鑼湾、旺角)香港 No.2「our face」シリーズより》2014年
複数の人の肖像写真を重ねた肖像写真。
なんか集団の普遍的なイメージみたいな雰囲気が、
ぼんやりした中からわき上がってくるような‥‥。
「記号」といって思い出すのは、やはり荒川修作かな。
荒川修作《作品》1963年
私には、この作品をどう見たらいいのかわからないんですが、
「仮に画面右下の署名を出発点とするならば、署名(シンボル)は矢印の付随する線を辿って、マイブリッジの連続写真(インデックス)へと到達します。さらに、その形をグリッド状の線へと置き換えた図式(アイコン)と羽と手袋のシルエット(インデックス)を経由して、再び出発点に戻ります。シンボル、アイコン、インデックスが入り乱れるこの循環においては、記号が意味をなすプロセス自体に関心が向けられているようです。」
‥‥???
青野文昭《なおす・代用・合体・侵入(震災後宮古で収集した衣料店床面/テーブル)2011》2011年
人間を記号化したような、いわゆる「棒人間」
本山ゆかり《画用紙(柔道_左)》《画用紙(柔道_右)》2016年
この作品を初めて見たのは、2020年10月に行った
「古代エジプト展」のコレクション展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2020-11-24
コロナ禍における文化芸術活動の緊急支援策の一つとして、
若手アーティストの作品を購入して展示されていた中にありました。
これは棒人間を描いたのではなく、アクリルボードの裏から
アクリルで描いていて、画用紙に見えるのも描いた絵なんだそう。
2枚の布をつなぎ合わせて、ミシンで図柄を縫った作品もあって、
うーん、なんかよくわからんと思いつつ見てましたが、
2021年5月に、文化フォーラム春日井・ギャラリーで開催された
「本山ゆかり コインはふたつあるから鳴る」を見て、
(2021年5月9日撮影)
あっ、この人すごい! って、やっと気づくことができました。
壁に釘を打って、1本のロープで
一筆書きのように名画の図が描かれたりと、
私たちは絵って、当然のように画用紙やキャンバスに画材で
描くものだって思ってるけど、それを問うているわけですね。
(今回の「記号のからくり」というテーマとはちょっと違うけど)
展示室5は、「こだまする芸術」
あ、この部屋、前回の
「近代日本の視覚開化 明治」展(ブログに感想が書けてない(^^;)の
コレクション展とほぼ同じ。 だけど今回は
クリムトの《黄金の騎士》さまがお戻りになっておられます!
「あるものと他のもののあいだにみられる響き合い(エコー)をひろく「こだま」と捉えて、ベルギー出身の画家ポール・デルヴォーの《こだま(街路の神秘)》を出発点に、作品同士のあいだやひとつの作品の中にみられる多様なこだまを紹介します。」
ってことて、まずは
ポール・デルヴォー《こだま(あるいは街路の神秘)》1943年 と、
横尾忠則《月光の街Ⅱ》2003年
愛知県美術館「GENKYO 横尾忠則」展」で、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-03-28
《月光の街》の5点のシリーズを見て、
あ、ここの所蔵の絵だ! って嬉しくなりました。
ピカソの《青い肩かけの女》1902年 には、
下層に別の人物の下絵があったと。
中日新聞2023年2月17日の記事
私のお気に入りの絵!
エドワード・ジョン・ポインター《世界の若かりし頃》1891年
ホンモノ(?)の釘の影か、描かれたものか、
触って確かめてみたくなる(絶対ダメ(^^;
高松次郎《釘の影 No.648》1978年
(写真は前回行った5月14日に撮影)
右は、アンディ・ウォーホル《レディース・アンド・ジェントルメン》1975年
左は、フランツ・ゲルチュ《ナターシャⅣ》1987-88年
なんと、木版画なんだそう!!
この大きさの紙の版をどうやって刷ったのか?
そして制作方法も、プロジェクターで画像を映した後、
画像を消して、記憶している部分だけ彫っていったとか!
(キャプションがボケて読めないので間違っているかも(^^;
なんか静かな精神性? すごい迫力を感じます。
あ、これあらためて写真で見たら、猫の影って気付くけど、
最初見た時は、モノクロームの抽象画かと思った。写真なんだ!
杉浦邦恵《子猫の書類》1992年
「カメラを使わずに印画紙の上に直接物を置いて感光させるというフォトグラムの手法」で、「暗室に2匹の猫を一晩中放置して朝に露光・定着させることを7晩繰り返したもの」なんだそう。
熊谷守一は同じような絵を描いていたりしますね。
同じ輪郭を使って描いていて、これでは「ぬりえ」じゃん
とも思うけど、熊谷守一ならいいかーと。
コレクション展で何回か見ている
袴田京太朗《ハルガ》2008-09年
隣の《Inner Hulga》2011年 は、
ハルガの内部をくり抜いて作られていると
絵画の梱包に使う箱が2つ並んでいるように見える
ライアン・ガンダー《It stole your thunder - (Alchemy Box #25) / It stole my thunder》2011年
「コートールド美術館展」のコレクション展で
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2020-01-25
一つは資料が入った段ボール箱で、
もう一つは合板にアクリルでそっくりに描いたものだと知りました。
展示室中央には、4つの石と4枚の鉄板で作られた
李禹煥《Relatum - with Four Stones and Four Irons》1986年
壁には、榎倉康二《干渉 (Story-No. 49)》1992年
野田裕示《WORK-984》1995年
黒と白の画面がインパクトあるなーって見たけど、
これ、描かれたものではなく、
「本作は、凹凸をつけた木板を2枚の画布で覆ったもので、主にクリーム色で彩色された1枚目は木板をそ裏側までぐるりと包み込み、主に黒色で彩色された2枚目は9本の切り込みに沿って鋭角に折り畳まれて画面に貼り付けられています。」
(キャプションの説明より)
展示室6は、「三田村光土里 グリーン・オン・ザ・マウンテン」
「偶然手に入れたネガフィルムに記録されていた、見知らぬ家族の写真から展開するインスタレーション作品、三田村光土里《グリーン・オン・ザ・マウンテン》を愛知県で初公開します。」
緑色の光に包まれた不思議な空間に音楽が響いています。
山の中で家族が集う写真。床の鏡に映っています。
棚の中に飾られた家族の写真。
時計回りとは逆に回る針
いつ、どこで生きていた家族かわからないけど、
なんだか愛おしく、なつかしいような‥‥
展示室7 「ブラックとピカソ キュビスムと『秩序への回帰』」
「本年度新たに受贈した、ジョルジュ・ブラック《水浴する女性と3つの果実》を初公開。ブラックとピカソを中心に、第一次世界大戦前のキュビスムから、戦後の「秩序への回帰」と呼ばれる古典的傾向への変化を紹介します。」
匿名を希望する名古屋市在住の個人から、
5億円のキュービスム名画が愛知県美術館に
寄贈されたと報じられてましたね。
中日新聞Webの記事:
https://www.chunichi.co.jp/article/710356
これがその5億円の絵画
ジョルジュ・ブラック《水浴する女性と3つの果実》1926年
左隣には、モーリス・ドニ《花飾りの舟》1921年
右隣りには、アンリ・マティス《待つ》1921-22年
右側の彫刻は、アレクサンダー・アーチペンコ《歩く女》1912年
左側の彫刻は、オシップ・ザツキン《チェロのトルソ》1956年(1956-57年鋳造)
反対側の壁には、ブラックの版画が並んでました。
展示室8は、「木村定三コレクション フォロンとグラフィック・アート」
「ベルギー出身のグラフィックアーティスト、ジャン゠ミシェル・フォロンは風刺の効いた独特のユーモアを交えながら現代社会やそこに生きる人々の姿を色彩豊かに描き出しました。フォロンの作品を中心にポスターや挿絵原画などのグラフィック作品をご紹介します。」
えー!? 木村定三さん、こんなポスターや版画もコレクションしてたの?!!
って、驚いた部屋。
フォロン! 私が大学でグラフィック・デザインを学んでいた頃、
フォロンは教科書的な存在でした。
確か、高校か中学の美術の教科書にも載ってたような。
灘本唯人や和田誠の版画もありましたし、
この絵本の一場面のような幻想的な絵いいなーって見た
フリードリッヒ・シュレーダー゠ゾンネンシュターン《冒涜された力》1959年
「東プロイセン(現リトアニア)に生まれたゾンネンシュターンは、時に暴力的でエロティックな要素を取り入れながら、架空の生き物たちが登場する幻想的な世界を色鉛筆で描き揚げました。」(キャプションより)
ジョルジュ・ブラックの版画《四羽の鳥》1959年 や、
パブロ・ピカソの版画《ポスター》1961年 もありました。
通路(前室2)には、いくつか彫刻が展示されていました。
左 中原悌二郎《平櫛田中像》1919-21年
出窓には 高田博厚《女のトルソ》1937年
ブログの記事がずいぶん遅くなってしまいましたが、
今回もとても充実した盛りだくさんのコレクション展でした。
愛知県美術館: https://www-art.aac.pref.aichi.jp/
愛知県美術館「幻の愛知県博物館」 [美術]
8月13日(日)、愛知県美術館へ行きました。
「幻の愛知県博物館」という企画展をやっています。
正直、私、愛知県美術館友の会に入ってなかったら
見に行かなかったかも。
「140年前の大須には、
《どえりゃあ》博物館があった」と言われても‥‥
博物館っぽい展示があまり興味がないというか、
見るのに疲れそうだしぃ~
でも、せっかく無料で(年会費は払ってるけど)
見られるのだからと(ハイ、私はかなりのおケチです(^^;
会期も終わり近くになったので、猛暑の中を出かけました。
まぁ、猛暑は我が家から名鉄の駅までの間が大変だけど、
愛知県美術館のある愛知芸術文化センターは、
地下鉄「栄」駅からすぐだし、
美術館の展示室は長くいると寒いくらい(はい、私は
美術館のプロ?なので、ちゃんと上衣持ってってます!
今回はロビーから真っ直ぐ進んだ先に企画展の入口があります。
入口前にででーん!!と鎮座するのが
名古屋と言えば、の金鯱!!
実物大に作られて(塗装、発泡スチロール)いるそう。
受付で友の会会員証を提示すると、チケットと、
来場記念カードがもらえました。
展示物にちなんだ日替り51種類+レア4種類のうちから
先着順でもらえるとのこと。
展示はほとんどが撮影可ですが、撮影不可のもの
撮影可だがネット掲載不可のものがありました。
まずは、Ⅰ章 旅する金鯱
1 「無用の長物」、世界を巡る
明治維新で、名古屋城は陸軍の兵舎となり、鯱は
「無用の長物」として天守から降ろされます。
金鯱がない名古屋城の写真と、
1872(明治5)年に湯島聖堂で開催された博覧会の目玉として、
ガラス箱の中に納まっているのが名古屋城から降ろされた金鯱のオス
(この記念撮影写真の中央の白髪白髭の男性は、
名古屋の本草学者・伊藤圭介とのこと)
その後、日本各地を巡回します。
金鯱のメスはウィーン万博(1873)に出品されます。
出品作を積んだ船が帰国途中に沈没してしまったんですが、
金鯱は重すぎて次の船になったために助かったと。
このあたりのこと、
ヤマザキマザック美術館「名古屋城からはじまる植物物語」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-07-18
で知りました。湯島聖堂の博覧会の浮世絵
昇斎一景《元ト昌平阪聖堂ニ於テ博覧会図》も展示されていたなぁ。
2 博物館とは、何するところ?
あ、この「医学館薬品会」の様子も
「名古屋城からはじまる植物物語」展で見た!
この絵に描かれている木で作られた骸骨の頭部が、
ガラスケースに展示されているものだそう。
池内某《奥田木骨(頭部)》1820(文政3)年頃 名古屋市博物館
友の会特別鑑賞会での、展覧会を準備した副田一穂学芸員の解説が
動画配信されてきて、とても熱く楽しく語っていらっしゃいましたが、
その中で、名古屋市博物館にこのガイコツの全身があるのだから
貸してほしいと言ったら、骨の1本1本がバラバラに外れるようになっていて、
組み立てがものすごく大変だから、やめといたほうがいいとのことで、
頭部だけの展示になったそう。
3 鯱の行方――名古屋城は誰のもの?
山田猪三郎《名古屋金城及名所図》1895(明治28)年
名古屋城や熱田神宮、大須観音に、愛知博物館も載ってる!
明治維新後、陸軍の兵舎となっていた名古屋城ですが、
天守はいらないし、維持が大変とのことで、
1893(明治26)年、本丸は宮内省に移管され、名古屋離宮となる。
1930(昭和5)年、宮内省から名古屋市に下賜
名古屋城は、当時の国宝保存法に基づいて、国宝に指定される
1931(昭和6)年、名古屋市は城を一般公開する
名古屋離宮だった頃に、お濠ごしに望遠鏡で
城を見ている絵葉書があったのが面白かった。
1931年までは、一般人は名古屋城に入れなかったんですね。
絵葉書「第十回関西府県連合共進会」1910(明治43)年
鶴舞公園で開催された「第10回関西府県連合共進会」
この博覧会のために鶴舞公園が整備され、この時に建てられた
噴水塔は当時のまま、奏楽堂は老朽化のため建て替えられたが、
1997(平成9)年に当初の形に復元されたとのこと。
わー、すごい建物!ってちょっと驚いたんですが、
ほとんどがハリボテだったとか。
(まぁ、現在の博覧会のパビリオンなんかもそうですものね)
壁に掛かっているのは、
川瀬巴水《東海道風景選集 名古屋城》1932(昭和7)年
この間、7月30日(日)に松坂屋美術館「川瀬巴水」展の
最終日に駆け込みで見てきたとこですが
「浮世絵復興の立役者による
穏やかな夏の名古屋城。」(キャプションに付けられたコピー)
この展覧会、キャプションに付けられたコピーが
わかりやすく的確だったり、ちょっとユーモアも感じられて
とても良かった。
展示台には、モダンな建物が写った絵葉書が並んでました。
「御大典奉祝名古屋博覧会」1928(昭和3)年 や、
「名古屋汎太平洋平和博覧会」1937(昭和12)年 など
博覧会が開催されて様々なモノを見せたりしてたんですね。
私がもらった入場記念カードの絵が、
「名古屋汎太平洋平和博覧会」のポスター。
昭和12年に「平和」って銘打ってるのが、ちょっと感慨深い。
二の丸、三の丸は陸軍の演習に使われていて、
名古屋城が描かれた防空演習のポスターなども展示されていました。
この皿は、日本陶器株式会社《名古屋防空演習記念絵皿》1929(昭和4)年
「オールドノリタケの絵皿で
防空演習は高まった?」
そして、とうとう1945(昭和20)年、空襲で名古屋城は焼失します。
鴨居玲が描いた
《昭和20年5月14日Nagoya(天守閣の燃えた日)》1985(昭和60)年
という油彩画がありました。(ネット不可)
これは、焼け残った金鯱鱗
「空襲の爆風で吹き飛ばされた鱗。
オリジナルの鯱の一部で貴重。」
焼け落ちた金鯱で作ったという
《丸八文様鯱還付真形釜》1969(昭和44)年 も
隣に展示してありました。
(チラシ裏面に写真あります)
さて、いよいよ、Ⅱ章 幻の愛知県博物館
1 愛知県博物館、開館!
小田切春江《明治十一年 愛知県博覧会独案内》1978(明治11)年
「博物館落成記念の大博覧会。
事業を志す者は
決して見逃すべからず。」
これが大須にあったという愛知県博物館。
金鯱も展示されているし、サンショウウオのいる池、
植物園や、動物館などもある!
1878(明治11)年に県が民間からの寄附金を集めて建てた博物館は、古く貴重な文物から味噌や醤油、酒、木材、織物、陶磁器、絵画、機械、動植物等々、国内外のあらゆる物産を集め、人々の知識を増やして技術の発展を促そうとしました。
(チラシ裏面の文より)
この頃の愛知県博物館の写真はこの門のところしか
見つからなかったと。(右)
2 商品陳列館の敏腕館長
おぉ! カッコイイ建物!! これが愛知県博物館の跡に建てられた
「愛知県商品陳列館」中村写真館の1941(明治44)年の写真
館長の山口貴雄は、産業に役立つようにと、
世界中から手本となるような商品を集めて展示したり、
図案を作ったり募集したり、
統計資料をわかりやすいように図式化したりと、
いろいろな試みをしているのだそう。
デザインに興味のある私にはこんな図案の展示が面白かった。
ジョージ・パーシヴァル・ベイカー編
『17-18世紀東インドにおけるキャラコ図案とプリント』1921(大正10)年
染付皿図案と、伊東四郎左衛門宛 褒章授与之証
図案に基づいて、瀬戸の窯元で実際に製作されたそう。
中でもこの絵葉書のデザイン、素敵!!
