SSブログ

愛知県美術館「安井仲治」展のコレクション展 [美術]

11月5日(日)、愛知県美術館「安井仲治」展を見た後、
コレクション展(2023年度第3期)を見ました。

展示室4 は「正方形」をテーマにした展示

愛知県美術館で正方形の絵っていうと、まず
クリムト《人生は戦いなり(黄金の騎士)》を思い浮かべます。
クリムトは風景画でも正方形のキャンバスに描いてましたよね。
でも、たいていのキャンバスは長方形です。

最初に展示されているのが、
桑山忠明《untitled》2001年
2023-11-5-(20).jpg
アルミの正方形が2つ。
1つはアルミの地の色で、もう1つはブルーに着色されています
ミニマル・アートってやつですね。
でも、これ、横から見たら
2023-11-5-(21).jpg
2つのパーツがボルトで繋がっている?


オノサトトシノブ《作品》1971年
2023-11-5-(22).jpg
正方形の画面に同心円なんだけど、
渦巻きのように見えたり、
分割された色面がキラキラと動いているようにも
見えて面白い!


展示室4 の入口正面に見える大きな正方形の絵

フランク・ステラ《リヴァー・オブ・ポンズ IV》1969年
2023-11-5-(23).jpg
コレクション展でよく見てる絵だけど、
フランク・ステラって、名古屋市美術館には
立体作品《説教》があるし、
(先月見てきた「福田美蘭―美術って、なに?」展で、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-10-16
ケーキのデコレーションに見立てられてた)

DIC川村記念美術館へ行った時に、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2018-08-27
庭にステラの巨大な彫刻があったけど、
それらとは全く違う印象。

初期にはミニマル・アート風の作品、シンメトリカルな色面構成の「ハード・エッジ」(色面の輪郭が目立つ作風)風の作品を手がけていたが、80年代以降大きく作風を変え、さまざまな色彩を施された、さまざまな形態の破片・ねじ曲げられた平面・立体物が、大画面に貼り付けられたりそのまま組み合わされて壁面や床に置かれたりした、2次元の枠を超えて炸裂する絵画とも立体ともつかないダイナミックな作品を制作している。
(Wikipediaより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A9 )

こちらにも、桑山忠明《untitled》が
2023-11-5-(30).jpg

次のコーナーへ進むと、中央に
多和圭三《泉-想-》2002年
2023-11-5-(24).jpg
鉄の直方体をそのまま展示した?
上部を繰り返し金槌で叩いて形を歪ませているそうだけど‥‥

後ろの壁に展示されているのが、
千崎千恵夫《無題》1992年
2023-11-5-(28).jpg
ワックスの塗られたマチエールも独特だけど、
画面から出た針金?の上に丸いガラスが乗っています。
2023-11-5-(29).jpg
不思議な雰囲気だなぁ‥‥

仕切り壁には、
2023-11-5-(26).jpg

百瀬寿《Square-NE XIV: Twelve Stripes E》1987年
2023-11-5-(27).jpg
並べられた12×12の正方形がグラデーションを作っています。
和紙を使っている? ソフトな色調がとても美しい。


こちらも正方形が並んでいます。
田島秀彦《playroom (09-06)/playroom (09-07)》2009年
2023-11-5-(25).jpg
正方形は、装飾タイルの絵柄とのこと。
イスラム風や、ヨーロッパ、アジア風などの絵柄が混じっている中に、
キラキラと光っている(光ファイバー・電球・モーター)列があって、
戦車や戦闘機などが描かれています。
オモチャのようにも見えるけど、戦争のイメージ?

展示室5 「名品」はどこから来たのか?

愛知県美術館が所蔵する20世紀の西洋美術の名品を、その来歴(所有者の変遷)とともに紹介します。そこには、大富豪による芸術家支援、あるいはナチによる没収など、さまざまな歴史の物語が隠されています。(出品リストの文)

ってことで、愛知県美術館が誇る「名品」と共に
来歴の説明が展示されていました。

モーリス・ドニ《花飾りの舟》1921年
2023-11-5-(31).jpg
愛知県美術館が2020年に購入した作品
感想が書けてないけど、お披露目の展示で、
(2022年度第1期コレクション展(ミロ展の時)
詳しい説明とかもあった。
2023-11-5-(31)up.jpg
大原美術館のために児島虎次郎が1921年に、
ドニ本人から購入したとのことで、画面に
日本の国旗も描かれていると。
1930年会館の大原美術館に収蔵されましたが、
1936年に手放され、日本国内の所有を経て、
2020年に愛知県美術館が寄附金により購入

ピエール・ボナール《にぎやかな風景》1913年頃
2023-11-5-(32).jpg
富豪ヘレナ・ルビンスタインの邸宅を飾っていた作品。
右下に妻マルトと愛犬ユビュ、
左手奥には動物と戯れる子供たちが描かれていると。


前回、「幻の愛知県博物館」展のコレクション展で、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-09-03

匿名の個人の5億円の寄附で購入した絵画として、
初公開されてましたね。
ジョルジュ・ブラック《水浴する女性と3つの果実》1926年
2023-11-5-(34).jpg
スイスの美術コレクターであるヨゼフ・ミュラー(1887-1977)が、
1926年から生涯にわたり所有していた絵画。

上 「ジョルジュ・ブラック 油彩画カタログ・レゾネ 1924-27」
下左「ヨゼフ・ミュラー・コレクション クリスティーズ・ロンドン オークション・カタログ」
下右「ジョルジュ・ブラック クンストハレ・ベルン展覧会図録」
2023-11-5-(33).jpg


「青の時代」のピカソ初期の作品。
《青い肩かけの女》1902年
2023-11-5-(35).jpg
愛知県美術館の名品として、コレクション展ではよく見てるんですが、
1902年に制作されて、91歳で没する1973年まで、
ピカソが手元に保管していた作品なんだそう!
ピカソの孫のひとりマリナ・ピカソ(1950- )に受け継がれ、
作品売却の資金で子どものための慈善事業を展開していたと。
1988年に東海銀行が彼女から購入し、開館直前の
愛知県美術館に寄贈とのこと。

愛知県美術館が誇る名品が並んでます
左 ポール・デルヴォー《こだま(あるいは「街路の神秘」)》1943年
右 ジョアン・ミロ《絵画》1925年
2023-11-5-(36).jpg

エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー
《グラスのある静物》1912年
2023-11-5-(38).jpg
ナチスが退廃芸術として没収した作品で、
アメリカを経由して愛知県美術館に収蔵されたとのこと。
2023-11-5-(37).jpg
1917年にロジー&ルートヴィヒ・フィッシャー夫妻が購入
1924年にモーリッツブルク美術館に売却
1937年ナチスが退廃芸術展のために「借用」(没収)
1939年没収作品の売却を担った画商の手に渡り、翌年転売
1950年セントルイスの個人コレクターの所有に
1974年マールボロ・ギャラリーへと売却
1992年愛知県美術館が購入

なんとドラマチック!
「退廃芸術家」の烙印を押されたキルヒナーは
1938年に自殺しているんですね。


愛知県美術館が誇る
グスタフ・クリムト《人生は戦いなり(黄金の騎士)》1903年
2023-11-5-(40).jpg
1903年のウィーン分離派展に出品された後、製鉄関連事業で成功を収めたオーストリアの大富豪カール・ヴィトゲンシュタインとその妻によって購入され、一家の壮麗な邸宅の階段室に掲げられていた。
夫妻の死後、長女ヘルミーネに相続されます。
1938年にドイツがオーストリアを併合すると、一家はユダヤ人とみなされます。
ナチはユダヤ人の資産をさまざまな理由をつけて没収していたが、一家の資産のかなりの部分が中立国スイスの銀行で凍結されており、ナチが手を出せずにいた。度重なる交渉の末、ナチは資産の多くを得る代わりに、一家に「混血」のユダヤ人としての認定を与え、一定の市民権を留保します。
詳細はまだはっきりと分かっていないが、
ぎりぎりのところで難を逃れた作品であると。
2023-11-5-(39).jpg


あ、作品の方の写真撮り忘れた(^^; けど、
愛知県美術館のコレクション検索で、
パブリック・ドメイン画像になってる!
アド・ラインハート《No.114》1950年
2977.jpg
日本の公立美術館では、収蔵した作品を再び市場に出すことはないが、
アメリカの美術館では、作品の新規購入等の目的で所蔵品の売却が行われることがあるそうで、この作品も1969年にラインハートの遺族からニューヨーク近代美術館に寄贈されたが、1991年までに市場に出され、ニューヨークの個人所蔵家の手を経て、1993年に愛知県美術館が購入しました。


アンリ・マティス《待つ》1921-22年
2023-11-5-(43).jpg
一足先にアメリカへ渡った作品
 第二次大戦後の経済力の拡大に応じて、ヨーロッパの美術品が数多くアメリカにもたらされるようになりますが、本作はそれよりも早く1931-33年頃にアメリカへと渡りました。購入したのはニューヨークの実業家ステファン・カールトン・クラーク
(後略)


イヴ・クライン《アルマン(肖像レリーフ)》1962年(原型)
2023-11-5-(46).jpg
ブルー(インターナショナル・クライン・ブルー(IKB))一色の絵で知られる
クラインが友人の彫刻家アルマンの身体から取った石膏型をもとにレリーフを作成したもの。
これは、クラインの没後に完成した作品で、
1962年2月、クラインは友人3人の身体から石膏型を取ります。
しかし、アルマンの像だけを完成させた後、6月に34歳の若さで
心臓発作により没しました。本作は没後の1965年にクラインの妻の許可のもと、
他の2体とともに再制作されたものだそう。
2023-11-5-(44).jpg
へー、と読んで作品を見ると、あ、横から見たら
こんなふうになってるんだと。
今まで正面からばかり見てたから、ちょっと新鮮(?)
2023-11-5-(45).jpg


今までもコレクション展で見てる名品で、
作品と作家については解説されてたりしたけど、
それぞれの作品の来歴もドラマチックだったりと
興味深かった。


展示室6 ぷくぷくときらきら
当館が2020年度に収蔵した碓井ゆい《ガラスの中で》は生殖医療を主題とした作品です。本作品を中心に、ぷくぷくと生成、増殖を続ける細胞、あるいは、きらきらと鋭利な輝きを放つガラスを連想させる作品をご紹介します。自然と人智、脆さと強さ、有機と無機を照らし出す作品と共に、想像力と思考力を泡立たせてください。

あ、これ、あいちトリエンナーレ2019で、
名古屋市美術館の最初の展示室にあった作品!
碓井ゆい《ガラスの中で》2019年
2023-11-5-(47).jpg
あいちトリエンナーレ2019(5) 名古屋市美術館
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-09-30

名古屋市美術館では外光が入る部屋で、オーガンジーの布が
光に透けてきれいだなって見ましたが、この部屋では
ライトで床に落ちる影が、シャーレでうごめく生命体みたいな
イメージでまた良かった。
2023-11-5-(49).jpg
2023-11-5-(51).jpg

そして、この作品に呼応するような丸い形が印象的な写真は、
米田知子
2023-11-5-(52).jpg
左 《坂口安吾の眼鏡―『朝鮮会談に関する日記』の原稿を見る 「Between Visible and Invisible」シリーズより》2013年
右 《藤田嗣治の眼鏡―日本出国を助けたシャーマンGHQ民政官に送った電報を見る 「Between Visible and Invisible」シリーズより》2015年

こちらは、
田中敦子《Untitled》1967年
2023-11-5-(53).jpg


展示室7江戸から近代へ受け継がれるやまと絵の世界
平安時代に始まる古典的な「やまと絵」の復権を目指した復古大和絵派は、田中訥言によって名古屋にも広がりました。江戸時代末期から近代の愛知画壇に「やまと絵」の与えた影響を紹介します。

田中訥言《菊鶉図》江戸時代後期(19世紀前半)
2023-11-5-(54).jpg

森高雅《雪中鴛鴦図》江戸時代後期(18世紀・19世紀)
2023-11-5-(55).jpg

日比野白圭《鶯宿梅図》明治43(1910)年
2023-11-5-(56).jpg

日比野白圭
左《柳下納涼図》 右《款冬雀図》
2023-11-5-(57).jpg
「款冬(かんとう)」とはヤマブキのこと

日比野白圭
左《佐野渡古歌意図》 右《菊花鶉図》
2023-11-5-(58).jpg
あっさりして上品なカンジで、私好きかも。


森村宜稲《明治天皇収穫叡覧之図》1932年
2023-11-5-(60).jpg
明治元年に明治天皇が尾張東海道八丁畷(なわて)で
農事を天覧した様子を描いたものとのこと。
2023-11-5-(59).jpg

森村宜稲《四季草花図》1925年頃
2023-11-5-(61).jpg
金屏風だけど、豪華というより上品なカンジ。

あー、この清楚で上品な女性像は、
舟越保武《シオン》1979年
2023-11-5-(63).jpg


展示室8 木村定三コレクション 熊谷守一と夜と絵具
熊谷守一が、夜のアトリエに閉じこもって「むずかしい顔」で制作していたのはなぜでしょうか? 彼の絵具の扱いに注目し、まるで厳密な実験を繰り返す科学者のような姿を想像してみます。

猫や、雨滴、伸餅など、見てるとほっこりするけど、
守一は「夜のアトリエに閉じこもって『むずかしい顔』で制作していた」?
チューブの絵具をそのまま塗ったような
《裸婦》1954(昭和29)年 が面白い。


ロビーには、

戸谷成雄《地霊》1990年
2023-11-5-(64).jpg
「正方形」のテーマで展示されてるのかな。
彫刻って普通は彫って凸型の像にするのに、
これは凹型になってるのが面白い。

2023-11-5-(65).jpg
吉本直子《白の棺》2006年
2023-11-5-(66).jpg
愛知県美術館で2012年から2017年まで展示室6で行われた
APMoA Project, ARCH (プロジェクト・アーチ)
愛知県美術館の学芸員と若手作家との協同によって作られた展覧会
その最初の展示が
吉本直子「Reflection Space ――鼓動の庭」でした。
(2012年4月13日(金)~6月24日(日))

こちらに少し感想を書いてます。
愛知県美術館「魔術/美術」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2012-06-12

着古した白いシャツを固めて作られています。
両側から延ぴる袖は、何かを求めているのか?
引き裂かれようとしているのか?
2023-11-5-(67).jpg
2023-11-5-(68).jpg
2023-11-5-(69).jpg

ショップで、
「安井仲治」展の図録はまぁいいかなって思ったけど、
展示室5の「名品」はどこから来たのか? で置いてあった
「近代美術の100年 愛知県美術館のコレクション」
APMoA-collection-(1).jpg
美術館の名品の画像を大きく載せて、解説するという
カタログスタイルではなく、近代美術史の流れの中で、
コレクション作品がどのような位置にあるのかという
解説の中に作品の画像が載っていて、今まで
コレクション展でよく見てた作品だけど、
あらためて詳しく知ることができました。
APMoA-collection-(2).jpg
1998年1月30日~3月8日に開催された展覧会の図録だそう。
1,600円(税込)が友の会で5%引きになりました(^^)v