世紀末ウィーンのグラフィック、ってカンジ!!
絵葉書「名古屋俘虜収容所俘虜製作作品展覧会」1919(大正8)年
第一次世界大戦のドイツ人俘虜は、
(第二次世界大戦での俘虜と違い)結構拘束もゆるくて、
市民との交流もしていたと。
当時の日本にとって、ドイツは先進国
敷島製パン(パスコ)で技術を教えたりしたそう。
絵葉書「名古屋衛生博覧会記念絵葉書」1932(昭和7)年
建物がモダンで面白いなぁ。余興?の踊りもある。
3 美術館が欲しい!──画家たちの展示場所
愛知県博物館では、美術品の展示も行われました。
愛知県商品陳列館で1917(大正6)年2月10日~12日に
開催された(わずか3日間?!)
岸田劉生ら草土社のメンバーの展覧会は、
名古屋の若い画家に強い印象を与えました。
【参考写真】渡辺写真館「草土社名古屋展覧会 会場風景」
そして大澤鉦一郎がリーダーとなり、
萬代比佐志、森馨之助、鵜城繁、藤井外喜雄、
山田睦三郎、宮脇晴 の7人で愛美社が結成されます。
「愛美社油絵素描展覧会目録」1919(大正8)年
「愛美社リーダーの大沢鉦一郎、
劉生にライバル意識を
バチバチ燃やす。」
愛知県商品陳列館で、大正8年3月21日~25日に開催されています。
(こちらも会期はわずか5日間)
「サンサシオン第4回展会場にて集合写真」1926(大正15)年
4 陳列所の展開と、もう一つの博物館
わーなんかレトロな建物で、明り取りの窓のデザインとか、
オシャレでちょっとカワイイ!
【参考写真】【重要文化財(建造物)】旧額田郡物産陳列所
1913(大正2)年竣工
昭和36年に今の岡崎市朝日町に移され、
岡崎市郷土館、同収蔵庫棟として利用されたが、
耐震性能の不足から現在は使われていないそう。
あ、この展示、私の博物館のイメージに近い!
愛知県立明倫中学校付属博物館旧蔵の、
動物の頭骨標本
「寄贈者は解剖学者・奈良坂源一郎、
愛知医学校の名物教諭で
愛知教育博物館設立の立役者」
植物の腊葉(さくよう)標本
「今に伝わる百点の押し葉標本、
伊藤圭介の孫や、田中芳男の名も見える。」
これらの標本の所蔵が「学習院中・高等科」ってなっているのは、
関東大震災で学習院の標本が失われた後に譲られたからとのこと。
Ⅲ章 ものづくり愛知の力
1 朝日遺跡──ヒトとモノが行き交う市
あいち朝日遺跡ミュージアム所蔵の
朝日遺跡から出土した土器や木製農具などが展示されていました。
《円窓付土器》弥生時代
「大きな窓付き土器は、
朝日遺跡の特産品。
何のための窓かは、大きな謎。」
《赤彩土器》弥生時代
「尾張地域独特の赤い土器。
壺、高杯、器台などかたちは多彩、
文様パターンもいろいろ。」
2 ミツカン──江戸の寿司を変えた粕酢
酢の輸送を樽から常滑焼の壺にしたら、
樽は帰りにバラせるが、壺はできないし重いので、
かえって輸送効率は落ちてしまったとか。
3 ガラガラ音が、三河に響く──ガラ紡の普及と養蚕奨励
蚕の繭が品種改良でずいぶん大きくなっていったのが
印象的でした。
4 売れ線陶器に学ぶ──産総研のドイツ参考品
実はこのあたりの展示、かなり疲れてきてあまり見てなかったんですが、
これらの、ドイツ陶器の展示、すごくカワイイ!!
明治の超絶技巧的なゴテゴテ陶磁器が飽きられてきて、
どのようなものを作ったらいいか参考にと、
ドイツで一般に売られていたものを買い付けてきたんだそう。
1931(昭和6)年収集
「海外市場で勝負するには、
軽くて丈夫な陶器じゃないと。
欧米の流行品を調査せよ! 」
国立陶磁器試験所/沼田一雅原型
《蛸置物》と《ホウボウ置物》1937(昭和12)年
「工芸か、はたまた彫刻か。
沼田の陶彫は帝展でも議論に。」
「陶磁器の超区は、
ヨーロッパでは一大ジャンル。」
国立陶磁器試験所/沼田一雅原型
《平野耕輔像》1937(昭和12)年
「ロダンとも交流した
陶彫家・沼田一雅が作る
所長の像。」
国立陶磁器試験所瀬戸試験場
瀬戸周辺で試掘されて陶土・窯業原料試料
私には中に入っている試料のことはわからないけど、
この風格のある棚の雰囲気がいいなと(^^;
5 ファンデーションを支える──奥三河の絹雲母
全く知らなかったけど、
「北設楽の粟代(あわしろ)鉱業所で採掘する
高純度の絹雲母は、
世界的にも希少。」で、
「世界中の化粧品に用いられる、
ファンデーションの主原料。」
なんだそう。
一昔前の鉱山のようなところで採掘されているんですね。
鈴木孝幸《self-40 掘るから》 という映像が
上映されていましたが、長そうなので、よく見ませんでした。
なんか思ったより楽しかった!
まずは翻弄される金鯱に思いをはせ、
愛知県博物館のなんでもありの楽しそうな園内、
愛知県商品陳列館、とても立派な建物で驚いた。
鶴舞公園などで開催された博覧会のパビリオンのデザインとか、
興味深かったし、ドイツ人俘虜との交流とか、
ドイツで買い付けてきたという陶器もカワイイ。
でも、やっぱり博物館的な展示は文字を読むのに
だんだん疲れてきて、途中から後で図録買ってゆっくり読もう
と思ってショップに行くと、まさかの、
図録は8月下旬の発行になると! Σ(゚д゚lll)ガーン
なので、ブログの記事を書くのは、図録読んでからの方が
いいかなとも思ったけど‥‥
ショップで売られていた金鯱や名古屋城のキーホルダーとか、
名古屋のお土産がまた面白かった!!
金鯱キーホルダー、迷ってやめたけど、
やっぱり買ってこれば良かったかなー(^^;
こちらのしゃちほこビスケット380円(税込)と、
金鯱のパックに入った「豆でなも」648円(税込)
(このあたりの言葉で「お元気でね」って意味にかけてますね)
を購入。「豆でなも」は、
八丁味噌カシューナッツと、えびしおアーモンドの2種類入り
美味しかった!!
皿に出ているのは、えびしおアーモンド
八丁味噌カシューナッツが美味しかったんだけど、
写真撮る前に食べちゃった(^^;;
あ、もちろん愛知県美術館のコレクション展も見ましたよ。
いつもながらの盛り沢山なので、次の記事で書くつもり。
(また時間かかりそうだけど)
愛知県美術館: https://www-art.aac.pref.aichi.jp/
「幻の愛知県博物館」という企画展をやっています。
正直、私、愛知県美術館友の会に入ってなかったら
見に行かなかったかも。
「140年前の大須には、
《どえりゃあ》博物館があった」と言われても‥‥
博物館っぽい展示があまり興味がないというか、
見るのに疲れそうだしぃ~
でも、せっかく無料で(年会費は払ってるけど)
見られるのだからと(ハイ、私はかなりのおケチです(^^;
会期も終わり近くになったので、猛暑の中を出かけました。
まぁ、猛暑は我が家から名鉄の駅までの間が大変だけど、
愛知県美術館のある愛知芸術文化センターは、
地下鉄「栄」駅からすぐだし、
美術館の展示室は長くいると寒いくらい(はい、私は
美術館のプロ?なので、ちゃんと上衣持ってってます!
今回はロビーから真っ直ぐ進んだ先に企画展の入口があります。
入口前にででーん!!と鎮座するのが
名古屋と言えば、の金鯱!!
実物大に作られて(塗装、発泡スチロール)いるそう。
受付で友の会会員証を提示すると、チケットと、
来場記念カードがもらえました。
展示物にちなんだ日替り51種類+レア4種類のうちから
先着順でもらえるとのこと。
展示はほとんどが撮影可ですが、撮影不可のもの
撮影可だがネット掲載不可のものがありました。
まずは、Ⅰ章 旅する金鯱
1 「無用の長物」、世界を巡る
明治維新で、名古屋城は陸軍の兵舎となり、鯱は
「無用の長物」として天守から降ろされます。
金鯱がない名古屋城の写真と、
1872(明治5)年に湯島聖堂で開催された博覧会の目玉として、
ガラス箱の中に納まっているのが名古屋城から降ろされた金鯱のオス
(この記念撮影写真の中央の白髪白髭の男性は、
名古屋の本草学者・伊藤圭介とのこと)
その後、日本各地を巡回します。
金鯱のメスはウィーン万博(1873)に出品されます。
出品作を積んだ船が帰国途中に沈没してしまったんですが、
金鯱は重すぎて次の船になったために助かったと。
このあたりのこと、
ヤマザキマザック美術館「名古屋城からはじまる植物物語」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2021-07-18
で知りました。湯島聖堂の博覧会の浮世絵
昇斎一景《元ト昌平阪聖堂ニ於テ博覧会図》も展示されていたなぁ。
2 博物館とは、何するところ?
あ、この「医学館薬品会」の様子も
「名古屋城からはじまる植物物語」展で見た!
この絵に描かれている木で作られた骸骨の頭部が、
ガラスケースに展示されているものだそう。
池内某《奥田木骨(頭部)》1820(文政3)年頃 名古屋市博物館
友の会特別鑑賞会での、展覧会を準備した副田一穂学芸員の解説が
動画配信されてきて、とても熱く楽しく語っていらっしゃいましたが、
その中で、名古屋市博物館にこのガイコツの全身があるのだから
貸してほしいと言ったら、骨の1本1本がバラバラに外れるようになっていて、
組み立てがものすごく大変だから、やめといたほうがいいとのことで、
頭部だけの展示になったそう。
3 鯱の行方――名古屋城は誰のもの?
山田猪三郎《名古屋金城及名所図》1895(明治28)年
名古屋城や熱田神宮、大須観音に、愛知博物館も載ってる!
明治維新後、陸軍の兵舎となっていた名古屋城ですが、
天守はいらないし、維持が大変とのことで、
1893(明治26)年、本丸は宮内省に移管され、名古屋離宮となる。
1930(昭和5)年、宮内省から名古屋市に下賜
名古屋城は、当時の国宝保存法に基づいて、国宝に指定される
1931(昭和6)年、名古屋市は城を一般公開する
名古屋離宮だった頃に、お濠ごしに望遠鏡で
城を見ている絵葉書があったのが面白かった。
1931年までは、一般人は名古屋城に入れなかったんですね。
絵葉書「第十回関西府県連合共進会」1910(明治43)年
鶴舞公園で開催された「第10回関西府県連合共進会」
この博覧会のために鶴舞公園が整備され、この時に建てられた
噴水塔は当時のまま、奏楽堂は老朽化のため建て替えられたが、
1997(平成9)年に当初の形に復元されたとのこと。
わー、すごい建物!ってちょっと驚いたんですが、
ほとんどがハリボテだったとか。
(まぁ、現在の博覧会のパビリオンなんかもそうですものね)
壁に掛かっているのは、
川瀬巴水《東海道風景選集 名古屋城》1932(昭和7)年
この間、7月30日(日)に松坂屋美術館「川瀬巴水」展の
最終日に駆け込みで見てきたとこですが
「浮世絵復興の立役者による
穏やかな夏の名古屋城。」(キャプションに付けられたコピー)
この展覧会、キャプションに付けられたコピーが
わかりやすく的確だったり、ちょっとユーモアも感じられて
とても良かった。
展示台には、モダンな建物が写った絵葉書が並んでました。
「御大典奉祝名古屋博覧会」1928(昭和3)年 や、
「名古屋汎太平洋平和博覧会」1937(昭和12)年 など
博覧会が開催されて様々なモノを見せたりしてたんですね。
私がもらった入場記念カードの絵が、
「名古屋汎太平洋平和博覧会」のポスター。
昭和12年に「平和」って銘打ってるのが、ちょっと感慨深い。
二の丸、三の丸は陸軍の演習に使われていて、
名古屋城が描かれた防空演習のポスターなども展示されていました。
この皿は、日本陶器株式会社《名古屋防空演習記念絵皿》1929(昭和4)年
「オールドノリタケの絵皿で
防空演習は高まった?」
そして、とうとう1945(昭和20)年、空襲で名古屋城は焼失します。
鴨居玲が描いた
《昭和20年5月14日Nagoya(天守閣の燃えた日)》1985(昭和60)年
という油彩画がありました。(ネット不可)
これは、焼け残った金鯱鱗
「空襲の爆風で吹き飛ばされた鱗。
オリジナルの鯱の一部で貴重。」
焼け落ちた金鯱で作ったという
《丸八文様鯱還付真形釜》1969(昭和44)年 も
隣に展示してありました。
(チラシ裏面に写真あります)
さて、いよいよ、Ⅱ章 幻の愛知県博物館
1 愛知県博物館、開館!
小田切春江《明治十一年 愛知県博覧会独案内》1978(明治11)年
「博物館落成記念の大博覧会。
事業を志す者は
決して見逃すべからず。」
これが大須にあったという愛知県博物館。
金鯱も展示されているし、サンショウウオのいる池、
植物園や、動物館などもある!
1878(明治11)年に県が民間からの寄附金を集めて建てた博物館は、古く貴重な文物から味噌や醤油、酒、木材、織物、陶磁器、絵画、機械、動植物等々、国内外のあらゆる物産を集め、人々の知識を増やして技術の発展を促そうとしました。
(チラシ裏面の文より)
この頃の愛知県博物館の写真はこの門のところしか
見つからなかったと。(右)
2 商品陳列館の敏腕館長
おぉ! カッコイイ建物!! これが愛知県博物館の跡に建てられた
「愛知県商品陳列館」中村写真館の1941(明治44)年の写真
館長の山口貴雄は、産業に役立つようにと、
世界中から手本となるような商品を集めて展示したり、
図案を作ったり募集したり、
統計資料をわかりやすいように図式化したりと、
いろいろな試みをしているのだそう。
デザインに興味のある私にはこんな図案の展示が面白かった。
ジョージ・パーシヴァル・ベイカー編
『17-18世紀東インドにおけるキャラコ図案とプリント』1921(大正10)年
染付皿図案と、伊東四郎左衛門宛 褒章授与之証
図案に基づいて、瀬戸の窯元で実際に製作されたそう。
中でもこの絵葉書のデザイン、素敵!!
世紀末ウィーンのグラフィック、ってカンジ!!
絵葉書「名古屋俘虜収容所俘虜製作作品展覧会」1919(大正8)年
第一次世界大戦のドイツ人俘虜は、
(第二次世界大戦での俘虜と違い)結構拘束もゆるくて、
市民との交流もしていたと。
当時の日本にとって、ドイツは先進国
敷島製パン(パスコ)で技術を教えたりしたそう。
絵葉書「名古屋衛生博覧会記念絵葉書」1932(昭和7)年
建物がモダンで面白いなぁ。余興?の踊りもある。
3 美術館が欲しい!──画家たちの展示場所
愛知県博物館では、美術品の展示も行われました。
愛知県商品陳列館で1917(大正6)年2月10日~12日に
開催された(わずか3日間?!)
岸田劉生ら草土社のメンバーの展覧会は、
名古屋の若い画家に強い印象を与えました。
【参考写真】渡辺写真館「草土社名古屋展覧会 会場風景」
そして大澤鉦一郎がリーダーとなり、
萬代比佐志、森馨之助、鵜城繁、藤井外喜雄、
山田睦三郎、宮脇晴 の7人で愛美社が結成されます。
「愛美社油絵素描展覧会目録」1919(大正8)年
「愛美社リーダーの大沢鉦一郎、
劉生にライバル意識を
バチバチ燃やす。」
愛知県商品陳列館で、大正8年3月21日~25日に開催されています。
(こちらも会期はわずか5日間)
「サンサシオン第4回展会場にて集合写真」1926(大正15)年
4 陳列所の展開と、もう一つの博物館
わーなんかレトロな建物で、明り取りの窓のデザインとか、
オシャレでちょっとカワイイ!
【参考写真】【重要文化財(建造物)】旧額田郡物産陳列所
1913(大正2)年竣工
昭和36年に今の岡崎市朝日町に移され、
岡崎市郷土館、同収蔵庫棟として利用されたが、
耐震性能の不足から現在は使われていないそう。
あ、この展示、私の博物館のイメージに近い!
愛知県立明倫中学校付属博物館旧蔵の、
動物の頭骨標本
「寄贈者は解剖学者・奈良坂源一郎、
愛知医学校の名物教諭で
愛知教育博物館設立の立役者」
植物の腊葉(さくよう)標本
「今に伝わる百点の押し葉標本、
伊藤圭介の孫や、田中芳男の名も見える。」
これらの標本の所蔵が「学習院中・高等科」ってなっているのは、
関東大震災で学習院の標本が失われた後に譲られたからとのこと。
Ⅲ章 ものづくり愛知の力
1 朝日遺跡──ヒトとモノが行き交う市
あいち朝日遺跡ミュージアム所蔵の
朝日遺跡から出土した土器や木製農具などが展示されていました。
《円窓付土器》弥生時代
「大きな窓付き土器は、
朝日遺跡の特産品。
何のための窓かは、大きな謎。」
《赤彩土器》弥生時代
「尾張地域独特の赤い土器。
壺、高杯、器台などかたちは多彩、
文様パターンもいろいろ。」
2 ミツカン──江戸の寿司を変えた粕酢
酢の輸送を樽から常滑焼の壺にしたら、
樽は帰りにバラせるが、壺はできないし重いので、
かえって輸送効率は落ちてしまったとか。
3 ガラガラ音が、三河に響く──ガラ紡の普及と養蚕奨励
蚕の繭が品種改良でずいぶん大きくなっていったのが
印象的でした。
4 売れ線陶器に学ぶ──産総研のドイツ参考品
実はこのあたりの展示、かなり疲れてきてあまり見てなかったんですが、
これらの、ドイツ陶器の展示、すごくカワイイ!!
明治の超絶技巧的なゴテゴテ陶磁器が飽きられてきて、
どのようなものを作ったらいいか参考にと、
ドイツで一般に売られていたものを買い付けてきたんだそう。
1931(昭和6)年収集
「海外市場で勝負するには、
軽くて丈夫な陶器じゃないと。
欧米の流行品を調査せよ! 」
国立陶磁器試験所/沼田一雅原型
《蛸置物》と《ホウボウ置物》1937(昭和12)年
「工芸か、はたまた彫刻か。
沼田の陶彫は帝展でも議論に。」
「陶磁器の超区は、
ヨーロッパでは一大ジャンル。」
国立陶磁器試験所/沼田一雅原型
《平野耕輔像》1937(昭和12)年
「ロダンとも交流した
陶彫家・沼田一雅が作る
所長の像。」
国立陶磁器試験所瀬戸試験場
瀬戸周辺で試掘されて陶土・窯業原料試料
私には中に入っている試料のことはわからないけど、
この風格のある棚の雰囲気がいいなと(^^;
5 ファンデーションを支える──奥三河の絹雲母
全く知らなかったけど、
「北設楽の粟代(あわしろ)鉱業所で採掘する
高純度の絹雲母は、
世界的にも希少。」で、
「世界中の化粧品に用いられる、
ファンデーションの主原料。」
なんだそう。
一昔前の鉱山のようなところで採掘されているんですね。
鈴木孝幸《self-40 掘るから》 という映像が
上映されていましたが、長そうなので、よく見ませんでした。
なんか思ったより楽しかった!
まずは翻弄される金鯱に思いをはせ、
愛知県博物館のなんでもありの楽しそうな園内、
愛知県商品陳列館、とても立派な建物で驚いた。
鶴舞公園などで開催された博覧会のパビリオンのデザインとか、
興味深かったし、ドイツ人俘虜との交流とか、
ドイツで買い付けてきたという陶器もカワイイ。
でも、やっぱり博物館的な展示は文字を読むのに
だんだん疲れてきて、途中から後で図録買ってゆっくり読もう
と思ってショップに行くと、まさかの、
図録は8月下旬の発行になると! Σ(゚д゚lll)ガーン
なので、ブログの記事を書くのは、図録読んでからの方が
いいかなとも思ったけど‥‥
ショップで売られていた金鯱や名古屋城のキーホルダーとか、
名古屋のお土産がまた面白かった!!
金鯱キーホルダー、迷ってやめたけど、
やっぱり買ってこれば良かったかなー(^^;
こちらのしゃちほこビスケット380円(税込)と、
金鯱のパックに入った「豆でなも」648円(税込)
(このあたりの言葉で「お元気でね」って意味にかけてますね)
を購入。「豆でなも」は、
八丁味噌カシューナッツと、えびしおアーモンドの2種類入り
美味しかった!!
皿に出ているのは、えびしおアーモンド
八丁味噌カシューナッツが美味しかったんだけど、
写真撮る前に食べちゃった(^^;;
あ、もちろん愛知県美術館のコレクション展も見ましたよ。
いつもながらの盛り沢山なので、次の記事で書くつもり。
(また時間かかりそうだけど)
愛知県美術館: https://www-art.aac.pref.aichi.jp/
ヤマザキマザック美術館 5階の常設展示 [美術]
7月9日(日)に、ヤマザキマザック美術館へ行き、
「八幡はるみ GARDEN」を見たことは前記事に
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-08-06
続いて5階の常設展示を見たことを書いていたんですが、
長くなりそうだったので、4階の八幡はるみ展だけの
記事をアップしました。続きです。
ヤマザキマザック美術館の5階の赤い壁紙の部屋、
もう、絵の配置も覚えちゃいましたが、何度来ても
ここの展示室、大好き!!
今回、鑑賞者がほとんどいなかったこともあって、
あらためて私のお気に入りの絵の写真撮ってきちゃいました(^^)v
(今までも何度かブログにアップしたことがあるんですが)
すごく貴重な絵画にもかかわらず、額装に
ガラス板やアクリル板がないので、写り込みがなくて、
筆のタッチなどの細かい部分までキレイに見られます!
ジャン=バティスト・パテル《野営》
当時の軍隊は、料理人や洗濯人、娼婦なども引き連れた大所帯で
移動したとのことで、大鍋で料理する人と子供たち、
女性に言い寄る若い男、ダンスするカップルなど、
軍隊とは思えない陽気な雰囲気です。
ジャン=バティスト・パテル《行軍》
《野営》が夕方の情景だったのに対し、こちらは朝で、
軍装を整えて出発する場面。女性たちに別れを告げています。
ニコラ・ランクレ《からかい》1736年
ルイ15世の王妃マリー・レグザンスカの居室のために
注文された絵画の一つだそう。信心深い王妃の私室にも
こんな、当時流行の他愛のない牧歌的な主題の風俗画が飾られていたと。
ジャン・アントワーヌ・ヴァトー《夏の木陰》1715年頃
「雅宴画」というジャンルを生み出したヴァトー。
「フランス絵画の父と称され、
「ルーヴル美術館が火事になったら真っ先に持ち出すのはヴァトーの絵」
と言われるほどだそう。
(ブログに感想が書けてないけど)2017年に開催された
「よそおいの200年」展で、この絵が描かれた1715年は、
ルイ14世が逝去し、15世が即位した年で、この絵の
中央に描かれた女性は、当時流行の低めで小さな髪形をしていて、
右手暗がりの女性の髪形はルイ14世時代に流行した
高く盛りあげたフォンタンジュ・スタイル。
つまり、この絵から権力の交替を読み取ることができると。
テーブルのボタンを押すと、
ヤマザキマザック株式会社の工作機械で作られた拡大鏡が上がってきて、
絵の細部まで見ることができます。
ジャン=マルク・ナティエ《狩りの衣を着たマイイ伯爵夫人》1743年
ルイ15世の公認寵姫であったマイイ夫人を
狩りの女神ディアナに扮した姿で描いた「神話風肖像画」
ニコラ・ド・ラルジリエール《ジャッソ夫人とふたりの子供》1707年
パリの裕福な布地商人の家に生まれ、貴族のもとに嫁いだジャッソ夫人。
高く盛り上げた髪型は、ルイ14世の愛妾フォンタンジュ公爵夫人が
考案した「フォンタンジュ・スタイル」
ルイ14世、15世の時代の裕福なブルジョワジーに人気の
肖像画家だったラルジリエール。画料がとくに高額だったため、
富裕層しか肖像画を依頼できなかったそう。
ウジェーヌ・ドラクロワ《シビュラと黄金の小枝》1838年(サロン出品1845年)
ウェルギリウスの『アエネイス』の一場面で、
トロイアの王子アエネアスが冥界に下るための
黄金の小枝を、アポロンの巫女シビュラが指し示しているところ。
エリザベト・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン《エカチェリーナ・フェオドロヴナ・ドルゴロウキー皇女》1797年頃
マリー・アントワネットの宮廷画家だったヴィジェ=ルブラン
(漫画「ベルサイユのばら」にも登場しますね)
フランス革命後は亡命を余儀なくされるが、
各地の社交界で肖像画を描いて結構優雅な生活だったらしい(たくましい!)
ロシア滞在時に描いたこの肖像画の報酬は、素晴らしい四輪馬車と、
「ときめく者を飾れ」とダイヤモンドで刻まれたブレスレットだったとのこと。
エリザベト・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン《リラを弾く女性》1804年
フランス革命後、1790年から1800年には、古代ギリシアの内衣キトンのような、
シンプルなシュミーズ風のガウンが流行します。流行はその後イギリス、
ロシアなどヨーロッパ中にひろがっていきます。
ルブランは1802年にフランスに帰国するが、ナポレオン統治下の
パリの雰囲気が気に入らず、翌年から05年にはイギリスに滞在。
この絵はイギリス滞在中に制作されました。
リラを弾くギリシャ風の女性は女流詩人サッフォーをイメージさせます。
ちなみに、ナポレオンの帝政が始まると、フランス宮廷では、再び
サテンや刺繍を用いた、しっかりした布地のドレスや
豪華な宝飾品の流行が戻ってきたとのこと。
ジャン・オノレ・フラゴナール《キューピッドのささやき》1776-77年
胸をはだけた女性は、古代ギリシャの女性詩人サッフォーで、
愛神キューピッドが背後からささやいて、
創造のインスピレーションを与える場面。
ユベール・ロベール《メレヴィル庭園の眺め》
これは自然風に作られた庭園の景色。
ユペール・ロベールは、イタリア留学で制作した下描きをもとに、
古代遺跡の廃墟のあるイタリアの景観や、フランスの景観、
廃墟のあるカプリッチョ(空想の構成画)、同時代の有名な庭園などを
描いて「廃墟のロベール」と名声を築きます。
そして、ヤマザキマザック美術館を代表する
フランソワ・ブーシェ《アウロラとケファロス》1745年頃
ルイ15世の寵姫ポンパドゥール侯爵夫人旧蔵と伝わる
2375×2590mmの大きな絵!
暁の女神アウロラが黄金色に輝く凱旋車から身を乗り出して、
猟師の若者ケファロスを誘惑する場面。
アウロラの髪形は、前髪を巻き上げて頭頂部でまとめた
「ポンパドゥール巻き」をしているそう。
隣には、フランソワ・ブーシェ《恋文》1745年
黄色の壁紙の部屋には、印象派とそれ以降の
マルケやヴラマンク、ドニ、セリュジェなどの絵が展示されています。
中央の絵は、ギュスターヴ・クールベ《波、夕暮れにうねる海》1869年
左右の彫刻は、ピエール=オーギュスト・ルノワール
《母の愛、あるいは息子ピエールに授乳するルノワール夫人》の
テラコッタ作品と、ブロンズ作品
アルベール・マルケ
左《サン=ジャン=ド=リュズの港》1927年
右上《税関前の艦船》1942-43年
右下《ラ・ショームの家並み》1921年
マルケは、ヤマザキマザック美術館の前回の企画展
「パリに生きた画家たち
マルケ、ユトリロ、佐伯祐三、荻須高徳が見た風景」展で、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-02-15
ヤマザキマザック美術館が所蔵する《パリ、ルーヴル河岸》や、
他館のパリの街を描いた絵が並んでて、私それまで
マルケって知らないなーなんて思ってたけど、この3点の絵、
マルケだったんだ!
《サン=ジャン=ド=リュズの港》私ずっといいなって見てたのにww
ギュスターヴ・モローの教室で、ルオーやマティスなどと共に学んだマルケ。
マティスとは生涯の友で、マルケも野獣派(フォーヴィスム)に
分類される画家とのことですが、大胆なタッチで描かれているけど、
水の揺らめきの描写がとても気持ちのいい絵だなって。
モーリス・ドニ《聖母月》1907年
キリスト教暦でいう聖母月とは5月のことで、
5月31日は聖母マリアの祝日となっているそう。
白い衣装の聖母子を祝うために白い衣装の女性たちが集まっています。
木には白い花がたくさん咲いていて、ロマンティックな雰囲気。
ドニはナビ派の画家として、絵画理論も多く発表しているが、
聖書を題材とした絵も多く、聖書の画家と呼ばれているそうですね。
青い壁紙の部屋には、ヴァン・ドンゲンやユトリロ、
モディリアーニ、キスリング、シャイム・スーチンなどが、
最後の青い壁紙の部屋には、ピカソやラウル・デュフィ、
ポール・デルヴォーなどの絵が展示されています。
ヤマザキマザック美術館: https://www.mazak-art.com/ の、
所蔵作品検索のページや、
(とても詳しく説明されているし、画像も大きくていいです)
2017年4月22日(土)~8月27日(日)に開催された企画展
「もっと知りたい名画の世界 よそおいの200年」の図録を
参考にさせてもらいました。
「八幡はるみ GARDEN」を見たことは前記事に
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-08-06
続いて5階の常設展示を見たことを書いていたんですが、
長くなりそうだったので、4階の八幡はるみ展だけの
記事をアップしました。続きです。
ヤマザキマザック美術館の5階の赤い壁紙の部屋、
もう、絵の配置も覚えちゃいましたが、何度来ても
ここの展示室、大好き!!
今回、鑑賞者がほとんどいなかったこともあって、
あらためて私のお気に入りの絵の写真撮ってきちゃいました(^^)v
(今までも何度かブログにアップしたことがあるんですが)
すごく貴重な絵画にもかかわらず、額装に
ガラス板やアクリル板がないので、写り込みがなくて、
筆のタッチなどの細かい部分までキレイに見られます!
ジャン=バティスト・パテル《野営》
当時の軍隊は、料理人や洗濯人、娼婦なども引き連れた大所帯で
移動したとのことで、大鍋で料理する人と子供たち、
女性に言い寄る若い男、ダンスするカップルなど、
軍隊とは思えない陽気な雰囲気です。
ジャン=バティスト・パテル《行軍》
《野営》が夕方の情景だったのに対し、こちらは朝で、
軍装を整えて出発する場面。女性たちに別れを告げています。
ニコラ・ランクレ《からかい》1736年
ルイ15世の王妃マリー・レグザンスカの居室のために
注文された絵画の一つだそう。信心深い王妃の私室にも
こんな、当時流行の他愛のない牧歌的な主題の風俗画が飾られていたと。
ジャン・アントワーヌ・ヴァトー《夏の木陰》1715年頃
「雅宴画」というジャンルを生み出したヴァトー。
「フランス絵画の父と称され、
「ルーヴル美術館が火事になったら真っ先に持ち出すのはヴァトーの絵」
と言われるほどだそう。
(ブログに感想が書けてないけど)2017年に開催された
「よそおいの200年」展で、この絵が描かれた1715年は、
ルイ14世が逝去し、15世が即位した年で、この絵の
中央に描かれた女性は、当時流行の低めで小さな髪形をしていて、
右手暗がりの女性の髪形はルイ14世時代に流行した
高く盛りあげたフォンタンジュ・スタイル。
つまり、この絵から権力の交替を読み取ることができると。
テーブルのボタンを押すと、
ヤマザキマザック株式会社の工作機械で作られた拡大鏡が上がってきて、
絵の細部まで見ることができます。
ジャン=マルク・ナティエ《狩りの衣を着たマイイ伯爵夫人》1743年
ルイ15世の公認寵姫であったマイイ夫人を
狩りの女神ディアナに扮した姿で描いた「神話風肖像画」
ニコラ・ド・ラルジリエール《ジャッソ夫人とふたりの子供》1707年
パリの裕福な布地商人の家に生まれ、貴族のもとに嫁いだジャッソ夫人。
高く盛り上げた髪型は、ルイ14世の愛妾フォンタンジュ公爵夫人が
考案した「フォンタンジュ・スタイル」
ルイ14世、15世の時代の裕福なブルジョワジーに人気の
肖像画家だったラルジリエール。画料がとくに高額だったため、
富裕層しか肖像画を依頼できなかったそう。
ウジェーヌ・ドラクロワ《シビュラと黄金の小枝》1838年(サロン出品1845年)
ウェルギリウスの『アエネイス』の一場面で、
トロイアの王子アエネアスが冥界に下るための
黄金の小枝を、アポロンの巫女シビュラが指し示しているところ。
エリザベト・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン《エカチェリーナ・フェオドロヴナ・ドルゴロウキー皇女》1797年頃
マリー・アントワネットの宮廷画家だったヴィジェ=ルブラン
(漫画「ベルサイユのばら」にも登場しますね)
フランス革命後は亡命を余儀なくされるが、
各地の社交界で肖像画を描いて結構優雅な生活だったらしい(たくましい!)