そして、前回の企画展「幻の愛知県博物館」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-08-20
見に来た時、図録がまだできてなかったんです。

できてたので購入。
1,500円(税込)が、友の会で5%割引(^^)v
maboroshi-(1).jpg
「幻の愛知県博物館」では、
博覧会のパビリオンの写真とか興味深く見たっけ。
クスッと笑ったキャプションも健在!
maboroshi-(2).jpg

さらに、前回ショップで
シャチホコのパッケージが面白くて買って、
とても美味しかった「豆でなも」756円(税込)
2023-11-5-(72).jpg
今回なんと5%割引になってたんです!
隣にあった「豆だくさん」1,080円(税込)も5%引きだったので、
購入しました。こっちも、いろんな味の豆が入ってて
それぞれ美味しかった。パッケージもオシャレ!
2023-11-6-(4).jpg

ショップでちょっと散財しちゃったかな?
いつもながら、愛知県美術館のコレクション展充実してます。

オアシス21のカフェで、ケーキセット食べて帰りました(^^)v
2023-11-5-(70).jpg
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

愛知県美術館「安井仲治」展 [美術]

愛知県美術館「生誕120年 安井仲治」展を見てきました。
YasuiNakaji-(1).jpg

この展覧会、愛知県美術館友の会に入ってなかったら
行かなかったと思う。

安井仲治(やすい なかじ)って名前も、
聞いたことさえなかったし、
チラシの写真も、なんか暗くて‥‥
YasuiNakaji-(2).jpg

 日本の写真史において傑出した存在であった安井仲治(1903-1942)。10代でカメラと出会った安井は、20代半ばには関西の写真シーンで一目置かれる存在となりました。そして38歳の若さで病没するまで、旺盛な創作意欲をもって極めて多くの写真の技法、スタイルに取り組みました。
(チラシ裏面の文より)

この展覧会、10月6日(金)から始まったんですが、
10月12日(木)に、友の会の特別鑑賞会があったんですね。
たまたまその日、パートも休みだったので、
全く知らない作家だし、解説を聞くのもいいかもしれないと、
夜の部に参加しました。

(その鑑賞会へ行く前に見たのが、
名古屋市美術館「福田美蘭―美術って、なに?」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-10-16 )

特別鑑賞会では、展覧会を準備された
愛知県美術館学芸員の鵜尾佳奈(うお かな)さんが
解説してくださいました。

安井仲治を知っている方って質問に、
さすが友の会、ちらほらと手が挙がってました。
20年前に、生誕100年を記念した展覧会が
名古屋市美術館で開催されてたそう。
(その展覧会は、渋谷区立松濤美術館と名古屋市美術館を巡回)
今回の展覧会に出品された安井仲治のヴィンテージプリントは、
ほとんどが兵庫県立美術館に寄託されたものなので、
そちらで見た人もいるのではと。

でも私のように知らないって方も多かったです。

1903(明治36)年生まれ。
関西を中心に活躍したアマチュア写真家
写真家としては木村伊兵衛(1901-1974)と同年代
土門拳や森山大道が高く評価していたと。

「アマチュア」と言っても、当時は
職業として写真を撮っているのは、
写真館の経営者か、報道写真家くらいなので、
「アマチュア」という言葉は、
余暇に写真を撮っているというだけでなく、
芸術として写真を撮る、自立した表現者としての写真家
という意味でもあるとのこと。

特別鑑賞会でも、解説の後、閉館後の会場を
友の会貸切で展示を見たんですが、限られた時間で、
多くの写真があるので、じっくり見られなかったし、
コレクション展を見たかったので、
11月5日(日)にもう一度見に行きました。

友の会の会員証にスタンプを押してもらい、
チケットをもらいます。
一部を除き撮影可!
YasuiNakaji-(3).jpg
置いてあった鑑賞ガイド


まず、安井仲治の紹介と、愛用のカメラの展示
2023-11-5-(1).jpg

左が、ローライフレックス
右が、ライカⅢB
2023-11-5-(2).jpg

最初に展示されているのが、
《分離派の建築と其周囲》1922年
特別鑑賞会で画像を見せられた時、
なんかボケた写真? みたいに思ったけど、
当時、芸術写真として絵画風に仕上げた
「ピクトリアリズム」写真が全盛だったそう。

《クレインノヒビキ》1923年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
2023-11-5-(4).jpg
プロムオイルという技法を使って、
油絵のような効果を出しています。

《眺める人々》1925年/2023年
2023-11-5-(5).jpg
猿回しを眺める人々だけを切り取った作品

制作年に「1925年/2023年」と記されているのは、
写真が初めに発表された年/モダンプリントされた年
写真家自身が撮影後間もなくプリントした写真のことを「ヴィンテージプリント」、その写真が撮影されて時間が経ってから、もしくは写真家の死後に第三者の手によってプリントされた写真を「モダンプリント」と呼びます。

安井の写真の一部は、彼の死の3年後1945年の大阪大空襲により焼失してしまっているため、過去に何回かモダンプリントが制作されています。
(鑑賞ガイドより)

この展覧会では、ヴィンテージプリントが約140点、モダンプリントが約60点展示されており、うち、この展覧会のためにモダンプリントされたものが23点。
モダンプリントの制作には、作家の作品制作過程の研究が重ねられていると。


ネガコンタクトプリント《或る船員の像》《(童女スケッチ)》
2023-11-5-(3).jpg
《或る船員の像》や《(童女スケッチ)》は、
ネガを大胆にトリミングして作品にしているってのがわかって
興味深かった。


《(横たわる女)》1930年頃 安井冨子氏蔵
2023-11-5-(6).jpg
白い女性のヌードが美しい


《平野町》1929年/2004年 渋谷区立松濤美術館
2023-11-5-(7).jpg
当時の都市風景が切り取られていて興味深い


《(牛 Ver.)》1929年頃 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
2023-11-5-(8).jpg
画面いっぱいの黒い牛が迫力


《斧と鎌》1931年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
2023-11-5-(9).jpg
斧と鎌が作り出す影が面白い!


安井仲治旧蔵の書籍
ヴェルナー・グラフ
「映画と写真」展関連書籍
『新しい写真家がやってくる!』1929年
2023-11-5-(10).jpg
ドイツで行われた「映画と写真」展(1929年)の写真部門が、「独逸国際移動写真展」(1931年)として日本に巡回し、多くの写真家に影響を与えた。本書に収録されたマン・レイの作品を安井は後に雑誌で紹介している。(キャプションの文)
左ページがマン・レイの作品(写真?)


《海浜》1936年/2004年 渋谷区立松濤美術館
2023-11-5-(11).jpg
この写真、今回の展覧会にあたっての調査で、
撮影地は愛知県知多半島にある野間埼灯台だと特定したそう。
なんかドラマチックな迫力がある写真
キャプションの解説でも、
話題を呼び、模倣者が続出した。」と


《夕》1938年/2004年 名古屋市美術館
2023-11-5-(12).jpg
なんかこの写真見て、バックの単純な建造物といい、
素朴な姉妹の様子といい、寂寥感が迫ってくるように
感じたんですが、説明を読むと、
「写友T君が応召しました。戦地へ出発の前の最後の面会日を知らしてもらったので出かけました。其帰途こんな風景へ通りかゝりました。建物と子供の関係等に心惹かれて撮りましたが、少し寂しい写真が出来ました。」(『カメラクラブ』1939年1月号)

《モニュメント》1938年/2004年 渋谷区立松濤美術館
2023-11-5-(13).jpg
このフォルム、面白い!
安井が「半静物」と呼んでいたシリーズで、
北野中学校撮影会で理科室の標本を組み合わせて
撮影した写真。


《海辺》1938年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
2023-11-5-(14).jpg
撮影会で撮られた写真


《白衣勇士(着座)》1940年/2004年 名古屋市美術館
2023-11-5-(16).jpg
陸軍病院で撮影した写真。1940年、戦争の影が感じられます。


《流氓ユダヤ 母》1941年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
2023-11-5-(17).jpg
女性の強い目線がとても印象的な写真

「流氓(るぼう)ユダヤ」シリーズは、
1941(昭和16)年3月、安井は丹平写真倶楽部の有志と共に、ナチスによる迫害を逃れ神戸にたどり着いたポーランド系ユダヤ人を撮影した。
この撮影メンバーに手塚治虫の父が入っていたって
特別鑑賞会で聞いて興味深かった。

《(サーカスの女)》1940年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
2023-11-5-(18).jpg

最後のコーナーに展示してあったこの写真
《熊谷守一氏像》1939-42年 個人蔵(兵庫県立美術館に寄託)
2023-11-5-(19).jpg
へー、熊谷守一の写真!
守一は1980年生まれだから、60歳くらい? って

1942年に38歳の若さで病没。


‥‥正直、安井仲治の写真がそんなにすごいのか、私では
よくわからないところもあるんだけど、人物から風景から、
シュルレアリスム風の半静物など、38歳の若さで亡くなったってのが
信じられない程の多彩な写真があって、いいなって見た写真も多い。
モノクロ写真が並ぶ展示室は端正な雰囲気で良かったし。

そして、私個人的に感慨深かったのが、もらった鑑賞ガイド、
安井仲治のプリント技法についての解説や、
ヴィンテージプリントとモダンプリントについて、
とてもわかりやすく説明されていて良かったけど、
YasuiNakaji-(5).jpg
フィルムカメラの現像と銀塩写真のプリント方法についても
説明されていて、そうか、スマホやデジカメで
簡単に美しいカラー写真が撮れる現代では、
ネガフィルムは白黒が反転しているなんてことも
わからない人も出てきてるのかなーなんて。
YasuiNakaji-(4).jpg

私、大学でモノクロフィルムの現像や
引き伸ばしは習ったんですよ。
実は引き伸ばし機、持ってます!
(さすがにもうずっと使ってないですが、
押し入れから引っ張り出してみました)
LUCKY-ENLARGER60M-(2).jpg
LUCKY ENLARGER 60M

フィルムの現像は光は厳禁なので、黒い袋の中に手を入れて
行ないますが、印画紙への引き延ばし作業は、それほど
厳密な暗室でなくてもできたので(あくまで私のレベルでは)
夜、窓に黒い幕を張ってやってました。
印画紙を現像液に浸して画像が浮き上がってくるのが
楽しかった。どれくらいで現像液から引き上げて、
(足りないと白っぽいし、浸しすぎると黒くなってしまう)
停止液、定着液に浸すか調整するのも面白かったです。

そして、手塚治虫のお父さんについて、
Wikiで安井仲治を調べてたら、ちゃんと
手塚治虫の父・手塚 粲(てづか ゆたか 1900-1986)
のページもあって、興味深く読みました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E7%B2%B2

ちょっと前にLINEマンガで、お勧めで流れてきた
堀田あきお&かよ「手塚治虫アシスタントの食卓」が
とても面白かった(課金して最後まで読んでしまった)んだけど、
忙しい手塚治虫に代わって訪ねてきたファンの相手をしたりと、
とてもいいお父さんだなって思って読んでたけど、
アマチュア写真家として、
安井仲治と「流氓ユダヤ」の写真を撮るほどの腕前だったとは!

話がそれましたが、愛知県美術館のコレクション展については
次の記事で。



手塚治虫アシスタントの食卓 (ぶんか社グルメコミックス)

手塚治虫アシスタントの食卓 (ぶんか社グルメコミックス)

  • 作者: 堀田あきお&かよ
  • 出版社/メーカー: ぶんか社
  • 発売日: 2019/05/14
  • メディア: Kindle版



手塚治虫アシスタントの食卓 (2) (comicタント)

手塚治虫アシスタントの食卓 (2) (comicタント)

  • 作者: 堀田あきお&かよ
  • 出版社/メーカー: ぶんか社
  • 発売日: 2021/12/30
  • メディア: Kindle版



nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾 (3) [美術]

10月29日(日)愛知県西尾市へ行き、

「国際芸術祭地域展開事業
 なめらかでないしぐさ
 現代美術 in 西尾」を見たことの続き。
ArtinNishio.jpg

康全寺で、大東忍さんの作品を、
旧上田家具店で、岡本健児さんとキ・スルギさんの作品を見て、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-11-02

尚古荘不言庵で、札本彩子さんの作品を見て、
西尾歴史公園を散策、旧近衛邸でお抹茶をいただき、
西尾市資料館で、茨木のり子・大和田俊さんの作品を見ました。
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-11-04

4名の作家の作品がある西尾市岩瀬文庫 がある
鶴城公園 西尾市立図書館
2023-10-29-(142).jpg

10月28日(土)・29日(日)と
「にしお本まつり」をやっているとのこと。

テニスコートもありました。
「本まつり」と風船で作られている(^^)
2023-10-29-(143).jpg

えーと、岩瀬文庫は? と進んでいくと、
屋外に写真が洗濯物のように(^^)展示されています。
2023-10-29-(145).jpg
#にしおイズム 野外写真展 10月14日(土)~11月5日(日)
2023-10-29-(146).jpg


あ、チラシのメインビジュアルに使われている作品!
2023-10-29-(147).jpg

神農 理恵 Shinno Rie 1994年 三重県出身
《dog (big)》2021年
2023-10-29-(149).jpg
風景の中で、この作品だけ異質なような、
なんか不思議な雰囲気。
2023-10-29-(150).jpg

まるでカラフルな紙をハサミで思いつくままに切って糊づけしただけに見える《dog (big)》が置かれています。そのペーパークフトのような見かけの軽やかさとは裏腹に、神農理恵の作品は、火花を散らしながら切り出した厚く重い鉄板を自重とのバランスを考えながら溶接するという、とてもハードな作業を伴います。
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/shinno-rie.html

少し後で、この日行われていた
本展キュレーターが会場を回りながら見どころを話すって
プログラムが来て解説が始まったので
(あ、愛知県美術館の副田一穂学芸員だ)聞いてると、
この作品、下に置かれた鉄板から切り出して組み立てている
ってことで、あらためて下に置かれた鉄板をよく見てみた。
2023-10-29-(159).jpg
周囲の柵も鉄板を切り出して作っていて、
見た目、なんかコミカルな印象なんだけど、
実際に作るのは大変な作業なんだろうなって。

鑑賞したのは後だけど、神農理恵さんのもう一つの作品
《朝のひかり、昼のひかり、夜のひかり、》2023年

1階休憩室から撮った写真
2023-10-29-(179).jpg

光庭に降りて見ました
2023-10-29-(180).jpg
鏡のようなステンレスに空が映って、
キラキラと輝いているのがきれい。
2023-10-29-(181).jpg

矢作川が運んできた土砂が形成した肥沃な沖積平野が広がるここ西尾の土地のイメージに、神農は溶接の際に鉄が高温で溶け合ってできるオレンジ色のプール(溶融池)のイメージを重ね合わせます。


神農理恵《dog (big)》の後ろの建物が重厚でいいなって見てたら、
この日は、内部が特別公開される日だったんです!
(毎年10月に開催される「にしお本まつり」の際のみ)