ロシア滞在時に描いたこの肖像画の報酬は、素晴らしい四輪馬車と、
「ときめく者を飾れ」とダイヤモンドで刻まれたブレスレットだったとのこと。
エリザベト・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン《リラを弾く女性》1804年
フランス革命後、1790年から1800年には、古代ギリシアの内衣キトンのような、
シンプルなシュミーズ風のガウンが流行します。流行はその後イギリス、
ロシアなどヨーロッパ中にひろがっていきます。
ルブランは1802年にフランスに帰国するが、ナポレオン統治下の
パリの雰囲気が気に入らず、翌年から05年にはイギリスに滞在。
この絵はイギリス滞在中に制作されました。
リラを弾くギリシャ風の女性は女流詩人サッフォーをイメージさせます。
ちなみに、ナポレオンの帝政が始まると、フランス宮廷では、再び
サテンや刺繍を用いた、しっかりした布地のドレスや
豪華な宝飾品の流行が戻ってきたとのこと。
ジャン・オノレ・フラゴナール《キューピッドのささやき》1776-77年
胸をはだけた女性は、古代ギリシャの女性詩人サッフォーで、
愛神キューピッドが背後からささやいて、
創造のインスピレーションを与える場面。
ユベール・ロベール《メレヴィル庭園の眺め》
これは自然風に作られた庭園の景色。
ユペール・ロベールは、イタリア留学で制作した下描きをもとに、
古代遺跡の廃墟のあるイタリアの景観や、フランスの景観、
廃墟のあるカプリッチョ(空想の構成画)、同時代の有名な庭園などを
描いて「廃墟のロベール」と名声を築きます。
そして、ヤマザキマザック美術館を代表する
フランソワ・ブーシェ《アウロラとケファロス》1745年頃
ルイ15世の寵姫ポンパドゥール侯爵夫人旧蔵と伝わる
2375×2590mmの大きな絵!
暁の女神アウロラが黄金色に輝く凱旋車から身を乗り出して、
猟師の若者ケファロスを誘惑する場面。
アウロラの髪形は、前髪を巻き上げて頭頂部でまとめた
「ポンパドゥール巻き」をしているそう。
隣には、フランソワ・ブーシェ《恋文》1745年
黄色の壁紙の部屋には、印象派とそれ以降の
マルケやヴラマンク、ドニ、セリュジェなどの絵が展示されています。
中央の絵は、ギュスターヴ・クールベ《波、夕暮れにうねる海》1869年
左右の彫刻は、ピエール=オーギュスト・ルノワール
《母の愛、あるいは息子ピエールに授乳するルノワール夫人》の
テラコッタ作品と、ブロンズ作品
アルベール・マルケ
左《サン=ジャン=ド=リュズの港》1927年
右上《税関前の艦船》1942-43年
右下《ラ・ショームの家並み》1921年
マルケは、ヤマザキマザック美術館の前回の企画展
「パリに生きた画家たち
マルケ、ユトリロ、佐伯祐三、荻須高徳が見た風景」展で、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-02-15
ヤマザキマザック美術館が所蔵する《パリ、ルーヴル河岸》や、
他館のパリの街を描いた絵が並んでて、私それまで
マルケって知らないなーなんて思ってたけど、この3点の絵、
マルケだったんだ!
《サン=ジャン=ド=リュズの港》私ずっといいなって見てたのにww
ギュスターヴ・モローの教室で、ルオーやマティスなどと共に学んだマルケ。
マティスとは生涯の友で、マルケも野獣派(フォーヴィスム)に
分類される画家とのことですが、大胆なタッチで描かれているけど、
水の揺らめきの描写がとても気持ちのいい絵だなって。
モーリス・ドニ《聖母月》1907年
キリスト教暦でいう聖母月とは5月のことで、
5月31日は聖母マリアの祝日となっているそう。
白い衣装の聖母子を祝うために白い衣装の女性たちが集まっています。
木には白い花がたくさん咲いていて、ロマンティックな雰囲気。
ドニはナビ派の画家として、絵画理論も多く発表しているが、
聖書を題材とした絵も多く、聖書の画家と呼ばれているそうですね。
青い壁紙の部屋には、ヴァン・ドンゲンやユトリロ、
モディリアーニ、キスリング、シャイム・スーチンなどが、
最後の青い壁紙の部屋には、ピカソやラウル・デュフィ、
ポール・デルヴォーなどの絵が展示されています。
ヤマザキマザック美術館: https://www.mazak-art.com/ の、
所蔵作品検索のページや、
(とても詳しく説明されているし、画像も大きくていいです)
2017年4月22日(土)~8月27日(日)に開催された企画展
「もっと知りたい名画の世界 よそおいの200年」の図録を
参考にさせてもらいました。
ヤマザキマザック美術館「八幡はるみ」展 [美術]
なかなかブログが書けません。
7月9日(日)に行ってきた展覧会ですが、
ヤマザキマザック美術館
「八幡はるみ GARDEN」
とても鮮やかなチラシで、わーキレイって見たけど、
八幡はるみさんの名前も聞いたことがありませんでした。
染色かーって。
でも、ヤマザキマザック美術館は私の好きな美術館で、
企画展毎に行っているので、4月21日(金)から始まった
この展覧会、そろそろ行かなくては‥‥と。
(会期4月21日(金)~8月27日(日)
ヤマザキマザック美術館は地下鉄「新栄」駅直結なので、
猛暑でも雨でも便利です。
割引券付のチラシ持参で一般1,300円の観覧料が
100円引きの1,200円になりました。
4階から見て行きます。写真撮影可
展示室いっぱいに四曲一双の屏風が2つ並んでいます。
《水のトンネル》1992年
《いつも水につつまれる》1992年
八幡はるみの六曲半双屏風《長月の光》1995年と、
ヤマザキマザック美術館所蔵の
ジャック・グリュベールの衝立 1900-03年
タペストリー《月》1966年
バカラのシャンデリアの下のテーブルセッティングには、
素敵なランチョンマットが
うわー!!カラフル、強烈!!
《縞模様プリント布 Jomon'97》1997年
手前《Colors》2003年
奥《Shangrila -Nami-》2008年
布に凹凸をつけてかたちづくった溝に染料を流し込んでいく
「シェイプド・ダイ」という、偶然性が強い染色工程で
染め上がった布を見て、イメージを作り、
そのイメージに向かって、意図的・作為的な
染色工程を重ねることで色彩豊かな世界を作り出しているとのこと。
ヤマザキマザック美術館所蔵のガラス作品と
八幡はるみの染色作品のコラボ
SNS映えww
(私のインスタは今、見るだけになってしまってるけど)
ドーム《草花文花器》1920-25年
ドーム《葡萄文花器》1920年頃
エミール・ガレ《藤文花器》1898-1900年
ルイ・マジョレルの藤のベッドに掛けられた
カラフルな布が素敵!
壁には9枚のパネルで構成された《HEAVEN》2011年
こちらの壁の3幅の掛軸は《Plantation》2004年
エミール・ガレ《ジャーマンアイリス文花器》1898年
(写真に写っているのは花器の背面)
エミール・ガレ《ニオイアラセイトウ文花器》1900年
(写真に写っているのは花器の背面)と、壁の作品は、
八幡はるみ《ときわ》2013年
木の象嵌で描かれた小鳥や風景がすごい
エミール・ガレ《箪笥》1900年頃 と、
ドーム《風景文ランプ》1910年頃
八幡はるみ
《ときわ -Asian Botanical Garden-No.1》左と
《ときわ -Asian Botanical Garden-No.2》右
デジタルプリントを取り入れた
《Humidity in Asia》2022年
《phytotherapy 2023》2023年
最後のコーナーは、スツールにも八幡はるみの
デジタルプリントされた布が使われていました。
展覧会のタイトルにもなっている
《GARDEN》2008-23年
パネル45枚で構成されています。
“めくるめく”ってカンジ
こちらの展示台にはプリント布に
ジャガード刺繍されたパネルが
壁に並んだ8枚のテキスタイルバナーは
《モスリンの花》2011年
カラフル!
出口近くに展示されてた《波の花・波の月》2007年
続いて5階のフランス絵画の常設展示を見ましたが、
長くなるので、次の記事で。
1階ロビーに展示されていたオーガンジーのプリント布
《Kaleidoscopic》2017年
ショップで図録購入 500円
カラフルなプリントシャツなども売られていて、
かなり心ひかれたけど、やっぱりちょっとお高くて‥‥
ヤマザキマザック美術館: https://www.mazak-art.com/
八幡はるみHP: https://www.yahataharumi.com/
会期中にはいろんなイベントもありました。(チラシ裏面)
7月9日(日)に行ってきた展覧会ですが、
ヤマザキマザック美術館
「八幡はるみ GARDEN」
とても鮮やかなチラシで、わーキレイって見たけど、
八幡はるみさんの名前も聞いたことがありませんでした。
染色かーって。
でも、ヤマザキマザック美術館は私の好きな美術館で、
企画展毎に行っているので、4月21日(金)から始まった
この展覧会、そろそろ行かなくては‥‥と。
(会期4月21日(金)~8月27日(日)
ヤマザキマザック美術館は地下鉄「新栄」駅直結なので、
猛暑でも雨でも便利です。
割引券付のチラシ持参で一般1,300円の観覧料が
100円引きの1,200円になりました。
4階から見て行きます。写真撮影可
展示室いっぱいに四曲一双の屏風が2つ並んでいます。
《水のトンネル》1992年
《いつも水につつまれる》1992年
八幡はるみの六曲半双屏風《長月の光》1995年と、
ヤマザキマザック美術館所蔵の
ジャック・グリュベールの衝立 1900-03年
タペストリー《月》1966年
バカラのシャンデリアの下のテーブルセッティングには、
素敵なランチョンマットが
うわー!!カラフル、強烈!!
《縞模様プリント布 Jomon'97》1997年
手前《Colors》2003年
奥《Shangrila -Nami-》2008年
布に凹凸をつけてかたちづくった溝に染料を流し込んでいく
「シェイプド・ダイ」という、偶然性が強い染色工程で
染め上がった布を見て、イメージを作り、
そのイメージに向かって、意図的・作為的な
染色工程を重ねることで色彩豊かな世界を作り出しているとのこと。
ヤマザキマザック美術館所蔵のガラス作品と
八幡はるみの染色作品のコラボ
SNS映えww
(私のインスタは今、見るだけになってしまってるけど)
ドーム《草花文花器》1920-25年
ドーム《葡萄文花器》1920年頃
エミール・ガレ《藤文花器》1898-1900年
ルイ・マジョレルの藤のベッドに掛けられた
カラフルな布が素敵!
壁には9枚のパネルで構成された《HEAVEN》2011年
こちらの壁の3幅の掛軸は《Plantation》2004年
エミール・ガレ《ジャーマンアイリス文花器》1898年
(写真に写っているのは花器の背面)
エミール・ガレ《ニオイアラセイトウ文花器》1900年
(写真に写っているのは花器の背面)と、壁の作品は、
八幡はるみ《ときわ》2013年
木の象嵌で描かれた小鳥や風景がすごい
エミール・ガレ《箪笥》1900年頃 と、
ドーム《風景文ランプ》1910年頃
八幡はるみ
《ときわ -Asian Botanical Garden-No.1》左と
《ときわ -Asian Botanical Garden-No.2》右
デジタルプリントを取り入れた
《Humidity in Asia》2022年
《phytotherapy 2023》2023年
最後のコーナーは、スツールにも八幡はるみの
デジタルプリントされた布が使われていました。
展覧会のタイトルにもなっている
《GARDEN》2008-23年
パネル45枚で構成されています。
“めくるめく”ってカンジ
こちらの展示台にはプリント布に
ジャガード刺繍されたパネルが
壁に並んだ8枚のテキスタイルバナーは
《モスリンの花》2011年
カラフル!
出口近くに展示されてた《波の花・波の月》2007年
続いて5階のフランス絵画の常設展示を見ましたが、
長くなるので、次の記事で。
1階ロビーに展示されていたオーガンジーのプリント布
《Kaleidoscopic》2017年
ショップで図録購入 500円
カラフルなプリントシャツなども売られていて、
かなり心ひかれたけど、やっぱりちょっとお高くて‥‥
ヤマザキマザック美術館: https://www.mazak-art.com/
八幡はるみHP: https://www.yahataharumi.com/
会期中にはいろんなイベントもありました。(チラシ裏面)
多治見市美濃焼ミュージアム「中国陶磁」展 [美術]
6月29日(木)、多治見市にある岐阜県現代陶芸美術館へ
「ハンガリー現代陶芸展」を見に行ったことは前記事に:
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-07-18
見終わって、まだ少し時間あるな‥‥って、ついでだから
近くの多治見市美濃焼ミュージアムに寄っていこうかなと。
多治見市美濃焼ミュージアムには、
岐阜県現代陶芸美術館から車で5分ほどで着きます。
看板見て、中国陶磁か‥‥って気もしたんですけど。
(私は考古学的なものにはあまり関心がない。
知識がないこともあるけど)
観覧料は一般320円 撮影可!!
ギャラリーM1 で開催されていた企画展
「中国陶磁
よみがえる山本コレクション」
平成12年(2000年)に山本正之氏から寄贈いただいた中国磁器を、約20年ぶりに展示します。417点あるる作品の中から厳選し、陶器編と磁器編の二部構成にして、2年連続で紹介していきます。今回の陶器編では、会期前期を彩陶などの土器や漢代の緑釉陶器などを、後期には唐代の三彩や墳墓の副葬品である明器を中心に展示します。(チラシ裏面より)ってことで、
前期展示 令和5年4月29日(土・祝)~6月25日(日)
後期展示 令和5年6月28日(水)~8月27日(日)
と、展示替えがあって、後期展示が始まった時でした。
最初に展示してあったこちらは全会期の展示
「山本コレクションにみる中国陶磁史10選」
知識がない私が見ても、これらなんかスゴイんじゃない? って。
その中でも最初の1点
《紅陶鬹(こうとうき)》新石器時代
鬹(き)は、柄と注ぎ口と内部が空洞の乳状袋脚を持っており、袋状の脚の下に火を起こして、中の液を温める温水器と考えられています。中国で最初に焼かれた土器は、野焼きで700~800℃の酸化焔で焼きあがった赤褐色のものと考えられています。紅陶は新石器時代の早い段階から焼成され、新石器時代の大汶口(だいもんこう)文化から龍山(りゅうざん)文化の時期に多くみられます。(キャプションの解説)
こういう三本脚の器、愛知県陶磁美術館でも
見たな‥‥って、ネット見たら、そちらは《白陶キ》で、
時代は大汶口文化となってました。
愛知県陶磁美術館のコレクションのページ:
https://www.pref.aichi.jp/touji/collection/12/collection/02.html
(愛知県陶磁美術館、改修工事のため休館中なんですね)
《五彩花鳥文方瓶 ブラックホーソン》清
五彩とは中国で上絵付された陶磁器で、高火度釉の掛かった上釉陶や白磁を素地とし、赤黄・緑などさまざまな上絵具で描いた文様を低火度で焼き付けた釉上彩のことです。五彩文様の地の色を黒で塗りつぶしたものをブラックホーソンと呼び、よく梅樹文が描かれます。ホーソンとは英語でサンザシ(バラ科の落葉性低木)のことで、西洋で梅樹文をサンザシと解釈したことからこの名がつけられました。
この10選、チラシ裏面にも載ってます。
私はこの展覧会、ついでに見て行こうって、内容も知らずに行ったので、
このチラシも後で見たんですが、展示会場にもあった
山本正之氏の写真見て、あれ? この人、
INAXライブミュージアムの世界のタイル博物館に展示されていた
タイルのコレクションを収集・研究した人だって!