登録有形文化財 岩瀬文庫旧書庫
IwaseBunko.jpg
木造瓦葺き、地上3階地下1階建て、外壁は過焼煉瓦のタイル貼り、室内側には厚く漆喰が塗られています。2度に及ぶ大地震に耐え蔵書を守り抜いた堅牢な造りです。
(もらったリーフレットより)

本棚がいっぱい並んでます
(蔵書は、現在は新しい収蔵庫に保管されていて、
ここにある本は見本ですと)
2023-10-29-(156).jpg
2023-10-29-(151).jpg
床板がすのこのように張られています。
人が歩いてもびくともしません。
本は重いから、頑丈な造りでないと耐えられませんよね。
2023-10-29-(153).jpg

窓から神農理恵さんの作品を見下ろします。
2023-10-29-(154).jpg

岩瀬文庫を創設した岩瀬弥助の展示があり、
ボランティアの方が説明してくださいました。
2023-10-29-(155).jpg
岩瀬弥助 慶応3(1867)年-昭和5(1930)年
旧西尾城下の須田に生まれ、
20歳の時、本家筋の肥料商「山本屋」の入婿となり四代目当主・岩瀬弥助を襲名します。商才に長け、一代で莫大な財を築き上げますが、自身は質素な暮らしぶりであったと伝えられます。一方で市内の学校へ土地やお金を寄附したり、鉄道(現在の名鉄西尾線の前身)を敷くなど社会事業にも莫大な貢献をし、31歳の先には西尾町長も務めました。岩瀬文庫の設立は、大厄を迎える数えで42歳の誕生日を期して計画されました。(リーフレットより)

ということで、岩瀬文庫は明治41(1908)年に
私立図書館として誕生します。

この旧書庫は、大正時代の文庫改築時に建築されたもの。

旧書庫の脇に岩瀬弥助翁之像がありました。
2023-10-29-(158).jpg
岩瀬文庫は戦後、西尾市の所管となり、
2003(平成15)年には重要文化財を含む古典籍から近代の実用書まで8万冊余りの蔵書を保存・公開する日本初の「古書の博物館」としてリニューアル開館した。(会場ガイドより)

ということで、現在の岩瀬文庫の1階と階段を使って展示されていたのが、
2023-10-29-(161).jpg

時里 充 Tokisato Mitsuru 1990年 兵庫県出身
2023-10-29-(162).jpg
階段の上と下に設置されたモニタに2体のパペットが
何かを語り合っている映像が映されています。
2023-10-29-(172).jpg
二人が話している内容は、いくつかのキーワードを元にAIが機械的に生成したストーリーなのです。それをさも筋が通ったお話であるかのように声優が声を当てて、さらにその声に合わせて時里充が自らの手をキャラクターに見立てて動かしています。手の動きはモーションキャプチャーで読み取られ、コンピュータ上でシミュレートした布が被せられて、二体のパペットが誕生します。パペットたちが語らう舞台は、現実の複数の場所を3Dスキャンして組み合わせた仮想の空間です。
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/tokisato-mitsuru.html

1階に設置されたモニタでは、手の動きがパペットになる
映像が上映されていて(うまく写ってないけど、画面左半分に
手の動き、右半分はそれに布が被せられた動きになっている)
2023-10-29-(173).jpg
AI技術を使って制作されているんだって
ことはわかったけど‥‥

作品はともかく(^^;; この階段の雰囲気いいなぁ。
2023-10-29-(163).jpg

壁に貼られている絵(?)も、作品かと思ったけど、
岩瀬文庫の蔵書を写した壁画グラフィックらしい。
2023-10-29-(164).jpg

齋藤吾朗《西尾に岩瀬文庫あり》2020年
シルクスクリーン
2023-10-29-(165).jpg

岩瀬文庫 常設展示室
2023-10-29-(169).jpg
2023-10-29-(170).jpg

その奥の企画展示室が

山口 麻加 Yamaguchi Asaka 1991年 大阪府出身

青い画面に白い点が反転したような版画が
並んでいたりします。
2023-10-29-(167).jpg
版そのものもまた厚みを持った立体的なモノだという事実に着目した版画作品を作ってきました。たとえば版木に虫食いの穴が無数に走っていたとして、版木の表側と裏側の両方を挟み込むように刷ることで、穴の入口と出口を一枚の紙に転写することができます。このように、山口の版画はあくまで薄い一枚の紙に過ぎませんが、それがかつて版に接していたときの分厚い情報をさまざまな形で宿しています。
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/yamaguchi-asaka.html

触れる版画もあって、かすかな紙の破れを確かめたりできたけど、
‥‥うーん、なんかよくわからなかった(^^;;

2023-10-29-(171).jpg

地下に展示されていたのが、
柄澤 健介 Karasawa Kensuke 1987年 愛知県出身
《道》2023年
2023-10-29-(178).jpg
2023-10-29-(177).jpg
彫られて凹んだ部分に白い蝋が流し込まれているのが、
川の流れのように見えます。
2023-10-29-(175).jpg

《深[未]景》2017-2021年
2023-10-29-(174).jpg


庭で開催されていた古本市も気にはなったけど、
時間もないし、買ってしまったら持ち帰るのが大変、
なので、見るのは我慢して、お腹も空いたので、
出ていた屋台の焼きそば500円とチュロス250円を買って、
神農理恵さんの作品の近くのテーブルでいただきました。
2023-10-29-(182).jpg


さて、最後の会場、林帯芯工場へ
ここは、会期中の土日のみ開館
2023-10-29-(185).jpg

潘 逸舟 Han Ishu 1987年 上海(中国)出身

昨年開催された国際芸術祭「あいち2022」に、
出品された作品《埃から生まれた糸の盆踊り》を
作品の撮影地である林帯芯工場で展示するとのこと。
2023-10-29-(186).jpg
2023-10-29-(187).jpg
2023-10-29-(188).jpg

わー!! これは‥‥昭和、それも戦前の昭和くらいの雰囲気
今でも稼働しているんですよね!!
2023-10-29-(190).jpg

林帯芯工場は、大正8(1919)年創業

リーフレットいただきました
HayashiObishin.jpg
林帯芯工場のHP: http://obishin.web.fc2.com/

設備は、豊田式小幅織機52台
今や世界のトヨタ自動車ですが、
その始まりは、豊田佐吉の自動織機でしたね。

2023-10-29-(191).jpg
2023-10-29-(192).jpg

潘逸舟さんは、この工場の埃を
「蓄積しつづける記憶、溶けない雪、工場の内側を覆う一層の皮膚」といったメタファーとして捉え
白い糸がゆらゆらと舞う映像を
「あいち2022」に出品されました。

国際芸術祭「あいち2022」(2)愛知芸術文化センター8階
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2022-09-23

愛知芸術文化センターで見た時は、
ゆらゆらと動く糸に、なんか癒されるなー
なんて感想だったんですが、この現場で見たら、
この古い織機に圧倒されたというか。
(実際ほとんど映像見てなかった(^^;

潘逸舟さんが社長さんの顔を描いた絵が飾ってあって、
いい絵だなーって。


林帯芯工場を見終わって、名鉄の駅としては桜町前駅が
近いんですが、名鉄のこんなキャンペーンのリーフレット見て、
西尾のスイーツを食べたいなーって、
(キャンペーンのスイーツきっぷは買ってなかっですが)
Nishio-sweets.jpg
で、西尾駅の近くにあるお店を目指して、二駅分歩きました

途中で見た金物屋さんの看板。金槌で釘を打ち付けてる(^^)
2023-10-29-(194).jpg

しかしっ! 目指した店は日曜閉店(T.T)
(ちゃんと細かい文字まで読まないとー)

西尾駅前にあった「まーちゃ」の像、カワイイ
2023-10-29-(195).jpg

別の店に行こうかって歩きはじめたけど、LO近い時間になって
あきらめました。(うーん、ちょっと心残り‥‥)

2023-10-29-(196).jpg
古本屋さんがちゃんとやってる! それも店舗も結構立派
他の場所でも古本屋さん見たけど、なんか西尾の文化の高さ
みたいなのを感じてしまった。
岩瀬文庫もすごいと感心したし、
西尾市資料館も元西尾市長の多額の寄付をうけてできたとか。

天王寺商店街の像
2023-10-29-(197).jpg

とても楽しい一日でした。撮った写真が198枚(^^;


なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾:
https://aichitriennale.jp/aichi-art/

西尾市岩瀬文庫: https://iwasebunko.jp/

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾 (2) [美術]

10月29日(日)愛知県西尾市へ行き、

「国際芸術祭地域展開事業
 なめらかでないしぐさ
 現代美術 in 西尾」を見たことの続き。

康全寺で、大東忍さんの作品を、
旧上田家具店で、岡本健児さんとキ・スルギさんの作品を見たことは、
前記事に: https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-11-02

会場の一つである尚古荘不言庵

尚古荘 正門
2023-10-29-(64).jpg
2023-10-29-(65).jpg
昭和初期に米穀商・岩崎明三郎が西尾城東之丸の移行の保存のために造営した、日本庭園が美しい別荘・尚古荘。庭園内に移築された不言庵は、元は鍋屋・辻利八の妻・多豆子の茶室で、彼女の和歌の師で幕末明治にかけて活躍した歌人・佐々木弘綱も訪れている。(会場ガイドより)
2023-10-29-(66).jpg
2023-10-29-(67).jpg
色づきはじめたモミジが陽に透けてきれい
2023-10-29-(68).jpg


札本 彩子 Fudamoto Ayako 1991年 山口県出身

2023-10-29-(76).jpg
不言庵の軒に鮭が吊るされています。
2023-10-29-(69).jpg

札本彩子は独自の手法で制作した食品造形を通して、食を取り巻く社会環境や食文化について考察する作品を制作してきました。塩化ビニール製の一般的な食品サンプルとは異なり、札本は樹脂粘土を中心に、食材の質感に合わせてさまざまな素材を組み合わせながら彫刻のような手法で制作しています。
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/fudamoto-ayako.html より

風情のある茶室に吊るされた、
高橋由一の絵のようなリアルな鮭!
2023-10-29-(72).jpg
2023-10-29-(73).jpg
2023-10-29-(70).jpg

茶室の隅に、鮭の切り身が置いてある?
《モシャス(焼鮭 辛口)》
2023-10-29-(71).jpg
これ、右は樹脂粘土と粘度粘土にアクリル着色で作ったもの
なんですが、左は愛宕山の石なんだそう!

札本はまた、目の前にいる誰かとそっくりの姿に変身するというゲームの呪文に由来する〈モシャス〉シリーズを継続して制作してきました。身の回りのものや道端に落ちている石やレンガがふとした拍子に食べ物に見えることがありますが、この瞬間を捉えてその形状を模した食品造形を制作し、2つを並べたものが札本の〈モシャス〉です。

裏の御勝手にも作品がありますってことで、見ると
2023-10-29-(75).jpg
《モシャス(焼鮭 甘口)》
2023-10-29-(74).jpg
これも、左はスポンジ(^▽^)


尚古荘の大広間
2023-10-29-(77).jpg

東屋へも登ってみました。
2023-10-29-(79).jpg

西尾小学校
2023-10-29-(80).jpg

西尾城跡に整備された西尾市歴史公園
2023-10-29-(81).jpg
西尾城は1221年に起こった承久の乱の戦功で現在の西尾市に進出した足利義氏が築いたと伝えられる城です。義氏の子孫はやがて「吉良」を名乗り、この地を拠点としました。江戸時代は大給松平氏6万石の城下町として栄えました。(案内板の説明より)

二之丸の表門「鍮石門(ちゅうじゃくもん)」
2023-10-29-(83).jpg
平成8年(1996)に再建されたもの

顔はめパネルがある(^▽^)
2023-10-29-(84).jpg

私、西尾にお城がある(あった)なんて知らなかったんですが、
これは天守ではなく「本丸 丑寅櫓(うしとらやぐら)」
鍮石門と同じ平成8年に再建されたものだそう
2023-10-29-(85).jpg
2023-10-29-(88).jpg

趣のあるお庭の奥に優美な建物が見えます。
2023-10-29-(89).jpg
2023-10-29-(91).jpg
2023-10-29-(90).jpg
2023-10-29-(92).jpg

旧近衛邸
江戸時代末期に建てられた公家近衛家の邸宅の一部を
京都から移築したもの。
2023-10-29-(94).jpg
お抹茶がいただけます(500円) 見学のみは無料

赤い毛氈が敷かれた広縁でいただきました。
2023-10-29-(96).jpg

旧近衛邸からのお庭の眺め
2023-10-29-(95).jpg

書院棟の一の間
2023-10-29-(97).jpg
2023-10-29-(99).jpg
掛軸は「月在青天水在瓶」
つきはせいてんにあって、みずはかめにある
右のレンコンの木彫は、神谷健司木彫工房の作品

二の間
2023-10-29-(98).jpg


西尾神社
2023-10-29-(103).jpg

丑寅櫓への階段
2023-10-29-(104).jpg
2023-10-29-(105).jpg
丑寅櫓は三重の簡素な造り
2023-10-29-(108).jpg
2023-10-29-(109).jpg
敵の見張りにはいい位置にありますね。
2023-10-29-(106).jpg
眼下に見える建物が、芸術祭の会場の一つ
2023-10-29-(107).jpg

西尾市資料館

西尾市4代市長・杉浦喜之助の遺志で寄附を受け、1977(昭和52)年に西尾城姫丸跡に開館した入母屋造瓦葺きの資料館。(会場ガイドより)
NishioCityMuseum.jpg
もらったリーフレット

入口すぐのコーナーは、常設展示として、
かつての西尾城のジオラマや、
2023-10-29-(121).jpg

西尾藩主や藩士の暮らしぶりについての展示がありました。
大給松平(おぎゅうまつだいら)10代乗邑(のりさと)が
宝永8年(1711)に発布した『亀山訓(きざんくん)』は、
西尾藩士の教育の根底になっていたと。
2023-10-29-(122).jpg

奥のコーナーが、企画展コーナーとして、
「なめらかでないしぐさ」の展示となっています。
2023-10-29-(120).jpg

茨木のり子 Ibaragi Noriko 1926年-2006年 大阪府出身

ガラスに茨木の詩が記されています。
2023-10-29-(111).jpg

2023-10-29-(112).jpg
白い壁、白木の展示台、
シンプルでシャープな雰囲気がとても素敵。

2023-10-29-(112)up.jpg
本展のタイトル「なめらかでないしぐさ」は、茨木が戯曲作家時代に知り合った女優・山本安英との思い出をうたった「汲む──Y・Yに──」のフレーズから採ったものです。

この「怒るとき許すとき」という詩、
私初めて知ったけど、とてもいい!
2023-10-29-(113).jpg
女がひとり
 頬杖をついて
 慣れない煙草をぷかぷかふかし
 油断すればぽたぽた垂れる涙を
 水道栓のように きっちり締め
 男を許すべきか 怒るべきかについて
 思いをめぐらせている
 (中略)
 女たちは長く長く許してきた
 あまりに長く許してきたので
 どこの国の女たちも鉛の兵隊しか
 生めなくなったのではないか?
 このあたりでひとつ
 男の鼻っぱしらをボイーンと殴り
 アマゾンの焚火でも囲むべきではないか?
 女のひとのやさしさは
 長く世界の潤滑油であったけれど
 それがなにを生んできたというのだろう
 (後略) 


‥‥それは自分で発見しなげぱならないと。

ガラスに記された文字の影が台に落ちています
2023-10-29-(115).jpg

2023-10-29-(118).jpg


大和田俊 Owada Shun 1985年 栃木県出身

この展示室で、時々展示ケースのガラスが
ガタリと音を立てることは、常設展示を見ていた時から
気になっていましたが、

大和田俊さんは「なめらかでないしぐさ」を、
炭酸水を「ごくり」と飲み込むときの音ととらえ、
その音を響かせているのだそう。

炭酸水は二酸化炭素を高圧で水に溶かしたもの。

実際に飲用可能な「清涼飲料水」にするためには、殺菌して容器に充填して密栓するなど、国が定める製造や保存の基準をクリアしなければなりません。

ということで、実際に飲んでもらうために、
許認可を得て作った炭酸水がこちら
2023-10-29-(116).jpg
ちゃんと「製造者 炭酸水製造工場」って表示されてる!
2023-10-29-(117).jpg
大和田俊さん、この工場の社長さんだそう。
(このあたり、展示室にいらしたスタッフの方から
聞いた話なので、聞き間違い等あるかもしれません。)

石灰岩から炭酸水を作るための装置
2023-10-29-(119).jpg

貝類やサンゴ、有孔虫などの海の生き物は、水中に溶けた二酸化炭素を利用して骨格や殻を作ります。石材やセメントの原料となる石灰岩の多くは、こうした生き物の死骸が堆積して形成されたものです。このようなプロセスは数億年という地質学的な時間をかけて、われわれ人間には知覚できないほどゆっくりと進行しています。
大和田俊は、石灰岩が酸性の水溶液と反応して再び二酸化炭素を放出する性質を利用して、この一連のプロセスを私たちにも知覚可能な速さへと変換して見せます。

https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/owada-shun.html


周囲の景観に配慮した公衆トイレ
自動販売機には西尾の抹茶入りのお茶(ペットボトル)も
売られていました。
2023-10-29-(128).jpg

令和2年(2020)に完成した「二之丸丑寅櫓」
2023-10-29-(126).jpg

西尾歴史公園を出て、西尾市岩瀬文庫へ向かいます。


こういうレトロなお店、いいなぁ。
2023-10-29-(130).jpg
2023-10-29-(131).jpg

古いカメラもウインドウに並んでました。
2023-10-29-(132).jpg

2023-10-29-(133).jpg
煙草屋とかだったのかな?
2023-10-29-(134).jpg

唯法寺→ って標識があったので、確か会場の一つだったと、
細い路地を入ってみました。
2023-10-29-(135).jpg
唯法寺は10月14日(土)の音楽プログラムの会場なので、
この日は何もやってなかったんですが、この風情のある景色を
見られただけでも良かったと。
2023-10-29-(136).jpg
2023-10-29-(137).jpg
2023-10-29-(138).jpg

2023-10-29-(139).jpg
2023-10-29-(140).jpg

西尾の郵便ポストは抹茶色をしてます(^^)
2023-10-29-(141).jpg

なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾
西尾市岩瀬文庫の作品については次の記事で。


なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾:
https://aichitriennale.jp/aichi-art/

西尾市歴史公園:
https://www.city.nishio.aichi.jp/shisetsu/1005437/1002603.html

西尾市資料館: https://nishio-museum.jp/

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾 (1) [美術]

10月29日(日)愛知県西尾市へ行ってきました。

「国際芸術祭地域展開事業
 なめらかでないしぐさ
 現代美術 in 西尾」が開催されています。
ArtinNishio.jpg

名古屋市美術館「福田美蘭―美術って、なに?」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-10-16
を見に、名鉄電車に乗った時、
中吊り広告でこのイベントを知りました。

でもその時は、メインビジュアルに使われている
神農理恵さんの作品が、切り紙細工とか、
デジタルで加工した写真のようにも見えて、
えー、なにこれ?? みたいなカンジだったんです。

でもそれからツイッター(いまだにXって名称に馴染めない)や
インスタで、フォローしている方々が、
この芸術祭(って言っていい?)のことをアップされてるのを見て、
なんか面白そう‥‥って。


「国際芸術祭地域展開事業」とは、
国際芸術祭(あいちトリエンナーレ)の開催成果を県内各地に広め、
文化芸術への関心を高めてもらい、次回の国際芸術祭の
開催気運の醸成を図るために、

2020年度は大府で「境界のかたち 現代美術 in 大府」

2018年度は豊田で「Windshield Time - わたしのフロントガラスから 現代美術 in 豊田」

2017年度は一宮で「織り目の在りか 現代美術展 in 一宮」

2015年度は春日井で「となりの人びと 現代美術展 in 春日井」

2014年度は豊川で「豊穣なるもの 現代美術展 in 豊川」

2012年度は岡崎で「岡崎 ART & JAZZ」

2011年度は豊橋で「現代美術展 in とよはし」

と、開催されてきたのだそう(知らなかった!)

今回の「なめらかでないしぐさ」というタイトルは、
 幡豆郡西尾町(現・西尾市)で少女時代を過ごした作家・茨木のり子の「汲む」という詩に、「なめらかでないしぐさ」というフレーズが登場します。(チラシ中面の文章)
からつけられていて、開催概要として、

日々の暮らしに追われるあまり、じっくりと考えることをやめてしまったり、見てみぬふりをしてしまったりしがちな出来事に対し、アーティストたちはそれぞれの感受性で目を留め、作品を生み出します。そのやり方は、必ずしも周囲に波風を立てないなめらかなものばかりとは限りません。しかし、身の回りのさまざまな物事をオトナな態度でやり過ごさない、そのなめらかでないしぐさが私たちの心に立てる美しいさざなみこそが、ときに明日を生きる原動力にもなり得るでしょう。
 本展では、国内外で活躍するアーティストたちが、地域にまつわる様々な文化や伝承などにも触れながら、西尾駅周辺の文化施設やまちなかの会場に作品を展開します。


leaflet-2.jpg

西尾市は今まで行ったことがありませんでした。
調べてみると、我が家から名鉄電車を利用して約2時間。
結構遠いけど、西尾市は抹茶生産で全国有数の産地で、
抹茶のスイーツもいろいろあることを聞いていて、
行ってみたいと思ってたんです。

あいちトリエンナーレで、街を歩きながら
アートを鑑賞する楽しさってのに目覚めたというか、
この機会に西尾の街も観光してみようと。

私にしては朝早い8時前に家を出ました。
2回の乗換で行けるので(時間はかかるけど)わりと便利。
名鉄西尾線「西尾駅」に着いたのが10時。
2023-10-29-(2).jpg

駅前の街の案内看板「三河の小京都・西尾」
「西尾市は六万石城下町として発展した都市で茶文化など京都とも関りが深く 平成七年に全国京都会議に加盟しました 文化の薫る散策路を歩いてみて下さい」と
2023-10-29-(3).jpg

チラシ中面の地図を見て(チラシはこの日、名鉄の乗換駅の新安城で
手に入れたけど、それまではウエブサイトからダウンロードしてた)

なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾
https://aichitriennale.jp/aichi-art/

まずは尚古荘不言庵かな、と歩き始めたんだけど、
なんか面白そうなイベントやってるって横道に逸れ、
2023-10-29-(5).jpg
2023-10-29-(7).jpg

で、大通り(中央通り)に出たら、え?! この人形なに(^▽^)
「高砂町商店街へようこそ!!」と
2023-10-29-(8).jpg

銀行のウインドウに、ポスターと
茨木のり子の詩「倚りかからず」が掲示されてます。
2023-10-29-(9).jpg

茨木のり子「自分の感受性くらい」
2023-10-29-(10)-1.jpg

茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」
2023-10-29-(10)-2.jpg

ちょっとモダンで面白いなって建物。床屋さんの
ウインドウに顔(誰?)が書いてある(^^)
2023-10-29-(12).jpg

吾妻町商店街の人形は獅子舞?
2023-10-29-(13).jpg

幸町商店街 背中にしょっているのはお好み焼きのコテ?
2023-10-29-(14).jpg

「本町商店街へようこそ」と。
2023-10-29-(15).jpg

芸術祭の会場のひとつ 西尾山 康全寺
2023-10-29-(17).jpg
2023-10-29-(19).jpg
本堂
2023-10-29-(20).jpg

こちらのお堂に作品があります
2023-10-29-(21).jpg

大東忍 Daito Shinobu 1993年 愛知県出身
《かつての騒ぎと今日の踊り》2023年
2023-10-29-(23).jpg
わっ!! これはすごい! すごくいい!!

堂内のたくさんの襖に絵が描かれています。
2023-10-29-(24).jpg
木炭で描かれたモノクロームの夜の景色
どこか懐かしいような‥‥
2023-10-29-(25).jpg

日本中のどこにでもありそうな住宅地の静まり返った夜。ひとり、またひとりと去ってしまった限界集落の夜。祭りが終わり、その余韻すらもすでに消えて静まり返った広場の夜。ただ生活の気配だけがかすかに漂っている、そんな抜け殻のような景色を舞台に、
ウェブサイトの文章より
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/daito-shinobu.html
2023-10-29-(26).jpg

月明かりや街灯をスポットライトにして、黒い人影が黙々と踊り続けています。
2023-10-29-(24)up.jpg

2023-10-29-(27).jpg

2023-10-29-(29).jpg

大東忍さん、2019年のアーツ・チャレンジに
出品してらした作家さんだ!

アーツ・チャレンジ2019
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2019-03-03

大東忍さんは全国の盆踊りを訪ねていくうちに、
その秩序と混乱の狭間にある状態に、強く惹かれるようになりました。

隣の座敷で、大東忍さんの画集や、
盆踊りのレポート(?)を読むことができました。

康全寺の閻魔堂を覗くと、閻魔王はじめ
仏(?)様の像が。格子の隙間から写真撮らせてもらいました。
2023-10-29-(32).jpg

本町通りの街灯 雲一つない秋晴れ。
ハロウィンも近い。
2023-10-29-(35).jpg

会場の一つ 旧上田家具店
2023-10-29-(36).jpg

岡本健児 Okamoto Kenji 1980年 愛知県出身
2023-10-29-(38).jpg
無数の点が集まって、キラキラしているような大きな絵
この場所にあってきれいだけど、何を描こうとしたのか?
2023-10-29-(39).jpg

特別支援学校での造形あそびや美術の指導の経験を通じて、岡本は絵を描くという行為を「描きたいもの」や「描く技術」ありきで考えるのではなく、画材に使えそうな色々なものと、それを握って画面に擦り付ける人の動きの組み合わせとして捉えるようになりました。

2023-10-29-(37).jpg

そうか、無心に点を打っていくのって、
なんか楽しくなってきますよね。

2023-10-29-(40).jpg
この流し台の前にある綿花から糸を紡いで、
キャンバスを織り、それに土や貝殻を砕いた顔料で
描くってのも《絵を描く》って作品なんだ
2023-10-29-(40)up.jpg
2023-10-29-(40)up2.jpg
799(延暦18)年、天竺(インド)から現在の西尾市に小舟で漂着した一人の若者が携えていた綿の種。それこそが、日本への綿の伝来だとされています(『日本後紀』)。綿の祖を祀るここ西尾の地で、岡本の絵は自らの成り立ちを丁寧に手繰り寄せながら、より確かな手触りを帯びていくのです。
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/okamoto-kenji.html より

2023-10-29-(50).jpg


旧上田家具店の奥にあったのは、

キ・スルギ Ki Seulki 1983年 ソウル(韓国)出身

茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」が、
鏡に一行おきに鏡文字で書かれています。
《彼女たちが一番きれいだったとき》
2023-10-29-(41).jpg
ヘッドホンからは、二人の女性が英語で朗読する声が聞こえます。
現在のモスクワとキーウに暮らす女性とのこと。
それを知って聞くと、戦時下の青春をうたった茨木の詩が、
現在のロシアやウクライナの状況と重なって聞こえます。

街々はがらがら崩れていって
 とんでもないところから
 青空なんかが見えたりした


まわりの人達が沢山死んだ

男たちは挙手の礼しか知らなくて
 きれいな眼差しだけを残し皆発っていった


床に映った文字は、鏡の文字とは反転するんですね。
2023-10-29-(42).jpg

部屋の中央に置かれたテーブルは、
テーブルクロスの上に置かれた茨木のり子の眼鏡と
ティーカップを写した写真をモチーフに制作したとのこと
2023-10-29-(46).jpg

この写真は、茨木のり子の肖像写真を作家が演じた作品
《なめらかなしぐさをまねる》
2023-10-29-(47).jpg

こちらは、茨木のり子と、27歳の若さで敗戦直前の日本で獄死した
韓国の国民的詩人ユン・ドンジュが一緒にいるかのような合成写真
《わたしたちが一番きれいだったとき》
2023-10-29-(43).jpg

茨木はユンの詩を高く評価していました。二人が一緒にいるかのような合成写真は、もし彼らが出会っていたら交わされたであろう会話についての私たちの想像を掻き立てます。
https://aichitriennale.jp/aichi-art/artists/ki-seulki.html

茨木のり子は「50歳を超える年齢で韓国語を勉強し始め、 韓国現代詩人たちとの交流を深め、日本国内でユン・ドンジュの詩と その生涯を広く知らしめるのに大きく貢献した人物だ。
(写真下に書かれたキ・スルギの文章より)

私が昔、韓国語を習っていた頃――冬ソナがブームになる前、
ハングル文字が面白いなーって軽い気持ちで始めたんだけど、
その頃は、なんで韓国語‘なんか’習うの? って言われた。
冬ソナがヒットして、周囲で韓国語を習う人が増え、
あっという間に私より上達していくのを見て、
なんか熱が冷めちゃったというか(^^;>

尹 東柱「序詩」を知って感動したな。
死ぬ日まで天を仰ぎ
 一点の恥ずべきなきを
 草葉にそよぐ風にも
 私は苦しんだ。
 星をうたう心もて
 すべての死にゆくものを愛さねば
 そして 私に与えられた道を
 歩まねばならないだろう
 今夜も 星は風にふれている

別冊宝島42「10日間のハングル」より

チュンヌン ナルカジ ハヌル ウロロ‥‥
韓国にホームステイ(っても2泊くらい?)に行った時、
この詩を暗唱したら、すごく喜んでもらった。

茨木のり子やユン・ドンジュの資料も展示されていて、
2023-10-29-(44).jpg
2023-10-29-(45).jpg

尹東柱の詩集「空と風と星と詩」の
表紙(リー・ジョン作の版画)を模写して、
オマージュの意味で星を描き入れた絵と、
2023-10-29-(48).jpg
茨木のり子が9歳の時に作った初めての絵本に収録された
折り紙のコラージュを同じように制作し、星(あるいは雪)を
表現した絵が展示されていました。

私は幼い頃から絵を描いたことがない。写真家の私にとって、今回の絵画の展示は、最初で最後の展示となる可能性が非常に高い。恥ずかしい腕前だが、この2人の詩人への愛情と尊敬の念を込めて、一生懸命描いた。」(絵の下に書かれていた文章)

なんかいろいろ考えさせられる作品で良かった。


旧上田家具店の店先に、額田郡幸田町のヴィーガンレストラン
「monologue」のコーヒースタンドが出店されてます。
2023-10-29-(51).jpg
見た目も美しいケーキもあって、
コーヒーと、フルーツタルトを 1,274円(税込)
コップの蓋も紙でできています。
2023-10-29-(54).jpg
岡本健児さんの展示空間内のテーブルで
いただくことができました。

さて、旧上田家具店を出て、尚古荘不言庵へ向かいます。

あ、こちらのお店のウインドウにも
茨木のり子の詩が貼られている。
2023-10-29-(55).jpg

わー、ユニークな建物! 歯科医院らしい。
2023-10-29-(57).jpg
2023-10-29-(59).jpg

緑色の二階建てバス
2023-10-29-(58).jpg

立派な古いお家!
2023-10-29-(60).jpg

「西尾城三之丸新門跡」にあるのが、
抹茶ラボ 西尾伝想茶屋店
2023-10-29-(62).jpg
西尾の名産・抹茶を使ったスイーツが楽しめるお店
ってことで、心ひかれたけど、今コーヒーとケーキを
食べたところなので‥‥その隣にあるのが
会場の一つである「尚古荘不言庵」
2023-10-29-(63).jpg


長くなりましたので、とりあえずここまででアップします。
‥‥こんな調子でブログ記事書いていったら、
この一日のこと、いつになったら完成するのか? なんだけどー

この「なめらかでないしぐさ」11月5日(日)までですが、
観覧無料なのに、とても良かった! 行ける方は是非!