INAXライブミュージアム(3)世界のタイル博物館
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2022-04-05
世界のタイル博物館のタイルコレクションもすごかったけど、
ここの美術館にもこんなすごいコレクションを寄贈されてたんだって!
《加彩獣面壺》前漢
唐代―漢代につづく中国陶磁の第二の発展期
唐三彩―豪華絢爛な唐文化を伝える中国陶磁の華
「三彩とは、低下度釉で緑、黄、青、藍などの2種類以上の色釉を器の表面に染め分けした陶磁の総称で、色釉の数はこだわりません。」とのこと。
俑―死後の世界を豊かにという願いをこめて
「明器(めいき)とは、墳墓に収められた副葬品のことで、俑は明器の一種で、人間や動物をかたどったものです。」
左《黄釉婦人像》唐 右《加彩婦人像》唐
左《灰陶楼閣》漢 右《緑釉井戸》漢
常設展示室では(写真撮影可になったんだ!)
美濃焼1300年の流れ―飛鳥時代の須恵器から美濃の現代陶芸作家まで
《灰釉陶器 広口瓶》生田1号窯 10世紀
灰釉(かいゆう)陶器は、奈良時代末から平安時代後期(8世紀後半~11世紀後半)まで猿投や東濃を中心に焼かれたやきもので、器面には草木の灰などを水に混ぜた釉薬(灰釉)がかかっています。
実家にあった懐かしい器によく似てるなって
村おこしが産んだ磁器
「根本焼」は現在の岐阜県多治見市根本町で、江戸時代末期から昭和中期の間に生産されていました。
江戸時代末期、可児郡根本村(現・多治見市根本町)は天保の飢饉などの影響により、苦しい生活を余儀なくされていました。そんな根本村の現状を憂い、当時の代官坂崎源兵衛は領地内の産業開発を進めていきます。
そうした磁器に、春日井郡外之原(とのはら 現・愛知県春日井市)出身の小助という者が、根本村に仕事を求めてやってきます。瀬戸で磁器生産の技術を習得していた小助は、源兵衛の庇護のもと染付磁器の商品化に成功し、「根本焼」の基礎を築きました。
一方で産業開発には多額の資金が必要となります。源兵衛は領民に対し、厳しい税のとりたてや諸事取締まりを行ったため、それに対する反発もありました。後にそこから発展したトラブルにより、その後の「根本焼」の隆盛をみることなく源兵衛は暗殺されてしまいます。
「根本焼」は高価な呉須を用い、手描きによる絵付けを施した染付磁器でその名が知られています。根本焼独特の呉須の色にはやわらかみがあり、料理を美しく引き立てました。そのため冠婚葬祭や年中行事で用いられたもてなしの器として、明治中期頃から大正時代にかけて最盛期を迎えました。
以前もここの美術館で素敵って見た「西浦焼」の名品
左《釉下彩紫陽花文花瓶》「西浦」銘
右《釉下彩秋海棠文花瓶》西浦焼
美濃焼は人間国宝(重要無形文化財技術保持者)6人を
輩出しています
「志野・瀬戸黒」荒川豊蔵
「色絵磁器」加藤土師萌
「白磁・青白磁」塚本快示
「三彩」加藤卓男
「瀬戸黒」加藤孝造
「志野」鈴木藏
加藤土師萌(はじめ)《色絵釉裏金彩食籠》
(ブログに感想が書けてないけど)
2018年夏に岐阜県現代陶芸美術館で開催された
「加藤土師萌展
色絵磁器を極めた人間国宝 その技とデザイン」を見に行って、
いろんな技法に挑戦した人なんだなぁと。
陶磁器だけでなく、風景や人物などのスケッチもたくさん
展示されていたのが印象に残ってます。そしてやっぱり
中国明代の色絵磁器の研究から再現させた萌黄金襴手はすごい!!
(加藤土師萌の畢生の大作が、皇居正殿竹の間に飾られた
《萌黄金襴手菊文蓋付大飾壺》さすがに展覧会には来てなかったけど)
この《色絵釉裏金彩食籠》は、白磁の上に緑地を施して焼成し、
その上に金箔を貼って焼き付け、さらにその上から低下度釉を
全面に掛けて焼成したもの。
中央の展示台は、戦時期の物資不足で、鉄などの代用品として
やきもので作られたものが展示されていました。
手榴弾と学生用ボタン、記章・校章
アイロンとガスバーナー
通路に飾られた加藤土師萌の陶板
中庭にも陶のオブジェが置かれています。
ギャラリーS1では「明治・西浦焼の世界」
会期: 2023年3月11日(土)~12月24日(日
明治時代、西浦焼は1つのブランドとして多くは欧米向けの輸出品として販売されました。(中略)
明治政府は殖産興業を推進し、万国博覧会に美術品を出品することを奨励していました。ここで日本の技術者は、アメリカのルックウッド社の製品など、当時世界をリードしていた、それまでの日本にはなかった美しいやきものを目の当たりにします。
美濃の西浦圓治(にしうらえんじ)もその中の一人です。
「西浦焼」とは土岐郡多治見町(現多治見市)を中心に、明治初期より三代から五代西浦圓治のもとで製作されたやきもののことをいいます。なかでも五代西浦圓治が明治30年代から44年にかけて製作した、釉下彩(ゆうかさい)と呼ばれる作品が広く知られています。(以下略)
(こちらもブログに感想が書けてないんですが)
2021年7月にここの企画展「西浦焼」で、
西浦焼のたくさんの作品を見て、西浦焼について知りました。
その時は、ギャラリーM1で
「―世界の巨人に挑んだ器たち―」として、
加納コレクションのルックウッドやロイヤルコペンハーゲンなどと
比較するように展示され、
ギャラリーS1では、
「―電燈所 た禰コレクションを中心に―」として、
明治時代に多治見へ電気をもたらす合資会社「多治見電燈所」加藤乙三郎(おとさぶろう)(初代)の妻・加藤た禰(ね)が、明治44年(1911年)西浦焼の工場が閉鎖されたとき地元の宝を散逸させてはならないと考えて蒐集したコレクションが展示されていました。
今回のチラシ表面に使われている《釉下彩銀杏文ポット》も
電燈所た禰コレクション 多治見市美濃焼ミュージアム蔵
左《銀彩釉下彩花図砂糖入れ》西浦焼 銘「西浦」1900年頃
右《銀彩釉下彩花図水注》西浦焼 銘「西浦」1900年頃
《釉下彩鷺図花瓶》ルックウッド(白山谷喜太郎)190年頃
ルックウッドは明治13(1880)年にM.L.ニコルズ夫人により設立され、昭和42(1967)年まで*の約90年間、アメリカ・オハイオ州南部シンシナティ市で美術陶器を製作していた製陶所です。(*2004年に再稼働している。)
ルックウッドの日本人技師 白山谷喜太郎(しらやまだに きたろう)
明治19(1886)年にニコルズ夫人に外国人技術者として雇われました。
ニコルズ夫人は白山谷について同社を代表する絵付師のひとりに挙げています。
同時代の作品もあわせて展示されていました。
富永源六(1859-1920) 佐賀県の陶芸家 佐賀県議
左《釉下彩河骨図蓋付壺》
右《釉下彩朝顔文水注》
共に、富永源六 「大日本源六製」銘 1900~1930年頃(米国からの里帰り)
川本桝吉 初代1831-1907 二代1852-1918 瀬戸の窯屋
左《釉下彩花蝶図花瓶》川本桝吉 「川本造」銘 1900~1930年頃(米国からの里帰り)
右《釉下彩鳥図花瓶》川本桝吉 二代 「瀬戸奇陶軒 川本桝吉製」銘 1900年頃(米国からの里帰り)
松風嘉定 三代1870-1928 京都の窯業家
左《釉下彩葡萄文花瓶》松風嘉定 1900~1930年頃(米国からの里帰り)
右《釉下彩家鴨図花瓶》松風嘉定 1900~1930年頃(米国からの里帰り)
次の部屋は、現代の美濃陶芸
五代 加藤幸兵衛《萌黄地金襴手魚藻文水指》
新里明士(にいさと あきお)《光器》
この人の志野、端正な雰囲気で好きだなー
酒井博司《藍色志野花器》
今年の岐阜県美術館「第11回 円空大賞展」で
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-02-05
円空賞を受賞されてましたね
中島晴美《苦闘する形態Ⅲ-1》
伊藤慶二《王の祈り》
安藤工(あんどう たくみ)《悠久》2018
青山貴秀《光彩の器》209
加藤土代久(かとう とよひさ)《鼠志野 富士山三連花器》2020
冨岡大資《始まり》2021
山口美智江《艶めいて》2022
次の小部屋は、人間国宝・荒川豊蔵の作品が展示されています。
さて、ここの美術館の楽しみ、
人間国宝など美濃を代表する作家の茶碗で抹茶がいただけます!
(実はここに寄ろうと思ったのは、このお抹茶がいただきたかったため(^▽^;)
立礼茶席で気軽にいただけます(^^)v
人間国宝のお茶碗が800円、
美濃を代表する作家のお茶碗が500円
お茶碗は月替わりで、その月のお茶碗は、
美濃焼ミュージアムのウェブサイト:
https://www.tajimi-bunka.or.jp/minoyaki_museum/
トップページのお知らせで案内されています。
私が行った6月のお茶碗は、
https://www.tajimi-bunka.or.jp/minoyaki_museum/archives/5962
私が選んだのは、
酒井博司さんの《藍色志野茶碗》
お菓子は「美濃初衣」きなこたっぷりで美味しい!
酒井博司さんの藍色志野茶碗でお抹茶をいただきます。
床の間には志野の花入れにアジサイの花
円いタイルをくっつけたような器もカワイイ
そして、太田道灌の山吹の絵が掛かっています
あとで写真を拡大して見てて気が付いたんですが、この絵、
笠原町(現・多治見市)出身の林雲鳳ですね!
名古屋市美術館に「ラファエル前派展」を見に行った時、
地下の常設展示室では「鷲見麿展」とか、
「郷土の美術」として「やまと絵」というテーマで、
明治初期から昭和初期にかけて名古屋で活躍した
森村宜稲と彼に学んだ画家の絵を展示されてた中に
林雲鳳の絵があって、素敵だなって見ました。
名古屋市美術館「鷲見麿展」と常設展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2015-10-18
ここ、見に来ても感想が書けてないことも多いんです(^^;>が、
多治見市美濃焼ミュージアムの過去記事:
多治見市美濃焼ミュージアム「幻のナカヤマ」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2017-08-27
多治見市美濃焼ミュージアム「中田英寿、現代陶芸と出会う。」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2013-03-22
「ハンガリー現代陶芸展」を見に行ったことは前記事に:
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-07-18
見終わって、まだ少し時間あるな‥‥って、ついでだから
近くの多治見市美濃焼ミュージアムに寄っていこうかなと。
多治見市美濃焼ミュージアムには、
岐阜県現代陶芸美術館から車で5分ほどで着きます。
看板見て、中国陶磁か‥‥って気もしたんですけど。
(私は考古学的なものにはあまり関心がない。
知識がないこともあるけど)
観覧料は一般320円 撮影可!!
ギャラリーM1 で開催されていた企画展
「中国陶磁
よみがえる山本コレクション」
平成12年(2000年)に山本正之氏から寄贈いただいた中国磁器を、約20年ぶりに展示します。417点あるる作品の中から厳選し、陶器編と磁器編の二部構成にして、2年連続で紹介していきます。今回の陶器編では、会期前期を彩陶などの土器や漢代の緑釉陶器などを、後期には唐代の三彩や墳墓の副葬品である明器を中心に展示します。(チラシ裏面より)ってことで、
前期展示 令和5年4月29日(土・祝)~6月25日(日)
後期展示 令和5年6月28日(水)~8月27日(日)
と、展示替えがあって、後期展示が始まった時でした。
最初に展示してあったこちらは全会期の展示
「山本コレクションにみる中国陶磁史10選」
知識がない私が見ても、これらなんかスゴイんじゃない? って。
その中でも最初の1点
《紅陶鬹(こうとうき)》新石器時代
鬹(き)は、柄と注ぎ口と内部が空洞の乳状袋脚を持っており、袋状の脚の下に火を起こして、中の液を温める温水器と考えられています。中国で最初に焼かれた土器は、野焼きで700~800℃の酸化焔で焼きあがった赤褐色のものと考えられています。紅陶は新石器時代の早い段階から焼成され、新石器時代の大汶口(だいもんこう)文化から龍山(りゅうざん)文化の時期に多くみられます。(キャプションの解説)
こういう三本脚の器、愛知県陶磁美術館でも
見たな‥‥って、ネット見たら、そちらは《白陶キ》で、
時代は大汶口文化となってました。
愛知県陶磁美術館のコレクションのページ:
https://www.pref.aichi.jp/touji/collection/12/collection/02.html
(愛知県陶磁美術館、改修工事のため休館中なんですね)
《五彩花鳥文方瓶 ブラックホーソン》清
五彩とは中国で上絵付された陶磁器で、高火度釉の掛かった上釉陶や白磁を素地とし、赤黄・緑などさまざまな上絵具で描いた文様を低火度で焼き付けた釉上彩のことです。五彩文様の地の色を黒で塗りつぶしたものをブラックホーソンと呼び、よく梅樹文が描かれます。ホーソンとは英語でサンザシ(バラ科の落葉性低木)のことで、西洋で梅樹文をサンザシと解釈したことからこの名がつけられました。
この10選、チラシ裏面にも載ってます。
私はこの展覧会、ついでに見て行こうって、内容も知らずに行ったので、
このチラシも後で見たんですが、展示会場にもあった
山本正之氏の写真見て、あれ? この人、
INAXライブミュージアムの世界のタイル博物館に展示されていた
タイルのコレクションを収集・研究した人だって!
INAXライブミュージアム(3)世界のタイル博物館
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2022-04-05
世界のタイル博物館のタイルコレクションもすごかったけど、
ここの美術館にもこんなすごいコレクションを寄贈されてたんだって!
《加彩獣面壺》前漢
唐代―漢代につづく中国陶磁の第二の発展期
唐三彩―豪華絢爛な唐文化を伝える中国陶磁の華
「三彩とは、低下度釉で緑、黄、青、藍などの2種類以上の色釉を器の表面に染め分けした陶磁の総称で、色釉の数はこだわりません。」とのこと。
俑―死後の世界を豊かにという願いをこめて
「明器(めいき)とは、墳墓に収められた副葬品のことで、俑は明器の一種で、人間や動物をかたどったものです。」
左《黄釉婦人像》唐 右《加彩婦人像》唐
左《灰陶楼閣》漢 右《緑釉井戸》漢
常設展示室では(写真撮影可になったんだ!)
美濃焼1300年の流れ―飛鳥時代の須恵器から美濃の現代陶芸作家まで
《灰釉陶器 広口瓶》生田1号窯 10世紀
灰釉(かいゆう)陶器は、奈良時代末から平安時代後期(8世紀後半~11世紀後半)まで猿投や東濃を中心に焼かれたやきもので、器面には草木の灰などを水に混ぜた釉薬(灰釉)がかかっています。
実家にあった懐かしい器によく似てるなって
村おこしが産んだ磁器
「根本焼」は現在の岐阜県多治見市根本町で、江戸時代末期から昭和中期の間に生産されていました。
江戸時代末期、可児郡根本村(現・多治見市根本町)は天保の飢饉などの影響により、苦しい生活を余儀なくされていました。そんな根本村の現状を憂い、当時の代官坂崎源兵衛は領地内の産業開発を進めていきます。
そうした磁器に、春日井郡外之原(とのはら 現・愛知県春日井市)出身の小助という者が、根本村に仕事を求めてやってきます。瀬戸で磁器生産の技術を習得していた小助は、源兵衛の庇護のもと染付磁器の商品化に成功し、「根本焼」の基礎を築きました。
一方で産業開発には多額の資金が必要となります。源兵衛は領民に対し、厳しい税のとりたてや諸事取締まりを行ったため、それに対する反発もありました。後にそこから発展したトラブルにより、その後の「根本焼」の隆盛をみることなく源兵衛は暗殺されてしまいます。
「根本焼」は高価な呉須を用い、手描きによる絵付けを施した染付磁器でその名が知られています。根本焼独特の呉須の色にはやわらかみがあり、料理を美しく引き立てました。そのため冠婚葬祭や年中行事で用いられたもてなしの器として、明治中期頃から大正時代にかけて最盛期を迎えました。
以前もここの美術館で素敵って見た「西浦焼」の名品
左《釉下彩紫陽花文花瓶》「西浦」銘
右《釉下彩秋海棠文花瓶》西浦焼
美濃焼は人間国宝(重要無形文化財技術保持者)6人を
輩出しています
「志野・瀬戸黒」荒川豊蔵
「色絵磁器」加藤土師萌
「白磁・青白磁」塚本快示
「三彩」加藤卓男
「瀬戸黒」加藤孝造
「志野」鈴木藏
加藤土師萌(はじめ)《色絵釉裏金彩食籠》
(ブログに感想が書けてないけど)
2018年夏に岐阜県現代陶芸美術館で開催された
「加藤土師萌展
色絵磁器を極めた人間国宝 その技とデザイン」を見に行って、
いろんな技法に挑戦した人なんだなぁと。
陶磁器だけでなく、風景や人物などのスケッチもたくさん
展示されていたのが印象に残ってます。そしてやっぱり
中国明代の色絵磁器の研究から再現させた萌黄金襴手はすごい!!
(加藤土師萌の畢生の大作が、皇居正殿竹の間に飾られた
《萌黄金襴手菊文蓋付大飾壺》さすがに展覧会には来てなかったけど)
この《色絵釉裏金彩食籠》は、白磁の上に緑地を施して焼成し、
その上に金箔を貼って焼き付け、さらにその上から低下度釉を
全面に掛けて焼成したもの。
中央の展示台は、戦時期の物資不足で、鉄などの代用品として
やきもので作られたものが展示されていました。
手榴弾と学生用ボタン、記章・校章
アイロンとガスバーナー
通路に飾られた加藤土師萌の陶板
中庭にも陶のオブジェが置かれています。
ギャラリーS1では「明治・西浦焼の世界」
会期: 2023年3月11日(土)~12月24日(日
明治時代、西浦焼は1つのブランドとして多くは欧米向けの輸出品として販売されました。(中略)
明治政府は殖産興業を推進し、万国博覧会に美術品を出品することを奨励していました。ここで日本の技術者は、アメリカのルックウッド社の製品など、当時世界をリードしていた、それまでの日本にはなかった美しいやきものを目の当たりにします。
美濃の西浦圓治(にしうらえんじ)もその中の一人です。
「西浦焼」とは土岐郡多治見町(現多治見市)を中心に、明治初期より三代から五代西浦圓治のもとで製作されたやきもののことをいいます。なかでも五代西浦圓治が明治30年代から44年にかけて製作した、釉下彩(ゆうかさい)と呼ばれる作品が広く知られています。(以下略)
(こちらもブログに感想が書けてないんですが)
2021年7月にここの企画展「西浦焼」で、
西浦焼のたくさんの作品を見て、西浦焼について知りました。
その時は、ギャラリーM1で
「―世界の巨人に挑んだ器たち―」として、
加納コレクションのルックウッドやロイヤルコペンハーゲンなどと
比較するように展示され、
ギャラリーS1では、
「―電燈所 た禰コレクションを中心に―」として、
明治時代に多治見へ電気をもたらす合資会社「多治見電燈所」加藤乙三郎(おとさぶろう)(初代)の妻・加藤た禰(ね)が、明治44年(1911年)西浦焼の工場が閉鎖されたとき地元の宝を散逸させてはならないと考えて蒐集したコレクションが展示されていました。
今回のチラシ表面に使われている《釉下彩銀杏文ポット》も
電燈所た禰コレクション 多治見市美濃焼ミュージアム蔵
左《銀彩釉下彩花図砂糖入れ》西浦焼 銘「西浦」1900年頃
右《銀彩釉下彩花図水注》西浦焼 銘「西浦」1900年頃
《釉下彩鷺図花瓶》ルックウッド(白山谷喜太郎)190年頃
ルックウッドは明治13(1880)年にM.L.ニコルズ夫人により設立され、昭和42(1967)年まで*の約90年間、アメリカ・オハイオ州南部シンシナティ市で美術陶器を製作していた製陶所です。(*2004年に再稼働している。)
ルックウッドの日本人技師 白山谷喜太郎(しらやまだに きたろう)
明治19(1886)年にニコルズ夫人に外国人技術者として雇われました。
ニコルズ夫人は白山谷について同社を代表する絵付師のひとりに挙げています。
同時代の作品もあわせて展示されていました。
富永源六(1859-1920) 佐賀県の陶芸家 佐賀県議
左《釉下彩河骨図蓋付壺》
右《釉下彩朝顔文水注》
共に、富永源六 「大日本源六製」銘 1900~1930年頃(米国からの里帰り)
川本桝吉 初代1831-1907 二代1852-1918 瀬戸の窯屋
左《釉下彩花蝶図花瓶》川本桝吉 「川本造」銘 1900~1930年頃(米国からの里帰り)
右《釉下彩鳥図花瓶》川本桝吉 二代 「瀬戸奇陶軒 川本桝吉製」銘 1900年頃(米国からの里帰り)
松風嘉定 三代1870-1928 京都の窯業家
左《釉下彩葡萄文花瓶》松風嘉定 1900~1930年頃(米国からの里帰り)
右《釉下彩家鴨図花瓶》松風嘉定 1900~1930年頃(米国からの里帰り)
次の部屋は、現代の美濃陶芸
五代 加藤幸兵衛《萌黄地金襴手魚藻文水指》
新里明士(にいさと あきお)《光器》
この人の志野、端正な雰囲気で好きだなー
酒井博司《藍色志野花器》
今年の岐阜県美術館「第11回 円空大賞展」で
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-02-05
円空賞を受賞されてましたね
中島晴美《苦闘する形態Ⅲ-1》
伊藤慶二《王の祈り》
安藤工(あんどう たくみ)《悠久》2018
青山貴秀《光彩の器》209
加藤土代久(かとう とよひさ)《鼠志野 富士山三連花器》2020
冨岡大資《始まり》2021
山口美智江《艶めいて》2022
次の小部屋は、人間国宝・荒川豊蔵の作品が展示されています。
さて、ここの美術館の楽しみ、
人間国宝など美濃を代表する作家の茶碗で抹茶がいただけます!
(実はここに寄ろうと思ったのは、このお抹茶がいただきたかったため(^▽^;)
立礼茶席で気軽にいただけます(^^)v
人間国宝のお茶碗が800円、
美濃を代表する作家のお茶碗が500円
お茶碗は月替わりで、その月のお茶碗は、
美濃焼ミュージアムのウェブサイト:
https://www.tajimi-bunka.or.jp/minoyaki_museum/
トップページのお知らせで案内されています。
私が行った6月のお茶碗は、
https://www.tajimi-bunka.or.jp/minoyaki_museum/archives/5962
私が選んだのは、
酒井博司さんの《藍色志野茶碗》
お菓子は「美濃初衣」きなこたっぷりで美味しい!
酒井博司さんの藍色志野茶碗でお抹茶をいただきます。
床の間には志野の花入れにアジサイの花
円いタイルをくっつけたような器もカワイイ
そして、太田道灌の山吹の絵が掛かっています
あとで写真を拡大して見てて気が付いたんですが、この絵、
笠原町(現・多治見市)出身の林雲鳳ですね!
名古屋市美術館に「ラファエル前派展」を見に行った時、
地下の常設展示室では「鷲見麿展」とか、
「郷土の美術」として「やまと絵」というテーマで、
明治初期から昭和初期にかけて名古屋で活躍した
森村宜稲と彼に学んだ画家の絵を展示されてた中に
林雲鳳の絵があって、素敵だなって見ました。
名古屋市美術館「鷲見麿展」と常設展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2015-10-18
ここ、見に来ても感想が書けてないことも多いんです(^^;>が、
多治見市美濃焼ミュージアムの過去記事:
多治見市美濃焼ミュージアム「幻のナカヤマ」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2017-08-27
多治見市美濃焼ミュージアム「中田英寿、現代陶芸と出会う。」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2013-03-22
岐阜県現代陶芸美術館「ハンガリー現代陶芸展」 [美術]
6月29日(木)、岐阜県現代陶芸美術館へ行きました。
「やきものにうたう:
ハンガリー現代陶芸展」が開催されています。
私は岐阜県美術館の後援会員になっているので、
岐阜県現代陶芸美術館の展覧会も1回ずつ無料で観覧できるんです。
(年会費3,000円はなんておトクなんでしょう!)
なので、この展覧会も行くつもりではいたんですが、
[会期: 4月22日(土)~7月2日(日)]
始まった頃はゴールデンウイークで忙しかったり、
他の展覧会に行ったり‥‥
まぁちょっと、ハンガリーの陶芸ねぇ‥‥なんて思ってたこともある。
ハンガリーの陶芸作家も全く知らなかったし。
南北に流れる大河ドナウと大平原ー豊かな自然に育まれた中欧の国、ハンガリーでは、複雑な歴史をたどったその社会に呼応するようにして、独自の陶芸文化が形成されてきました。現在では、ヨーロッパ随一の陶芸に特化したレジデンス施設(ケチケメート国際陶芸スタジオ)を擁するなど、陶芸文化の活発な地域としても知られます。
(チラシ裏面より) だそうですが。
6月11日の日曜美術館アートシーンで取り上げられてるの見て、
あっ、もう行かなくちゃって思ったら、
息子に車を使われたりと(ここは車がないととても不便!)
なんとかパート休みで車が使えたこの日に行くことができました。
ここはセラミックパークMINOのイベントがない時などは、
とても空いていて、いい展覧会やってるのにもったいないなーって思うんですけど。
岐阜県美術館の後援会員証を提示してチケットをもらいます。
(ちゃんと?チケットを買うと一般1,000円)
展示会場のギャラリーⅠへ入ると、まず
Ⅰ 巨匠たち(ハンガリー芸術アカデミー)
最初に展示されていた
シュランメル・イムレ《トリアノンのピエタ》1988
すごく良かった!
土の荒々しい造形がすごいパワーを感じさせて!
(この作品、チラシ裏面にも載ってるけど、
図録の写真でも、この迫力は伝わってこないなぁ‥‥)
シュランメル・イムレ(1933- )は、ハンガリー国内のみならず
世界の陶芸シーンでも大きな影響力を持つ芸術家で教育者で、
ハンガリー芸術アカデミー正会員とのこと。
次に展示されていた
ネーメト・ヤーノシュ《パーン》1965 も良かったし、
《エウロペの誘拐》1971 も、
なんか笑っちゃうようなおおらかなユーモアがとても気に入りました。
アムブルシュ・エーヴァ《穀倉Ⅱ》2010 や、《盛りを過ぎてⅡ》2010
もいい! このコーナー「巨匠たち」ってついてるだけあってすごく良かった。
Ⅱ ヘレンド・スタジオ
ハンガリーのファインセラミックス産業を統括していたトラストが解散した後、1985年に設立されたヘレンド・スタジオの活動を紹介する。ヘレンド磁器工房内に設けられたヘレンド・スタジオでは、ホルヴァート・ラースロー、タカーチ・ゾルターン、タマーシュ・アーコシュという三人のデザイナーが、ヘレンド伝統の型やモチーフにとらわれず、自由に制作を行なうことが許された。この三人の作家に共通するのは、東アジアの文化に着想を得た一点物あるいは少量生産の作品であろう。(図録より)
あ、名窯ヘレンドはハンガリーだったのね、ってくらいの知識で(^^;
タカーチ・ゾルターン《夏の静物(家族)》2002
白くて薄い磁器の不思議な形がいいな
Ⅲ テッラ・グループ
1991年から1992年にかけて結成された「テッラ・グループ」は、彫刻や純粋芸術を目指して土を直接成形する陶芸家たちからなっていた。
チラシ表面にも使われていて、とても印象的な
フス・ジェルジ《うなずく人Ⅱ》1981
アートシーンで、まだ社会主義の時代に作られた作品で、
(ハンガリーの民主化は1989年)
社会の窮屈さや人々の苦しみが表現されているって解説されてました。
遠くからでも見通せる展示室の壁にあった大きな作品
フェケテ・ラースロー《ローマ時代後期の浴場の水飲み場》1993
ローマ時代後期ってカンジ?のなんかデカダンな雰囲気だけど、
コカ・コーラのマークがついてたり(^▽^)
細かな花の模様とか、面白いなぁ! すごくいい!!
最初の《トリアノンのピエタ》の作者、
シュランメル・イムレの《爆発シリーズから》1986
土に爆薬を仕掛けて爆発させたって陶器や、
ざらざらした質感の《トルソ》1999 があるかと思うと、
ツルツルした磁器の彫像《ペスト医師(ヘレンド磁器工房のための彫像)》1999
もこの人って知って、ちょっと驚きました。
Ⅳ デフォルマ・グループ
工芸としての陶芸というジャンルの刷新を目指す陶芸家たちによって1993年に創設された。メンバーは、手仕事で、陶芸素材の中でも最も価値のある磁器素材のみを用いて制作している。
ベネデク・オルガ《段々のティーポット》1997
形も面白いし、装飾的なところ、金の使い方、
このあたりに展示されていた作品の、
なんかデカダンな雰囲気? 私好み♡
これすごく気に入った作品!
ユニークで不思議な形で、ちょっとユーモアも‥‥
妖精たちが踊っているみたい?
カーダシ・エーヴァ《草文コーヒーセット》1997
Ⅴ 新しい世代
ハベル・シルヴィア《折紙》2006-2007
日本の折り紙がモチーフ?
ネーマ・ユリア《ユニヴェルセット》2011
大量生産されるシンプルでモダンな食器を、
伝統的な薪窯で焼いたもので、
白く均一な器になる代わりに、
多種多様な炎の文様や形の歪みが表れています。
コントル・エニケー《通り風 吐息シリーズから》2019
Ⅵ 小さな芸術
左 ポトシュ・バラージュ《ブローチと指輪》2020
右 シュテー・エリカ《ペンダント ヴィルカラ》2013
あっこれ笑っちゃうくらいカワイイ!!
レヴァーク・カタリン《物語箱 ヘレンドVHパターン(秤)を使って》2015
Ⅶ 新進気鋭―新しい声
映像作品が展示されていて、
ナジ=ジェルジ・アーグネシュ《時の風景》2020
ランドアート・プロジェクトとのこと。
左はその作品《時の風景Nr.5.》2020
展示としてはⅦの前にありましたが、
Ⅷ 日本へのオマージュ
ここセラミックパークMINOをメインに開催される
国際陶磁器フェスティバル美濃の陶磁器コンペティションに
ハンガリーからの応募も多いとのこと。
湯呑や茶托もあったけど、
日本で陶芸活動をされている
フス・アーグネスさんの作品が展示されていました。
フス・アーグネス《書》2020
着物の帯がモチーフになっているのだとか。
来て良かったです。もうあきらめようかなんて
ちょっと頭をよぎったんですけど。
ここ岐阜県現代陶芸美術館だけの開催だなんて
もったいないなぁ。
図録購入 2,500円(税込)
背表紙がない糸綴じの本で、
ここだけの図録だから、製本代を節約したのかなー
なんて思ったんですが、これ、すごく開きやすいですね!