なめらかでないしぐさ 現代美術in西尾:
https://aichitriennale.jp/aichi-art/

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

岐阜県現代陶芸美術館「三島喜美代ー遊ぶ 見つめる 創りだす」 [美術]

10月15日(日)岐阜県現代陶芸美術館へ行きました。

「三島喜美代
遊ぶ 見つめる 創りだす」
MishimaKimiyo (1).jpg

 三島喜美代(1932年生まれ)は、大阪市と岐阜県土岐市を制作の拠点として活動し、陶で雑誌や新聞、ダンボールなどを表現する革新的な作品で知られています。(チラシ裏面の文より)
MishimaKimiyo (2).jpg

岐阜県現代陶芸美術館のコレクションでも、
そんな作品がよく展示されてたし、
(チラシ裏面、2段目と3段目の作品が岐阜県現代陶芸美術館の所蔵)

今年2月に見た
岐阜県美術館「第11回 円空大賞展」でも、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2023-02-05
陶でできたチラシや雑誌が散乱していたので、

私てっきり陶芸作家かと思ってたんですよ。

で、今回のチラシ表面のビジュアル見て、
三島喜美代のイメージと違うなぁ って。

でも「過去最大規模の個展」(チラシ裏面の文)ってことで、
楽しみに見に行きました。

岐阜県現代陶芸美術館は、岐阜県美術館の後援会員証で
各企画展毎に1回ずつ無料で見ることができます。
(岐阜県美術館の年会費3,000円はなんておトクなんでしょう!!)

もらったチケットのビジュアルは、
岐阜県現代陶芸美術館所蔵の《バナナボックス》2007年
MishimaKimiyo-t.jpg

そして、ほとんどの作品が撮影可!

ロビーに置いてある作品は、岐阜県現代陶芸美術館所蔵の
《Work-96A》
2023-10-15-(4).jpg

展示室入口に掛かっているのは、新作の
《Work23-TAG》
2023-10-15-(5).jpg
「われもの注意」のタグが陶で作られています(^^)
2023-10-15-(5)up.jpg

最初に初期の油彩作品が展示されています。
2023-10-15-(6).jpg

正面の壁に展示されている1点のみが、
夫である故・三島茂司の1960年の作品
2023-10-15-(11).jpg

《Work64-Ⅲ》 新聞紙が何枚も貼りつけられています
2023-10-15-(8).jpg

《ヴィーナスの変貌Ⅴ》1967年
シルクスクリーンが使われています
2023-10-15-(10).jpg

なんとこれ、馬券が貼り付けられているんです!
2023-10-15-(16).jpg


三島喜美代と言えば‥‥の、新聞を陶で作り始めた頃の作品
《Package'74》滋賀県立陶芸の森
2023-10-15-(13).jpg
2023-10-15-(14).jpg

ダンボールが陶で作られています
《Pacjage'78》滋賀県立陶芸の森
2023-10-15-(17).jpg

大きなチラシ(陶の作品)が壁面に張り巡らされた
《Copy'78-'80》滋賀県立陶芸の森
2023-10-15-(18).jpg

作品が巨大化してます
2023-10-15-(19).jpg

2023-10-15-(21).jpg

2023-10-15-(20).jpg

電信柱まで作ってる! この作品は(ここの所蔵なのに)
見たことなかったなー。
《Electric Poles》1984年 岐阜県現代陶芸美術館
2023-10-15-(22).jpg
2023-10-15-(23).jpg

新聞紙にくるまれた赤いポット
2023-10-15-(24).jpg

チラシが陶で作られています。
左側の作品《KOUKOKU 08》
「御同情の一票にて○○○○を働かせて下さい‥‥」(笑)
2023-10-15-(25).jpg

2023-10-15-(29).jpg

三島喜美代ってイメージする
陶でマンガ雑誌を制作した作品
2023-10-15-(26).jpg

めくれたページも再現されてます。
2023-10-15-(27).jpg

さわれる作品がありました。
持ってみると、ずっしりと重い!
まぁ、陶でできているのだから当たり前なんだけど。
2023-10-15-(31).jpg

このあたりから、
溶融スラグを使った作品を作るようになったと
2023-10-15-(32).jpg

溶融スラグとは、ごみを焼却炉で燃焼した後にできる物質

私、三島喜美代を「陶」で新聞や雑誌を作る作家だと
思っていたので、この部屋の作品には
ちょっと戸惑ったというか‥‥
ゴミがただ置かれているようにも見えて。
2023-10-15-(33).jpg

あとで気が付いたんだけど、この日14:00から
ギャラリートークがあったんだ‥‥もう少し
早く行けば良かった(私は14:30頃に着いた)
素材について聞いてみたかったな。
溶融スラグで作った作品はどれなのか?
(出品リストには素材は書いてなかったし、
図録はまだできてなかった)

この銀色のシート(でも表面をよく見ると文字が読める)が
積みあがっているように見える大きな作品は何でできているのか?
2023-10-15-(35).jpg
スパッと裁断されたような形になっているのが面白い。

《Work92-N1》
中に入っている新聞は陶でできているんだろうけど
錆びた一斗缶はゴミ(廃棄物)だったのか?
新聞紙を燃やして焚火したい(^^)
2023-10-15-(34).jpg

《Work21-B》
時計はゴミ(廃棄物)だったんだよね?
錆び具合、壊れ具合が風格を感じるというか。
2023-10-15-(36).jpg

広いスペースに大きな作品が置かれていていい雰囲気です。
2023-10-15-(37).jpg

これ、森美術館の「アナザーエナジー展」
(会期:2021.4.22~2022.1.16)で
展示されていた作品ですね!
《Work21A》森美術館
2023-10-15-(38).jpg
私は見に行かなかったけど、話題になってたし、
日曜美術館で三島喜美代が取り上げられた時
(2021年6月27日放送「三島喜美代 命がけで遊ぶ」)
紹介されてましたね。
2023-10-15-(40).jpg

こちらのゴミ箱は、屋外に置かれていたら、
本当のゴミ箱と思われて、空き缶とか捨てられそう(^^)
2023-10-15-(39).jpg

ギャラリーⅠを出たところで、三島喜美代さんの
インタビュー映像が流れていて、
ちょっと昔(10年くらい前?)のものでしたが、
美術を始めたきっかけは、高校の先生に
好きなことをしていいって言われたことだとか、
後に夫となる三島茂司さんに絵を見せに行ったら、
コテンパンに言われて、帰って大泣きしたとか、
大阪弁で楽しそうに語っておられたのが印象的でした。

で、いつもギャラリーⅡはコレクション展だったりするので、
てっきり、三島喜美代展はこれで終わりかと思って行くと、
(ちゃんとチラシとかにもギャラリーⅠ・Ⅱって書いてあるのに(^^:

こちらも三島喜美代!
2023-10-15-(41).jpg

吹き抜けの展示室には、高さを生かした作品が!
2023-10-15-(42).jpg

2023-10-15-(45).jpg
ドイツの新聞が転写されているとか。
2023-10-15-(45)up.jpg

化石の収蔵棚みたいな作品も
2023-10-15-(44).jpg
2023-10-15-(46).jpg


階段を上がったB室は‥‥
2023-10-15-(47).jpg
わー! 三島喜美代さんの家に迷い込んだみたい。
2023-10-15-(48).jpg
資料なのか、作品なのか、ゴミなのか‥‥雑多なものが
いっぱいあって、なんか楽しそうでもある(^^)
最近の三島喜美代さんのインタビュー映像もありました。


最後のD室には、この展覧会のために作られた
新作が2点展示されています。
2023-10-15-(52).jpg

床面に広がる《Work23-A》は、
「彩の国さいたま彫刻バラエティ'96」で大賞を受賞して
制作した《Newspaper97-A》(桶川駅西口公園・埼玉)を、
鋳造した際に流れ出たアルミ合金が材料。
そこに型抜きした文字が貼り付けられていると。
2023-10-15-(51).jpg

うねうねした鉄筋が絡まって、
2つの大きな塊になっています。
《Work23-S》
2023-10-15-(53).jpg

チラシ表面のビジュアルはこれですね!
2023-10-15-(49).jpg
捨てられていた建築物の鉄筋を、
土岐のアトリエに運び込んで、長く屋外で寝かしていた
その鉄筋にシルクスクリーン印刷で細かな文字が
転写されています。
2023-10-15-(50).jpg


屋外にも作品があります。
《Work 03》岐阜県現代陶芸美術館
2023-10-15-(60).jpg
2023-10-15-(61).jpg
2017年5月に「コレクション×クロニクル」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2017-06-02
見に来た時にもここの池に展示されていました。


ギャラリーⅠ・Ⅱを使っての大規模な展示で、
吹き抜けの空間を使っての大きな作品とか、
新作もあって見ごたえありました。
新聞やマンガ雑誌を陶で作る陶芸家ではなく、
現代美術家なんだと。
大規模なインスタレーション、迫力です。

図録購入しようとショップへ行ったんですが、
まだできてないとのことで、ちょっと残念。

で、三島喜美代のアートも紹介されていると
並んでいたこの文庫本

秋本雅史「日本で見られる現代アート傑作11」
購入しました。682円(税込)
gendaiArt11.jpg

十和田市現代美術館の
ロン・ミュエク『スタンディング・ウーマン』や、
金沢21世紀美術館の
レアンドロ・エルリッヒ『スイミング・プール』など、
日本で見られるトップレベルの現代アート11作品が
紹介されていて、その1つが、

アートファクトリー城南島の
「ゴミを擬態化したアート」
三島喜美代『Newspaper08』『Work92-N』
『Work2000-Memory of Twentieth Century』

あ、日曜美術館でもちょっと紹介されていたけど、
すごいスケール!! で、予約制だけど、入館料無料?!!
一度行ってみなくては!!

この本で紹介されているアート作品、私は

金沢21世紀美術館の『スイミング・プール』と
ジェームズ・タレル『ブルー・プラネット・スカイ』
金沢21世紀美術館「レアンドロ・エルリッヒ―ありきたりの?」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2014-07-24

DIC川村記念美術閣のマーク・ロスコ『シーグラム壁画』
DIC川村記念美術館「ブリジット・ライリーの絵画」展
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2018-08-27

くらいしか見たことがないけど、全部見てみたい!!

ついでに隣に置いてあった
「岐阜県現代陶芸美術館 収蔵作品選 日本の陶芸」
1,000円(税込)も購入しました。
MoMCA-book.jpg
もちろん三島喜美代の作品も、
ロビーに展示してある《WORK-96A》が掲載されてます。
(富本憲吉の2点を除き、1作家につき1点で、60点)


この本の表紙になっている
桑田卓郎《陶木》2022
2023-10-15-(63).jpg
2022年のリニューアル後に来た時、
このドハデなオブジェに驚いたなぁ!
夕陽にキラキラと輝いています。

岐阜県現代陶芸美術館: https://www.cpm-gifu.jp/museum/


----
2023年2月4日(土)中日新聞夕刊の記事
2023-2-4-CHUNICHIe.jpg


--PR--

日本で見られる現代アート傑作11 (小学館文庫 あ 50-1)

日本で見られる現代アート傑作11 (小学館文庫 あ 50-1)

  • 作者: 秋元 雄史
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2022/07/06
  • メディア: 文庫



nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

名古屋市美術館「福田美蘭―美術って、なに?」 [美術]

10月12日(木)、名古屋市美術館へ行きました。

「開館35周年記念
 福田美蘭
 美術って、なに?」という特別展をやっています。
FukudaMiran-(1).jpg
このチラシ見て、この展覧会って、なに? って(@o@)
これは絵? 写真? これが作品なの?
《松竹梅》ってタイトルがついてる
確かに上から鰻重の松竹梅だけど、これをわざわざ
作品にする意味は? なんて。

福田美蘭について、名前くらいは知ってるってくらいの
(でも、美蘭を「みらん」って読んでなかった(^^;
知識しかありませんでした。
福田繁雄の娘さんなんですね。

名古屋市美術館の常設展で、スルバランの静物の絵の
並んだ壺の一つをモザイクにしたり、
レンチキュラーレンズ(って言うのを今回知りました
見る角度によって絵が変化するカマボコ状のシート)で、
壺が倒れて壊れるように見えたりする作品を見てたんですが、
ふーん、ってカンジで。

2018年に名古屋市美術館で開催された
「モネ、それからの100年」展でも、
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2018-05-25
福田美蘭の作品が展示されていたんですが、
その時はあまり心に響かなかったんですね。
大原美術館の池を描いた作品《睡蓮の池》を、
ただの風景画では? くらいにしか見てなくて(^^;

2020年、豊田市美術館「いま見える景色」
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2020-12-30
福田美蘭の作品が2点展示されていて、その1枚が、
《大根おろし》1996年
一見して、抽象画かって思ったけど、
タイトルを見たら、確かにこれは大根おろしを拡大して描いた
具象絵画にしか見えなくて面白かった。


それくらいの認識だったので、
特に見に行きたい展覧会リストには入れてなかったんですが、
10月1日の日曜美術館アートシーンで取り上げられていて、
へーちょっと面白そうかも、って
それであらためてチラシの裏面まで読んでみた(^^)
FukudaMiran-(2).jpg
国内外で活躍を続ける現代美術家・福田美蘭(1963- )は、現代社会が抱える問題に鋭く切り込み、東西の美術、日本の伝統や文化を、意表を突くような手法であらわして、私たちの既成概念を打ち破ってきました。
本展では、古今東西の名画に福田独自のユニークな視点で向き合った作品から、国内外の時事問題をテーマに鋭い視点で切り込んだ作品まで、新作を含む約50点で福田美蘭の世界観を紹介します。

(チラシ裏面の文)


パートが休みだった9月12日(木)、
愛知県美術館友の会の特別鑑賞会の夜の部が
17:30~にあるので、名古屋市美術館を見てから
愛知県美術館へ行こうって。

気候も良くなってきたので、名古屋駅から歩こうと、
途中の金券ショップのぞいたら、
当日一般1,500円の福田美蘭展のチケットが
1,400円であったのでゲット!