写真撮る時、押さえてなくても本が閉じません(^^)v
ギャラリーⅡのA室では、
「豊場惺也展−うつわを愉しむ」
(写真撮影可)
豊場惺也氏、荒川豊蔵の内弟子だったんですね。
1974年可児市大萱窯下に穴窯を築窯して独立。
1974年の初窯で焼いた瀬戸黒茶垸
豊蔵が「波つ可満(はつかま 初窯)」と文字を入れてくれた
ものをはじめとして、
(この展覧会、瀬戸黒「茶碗」でなく、「茶垸」と
キャプションや出品リストにありました。
どちらも「ちゃわん」でいいみたい)
様々な茶陶と食器が展示されていました。
荒川豊蔵の書「山居」と
豊場惺也の茶道具 水指の蓋や茶杓も作られているみたい
私では抹茶茶碗の良さとかイマイチわからないんですけど、
この花生、面白いなって見たら、解説で、
焼成中に割れた破片を拾い集めて形が揃ったのを
後に直しに出して使ったとのこと。
隣の瀬戸黒茶垸は、登り窯から引き出す時に落としたものを、
翌年に見つけた置き冷ましの茶碗で、豊場さんはこれを
手入れして普段に使ったとのこと。
階段を上がったB室では「コレクション・ハイライト」
岐阜県現代陶芸美術館では、量産を前提にデザインされた製品の
コレクションも行っているとのことで、
マイセン(ドイツ)《植物文デジュネ「サクソニア」》1904-1920年
アール・ヌーヴォー(ドイツではユーゲントシュティルという)特有の
美しい曲線 「デジュネ」は、二人用の朝食セットのこと。
セーヴル(フランス)《人物図花瓶(一対)》1908年
ロイヤル・ドルトン(イギリス)《植物図コーヒーサーヴィス》1932年
アール・デコのデフォルメされた樹木の図がカワイイ
ウェッジウッド(イギリス)《線文コーヒーサーヴィス》1938年
プラチナ銀の線文様は、手描きで施されているそう。
中央の展示ケースでは、洋食器の「バックスタンプ」についての
解説がありました。制作年代をおおよそ特定できたり、
意匠の番号や絵付け職人のサインなども記されていると。
ロイヤルコペンハーゲン(デンマーク)《花文カップ&ソーサー》1902-1922年
続くC、D室は撮影不可。新しく収蔵された
藪明山や、十三代三輪休雪の作品が展示されていました。
私がいいなって見てた酒井博司さんの《藍色志野花器》が
新しくコレクションに加わったんですね!
岐阜県現代陶芸美術館: https://www.cpm-gifu.jp/museum/
「やきものにうたう:
ハンガリー現代陶芸展」が開催されています。
私は岐阜県美術館の後援会員になっているので、
岐阜県現代陶芸美術館の展覧会も1回ずつ無料で観覧できるんです。
(年会費3,000円はなんておトクなんでしょう!)
なので、この展覧会も行くつもりではいたんですが、
[会期: 4月22日(土)~7月2日(日)]
始まった頃はゴールデンウイークで忙しかったり、
他の展覧会に行ったり‥‥
まぁちょっと、ハンガリーの陶芸ねぇ‥‥なんて思ってたこともある。
ハンガリーの陶芸作家も全く知らなかったし。
南北に流れる大河ドナウと大平原ー豊かな自然に育まれた中欧の国、ハンガリーでは、複雑な歴史をたどったその社会に呼応するようにして、独自の陶芸文化が形成されてきました。現在では、ヨーロッパ随一の陶芸に特化したレジデンス施設(ケチケメート国際陶芸スタジオ)を擁するなど、陶芸文化の活発な地域としても知られます。
(チラシ裏面より) だそうですが。
6月11日の日曜美術館アートシーンで取り上げられてるの見て、
あっ、もう行かなくちゃって思ったら、
息子に車を使われたりと(ここは車がないととても不便!)
なんとかパート休みで車が使えたこの日に行くことができました。
ここはセラミックパークMINOのイベントがない時などは、
とても空いていて、いい展覧会やってるのにもったいないなーって思うんですけど。
岐阜県美術館の後援会員証を提示してチケットをもらいます。
(ちゃんと?チケットを買うと一般1,000円)
展示会場のギャラリーⅠへ入ると、まず
Ⅰ 巨匠たち(ハンガリー芸術アカデミー)
最初に展示されていた
シュランメル・イムレ《トリアノンのピエタ》1988
すごく良かった!
土の荒々しい造形がすごいパワーを感じさせて!
(この作品、チラシ裏面にも載ってるけど、
図録の写真でも、この迫力は伝わってこないなぁ‥‥)
シュランメル・イムレ(1933- )は、ハンガリー国内のみならず
世界の陶芸シーンでも大きな影響力を持つ芸術家で教育者で、
ハンガリー芸術アカデミー正会員とのこと。
次に展示されていた
ネーメト・ヤーノシュ《パーン》1965 も良かったし、
《エウロペの誘拐》1971 も、
なんか笑っちゃうようなおおらかなユーモアがとても気に入りました。
アムブルシュ・エーヴァ《穀倉Ⅱ》2010 や、《盛りを過ぎてⅡ》2010
もいい! このコーナー「巨匠たち」ってついてるだけあってすごく良かった。
Ⅱ ヘレンド・スタジオ
ハンガリーのファインセラミックス産業を統括していたトラストが解散した後、1985年に設立されたヘレンド・スタジオの活動を紹介する。ヘレンド磁器工房内に設けられたヘレンド・スタジオでは、ホルヴァート・ラースロー、タカーチ・ゾルターン、タマーシュ・アーコシュという三人のデザイナーが、ヘレンド伝統の型やモチーフにとらわれず、自由に制作を行なうことが許された。この三人の作家に共通するのは、東アジアの文化に着想を得た一点物あるいは少量生産の作品であろう。(図録より)
あ、名窯ヘレンドはハンガリーだったのね、ってくらいの知識で(^^;
タカーチ・ゾルターン《夏の静物(家族)》2002
白くて薄い磁器の不思議な形がいいな
Ⅲ テッラ・グループ
1991年から1992年にかけて結成された「テッラ・グループ」は、彫刻や純粋芸術を目指して土を直接成形する陶芸家たちからなっていた。
チラシ表面にも使われていて、とても印象的な
フス・ジェルジ《うなずく人Ⅱ》1981
アートシーンで、まだ社会主義の時代に作られた作品で、
(ハンガリーの民主化は1989年)
社会の窮屈さや人々の苦しみが表現されているって解説されてました。
遠くからでも見通せる展示室の壁にあった大きな作品
フェケテ・ラースロー《ローマ時代後期の浴場の水飲み場》1993
ローマ時代後期ってカンジ?のなんかデカダンな雰囲気だけど、
コカ・コーラのマークがついてたり(^▽^)
細かな花の模様とか、面白いなぁ! すごくいい!!
最初の《トリアノンのピエタ》の作者、
シュランメル・イムレの《爆発シリーズから》1986
土に爆薬を仕掛けて爆発させたって陶器や、
ざらざらした質感の《トルソ》1999 があるかと思うと、
ツルツルした磁器の彫像《ペスト医師(ヘレンド磁器工房のための彫像)》1999
もこの人って知って、ちょっと驚きました。
Ⅳ デフォルマ・グループ
工芸としての陶芸というジャンルの刷新を目指す陶芸家たちによって1993年に創設された。メンバーは、手仕事で、陶芸素材の中でも最も価値のある磁器素材のみを用いて制作している。
ベネデク・オルガ《段々のティーポット》1997
形も面白いし、装飾的なところ、金の使い方、
このあたりに展示されていた作品の、
なんかデカダンな雰囲気? 私好み♡
これすごく気に入った作品!
ユニークで不思議な形で、ちょっとユーモアも‥‥
妖精たちが踊っているみたい?
カーダシ・エーヴァ《草文コーヒーセット》1997
Ⅴ 新しい世代
ハベル・シルヴィア《折紙》2006-2007
日本の折り紙がモチーフ?
ネーマ・ユリア《ユニヴェルセット》2011
大量生産されるシンプルでモダンな食器を、
伝統的な薪窯で焼いたもので、
白く均一な器になる代わりに、
多種多様な炎の文様や形の歪みが表れています。
コントル・エニケー《通り風 吐息シリーズから》2019
Ⅵ 小さな芸術
左 ポトシュ・バラージュ《ブローチと指輪》2020
右 シュテー・エリカ《ペンダント ヴィルカラ》2013
あっこれ笑っちゃうくらいカワイイ!!
レヴァーク・カタリン《物語箱 ヘレンドVHパターン(秤)を使って》2015
Ⅶ 新進気鋭―新しい声
映像作品が展示されていて、
ナジ=ジェルジ・アーグネシュ《時の風景》2020
ランドアート・プロジェクトとのこと。
左はその作品《時の風景Nr.5.》2020
展示としてはⅦの前にありましたが、
Ⅷ 日本へのオマージュ
ここセラミックパークMINOをメインに開催される
国際陶磁器フェスティバル美濃の陶磁器コンペティションに
ハンガリーからの応募も多いとのこと。
湯呑や茶托もあったけど、
日本で陶芸活動をされている
フス・アーグネスさんの作品が展示されていました。
フス・アーグネス《書》2020
着物の帯がモチーフになっているのだとか。
来て良かったです。もうあきらめようかなんて
ちょっと頭をよぎったんですけど。
ここ岐阜県現代陶芸美術館だけの開催だなんて
もったいないなぁ。
図録購入 2,500円(税込)
背表紙がない糸綴じの本で、
ここだけの図録だから、製本代を節約したのかなー
なんて思ったんですが、これ、すごく開きやすいですね!
写真撮る時、押さえてなくても本が閉じません(^^)v
ギャラリーⅡのA室では、
「豊場惺也展−うつわを愉しむ」
(写真撮影可)
豊場惺也氏、荒川豊蔵の内弟子だったんですね。
1974年可児市大萱窯下に穴窯を築窯して独立。
1974年の初窯で焼いた瀬戸黒茶垸
豊蔵が「波つ可満(はつかま 初窯)」と文字を入れてくれた
ものをはじめとして、
(この展覧会、瀬戸黒「茶碗」でなく、「茶垸」と
キャプションや出品リストにありました。
どちらも「ちゃわん」でいいみたい)
様々な茶陶と食器が展示されていました。
荒川豊蔵の書「山居」と
豊場惺也の茶道具 水指の蓋や茶杓も作られているみたい
私では抹茶茶碗の良さとかイマイチわからないんですけど、
この花生、面白いなって見たら、解説で、
焼成中に割れた破片を拾い集めて形が揃ったのを
後に直しに出して使ったとのこと。
隣の瀬戸黒茶垸は、登り窯から引き出す時に落としたものを、
翌年に見つけた置き冷ましの茶碗で、豊場さんはこれを
手入れして普段に使ったとのこと。
階段を上がったB室では「コレクション・ハイライト」
岐阜県現代陶芸美術館では、量産を前提にデザインされた製品の
コレクションも行っているとのことで、
マイセン(ドイツ)《植物文デジュネ「サクソニア」》1904-1920年
アール・ヌーヴォー(ドイツではユーゲントシュティルという)特有の
美しい曲線 「デジュネ」は、二人用の朝食セットのこと。
セーヴル(フランス)《人物図花瓶(一対)》1908年
ロイヤル・ドルトン(イギリス)《植物図コーヒーサーヴィス》1932年
アール・デコのデフォルメされた樹木の図がカワイイ
ウェッジウッド(イギリス)《線文コーヒーサーヴィス》1938年
プラチナ銀の線文様は、手描きで施されているそう。
中央の展示ケースでは、洋食器の「バックスタンプ」についての
解説がありました。制作年代をおおよそ特定できたり、
意匠の番号や絵付け職人のサインなども記されていると。
ロイヤルコペンハーゲン(デンマーク)《花文カップ&ソーサー》1902-1922年
続くC、D室は撮影不可。新しく収蔵された
藪明山や、十三代三輪休雪の作品が展示されていました。
私がいいなって見てた酒井博司さんの《藍色志野花器》が
新しくコレクションに加わったんですね!
岐阜県現代陶芸美術館: https://www.cpm-gifu.jp/museum/
一宮市尾西歴史民俗資料館「新緑のおもてなし」 [美術]
6月18日(日)、一宮市尾西歴史民俗資料館に行きました。
別館の旧林家住宅にて、「新緑のおもてなし」という
イベントが開催されていることを、[期間:6月10日(土)~25日(日)]
ツイッターで知ったんです。
一宮市尾西歴史民俗資料館には、昨年2022年9月11日(日)
「あいち2022」の会場の1つかと思って、初めて行ったんですね。
「木曽川アートトライアングル」一宮市尾西歴史民俗資料館・旧林家住宅
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2022-10-09
そこは「あいち2022」の会場ではなかったんですが、
関連の「木曽川アートトライアングル」という
イベントをやっていて、それが、
国登録有形文化財にも指定されている旧林家住宅の
風格ある建物や庭と相まってとても良かったんです。
なので、ちょっと行ってみようかって。
今回展示されているのは、
ふくながめぐみ「布の記憶」
人の記憶を布に纏わせ
いのちを描く
いのちの水は空からおちて
川となり 龍の姿になって
空へと昇っていく
尾西歴史民俗資料館_新緑のおもてなし リーフレット より
https://www.city.ichinomiya.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/033/040/rihuretto.pdf
出入口横の部屋、帳場に置かれていた作品
アルコールに浸けられた花の
はかなげな風情がとても素敵!
上がった奥の正面(仏間)には、
アルコールに浸けられて白くなった彼岸花
座敷には風にゆれる薄い布が
桜の花弁が散らされているみたい
あ、上の欄間の障子を破って顔を出している猫は、
去年来た時にも展示されていたワイヤーアートの
水谷一子さんの作品ですね!
床の間には、映像作品と、掛軸のように掛けられた白い帯
白い帯に日本画絵具で描かれた線
天へ昇る龍をイメージされているのかな?
美濃路に面した「みせ」と「みせ座敷」
作品は置いてなかったですが、
格子と照明器具のちょっとレトロなデザイン素敵です。
北の間
離れ(裏座敷)
裏座敷 次の間
襖の絵と相まっていいですね。
絹糸に脱色した菊の葉《菊葉の雨》
欄間は菊の透かし彫りがされてるんだ!
裏座敷には、和紙でできた花が散らされていました。
ハスの花? 睡蓮?
床の間の掛軸は、
「蜘蛛の巣がき」
起宿本陣を務めていた加藤磯足(いそたり 1747-1809)が、
虫になぞらえて六十四首の和歌を蜘蛛の巣様に書いたもの。
磯足は国学者本居宣長に国学と和歌を学んだ人物で、
母親は脇本陣林家四代目の林定通の娘(てる)。
苔の美しい庭園が眺められます。
まさに「新緑のおもてなし」
手水鉢にも和紙の花が
主屋の座敷側の手水鉢には、和紙の花が沈められていました
茶の間側にはイベントの資料など
赤い弁柄漆喰壁と、レトロな白いタイルの流し
庭側の門
主屋を望む
離れ(裏座敷)を望む
石橋を渡ってお庭を巡ります
腰掛待合への敷石
あ、竹林にも作品が置かれている!
風格ある旧林家住宅と新緑の美しい庭園に、
ふくながめぐみさんの現代美術作品
静かで美しい世界を堪能させてもらいました。
とてもよかったです。
一宮市尾西歴史民俗資料館:
https://www.city.ichinomiya.aichi.jp/rekimin/
尾西歴史民俗資料館_新緑のおもてなし リーフレット:
https://www.city.ichinomiya.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/033/040/rihuretto.pdf
ふくながめぐみInstagram: https://www.instagram.com/fukunaga_megumi/
こちらのツイートで知りました。(スレッドあり)
別館の旧林家住宅にて、「新緑のおもてなし」という
イベントが開催されていることを、[期間:6月10日(土)~25日(日)]
ツイッターで知ったんです。
一宮市尾西歴史民俗資料館には、昨年2022年9月11日(日)
「あいち2022」の会場の1つかと思って、初めて行ったんですね。
「木曽川アートトライアングル」一宮市尾西歴史民俗資料館・旧林家住宅
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2022-10-09
そこは「あいち2022」の会場ではなかったんですが、
関連の「木曽川アートトライアングル」という
イベントをやっていて、それが、
国登録有形文化財にも指定されている旧林家住宅の
風格ある建物や庭と相まってとても良かったんです。
なので、ちょっと行ってみようかって。
今回展示されているのは、
ふくながめぐみ「布の記憶」
人の記憶を布に纏わせ
いのちを描く
いのちの水は空からおちて
川となり 龍の姿になって
空へと昇っていく
尾西歴史民俗資料館_新緑のおもてなし リーフレット より
https://www.city.ichinomiya.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/033/040/rihuretto.pdf
出入口横の部屋、帳場に置かれていた作品
アルコールに浸けられた花の
はかなげな風情がとても素敵!
上がった奥の正面(仏間)には、
アルコールに浸けられて白くなった彼岸花
座敷には風にゆれる薄い布が
桜の花弁が散らされているみたい
あ、上の欄間の障子を破って顔を出している猫は、
去年来た時にも展示されていたワイヤーアートの
水谷一子さんの作品ですね!
床の間には、映像作品と、掛軸のように掛けられた白い帯
白い帯に日本画絵具で描かれた線
天へ昇る龍をイメージされているのかな?
美濃路に面した「みせ」と「みせ座敷」
作品は置いてなかったですが、
格子と照明器具のちょっとレトロなデザイン素敵です。
北の間
離れ(裏座敷)
裏座敷 次の間
襖の絵と相まっていいですね。
絹糸に脱色した菊の葉《菊葉の雨》
欄間は菊の透かし彫りがされてるんだ!
裏座敷には、和紙でできた花が散らされていました。
ハスの花? 睡蓮?
床の間の掛軸は、
「蜘蛛の巣がき」
起宿本陣を務めていた加藤磯足(いそたり 1747-1809)が、
虫になぞらえて六十四首の和歌を蜘蛛の巣様に書いたもの。
磯足は国学者本居宣長に国学と和歌を学んだ人物で、
母親は脇本陣林家四代目の林定通の娘(てる)。
苔の美しい庭園が眺められます。
まさに「新緑のおもてなし」
手水鉢にも和紙の花が
主屋の座敷側の手水鉢には、和紙の花が沈められていました
茶の間側にはイベントの資料など
赤い弁柄漆喰壁と、レトロな白いタイルの流し
庭側の門
主屋を望む
離れ(裏座敷)を望む
石橋を渡ってお庭を巡ります
腰掛待合への敷石
あ、竹林にも作品が置かれている!
風格ある旧林家住宅と新緑の美しい庭園に、
ふくながめぐみさんの現代美術作品
静かで美しい世界を堪能させてもらいました。
とてもよかったです。
一宮市尾西歴史民俗資料館:
https://www.city.ichinomiya.aichi.jp/rekimin/
尾西歴史民俗資料館_新緑のおもてなし リーフレット:
https://www.city.ichinomiya.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/033/040/rihuretto.pdf
ふくながめぐみInstagram: https://www.instagram.com/fukunaga_megumi/
こちらのツイートで知りました。(スレッドあり)
浄化中。 pic.twitter.com/zzVfsnVMSl
— 中野 努 (@UBEr8BeoyvNssD7) June 14, 2023
大阪中之島美術館「デザインに恋したアート」 [美術]
6月11日(日)、大阪中之島美術館へ「佐伯祐三」展を
見に行ったことは前記事に
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-06-25
「佐伯祐三」展は5階で開催されていましたが、
その日、4階で開催されていた展覧会が、
「大阪中之島美術館 開館1周年記念展
デザインに恋したアート♡
アートに嫉妬したデザイン」
大阪中之島美術館が、
佐伯祐三をはじめとする絵画や、彫刻、現代美術はもちろん、
家具やポスターなどのデザインも、
収集の大きな柱としていることは、
開館を報じた「日曜美術館」や美術関係の記事でも
紹介されてましたね。
私はデザインも好き(というかマンガやデザインから
アートに入った)なので、ついでに見るのに
ちょうどいい展覧会だなって。
2階のチケット売り場で「佐伯祐三」展と共に、
こちらのチケットも購入。当日一般1,600円のところ、
相互割引で100円引きの1,500円で購入することができました。
(販売機ではなく窓口での購入)
チケットのQRコードをかざして展覧会場に入場すると、
出品リスト(ハンドアウト)と鉛筆を渡してもらえました。
こちらの展覧会場内、佐伯祐三展より混んでました!
若い人が多いというか、ほとんどなのもちょっと驚き(@o@)
そして、会場のあちこちに、こんな機械(?)が置かれて
来場者が操作しています。
ハンドアウトと共にもらった説明書を読むと、
この展覧会、
「「作品附近に設置されたデバイスから、
あなたの視点を投票できます。」
ってことで、作品を見て、
01 THINK 考える
中央のスライドボタンを動かしてみてください。アートとデザインどちらによった作品だと感じたのか、しっくりくるところで指を止めましょう。
02 VOTE 決定する
スライダーの下にある「決定」ボタンを押してください。お手元のハンドアウトにも記録しておくことをおすすめします。
03 OUTRO 最後に
本展示の最後に、皆さまの投票結果が表示されています。全体の結果と、あなただけの答えを比べてみませんか。
ひとつひとつの作品を前に、「これはアート? デザイン?」と自分に問かけ、考える行為を楽しんでみませんか。そこには、作者や作品との思いがけない対話や、私たちの社会が重ねてきた多彩な変化の再発見が待っています。
と、ただ見るだけの展覧会ではなかったんです!!
最初に展示されていたのが、
早川良雄のポスターや亀倉雄策のポスター
(図録はルーズリーフ式になってます)
私がデザインを学び始めた頃、
これらのポスターは教科書のような存在でしたね。
グラフィック・デザインっていうと、ポスター!
亀倉天皇なんて言われてましたっけ。
これらは迷うことなくデザインですね?
原弘《日本タイポグラフィ展》ポスター 1959年
田中一光のカッチリと日本的なデザインも憧れたし、
この頃の横尾忠則はグラフィック・デザイン界のスターでしたね。
アートへ行ってしまいましたが。
こっちはアートかな?
三上誠《作品》1956年頃
オノサト・トシノブ《無題》1962年
菊畑茂久馬《ルーレット》1964年
菅井汲は初期に商業デザインに携わっていたそう。
1954年の作品《風の神》と、1964年の《マス・ノワール》
この平面的なカンジはデザインっぽいとも思うけど、
この展覧会、アートかデザインか、って二者択一ではなくて、
どちらによった作品と感じるかを楽しむ展覧会なんですね。
会場には様々なデザインの椅子が展示されていました。
(撮影禁止の作品も多く、人も多かったので、写真撮ってません)
柳宗理がデザインしたインダストリアルデザインの名作
《バタフライスツール/スツールNo.521》1954年/再製作1972年 や、
豊口克平《スポークチェア》1963年/再製作1972年は、
いかにもモダンデザインらしい機能的なフォルムだし、
剣持勇《ラウンジチェア》1958年/再製作1972年は
藤の優美なフォルムがとても素敵!
剣持勇《安楽椅子/SM7051(プロトタイプ)》1969年
になると、アクリルの未来的なデザインってカンジ。
倉俣史朗《Miss Blanche》1988年/製作1989年 となると、
これはアートかな?
草間彌生《無題(金色の椅子のオブジェ)》1966年 は
アートですね!
丸っこいデザインがレトロでかわいい
松下電器産業株式会社/真野善一(D)《扇風機/20B1》1952年
扇風機を包むとアートになる?
赤瀬川原平《風》1963年
石岡瑛子のパルコの広告はいつも衝撃でした
《パルコ/西洋は東洋を着こなせるか》1979年
日比野克彦、今や東京芸大の学長なんですって?!
1982年にダンボールを使った作品《PRESENT AIRPLANE》で、
日本グラフィック展の大賞を獲得して注目されたんですよね。
あはは、この作品楽しい!
藪内佐斗司《犬モ歩ケバ》1989年
動かない彫刻なんたけど(え?! 木で作られてる?)
壁から出てきて壁へと歩いていくみたい(^▽^)
壁や天井にできた光と影のアート?
内田繁がデザインした照明器具《TENDERLY》1986年
今村源《ネガシダ》1994年
影も作品の一部なのかな。
紙でできた椅子。「わずか1cmの薄さに積層された120枚の薄紙を広げることによって、立体となり、人が座ることで椅子のフォルムになる」(図録の説明)
吉岡徳仁《Honey-pop》2001年
衣服をモチーフにしたアート作品なのかと見たら、
三宅一生《PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE》1993年/再製作2023年
「それまでのプリーツ加工が施された衣服は、プリーツ加工済みの布を裁断・縫製してつくられものであったが三宅一生のプリーツの衣服は、そのプロセスを逆転した。」「完成品の倍以上にもなる大きさでパターンを作り、裁断・縫製されたポリエステルの布を紙に挟んでプリーツ加工する」
アートかデザインか? ってことだけでなく、
アートか、アニメやマンガか? って考えさせられるのが
村上隆
うーん私にはこの作品のどこがいいのかイマイチわからないんだけど‥‥
村上隆《Red Rope》2001年
マンガっぽいって言うと、奈良美智もそうかなぁ?
でも奈良美智は見慣れた? せいなのか、
これらの女の子の作品いいなって見るようになった(^^;
奈良美智《どんまいQちやん》1993年
アートからデザイン、いろんな作品が展示されていて面白かった。
若い人のグループがスライダーを動かして、
楽しんで見ていたのも新鮮だった。
でも、最後に投票結果が表示されていますってことだったけど、
それがよくわかりませんでした。最後の目まぐるしい動画が
それだったのか?? 他の人の投票結果も知りたかったな‥‥
そして、作品に説明が不十分だと思った。
吉岡徳仁の紙の椅子や、三宅一生の衣服など、
図録の説明を読んでわかったけど、
展示されているものだけでは意味がわからず??
ルーズリーフ式になっている図録、面白いなって。2,980円(税込)
お腹空いたので、1階のカフェレストラン「ミュゼカラト」にて、
パスタとコーヒーを。1,980円
佐伯祐三展のコラボメニューが食べられなくて残念だった。
1階に展示されていたバリー・フラナガン《ボウラー》1990年
去年「モディリアーニ展」に来た時にはまだ
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2022-06-14
開店していなかったショップ。
椅子がたくさん並んでいて、ちょっと見て行こうかって入ったら、
これらの椅子の写真撮ってもOKなんですって!!
デンマーク発インテリアプロダクトブランド
「HAY OSAKA」
大阪駅まで歩き、帰りは西岐阜まで在来線で帰りました。
大阪中之島美術館: https://nakka-art.jp/
見に行ったことは前記事に
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-06-25
「佐伯祐三」展は5階で開催されていましたが、
その日、4階で開催されていた展覧会が、
「大阪中之島美術館 開館1周年記念展
デザインに恋したアート♡
アートに嫉妬したデザイン」
大阪中之島美術館が、
佐伯祐三をはじめとする絵画や、彫刻、現代美術はもちろん、
家具やポスターなどのデザインも、
収集の大きな柱としていることは、
開館を報じた「日曜美術館」や美術関係の記事でも
紹介されてましたね。
私はデザインも好き(というかマンガやデザインから
アートに入った)なので、ついでに見るのに
ちょうどいい展覧会だなって。
2階のチケット売り場で「佐伯祐三」展と共に、
こちらのチケットも購入。当日一般1,600円のところ、
相互割引で100円引きの1,500円で購入することができました。
(販売機ではなく窓口での購入)
チケットのQRコードをかざして展覧会場に入場すると、
出品リスト(ハンドアウト)と鉛筆を渡してもらえました。
こちらの展覧会場内、佐伯祐三展より混んでました!
若い人が多いというか、ほとんどなのもちょっと驚き(@o@)
そして、会場のあちこちに、こんな機械(?)が置かれて
来場者が操作しています。
ハンドアウトと共にもらった説明書を読むと、
この展覧会、
「「作品附近に設置されたデバイスから、
あなたの視点を投票できます。」
ってことで、作品を見て、
01 THINK 考える
中央のスライドボタンを動かしてみてください。アートとデザインどちらによった作品だと感じたのか、しっくりくるところで指を止めましょう。
02 VOTE 決定する
スライダーの下にある「決定」ボタンを押してください。お手元のハンドアウトにも記録しておくことをおすすめします。
03 OUTRO 最後に
本展示の最後に、皆さまの投票結果が表示されています。全体の結果と、あなただけの答えを比べてみませんか。
ひとつひとつの作品を前に、「これはアート? デザイン?」と自分に問かけ、考える行為を楽しんでみませんか。そこには、作者や作品との思いがけない対話や、私たちの社会が重ねてきた多彩な変化の再発見が待っています。
と、ただ見るだけの展覧会ではなかったんです!!
最初に展示されていたのが、
早川良雄のポスターや亀倉雄策のポスター
(図録はルーズリーフ式になってます)
私がデザインを学び始めた頃、
これらのポスターは教科書のような存在でしたね。
グラフィック・デザインっていうと、ポスター!
亀倉天皇なんて言われてましたっけ。
これらは迷うことなくデザインですね?
原弘《日本タイポグラフィ展》ポスター 1959年
田中一光のカッチリと日本的なデザインも憧れたし、
この頃の横尾忠則はグラフィック・デザイン界のスターでしたね。
アートへ行ってしまいましたが。
こっちはアートかな?
三上誠《作品》1956年頃
オノサト・トシノブ《無題》1962年
菊畑茂久馬《ルーレット》1964年
菅井汲は初期に商業デザインに携わっていたそう。
1954年の作品《風の神》と、1964年の《マス・ノワール》
この平面的なカンジはデザインっぽいとも思うけど、
この展覧会、アートかデザインか、って二者択一ではなくて、
どちらによった作品と感じるかを楽しむ展覧会なんですね。
会場には様々なデザインの椅子が展示されていました。
(撮影禁止の作品も多く、人も多かったので、写真撮ってません)
柳宗理がデザインしたインダストリアルデザインの名作
《バタフライスツール/スツールNo.521》1954年/再製作1972年 や、
豊口克平《スポークチェア》1963年/再製作1972年は、
いかにもモダンデザインらしい機能的なフォルムだし、
剣持勇《ラウンジチェア》1958年/再製作1972年は
藤の優美なフォルムがとても素敵!
剣持勇《安楽椅子/SM7051(プロトタイプ)》1969年
になると、アクリルの未来的なデザインってカンジ。
倉俣史朗《Miss Blanche》1988年/製作1989年 となると、
これはアートかな?
草間彌生《無題(金色の椅子のオブジェ)》1966年 は
アートですね!
丸っこいデザインがレトロでかわいい
松下電器産業株式会社/真野善一(D)《扇風機/20B1》1952年
扇風機を包むとアートになる?
赤瀬川原平《風》1963年
石岡瑛子のパルコの広告はいつも衝撃でした
《パルコ/西洋は東洋を着こなせるか》1979年
日比野克彦、今や東京芸大の学長なんですって?!
1982年にダンボールを使った作品《PRESENT AIRPLANE》で、
日本グラフィック展の大賞を獲得して注目されたんですよね。
あはは、この作品楽しい!
藪内佐斗司《犬モ歩ケバ》1989年
動かない彫刻なんたけど(え?! 木で作られてる?)
壁から出てきて壁へと歩いていくみたい(^▽^)
壁や天井にできた光と影のアート?
内田繁がデザインした照明器具《TENDERLY》1986年
今村源《ネガシダ》1994年
影も作品の一部なのかな。
紙でできた椅子。「わずか1cmの薄さに積層された120枚の薄紙を広げることによって、立体となり、人が座ることで椅子のフォルムになる」(図録の説明)
吉岡徳仁《Honey-pop》2001年
衣服をモチーフにしたアート作品なのかと見たら、
三宅一生《PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE》1993年/再製作2023年
「それまでのプリーツ加工が施された衣服は、プリーツ加工済みの布を裁断・縫製してつくられものであったが三宅一生のプリーツの衣服は、そのプロセスを逆転した。」「完成品の倍以上にもなる大きさでパターンを作り、裁断・縫製されたポリエステルの布を紙に挟んでプリーツ加工する」
アートかデザインか? ってことだけでなく、
アートか、アニメやマンガか? って考えさせられるのが
村上隆
うーん私にはこの作品のどこがいいのかイマイチわからないんだけど‥‥
村上隆《Red Rope》2001年
マンガっぽいって言うと、奈良美智もそうかなぁ?
でも奈良美智は見慣れた? せいなのか、
これらの女の子の作品いいなって見るようになった(^^;
奈良美智《どんまいQちやん》1993年
アートからデザイン、いろんな作品が展示されていて面白かった。
若い人のグループがスライダーを動かして、
楽しんで見ていたのも新鮮だった。
でも、最後に投票結果が表示されていますってことだったけど、
それがよくわかりませんでした。最後の目まぐるしい動画が
それだったのか?? 他の人の投票結果も知りたかったな‥‥
そして、作品に説明が不十分だと思った。
吉岡徳仁の紙の椅子や、三宅一生の衣服など、
図録の説明を読んでわかったけど、
展示されているものだけでは意味がわからず??
ルーズリーフ式になっている図録、面白いなって。2,980円(税込)
お腹空いたので、1階のカフェレストラン「ミュゼカラト」にて、
パスタとコーヒーを。1,980円
佐伯祐三展のコラボメニューが食べられなくて残念だった。
1階に展示されていたバリー・フラナガン《ボウラー》1990年
去年「モディリアーニ展」に来た時にはまだ
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2022-06-14
開店していなかったショップ。
椅子がたくさん並んでいて、ちょっと見て行こうかって入ったら、
これらの椅子の写真撮ってもOKなんですって!!
デンマーク発インテリアプロダクトブランド
「HAY OSAKA」
大阪駅まで歩き、帰りは西岐阜まで在来線で帰りました。
大阪中之島美術館: https://nakka-art.jp/