白川公園の噴水と名古屋市科学館
2023-10-12-(6).jpg

名古屋市美術館
2023-10-12-(8).jpg

展示室入口の記念撮影スポット
2023-10-12-(9).jpg
(でも、この展覧会、一部を除きほとんどの作品が写真撮影可!!)

序章 福田美蘭のすがた

1963年に東京で生まれた福田美蘭は、東京藝術大学に学び、大学院修了後すぐに第18回現代日本美術展で佳作賞、翌年には26歳の若さで具象絵画の登竜門といわれる安井賞に輝く(後略)

最初に展示されていたのが(出品リストや図録の番号順ではなく)

《志村ふくみ《聖堂》を着る》2004年 滋賀県立美術館
2023-10-12-(10).jpg
志村ふくみの着物を着た作者の姿。
志村ふくみの着物《聖堂》は、貴重な美術品として、
滋賀県立美術館に所蔵され、触ってはいけない
鑑賞する着物になっている。
でも絵画の中では着ることができる。

そんな作品の隣に展示されていたのが、
《フランク・ステラと私》2001年
(あ、写真撮り忘れた(T.T)
現代美術界の巨匠・フランク・ステラと作者が並んで
記念撮影した写真を拡大して描いた作品。
写真の日付まで描き込んであるんだけど、
本当にステラと並んで写ったのか?って疑うことも
できるわけで(もちろん本当だと思うけど)
この絵の大きさ、写真をよくここまで引き伸ばしたな、
なんて思っちゃうような画力すごいなーって。

その隣の《緑の巨人》1989年 国立国際美術館
2023-10-12-(12).jpg
出品リストではno.1、福田の初期の作品で、
伝統的絵画からコミックまで、既存のイメージを寄せ集めて
構成した作品で、その描写力と構成力を高く評価されて、
インド・トリエンナーレで金賞を受賞したとのこと

《涅槃図》2012年 豊田市美術館
2023-10-12-(13).jpg
2010年12月に104歳で亡くなった福田の母方の祖父で童画家の
林義雄 動画に描かれた人や動物で構成した涅槃図
可愛く、ほっこりするような涅槃図。
豊田市美術館の所蔵なんだ!


名画 イメージのひろがり/視点をかえる

休憩するモナ・リザ(^▽^)
《ポーズの途中に休憩するモデル》2000年 富山県美術館
2023-10-12-(27).jpg

《虎渓三笑図》2020年 千葉市美術館
2023-10-12-(14).jpg
千葉市美術館所蔵の曽我蕭白《虎渓三笑図》を題材に、
虎の声を聞いたとはその姿を見たわけではないと解釈し、ここでは描かれている急峻な岩山をそのまま組み込んで、風景の中に見えない虎の姿を描いている。」福田美蘭の作品解説より
鑑賞のヒントにも「隠れたトラを探してみよう!
ってあったけど、なかなか見つけられずにいたら、
監視員の方が教えてくれました。
でもちょっとわかりにくいですよね。
この岩が虎の顔なの? って。

《安井曾太郎と孫》2002年 大原美術館
2023-10-12-(15).jpg
大原美術館所蔵の安井曾太郎《孫》を
描いていたときの様子を想像して描いた絵。
安井曾太郎の表現方法で描いているのがすごい。
安井が孫を描いているところを、
安井が描いたんじゃないかって思ってしまう。

《ミレー“種をまく人”》2002年 山梨県立美術館
2023-10-12-(16).jpg
山梨県立美術館所蔵のミレー《種をまく人》の
その後のポーズ、種が手から離れた瞬間を描いた絵。
ミレーが連作したんじゃないかって思う描写力!

これはゴッホの絵を題材にして描いたのか? って
キャプション見たら、大原美術館所蔵の
伝フィンセント・ファン・ゴッホ《アルビーユの道》
2023-10-12-(17).jpg
えっ!? ゴッホではないかって言われてる絵なの??
真贋論争は、絵画の一つの問題点であり、また芸術というものの本質的な問題も含んでいる
福田がこの絵をはじめて見たとき、
真作かどうか、ということよりも、ゴッホらしくない、と感じることに惹かれて、これが本物であると感じるには何が足りないかということを、また、これが真作だとしたら、ゴッホの作品をもっとゴッホらしくするとはどういうことか、を描きながら考えてみたかった。

ということで描いたのがこちら
《ゴッホをもっとゴッホらしくするには》2002年 大原美術館
2023-10-12-(18).jpg

《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》1996年 国際交流基金
2023-10-12-(19).jpg
写楽の大首絵は役者を実際に見て描いたと言われている。
写楽が見たであろう役者の姿はこうではなかったか。
うんうん、まさにリアル!

ベラスケスの名画《ラス・メニーナス》の中に入り込んだよう!
《侍女ドーニャ・マリア・アウグスティーナから見た王女マルガリータ、ドーニャ・イザベル・ベラスコ、矮人マリア・バルボラ、ワイ人ニコラシート・ペルトゥサートと犬》1992年 高松市美術館
2023-10-12-(20).jpg

マネの《草上の昼食》の裸婦を正面から見ています
《帽子を被った男性から見た草上の二人》1992年 高松市美術館
2023-10-12-(21).jpg

名古屋市美術館所蔵のフランク・ステラ《説教》を
チョコレート・ドリップケーキのデコレーションにした新作絵画
《説教(フランク・ステラによる)》2023年
2023-10-12-(22).jpg

名古屋市美術館所蔵の名画、
フリーダ・カーロ《死の仮面を被った少女》を題材に、
インスタレーションの新作作品が作られていました。
(撮影不可でした)


あっ、天井にも作品が!
《Portrait》1995年
2023-10-12-(24).jpg

二つ折りになった状態で壁に掛けられていて、
絵を観たい人は自由に手で開けて鑑賞する
《開ける絵》2000年
は、不具合で一部のみのの展示となっていて、
開閉することはできませんでした。

名古屋市美術館所蔵のレンチキュラーレンズを使った
《陶器(スルバランによる)》1992年 も展示されてましたし、

レンチキュラーレンズで、
ベラスケスの初期の代表的ボデゴン(厨房画)の一点が
完成するまでの3段階が一枚の絵の中で見られる
《卵を料理する老婆》1992年 京都国立近代美術館
なども面白かった!



2階の展示室へ行くと、

時代をみる

龍安寺の石庭をそのまま描いた? って解説を読むと、
一番手前の石は尖閣諸島の南小島の形をしているんですね!
《石庭》2017年 千葉市美術館
2023-10-12-(28).jpg

展覧会のメインビジュアルとなっている
《松竹梅》2017年 千葉市美術館
2023-10-12-(29).jpg
絵の大きさと(227.2×181.8cm)リアルな描写力に驚きます。

江戸時代に流行した《誰が袖図》に習い、
衣桁にディズニーキャラクターの服を掛けた
《誰が袖図》2015年 京都市美術館
可愛くて、クスッと笑ってしまった。
でも、画中の屏風に描かれているのは、2015年2月1日
過激派組織ISILがジャーナリストを殺害したとする映像を
インターネット上に公開したその現場の風景だとかで、
可愛いディズニーキャラクターがアメリカの富と権力の
象徴として描いているのだとか。

その絵をぬりえの形態にした作品も隣にあったけど、
(来場者が実際にぬりえをすることはできない)
置かれていたクレヨンはオレンジ色と黒のみ。
オレンジ色は殺害される人質を、黒はジハーディ・ジョンの呼び名で知られる覆面の戦闘員の男と、ISILの旗の色をイメージしている」のだそう。

ゴッホの絵みたいって見た
《冬―供花》2012年 豊田市美術館
2023-10-12-(30).jpg
作者は、2011年に国立新美術館で見たゴッホの《薔薇》を見て、
その2年前に父が亡くなった際に届けられた白い花々を思い出し、
花籠一枚ずつ撮っていた写真をもとに描いているそう。
震災で命を落とした人と向き合うような気持ちで描いたと。


《秋―悲母観音》2012年 東京藝術大学
2023-10-12-(31).jpg
東京藝術大学所蔵の狩野芳崖《悲母観音》をもとに、
観音が子を抱く母子像として描いています。
背景には、震災で家、船、瓦礫が流される風景!
慈愛に満ちた観音像に心がきゅんとなりました。

《世界貿易センタービルの展望台》2008年 富山県美術館
2023-10-12-(32).jpg
2001年9月11日航空機に激突されて失われた展望台からの眺望。
等身大にリアルに描かれているので、私もこの人物たちに交じって
展望台からの景色を眺めているような気分になりました。


《ブッシュ大統領に話しかけるキリスト》2002年
 新潟県立近代美術館・万代島美術館
2023-10-12-(33).jpg
背景では世界貿易センターが黒煙を上げています。
人の話を聞こうとしないブッシュが耳を傾けるとしたら、もはやキリストしかいないのではないか、という私の考えを絵画にしたもの。


東京ビエンナーレ2023のアートプロジェクト
美術家の原画をおしぼりに刺繍し、東京都内の飲食店で
実際におしぼりとして提供する「おしぼりリンゲージ」
2023-10-12-(34).jpg
一見、これは何の図? って思ったけど、
矢印に気が付いて、引っ張ってみたら―
日本語と英語でおもてなしの言葉が出るんですね!
洒落てます!


最後のコーナーには、
プーチン大統領をモディリアーニのカリアティードの連作に
見られるような鉛筆のドローイングの連作作品(新作)と、

モディリアーニ風にデフォルメした
《プーチン大統領の肖像》2023年
2023-10-12-(35).jpg
2023-10-12-(36).jpg
モディリアーニのような瞳のない肖像
2023-10-12-(37).jpg

そして《ゼレンスキー大統領》2022年 練馬区立美術館
2023-10-12-(38).jpg
テレビの報道やSNSですっかりおなじみ(?)になってしまった
ゼレンスキー大統領のこのイメージ!
福田美蘭はこの絵を「マネの現実認識による曖昧さそのものをイメージした絵画について考えることができると思った。


面白かった! とにかく福田美蘭の画力すごいなって。
さすが、安井賞を最年少で受賞しただけありますね。
絵を描くことを楽しんでるってカンジがします。

そして、それぞれの作品につけられた福田美蘭の解説が良かった。
そんな意図で描いていたんだって、気づかされることも多くて、
(よくわからないところもあったけど)

ショップで、写真いっぱい撮らせてもらったので、
ちょっと迷ったけど、福田美蘭の作品解説をまた読みたくて、
図録購入しました。2,200円(税込)
FukudaMiran(B).jpg
この展覧会は名古屋市美術館のみの開催で、
数量限定とのことなので、なかなか貴重な一冊ではないかと。


グッズ売り場にあった記念撮影スポット
いろんな角度から描いた見返り美人の群像の中に、
紛れ込むことができます!
2023-10-12-(39).jpg


名古屋市美術館: https://art-museum.city.nagoya.jp/

特別展「開館35周年記念 福田美蘭―美術って、なに?」公式サイト:
https://static.chunichi.co.jp/chunichi/pages/event/fukudamiran/

特別展を見終わって、地下のコレクション展へ。
愛知県美術館の特別鑑賞会の時間も迫ってきたので、
駆け足で‥‥福田美蘭の絵の題材となった
フランク・ステラ《説教》や、
モディリアーニ《おさげ髪の少女》や、
フリーダ・カーロ《死の仮面を被った少女》を
やっぱり展示してあるーって確認してきました(^^)

現代の美術の展示テーマは「金属を用いた美術作品」
久野真の作品がシャープで良かった。

そして、
「東山動物園猛獣画廊壁画修復プロジェクト」
https://art-museum.city.nagoya.jp/topics/mouju_hekiga/
の部屋では、2名の方が修復作業をしておられて興味深かったです。

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

新美南吉記念館記念館と矢勝川の彼岸花 [花]

9月28日(木)、愛知県半田市へ行ってきました。

GON2023.jpg

「新美南吉のふるさと」として知られる半田には、
新美南吉記念館があり、その近くを流れる
矢勝川の堤は、300万本の彼岸花が咲く、
ヒガンバナの名所として知られています。

矢勝川堤のヒガンバナは、
新美南吉の童話『ごんぎつね』の一節
ひがん花が赤い布(きれ)のようにさきつづいていました
という描写を再現しようと、1990年に地域の方が主体となって
彼岸花の球根を植栽したのがはじまりで、今では
300万本の群生となっているのだそう。

毎年、秋の風物詩として紹介されていて、
行ってみたいなーと思いつつ、行ったことがありませんでした。
彼岸花って、桜と同じかそれ以上に期間が限られてるし
できれば平日に行きたいと思うと、なかなか都合がつかなくて

(桜って地域やその年の気候によって咲く時期がズレますが、
彼岸花は本当に秋の彼岸に咲きますね! 不思議‥‥
今年みたいに猛暑でも、例年より少し遅めかなって気もするけど、
彼岸にはあちこちで咲いてるのを見ることができました!)


8月25日に父が亡くなり、葬儀の後も、
二七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)、四七日(よなのか)、
月命日と法要があったりで、趣味の(?)美術館巡りとかにも
ちょっと心が動かなくて‥‥
9月28日(木)は、本来なら父の五七日になるんですが、
9月23日(土・祝)に五七日忌明法要を営んだので、
この日の法要はなく、パートも休みとなっていたので、
久しぶりにどこか出かけて来ようかなって気になりまして

名鉄河和線特急で阿久比駅で普通に乗換えて
2023-9-28-(17).jpg
特急が停まる駅なのに、駅の片側は田んぼ。
車内の中吊り広告に「新美南吉生誕110年」と
(名鉄電車にはもう名鉄関連の広告しかないですねー)

「半田口」駅下車
2023-9-28-(18).jpg
ホームには「新美南吉とふるさと岩滑(やなべ)」の看板
2023-9-28-(19).jpg

2023-9-28-(20).jpg

駅から出たところには、
2023-9-28-(21).jpg
名古屋から
 帰って来ると
 我々の村は
 新緑の中に
 埋もれていた。

 うれしかった。

1941(昭和16).6.22日記 27歳

死ぬのは嫌だ。
 生きていたい。
 本が読みたい。
 創作がしたい。

1933(昭和8).12.6日記 20歳

わずか29歳で亡くなった南吉を思うと、
悲痛な叫びのように心に響きます。

僕の文学は
 田舎の道を
 分野とする。

1940(昭和15).11.24日記 27歳

駅に置かれていたウォーキングガイドマップを見て、
GON2023map.jpg

まずは、新美南吉生家へ
2023-9-28-(35).jpg

1913年(大正2年)7月30日、畳屋を営む父・渡邊多蔵、母・りゑ(旧姓・新美)の次男として生まれる。
前年に生まれ18日後に死亡した兄「正八」の名をそのままつけられた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%8E%E5%8D%97%E5%90%89 より
母りゑの実家の養子に出されて「新美正八」となる。

こちらが父が営んでいた畳屋
2023-9-28-(33).jpg

こちらは継母・志んが営んでいた下駄屋
2023-9-28-(31).jpg
観光ボランティアガイドの方が説明してくださいました。

観光パンフなども置かれています。
2023-9-28-(30).jpg
道側から見ると一階建てですが、

急な梯子を降りると、下に御勝手や、
2023-9-28-(24).jpg
2023-9-28-(25).jpg
小さな部屋もあります。
2023-9-28-(26).jpg
生家は、南吉が亡くなる二か月前に喉の痛みをこらえながら、
「狐」「小さい太郎の悲しみ」など最後の作品を書いたところ
でもあるそうで、こんな部屋で書いていたのかなと。

生家の横にある南吉の句碑
「冬ばれや
 大丸煎餅
 屋根に干す」
2023-9-28-(34).jpg
南吉の文字が繊細で詩的!

2023-9-28-(38).jpg

生家の前にある「常夜灯」
2023-9-28-(36).jpg
石段にあるくぼみは、子どもたちが「草つき遊び」をした跡
「花を埋める」「音ちゃんは豆を煮ていた」に登場する。

南吉が8歳で養子に出されたことを
常夜灯の下で遊んでいるところへ、母が呼びに来て家につれられて帰ると、初(はつ)という人が私を待っていた。少しの酒と鰯の煮たのとでささやかな儀式がすんで、私は新しい着物を着せられ、初という人につれられて、隣村のおばあさんの家に養子にいったのだった。
と書いています。

岩滑八幡社
南吉は毎日この境内を通って、はなれの家と店(生家)を往復していた
2023-9-28-(39).jpg

「ごんぎつね」の中で「赤い井戸」として登場する
常滑焼の井戸筒
2023-9-28-(40).jpg

「ごんの秋まつり」の旗が立てられていて、
道に迷うことはありません。
2023-9-28-(41).jpg
2023-9-28-(42).jpg

矢勝川に出ました。
2023-9-28-(43).jpg

カタツムリの像がある「てでむし広場」
2023-9-28-(44).jpg

堤に彼岸花が咲く、のどかな風景が広がっています。
2023-9-28-(45).jpg
2023-9-28-(46).jpg
2023-9-28-(47).jpg
2023-9-28-(48).jpg

矢勝川にかかる殿橋を渡って北側の堤の道
矢勝川は半田市と阿久比町の境になっているので、
こちらは阿久比町になります。
2023-9-28-(49).jpg

黄色く色づいた田んぼにシラサギがいました。
2023-9-28-(50).jpg

2023-9-28-(53).jpg
2023-9-28-(54).jpg
2023-9-28-(56).jpg

「ごんの飛び石」で矢勝川を渡ることができます。
2023-9-28-(58).jpg

2023-9-28-(62).jpg

田んぼアートが作られていました。
2023-9-28-(65).jpg
毎年、南吉のふるさとをテーマにした絵柄で作られていて、
今年は『でんでんむしの かなしみ』とのこと。

2023-9-28-(69).jpg
2023-9-28-(70).jpg

彼岸花だけでなく、コスモスも咲いてます。
(今年のヒマワリはもう終わったとのこと)
2023-9-28-(72).jpg

童話「ごん狐」で、兵十がウナギを捕っていた矢勝川
(その頃は裏の川という意味で「背戸川」と呼んでいた。)
川の向うに見える山は「権現山」
ごんは中山(新美南吉記念館敷地内の小山)から少し離れた山に
住んでいたことになっているので、南吉は
「権現山の狐」というつもりで「権狐」としたのかもしれないと。
2023-9-28-(73).jpg

ここは白い彼岸花も多く咲いてますね。
2023-9-28-(74).jpg

「ごんの秋まつり」期間中(9/20~10/4)は、
お休み処が開設されていて、心ひかれたんですが、
トイレ行きたくなって、新美南吉記念館へと急ぎました。

2023-9-28-(76).jpg

新美南吉記念館の屋外トイレ
2023-9-28-(77).jpg

えーと、記念館は?
2023-9-28-(78).jpg

わー! 芝生に埋もれたようなユニークな設計!
2023-9-28-(79).jpg

帰る時に撮った写真ですが、記念館の入口は右側にあり、
左側はcafe&shop「ごんの贈り物」(展示室の出口にもなってます)
2023-9-28-(104).jpg
観覧料220円(中学生以下無料)
Nankichi-ticket.jpg
チケットのキツネの絵は安野光雅

ロビーには、新美南吉生誕110年の花輪が。
ごんをモチーフにしたステンドグラスも素敵。
2023-9-28-(80).jpg

ゆったりしたスロープを通って展示室へ。
2023-9-28-(81).jpg
右手には、手袋を買いに来た子ぎつね?
奥には図書閲覧室も
2023-9-28-(81)up.jpg

新美南吉さんが読書してる!
2023-9-28-(82).jpg

階段にできた影が面白い
2023-9-28-(83).jpg

展示室
2023-9-28-(84).jpg

今年の田んぼアートのモチーフになっていた
『でんでんむしのかなしみ』
私、この話知らなかったんですが、
平成10(1998)年9月、インドのニューデリーで開かれた国際児童図書評議会(IBBY)世界大会において、当時皇后だった美智子さまが紹介された作品なんだそう。
2023-9-28-(85).jpg
今、子どもに限らず、明るく積極的にって求められることが
多いような気がするけど、この世に生きる全ての人に、
こんな淋しさが根底にあるような気がする。
決して、あきらめの物語ではないと思う。


天井に吊るされているのは
兵十が川で魚をとっていた「はりきり網」
2023-9-28-(89).jpg

ごんがいたずらしてる(^^)
2023-9-28-(86).jpg

小部屋で、ごんぎつねの人形アニメが上映されていたので、
座れるから休憩がてら、なんて軽い気持ちで見たら、
その世界に引き込まれて、28分という、短くはない
作品なんですけど、全部見てしまいました。
ストップモーションアニメーション
「ごん/GON,THE LITTLE FOX」
素朴な人形ならではの表情‥‥これすごく手間かかってますよね?!
原作にはないけど、ごんが罠にかかった母狐と別れるシーン、
すごく心に沁みたなぁ‥‥

「ごん/GON,THE LITTLE FOX」公式サイト: https://gon-cinema.jp/


新美南吉の生い立ちが紹介されています。
2023-9-28-(87).jpg

半田中学校入学から上京まで(1926-1932)
2023-9-28-(91).jpg
「権狐」が書かれたノート(複製)
昭和6(1931)年10月4日(南吉18歳!)
『赤い鳥』に投稿した際の控えと考えられる
と、「ごん狐」掲載の『赤い鳥』
昭和7(1932)年1月号
2023-9-28-(90).jpg
冒頭部分がかなり簡潔になっていたり、
全編にわたって数多くの修正がみられるそう。

昭和7年4月、東京外国語学校英語部文科に入学。
北原白秋に師事し、巽聖歌、与田凖一らと交流。

岩滑への帰郷と運命との闘い(1937-1938)
2023-9-28-(92).jpg

喀血して帰郷した南吉は、昭和12年(1937)4月から4か月間、
河和第一尋常高等小学校で代用教員として働きます。
ここで僕はかりそめのささやかな仕合せを味っています。
(略)生きていることは無駄ばかりではないことがこれで解りました。

巽聖歌(たつみ せいか)宛の手紙 昭和12年6月5日消印

安城への赴任と少女たちとの出会い(1938-1940)
2023-9-28-(93).jpg
代用教員の後に勤めた飼料会社での激務を心配した
中学時代の恩師のはからいで、安城高等女学校の教員となり、
やっと生活が安定します。英語、作文、農業を教え、
生徒たちと詩集を発行したりしました。

南吉の絵(複製)も味がありますね。
2023-9-28-(94).jpg

安城に下宿し、作品を多く書くようになりました。書いた作品は、新聞や雑誌に掲載されました。南吉にとって充実した毎日でした。
(こどもむけかいせつ より)
2023-9-28-(95).jpg

初めての出版から永眠まで(1941-1943)
2023-9-28-(96).jpg
学習社から執筆依頼を受け、昭和16年(1941)1月からわずか
3ヶ月で伝記物語『良寛物語 手毬と鉢の子』を書きあげ、
10月に出版されました。南吉の初の単行本出版
売れ行きは好調だったが、執筆の無理がたたったのか体調を崩す。

昭和17年(1942)3月から5月にかけ、
「おじいさんのランプ」「牛をつないだ椿の木」
「花のき村と盗人たち」などの代表作を次々に執筆。
10月、はじめての童話集『おぢいさんのランプ』出版。
挿絵は棟方志功!

昭和18年(1943)病状悪化。自宅で療養しながら
「狐」「小さい太郎の悲しみ」などを執筆。
2月、手元の作品をまとめて巽聖歌に送り、出版を依頼。

3月22日、喉頭結核のため、29歳7か月の生涯を閉じる。

はやく童話集がみたい。
 今はそのことばかり考えている。

巽聖歌宛の葉書 昭和18年3月8日

南吉が生前手にすることができた本は、
伝記物語『良寛物語 手毬と鉢の子』と、
童話集『おぢいさんのランプ』だけだった。


南吉が「ちょっと僕の独房を見てよ(笑)」と言った
昭和8(1933)年5月から昭和10(1935)年春頃まで暮らしていた
川村家の三畳間が再現されています。
2023-9-28-(101).jpg
川村家の建物は、戦火をまぬがれ、長く使われていましたが、
平成23年に取り壊されました。再現された部屋にはめられている
高窓は、その時の取り外されたものだそう。
2023-9-28-(102).jpg
南吉もこの窓から空を見上げてたんですね。
この部屋で「手袋を買いに」をはじめ数々の作品が生まれたと。

南吉の胸像の前にはお花が
ふるさと納税で南吉さんにお花を贈るプランが
あるそうですね。
2023-9-28-(103).jpg

企画展のコーナーでは、
新美南吉生誕110年
 南吉と長野ヒデ子の母の世界展

として(期間 2023年7月15日~10月29日)

南吉の「狐」を描いた絵本作家の長野ヒデ子さんの、
絵本や原画、ラフスケッチなどが展示されていました。
(このコーナーは撮影禁止)

新美南吉生誕110年を前に、記念館では南吉作品で
赤ちゃんのための絵本を記念につくれないかと検討して、
長野ヒデ子さんに相談したところ、
南吉の詩『天国』を絵本にした『てんごく』ができたとのこと。

短い詩を何ページもある絵本にするために、
多くのラフや原画が描かれているんだなと。
使われなかった絵もあるんですね。

ショップでは、新美南吉の絵本や書籍をはじめ、
童話をモチーフにしたグッズや、銘菓などが売られていました。
(カフェもあるんですが、秋まつり期間はテイクアウトのみ)
かわいい狐のグッズにも魅かれたけど、
購入したのは、(袋もカワイイ!)
2023-9-28-(148).jpg

長野ヒデ子さんの絵本
『おばあちゃんがおばあちゃんになった日』1,430円(税込)
2023-9-28-(150).jpg
パワフルなおばあちゃんたちが登場するのが楽しい!

岩滑サブレ 2枚組×10袋 1,080円(税込)
ごんの顔の形もカワイイけど、美味しかった!
ココナッツとココアの2枚組でパックされてるのも嬉しい。
2023-9-28-(151).jpg

南吉の黄ごん芋 3個入り 680円(税込)
サツマイモを使ったボリュームのある焼き菓子
2023-10-1-(2).jpg


お地蔵さんが並んでると、よく見たら
2023-9-28-(105).jpg
ごんがお地蔵さんのかげにかくれています!
前には栗も置かれていますね(^▽^)
2023-9-28-(106).jpg

「手袋を買いに」の文学碑
2023-9-28-(107).jpg

記念館のすぐ南にある丘のようになった森は、
「ごんぎつね」にも登場する中山。
「童話の森」として遊歩道が整備されています。

ここにも彼岸花が咲いていました。
2023-9-28-(113).jpg


さて、矢勝川の彼岸花を見ながら帰ることにします。
お休み処は夕方になってほとんど店じまいされてました。
‥‥ちょっと残念。
2023-9-28-(117).jpg

コスモスの花の中を通ったり、
2023-9-28-(119).jpg
2023-9-28-(120).jpg
2023-9-28-(121).jpg


彼岸花と実った稲。豊かな日本の風景ですねー
2023-9-28-(118).jpg
2023-9-28-(122).jpg
2023-9-28-(129).jpg
童話の世界に入り込んだようなのどかな風景
2023-9-28-(130).jpg
2023-9-28-(134).jpg
2023-9-28-(135).jpg
2023-9-28-(136).jpg
2023-9-28-(137).jpg
2023-9-28-(138).jpg

「半田口」駅から帰ります。屋根にもごんぎつねがいる!
2023-9-28-(147).jpg

新美南吉記念館: http://www.nankichi.gr.jp/
半田市観光ガイド: https://www.handa-kankou.com/


久しぶり(1年半ぶり!)にインスタに投稿してみました。


--楽天ブックス--


















nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

タビの死 [猫]

9月7日(木)22時半頃、我が家の猫・タビが死にました。
2004年5月生まれなので、19歳3ヶ月

8月3日に撮影した写真
2023-8-3-(1).jpg

私、なぜか、タビを2005年生まれだと思い違いしてたんですが、
タビのことを書こうと、昔の写真探したら、
2004年5月生まれと確認しました。


近年は歩くのもヨタヨタで、外へも行かなくなってたし、
トイレのある土間への上り下りも、踏み台を使ってたし、
掃除機をかけても逃げなく(逃げられなく?)なっていました。

お腹のぷよぷよのコブは、もう3年以上、
いやもっと前? からできてて、
2020年6月1日撮影
2020-6-1-(6).jpg
動物病院では、手術でとることもできるけど、
悪いものではないので、破れないように注意していれば、
放置しておいても構わないってことだったので、
当然(?)そのままにしてました。


冬はストーブの前に置いた電気敷毛布の上で寝てばかりでしたし、
2022年1月1日撮影
2022-1-1-(7).jpg

2022年1月2日
2022-1-2-(3).jpg


今年の夏は猛暑でしたが、エアコンかけてなくて、
当然室温は30℃をかなり超えてるハズなんですけど、
ほとんどこの猫ベッドで寝てばかりでした。
2023年7月24日撮影
2023-7-24-(2).jpg

7月29日撮影
2023-7-29-(1).jpg

8月に入った頃から、カリカリキャットフードも、
好きなちゅーるもあまり食べなくなって
痩せたなーって見てたんです。

時々、心細そうにすり寄って来てました。

9月5日から、猫ベッドを出て、廊下で横たわっていて、
ちゅーるはもちろん、水を持って行っても飲まないし、
口のまわりを水で濡らしたティッシュでふいてやっても、
舐めたりせずに、便をもらしたり、
体も硬直したみたいに冷たいし、
あぁ、これはもうダメだな‥‥って。

9月6日の朝、もう死んでるかと思ったけど、
2023-9-6-(1).jpg
6日の夜は、時々体の向きを変えたりしてました。
水をやってみたけど、飲まず‥‥
2023-9-6-(3).jpg

7日の朝、もう体を動かす力もないみたいだったけど、
お腹が動いてて、息をしてるんだと。

7日の夜、パートに行ってる間に死んでるかと
思ったけど、22時頃に戻ったら、まだ息をしています。

苦しがっている様子ではなかったけど、
水で濡らしたティッシュで口まわりや体を拭いて、
「タビちゃん、まだ死ねないの?」って言ったんです。

体を拭いたティッシュを捨てに行って戻ったら、
なんか息をしてないみたいで‥‥

私の言葉を聞いて死んだのかと、
ちょっと涙が出ました。

猫ベッドに寝かせてやると、なんだか
まだお腹が動いているように見えて、
体をさわって、やっぱり死んでると確認しました。

私、何匹も猫飼ってたのに、家で死んだのは初めて。

ピーもクロもどこかへ行ってそれきり。

どこかで死んだであろうクロへ:
https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2018-08-20

なので、タビがヨタヨタしてきた頃から、
「タビ、死ぬときはここで死ぬんだよ。
 どこへも行かなくていいからね」と言い聞かせてきたんです。


各務原市のHP「ペット(犬猫など)が亡くなったとき」を見て、
https://www.city.kakamigahara.lg.jp/life/kankyogomi/1001538/1001540.html

市役所の環境政策課で、ペットの火葬許可申請(3,000円)をして、
9日朝、瞑想の森 市営斎場へ連れていきました。
2023-9-9-(5).jpg


----
タビの生まれた頃の写真探してたら、
so-netのホームページサービス「U-Page+」に
(2021年1月28日に提供終了とのこと)
その頃のことを書いていたことを思い出しました。

パソコンに残っていたファイルをキャプチャしました
HP.jpg
実家の半ノラから2004年5月初め頃に生まれてます。
2004-6-15(7).jpg
2004-6-16(8).jpg

6月に我が家へ連れてきて、
2004-6-21(7).jpg
2004-6-23(6).jpg
HP-1.jpg

7月 猫の成長は早いですね
2004-7-3(12).jpg
HP-2.jpg

HP-3.jpg

11月 もう成猫って言ってもいいくらい
2004-11-2(1).jpg

タビ(左)とウス(右)
2004-11-7(6).jpg
2004-11-7(7).jpg

2005年3月 こんなこともやり始めたので(^o^;;
2005-3-3(14).jpg
避妊・去勢手術に連れて行きました。

2005年4月
2005-4-15(6).jpg

このブログを始める(2005年8月)前に、
ウスはどこかへ行ってしまい、
今でも使っているプロフィール画像には、
黒猫のピーと、私の後ろにタビとテンを描いてます。

このブログで最初にタビを紹介した記事
タビ: https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2005-08-31-1

そうか、若い頃のタビは人に抱かれるのを嫌がってたなー
年とってからは、やたらヒザに乗りたがったのに。

2009年1月に、尿道結石で動物病院に入院させました。
タビの入院: https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2009-01-17

猫を入院させるなんて、それまで考えたこともなかったんですが、
オス猫はなりやすいんだそうですね。
これでタビは命拾いしたと。

再発防止のためにも、腎臓サポート用の
キャットフードを勧められたんですけど、
この頃、我が家の家計が厳しかったのと、
他の猫がこのキャットフードを食べて、タビは
他の猫用の激安キャットフードを食べるってこともあり、
動物病院へ買いに行かなくなってたら、

その年の11月に、
タビの再入院: https://shizukozb.blog.ss-blog.jp/2009-11-11

という事態になり、次は手術になるかもしれないと
脅されて、真面目(?)に食事療法をやろうと。

近くのホームセンターにも腎臓サポート用のキャットフードが
売られていることを知り、5%割引になる19、20日の
サービスデーに買いに行くようになりました。

19年生きたタビを見てると、食事って大切なんだなって思いますね。
近年、猫の寿命が延びたのも、栄養バランスのいい
キャットフードが出てきたからだって聞きますし。

近年はちゅーるも好きでしたが、若い頃は、
タビはカリカリしか食べなかったんです。
人の食べ物に手を出さなかったのが良かったのかな?

19年も生きてくれてありがとう。
タビ、安らかに‥‥

タグ:タビ
nice!(5)  コメント(4) 
共通テーマ:ペット

父の葬儀

8月25日(金)、父が永眠しました。

昭和6年9月5日生まれ。9月5日で92歳になるところでした。

今年5月頃から、ほとんど外へ出なくなり、
それまでも食事などの世話は義妹がやってくれてて、
風呂も入れてくれてたんですが、
実家の風呂ではそれもちょっと難しくなり、
デイサービスは嫌だと言っていた父も、
風呂に入れてもらうためにデイに行ってもいいと
言ったので、7月に介護認定を受けたんですね。
介護認定を待っていたところでした。

8月に入る頃から足のむくみもひどく、
急に弱ってきたなとは見てたんですが、
まさかこんなにあっけなく‥‥

私は母の足が不自由になった頃から、母がデイへ行かない
月・水・金曜と週3回、昼頃に顔を見に行っていて、
8月25日の昼もいつものように実家へ行ったんですよ。

その時、夕べ倒れてからトイレにも立てなくなった、って聞いて、
弟や、ずっと世話をしてもらっている義妹と、
これからどう介護をしたらいいか、なんて相談してたんです。

その日の昼食は、食べられないと言いつつ、
葡萄を1粒か2粒食べました。

私は、大事にしてね と言って、
いつものように帰り、夕方からパートへ行きました。

パート中は、スマホはロッカーの中へ入れているので、
終わって帰り道で電源を入れたら、(22時頃)

弟から不在着信が何度かあり、
義妹からLINEが入っていました。

20:03には「病院の救急へ行ったところ、 貧血の値がものすごく低くて、輸血する事になりました。 入院保証書の連帯保証人の署名いただきたいので、 よろしくお願いします」という連絡だったのに、

21:03に
処置してもらっているうちに、心臓止まりました」と!!

驚いて弟に電話すると、今病院で、
葬儀社(JA葬祭)の車を待っているところだと。

病院までは車で30分くらいかかるので、
今から病院へ向かっても行き違いになりそうなので、
実家で待つことに。

やがて葬儀社の車で戻った父を実家の座敷に寝かせ、
連絡を受けて来てくださったお寺の住職がお経をあげてくれました。
(足が不自由な母を離れから連れてくるのに苦労した)

通夜を翌日(というかもう日が代わって当日)26日の19:30から、
葬儀を27日(日)13:00からと決めました。

もう遅いので、連絡は朝になってからということで、
母を離れに戻し、帰りました。

26日、10時過ぎに実家へ行くと、父の妹2人が来ていました。
父は6人兄弟の長男で、2番目の叔父と3番目の叔父、
4番目の叔母はもう亡くなっています。

長男ではありますが、子どものなかった(父にとって)伯父の
養子としてこの家に入っていて、父の兄弟たちとは離れて
育っています。

2番目の叔父の息子(私の従兄弟)も来てくれました。
父の生家は2番目の叔父が継いでいて、
正月や盆には、父の6人兄弟夫妻とその子供13人
(私の従兄弟たち。私が従兄弟たちの最年長)
が集まって、にぎやかだったんですが、
従兄弟も3人がもう亡くなっています。

枕花や、お供花、果物篭盛りなどの注文などもして、

座敷に安置された父の遺体
2023-8-26-(2).jpg

15時 納棺
若い女性の納棺師が来てやってくれました。
弟夫妻とその娘2人と私が立ち合い、母はここまで来るのが
大変なので、離れから様子を見守ることに。
アルコールを含ませた布で皆で遺体を清め、
その後、納棺師の方が父のひげを剃り、髪を整え、
男性女性かかわらずするという死化粧をして、
死装束、きれいな白い着物を左前に着せてくれました。
父の遺体は、最後むくみもあってかなり重いと思われるのに、
肌を見せないよう、美しく着替えさせ、整えてくれました。
母に頼まれて、首に輪袈裟をかけ、手に数珠を持たせ、
皆で敷布を持って棺に入れ、
金剛杖を入れました(これも母に頼まれた)
皆で棺の蓋を閉めて、納棺師の方は帰られました。

座敷はエアコンがないので、暑い中、お疲れ様でした。

17時に葬儀社の車が来て、棺を葬儀会館へ運びます。
弟夫婦や母も葬儀会館へ。

私も一旦家へ帰り、喪服(洋装)に着替えて、
ダンナや息子と共に葬儀会館へ。
今朝の新聞のお悔やみ欄に父の名前があったそうで、
義兄から、なんで知らせてくれなかったのと電話もらいました。

19:30通夜式
親戚や従兄弟たちとも久しぶりに会い、皆突然で驚いたと。

通夜式の後、葬儀会館の控室で父の遺体と過ごすという母
私は、夜中に義妹と交代することにして、
ダンナや息子と家へ帰りました。

もらった助六寿司を食べ、風呂に入って、
12時頃に葬儀会館の控室へ。

ずっと車椅子に座っていた母をソファで横にならせて、
私も夜中結構ごろ寝していたかなー?
昔の通夜では、線香を絶やすなって言われて、
結構気を使った覚えがあるけど、
今は一晩中でも燃え尽きない渦巻き状の長いものがありますものね。

翌朝9時頃に、姪たちが来るので(義妹は喪服の着付けで美容院へ)
交代して家に帰り、朝食・洗濯などをして、

喪服(和装)に着替え。夏の喪服は着るのはじめて。
エアコンつけたけど、着替えるだけで汗だく。

11時半頃、ダンナや息子と葬儀会場へ。
お斎(おとき)を勧められたけど、朝食から間もなかったので、
食べませんでした。
2023-8-27-(2).jpg

父の写真と(あ、草履は足が痛いので、式までの間つっかけを履いていた(^^;
2023-8-27-(3).jpg

13:00告別式
お寺の住職と前住職の二人が来て、お経をあげていただきました。
2023-8-27-(1).jpg
2023-8-27-(5).jpg
父は以前、地元の役などいろいろ引き受けていたので、
急ぎ参列してくださった方などもいました。

お棺に花をいっぱいいれて、
14:00出棺

火葬場から葬儀会場は近いので、一旦戻り、
(お斎を食べなかった私たちは、控室で残っていたお弁当を食べました)
火葬場からの連絡を連絡を待って、16時頃にお骨上げに。

骨上げって地域によって違いがあるそうですね。
以前、東京の人にこちらの骨壺がとても小さいことに驚かれたけど、
各務原市の火葬場では、職員の方がいくつかの骨を拾い上げ、
それを喪主からはじまって、2人一組で箸で骨壺に収めていきます。
残った遺骨は火葬場で供養されます。

お骨を持って葬儀会館へ帰り、初七日の法要。

実家は浄土真宗大谷派(東本願寺)なんですが、
葬式や初七日などで読み上げられる
蓮如上人の「白骨の御文(おふみ)さま」は、父のように
朝はまだ元気(って程でもないけど)だったのに‥‥って場合には
沁みますね。

夫(それ)、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそ儚きものは、この世の始中まぼろしのごとくなる一期なり。
さればいまだ万歳の人身をうけたりといふ事をきかず、一生すぎやすし。今にいたりて誰か百年の形体をたもつべきや。我やさき人やさき、けふともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづく、すゑの露よりもしげしといへり。
されば朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちにとぢ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそほいをうしなひいぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけふりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふもなかなかおろかなり。されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏まうすべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ。


人間の儚さはよくわかるけど、
私はまだ阿弥陀仏信仰には至らないんですが。

初七日の法要を終えて、豪華なお弁当や
お供えの果物やお花をもらって帰宅。

さすがに疲れたのと、食事も作らなくていいので、
しばらく寝てました。

翌日はお寺参りに弟夫婦と母と行きました。
2023-8-28-(3).jpg
お葬式を執り行ってくださったお礼のお参りで、
お経の後に、これからの法要の打ち合わせなどをして、
お葬式のお布施を渡します。
父は法名に院号をいたただいたので、
本山へ納める院号料8万円を別に包んだとのこと。
(院号をつけなければ、法名は無料とのこと)

院号料8万円だって、って後でダンナに言うと、
それは安い、もっと高いと聞くぞと。
ネットでもずいぶん高い値段を目にしますね。
院号に限らず、お寺のお布施とか、よくわからないことが多い‥‥

ちなみにダンナは院号も戒名(ウチは一応黄檗宗になるのかな?)も
つけるなと言っております。仏の弟子などにはならないと。

‥‥でもまぁ、今は葬儀社が会館で執り行ってくれるので、
ずいぶん身内やご近所の負担が軽くなりましたね。

1994年1月21日に亡くなった私の祖母の葬式は、
実家で行なったので、祭壇の飾りつけに部屋を片付けたりと
大変でしたし、参列者は小雪がチラつく外の中で立ちっぱなし、
ご近所の方には炊き出しなど、ずいぶんお手伝いに来ていただきました。
1994-1.jpg
1994-1(3).jpg
この時の喪主は父(中央)でした。
1994-1(2).jpg


----
父にはずいぶん可愛がってもらったという記憶しかありません。
私には特に甘かった!
(弟にはそうでもなかったみたいですけど(笑)

なので東京の美術大学にも行かせてもらったし、
(母は東京へ行くことにあまり賛成してなかったみたいだけど)
仕送りも、バイトなんかするなと、当時の他の子たちより
ずいぶん多く送ってもらってたみたい。

1982年1月に大腸がんの手術をして、人工肛門となりました。

1985年1月の私の結婚式で長持唄で入場する時に、
先に歩いてくれましたね。
1985-1-15.jpg

母がよく働いたね、って言ってましたが、
毎日、朝から晩まで畑で働いていました。
愛読書は「現代農業」
米、サツマイモ、ブドウ、栗、柿、メスレー(スモモ)等々
特にブドウ栽培は趣味の様に力を入れてましたね。
このあたり、ブドウの栽培にはあまり適していない土地のよう
なんですが、父の丹精の結果、甘い巨峰という評判で、
毎年楽しみに買いに来てくれる人も多くいました。
主に母が担当していた養鶏も、
養鶏をやると決めたのは父で、鶏小屋も自分で建てたとか。

一方で旅行も好きで、近所の傷痍軍人の付き添いとして、
返還前の沖縄へ行ったとか、
1981年、まだ自由に旅行できない中国へ行ったのを始めとして、
中国へは度々行ってたみたい。

3年前までは、トラックでブドウ畑まで通ってましたものね。
車に乗れなくなってからも、屋敷うちの畑で、
噴霧器を背負うのは無理なので、キャリーで引っ張って
消毒とかやってましたね。本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました。

2019年3月17日 姪(父の孫)の結婚式で
2019-3-17-(100).jpg

2021年11月29日 伯父(母の兄)の一周忌へ行く前に
2021-11-29-(3).jpg
nice!(3)  コメント(0)